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001 GAME START

 世界で一番美しい少女が魔法を唱えた。


 右手には、炎の魔法。

 左手には、氷の魔法。


 二重詠唱。


 真紅と青藍のオッドアイには、一切の感情が浮かんでいない。


 喜怒哀楽の一欠片も見せることなく、彼女は世界を滅ぼし始めた。緑豊かな大地が、地平線の果てまで氷に覆われていく。樹氷がそこかしこに突き立ち、冷気の嵐が荒れ狂う。何もかも凍てついた死の世界が完成したかのように見えて、その一方で、天は茜色に燃えていた。


 まるで、太陽が落ちてきたかのように。


 天は、炎。

 地は、氷。


 相反するはずの魔法に世界はキリキリと裂かれるような悲鳴を上げている。もはや、何者も生存を許されない。そんな破滅の中心に一人立ちながら、彼女はやはり顔色ひとつ変えていなかった。


 少女の名は、ALICEアリス


 この世界で最も美しく、最も才能に満ちあふれた17歳の魔法使い。彼女は万人から愛されている。これまでの人生、彼女にはいつも温かなまなざしが向けられていた。だが、当人の色違いの瞳の奥にあるものは底なし沼のような空虚さだ。


 汗水垂らして日々を生きる者たちの泥臭さを、彼女は持ち合わせない。無色透明、眠り姫のような無表情。完璧であるがため、逆に作り物めいて見えるピンクの唇からは白い吐息がこぼれ落ちる。


 そんな彼女の目的は、たった一人の少年を殺すことである。


「ああ、畜生」


 少女の他に、もう一人。


 同じく、17歳の少年。


 この世界には、彼ら二人だけが存在する。


 沈黙する少女を遠目に見ながら、少年は口汚く罵っていた。


「最悪も最悪だよ! 最初から一切の手加減なし。様子見もなし! 一手目で終わらせようという強い意思を感じる。いや、むしろ見え透いているな。澄ました顔してわかりやすい。ああ、そんなに負けたくないか? お前も、負けず嫌いか? ああ、そうだよな。どんな風だろうと、そんな風だろうと、根っこではどうしようもない。僕と同じだ。まったく本当に、なんて最悪! なんて、最高だよ!」


 黒の装束、和の出で立ち。


 武器は、忍刀と小太刀の二刀流である。


 狐の白面が、ゆがんだ笑みを覆い隠していた。


「最高に、楽しいな!」


 忍者の格好をした少年である。


 彼もまた、彼女を殺すためにここにいた。


「さすが、〈大々魔道士〉。これ以上の相手はいない」


 少年が口にしたのは、彼女の二つ名である。


 それは、世界一の魔法使いに与えられた称号でもある。


 彼女は万人から認められたもの。受け入れられたもの。その美しさ、その生い立ちもまるごと含めて、10年以上も前から〈世界の娘〉として見守られ、惜しみない愛を捧げられ続けている。


 一方で、少年の生き様は正反対だ。


 世界で一番憎まれている。

 世界で一番嫌われている。


 誰からも等しく、「死んでくれ」と渇望されていた。最悪、最凶、あるいは最狂でもある。悪名以外の何も持たないが、それを積み上げただけでバベルの塔より高くなるだろう。世界中の人々が見上げて呆れ果てるぐらいに。


 二つ名は、〈虐殺鬼〉。


 彼が殺すと云えば、たぶん、神でも殺す。


「これ以上はない。これ以上があってたまるか!」


 最悪の〈虐殺鬼〉は叫んだ。


「殺してやるよ、最高の〈大々魔道士〉!」


 愛の告白にも似た熱量で、宣戦布告。


 彼は大きく一歩を踏み出した。


 炎の爆ぜる音。

 氷の軋む音。


 息を呑む音。

 息を吐く音。


 戦場は、ただ静か。


 彼らには聞こえていなかった。


 今この瞬間、世界中で大歓声が上がっている。


「殺す!」


「……負けない」


 この世界に存在するのは、彼ら二人だけ。


 云い換えるならば、ここは少年と少女が殺し合うためだけに作られた世界である。


 世界――。


 否。


 正しくは、仮想世界。


 まるで別世界を覗き込むようにして、今、この時、世界中の人々がリアルタイムで二人のバトルを観戦しているのだ。


 何と云っても、PVPはゲームの醍醐味である。


 コンピューターゲームがモノクロのドットだった時代から遥かに進化して、VRMMOがゲームの代名詞となった現代においても、プレイヤー同士の戦いこそ一番熱くて人気があるものだ。


 そうである。


 これは、ゲーム。


 ここは現実ではなく、仮想世界。


 すなわち、すべてはVRMMOである。


 少年のプレイヤーネームは、HAYATEハヤテ


 日本の老舗ゲームメーカー優楽堂が運営するVRMMO〈クロス〉所属。頭角を現し始めたのは比較的最近であるものの、常人にはなし得ない偉業をいくつも成し遂げ、近年の注目度は良くも悪くもナンバーワン。


 彼は、プレイヤーキラー。


 プレイヤーを殺すことにすべてを捧げた変態。PKに関して、その右に並び立つ者は未来永劫に絶無だろうとも云われている。


 一方の、ALICEアリス


 彼女は、西洋ファンタジーの古典的な世界観を重視したVRMMO〈ゲルタニア〉所属。運営企業のシュノインは最大手の医療メーカーだが、現代社会では当然ながら、VRMMOを擁する企業としての知名度、実績の方が圧倒的に重要だ。


 ALICEアリスは年端も行かない頃から、ゲルタニアの広告塔とされていた天才プレイヤー。6歳の頃にはもう、並大抵のプレイヤーでは手も足も出なかった。だからと云って早熟というわけでもなく、17歳になった現在でもその才能は光り輝いていた。


 HAYATEハヤテALICEアリス


 本来ならば、異なるVRMMO、異なるゲームのプレイヤーとして出会うことのなかった二人である。奇跡のような巡り合わせで、彼らはこの瞬間、この仮想世界のフィールドで相見えていた。


 異世界バトルGP。


 VRMMO最強のプレイヤーを決めるトーナメントのこれが準決勝である。






 新世紀、人類は新たな世界を獲得した。


 かつて地球という限られた世界への閉塞感を打破しようとした人々は、夢と希望を果てしない宇宙に求めた。しかし、遅々として進まない宇宙開拓に対して、まったく別方向から無限の可能性を持った新世界が登場した。


 外ではなく、内に広がるフロンティア。


 すなわち、それが仮想世界であり、VRMMOである。


 VR技術はそもそも医療や軍事の先進的な分野で発達を遂げていた。やがてその技術は娯楽分野に還元されるようになり、既に一定の土壌を獲得していたオンラインゲーム〈MMO〉と邂逅を果たす。


 VRMMOは最初こそ、ただのゲームに過ぎなかった。


 最初期には、大脳皮質に存在する視覚野や聴覚野と電気信号スパイクを相互に干渉させるHMDヘッド・マウント・ディスプレイが用いられた。


 HMDは脳の電気信号スパイクを読み取る。プレイヤーは仮想世界における身体アバターを操るために、両手に握ったコントローラーを使用する必要はなく、己の意思――脳の電気信号スパイクだけで自由自在な操作が可能だった。


 VRMMOはすぐさま、社会現象という言葉では片づけられない程の爆発的な人気を獲得する。


 黎明期には、現実と仮想世界を混同した青少年による傷害事件やシステムエラーによる脳へのダメージが問題視されたりもしたが、都市伝説としてひさしく語り継がれた〈デスゲーム〉すらも、現在では死語のひとつに過ぎない。


 世界中のあらゆる国々の老若男女が仮想世界を行き交うようになったこの時代、VRMMOはいつしか『第二の現実』と呼ばれるようになっていた。


 アイテムデータが資産として認められ、その希少性(レアリティ)次第ではリアルの不動産などよりも価値を持つ時代なのだ。現実世界と仮想世界で物事の価値が反転することも決して珍しくない。


 あらゆる社会活動が仮想世界の中で完結してしまう時代だから、トッププレイヤーは富と名声の象徴であり、万人の憧れである。


 人類が現実世界に誕生してから数百万年。


 人類が仮想世界を生み出してから数十年。


 VRMMOの乱立された群雄割拠の時代はとうに過ぎ去り、現代社会では神のごとき巨大企業たちがシェアを独占している。


 四つの巨大企業。

 四つのVRMMO。


 現実の国家群も容易には逆らうことのできない、『第二の現実』の支配者たち。彼らは『Powerパワー Fourフォー』という総称で呼ばれていた。




 北米を拠点とする最大企業〈GW社〉のVRMMO――。

 王道の『ワールド・ワールド・ワールド』。



 無国籍な死の商人〈リオール〉のVRMMO――。

 暴力渦巻く『リオール・オンライン』。



 欧州解体後に実権を握った医療系企業〈シュノイン〉のVRMMO――。

 古典的ファンタジーの『ゲルタニア』。



 日本の老舗ゲームメーカー〈優楽堂ゆうらくどう〉のVRMMO――。

 エンターテイメント主義の『クロス』。




 数十年のデータの蓄積と研鑽により、『Power Four』はそれぞれが異世界であるかのような独自文化を形成していた。


 当然ながら、異なる仮想世界間をプレイヤーが移動するのは不可能である。ある意味、現実における山脈や大河よりも険しい障壁が四つの仮想世界を分断していた。


 だからこそ、無邪気な子供たちは毎日のように、こんな議論を交わしたりするものだ。『ワールド・ワールド・ワールド』の〈勇者〉と『リオール・オンライン』の〈絶対女王〉が戦えば、果たしてどちらが勝つのだろうか――。それは非常にシンプルながら、これまでは絶対に答えの出ない難問だった。


 夢物語として長らく語られてきたもの。


 それが昨年、突如として現実になってしまった。


 異世界バトルGP。


 四つに分断された仮想世界、その垣根を超えた全世界バトルトーナメントの開催宣言は、現実と『Power Four』のどちらにも激震を走らせた。


 不可能であったはずのプレイヤー同士の邂逅、まったく異なるゲームシステムのぶつかり合い。事実として、この準決勝に至るまでの数多くの激闘に世界中が熱狂し、歓喜し、夢中になって来た。


 だが、それもいよいよ終わりを迎えようとしている。


 HAYATEハヤテALICEアリス、二人の戦いが終われば、残すは決勝戦のみである。


 夢物語の終わりは近い。


 だが、これはむしろ、すべての始まりだった。


「〈大々魔道士〉、捕まえた」


 死闘の果て、少年は遂にゴールにたどり着く。


 これも、あるいはスタートラインである。


 HAYATEハヤテは、ALICEアリスに手が届く距離まで詰め寄っていた。そして、威風堂々と勝利を告げた。おそらく、この瞬間である。ゴールであり、スタート。殺し合いが終わり、何かが始まる。すなわち、少年と少女の小さく大きな物語、まったく何処にでもありそうなボーイミーツガールの幕開け。


 HAYATEハヤテの半身は、炭化している。


 炎の魔法で焼き尽くされていた。


 心臓には幾本も、氷の刃が突き刺さっている。


 流せるだけの血はすべて流した。


 乾いた身体に残ったのは、殺意のみ。


 殺す、というシンプルな感情だけが、彼をここまで突き動かしていた。崇高な理念などない。高貴な目的などない。運命を背負い込むなんて、まったくガラでもない。


 砕けた狐の白面。


 片目だけ、そこから覗く。


 凶気と狂気と、彼女の心臓に遂に手が届いたという荒れ狂う喜び。絶叫する代わり、熱い息を吐き出した。笑う、笑う、笑う。右手はとっくに千切れている。


 わずかに繋がった左手の忍刀と、口にくわえた小太刀。


 これで十分だろう。


 少女を一人殺すには、これで十分だ。


 さあ、殺そう。


 殺したい。


「〈虐殺鬼〉……あなたは、なんて……」


「死ね」


 問答無用、何か云いかけたALICEアリスに対し、HAYATEハヤテはその心臓ハートを貫いていた。


 たぶん、まったく何処にでもありそうなボーイミーツガール。


 二人はこうして出会い、殺し、殺され、恋が始まった。






 異世界バトルGP、準決勝の第二試合。


 数多の名勝負に彩られた大会の中でも、末永く語り継がれるベストバウト。


 しかし、決着を見守った世界中の人々はもちろん、HAYATEハヤテALICEアリスも、この後に待ち受けるものを予想していなかった。これ以上の興奮は生み出されないとまで称賛された異世界バトルGPが、結局の所、ただの前哨戦に過ぎないなんて誰が考えるだろうか。


 詰まる所、これはプロローグである。


 本編はこの一年後にようやくスタートする。




 ――『Power Four』統合計画。




 それは、四つの仮想世界をひとつに繋ぐための全世界規模のプロジェクト。


 さながら、世界中の国家や民族の垣根をなくすにも匹敵するような馬鹿げたアイデアである。『Power Four』の権力や支配力を鑑みれば、そんなプロジェクトの実現はほとんど不可能に近いと云われていた。


 実際、このプロジェクトが最初に提唱されたのは十年以上も前である。誰でも予想できる通り、計画は『Power Four』の猛反対であっさり頓挫した。発案者である国際仮想統一機関はその結果、組織解体の寸前まで追い詰められたぐらいだ。


 しかし、彼らは諦めたわけではなかった。


 十年以上の時をかけて、水面下で準備は着々と進められていたのだ。


 世界を熱狂させた異世界バトルGPも、その下準備のひとつに過ぎなかった。


 新たな計画名は、先日遂に発表されたばかりだ。


 国際仮想統一機関はどうやら考え方を変えたらしい。四つに分断された世界を繋ぎ合わせるのではなく、丸ごと飲み込んでしまう。世界中に堂々と突き付けられた計画名には彼らの思惑がはっきりとあらわれていた。




 ――『THE FIFTH WORLD』プロジェクト。




 仮想世界という『第二の現実』の支配者たちに対する、まるで宣戦布告。


 すなわち、四つの企業、四つのVRMMO『Power Four』を打ち負かさんとする、五番目の新しいVRMMOが発表されたのだ。

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