39.怒りは炎のように
「"選択"」
「勝てるとお思いですか? それとも……第三域の魔術を使える事と、第三域の魔術師と認められている事を同等とお思いで?」
「ふっ!」
先生の時間が終わり、じろりと冷たい魔術師の眼がカナタを捉えた。
カナタは魔力を体全体に走らせる。
何かを唱えるよりも先に、テーブルの花瓶を掴みブリーナの頭めがけて振り抜く。
「ほほ、野蛮ですわね」
対して、ブリーナも体全体に魔力を走らせてソファから跳ぶ。
花瓶に入った花と水は床にぶちまけられ、転がった花をブリーナはぐしゃりと潰した。
すでに五十近い初老の女性とは思えない身体能力は魔力が全身に行き渡っている証拠。前線を長く離れているというのに、息を吸うように魔力を操る生粋の魔術師としての姿をブリーナは見せる。
目尻に浮かんでいる皺すらも、経験が顔に出た脅威にすら思えた。
「そんな事思ってないけど……ダンレスと一緒だろ?」
「あら……私は凡才ではありますが、ダンレスのような下等魔術師と一緒だと思われるのは心外ですわね……。これだから悪名でも質の低い魔術師の名前が広まるのは嫌なのです」
カナタとて、ダンレスと同程度などとは思っていない。
戦闘経験が少ないとはいえ、これでも戦場漁りとして兵士や傭兵、在野の魔術師達の戦いを見てきたカナタにはわかる。
目の前の初老の女性が、ダンレスとは違うという事くらいは。
「ふふ、では私がカナタ様の頭を実験に使うに値する魔術師だとわかって頂くための提案を兼ねて、これが第三域だとお見せしましょう――"起動"」
「!?」
バン、と扉が大きな音を立てて開く。
カナタは肩越しに首だけ振り返って後方の扉を見た。
そこには、カナタが見掛けた事だけあるディーラスコ家の使用人がいる。
これから戦いが始まるという時に何て間の悪いタイミングか。
カナタが逃げろと叫ぼうとする前に、最初の一人に続いて次々と使用人がカナタの部屋に駆け付けた。
「まぁ、案外慕われていたようですねカナタ様」
カナタの部屋に集まった使用人は七人。ブリーナは意外そうにくすりと笑う。
――違う!
偶然七人も使用人が部屋に訪れるわけがない。声を聞いて助けに来たなどもっと有り得ない。
カナタはこの状況が一ヶ月前と同じだという事に気付く。
「二ヶ月もカナタ様の家庭教師として通わせて頂いていたんですもの……無防備で耐性の無い使用人全員に精神干渉の魔術をかけるくらい、出来て当然でしょう?」
「っ――!!」
「ですが、あなたを疎んでいる使用人が七人しかいないのは意外でした。よかったですねカナタ様……この七人以外には多少なりとも好感を持たれているようですよ?」
一ヶ月前のエイダンと同じように、七人の使用人がカナタ目掛けて襲い掛かる。
傷付けるわけにはいかない。いくらこの七人がカナタを嫌っていたとしても、自分の意思で襲ってきている者は誰もいないのだから。
「糞魔術師……! 『水球』!」
「エイダン様を脅かす……! ごぼぼっ!」
「ああああああああああ!」
「奥様に迷惑をかける害虫! 害虫害虫!!」
「ひっ……! ひっ……! こわいこわいこわいこわいこわいいいい!!」
カナタは巨大な水の球を押し付けるようにして使用人達を押し流す。あまりに巨大過ぎるのがカナタにとっての課題だったが、今はこの巨大さに救われた。
頭から水を浴びてもうわ言のように何かを叫び続ける使用人達はやはり正気ではない。
今のうちに外に出なければとカナタは扉に向かって駆け出す。
「外に助けを求めても無駄ですわよ……すでにこの屋敷全体にあの夜にカナタ様の部屋にかけたものと同じ固定術式を刻んでおります。どれだけ叫んだところでシャトラン様まで聞こえませんとも」
ブリーナの得意気な忠告を無視して部屋の外へと飛び出す。言われなくてもそのくらいは想定している。使用人全員を操るなんて大胆なやり方、それくらいの備えがなければやらないだろう。
今は騎士団の訓練の時間。訓練場までは走って三分ほどだが……すんなり行かせてもらえるはずはないし、辿り着くまでに何らかの術式が仕込まれていると考えたほうがいい。
廊下に出るとその場でうずくまっているだけの使用人が二人いた。ブリーナの精神干渉を受けながらもカナタを襲いに来なかった人達だ。心の中で感謝しながら走る。
「私は使用人達がどうなろうと構いませんが、あなたはお優しいですものね?」
「『石礫』!」
「『氷魔の爪痕』」
背後に聞こえるカナタを弄ぶような声。カナタは振り返って、追い掛けてきたブリーナに第一域の魔術を飛ばす。
しかしカナタが生成した拳ほどの石はブリーナの両手から伸びる氷の爪によってバターのように切り裂かれた。
「この二ヶ月の成果ですね! ですが、第一域は第一域に過ぎませんよ!」
「『炎精への祈り』!!」
「それは――」
怯むことなく、突如としてカナタが放つは第三域の攻撃魔術。
ブリーナは咄嗟にカナタの部屋に戻って廊下を飲み込む豪炎を躱す。
無傷でやり過ごしたはいいが、両手に生成した氷の爪は溶けていく。
「まさか廊下に倒れる使用人ごと……いえ、これは……」
この二ヶ月、カナタと直に接して人となりを把握したブリーナは驚愕を隠せない。
彼の性格を考えればそこらにいる正気を失った使用人を無視できるはずがない。
ブリーナは即座に外に出て廊下の使用人達を確認する。
予想通り、廊下にはやけど一つ負っていない無傷の使用人が二人ほど倒れていた。
そう、カナタの使った『炎精への祈り』は精霊系統の魔術。
使い手の意思によって規模や対象を細かく選ぶ事が出来るという、第三域の中でも高等とされるもの。
カナタの魔術は見事、ブリーナ以外を燃やさないように放たれていた。
「素晴らしい! 素晴らしい! おほほ……ですが、そのせいで使用人達は振り切れないみたいですわね……?」
ブリーナが廊下の先を見れば七人の使用人達を怪我無く制圧しようと『水球』を連発しているカナタの姿。
魔術のコントロールを完璧にできたのは喜ばしい事であり成長だが……完璧だったがゆえにブリーナに操られている使用人達の事は一切止められていなかった。
一人がカナタの足を掴み、カナタはそれを蹴るように振り払う。そんな事すらもカナタは申し訳なさそうにして顔を歪めていた。
「くっ……!」
「どうですかカナタ様! あなたも魔術師らしく自分のためだけに動いてみては!?」
「何が魔術師らしくだ! あんたのように、の間違いだろうが!」
カナタは声を荒げて叫び、ブリーナの高らかな声を否定する。
「『水球』!!」
「ごぼっ……」
「がぼぼぼ……」
ブリーナに追い付かれる前に、カナタはを巨大な水球を使用人二人にぶつける。
乱暴な手段だが、現状使用人に追われているという状況が最も厄介。せめてブリーナと一対一の状況を作らなければ。
文字通り、廊下で溺れさせられた使用人二人はその場に倒れて、ころん、と黒の魔術滓が廊下に転がった。
これもまたエイダンの時の同じ現象。気絶させれば精神干渉は解ける。
カナタは魔術滓を拾って、ブリーナとの距離を空けるべく再び走り出した。
「後五人……!」
「汚い汚い汚い汚いいいいい!!!」
「違うんです……。違うんです……。私は悪くない……」
「『白き霜林への招き』」
使用人のうわ言に混じって唱えられるブリーナの魔術。
一瞬でカナタが走る廊下の壁や床が白く凍り付き、カナタは氷に足を取られる。
同時に、その凍り付いた壁や床から針のようなものが飛び出した。
「う、ぐっ――!」
氷の針は足に、手に突き刺さり、そして頬を掠める。白くなった廊下に赤い血が落ちた。
廊下全体を範囲としたカナタの『炎精への祈り』とほぼ同規模。
遠隔でありながら拘束と殺傷力の高い攻撃力を両立できるのは間違いなく、第三域の魔術の証。
だがその魔術の規模や自分の傷よりも、カナタは見てしまう。
ブリーナに操られてカナタに付き纏っていた使用人までもが、その氷の針に巻き込まれて傷つき、倒れる所を。
「足手纏いを抱えて私から逃げようだなんて甘いですわよカナタ様?」
「……ああ、甘かった」
凍り付いた床から足を外している間にブリーナに追い付かれる。
周りにはまだ操られて動いている使用人もいて、カナタと同じように氷に体を取られて動けなくなっていた。
使用人達の中には壁に肌がくっついている者などもいたが、肌を引きちぎるようにして動き、血を流しながら再びカナタに向かってきている。
「先生だった時期があったから、少しはましだなんて思ってたよ……。でもようやく気付けた。あんたはダンレスと変わらないクズなんだってな……!」
怒りで声は強く、血は沸騰する。
使える魔術の数も経験もブリーナには負けている。
だからどうしたとカナタは背を向けるのをやめた。