3.伝統の姿勢
「あれ? カナタは?」
翌日、合流した領主軍と共にカレジャス傭兵団は町へと戻った。
町での仮拠点となる宿で荷物を降ろして自由な時間……戦場漁りの子供達にもしばしの休息が与え在られた。
しかし、カナタの姿が消えており、ロアはきょろきょろと宿の食事スペースを見渡した。
「カナタならさっき呼び出されてたぜ」
「まーた何かやらかしたんじゃないの? あいつ、趣味の事になると変に意固地だしな」
「ええー……もう……」
一足先に食事スペースでパンを頬張っている同じ戦場漁りの子供達から教えられてロアは少し項垂れる。
昨夜飛ばされたと言っていた寝袋を町に買いに行こうと誘うはずだったのに、まさか自由時間にまで呼び出しだとは。
同じ戦場漁りの中でもロアは特にカナタを気に掛けている。
カナタにとってロアは一つ年下で弟のような存在であり、初めて世話をした後輩でもあるのだ。
「はぁ……カナタってば……何やったの……?」
子供らしからぬ重々しく、ゆっくりとしたため息には呆れ半分心配半分。
カナタが何もやらかしていない事を祈るばかりであった。
同刻。グリアーレの部屋には呼び出されて床に座らされているカナタがいた。
ただの町の宿なので特別華美なわけではないが団長と副団長だけは個室であり、誰にも邪魔は入らない。
つまり、昨夜の事について色々と聞き出すには十分だという事である。
「あの、グリアーレ副団長……」
「なんだ」
「この、姿勢は……なんでしょう……?」
カナタは背筋を伸ばし、両膝をくっつけるようにして床に座らされている。
目の前には仁王立ちでカナタを見下ろすグリアーレの鋭い目付き。
体の震えが果たして不慣れな体勢からなのか目の前から感じる圧によるものなのか。恐らくどちらもだろう。
「その姿勢は、正座というものだ」
遠くまで響き渡るような通る声がカナタの疑問に答える。
カレジャス傭兵団副団長グリアーレ。美しいだけでなく歴戦の経験が刻まれたような厳しい顔付きに確かな実力で傭兵団の中核を担っている。
奔放なウヴァルと違って面倒見がいいと評判だが、正直今のカナタには恐怖しかない。
「せいざ……?」
「ああ、とある島国から伝わる姿勢でな。長時間その座り方をしていると足がしびれて動けなくなる。恐らくは、その島国で拷問や尋問の際に罪人などにさせる姿勢だったのだろう」
「そ、そんな恐ろしい姿勢がある国が……というか、その姿勢をさせられてるって事は……今から俺……拷問されるんです!?」
「いいや? だがお前の答え次第でそうせざるを得ない可能性もある。心優しい私にそんな真似はさせてくれるなよ?」
グリアーレはにっこりと笑顔を見せている……つもりなのだろう。
その顔に浮かぶぎこちない笑顔はカナタに恐怖しか抱かせず、カナタはこくこくと頷くしかできなかった。
「こうして内密に事情を聞こうとしている時点でかなり譲歩しているつもりだ……何故魔術が使える事を隠していた?」
「ち、違う! 違います! 昨日突然! 本当に! 自分でもびっくりして……寝袋も……わざとじゃ……。自分でも……わから、なくて……魔術滓を見てて……そ、れで……」
「……」
グリアーレの射殺すような視線がカナタに突き刺さる。
必死に説明するが、信じて貰えているかどうか不安に駆られてたどたどしくなってしまう。
移ろうカナタの視線はグリアーレの表情と腰に差している剣へと。
カナタは幼くとも戦を知っているし、団には規律があるのを知っている。もしグリアーレがその気になればカナタの首と胴体など簡単におさらばだ。
しかしそんな不安をよそに、カナタの必死さが伝わったのかグリアーレはすぐに表情を崩した。
「まぁ、そうだろうな。お前が私達の敵となる魔術師だとして……昨夜寝袋だけ燃やす意味がわからん。そんな間抜けに後れは取る気もないからな。信じよう」
「は、はあ……ありがとう、ございます……」
一先ず、最悪の事態にはならないようでカナタは胸を撫でおろす。
しかし尋問未満質問以上の状況は終わらない。
「では、どうやって昨日火を? 焚火の火が燃え移ったなどという嘘はついてくれるなよ?」
「じ、実は……」
グリアーレに気圧されるままカナタは昨夜の出来事を話した。
魔術滓の中に模様のようなものが見える事、今回の戦で漁った魔術滓の模様を繋ぎ合わせた事、頭の中に言葉が浮かんだ事……カナタ自身も訳が分からなかったため答えを求めるように全てを伝えたのだった。
「……信じ難いが」
「っ!!」
グリアーレの言葉にカナタの全身に焦りで嫌な汗が浮かぶ。
カナタが語ったのは全て真実だったが、信じられなかったのであれば嘘をついたのと同じになってしまう。何とか信じて貰おうとカナタは口を開きかけたが、
「お前が見ていたのは"術式"だな」
「……へ?」
意外にもグリアーレはすんなりと信じてくれていた。
それどころかカナタ本人にもわからない事を説明してくれる。
「魔術には使い手がイメージしやすいようにする術式というものがあってな……お前が魔術滓の中に見ていた模様というのはその一部だろう。
同じ魔術の魔術滓ばかり集めて、模様を繋げた結果……お前でも唱えられてしまうくらい術式が形になってしまった、という事、なのか……?」
「そ、そんな自信無さそうに……グリアーレ副団長、大人なのに……」
「大人だからどうした。魔術の事は少しかじっているが……こんなケースは初めて聞く。大人だろうが子供だろうが知らない事には自信がないものだ」
グリアーレは困ったように橙色の髪をかく。
先程までは恐いだけだったが、グリアーレが見せる新鮮な表情にカナタは妙に親近感が湧いた。
「大体、魔力も扱えていない者が魔術など……一足飛びどころの話じゃないぞ。何ステップ無視しているんだという話だ。魔術だろうが他の技術だろうが本来、順序を踏んで学ぶべきだというのに」
「そんな事言われても俺にも何が何だがわからなくて……唱えたら急に寝袋が燃えたんだもん……」
「ああ、それは信じてやる。私は魔術師じゃないから詳しい事は教えてやれないが……」
グリアーレは間を置いて、面倒臭そうにため息をついた。
「何もわからないままでいられるのも困る……これから空き時間は私が魔力の扱い方を教えてやろう」
「はい……え? え!?」
「興味本位でやたらめったらに使われてはいつ問題になるかわからんからな……魔力の扱い方を学んで何とかコントロールしろ。昨夜のような事を起こさないためにもな」
「~~~~!!」
グリアーレの言葉にカナタは歓喜に震える。
魔術滓を通じて夢見ていたロマン、というにはまだ遠いかもしれないが間違いなく第一歩となる提案。
喜びを隠し切れずに口元は緩み、両腕は自然とガッツポーズをとっていた。
「ああ、そうだ。昨夜お前が寝袋を燃やした魔術がどんなものか教えろ。コントロールするべき魔術の事は知っておかないとな」
「えっと、『炎精――ごぶっ!?」
昨夜、頭に思い浮かんだ魔術の名称を答えようとすると、突如グリアーレの蹴りがカナタの胸元に突き刺さる。
正座していたカナタの姿勢は当然崩れ、後ろへと転がって勢いよく壁にぶつかった。
「馬鹿か! わけもわからず唱えて昨夜のような事態になったらどうする!」
「ごほっ! だ、だってグリアーレさんが言えって……!」
「教えろと言ったんだ! 全くこれだから危なっかしい!」
グリアーレは呆れるように二度目のため息を吐く。
だがすぐに真剣な表情へと戻った。
「待て……今言いかけた名称がお前が昨夜唱えた魔術なのか?」
「いてて……え? は、はい……そうです……?」
魔術は威力や効力に応じて五段階に分けられている。
魔術師は通常、魔術を学ぶ際には当然一番下から順番に習得していくのだが、
("炎精"と言い掛けたという事は精霊系統……精霊系統の魔術は最低でも第三域からのはず……。魔力もコントロールできないカナタが唱えられるはずが……どうなっている?)
自らの知識とカナタの状態が噛み合わずグリアーレの眉間に皺が寄る。
しかしカナタが嘘をつこうにも魔術の詳細を知っていなければこの嘘はつけない。
「あの、グリアーレ副団長……!」
「なんだ?」
グリアーレが顎に手を当てて考えている中カナタは足をぷるぷると震えさせながら、壁を支えに立ち上がる。
「足が……痺れて……! これ、どうやって治るの……!?」
「ははは、それが正座の力だ。いい勉強になっただろう? 昨夜のトラブルの罰をこの程度で帳消しにしてやるんだから甘んじて受け入れろ」
「うう……!」
いつもとは明らかに違う両足の感覚。動く度に微弱な電気が走るように辛い。
カナタは心躍る約束を取り付けたとは思えない、生まれたての小鹿のように震えていた。
「とにかく私が呼んだら来い。稽古をつけてやる」
「は、はい……!」
「ああ、それとウヴァルにだけは絶対にばれないようにしろ」
「え? お頭?」
「何だ知らなかったか? あいつは大の魔術師嫌いだ。もしばれたら追い出されるならまだ優しいほう……不用意に魔術を使うなんて事があれば首から上を容赦なくもがれるぞ。そこらの木の実のようにな」
グリアーレの脅し文句にカナタの表情が青褪めていく。
浮かれていた気持ちが一気に地面に叩き落とされたような思いになりながらカナタは部屋へと戻っていった。