003 LIKE
ALICEは、VRMMO〈ゲルタニア〉のトッププレイヤー。
VRMMO〈ゲルタニア〉を運営するのは、欧州を牛耳る医療系企業シュノインである。アリスはプレイヤーとして以外の部分でも、特別な生い立ちを持つことでよく知られている。彼女がそのために、シュノインの庇護下にあるのは有名な話だ。
「どうして、〈大々魔道士〉がこの街に?」
結局、朝のホームルームは滅茶苦茶になってしまった。
担任からの事前の念押しはあったものの、そんなものは焼け石に水である。ゲームの中の美少女がいきなり現実に登場するなんて、ベタなアニメでも今どきやらない。しかも、それがALICEなのだから。現実がフィクションをあっさり超えた瞬間だった。ただの高校生たちに騒ぐなと云う方が無茶だ。
爆弾でも落ちて来たかのような、大騒ぎ。
まるで理性を失ったゾンビ。わらわらと詰め寄って来るクラスメイトたちを押し退けて、ハヤテはアリスを守るのに全力を尽くすことになってしまった。
隣のクラスにも、すぐさま何が起きたか伝わってしまう。大騒ぎは他の学年、他の校舎に次々と伝播して行き、一限の授業を開始するなんて到底不可能な狂乱に学校中が飲み込まれてしまった。
結果、ハヤテとアリスは走って逃げる。
これもまたB級のゾンビ映画みたいだ。狂喜乱舞する生徒たち(一部、教師たち)から校舎内を逃げ回り、どうにかこうにか、ひと気のない屋上にたどり着くことができた。
校舎の屋上、出入り口はひとつだけ。
その電子キーをハッキングすることで、ようやく一息つける状態となった。
「やっぱり、堂々と正体を明かすのは控えるべきね」
ゼーゼーと息を切らしながら、アリスはそんな風に反省する。
ハヤテも同じく肩で息をしながら、その言葉にうなずいた。
「パニックになるのは予想できただろ?」
「いえ。普段はリアルで、ほとんど人前に出ないから……」
アリスは、両手を上げて降参のポーズ。
今回のことは十分に身に沁みたから、これ以上は責めないでくれと云わんばかりに苦々しく笑っている。
仮想世界のALICEとは別人みたいな、感情豊かな表情だった。
「この街に来たのは、もちろん、あなたに会うためよ」
学校の屋上からは、小さな街が一望できる。
金網のフェンスに背中を預けながら、アリスはハヤテの疑問に答え始めた。
「それだけのために?」
「それだけ? あなたの価値はそれだけなんて軽いものではない」
「別に、謙遜しているわけじゃない」
ハヤテも、フェンスに半身を持たれかける。
ALICEは幼少の頃からトッププレイヤーとして活躍して来た天才であり、世界中で名を知られ、何よりも愛されている。トッププレイヤーの中のトッププレイヤー。VRMMOのプレイヤーならば、誰でも憧れるような存在だった。
しかし、HAYATEもそれに負けず劣らず。
知名度ならば、十分に並び立つ。
少なくとも、相手がALICEだからと云って、ペコペコ頭を下げたり、変に緊張したりする必要はないはずだ。
「オーケー。私とあなたは対等よ。それに、ここは現実。トッププレイヤーだとか関係なく、私たちはただの17歳の学生として接すれば良い」
その台詞に、ハヤテはちょっと呆れる。
フェンスに風と絡まる、ブロンドのツインテール。空を見上げながら話をするアリスの横顔を、ハヤテは時折見つめていた。
じっくりと直視するのは難しい。
恥ずかしい。
ただの17歳の高校生。
彼女はそう云うけれど、これはもう、本当に同じ人間なのかも怪しい。澄み切った瞳も、透明感のある肌も、美しさのパラメータがカンストした後にバグでさらに天井突破したような顔立ちも、何もかも普通という概念からかけ離れている。
VRMMOならば、大金を注ぎ込んだアバターだろうと冷めた気分で納得できるが、現実でこんなものに出会うと思考が止まる。
油断すると、心まで奪われる。
心臓から焼き尽くされそうだった。
「アリス……あー、いや、ウォルドーフさん? ミス・ウォルドーフ?」
「アリスで。私も、親しみを込めてハヤテと呼ぶ。それとも、クスノキ君と呼んだほうがいい?」
「いや、ハヤテで。その方がしっくり来る」
「私も! 気が合うわね」
本名をプレイヤーネームにしている者ならば、誰でも同じ感覚だろうと思ったが、ハヤテは余計なことは云わなかった。
「俺に会うためって理由はひとまず納得するとして、よくここまで来られたな? シュノインの看板みたいな〈大々魔道士〉が、よくもまあ、日本に……というか、この街に」
屋上から見渡せる景色は、どこか懐かしく哀愁ある街並み。
この街はちょっと特別製である。
コンセプトがある、企業による計画都市。
現代に至るまでの日本国内におけるコンピューターゲームの歴史を追体験できるように街全体がデザインされているのだ。例えば、ある区画には昭和の街並みが再現されている。その区画に新居を建てようと思えば、やはりその時代設定に基づいた住居設計が義務付けられていた。
日本では既に絶滅したゲームセンターという施設も、この街には存在する。
街を作ったのは、VRMMO〈クロス〉を擁する優楽堂である。
学校の屋上からは、街の中心部も見渡せた。
「あれが、優楽堂の本部?」
世界最大の企業、『Power Four』の一角である優楽堂の本社屋としては、ちょっと平凡に思われるかも知れない。シンプルな正方形の建物は古びたデザインで、カラーリングは赤と白。優楽堂が一介のゲームメーカーに過ぎなかった頃のゲームハードのイメージであるらしい。
「実際の所、この街全体が優楽堂そのものみたいな感じだよ」
東京湾内に作られた人工島と、島内唯一の街。
この地は丸ごと優楽堂の支配圏であり、治外法権、日本国内に生まれた別の国みたいなものだった。
「本当に、どうやってここまで?」
「どうやって、あるいは、どうして――それはまあ、隠すようなことでもないけれど。でも、細かいことは別に良いじゃない。私の苦労話に大した価値なんてない。重要なのは、私とあなたがようやく出会えたということ。この一年間、どれだけ頑張っても仮想世界からのルートではあなたにコンタクトを取れなかった。本当に今、ようやく願いが叶ったみたいな清々しい気分よ」
ハヤテを色々と悩ましてくれたデジタルゴースト。
ゴースト本人も、色々と苦労していたらしい。
「いや、でも……。やっぱり、よくわからないな」
ハヤテは再び、率直に尋ねた。
「どうして、そこまでして俺に会う必要がある?」
「え? そんなの、決まっているでしょう?」
アリスは不思議そうに首を傾げた。
「あの子が……いえ、私が、あなたに恋をしたからよ」
「……は?」
「ん?」
「今、なんて?」
「だから、好きって云ったの」
「誰が?」
「私が、あなたを」
「好き?」
「悔しいことに、ひとめぼれ」