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これもひとつの幸せ

ブクマ、評価ありがとうございます。これで本編は完結です。



 久しぶりに会う彼は身なりを整えていたが、少し疲れているようだった。

 2週間でエディーラ国に行って交渉し、戻ってきたのだから当然といえば当然だ。それなのに、休む間もなくフレデリックへの報告が終わった後すぐにわたしの所に足を運んでくれていた。


「ご苦労様です」


 そう労をねぎらうと、カルロは頭を下げる。


「妃殿下にもご報告を」


 どこかよそよそしさを感じる一線を引いた態度にたじろいだが、ぐっと顔を上げた。今わたしは王妃なのだからと呪文のように言い聞かせる。

 王妃になったわたしに以前のような態度で接することなどできない。

 わかっているが、その距離感に息が苦しくなる。


 報告内容はフレデリックから事前に聞いた内容とあまり変わらなかった。新しい情報としてはエディーラ国からトルデス国への賠償が盛り込まれたことだ。しかも金額が半端ない。どれだけ吹っ掛けてきたのだと言いたくなる。金額を聞いたマティスの喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。


 ブリアナは予想通り、王族であるとは認められなかった。5年前にすでにブリアナ王女は病死していることが確認され、王族詐称の罪で反勢力とともに処刑されたと伝えられた。カルロは処刑に立ち会ったようだが、それ以上の詳しいことは話さなかった。


 何とも言い難い結末であったが、落ち着くところに落ち着いた印象だ。これからこの国は立て直しに力を入れていくだろう。一通り説明を聞き終わり、息をつくとまっすぐにカルロを見つめた。


「二人で話したいのだけど、いいかしら?」


 カルロは目を見張った後、わたしの横に控えていたナイジェルに問うような視線を向けた。ナイジェルが軽く頷くと、護衛と侍女を連れて部屋を出て行く。


「隣の部屋に控えています」


 久しぶりに二人きりになって、緊張が高まった。両手をぎゅっと握りしめるが、手のひらが汗っぽくて気持ちが悪い。だが、これは避けて通れないことだと思っている。今しか聞く機会がない。


「わたしはフレデリックと離縁した後、カルロと結婚したい」


 色々と言葉を考えたが、曖昧さをなくした結果直接的な言い方になった。カルロも困ったような表情を浮かべたが、一つため息をついた。先ほどまでの王妃に対するよそよそしさが消えた。母国にいた時と変わらない雰囲気になり少しだけほっとする。


「私は亡くなった妻を愛している。殿下の気持ちは嬉しいが同じ思いは返せない」


 それはいつもと同じ返答だった。どうして同じことしか言わない相手に、話し合えというのだろうか。じっとカルロを見つめる。カルロは仕方がないというようにさらに言葉を重ねた。


「私はかなり年上だ。殿下は息子たちと変わらない年齢だ」

「わかっているわ」


 そんなこと、初めからわかっている。彼の二人の息子ともそれなりに交流があった。二人はわたしがカルロが好きだと前面に出していたせいか、とても引き気味ではあったが嫌われてはいない。義母と思わずとも、親戚のお姉様くらいには思えてもらえると思っている。


「わかっていないよ。私はね、もう35歳なんだ。殿下は18歳。では5年後は? 10年後は?」


 カルロが何を言いたいのかがわからなかった。5年後でも10年後でも今と変わらないはずだ。理解していないとわたしの顔を見て思ったのか、カルロは淡々と説明を加えた。


「10年後、殿下は28歳。経験も積んで自信もつけていく年齢だ。そのころには私の体は病を得て、動けないかもしれない」


 カルロの心配していることがなんであるか、ようやく理解した。


 出会ってから10年、いつも前を歩いていた彼はこの先も前を歩き続ける。わたしが追いつく前に彼は終わりを迎えるのだ。彼が歩まなくなった時にわたしは何歳だろう。


 食い入るように彼の瞳を見つめた。その目に冷たさはない。いつも守ってくれていた温かさがある。


「今回のことで、殿下は身分など気にせず添い遂げる相手を選ぶことができる。同じ歩調で歩いていける相手と幸せになってほしい」

「その相手にカルロを選んでは駄目なの?」


 声が震えた。

 言葉を選ぶように目を伏せてから彼は顔を上げた。まっすぐにわたしを見つめ、優しい笑みを見せた。


「ああ、駄目だな。殿下にはこれから沢山の経験をして成長していく。その横にいるのは私ではない」


 涙がとうとう零れた。一度溢れてしまった涙は、堰切ったように落ちていく。嗚咽が漏れそうになって、ぎゅっと唇を噛み締めた。視線だけはカルロからは外さなかった。

 カルロはいつものように手を伸ばしたが、すぐに下におろした。わたしが泣いてももう慰めてくれない。そう思えばますます涙が止まらなかった。


「イレアナ姫。いつでも幸せを願っているよ」


 最後に名前を呼ぶなんてずるい。

 返事ができずにいると、カルロが静かに部屋から退出した。入れ違いに、誰かが入ってくる。


「イレアナ?」


 躊躇いがちにフレデリックが声を掛けてくる。ナイジェルあたりに慰め役を押し付けられたのかもしれない。

 返事をしたいのに、ぼろぼろと落ちてくる雫に声が出ない。落ち着こうと下を向いた。ゆっくりと頭が撫でられた。優しい手に体から力が抜けそうだ。少し寄りかかるようにして立っていると、背中が宥める様に撫でられる。


「ずっとずっと好きだったの」

「ああ」

「できれば側にいてほしかった」

「ああ」


 こんなこと聞かされても困るだろうに、真面目に相槌を打つ。でも誰かに聞いてもらいたかった。


「ひどいわ。最後に名前を呼ぶなんて」

「そうか」


 ぽつりぽつりと呟けばすぐに同意された。しばらくそうして呟いていたが、次第に落ち着いてきた。涙も止まってきたのでふと顔を上げると、適当に聞き流していそうなフレデリックがいた。


「……聞いている?」

「ああ」

「今夜はわたしが良いというまで付き合ってくださいね」

「ああ」


 やっぱり何も考えずに相槌を打っていそうだ。少し意地悪な質問に変えてみた。


「遅くなりましたけど初夜です。白と黒の夜着、どちらが好みですか?」

「ああ……え、初夜??」


 その慌てぶりがおかしくて、つい笑ってしまった。適当に聞き流していたのがばれたことで、フレデリックは気まずそうに顔をそらした。


「今ならまだ引き留められる」

「いいの」


 涙を拭うと、強気に顔を上げた。この国から送り出すときは別れの言葉をきちんと告げよう。

 今はぐじぐじと胸が痛むけど、大丈夫。曖昧にせずにきちんと思いを聞けて良かったと、今は無理でも思えるようになりたい。


 結婚するだけならできるけど、わたしはカルロにも側にいてほしいと望んでほしかった。自分では幸せにはできないと思っている人に結婚を強要することはできない。お互いが不幸になってしまう。


「そうか」

「……立ち直るまで付き合ってください」


 フレデリックはじっとわたしを見下ろしていたが、わかった、と答えただけだった。



******



 結局、わたしとフレデリックはかなり長い間共に過ごした。

 フレデリックがわたしと結婚して5年後に退位して、王領にある離宮に引きこもってから何年たっただろうか。


 決して恋愛感情が芽生えたわけではないが、なんだか放っておけなかったというのが大きい。なんだろう、出来の悪い子供が心配で離れられないようなそんな気持ちで彼の側にいた。


 もちろん、他に愛する人ができたら離縁していただろうが、幸いなのか不幸なのか、そんな相手が現れなかった。今でもカルロ以上に好きな人はいない。そしてカルロには最後に別れを告げてから一度も会わなかった。


 あれほど荒れていた国はサルディル国の援助もあって立て直され、農業のやり方やその他の産業など様々な分野での発展の遅れを吸収していった。

 わからないなりにフレデリックとわたしは二人して頑張ったと思う。高い壁に当たるたびにフレデリックとの距離も縮まっていったようにも思える。お互いを支えあい、足らないところを補い合って。

 ただそれは男女の愛というよりは連帯感というような、家族というような、何とも表現のしようのないものだ。それもまた居心地がよかった。


 その結果、小国としてはそこそこの国力を持つことができた。サルディル国には一定の金額を収めているがさほど辛いものでもない。最善ではないが、これでよかったのだろう。


 夫婦なのだから、それなりの営みもあったがフレデリックが言ったように子供はできなかった。フレデリックはすでに薬は飲んでいなかったが、やはり副作用なのかもしれない。できれば子供が欲しかったが、できないものは仕方がなかった。


 それに王位はジョナスに譲っているので王位継承権争いが起こらずにいるのはいいことでもある。大国の王女であるわたしに子供ができたらそれこそ継承権問題が浮上してしまう。


 明日にはジョナスとクラリッサの息子が王位を継ぐ。王都から少し離れたこの土地ではその賑わいは伝わってこないが、きっと華やかな日になるだろう。それでいい。


「今思えば、充実した人生だったのだろうな」


 珍しく来客もなく二人でのんびりと手入れの行き届いた庭でお茶を飲んでいるとき、フレデリックはそう呟いた。


「嫌だわ。今にも死にそうな言葉ね」


 そう茶化せば、彼の老いた顔に笑みが浮かんだ。


「君は離縁しなくてよかったのかい?」

「わたし、言いましたよね?」


 呆れたように言えば、彼は昔と変わらず不思議そうな顔をしている。やっぱりわかっていなかったのかもしれない。


「いつでも離縁で構いませんわ」

「ああ、そう言っていたな」


 ますます理解できないという顔をしているので、おかしくなってきた。


「だから、わたしの気の向いた時に離縁すると言っているのよ」

「それは気が向かなかったということかな?」

「そうね。あなたは放っておくと心配だから。もうしばらくは側にいてあげるわ」


 だって、離縁はいつでもいいのだから。


 それにね。

 いろいろあったけど、わたしはそれなりに幸せだ。


Fin.



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