80.やっと見つけた
「ふふ、いじらしいですね……あなたが慰めるだなんて、果たしてその言葉が強がりではないとよいのですが」
「慰めでも、ましてや強がりなんかじゃない」
デナイアルの言葉に揺れることなく、カナタの言葉には一本の芯が通っている。
自らの心を曝け出すような純粋な声は二年前から全く変わらない。
そんな心からの声だからこそ、ルミナは壊れかけた心で耳を傾ける事ができた。
「……ルミナ、あんたはそう思っているのか」
「ぇ……?」
「本当に、あんたが母さんを殺したって……そう思っているのかって聞いてんだよ」
カナタの声に乗る感情は優しさではなく、怒りだった。
しかしその怒りはひび割れた心にとどめを刺すようなものではなく、むしろ真正面から向き合ってくれるような。
ルミナは似たような雰囲気を思い出す。父や母が叱ってくれる時にとても似ていた。
呼び方も呼び捨てになって、本当に対等な……二人の間に引かれていた立場という線を、カナタが飛び越えたような気がした。
「母さんに救われた大切な思い出じゃなくて、母さんを殺した辛い思い出として……そう思い続けて生きていくのか?」
「んふふ。事実、そうなのでしょう?」
「そんなのあんまりじゃないか。あまりに、母さんが報われない」
「報われる時など来ないでしょうに」
カナタとデナイアルの声が交互にルミナに届く。
不思議と、あれだけ心を踏み荒らしてきたデナイアルの言葉はルミナに届かなくなっていた。
二人の言葉の重さは全く違う。
カナタの言葉は痛くて、辛くて、でもこちらを傷付けようとしていない。
「あんたはあの日救われたのに、そうやって母さんのことを呪いにするのか」
「ち……が……」
声が出なかった。
次から次へと涙が頬に悲しみを描く。
「罪悪感に身を任せて……全部諦めて楽になろうとするのかあんたは」
「ちが……ちが、う……!」
カナタの問いにルミナは声を絞り出す。
その瞳には小さくも光が戻って、カナタの背中を見つめていた。
「無価値にするのか母さんのした事を。無意味にするのか俺が失った時間を。そうやって自分の中で勝手に罪悪感を膨らませて、母さんを殺しただなんて勝手に思い込んで……そのまま押し潰されて自分の人生を無駄にするなら……俺はあんたを、ルミナを絶対に許さない」
それはルミナにとって一番優しい恨みの言葉。
そのまま自分の心を壊すのはルミナにとって楽な道だと。
そのまま罪悪感を膨らませるのはルミナの怠惰だと。
ルミナが間違った決着をつけないように、カナタはその記憶に向かって想いを突き付ける。
「そんな風に思ってもらいたくて走ったんじゃない!」
悲しませるために誰かを助けたいなんて、思うわけがない。
「そんな顔をさせたくて母さんは命を懸けたんじゃない!!」
きっと、生きて笑って欲しかった。理不尽から守ってあげたかった。
「あんたはあの日母さんに救われたんだろ! なら母さんが喜ぶ道を生きろよ! 救ってくれた人に報いる方法なんて、幸せになる以外ないだろ! 簡単に思い込める罪悪感に逃げるな!!」
「カナタ……。わたし……!」
ボロボロと大粒の涙がルミナの瞳から零れる。
自分のせいじゃないなんて思うことはできないけれど、罪悪感が消えたなんてことはないけれど。
それでも、カナタが触れた記憶が叫んでいる。カナタの言葉の正しさを。
そう、救われた人間がどうすればいいかなんて最初から決まっている。
その人の分まで笑って、その人のように違う誰かを助けて、その人が生きるはずだった時間を幸福に生きる。
それ以外に、報いる方法なんてあるはずがないのだから。
「それでも、事実は変わらない……ルミナ様のためにあなたの母は死んだ。ルミナ様のためにあなたが心を砕く必要はないのでは? カナタくん?」
そんな二人の会話にデナイアルが水を差す。
カナタはそんなデナイアルを見て、何もわかってないな、と鼻で笑った。
「ルミナのためじゃない。ルミナが幸せになれなかったら無意味になる。母さんの行いだけじゃない……俺が過ごした日々も」
母が死んだ後に辿り着いた優しい村。用意された小屋の中でカナタは一人だった。
傭兵団が来るまでずっと一人で、母のように隣で寄り添ってくれる人もいない一年間。
母の背中に行かないでと叫べなかった後悔も、寂しくて小屋でうずくまっていた時間にも……もし意味があるのなら。
平和な日々の中で、笑って思い出せる日がきっと来る。自分の後悔も寂しい日々もルミナという女の子を理不尽から守るためだったのだと言える日がきっと。
「ここにルミナが生きている。それだけで母さんは間違ってなんかなかった。
俺の後悔も寂しさも消えないけど……それでも苦しむ意味はあったんだって! 一欠片の救いがあったと思えるから!」
吐きたくなるような記憶の中に、鈍くとも確かに輝く光を見つけられる時がある。
凄惨な戦場の中で見つけられる魔術の欠片のように。
「だから、俺はルミナを守りに来たんだ! 母が救った女の子を! 俺の友達を! 生きてたからこそ出会えたこの子を! もう後悔したくないから……誰でもない自分のために!」
デナイアルに自分の意思を叩きつけるカナタ。
滲む視界の中で、ルミナはカナタの背中を見つめる。
「みつ……けた……」
その声は絶望からではなく歓喜から。
真っ黒だったルミナの視界に色彩が戻っていく。
そして確かに――
「やっと……っ……見つけた……。また、来てくれた……! 助けに……!」
――あの日見た人の輝きと同じものをカナタの背中に見る。
母に命を救われて、今度はその子供に心を救われた。
ルミナの胸の奥で熱く、鼓動が跳ねる。
デナイアルが向ける空っぽな悪意などではもう崩されない、傷を埋めるほど溢れ出す強固な感情を宿して。
「お前も、逃げるなよ」
カナタはデナイアルを指差す。
あまりに言われ慣れていない言葉にデナイアルは目を見開いた。
「逃げる? 私が?」
「ああ、あんたが泣かせたんだぞ。関係のない他人が土足で入り込んで」
デナイアルは無意識に、自分に向けられたカナタの人差し指に目が行く。
「逃げるなよ」
カナタは繰り返す。
逃がさない、そう言っているように聞こえた。
「逃げるなよ」
デナイアルのプライドを傷付けるように何度も。
「俺はあんたを、絶対に許さない」
ルミナに向けたのと同じ言葉。そして明確に違う意味。
デナイアルは自分に向けられた本気の殺気に顔付きを変えた。
「……どうやら、君がいてはルミナ様の心は折れないようですね」
デナイアルはゆっくりと杖を掲げた。
砕けかけていたルミナの心が、カナタの言葉一つで持ち直した。
ルミナに魔術契約書を書かせるのに、カナタはあまりに邪魔すぎる。
なので、今までのように第三域相当の力ではなく……
「不測の事態に魔力は温存しておきたかったですが、今がまさに不測の事態。
認めましょう、第三域では互角……ですから、私の魔術領域でその意思を命ごと摘み取ろう」
……プライドを捨てて、自らが誇る第四域の魔術を解禁した。
「"解禁"――『産み墜ちる無感動の落胤』」
掲げた杖にあしらわれた宝石が砕ける。杖が割れる。
膨れ上がっていた魔力は消えるように呑み込まれてどこか一つに。
デナイアルの背後の空間にはいつの間にか、女性の仮面が浮かんでいた。