91.初耳
「トラウリヒ神国は魔物の生息圏と隣接している西に位置する友好国です。宗教とともに発展してきた歴史もその不安定な情勢からと言われており……その中でも教皇や聖女にあたる方々は国の象徴のようなもので、特に教義を守らなければいけません。
彼女の制服が白いのも、聖女は白い服を着なければ信徒の前に出てはいけないとされているからです。トラウリヒ神国の民のほとんどはデルフィ教ですし、スターレイ王国にも少なからずデルフィ教は広まっているのでいつ信徒と遭遇するかわかりません……なので一人だけ制服の変更が許されているんですよ」
「魔物から国を守っているというのは教わりましたが……他にも大変な事情があるんですね……」
学院での規則や立ち入り禁止区域などの説明が終わると、カナタとルミナはすぐさま図書館へと足を運んだ。
本来は午前にも授業があるのだが、特級クラスは一部の基礎授業を免除されているので自由時間である。
他のほとんどの生徒が授業中なのもあって図書館にはカナタとルミナ、そして二人の側仕えのしかいない。
ラクトラル魔術学院の図書館は広大で、本棚の高さは首が痛くなるほど。
その本棚には端から端まで本がぎっしりと詰め込まれている。役に立つか、役に立たないかは置いておいて全てが魔術について書かれた本だ。
各魔術系統の歴史や魔術師の個人的な手記、特定の魔術の論文からカナタも読んだことのある第一域についての教本まで様々だ。
そんな先人の魔術師達の知恵が集まる場所をたった四人で独占しているというのだから贅沢な話である。
これもラクトラル魔術学院、そして特級クラスに所属した生徒の特権というべきだろう。
「そう……国は常に魔物との戦闘に備えて緊張感が走り、聖女という象徴ゆえに貴族とはまた別の重圧があるでしょう……そういった事情があるので、あのような失礼な物言いも仕方ないと納得することにします……!」
「怒ってる……」
「ええ、怒っていますよ! 初対面だというのにあんな! あんな! カナタはぶさいくなんかじゃありません!」
図書館に人がいないのをいいことに、ルミナはエイミーへの怒りを露わにする。
納得することにします、とは一体なんだったのか。
一応、ルミナの手元にあったトラウリヒ神国についての本は怒りの巻き添えにならないようにすぐさまカナタが回収した。
「顔はお世辞にもいいほうでは……セルドラ様やロノスティコ様みたいに整ってはいませんから」
「何を言っているんですか、確かにお兄様もロノスティコも整った顔立ちではありますがカナタの圧勝です!」
「いや惨敗ですよ、もしかして目悪いんですか?」
「私にとっては圧勝なんです!」
ルミナはくるりと後ろに控えているコーレナとルイのほうを向く。
「お二人共! カナタはぶさいくなんかじゃありませんよね!?」
カナタ本人に言っても仕方ないと踏んだのかルミナは数を味方につけることを選んだようだ。
「もっちろんです! カナタ様が朝の寝ぼけた顔も日中ぱっちり起きている顔も夜の眠そうな顔も深夜の寝顔も観察している私が言うんですから間違いありません!」
「ルイ、ちょっと便乗しな……ん? 深夜……?」
「ですよね! 流石はルイです!」
カナタの疑問はルミナの力強い同意によりスキップ。
ルミナとルイの視線は次はコーレナに集中した。
「え、っと……その……。外見の好みは人それぞれでありますから……」
「コーレナ、私は今そんな常識的な意見は求めてないわ……」
「うっ……」
主人の圧でコーレナはわざとらしく咳払いをしてカナタをじっと見た。
その真面目さゆえか嘘はつけず、真剣に言葉にする。
「その、正直に言ってカナタ様の外見が特別整っているとは私にも思えません……しかし不細工と言われるような外見にも見えません。成長途中の子供らしさの中に死線を潜り抜けた力強さがある顔ではあると思います」
「コーレナらしい意見ですね、ありがとうございます」
「……い、いえ」
ルイからの力強い同意とコーレナの同意寄りの中立意見に満足そうに頷く。
どうやらエイミーへの不満と相殺されてすっきりしたようだ。
「カナタ様、何か嫌われるようなことしたんです?」
「いや、あの時初めて会ったから……それに、トラウリヒ神国なんて行ったことなよ」
「そうですよねぇ」
カナタは傭兵団時代のことも思い出してみるが、本当に心当たりがない。
傭兵団が魔物討伐の仕事を請け負うことはあったが、それで聖女と出会うなんてこともなかったはずだ。
噂の、と言っていたので噂に尾ひれがついて何か不満だったのかもしれない。
「まぁ、ただ機嫌が悪かっただけかもしれないし、特に気にしてないよ」
「流石カナタ様……大きい御方……!」
「る、ルイは持ち上げ過ぎかな……」
「いえ、そんな風に言えるカナタは立派だと思いますよ」
「ルミナ様も……その、もういいですから……」
先程から変に持ち上げられているので流石にカナタも少し照れ始める。
これ以上は顔に出てしまいそうなので、カナタは話題を変えた。
すでに顔に出ていて、照れていることが三人にばれていることには気付かないまま。
「聖女様といえば、"失伝刻印者"ということが知られているんですね……ルミナ様は隠していたのに」
「トラウリヒの聖女はそもそも"失伝刻印者"にしかなれませんからね、デルフィ教の象徴になるというのもあってとても名誉なこととされています。
聖女の存在は民に安心を与えますから、不安定な情勢になりやすいトラウリヒとしては政治的ないざこざで失伝魔術の術式を奪い合うよりも聖女に居続けてもらったほうが都合がいいんですよ」
「なるほど、事情が違うと扱いも違うんですね……」
「それに術式の影響でああして体が浮いてしまっていますからね……隠そうにもすぐにばれちゃいますね」
術式の影響と聞いて、カナタは先程よりもエイミーに興味が湧いた。
あの少女は教室に入ってくる時も出ていく時もふわふわとまるで雲のように浮いていた。
あれが術式の影響だとすれば一体どんな失伝魔術なのだろうか。詮索する気はないのだが、少し心の中の好奇心がひょこっと顔を覗かせる。
しかし、すでに嫌われている様子なので詳しく教えて貰う機会はないだろうと諦めた。
「あら、ごめんなさいお邪魔しちゃって」
カナタとルミナが話していると、他の生徒も図書館を利用するために入ってきた。
生徒は胸につけたネームプレートの魔道具を使って入って来れるので当然、カナタ達がずっと貸し切り状態にできるわけではない。
「いえ、おはようございます」
「おはようございます」
「うふふ、おはよう。新入生……しかもこの時間にってことは特級クラス?」
入ってきた生徒は雰囲気がどこか大人びていて上級生のようだった。
この時間に一緒になったということは学年は違うが、カナタ達と同じく特級クラスなのだろう。
声量を抑えているものの赤みがかったサイドテールを揺らしていて、どこか快活な印象を抱かせる。
「今年入学しましたルミナ・ヴィサス・アンドレイスと申します」
「カナタ・ディーラスコです」
「あ、公爵家の……安心して、私ベルナーズのとこの派閥とは関係無いから」
「お気遣いありがとうございます」
「それで君が噂の……へぇ、こんな純朴そうな子がね……」
上級生の女子生徒は意外そうな視線でカナタを見る。
また噂、だ。どんな事を言われているのか気にならないといえば嘘にはなるが……宮廷魔術師を倒したという噂が広まってしまっているのはいくらカナタでもわかっている。
今更その話にどんな尾ひれがつこうとも、聞かれたら最低限のことは答える構えでいた。
「女たらしって噂の公爵家の側近?」
「え!? ちょ、なんですかそれ!? 詳しく!?」
本人だが初耳だった。