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第三十話 計画どおり



 イシュカの街において、決闘という決着方法はそれほどめずらしいものではない。


 荒くれ者の冒険者同士が互いに剣や拳による決着を望む。それはよくあることなのだ。


 とはいえ、野放しにされているわけでもない。


 決闘が正式の効力を持つために必要なもの、それは立会人である。




 決闘を行う場所を選定し、準備をととのえ、結果を保証する。


 決闘の結果に異議を唱えることは、立会人を侮辱することと同義となる。


 その性質上、立会人には相応の地位と責任が求められる。逆にいえば、それだけの立会人を見つけられなければ、決闘はただの私闘となり、都市の治安法にもとづいて処分されることになる。




 予想はしていたが、俺とラーズの決闘の立会人はギルドマスターのエルガートだった。


 場所はギルドの訓練場。見物人や観衆のたぐいはおらず、広々とした空間には俺とラーズ、エルガートをのぞけば、『隼の剣』とシール、それにあの三つ編みのリデルという受付嬢しかいなかった。


 冒険者や職員が盛んに野次を飛ばすような状況を想定していた俺としては、正直、予想外である。


 まあ、もともと因縁のある者同士の決闘なのだ。決闘の最中に妙なことをわめかれて、それが他の冒険者の耳に入ったら困る、ということなのだろう。



 ただし、これではラーズが負けたときに結果を握りつぶされる恐れがある。ミロスラフの罪を握りつぶしたギルドマスターが、今度はラーズの敗北を握りつぶしたとしても何の不思議もないのだ。


 そんなことを考えていると、訓練場の扉が開いて、一人の中年男性が息をきらせて駆け込んできた。



「……はあ、はあ……いやあ、遅れて申し訳ない! 出がけに問題が発生しまして、そちらに時間をとられてしまいました」



 絹服をまとった恰幅かっぷくの良い姿は、いかにもやり手の商人を思わせる。


 その人物――『組合』から派遣された奴隷商は糸のように細い眼を光らせて、この場に集まった面々を確認した。



「エルガート卿から声がかかるのはめずらしいと思っておりましたが、なかなかに愉快なことになっているようですな」


「詳細は書面で伝えたとおりだ。時間も迫っている。フョードル殿がよければ、すぐにも始めたいのだが、よろしいか」


「ええ、はいはい、よろしいですとも。新たな奴隷がうまれるのか、それとも一人の奴隷が解放されるのか。どちらに転んでも奴隷商たる者の本懐というものです」



 どこか飄々とした言動が目立つフョードルであるが『組合』から派遣されている以上、無能でも無責任でもあるまい。立会人としては十分であろう。


 というか、ここでフョードルを立会人として認めないといえば、俺は『組合』に喧嘩を売ることになってしまう。


 それはなかなかぞっとしない話だった。




 『組合』とはそのものずばり、奴隷商組合のこと。


 冒険者ギルドや、あるいは法の神の神殿のように、国境をこえて成立している巨大組織で、奴隷売買にともなう情報は細大もらさず『組合』に集められる。


 時に数千を超える奴隷を売買する『組合』の影響力は、小国など及びもつかない域に達しており、自殺願望でもないかぎり『組合』を敵にまわす者はいないだろう。


 それにまあ、まっとうに生きていればあまり関わってこない人たちなのである――シールのように不運な人間はその限りではないし、まっとうとは言いがたい道に踏み出した俺は、今後何かとお世話になる気がしないでもないのだが。



 まあいいや、先のことは先のことだ。今は目の前の相手に集中しよう。


 ラーズは片手剣に丸盾、鋼の鎧かぶとを身につけていて、おそらくはすべて魔術が付与されている。背後に商会がいる者の強みだろう。一言でいえば完全武装だった。


 対する俺は腰の黒刀を除けば、いつも形ばかり身につけている革の鎧だけだ。それも胸部を守るだけの部分鎧。防御力はたかが知れている。


 装備だけを見れば俺の完敗である。むしろラーズが大人げないと笑われるレベルだ。


 もちろん、この場で笑い出す者はいない。時には命を落とすことさえある決闘だ。持てるすべてを出し尽くすのが当然である。


 ラーズ自身、真剣そのものといった顔つきで俺を睨んでいた。




「それでは……両者、構え!」




 エルガートの声に応じてラーズが盾と剣をあげる。


 俺は刀を中段に構えた。この決闘では心装もけいも使わない。


 の俺の力を試したいことのほかに、ギルドや『組合』に俺の力をつかませないための防衛策でもあった。


 問題はラーズがそれを許してくれるかどうかだったが――



「ハアッ!!」



 鋭い踏み込みからの袈裟がけの一撃。


 黙って立っていれば、左の肩口を深々と断ち割られていただろう。


 もちろん、こちらも初撃でやられるほど甘くはない。軽く後方に飛んでくうを斬らせ、向こうの体勢が崩れたところにカウンターの一撃を叩き込もうとした。


 しかし、さすがに第六級冒険者はそこまで甘くなく、ラーズはたくみに盾を動かして、攻撃後に生じる隙を最小限におさえてのける。




 次はこちらから攻撃してやろうか――そう思った次の瞬間にはラーズの第二撃が飛んできた。


 一撃目の踏み込みよりもさらに速い。


 重い金属鎧を着ているとは思えない動きで、どうやら最初の一撃は次撃のための布石だったらしい。


 かわしきれないと悟った俺は、今度は刀のみねをつかってラーズの一撃を受け流した。


 刀を通じてしびれるような圧力が伝わってくる。重い斬撃。きちんと足腰の力を剣に乗せることができている。


 当たり前だが、五年前のラーズとはまったくの別人だった。




「どうした、ソラ! よけているだけじゃあ俺には勝てないぞ!」



 三撃目、四撃目、五撃目……立て続けに切りつけつつ、こちらを挑発するようにラーズが叫ぶ。


 俺は唇を曲げて応じた。



「ご忠告どうも」



 言いつつ、横に飛んでラーズの突き攻撃をかわす。直後に襲ってきた盾による攻撃(シールドバッシュ)もかわす。なんでもありの冒険者らしく足払いまで仕掛けてきたが、これもぴょんと飛んでかわす。


 そうしながら、俺は執拗にラーズを観察した。


 幻想一刀流において重要視される四つの基本、すなわちざんけいそうかん


 かんとはすなわち観察である。


 かつて帝国のとある将軍は「敵を知り己を知らば百戦あやうからず」と言ったそうだが、これは何も兵家に限った話ではない。


 心装もけいも使わないとなれば、さすがに地力は向こうが上だ。それに冒険者として積み重ねた経験はラーズの方が圧倒的にまさっている。


 そういった差を覆すための鍵を、俺は相手の動きの中に見つけだそうとしていた。




 はたから見れば、今の俺は蛇のような目でラーズの一挙手一投足を見つめている危ない奴だろう。


 そんな俺の視線を嫌ったのか、それとも一向に当たらない攻撃に業を煮やしたのか、ラーズの攻撃がやや大振りになってきた。


 隙ができるほどの雑な攻撃ではないが、動きの精度はこれまでより落ちている。




 まだ三十合と打ち合っていない。れるには早すぎると思うが……いや、向こうにしてみればレベル一相手に苦戦しているのだ。こんなはずでは、という思いがどうしても芽生えてしまうのだろう。


 第六級冒険者が、除名された元十級冒険者に一撃浴びせることもできないとか、普通に恥さらしだしな。仲間やギルドマスターの視線も気になっているに違いない。


 それに、ミロスラフにもしっかり焚きつけられたはずだ。『本当の冒険者、本当の戦士の力を見せ付けてあげてくださいまし』とかなんとか。


 それがこの体たらくとなれば、あせりが生じるのは必然だった。



 ――そうだな、そうとわかれば、そのあたりをつついてやるのも敵としてのタシナミだな。昔からラーズはこの手の揺さぶりに弱かった。なんだかんだで根は素朴な農民なのだ。



「どうした、ラーズ。剣を振っているだけじゃあ俺には勝てないぞ?」


「うるさい、ちょこまかと!」


「あいにく、刀って武器は真っ向から切りあう武器ではなくてな。これが俺の戦い方だ。だとしても、第六級冒険者が俺の動きを捕まえられないのは問題だが」


「……くッ」


「動きもどんどん雑になってきてるし――な!」



 言いざま、ラーズがわずかに盾を下げた隙をねらって胸を一突き。


 鎧の隙間をぬって相手の身体に傷を負わせる。



「ぐぁ!?」


「ほら、また盾が下がったぞ」



 続けざまに切っ先を突きいれ、的確に鎧の隙間を射抜いていく。


 ラーズは苦痛に顔を歪めながら、盾を横なぎに振るって俺を遠ざけると、お返しとばかりに片手剣で斬りつけてきた。


 ただし、その攻撃は力まかせの大振りだ。先ほどまでのように足腰を使った斬撃ではない。かわすのは何でもないことだった。




 それからなおしばらく斬りあい、斬撃の数が五十合に達した後、俺はラーズと距離を置いて向かい合った。


 ラーズは息を切らし、顔を歪め、鎧の隙間から流れ出た血が地面を汚している。


 ……うん。言っちゃ悪いが弱いな。


 たしかに地力は向こうが上だ。鍔迫つばぜり合いをすれば確実に押し負ける。しかし、そういった長所をいかす戦い方に持ち込むノウハウを、ラーズは持っていないのである。ぶっちゃけ、五年前のアヤカやラグナの方がはるかに強い。


 その理由もわかった。根本的にラーズの剣は魔物と戦うための剣であり、対人用ではないのだ。


 もちろん、ラーズとて人間相手に戦ったことはあるだろう。盗賊とか、死霊魔術師ネクロマンサーとか、邪教の司祭とか、冒険者にとって人間の敵は事欠かない。


 だが、全体的に見れば倒す相手は圧倒的に魔物が多いだろうし、そもそも人を斬れば対人用の剣技が身につくわけではない。


 その点、ブランクがあるとはいえ、幼少時から幻想一刀流を学んできた俺の方に分があったわけだ。なにせ周囲は全員が俺より強かったからな。強い人間と戦う経験は豊富にならざるをえない。




 ともあれ、そうと分かればこれ以上戦いを長引かせる必要はない。


 実はすべてこちらを陥れるためのラーズの罠だという可能性もないことはないが――うん、もしそうだとしたら、その演技力に敬意を表してけい技を解禁するとしよう。


 俺はそんなことを考えながら一歩前に出る。



「ラーズ!」



 その動きに看過し得ないものを感じたのだろう、思わずという感じでイリアがラーズに注意をうながす。


 ラーズがそれに反応して、はっと剣を構えなおしたとき、俺の刀は蛇のように宙に伸び、ラーズの剣に絡み付いていた。


 そして。




 キン、と。


 澄んだ金属音を響かせながら、ラーズの片手剣がくるくると宙を舞った。


 やがて、剣は俺たちからやや離れた場所に突き刺さる。


 それを見て呆然とするラーズの首に刀を突きつけると、ギルドマスターの冷静な声が響いた。



「そこまで! 勝者、ソラ!」



 その瞬間のラーズの目を見たとき、俺はふと思った。


 きっと、試しの儀で竜牙兵に敗れたときの俺もこんな目をしていたに違いない、と。



◆◆◆



「ま、待て、待ってくれ! もう一回、もう一回戦わせてくれ!」



 その後、我に返ったラーズが真っ先に口にしたのはそんな言葉だった。


 回復魔法をかけているイリアに礼も言わず、目を血走らせながら俺を睨んでくる。


 そんなラーズに、俺は軽く肩をすくめてみせた。



「それは立会人が認めた勝利にケチをつけるということか? 相手はギルドマスターだぞ?」


「ち、違う! 今のは俺の負けだ。それでいい。それは認めるから、もう一度勝負しろ、ソラ! そうだ、決闘が一回だけなんて取り決めはなかったはずだ! 今度こそ俺が勝つ!」


「ふん。まあ別にいいけど、次は誰をかけるんだ?」


「なに?」


「今の勝負は俺の勝ち。つまりルナマリアはもう俺のものだ。もう一度戦うというなら、別の奴隷を用意してもらわないとな。言っておくが、ミロスラフはいらないから、お前が用意できるのはイリアだけだぞ」



 それを聞いたラーズが、思わず、という感じでイリアを見る。


 ラーズの傷を塞いでいたイリアは、そんなラーズに対して厳しい表情でかぶりを振った。



「イリア!」


「だめよ、ラーズ。傷は塞いだけど、失った血は戻っていない。こんな状態で戦っても勝ち目はないわ」


「だ、大丈夫だ、今のでソラの戦い方はわかった。次は俺が勝つ!」



 そう叫ぶラーズの頬を、イリアの平手が鋭く打った。


 パシン、という乾いた音があたりに響く。



「いいかげんにしなさい! いつまで結果から逃げてるつもり? あなたは負けたの! まずそれを認めなければ、再戦も何もないでしょう!?」


「……イリ……ア……」


 その叱咤で、ようやく本当の意味で現実を認めたのだろう、ラーズがその場でがくりと膝をつく。


 そんな二人の様子を見ながら、俺は内心でくすくすと笑っていた。




 イリアの態度は厳しくも優しいもの。おそらく考えうるかぎり最も正しい対応だろう。


 だが、心底から打ちのめされた人間にとって、時に正しさは厭わしいものになる。


 そんなとき、甘い言葉を――甘いだけの言葉をかける相手がいれば、男はそちらになびくだろう。幼馴染といえど永遠の関係ではない。



 ――俺はミロスラフを見なかった。見る必要もなかった。

 ――すべては計画どおりに進んでいた。


 

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