31.慣れてきた頃に
「カナタ様ー! おはようございますー!」
「おはようルイ」
ダイニングルームでの殺伐とした出来事から数日後。
カナタは再びディーラスコ家で教育を受ける日々へと戻った。
世話係のルイはカナタの部屋に訪れるなり、落胆を表情に浮かべながら洗顔用のお湯が入った深皿をテーブルに置く。
「ああ……。カナタ様が今日もばっちり起きてらっしゃる……」
「え、寝坊しろって事……?」
「いえ、カナタ様がしっかりなされている事はわかっております……けど、けれどたまには……!
ふふ、カナタ様ったら可愛い寝顔……ずっと眺めていたいですけど起きなければいけない時間ですよ? ほら、カナタ様起きて? みたいな! 年上のお姉さんらしくカナタ様を起こしてみたいんですよ!!」
「ご、ごめん……?」
ルイが何を言いたいのか半分ほどわからず、カナタはつい謝ってしまう。
握り拳を作りながら髪を揺らすその姿には朝とは思えない熱意があった。
「私、お姉ちゃんって呼ばれたい派みたいなんですよね」
「ルイはしっかりして……あっしゅん!」
「まぁ、可愛らしいようなそうでもないような微妙なくしゃみ。大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫」
突然の派閥告白にも動じずカナタはソファに座る。
ルイは湯に沈んでいたタオルをしぼり、カナタの顔を拭き始めた。
本来ならカナタが来た時からこうされるはずだった朝支度だ。
「今日は待ちに待った魔術の授業ですね、注文した教本は本日届くそうです」
「わかった、届いたら部屋まで届けて貰っていい?」
「勿論でございます」
テキパキと着替えも終わらせて、朝支度が終わる。
朝食まで時間に余裕があるくらいだった。
「ありがとうルイ」
「光栄でございます」
朝支度を終えると朝食までルイと喋ってカナタは朝食へ。
ルイは世話係以外の仕事をすべく戻った。
「どうだカナタ、世話係は」
朝食を終えると、シャトランは数日前に処刑しようとした世話係についてをカナタに問う。
あれから数日、色々と報告は受けているがカナタの口から聞く以上の真実は無い。
シャトランが受けた報告の中には正直、信じがたいものもあった。
「とても親切です。すごく助けてくれますよ」
「そ、そうか……」
ルイへの罰は三ヶ月の給金無しの無償労働。侍女長には三ヶ月の減給が言い渡された。本来ならこの程度で済むはずがないが、カナタの説得あってこの程度で済んでいる。
カナタもまたシャトランの課題を守れなかったという理由でロザリンドの作法の詰め込み授業、休日返上で下町でのボランティアなどが言い渡された。
ルイの罰の分散という形でカナタも罰を受けたが、ロザリンドの授業はいずれやらねばらない事、元々平民であるカナタにとって下町でのボランティアは苦ではなく……カナタに罰を受けさせるのは本意ではないシャトランの甘さが少し出ている。
「ご馳走様でした」
「おや、デザートはいいのか?」
「はい、お腹いっぱいですし……ブリーナ先生を迎えに行くのでお先に失礼します」
「そうか、珍しいな。ではしっかりとな」
「はい」
食事を終えたカナタがダイニングルームの扉を開けると、そこにはすでにルイが待機していた。何故か花束を抱えながら膝を突いている。
「カナタ様、ブリーナ先生の馬車が見えたのでお迎えに上がりました」
「ルイ、待ってないで呼んでくれたらよかったのに」
「女性の先生をお迎えに行くという事で庭師から簡単な花束を用意して貰ってきてしまって……お食事の時間を花の香りで邪魔してはいけないかと」
「きっとブリーナ先生喜ぶよ。俺だと花を贈るなんて思いつかない」
「教本も先程届きました。こちらになります」
「何から何までありがとうルイ」
ルイはダイニングルームに向かって一礼してカナタの後をついていく。
そんな様子を見て、ダイニングルームに残されたシャトランとロザリンドは面を食らった顔で、夢から醒めようとするかのように目をぱちぱちとさせていた。
「おい、あ、あれが本当に同じ世話係か……?」
「カナタに聞いても少し話をしただけと言っていて……変われば変わるものですね……」
「喜ばしい事ではあるが……」
そう、改心して世話係としての自覚が芽生えたのはいい事だ。罰も受けたし、数日前の一件はすでに決着がついている。シャトランも蒸し返す気はもう無い。
しかし数日前の夜、何があってルイがあんな風になったのか、その謎が解かれる事は無かった。
「『火花』」
『水球』の魔術でブリーナ先生もろともびちょびちょにした事を怒られて以来の魔術の授業。
ブリーナ先生が来るまでに練習していた魔術をカナタは見事唱える。
一瞬、空中に火花が舞った。制御も完璧で、『水球』のような失敗もない。
「素晴らしいです、よく練習しましたね」
「こ、こんな所に未来の大魔術師……!? と思ったらカナタ様! まさかこんな所にいらっしゃるなんて!」
「うん、俺の部屋だからね。持ち上げてくれてありがとうルイ」
ブリーナとルイの拍手に少し照れくさくなるカナタ。
時間を見つけて練習した甲斐があったというものだ。
「あの使用人はどうしたのです?」
「ちょっと色々あって。子犬みたいで可愛いでしょう?」
「カナタ様がいいならいいのですが……」
照れつつも許容しているカナタにブリーナは感心する。
ブリーナからすれば褒め殺しで集中を邪魔しているようにしか見えないのだが、カナタは納得している上にルイも完全な善意らしい。
この数日で一体何があったのだろう、とブリーナは事情を聞きたくてそわそわしてしまう。
カナタの家庭教師になってから驚かされる事ばかりだ。飽きませんね、とブリーナは小さく微笑んだ。
「それでブリーナ先生、少し相談したい事があるのですがいいですか?」
「はい、なんですか?」
「父上に功績を一つ作れと言われていて……父上は新規魔術の開拓と術式の改造を例に挙げていたのですが、新規魔術はともかく術式の改造というのは具体的にどのような事を言うのでしょう?」
ルイが作った空気の中、真面目なカナタの質問に逆に驚いてしまうブリーナ。
そういえば素直で真面目な子だった、とカナタの性格を思い出してわざとらしい咳払いをする。
第一域の魔術を何とか唱えられるようになってきた今、シャトランに出された課題についてがどういうものかを具体的に知っておきたいとカナタは思っていた。なにせ他より時間がないと急かされているのだから当然だった。
「まず魔術師はほぼ例外なく、基本の術式をベースにして自身の使いやすい形になるように手を加えています。ある者が火の魔術を使えばそれは他よりも大きく、またある者が使えば剛弓のように遠くへと。
この微妙な違いが魔術師の個性であり、第一域はベースが簡単なので特に個性が出やすいのが特徴となっております」
「俺の『水球』が大きいみたいな?」
「あれは大きすぎなので反省してください」
「ごめんなさい」
使い手がコントロールできずにびしょびしょになる魔術など使い物にならない。
魔術の家庭教師としてブリーナの言葉はもっともだった。
カナタを軽く叱りながらもブリーナは説明を続けてくれる。
「術式の改造というのは言葉通り、その個性で収まらないほど術式を書き換えてしまう事ですね。簡単に例を挙げるならば、雷の槍を三ツ又の槍にして形を変えたり、水の馬に羽根を生やして滑空を可能にしたりと。
既存の魔術とは明確な差異を持つほどいじられたものが術式の改造と言われます」
「あ、名前を変えたりとかもですか?」
ダンレスとの決闘の最後、カナタは自分が魔術の名前を変えて使ったのを思い出す。
あれが術式の改造にあたるのならば、案外この課題はクリアしやすいのではないだろうか。
そんな風に期待しながら聞くと、ブリーナは生温かい笑顔を浮かべた。
「カナタ様、名前とは世界と個を分かちその存在を示す根幹にしてもっとも強固な部分です。ないとは言いませんが改造とは別の事情ですし、何よりも難易度が別物なので一先ずは忘れましょう」
「え……は、はい……」
では、自分が唱えたあれは何だったのだろうか?
やった事があると言いたかったが、あの時は昂ってて意識も朦朧としていたのもあって……ブリーナにそう言われてしまうと言い出しにくい。
それに正直、もう一度出来るかと言われると自信が無い。
やってみせろと言われて出来なかったら、と考えてカナタは口をつぐんだ。
「ちなみに先生は何かされたんですか?」
「ふふ、私は水をベッドの形に固定する魔道具を開発しました。魔力を溜め込む宝石が無いと起動しない高価すぎる商品ではありますが……あの魔道具に組み込んだ術式だけは私の生涯の中でも傑作といってもいいでしょう」
「そ、そんな事もできるんだ……!」
珍しく鼻高々に自らの傑作についてを話すブリーナにカナタは尊敬の眼差しを向ける。
カナタのそんな眼差しがあまりに真っ直ぐでブリーナは緩む口元を隠してた。
淑女たるものそんな風にだらしない笑みを浮かべてはいけないと自分を律する。
「いいな、すごく涼しそう……うっくしゅん!」
「まぁ、大丈夫ですか?」
「ご、ごめんなさい。涼しそうって水のベッドを想像してたからですかね」
「……いえ、カナタ様……もしや……」
「え?」
「失礼します」
ブリーナは鼻をすするカナタの額に手を当てる。
魔術の授業中は毎回興奮しているからか気付かなかったがこれはまさかと。
「そこの使用人! シャトラン様に医者を呼ぶようにと!」
「は、はい!」
慌てるブリーナとルイの声が聞こえた瞬間、カナタの視界が揺れた。
そういえば今日は起きた時からくしゃみが出たり、寒気がしてデザートが食べたくなかったり。
「あ、れ……?」
何か変だな、と思った時にはカナタは目を閉じていた。