2.お嬢様と異世界転生
「お嬢様、なにかございましたら、すぐにお呼びくださいね」
「ありがとう、セーラ」
メイド長のセーラをはじめ使用人の皆は、心配そうな顔をしながら部屋から出ていった。
乙女チックなベッドにもぐりこんだ私は、改めて頭を整理してみる。
えーと、なんだろうこれ。
確かに。
伯爵令嬢クレナとしての記憶がある。記憶っていうか。
うん、本人だよ。
理屈じゃなくて、感覚的な部分で理解している。
ここは自分の部屋だってわかるし、自分がクレナ本人だってわかる。
お屋敷の皆が祝ってくれた誕生日会。
お父様とのお庭の散歩。
大好きな絵本のお話。
お母さまとずっとずっと会えない事。
楽しかったことも悲しかったことも、八年分の思い出が全部自分の中にある。
うん、あるんだ。
あるんだけどね。
…………。
いやいやいや。
おかしいでしょ!
昨日まで普通に会社に行ってたからね! 私!
それはもう、鮮明にバッチリ覚えてる。
生意気な妹はもちろん、一緒にくらしてたじいちゃんのことも、亡くなった両親のことも、昨日の朝食だってしっかり覚えてますから!
……なんだろう。本当に不思議な感じ。
一人の人間に、二人分の記憶がある。
正確に言うと、昨日まで社会人として生きていた記憶の中に、八歳のクレナという女の子の記憶がある感覚?
目の前に見える小さな手の甲を少しつねってみる。
普通に痛かった。まぁ、当然だよね。
かわいらしい手が少し赤くなってしまった。
どうやら夢じゃないらしい。
「あれかな? これって異世界転生ってことなのかな?」
通勤中に、電車の中でよく読んでいたライトノベル。
現世で不幸にも死んでしまった主人公が、異世界で生まれ変わる話がたくさんあった。
うーん。
似てる気はするんだけど。
……少し考えてみる。何だろうこの違和感。
――そうだ!
私にはお約束の『死んだ記憶』っていうのがないよね!
昨日までは普通に会社に行っていたし、特に変わったことはなかった。
疲れてて、飯も食べずにそのままベッドにもぐりこんだとこまでは覚えているんだけど。
だから。
死んだ後に転生させてくれる、女神や神様に会った記憶もない。
転生時にもらえるお約束のようなスペシャル特典も貰っていない。
もし、これ転生なら理不尽な気がするんですけど!
ベッドから飛び起きてあらためて、部屋をぐるりと見渡す。
小さな女の子が喜びそうな乙女チックな部屋だ。
ふとタンスの横にあった鏡に目が行く。
身長よりもかなり大きめな姿見鏡には、薄桃色の髪をした美少女が映っていた。
思わず鏡に近づき、のぞきこむ。
白い肌に赤紫の目をした美少女覗き込んでいる。
熱のせいか、顔がほんのり赤い。
え? 待て、なにこれ。
よく見ると、この子すごく可愛くない?
鏡の前でくるりとまわってみる。
鏡の中の美少女もくるりとまわる。
……確かに自分だよね、これ。
記憶の中のクレナの姿とも一致しているし。
ふと思い付き、下唇に右手の人差し指を押し当て、上目遣いでおねだりポーズをしてみる。
妹が何かおねだりする時にしていたポーズだ。
鏡に映る美少女を見つめる。
なにこれ。
か、かわいい。かわいすぎる!
ベッドに転がり込んで、ゴロゴロと悶える。
やばい、萌え死んでしまう。
幼女趣味はないはずだけど、これは反則な気がする。
「ふぅ、何やってるんだろ」
一息ついて、あらためて鏡の前に向かう。
柔らかそうな薄桃色の髪は肩まで伸びており、毛先だけちょこんとカールしている。
いわゆる、ゆるふわな髪型だ。
大きな赤紫のうるうるとした瞳、目がぱっちりと開かれているような印象を与える長めのまつ毛。
そして白く透き通るような肌の美少女が私を見つめている。
胸元に赤いリボンのついた黄色のルームウェアが良く似合っている。
……これが今の自分の姿……なのかぁ。
鏡に映る不安そうな桃色の美少女。
天井に目を向けると、キラキラ光るシャンデリアが優しい光で照らしている。
不思議な温かい光だ。魔法の粒子が光の真下でキラキラしてる。
私の知っている蛍光灯の光とは明らかに違う。
この明かりは、電気でもロウソクでもない。
魔法石よるもの。いわゆる魔法の力だ。
うーん。魔法かぁ……。
シャンデリアをぼんやりながめながら、二人分の記憶を整理していく。
やはりどう考えても。これって、異世界転生……だよねぇ?
鏡の前でニコッと笑ってみる。
鏡の中の美少女も、ニコッと笑いかけてくる。
……かわいいな。自分だけど。
そう! そうだよ!
理由はよくわからないけど。
これって、人生やり直し的な感だよね?
伝説の剣も、超人的なステータスも入手していない。
お供についてくる女神様も、不思議な軟体動物にすらならなかったけど。
ここは魔法が存在する、憧れの異世界。
新しい世界で、今までと違う人生を歩めるなんて。
少し、ううん、かなりワクワクする!
前世で自分や妹がどうなったのかとか、気がかりはあるんだけど。
……うーん。
でも、考えても仕方ないよね。
私は伯爵令嬢クレナとして、異世界生活、そして新しい人生を生きていくことを決意した。