23.生徒カナタへの印象
「失礼致します」
「ご苦労だったブリーナ夫人」
授業を終えたブリーナは即座にシャトランの下に訪れた。
普段執務室に訪れないロザリンドもすでにソファに座っており、ブリーナは二人に礼をする。
ブリーナが執務室に案内されるとシャトランが使用人を退出させるように促し、執務室は三人だけとなった。
「それで? カナタはどうだったかね?」
基礎教育もそこそこにカナタの魔術の授業を優先させたのはカナタの事情を考えての事だけではない。
ダンレスの決闘後、カナタは自分の魔術についてをラジェストラやシャトランに語った。それはあまりに異質な経緯。
今回魔術の授業を優先させたのは魔術師を教える立場から改めてカナタの素養を確認し、異質な経緯で得たカナタの魔術についてを見極めてもらう為だった。
「シャトラン様、先に謝罪させて頂きます。詮索をするような問い方になってしまいますが、先程の授業を通じて抱いた私の純粋な疑問です……あの子は一体どうなっているのですか?」
才能を讃えるでもなく、覚えの良さを褒めるでもなくブリーナの問いには困惑が込められていた。
普段は立場を弁え、詮索などしないブリーナのその様子が答えを物語っている。
「そんなに珍しいのですかブリーナ夫人?」
「珍しいなどというものではありません!」
魔術師ではなく、魔術界隈にも疎いロザリンドが問うとブリーナは声を荒げる。
ロザリンドはブリーナらしからぬ声の荒げ方に面を食らい、一瞬声が出てこなかった。
彼女がこんな取り乱すなど、ロザリンドはここ数年見た事が無い。
「も、申し訳ございません。どうかお許しを」
「許します。あなたがカナタの何に心を乱されているか主人に説明して下さるかしら?」
ロザリンドはブリーナの謝罪を受け入れ、即座に話を戻す。
「第二域どころか第一域の魔術を全て知らないというのに、第三域の魔術は事も無げに唱えてみせて……普通ならば有り得ません。魔術とは段階を踏まなければ次に進めず、だからこそ第三域で大半の魔術師が止まるのです。
第一域の術式を基盤にして第二域、第三域と重ねながらその術式を記録し、成立させていく……そうして一部を失伝させながらも魔術師は魔術の歴史を築き上げてきたのですから」
「やはり、ブリーナ夫人から見ても、か」
魔術の上達とは階段を昇る事に例えられる。一階から二階へ、三階へと。
魔術師の成長は一段ずつ地道でなければ成立しない。第一域の術式を基盤にして第二域以降の術式を記録し、描き、時に改変しながら、ようやく現実に成立させるのが習得の基本。その地道な階段を昇るのが速い者を天才と呼ぶ世界だ。
しかし――カナタは天才とすら呼べない。
第一域から第三域を尋常ならざる速度で習得する天才はもしかしたらいるのかもしれない。だが第三域から始める魔術師などいるはずがない。
例えるならばカナタは玄関から三階にワープしている。だから一階と二階に何があるかもわからない。
魔術師としての基盤ができていないはずなのに、何故か成立してしまっている。
あまりに異質。木がないのに空間から葉が生えて木と言い張っているかのような。
魔術師を教えるブリーナは、カナタのその歪さに興味と恐怖を覚えた。
「ブリーナ夫人、これはカナタ本人が語っていた事だ。聞いてくれたまえ」
動揺を隠せないブリーナに、シャトランはカナタから聞かされた魔術の習得の経緯を話す。
それを聞いて、ブリーナは口元に手を当てた。
「魔術滓、から……残ってる微かな術式を……? そんな、馬鹿な事が……理論上は、術式の記録を直接……ですが精神への負担が……。あの子の器はそれに耐えうる耐久性……? それに、欠けている部分を自らで仮想構築しなければ……。効率など当然……いえ、効率が悪すぎるからこそ誰も試せなかった……?」
ぶつぶつと仮説を立てるブリーナ。
すでに一線から離れたはずの魔術師の血がそうさせるのか。
「夫人の言う通り、カナタの魔術の習得方法が異常なのかただ遠回りの末辿り着いたのか……ラジェストラ様でさえわからぬのだ」
「シャトラン様……私のような凡人では手に余ります。どうかアンドレイス家専属の魔術師に要請を」
「そんな事は無い。わからぬからこそ、カナタにはまず基礎が作ってやって欲しい。判断材料に足り得る基盤を作ってやった上で改めてカナタを見極めたい。その点においてあなたが適任なのだブリーナ夫人」
ブリーナは意を決したように顔を上げる。
「……シャトラン様、あの子はもしかして"領域外の事象"ですか?」
「わからぬ。それを確かめるためにも、ブリーナ夫人が必要だ」
「……承知致しました」
見るからに自信が無さそうなブリーナ。
普通の魔術師の卵を見るのならば、当然自信はある。
しかし、先程部屋で第三域の魔術を当たり前のように使われた光景がフラッシュバックした。
自分はこの感情を隠したままただの子供に接するようにこれから先も授業が続けられるのかどうか。
「カナタがどんな存在かはどうでもよいのです。カナタは今日の授業をどんな風に過ごしていましたの?」
シャトランとブリーナの間に出来た疑念にも似た雰囲気をロザリンドがぶった切る。
ブリーナはわざとらしく咳払いをして自分を落ち着かせ、ロザリンドのほうに向き直る。
「素直な子でしたので授業はとてもスムーズに行われました……すでに第一域の魔術を一つ習得しており、筋はいいと思われます。基礎学習が終わり、文字が読めるようになればさらに授業にも身が入る事でしょう。魔術師に向いている子だと、私は思いました」
「そうですか、ブリーナ夫人がそう仰るのならば安心ですわね……ブリーナ夫人、彼はまだ子供です。いいですか? 彼は私達が引き取り、育て、正しき道を示すべき子供なのです」
毅然としたロザリンドのその姿はまるで光が差し込むようだった。
ロザリンドにとってカナタの力が異常かそうでないかなどどうでもいい。
母となった以上、子であるカナタがどう過ごせたかのほうが重要である。
目先の異質さに囚われて、カナタがどんな子供であるかを無視しては教育などできるはずもない。
少なくとも今日の授業の中、カナタはよく話を聞き、わからぬ事は質問をして、最後まで模範的な生徒だった。
ブリーナはロザリンドの言葉に気付かされ、取り乱していた自分を正す。
「お任せてしていいですね? ブリーナ夫人?」
「勿論ですロザリンド様。カナタ様の魔術教育……このブリーナにお任せ下さい」
深く、深くブリーナは頭を下げる。
ここに魔術学院入学までカナタの魔術教育を支える家庭教師が決定した。