突然イメチェンしてきたクラスメイトの(元)目隠れ無口っ娘に、まっっったく身に覚えのない理由で僕が怒られることになったワケ

作者: Oだんご

 (ああ、今日も可愛い……!)


 始業よりも随分と早い時間に教室のドアを開けると、たった一人、自分よりも先に登校しているクラスメイトの姿があった。

 

 もう何度目かもわからない感想を抱きつつ、僕は彼女の席へつかつかと歩み寄る。


 いつも通り読書中らしい。

 静かにページをめくる様は、朝の澄んだ空気によく馴染んでいる。

 

 本に集中している様子の彼女の前に立った僕は、軽く喉の調子を確かめた後、精一杯の笑顔と爽やかな声で告げた。

 

「おはよう!夢川(ゆめかわ)さん」

「…………」

「…………」

「…………」


 …………うん。

 どうやら僕渾身の朝の挨拶は今日も失敗に終わったらしい。

 しばらくの間笑顔をキープしていたのだけど、目の前の彼女はこちらに一瞬だけ顔を向けた後、すぐに本の方へ向き直ってしまった。

 

 すごすごと自席に撤退し、教科書を机に詰める。

 夢川さんの方をちらりと見てみたが、相変わらず彼女は本に視線を落としたままだ。

 

 そんな塩対応ですら悪くないと思えるのは、惚れた弱みというやつだろうか。

 二人きりの静かな空間で、僕はひそかに気合を入れた。


 (今日こそは、夢川さんと話してみせる……!)

 

 

 

 僕が夢川さんに初めて出会ったのは、高校の入学式――つまりは数か月前のことだ。

 これは今だからこそ言えることだけど……正直、最初彼女に抱いた印象はあまりいいものじゃなかった。


 着崩しの"き"の字もないくらい、かっちりと着こんだ制服。

 綺麗に切り揃えられた前髪はカーテンのように瞳を覆い隠しており、後ろ髪は無造作に2つ結びにしている。

 地味すぎて逆に存在感を放っているのではとさえ思えたその女の子は、入学直後の自己紹介というそこそこ重要であろうイベントを、黒板に名前を書いて一礼するだけで終了させた。

 

 そんなことがあったものだから、僕――二色(にしき)奏斗(かなと)の高校生活のスタート地点が、どこからどうみても取っつきにくい彼女――夢川(ゆめかわ)莉李(りり)の隣の席であることに不安を感じてしまったのは、ある程度仕方のないことだったと思うのだ。


 

 夢川さんと隣の席同士になってからというもの、僕は彼女とコミュニケーションを取ろうと試みた。

 袖振り合うも多生の縁とか、一期一会みたいな言葉を僕はそこそこ信じている方だし、少なくとも次の席替えまでは隣人な彼女と仲良くなるに越したことはない。

 あとはまあ、このままだと夢川さんがクラスに馴染めないんじゃないか、なんて余計な心配もあったりして。

 

 そんな考えから僕は夢川さんに積極的に話しかけていたのだけど――


「夢川さん、おはよ」

「……」

 

「ねえねえ夢川さん、僕さ、今この漫画にハマってるんだけど知ってる?」

「…………」


「夢川さん、学食ってもう行ってみた?もしよかったら一緒に――」

「………………」

「――行かないですよねぇ……」


 取り付く島もないとはまさにこのことだと思う。

 いくら話しかけてみても、夢川さんとコミュニケーションが成立することはなかった。

 

 そして、話しかけ続けて一ヶ月程が経った頃。

 夢川さんが人との関わりを本気で必要としていないのだろうと判断した僕は、席替えで席が隣同士じゃなくなったことを機に、彼女と関わることをとうとう諦めた。


 (ま、仕方ないよね)


 流石に出会う人全てと仲良くなれると思うほどハッピーな思考はしていないし、人と関わらない生き方を否定するつもりもない。

 僕と夢川さんは、残念だけど縁がなかったのだろう。

 今後はお互い干渉することもなく、一介のクラスメイトとして過ごせばいい。


 そんなことを考えていたのだけど、この翌日、僕は盛大に掌を返すことになる。

 

 

 その日は、朝から雨が降っていた。

 土砂降りというほどでもないけれど、小雨と呼べるほど弱くもない雨。


 そんな天気の中、僕はいつもより早い時間に学校を目指していた。

 というのも、その日提出の課題を机の中に忘れてきてしまったのだ。

 それに気づいたのは前日夜のことだったので取りに戻ることもできず、早めに登校して済ませてしまおうと考えたわけである。


 傘をさしているとはいえ、どうしても濡れてしまう服や靴に少しの憂鬱感を覚えながら通学路を歩いていると、前方に夢川さんを見つけた。

 一瞬、駆け寄って話しかけようかとも思ったけど、早朝から僕に絡まれても迷惑だろうと思いとどまる。


 追い越すのもなんとなくバツが悪くて、夢川さんの後ろを距離を空けながらついていく。

 いつもこんな早い時間に登校しているのだろうか、とか。自分と同じで徒歩通学なのかな、とか。

 そんなことをぼんやり考えながら歩いていると、後ろから元気な声が聞こえてきた。


 振り返ってみると、登校中の小学生が数人。

 不機嫌な空模様とは対照的に、彼ら彼女らは実に楽しそうに僕のことを追い抜いていく。


 その最後尾、小学校低学年くらいの小さな女の子が目に留まった。

 その子は集団に置いて行かれないよう必死な様子で、見ていてどこか危なっかしい。


 (今日は足元も悪いし、転んだりしなければいいけど)


 内心で心配した矢先のことだった。

 危惧した通りに、件の少女は転んでしまう。


 僕は慌てて駆けだそうとしたけれど、自分よりも先にその子の下へ駆けつけた人物の姿を見て、思わず足が止まった。

 その人物――夢川さんは、自分が濡れるのも厭わずに幼い少女へと傘を差し出して、手を貸していた。

 泣いてしまった女の子と目線を合わせるように屈んで、濡れてしまった髪や服をハンカチで拭いてあげる夢川さん。

 その光景だけでも僕にとってはかなりの衝撃だったのだけど、一番驚いたのは、夢川さんの口元が何かを語りかけるように動いていたことだ。

 距離はあるし、雨が降っていることもあって、夢川さんが何を話していたのかはわからない。

 だけど、話しかけられている少女の雰囲気から、きっと優しい言葉をかけているのだろうなと想像できた。


 しばらくすると落ち着いたのか、泣き止んだ女の子は自分の足でしっかりと立ちあがって。

 その頭を一撫でした夢川さんは、女の子が小学生たちの集団に戻っていったのを見届けた後、学校とは違う方向の路地へ姿を消した。


 夢川さんが視界からいなくなって、一連の流れを立ち尽くして眺めていた僕は我に返った。


「なんか……すごい場面を見てしまった気がする」


 車に轢かれそうになっている人を命懸けで助けたとか、そんな大げさなものじゃない。

 言ってしまえば朝の心温まる一場面であり、当事者が夢川さんじゃない他の誰かであれば『ああ、あの人は優しいんだな』なんて月並みな感想を抱くだけで終わっていたんじゃないかと思う。


 不良が捨て猫を拾っているのを見て、みたいなものなのだろうか。

 幼い少女に手を差し伸べる夢川さんの姿は僕の心に鮮烈に焼き付いて、優しいという印象以外にも不思議な胸の高鳴りと……1つの後悔をもたらした。


「傘、僕も夢川さんに差し出せばよかったな……」


 その後、夢川さんは僕よりも後に登校してきた。

 びしょ濡れだった制服が乾いていたので、一度家に帰って着替えたのかもしれない。


 隣の席に座る彼女は無口無表情で、今朝の一幕なんてまるでなかったかのようにいつも通りだった。

 そんなところをミステリアスで素敵だ、なんて思ってしまったのだから、多分この時点で兆候はあったんだろう。


 これ以降、僕は気づけば夢川さんを目で追ってしまうようになり、彼女と関わるのを諦めることを諦めた。


 

 で、今に至るわけなんだけど。


「今日もダメだったぁ~~!」

 

 放課後。僕はがっくりとうなだれていた。

 その理由は長い授業で精根尽き果てたから……ではなく夢川さんと今日も話すことができなかったからだ。

 話したことがない相手を好きになるのは珍しいかもしれないけれど、好きになった女の子と話したいって思うのは至極普通のことだと思う。

 折を見て何度も話しかけにいったものの、一度たりとも彼女が口を開くことはなかった。


 夢川さんが、一切喋らないというわけではないはずだ。

 あの日、転んでしまった幼い少女に向けて話しかけていたのもそうだし、ほんの一言二言だったらしいが、彼女と言葉を交わしたことがあると話すクラスメイトが数人いる。

 

 だからこそ僕は、夢川さんと親しくなるための第一歩を"会話をする"に設定したのだけど、成果はご覧のありさまである。

 

 (夢川さん、どうして話してくれないのかなぁ)

 

 もう何度考えたかわからない疑問を頭の中で転がす。


 一番わかりやすいのは、単純に夢川さんが僕のことを嫌っているとか怖がっているって説だけど……どうにもそれが正解だとは思えなかった。

 こちらの言葉には何の反応も返してくれない彼女だが、それは僕に対する嫌悪や恐怖からくるものではないように感じるのだ。

 まあ、所詮は主観だしお前の願望だろって言われたらそれはそうとしか言いようがないのだけど、夢川さんが話さないのは僕に対してだけじゃないとか、印象が固まっていないだろう初対面の時からだとか、一応根拠がないわけでもない。


 他にも可能性であれば色々思いつくものの、どれも確信には至らない。

 そして、確信もないような可能性を理由に夢川さんを諦めるなんてことは、僕にはできそうになかった。

 

 結局、今日も疑問に答えを出すことはできず、今日の可愛かった夢川さんベスト10の回想に移ろうとしたその時。

 頭上からよく知った声が降ってきた。


「お疲れだ奏斗。相変わらずの玉砕っぷりだったな」

 

 顔を上げてみれば、スラリとした体形の眼鏡をかけた男子生徒が一人。

 こいつの名前は百島(ひゃくしま)秋宗(あきむね)――幼い頃から付き合いがあり、僕が最も気を許している友人だ。

 

「……うっさいよ秋宗。玉砕とか言うんじゃない」

「毎日毎日健気に話しかけにいってるのに、そのことごとくが空振りに終わる親友の姿に俺は同情を禁じ得ないよ」

「空振りでも試合は続いてるからいいんだよ。次の打席でホームラン決めて逆転勝利してやるから見てろ」

「傍から見てればコールドゲームの様相なんだが試合続行とは恐れ入る。あんだけシカトされてよく心が折れないよなあお前」


 呆れ7、感心3といった顔をする秋宗。

 逆の立場だったなら、僕も同じようなリアクションをしたかもしれない。

 

 だが、こうも考えられないだろうか?

 

「素っ気なくされればされるほど、夢川さんと話せたときの喜びが増すだろうからいいんだよ」


 空腹の時に食べる料理が一番美味しいように、つれない対応から一転して仲良くなれたなら、それは最高にうれしいに違いない。

 いわば、今は助走の段階。高く跳ぶために力を溜めている状態……!

 

 それに、好きな人からだったら雑に扱われても存外悪い気はしない。これはこれでいい。

 

 そりゃあもちろん夢川さんと仲良くなれるならそれが一番いいけれど、あの冷たくしょっぱい対応をどうにか甘く溶かすことができないか試行錯誤するのだって楽しいし燃えるものがあるのだ。

 なんてことを語ってみせると、その表情が呆れ10に変化した。


「なんつーかポジティブというか、恋は盲目を体現してるな」

「僕の目が見えてないんだとしたら、それは夢川さんがあまりにも眩しいからだよ」

「よくもまあ一度も話したことない相手をそんな風に想えるもんだ。ストーカーの適性ありそう」

「ちゃんと毎日正面切ってアプローチしてる僕をストーカー呼ばわりとは失礼な」

「お前が捕まったらちゃんと証言してやるからな『いつかはやると思ってました』って」

「だからストーカーじゃないって言ってるだろ。というか秋宗、さっきから僕のこと茶化してるけど、部活いかなくていいわけ?」


 万年帰宅部の僕と違って、秋宗は部活に入っている。

 普段であれば放課後は部室へ直行することが多いので、こうして僕にちょっかいをかけてくるのは実は珍しい。

 暗にお前もう部活に行けよと促してみると、秋宗は「そうだったそうだった」なんて言いながらへらりと笑った。


「落ち込む奏斗の姿があまりに憐れで本題忘れてたわ。面白い話を聞いたというか、思いついたもんだからお前にも教えてやりたくってよ。それ話したら部活行くわ」


 楽しそうなその顔をみて、僕はああ、いつものやつだなと察した。


「なあ、奏斗。お前、知ってるか?実はな、ここいらで最近"出る"かもしれないんだよ」

「……出るって、いったい何がさ?」

 

 実にそれっぽい雰囲気で投げかけられた問いかけ。

 何が?なんて様式美として尋ねてみたものの、その答えは予想できている。

 幽霊とか、妖怪とか、そういうオカルティックな何かだろう。

 秋宗はこの手の話が昔から大好きで、何処かから聞きつけてはよく僕の元へ話しに来る。

 

 さて、今回は一体何が出たというのだろうか。

 幽霊?妖怪?都市伝説?UMAやエイリアンなんかもありえるかもしれない。


 しかし、少しの溜めの後、秋宗の口から告げられた答えは僕が予想だにしないものだった。

 

「――サキュバスだ」

「……は?」


 何言ってんだお前?という内心を一切隠せなかった僕を誰が責められよう。

 

「だから、サキュバスだよ!サキュバス!俺たちの身近なところにいるかもしれないんだよ、サキュバスが!」

 

 テンション高めに繰り返してくる秋宗。どうやら僕の聞き間違えでもないらしい。

 

 サキュバス。

 夢魔や淫魔と称されることも多い、架空の存在。

 実際の伝承においてどういう設定なのかは知らないが、エロいことをしたりエロい夢を見せたりして男の精を奪っていく女悪魔、みたいなイメージを僕は持っている。

 えっちな女の子のわかりやすい記号として重宝されていて、オカルトというよりはファンタジーの住人って感じ。

 

 そんなサキュバスが、どういうわけかこの辺りには出るらしい。

 ……いや、なんでだよ。どうやったらサキュバスが出没するって話になるんだよ。


「えっと……痴女的な不審者がこの辺を徘徊してるとかそういう話?だとしたら当初の想定とは別ベクトルで怖いけども……」


 エロ本の読みすぎでとうとう頭がやられたか?なんて考えていると、僕の怪訝そうな表情に気づいたのだろう。

 どうしてこんな突拍子のないことを言い出したのか、秋宗は詳しく説明してくれた。


「まあ聞いてくれ奏斗。まず前提なんだが、俺たち男子高校生というのはエロいものに目がない生き物だ。三大欲求のパワーバランスは性欲9、他が0.5ぐらいずつだし、思考の7割は脳ではなく下半身で行っているといっても過言ではない。ここまではいいな?」

「あんまりよくないけど、突っ込むの面倒だから続きをどうぞ」

「そんな三度の飯よりエロ大好きな男子高校生が、エロいものに興味を全く示さなくなるというのはそりゃもう一大事なわけだ。だけどな、そんな大事件がうちの学校では結構な頻度で起こってるんだよ」

「それが一大事だという感覚に全く共感できない……」

「最大十股かけたという最強のヤリt……プレイボーイの脇先輩が女遊びをしなくなったり、美少女のパンチラがないアニメに価値はないとまで言い切ったあの深夜アニメマスター江端が男!汗!筋肉!みたいなお色気要素ゼロのアニメ見てんだぞ!これが一大事じゃないわけないだろう!?」

「だろう!?じゃないよ。誰だよその人たち」

「マジかお前……うちの学校における変人ランキングトップ10に入るこの二人を知らないとかびっくりだわ」

「僕はうちの学校にランキングが作れるほど変人がいたことにびっくりだよ」

「奏斗は夢川さんのこと以外へのアンテナ低めだもんなー。ま、それはいいや。で、話を戻すけどよ。さっき挙げた二人の他にも、急に異性とかエロへの興味が一切なくなるやつがちらほらいてな。そいつらに話を聞いてみると、みんな口を揃えて言うんだよ。『とんでもなくエロい夢を見た』って」

「夢……あーなるほど、それで」

「そういうことだな。サキュバスが淫夢を見せる代わりに性欲……っつーか精気?的なもんをもっていってるんじゃないかって俺は考えたわけだ。あ、ちなみにだけど、さっき挙げた二人は一週間くらいで元に戻ったらしいから心配はいらないぜ」

「微塵もしてなかった心配を解消してくれてありがとう。にしても、サキュバスねえ……」


 話を聞いてなお、僕が秋宗に向ける視線は胡乱げなものだった。

 だって普通に信じられないし。

 そんな僕の反応が気に入らなかったらしく、秋宗は不満そうにしている。

 

「さては奏斗、信じてないだろ」

「今の話をすんなり信じろって方が無茶でしょ」

「淫夢をみた後に性欲を失うっていう珍しい現象が立て続けに起こってるんだぜ?わりと説得力はあるだろ」

「そういう噂を流したい人たちが口裏合わせてるって方があり得そうじゃない?」

「証言してる奴らは男ってこと以外共通点もなければ接点もないからそれはないと思うんだがなあ。仮にそれが本当だったとして、なんでそんなことするんだよ」

「んー……愉快犯的な」

「愉快犯だったらもっと影響がわかりやすい手口でやるだろ。やっぱこれはサキュバスの仕業に違いないって」

「いやいや、だからといってサキュバスは飛躍しすぎだって。まだ全部偶然だって言われた方が現実味あるよ」

「いやいやいや、全部偶然ってのはいくらなんでも暴論だろ。奏斗にはロマンが足りない。この前だって――」

「いやいやいやいや、秋宗のそれはロマンじゃなくて妄想って言うんだよ。大体――」


 しばらく言い合いを続けたものの、残念ながら秋宗と僕の意見が相容れることはなかった。

 

 そうこうしているうちに、本格的に部活へ顔を出さないとまずい時間になってしまったらしく、秋宗が慌てて教室を出ていく。

 その背中を見送った僕も、特に居残りする理由はないので帰宅することにした。


 帰り支度をしながら秋宗の話を思い返す。

 淫夢を見た男子から一時的に性欲が消える――確かに不可思議な現象だ。でも、サキュバスはなぁ……。


「そりゃあ、本当にいるんなら面白いとは思うけどさ」

 

 親友にはロマンが足りないと非難された僕ではあるが、信じていないだけでオカルトやファンタジーが嫌いというわけじゃない。

 もしもサキュバスなんてものが実在するのだとしたら、是非ともお目にかかってみたいとは思う。とはいえ――


「サキュバスなんかより、夢川さんとどうやってお近づきになるかの方が僕にとっては大事だな」


 非現実的な空想に想いを馳せるより、夢川さんのことを考える方が僕にとってはずっと有意義だ。

 明日はどうやって夢川さんに話しかけようか。そんなことを考えながら、僕は教室を後にした。





 私、夢川(ゆめかわ)莉李(りり)はサキュバスです。

 

 これは高校生にもなっていまだに厨二病をこじらせているわけでも、性に奔放なことを比喩した物言いでもありません。

 正真正銘、私はサキュバスなんです。

 正確には(ハーフ)サキュバスと言うべきなんですけど、ここで重要なのは、私が普通の人間には持ちえない、超常的な力を持った存在であるということです。


 自分が特異な存在だと知ったのは、大体半年くらい前――中学3年生の冬のことでした。

 お父さんの仕事の都合で高校入学を機に県外へ引っ越すことになっていた私は、近づく同級生たちとの別れに寂しさを感じつつ、毎日受験勉強に励む日々を送っていました。

 

 そんなある日。お父さんは一足先に引っ越し先の方へ居を移していたので、お母さんと二人で朝ご飯を食べていた時のこと。

 テレビに映るニュースをぼんやりと眺めながら味噌汁をすする私に、お母さんは言ったんです。

 

「莉李、実はね、お母さんサキュバスなの」

「ん゛っ……!?けほっ、ごほっ……!」


 あまりに唐突なカミングアウトに思わずむせてしまいます。

 まずいです、味噌汁の具が逆流して鼻の方にいきました。乙女的にはちょっとお見せできない状態です。


「ごめんね莉李。あなたのことは美人に産んであげたつもりだけど、鼻からなめこを許容できるほどかと言われると、お母さんちょっと自信ない」

「何を謝ってるんですか!?こうなったのはお母さんがおかしな冗談を言ったせいですからね!?」


 謝るべきは絶対そこじゃないです。鼻をかみながら抗議します。

 

「おかしな冗談って言われても、お母さんがサキュバスだっていうのはほんとのことなのよねえ」


【急募】母親が電波キャラになってしまった時の対処法。

 お母さんは中学生の娘がいるとは思えないほど若々しくて美人なんですけど、それでもいい歳なので流石に電波キャラは……。

 いえ、早まってはいけません。冷静になるのです、私。自分の母親がゆんゆんしていると決めつけるにはまだ早いです。

 

 お母さんが口にした"サキュバス"という言葉は、直截的な物言いを避けるための比喩という可能性だってあります。

 考えるんです、夢川莉李。

 サキュバスとは、えっちな悪魔のことだったはず。

 そんなサキュバスをお母さんが自称したその意図とは――


「――お母さんが実はそういうイメクラで働いているって話ですか……?」

「まっっっっったく!違うわね!お母さん、中学生の娘の口からイメクラって単語を聞きたくなかったわ」

「じゃあ、お母さんが単に淫乱ドスケベクソビッチだったという……?」

「実の娘から聞きたくない言葉ランキングを速攻で更新していくのやめなさい。もちろんそういうわけでもないわ。お母さんはお父さん一筋よ」


 私がなんとか捻り出した推論は、どちらも否定されてしまいました。こうなるともうお手上げです。

 

「……じゃあサキュバスってどういう意味なんですか」

「どういう意味もなにもそのままの意味よ。お母さん、サキュバスなの。淫魔とか、夢魔とも呼ばれる悪魔。そういう存在なの」


 私に言い聞かせるように繰り返すお母さん。

 その瞳は真剣で、とてもふざけているようには見えません。

 

 ……こんなに真面目な顔をされては、私としても認めざるを得ないです――自分の母親が、電波で厨二病なことを。

 

 お父さんがいなかったり、私の受験が迫っていたりで少し疲れてしまったんでしょう。

 娘として私ができることは、お母さんが満足するまで話を合わせてあげることなのかもしれません。


「ソウデスカ、マサカオカアサンガサキュバスダッタナンテ、ワタシ、ビックリデス」

「莉李、清々しいほどに演技の才能ないわねー。1ミリも信じてないでしょ」

「オカアサンノイウコトデスカラ。ワタシハ、シンジマスヨ」

「それ腹立つからやめなさい。別に信じられなくてもいいわよ。これから嫌でも信じることになるだろうし。こんな話をしたのだって莉李が力に目覚めてたからなんだから」

 

 まさか、力に目覚めるなんて台詞をリアルで聞くことになるとは……。

 お母さんの語る設定に適当な相槌を打ちながら、登校の支度を済ませていきます。

 いよいよ家を出ようとした時、お母さんが私の方に向けて何かを放り投げました。

 放物線を描いて飛んできたそれを、私は反射的にキャッチします。これは――

 

「……防犯ブザー?」

「それ、持っていっときなさい。見た感じ滅多なことにはならないだろうけど、万が一があったら困るし。危ないと思ったらそれを鳴らして逃げなさい。念のため、人通りが少ないとこは通らないようにね。それと今日は早退してもいいから、限界を感じたら私に連絡すること。すぐに迎えに行くから」

「え?え?え?」


 なにやら穏やかじゃないことを言われて困惑してしまいます。

 私の身を案じるようなお母さんの言葉は真に迫っていて、妄想や設定と断じることができない何かを感じました。

 

「止めるべきか悩んだけど、一度は経験しておいた方が色々受け入れやすいと思うし、自分の力を知るっていうのも大事なことだと思うから。気を付けてね、莉李。いってらっしゃい」

 

 複雑な表情のお母さんに見送られながら、私はいつも通り学校へ向かいました。


 そしてその結果、声をかけたり、目が合ったりした男性に片っ端から言い寄られるという異常事態に見舞われることになります。

 

 そんな素振りなんて一切なかったクラスメイトや、一度も話したことがない下級生、果ては教師にまで迫られるのは中々にショッキングな出来事でした。

 異性から好意を向けられることは今までもありましたが、流石にこれは常軌を逸しています。

 

 一体何が起きているのかを考えた時、思い出したのは今朝お母さんが話していた与太話。

 実は全部めちゃくちゃ大掛かりなドッキリだったりしないかなと願ってみたりもしましたが、いつまで経ってもネタバラシはなく。

 私はようやくお母さんの話が真実だと認めたのです。


 後でお母さんから聞いた話によると、この騒動はサキュバスの持つ能力によって起きたらしいです。

 なんでも、サキュバスの瞳や声には好意を誘発したり、情欲を掻き立てる力があるとか。

 あくまで影響は一時的とのことですが、人の欲求や感情をこうも簡単に捻じ曲げてしまうというのは恐ろしいことに思えました。

 

 そういう倫理的な部分を抜きにしても、声を聞かれたり目があったりするだけで異性に群がられていてはまともに社会生活を送れる気がしません。

 急にハードモードになった人生を嘆く私でしたが、お母さん曰くちゃんと訓練をすれば周囲の異性を誰彼構わず催淫してしまうようなことはなくなるとのこと。

 

 この日から、私のサキュバスとしての力を使いこなすための特訓の日々が始まりました。


 

 そして、現在。

 私は無事受験を突破し、高校生になりました。

 知り合いのいない新天地での生活には不安もありましたが、サキュバスの力の制御を覚えるまでの過程で起きたアレコレのせいで、魔性、女狐、清楚ビッチなど不名誉なあだ名がつけられていたことを考えるとむしろ良かったかもしれません。

 数か月も経てばそれなりに新環境にも慣れて、穏やかな高校生活を送っています。

 

 ……視界を覆い隠すように前髪を伸ばし、異性のいる場所では絶対に声を出さないよう気を付けながら。


 この逆高校デビューでもいうべき行いの理由は、もちろん周囲をむやみに催淫しないためです。

 

 自分がサキュバスであることを知ってから多少の時間が経った今でも、私はサキュバスとしての力を制御できていません。

 より正確に言うならば、力を制御する術はものにしたものの、力を制御するための()()()()を満たせていないのです。

 魔法は覚えているのにMPが足りていない、みたいなイメージでしょうか。

 

 その前提要件というのは、精気を十分に得ていること。

 

 精気というのは、ざっくり言ってしまうと人間の生命力のようなものです。

 サキュバスという種族は、現実で性的なことをするか、性的な夢を見せることによって異性の精気を取り込むことができます。

 

 生命力を取り込む、なんていうと物々しく感じるかもしれませんが、重篤な症状を引き起こしたり、寿命を縮めてしまったりするようなことはありません。

 そんなことにならないよう加減をしますし、そもそも命の危険があるような量の精気を奪うことは、相手の生存本能が働くため非常に難しいらしいです。

 ……まあ致命的でないというだけで、一時的に性欲が減退したり倦怠感を感じたりといった影響はあるので迷惑なことには変わりませんし、当然罪悪感はあるんですが。

 

 しかし、この精気というのはサキュバスにとって非常に重要な栄養で、摂取しないと強烈な飢餓感に襲われることになります。

 それだけだったら耐えればいい話なんですが、非常に残念なことにそれだけじゃ済まないのです。

 

 これこそが本題になるのですが、精気を十分に得られていないままでいると、力の制御が効かなくなってしまうのです。

 そもそも異性を催淫する力は精気を取り込むための()()()()()()を円滑に行えるよう備わっている手段らしく、精気の獲得という目的が達成されていない状態だと、周囲から無理やりにでも精気を得ようと暴走して制御を受け付けなくなります。

 しかも、厄介なことに精気が枯渇している状態で放置しておくと声を聞かれたり目を合わせたりしなくても、ただそこにいるだけで周囲を催淫してしまうようになってしまうのです。

 こうなってしまうと普通の生活など送るべくもありません。


 精気を取り込まないままでいると周囲をむやみに催淫してしまい。かといって、力を完全に抑えられるだけの精気を得ようとするとそれなりの量が必要なため、もたらす体調不良の規模が大きくなってしまう。

 どう転んでも迷惑をかけるしかない私が見出した落としどころは、最低限――そこにいるだけで周囲を催淫してしまわない程度には精気をいただきつつ、視線や声など能力が制御できていない状態でも物理的に対策できる部分は自前で対策する、というものでした。

 

 かくして、私は目隠れ無口っ娘として高校生活を送ることになったのです。

 

 

「はぁ……本当に難儀な体質ですね……」


 ため息を1つ吐きながら、私は夢の世界へと降り立ちました。

 

 夢魔とも呼ばれるだけあって、サキュバスは他人の夢に干渉できます。

 その方法は様々ですが、私は自分の夢と他人の夢を繋げる方法を取っています。

 

 現実の私は今この瞬間も自室のベッドで眠っていて、夢の世界で意識だけ動かしている状態です。

 といっても、主観としては現実とあまり変わりません。

 今動かしている体は現実と寸分違わぬものですし、感覚や思考だってはっきりしています。

 まあその気になればこの世界で出来ないことなんてほとんどないので、やっぱりここは夢なんですけど。


 なぜこんなことをしているのかというと、もちろん精気獲得のためです。

 サキュバスが精気を取り込むには、現実でえっちなことをするか、淫夢(えっちな夢)を見せなくてはなりません。

 

 現実でえっちなことをするのが精気獲得には一番効率がいいらしく、ほとんどのサキュバスはこの方法をとっているらしいのですが……私としては論外でした。

 高校生になったばかりの私にはまだ早いかなって思いますし、やっぱりそういうことをするのは好きな人とじゃなきゃ嫌です。

 催淫して正気じゃない相手を、なんてもっての他でしょう。

 

 しかしそうなると、私が取れる手段は淫夢を見せる一択になってくるわけでして。

 毎夜毎夜、私は誰かに文字通り()()()を見せ、その対価として精気をいただいているというわけです。

 

「さて、今日の精気提供者さんはどのような方でしょうか」


 今、私がいるのは私の夢と他人の夢の境界のような場所です。

 目の前に扉が1つある以外は何もなくて、この扉を開けるとそこはもう完全に誰かの夢の世界となります。


 この扉の先が誰の夢に繋がっているかは私も把握していません。

 確定しているのは、男の人ということだけ。

 

 一応、その気になれば対象を指定して夢を繋げられるみたいですけど、それは被害者を選定するということです。

 私には進んで害したい相手なんていませんし、その覚悟もありません。

 どころか、被害者は私が"選んだ"のではなくて無作為に"選ばれた"んだって言い訳をして、自分の罪悪感を誤魔化している有様です。

 

 そんなわけで、私はいつもたまたまチャンネルが合って繋がった人の夢にお邪魔させてもらっています。


「お邪魔します」


 小さく呟いて、誰かの夢へと繋がる扉を開きます。

 

 その先に広がっていたのは、ごくごく普通の部屋でした。

 特筆すべきところは本当になくて、強いて何かを挙げるとすればよく片付いているってことくらい。

 

 そしてどうやらこの夢の主は、夢の中だというのに眠っているようです。

 眠る夢を見るのは疲れている時、なんて話を聞いたことがありますけど、大丈夫でしょうか。

 ベッドの上で規則正しい寝息をたてている誰かの元へ近づく最中、私は嫌な予感に襲われていました。


 この夢の世界、おそらくは夢の主の現実における自室を再現したものだと思うんですけど……机の上に、教科書が並んでいるんです。それも、私が使っているのと全く同じものが。

 ……要するに何が言いたいのかというと。この夢、私の同級生のものである可能性があります。


 実を言うと、私が通う学校の生徒の夢に繋がってしまうことは今までも何回かありました。

 これはある意味仕方がないことではあります。

 精気の保有量が多い人の夢に繋がりやすいとか、私を中心とした一定距離内にいる相手にしか夢を繋げられないとか。

 そういう()()があるせいで、精気の量が一般的に多いとされる若年層かつ居住域が被りがちな同じ学校の人とは、相対的に夢が繋がりやすいんです。


 正直、勘弁してくれというのが本音です。


 私が見せる淫夢は、相手の欲望を反映させたものです。

 対象の性的嗜好を読み取って、夢の中で再現します。

 

 それはつまり、普段心のうちに仕舞っているであろう()()()()()()を余すことなく把握してしまうということ。

 ただでさえ剥き出しの欲望を目の当たりにするというのはメンタル的に結構しんどくて、私が精気獲得に消極的な理由の1つだというのに……そんな相手とリアルで邂逅した時の気まずさったらありません。

 夢に見たあの人と現実で、なんてラブロマンスすら始められそうなシチュエーションなのに、思うことが『あ、赤ちゃんプレイの人だ……』とかあんまりだと思います。

 

 どうか、私の勘違いであってください……!

 そう祈ってみましたが、嫌な予感というのは当たってしまうのが世の常のようです。


「……えっ」

 

 夢の主の顔を確認した時、私は思わず固まりました。

 気持ち良さそうに眠るこの夢の主は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 二色(にしき)奏斗(かなと)君。

 5月5日生まれ、牡牛座の16歳。

 血液型はB型。

 家族構成は両親に弟が一人の四人家族。

 家族仲は良好で、中学生の弟とはよく漫画やゲームの貸し借りをしている。

 好きな食べ物は唐揚げで、嫌いな食べ物はセロリ。

 成績は中の下くらいで、この前あったテストの順位は360人中187位。

 得意科目は化学で、苦手科目は数学。

 部活には所属していないものの、それなりに多趣味。

 休みの日は家にこもりっきりの日もあれば、友人と外でひたすら体を動かしている日もある。

 彼女はいないが、気になっている同級生がいる。

 その気になっている相手は、心優しいミステリアスな女の子で――

 

 ――と、そこそこ詳細なプロフィールが頭に浮かぶ程度には、私は彼のことを知っていました。


 というのも二色君、毎日私に話しかけてくるんです。

 今しがた思い浮かべた彼の情報は、全て彼自身の口から聞きました。

 

 学校での私は地味で、無口で、話しかけられても男子がいる場だと返事すら返さないような嫌なやつです。

 どう考えても絡んで楽しい存在じゃないですし、実際クラスメイトのほとんどは私をほぼいないものとして扱っています。

 

 ですが、どういうわけか二色君だけは違いました。

 高校に入学した日から現在に至るまで。来る日も来る日も、私のそばに駆け寄ってきては色々な話をしてくれます。

 彼が男の子にしては小柄で可愛らしい容姿をしていることも相まって、その様はよく懐いた子犬みたいです。

 

 初めて彼に話しかけられた時は、たまたま席が隣同士だったからだと思いましたし、すぐに私に話しかけるのをやめるだろうと信じて疑いませんでした。

 だって普通に考えて、無視を決め込む相手に話しかけ続ける人なんているはずがないじゃないですか。少なくとも、私には無理です。

 

 しかしそんな私の予想に反して、1週間経っても、2週間経っても、1か月経って席が隣同士じゃなくなっても、二色君は私に話しかけ続けました。

 

 そして、私はようやく気づいたんです。

 二色君は、どうやら普通じゃないらしいと。

 

 多分、クラスで浮いている私のことを気遣ってくれているんだと思います。

 出会ったばかりの頃、言葉の端々からそういう雰囲気を感じましたし、ペアワークやグループワークがあると必ず私に声をかけて周囲との間を取り持ってくれますし。


 普通じゃないくらい、優しい人。


 それが、私の二色君に対する印象であり、()()()()()彼には私に話しかけることをやめてほしいと考えていました。

 

 だって、勿体無いじゃないですか。

 二色君の貴重な青春を、言葉1つ返してあげられない私なんかに消費するなんて。

 

 声を出さないコミュニケーションなら、なんて夢見たこともありましたけど、下手に二色君と交流をもって何かの拍子に催淫してしまったら目も当てられません。

 私と関わったところで、二色君にはデメリットこそあれメリットなんて1つもないんです。


 早く二色君がそれに気づいて私に見切りをつけてくれたらいいんですが……彼はきっと明日も私に話しかけてくれます。

 私はそれを嬉しいと思ってしまって、そんな自分のことがちょっと嫌になるんでしょう。


 とまあ、そんな私のめんどくさい心情はさておいて。

 

 目下、私が直面している問題は、そんな心優しい二色君にこのままだと淫夢を見せることになり、その過程で彼の性癖を余すとこなく暴いてしまいそうなことです。

 

 (さ、さすがにそれは……)

 

 学校でたまにすれ違う程度の相手でさえだいぶ気まずいのに、毎日話しかけてくれるクラスメイトの性癖なんて知ってしまった日には、その気まずさは筆舌に尽くしがたいでしょう。

 しかも、精気をいただいてしまうと二色君はわずかとはいえ身体に不調をきたすことになるでしょうし……。

 

 チェンジでお願いします!と言いたいところですが、『私が選んだんじゃなくて、勝手に選ばれたんだ』なんて言い訳を日頃しておきながら、いざ自分の望まない相手が選ばれたらそれを無効にするというのは……ずるい、ですよねぇ……。


 葛藤の末、私は二色君に対してサキュバスとして振舞うことを決めました。

 大丈夫です。あの優しい二色君が、変態的な性癖なんて抱えているはずがありません。

 仮に抱えていたとしても……ある程度までは受け入れてみせます……!

 SM、野外、NTR、多人数くらいならなんとか……《自主規制(ピーーーー)》とかになるとちょっと覚悟が……。


 ちょっぴり及び腰になりながら私が決意を固めていると、ちょうど二色君が目を覚ましたようです。

 ぼんやりとした瞳が私を捉えます。半分ほど下がっていた瞼は徐々に上がっていき、やがて大きく見開かれ――

 

「だっ、誰!?」


 ――飛び起きました。どうやら完全に覚醒したみたいですね。

 二色君の顔には警戒と恐怖が貼りついています。

 

 そうですよね。目が覚めて自室(といっても夢の中ですけど)に知らない人がいたら怖いですよね。

 今の私は学校にいる時とは違って鬱陶しい前髪は目にかからないようにしていますし、後ろ髪もほどいているので、二色君からしたら全く知らない人に見えるでしょう。現に、誰!?って叫んでますし。

 いや、知らない間にクラスメイトが自室にいるシチュエーションも十分怖いのでそこは問題じゃないでしょうか。

 

 動揺している様子の二色君に、落ち着いた声音を意識して話しかけます。

 

「おはようございます。私は、巷でサキュバスと呼ばれているモノです」


 笑顔で挨拶からの自己紹介(?)という模範的な第一声だったはずなんですけど、二色君の警戒は一層強くなりました。

 あ、ちなみにですけど夢の世界では私の瞳や声に催淫の効果は乗らないので、男性相手でも普通に目を合わせられますし、言葉を交わすこともできます。

 

「ここはあなたが見ている夢の世界。そこに、私がお邪魔させてもらっているんです」

「は?え?ゆ、夢?」


 困惑する二色君。ええ、そうなりますよね。

 

 夢かどうかを確かめるために頬をつねるなんていうのは定番ですけど、私が干渉した夢の中では痛覚すら存在します。

 幸か不幸か、二色君が今見ている夢は非常に現実じみていますし、彼からしたらこの世界が夢だなんて信じられないでしょう。

 

 とはいえ、学校ではいつも優し気な瞳を向けてくれる二色君からヤバい人を見る目で見られるのは中々にこたえるので、私の発言に嘘がないことを信じてもらわないといけません。

 と、いうわけで。

 

「ほら、これでもこの世界が現実だと思いますか?」

「………………」

 

 私が1つ指を鳴らしてみせると、蝙蝠のような羽や先端がスペードの形になった尻尾――いわゆる"悪魔っぽい"パーツが私の体から生えてきます。

 指を鳴らす必要なんて全くないですし、現実の私の体にこんなパーツは搭載されていないんですけど、そこは演出というやつです。

 とどめとばかりにふわりと宙へ浮いて1回転してみせると、二色君は口を大きく開けたまま固まってしまいました。

 

「………………あの、ここが夢の世界であり、私がサキュバスであるということは信じていただけたでしょうか?」

「は、はい。自分が理解不能な状況に置かれていることは理解しました……」

 

 しばらく待ってみてもフリーズから復帰しなかったので声をかけてみると、何とかといった様子で返事をする二色君。

 得体の知れない存在への畏れからでしょうか、口調がいつの間にか敬語になっていて、ちょっと新鮮です。


 やや歯切れは悪いものの一応現状を受け入れてくれたようなので、彼の中で渦巻いているであろう戸惑いが少しでも解消されるよう、説明を尽くします。


 精気を提供してもらうため、無作為に選ばれた人の夢を訪ねていること。

 サキュバスにとって精気はどうしても必要なものであること。

 精気を提供してもらえるのであれば、対価として淫夢をみせる――すなわち、この夢の世界で淫らな体験を約束すること。

 ただし精気を提供した場合、現実で少しの期間性欲が無くなったり気怠さを感じたりすること。

 そもそも精気とは何なのか、等々。


 先ほどのパフォーマンスの甲斐あってか、荒唐無稽と切って捨てられてもおかしくない私の話を二色君は黙って聞いてくれます。

 そして、私があらかた説明を終えた後の彼の反応はというと――


「……秋宗ッ!ごめんっっ!!」

 

 ……どういうわけか、謝罪でした。しかも、この場にいない第三者に対しての。


 "秋宗"というのは確か、クラスメイトである百島君の下の名前だったと思います。

 誰に対しても人当たりのいい二色君が、唯一雑な態度をとる相手です。

 ただ、それは二人の仲が悪いということではなく、むしろぞんざいな扱いをしても問題がないくらいの信頼が築かれている証だと思っていたのですが……なにゆえ二色君は唐突に百島君に謝罪を……?

 

 困惑していると、それに気づいた二色君が私にも小さく謝ってきます。

 謝ってもらう必要は全くないのですが、今のくだりで会話の勢いは手放してしまったような気がしますね……。

 

 次に口にする言葉を探していると、私よりも先に二色君が口を開きました。


「……サキュバスさんには精気が必要で、それを僕から回収しにきたってことは理解しました。対価として、この夢の世界で……その、性的な体験を提供してくれるということも。それについて質問なんですが、もし、僕が精気を提供した場合……えーと、僕とサキュバスさんは、あー、今から、その……」

 

 気まずさと少しの恥ずかしさが綯い交ぜになった表情。

 二色君の問いかけは途中で途切れてしまっていましたが、その先に続く言葉は容易に想像がつきました。


 結論から言ってしまうと、この問いに対する答えは"ノー"です。

 たとえ精気をいただいたとしても、その相手と私が()()わけではありません。


 ……できないわけではないんですけどね。

 なんなら、そうした方が精気獲得の効率はいいらしいんですけどね?

 

 だけどですね。サキュバスって、夢の中であった出来事を現実同様に記憶できてしまうんですよ。

 つまり、夢の中でシてしまった場合、その時の感情や感覚が全て、記憶としてばっちり私に刻まれてしまうわけでして。

 いくら現実の身体に影響はないといっても、そんなのもう九割ヤったのと同じです。実セというやつです。

 見ず知らずの人とそういうの、私よくないと思います。


 いえ、二色君は見ず知らずの人じゃないですけど。

 クラスメイトですし、優しい人ですけど。

 でも、やっぱり順序ってあると思うので。

 私は貞操観念つよつよなサキュバスなので、夢の世界でもワンナイトなどもってのほかなのです。


 じゃあ、一体どのような形で私が精気の提供者に報いるのかというと……口で説明するよりも、実際に見てもらった方が早いかもしれませんね。

 二色君への返答の代わりとして、私は指を1つ鳴らします。

 

 すると、二人きりだった空間にもう一人、突如として人影が現れました。


「……えっ!?」


 二色君がその人を見て驚きの声を上げます。

 無理もない反応でしょう。今、私たちの目の前に現れたのは、『国宝級』『百年に一度の奇跡』なんて称えられるような美貌を持つ、超有名女優さんだったからです。


 動揺している二色君に、現状を軽く説明します。


「今この場に現れた彼女は、()()()()ではありません。あなたや私と違い自我なんて持ち合わせていない、姿形だけを忠実に再現した人形のようなものです。あなたや私が、ゲームで言うところのPCプレイヤーキャラクターだとすると、彼女はNPCノンプレイヤーキャラクターといったところでしょうか」

「な、なるほど……?」


 あまりピンと来ていない様子の二色君ですが、別にそれで構いません。

 どういう存在か理解できなくても、何をもたらすのかを理解できれば問題ないです。


「これは、精気をいただけた場合のお試しみたいなものです。先程私は彼女のことを自我を持たない人形だと言いましたが、この世界であれば人形に自我があるかのように振舞わせることもできます。例えば、こんな風に」


 私がそう言うと同時、超有名女優さん(偽)は画面越しに見るまんまの美しい顔に微笑を浮かべながら、二色君との距離を縮めていきます。

 綺麗な声で甘い言葉を囁きながら、再び固まってしまった二色君の頬にそっと手を添え、顔を近づけていき、やがてその唇が触れそうに――


「はい、ここまでです」


 ――なったところで私は、また1つ指を鳴らしました。


 すると、あら不思議。

 二色君に迫っていた彼女は、まるで最初からいなかったかのように影も形もなくなってしまいました。


 目を白黒させている二色君に、今が好機と語りかけます。


「いかがでしたか?今回は寸止めしてしまいましたが、もしも精気をいただけるのであれば、今の続きどころか先の先まで味わうことができますよ?」


 妖しい笑みを浮かべて。

 

「それも、あなたの望む相手を再現してです。好きな相手でも、手が届かない相手でも、法や倫理が許さないような相手でも、文字通り次元が違う相手だって。この夢の中ではあなたの思うままにできます」


 瞳をじっと覗き込みながら。

 

「先ほども言った通り、再現されるのはホンモノとは違う、人形のようなもの。ですが、先ほどあなたに触れていた彼女はどうでしたか?温かかったですよね?吐息も、声も、瞬きも、まるで生きているみたいでしたよね?」


 甘い声で。

 

「そう見せかけているだけです。心の交流なんて望むべくもなく、所詮は独り善がりな行いです。ですがそれは、あなたの欲望をどんなにぶつけても問題ないということでもあります」

 

 ゆっくりと。

 

「何をしても、何をさせてもいいんです。極上の快楽に溺れてみたくはありませんか?私なら、あなたの理想を叶えてあげることができますよ」


 誘うように。

 

「もちろん断っていただいても構いません。その場合、あなたが目覚めた時に私のことを思い出せないようにだけして、私はここから大人しく出ていきます。あなたに不利益は何もありません。今後、私がまたあなたの夢を訪れることもないでしょう」

 

 惑わすように。

 

「すべてはあなたの選択次第です――さあ、どうしますか?」


 投げかけた私の言葉に、迷うような素振りをみせる二色君。

 

 ですが、私は彼がどんな答えを返すのか半ば確信していました。

 こうした問答は数えきれないほどしてきましたが、返ってくる答えはいつも同じだからです。


 長考の末、予想通りの返事をくれた二色君に、私はにっこりと微笑みました。


「契約成立ですね」



 

 ……さて。

 自信満々な感じでサキュバスムーブをしていた私ですが、内心ではだいぶドキドキしていました。


 だって、二色君との契約が成立したということは、いよいよ二色君の性癖が開陳されるということです。

 何が出てくるのかという不安と、クラスメイトの性癖を暴くという背徳感に鼓動が早くなりました。


 しかしそれを表に出してしまうと恰好がつかないので、私は努めて余裕のある振りをします。


「では、あなたの理想をできるだけ具体的に思い描いてください。どんなロケーション、シチュエーションで、どんなプレイを、誰としたいか、などですね。それを私が読み取って再現します。ある程度であればこちらで補完できますが、詳細であればあるほど再現のクオリティは高くなりますよ」


 私の出す指示に素直に頷いて、目を瞑って何かを考え始める二色君。

 

 彼は一体誰を思い浮かべているのでしょう。

 片想いしているという同級生の女の子でしょうか。それとも、女優さんやアイドルみたいな高嶺の花でしょうか。以前漫画の話をしていたので、創作のヒロインなんてこともあるかもしれないです。


 そんなことを考えながら、私は二色君の欲望を読み取っていきます。


 ふむふむ、なるほどなるほど。

 

 ロケーションは……自分の部屋。つまりここですね。

 お外とかじゃなくてよかったです。

 風景を改変しなくて済むのも楽で助かります。


 次に、どんなシチュエーションでどんなプレイがしたいは……付き合い始めてしばらく経つラブラブな彼女と、お互い初めての――。

 へえ、かなり健全……と言っていいのかは分かりませんが、オーソドックスですね。

 ちょっと糖分過多というか、夢見がちな感じはありますけど、内容自体は至ってノーマルです。

 ここではっちゃける人が多いので、かえって珍しいかもしれません。

 

 それじゃあ、肝心のお相手が誰なのかは――

 

「――へ?」


 思わず声が漏れました。

 

 二色君が思い浮かべていたのは、かなり地味な風貌の女の子。

 目元が長い前髪で完全に隠れていて、非常に陰気臭いオーラを放っています。

 後ろ髪も雑に縛っただけですし、化粧っ気も全くありません。

 ここらではお洒落だと評判なうちの学校の制服を、ここまで野暮ったく着こなせるのはもはや才能を感じるレベル。

 

 そして、これこそが私が驚いた理由なのですが、この地味な女の子に私は見覚えがあるんです。

 見覚えがあるといっても、知り合いとか顔見知りとかそういうわけではありません。

 私がこの子を見かけるのは、学校へ行く前、自分の恰好を確認するために姿見の前に立った時。

 つまりはこの子。


 (私じゃないですかっっっ!?!?)

 

 心の中で叫びます。

 本当は声に出してしまいたいくらいですが、それはマズイとギリギリ踏みとどまりました。

 それでも、抑えきれなかった心の内が言葉になって零れます。

 

「な、なんで……」

「……?」

 

 私の言葉を受けて、二色君はきょとんとした顔をしました。

 彼からすれば、私のなんでがなんででしょう。

 ここで適当に誤魔化して引き下がることもできたとは思いますが、スルーするにはあまりにも衝撃が大きすぎました。

 

「その、あなたが思い浮かべている女性が随分と……パッとしない見た目でしたので。こういう時、大抵の人は可愛くて美人な相手を求めるものですから、一体どうしてかな、と」


 本来であれば。地味な女性を望んだところで、私が疑問を覚えるようなことはありません。

 異性の好みというのは十人十色です。

 世の男性の皆が皆、必ずしも美人ともてはやされるような女性を好むわけではないと、サキュバスとして色々な欲を見てきた私は知っています。

 

 ですので私のこの問いかけは、「どうして私のことを……?」と直接尋ねられないために、それっぽい理由をでっちあげたものだったのですが……口にした瞬間、空気の温度が少し下がったような気がしました。

 

「サキュバスさんが何を思うかは自由ですけど、好きな女の子をそんな風に言われると、あまりいい気はしないですね」


 わずかに怒気を含んだ二色君の声に、思考が止まります。

 聞き間違えでなければ彼は今、私のことを好きな女の子だといったような……。

 

 え、好きなんですか。二色君、私のこと好きなんですか。

 いやいや。いやいやいや。いやいやいやいやいや!

 

 落ち着いて考えてみましょう。

 二色君から見た私は、話しかけてもそのことごとくを無視する超絶嫌な地味女。

 そんな人間を好きになるなんてことがあるでしょうか。


 うん、ない、あり得ないです。

 多分、二色君が今頭に浮かべているのは私にそっくりの誰かなんでしょう。

 世の中には自分に似た人が三人はいると聞きますし、サキュバスがいるならドッペルゲンガーがいたっておかしくないはず。


 二色君が好きなのは、私と瓜二つな女の子。

 私は頭の中でそう結論づけようとして――


「大体ですね。夢川さん――あ、僕が今思い浮かべてた女の子の名前なんですけど、夢川さんは可愛いんですよ。サキュバスさんは僕の思考を読み取ったんですよね?それで夢川さんを可愛いと感じなかったのであれば、それは彼女の可愛さを脳内に再現できなかった僕の想像力の貧しさが原因です。本物の夢川さんは、可愛いの代名詞として辞書に載っていてもおかしくない……いや、載せるべき可愛さなんですよ」

 

 ――やたら早口かつ流暢な言葉に、その結論を押し流されました。

 

 はっきり夢川さん(わたし)って言ったぁぁぁぁぁ!?

 いやいや、寸分違わずってレベルで私のことを思い描けてますけど!?

 1回の台詞で何回可愛いって言うんですか!?


 言いたいことはいくらでも思い浮かぶものの、浮かびすぎて言葉に詰まってしまいます。

 口をパクパクとさせる私に気づいているのか気づいていないのか、二色君は喋りつづけます。


「……実を言うとですね、いい気はしない、なんてさっきは言いましたけど、自分も夢川さんを初めて見た時はサキュバスさんと同じようなことを思ったんです。でも、彼女のことを見ているうちに自分の目が節穴だったと気付かされました」

「その目、現在進行形でスッカスカじゃないですか……?」


 少し遠い目をして苦笑してみせた二色君。

 とりあえずツッコミを入れてみましたが、彼の饒舌は止まりせん。むしろ、その勢いと熱は徐々に増してきている気がします。


「夢川さんはですね、長すぎる前髪のせいで印象がそれに引っ張られがちなんですけど……ちゃんと見るとすごいんですよ。まず、瞳を隠すその髪の毛からして素晴らしい。根元から毛先に至るまで艶やかで、濡れ羽色の髪ってこういうのを言うんだろうなって」

「え、あの」

「で、その美しい黒髪をより引き立てているのが、白磁のような美しい肌ですね。ちょっと健康が心配になるくらい色白なんですけど、それがかえって怪しい魅力を醸し出しているというか、真っ白な肌と真っ黒な髪のコントラストがめちゃくちゃ映えるんですよ」

「いや、その」

「あと、個人的な一押しポイントは手ですね。指の一本一本がしなやかで、爪もいつもきれいに整えられていて。あの手で触れられたらきっと気持ちいいだろうなってつい考えちゃいます」

「うぅ……」

「他にも夢川さんの素敵ポイントはたくさんあって、特別高身長ってわけじゃないのに頭身が高いから実はスタイルいいところとか、スッと通った鼻筋とか、瑞々しくて柔らかそうな唇とか……んん?」

「…………?」


 私の容姿を称える言葉を雨あられと降らせていた二色君。

 熱くなってしまった顔を隠すように俯いていると、不意に称賛の雨が止みました。

 ようやくこの羞恥プレイに終止符が打たれたのかと顔をあげてみると、訝しむような表情をした彼と目が合います。


「いや、今の今まで動揺で気づいていなかったというか、言ってて思ったんですけど、サキュバスさんって僕の好きな女の子にすごく似ているような気が――」

「わっかりました!私、よおおおくわかりました!地味っ娘フェチというのもありますし、あなたが夢川さんとやらの容姿に魅力を感じていることは十二分に理解しました!なので!この話は!ここで終わりですっ!」

 

 二色君が気づいてはいけない真実に気づきそうになっていたので、大声を出して無理やり彼の思考を遮ります。

 いや、仮にバレたとしてもこの夢限りのことではあるのですが、あれだけ褒め散らかされた後での身バレは勘弁してほしいです。恥ずかしさで死ねます。


 これ以上疑われないように、ここはさっさと話を進めて――いや、でもそうすると二色君と私(偽)のイチャラブ初体験を見せつけられる私(真)という構図に……。

 な、なんですかっ、そのアブノーマルなプレイは!

 今更ながら自分がとんでもない状態に置かれていることを自覚した私が、なんとかこの窮地を脱する方法を考えていると、二色君から声がかかりました。

 

「あの」

「ど、どうしました……?」


 もしや、私の正体が!?と心臓が跳ねます。

 一体何を言われるのかと身構えた私に、二色君はムスッとした表情で言い放ちました。


「さっきの言い方だと僕が夢川さんの容姿だけを好きみたいに聞こえましたけど……僕は彼女の容姿()好きなんです。パッとしない見た目、なんてサキュバスさんが言うからさっきは容姿ばかりを褒めましたが、僕は夢川さんの内面だって好きです。外見にばかり魅力を感じているわけではありません。そこのところ、誤解なきようにお願いします」

「……は?」

 

 人の話へのリアクションが「は?」というのはあまりよろしくないことだとは思うのですが、これ以外の言葉が出てきませんでした。


「内面……具体的には一体どこが?」


 少しムキになっていることを自覚しながら尋ねます。


 自分のどこが好きか訊くなんて、まるで愛情を確かめたい(めんどくさい)恋人みたいです。

 私は否定されるつもりで尋ねているので、目的は全くの逆かもしれませんが。


 彼が知っている私の内面なんて、話しかけられても無視をする冷たい女ってことくらいでしょう。

 嫌いになることはあっても、好きになる要素なんて全くないはずです。

 それなのに、二色君が内面も好きだなんて適当なことを言うものですから、少し意地悪したくなりました。


 私の問いかけに対して、きっと二色君は答えられない。困った顔をして、言葉に詰まるに違いない。

 私はそう予想していたのですが、想定に反して、彼は楽しそうな、ウズウズしているような表情をしていて……


「聞きたいんですか?聞きたいんですよね?訊かれてしまったら答えないわけにはいかないですね!夢川さんの好きなところ内面編、いきましょうか。あー、でもどうしよう……話したいことが多すぎて何から話せばいいのか……まずはそうですね、僕が夢川さんのことを気になり始めたきっかけなんですけど――」


 嬉々としてオタク特有の早口になる二色君を見て、私は悟りました。

 ああ、羞恥プレイの第二幕が始まった、と。


 それから、二色君は見た目じゃない私の好きなところを語り始めました。


 曰く、夢川さん(わたし)は、雨の日に転んでしまった幼子に傘を差し出せる心優しい人である。

 曰く、夢川さん(わたし)は、視界に入ったゴミや落とし物を見て見ぬ振りしない真面目な人である。

 曰く、夢川さん(わたし)は、読書中でもついつい話しかけてしまう二色君(ぼく)に対して、視線こそ上げないもののページを(めく)る手を止めて話に耳を傾けてくれる律儀な人である。

 等々。


 二色君が思う私の魅力的な内面が、次々と羅列されていきます。

 

「――で、うちの社会の先生って授業中、すごくつまらない親父ギャグいうときがあるんですけど、クラス中だっっっれも笑ってない中、夢川さんだけは顔伏せて肩震わせてるんですよ。声は出てないし、表情も見えるわけじゃないですけど、アレぜったい笑ってると思うんですよね。普段無口無表情なのに、よりにもよって感情見せるのがしょうもない親父ギャグって……ああ、笑いのツボ変なんだろうなあ、可愛いなあって。あとあと――」

「も、もういいです!もういいですから!」


 オーバーヒートしてしまいそうだったので、もはや褒めるべきポイントなのかわからないような話を挙げ始めた二色君にストップをかけました。


 タチが悪いのは、二色君の言った言葉が完全に的外れというわけじゃないところでしょう。

 二色君が特別チョロくて、些細なことがものすごく好意的に捉えられているのは間違い無いのですが、行動の1つ1つには心当たりが一応あるんですよね……。

 

 それは、二色君が学校で私のことをよく見ているということの証明で、その理由はきっと彼が本当に私のことを――

 

「~~~~っ!」


 さっきまではどこか他人事のように響いていた"好き"という言葉が、急に現実味を帯びて頭の中でリフレインします。

 

 二色君が私に話しかけてくれるのは、私への同情や彼の優しさからくるものだと信じて疑っていなかったのに。

 それがまさか、私に対する好意からだったなんて思いもしませんでした。

 

 私のことを好きになるなんて何かの間違いじゃないかと思います。

 もしかすると私が彼を無意識のうちに催淫してしまったんじゃないかとも考えました。


 ですが、その一方で。

 

 内心を推し量れてしまうくらい私の一挙手一投足に目を惹かれてしまうのは。

 あんなに楽しそうに私の好きなところを語れるのは。

 もっと私のことを知りたい、自分のことを知って欲しいと毎日話しかけてくれるのは。

 

 間違いでも催淫によるまやかしの感情でもなくて、恋と呼ぶにふさわしい好意なのだと、信じたい私もいるんです。

 

 ああ、もう、どうしましょう。

 一体、どうすればいいんでしょう。


 羞恥と、困惑と、焦りと……喜びと。

 色々な感情が身体中を駆け巡って、全身が熱を帯びます。

 このままだと、とめどなく溢れてくる感情に茹ってしまいそうで、この熱をどうにかしようとした結果……気づけば勝手に口が動いてました。


「……随分と話が脱線してしまいましたが、そろそろあなたの望みを叶えて差し上げます」


 一瞬きょとんとした二色君ですが、すぐにこれが本来どういう話だったかを思い出したようです。


「その、私は姿を消していますね。私がいなくなると同時に、あなたが望んだ相手がこの場に現れますから。その後はどうぞ、あなたの望むままに」


 緊張した面持ちで彼がコクリと頷いたのを見届けた私は、宣言通りその場から姿を消して――一瞬で再び姿を現しました。

 瞳を長い前髪で隠し、後ろ髪を雑に縛って、学校の制服を野暮ったく身にまとった状態で。


 ……。

 …………。

 ………………。

 いや、違いますからね?

 ちょっと褒められて、好きだと言われて、なんだかたまらなくなってその気になってしまったとか、そういうわけじゃないですからね?

 それだと、まるで私がチョロい女みたいじゃないですか。

 私はチョロくないです。貞操観念つよつよサキュバスです。

 じゃあ、どうしてこんなことをしたのかというと………………そう!これは勉強です!

 私は、サキュバスを名乗っているくせに、性経験がありません。

 性を司る悪魔でありながら実際の経験がないというのは、いわば自社製品を使ったことがない営業のようなもの。これはよくないです。

 ですが、よく知りもしない相手と経験をというのはやはり貞操観念つよつよな私的にはあり得ない……と思っていたところに、今回の一件です。

 私は断じてチョロくないので二色君に恋してるというわけではありませんが……二色君は、クラスメイトですし、可愛いですし、かっこいいですし、優しいですし、私のことがす、好きみたいですし?初体験の相手としては、悪くないんじゃないでしょうか。

 二色君が望んでいるのは初々しい感じのシチュエーションなので、多分私でもご希望に沿えますし。彼も偽物よりは本物が相手の方が嬉しいんじゃないですかね。なんといっても彼は私のことが好きらしいので。

 つまりこれは、お互いWin-Winになれる絶好のチャンス。そんな機会をみすみす見過ごすなんていうのは、勿体ないと思っただけです。

 そもそも、初体験といっても所詮は夢の中の話ですし、超リアルなVR体験みたいなものだと思えば、そんなに慎重になることもないというか――


 心の中でつらつらと言い訳を並べていると、二色君に手を引かれベッドに優しく押し倒されました。

 声が出そうになりましたが、二色君の知る私はきっと声をあげたりはしないだろうと思い、なんとかこらえます。

 見上げた彼の顔は、いつも通りあどけなさが残る可愛らしいもののはずなのになんだかすごく男の子って感じがして。

 いよいよ始まるんだということを理解した私がキュッと目を瞑ったところで、唇に柔らかい感触が落ちてきて――


 

 ……その後のことは割愛しますが………………すごかった、とだけ言っておきます。


 

 

 ……なんだか、すごくいい夢をみていた気がする。

 朝、ベッドの上で目を覚ました僕は真っ先にそんなことを思った。

 夢の内容は一切覚えていないけれど、昨晩の僕は絶対に幸せな夢をみていたという謎の確信があった。


 スマホを見てみると、アラームが鳴るよりだいぶ早い時間。

 だというのに、睡眠時間が足りないといった感じはなく、むしろ普段より体が軽い。


 ここまで目覚めがいいと自然と気分も上がって、今日こそは夢川さんが話してくれるような気がしてくる。

 僕は鼻歌を歌いながら朝の支度を済まし、駆け足気味に通学路を進んで、ワクワクしながら教室のドアに手をかけて、いつものように夢川さんに挨拶をしようとしたんだけど――


 美少女がいた。

 夢川さんの席に、なんか、ものすごい美少女が座っていた。


 前髪だけ簡素なピンでとめ、真っ直ぐにおろした髪型は、シンプルゆえに髪の美しさを際立たせていて。

 だらしなく見えない程度に気崩された制服と軽く施されたメイクは、垢抜けた雰囲気を感じさせる。

 優し気な印象を与えるアーチ状の眉の下に収まっている瞳は、ぱっちりと大きくて吸い込まれてしまいそう。


 どこをとっても可憐な少女がこちらを見上げている。

 ()()()()()()()()()()()()()脳がバグってしまった僕は、何も言えずその場で固まってしまった。


 目の前の美人さんは、間違いなく夢川さんだ。

 雰囲気は大きく変わっているけれど、毎日夢川さんのことを見ていた僕にはわかる。

 だけど、その変貌の理由はこれっぽっちもわからない。

 

 明らかに普段とは違う状況にどうするべきかを決めあぐねていると、目の前の彼女はバッと立ち上がった。


「おはようございます」


 よく澄んだ、可愛らしい声。

 それが僕に向けられた挨拶だと、一拍してから気がついた。

 

 好きな女の子が、初めて挨拶をしてくれた。

 その事実は、さっきまでの困惑や逡巡を吹き飛ばすには十分だった。

 せっかく夢川さんがおはようと言ってくれたのに、だんまりなんてあり得ないと慌てて口を開く。

 

「おはy――」

「昨日はよくもやってくれましたね……!」


 ――がしかし、興奮気味な夢川さんの言葉に僕のおはようは遮られた。

 いつの間にか、密着一歩手間の距離まで近づいてきている夢川さん。その顔は赤く染まっていて、瞳は潤んでいる。

 その表情のワケも言葉の意味もさっぱりで面食らっていると、僕を睨みつける瞳の鋭さが一層増したような気がした。


「覚えてないんですか?覚えてないんですよね?覚えてないんでしょうね!あんなの覚えられてたらたまらないので、それはもう念入りに思い出せないようにしましたからね!でも、あれだけのことをしておきながら、全く覚えてないってのはやっぱり腹立つんですよ!わかりますか!?」

「ゆ、夢川さん……?」

「感謝はしてるんですよ?あなたの精気の量と濃度が桁外れだったおかげで、こうして目を合わせて、言葉を交わすことができるようになったんですから。でもですね、いくらなんでもあれはやりすぎです!精気の量が多い人は、そっちの体力が多い傾向があるってお母さんから聞いてましたけど……それにしたって限度がありますから!」

「えと、何のことだか――」

「なーにが『付き合い初めてしばらく経った恋人と、お互い初めての――』ですか!そんな青春感あふれる可愛らしいものじゃなかったですよ!爛れきった大学生カップルでもあそこまでしませんよ!しかも、最初はたどたどしい感じだったのにどんどん上手くなっていきますし!なんですか?戦いの中で成長する主人公ですか?やってること成年漫画なのに少年漫画みたいな真似しないでくださいよ!」

「あの、ほんとに何の話――」

「私、最初はあなたの中の夢川さん(わたし)像を守るために、声出さないよう頑張ってたんですよ?でも、無理ですから!あんなの、声我慢しろって方が無茶ですから!というか、私途中でもう駄目って言いましたよね?半ば泣きながら、許してってお願いしましたよね?なのに、止めるどころか勢いが増すってどういう了見ですか!可愛いって言えばなんでも許されると思ったら大間違いですからね!?」

「その、一旦落ち着いて――」

「子犬みたいで可愛い、なんて思っていましたけど実際はとんだ狼さんでしたね!鬼畜!ドS!ベッドヤクザ!二色君の、エロゲ主人公おおおおおおおおおおお!」


 よくわからない怒りをぶつけた後、僕の風評被害をまき散らしながら走り去ってしまった夢川さん。

 その姿がみえなくなったところで、僕はキャパオーバーした頭の重さに耐えかねたようにその場へ座り込んだ。

 

 気になることはことは山ほどある。

 イメチェンの理由。話しかけてくれた理由。彼女が怒っていた理由。初めて見て聞いたはずの彼女の瞳や声に不思議と既視感があった理由。

 

 でも、それらを考えるにはちょっと今は冷静さが足りていない。

 だからたった1つ。いっぱいいっぱいの頭でもはっきりとわかる絶対の事実を僕は口にした。


「ああ、夢川さんは今日も可愛い」


 

 この時、僕はまだ知らなかった。


 夢川さんがサキュバスと呼ばれる存在であることも。

 自分が人並外れた量の精気を有していることも。

 夢川さんが今後何度も僕の夢に現れて、何度も一夜を共にするようになることも。


 そして遠くない未来、それが正夢になることも。


読んでくださりありがとうございました。

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