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第二十五話 ミロスラフ・サウザール②



 ミロスラフ・サウザールは男嫌いである。


 その原因は何かと問われれば、ミロスラフは真っ先に父の名を挙げたであろう。




 実家であるサウザール商会はカナリア王国でも三本の指に入る大商会。


 その大商会をわずか一代で築き上げたのが父だった。


 王都の片隅にある小さな被服ひふく店を、たった三十年で巨大商会に育て上げた父は、商人としては疑いなく偉大な人物であったろう。


 だが、父親としては落第――いや、最低だった。




 父は常に左右に女性をはべらせていた。しかも、女性の顔は日ごとに違う。商売と同様、あるいはそれ以上に女性に対して精力的な男だった。


 ミロスラフは七番目のめかけの子。母親は流れの踊り子で、情熱的な踊りと炎のような赤い髪が気に入られてミロスラフを生んだ。


 幼いミロスラフが暮らしたのはサウザール本邸ではなく、粗末な別邸。周囲の住民が声をひそめてめかけ屋敷と呼ぶ家だった。


 ミロスラフは幼い頃に父と話した記憶がついぞない。本邸の正妻の子供たちが色鮮やかな衣服に袖を通しているころ、妾屋敷で生成りの服を着させられていた。


 屋敷の中では、母や他の妾たちがいつ来るかも分からない父を待って化粧を凝らし、肌を磨き、互いに牽制しあっていた。


 幼いミロスラフの目には、そんな母たちの姿がひどくみっともないものに映った。


 己はああはなるまいと思った。




 だから勉学に励んだ。


 目指したのは知識人の登竜門、賢者の学院。


 色を売るような女にならないために知識を磨く。


 ただ、学力は努力でどうとでもなるが、受験費用だけは子供ではどうにもならない。


 やむをえず父を頼った。ねだるのではなく、投資として持ちかけたのである。


 娘が賢者の学院に入ったとなれば、商会の株もあがるといって父を説き、受験の費用を得た。


 学院の試験に合格したときは快哉を叫んだものだ。


 こうしてミロスラフは首尾よく「妾屋敷」からの脱出に成功した。




 ただ、苦労して入学した賢者の学院も、ミロスラフにとって安息の地にはならなかった。


 最初のつまずきは外見。


 当時のミロスラフは美容に関して、まったくといっていいほど関心を持っていなかった。


 心がけていたのは清潔さくらいのもので、髪がぼさぼさだろうと、そばかすが目立とうと、徹夜で目にくまができていようと、化粧も手入れもしなかった。


 そういうことは男に媚びる女たちがやることだ。それがミロスラフの考えだった。


 それに、化粧をすることで母たちに近づいてしまうような、得体の知れない恐怖もあった。




 そんなミロスラフであったから、異性からの受けは悪く、同性からは敬遠された。


 とはいえ、ミロスラフ自身はそれでいいと思っていた。何者にもわずらわされず、心行くまで学問に打ち込めるのだから。


 実際、ミロスラフは優秀だった。自分より年上の相手に学術知識や魔法技能で優ることも一再ではなく、そのことを誇りこそすれ、へりくだるような真似はしなかった。




 結果、ミロスラフは孤立してしまう。それだけでなく、直接的、間接的な嫌がらせも始まった。


 しかけてくる相手は異性に限らない。男嫌いだからといって、同性に対して親近感があるわけでもない。


 せっかく学院に入学したというのに、化粧や異性の話で盛り上がる同年代の女の子たちは、ミロスラフの目にはバカにしか映らなかった。


 そういう感情は自然と言動ににじみ出る。


 数少ない知人もひとり、またひとりと周囲から去っていき、やがて学院内にミロスラフの味方は一人もいなくなった。




 慢性的に不快感をおぼえる日々が続く。


 そんなミロスラフにとって転機となったのは、とある魔物の生態調査であった。


 このとき、ミロスラフがおとずれた村がラーズとイリアの故郷だったのである。


 村の外に興味があったラーズは、自分と一歳しか違わないミロスラフが一人前の調査員として行動していることに驚き、あれこれと理由をつけてついてまわった。


 はじめはこれを疎んじていたミロスラフだったが、外見や性別にとらわれることなく、まっすぐにミロスラフを称えてくれるラーズの言動に、徐々に心地よさをおぼえはじめる。



 ラーズが冒険者に憧れていることもこの時に知った。


 賢者の学院では魔法の研究も盛んに行われており、学院を出た後に冒険者となる者もいる。


 だが、それはどちらかといえば成績下位者の進路だった。


 優秀な者たちは宮廷魔術師や魔法研究所などの国家機関に職を得る。




 実をいえば、ミロスラフもそちらの道を視野に入れていた。ミロスラフの魔法適性、ことに炎魔法の扱いは五年に一人というレベルであり、学院の上の方からも打診が来ていたのである。


 いかにラーズに惹かれたといっても、一歳年下の男の子のために輝かしい将来を捨てる気にはなれない。


 ミロスラフとラーズの縁はそこで途切れるはずだった。




 だが、事態は急変する。


 本来、十五歳で修了する課程を二年縮めて終わらせたミロスラフは、神童の名をほしいままにしながら学院を卒業するはずだった。


 しかし、卒業試験の日、ミロスラフは会場に現れなかった。


 寮の地下にあった古書庫に閉じ込められていたからである。魔法をつかって扉を破壊しようにも、狭い室内では術者まで危険に晒されてしまう。


 それに、貴重な書物を破損させるわけにはいかないという事情もあった。




 犯人はいまだに分かっていない。後に、なんとか自力で脱出したミロスラフは事情を訴えたが、再試験は行われなかった。


 期待の神童を見るためにやってきた王族に、無駄足を踏ませたことが問題視された結果である。


 これにより、ミロスラフは栄職を得るどころか卒業さえすることができず、放校同然に学院を追い出される。


 もともと孤立していたミロスラフ。しかも王族の怒りを買った者に手を差し伸べる者はおらず、最終的にミロスラフが行き着いたのが冒険者であった。


 そこにはラーズの存在が少なからず関係している。


 すぐにラーズのもとに向かわなかったのは、落ちぶれた自分を見られたくなかったからであった。


 あの男の子に放校同然に学院を追い出された、なんて言いたくなかった。


 自分はあくまで主体的に冒険者を選んだのだ。そして、冒険者として名を馳せる。ラーズに会いに行くのはそれからと決めていた。



 ……そのあせりに付け込まれ、はじめて入ったパーティであわや乱暴されそうになったミロスラフが、重度の男嫌いになったのは無理からぬことであったかもしれない。




◆◆◆




 そして今、ミロスラフは何度目のことか、男という存在に窮地に追い込まれていた。


 御剣みつるぎそらは一つだけ勘違いをしている。


 ミロスラフは状況を理解していないわけではない。むしろ、これ以上ないくらいに理解していた――このままでは自分は殺される、と。




 はじめは罠にはめたことへの報復だと思った。人気ひとけのない場所に自分を連れ込み、乱暴しようとしているのだ、と。


 だが、そんな思いは一日で消えた。


 ソラに唇を奪われるたび、自分の中の大事な何かが吸い出され、咀嚼されていく。死んでしまう、と思ったことも一度や二度ではない。





 目の前の男を――いや、化け物を殺そうとした。これは人間の形をした別のもの。レベル一であるはずのソラが、ミロスラフの魔法に完璧に対処してみせたことからもそれは明らかである。


 だが、ソラの形をした化け物は強かった。逃げることさえできず、虜囚の日々が続いた。


 死を選ぼうとしたこともある。相手にもそれを告げたが、そんなミロスラフに対して、ソラは軽く肩をすくめただけだった。


 どうせ死を選ぶなんてできないと思われているのか、あるいは死んだら死んだでかまわないと思っているのか。


 おそらくは前者であり、そして後者でもあるのだろう。


 ようするに、向こうはミロスラフの生死に重きを置いていない。あえて死なせるつもりはないが、結果として死んでもかまわないと思っている。




 それを確信してから、ミロスラフは反抗をやめた。死にたくない、と思ったのだ。


 これが卑劣な犯罪者相手ならいくらでも抵抗できる。すすんで唇を差し出すような真似は死んでもしない。


 だが、得体の知れない化け物相手に意地を張っても意味はない。 


 唇を吸われるたび、嫌悪のあまり嘔吐感をおぼえるようになった。にもかかわらず、身体は強い快楽を感じて勝手に熱を帯びていく。


 乖離かいりする心と身体。気が狂いそうだった。




 もういっそ、何もかも諦めて、相手の足元に額をこすりつけようか、と考えたこともある。


 だが、それをすれば向こうはミロスラフへの興味を失うだろう。


 きっと、自分が生かされているのは、その方が「美味しい」から。ここでいう「生きる」は精神的な意味も含んでいる。何もかも諦めて無抵抗になった獲物はきっと美味しくない。


 ティティスの深域、こんな魔獣の領域に、まがりなりにも人が暮らせる場所を用意したのも、ミロスラフを少しでもながく生かすためであろう。


 だから、ミロスラフは生きていかなければいけない。向こうにとって「活きが良いエサ」でなければならない。





 生餌いきえ。そう、今の自分は生餌いきえだ、とミロスラフは思った。


 美味しく食べるために化け物に生かされている。


 かつて、蝿の王に捕まったソラのように。




 それを仕組んだのはミロスラフである。


 かつてのソラも、今の自分と同じような絶望と恐怖を感じたのだろう。


 死にたくない、助けてくれと絶叫したのだろう。


 ――今さらながらに、ひどく申し訳ない気持ちになった。




 自分が同じ目に遭って、はじめてわかる。これは地獄だ。生き地獄だ。


 こんなものを他人に味わわせたのなら、恨まれて当然、憎まれて当然である。ミロスラフだって同じことをするだろう。


 ソラを化け物とののしったが、その化け物を生み出したのはほかならぬミロスラフだったのだ。




 そう思った日から、ミロスラフは相手への態度を変えた。


 向こうが望んでいるであろうことを、望まれる前にするようになった。ソラは媚びていると思ったかもしれない。実際、その気持ちがなかったとは言い切れない。


 だが、根底にあるのは贖罪しょくざいの念だった。この相手になら喰われても仕方ないと、そんな風に思った。思ってしまった。





 その瞬間、たぶんミロスラフ・サウザールは喰われてしまった。


 身体でもなく、魂でもなく、けれどその二つと同じくらい大切なものを喰われてしまった。


 そうして、そこまで堕ちて初めてミロスラフは見ることができた。


 今、己を捕らえ、なぶり、喰っているモノの正体を。


 ソラの影に伸びる幻想の獣の姿を。



◆◆◆



 この日から数えて五日後、ミロスラフ・サウザールの姿はイシュカの街にあった。


 ミロスラフが姿を消してから約一ヶ月。必死の捜索活動を続けていたギルドの職員や冒険者、ことにパーティメンバーであるラーズ、イリア、ルナマリアは狂喜してミロスラフのもとに駆け寄る。


 そこで彼らは、ミロスラフの自慢だった長い赤髪が、肩口からばっさりと断ち切られていることに気づいた。


 それでなくとも一ヶ月の行方不明の後だ。いったい何があったのかと問われたミロスラフは、めずらしく肩を縮めて申し訳なさそうに言った。



 ギルドの軟禁に納得がいかず、抗議する意味で姿を消していたのだ、と。



 部屋に残しておいた犯行声明も自分の小細工だと白状するミロスラフ。


 これを聞いたギルド関係者は一瞬の呆然の後、憤激のあまり顔を真っ赤にした。


 当然だろう、これ以上ないくらいにこけにされたのだから。


 そんな彼らにミロスラフは深々と頭を下げて謝罪する。一人になって頭が冷えた。いかなる罰則ペナルティも受け入れる――その言葉で、いちおうその場はおさまった。


 その後、ミロスラフはギルドに連れて行かれて散々油をしぼられることになるが、ともあれ、事態はこれで一応の決着を見た。


 ひそかに重要容疑者として追われていたソラの手配も取り消された。




 そのソラがイシュカの街に戻ってきたのは、それからさらに十日後のこと。


 このとき、ソラは一人の奴隷を連れていた。


 この奴隷が新たな騒動の火種となることを知っているのは、この時点ではソラを含め、まだ二人しかいなかった……




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