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第二十一話「連休中の過ごし方(7)」

 ゴールデンウィーク最終日は生憎と朝から雨だった。

 しとしとと降る雨の音を聞きながら、肌寒さを感じクローゼットのなかから薄手のカーディガンを取り出して羽織る。

 天気予報通りなら昼過ぎには止むはずなのだが、雨脚こそ強くないものの分厚い雲に覆われた空を見るかぎりあまりそれは期待できそうになかった。


 どうしようかな。


 特別何か予定があったわけではない。

 昨日の疲れが地味に残っているし、明日からはまた学校が始まる。幸い、持ち帰った仕事も連休明けからの授業の準備も(つつが)なく終わっていて、急いでしなければならないことも特に思いつかない。


『雨だな』

「そうね。今日はもう止まないかも。……どこか出かけたかった?」


 私の問いかけにヴォルフは小さく首を振る。

 犬カフェにドッグランにとヴォルフを連れ出してわかったのだが、彼はあまり外出は好きではないようだ。より正確に言うと、私と他の誰かを交えたお出かけが、だ。

 散歩は大好きだし、他の動物がいることも気にしないが、私以外の人がいるとあまりヴォルフと話すことができないのでそれが不満らしい。昨日帰ってきたときに“他のヤツがいると莉佳を取られてつまらない”とぽつりと呟いていた。


 打ち解けたのかな、と思う。


 ヴォルフは会えばいつも私への好意を口にするし、そばに居られたら嬉しいと態度で伝えてくれるが、自分の要望のようなものを言ったことはない。

 このお預かり期間のお出かけも“莉佳と一緒なら嬉しい”と言うだけで、自分のしたいことも、不満やわがままも、何一つ口にしないのだ。それはもちろん私への遠慮もあるし、ヴォルフの性格もあるのだろう。

 実際、出会ってから彼が私を困らせるのは私へと向けるその感情だけだ。


「夕方には恭くん帰ってくるね。会えなくて寂しかった?」

『寂しくないことはないが……ご主人が合宿や遠征で数日留守にすることはときどきあるから慣れている。それに、今回は莉佳と一緒に過ごせたからな。寂しいより、楽しいが勝っている』

「僅差でしょ」

『……そこまで僅差じゃない』


 図星だったのか、少し目が泳いでいる。

 ヴォルフが恭くんのことを大好きなのは知っているから別に隠さなくてもいいのに。 


『莉佳はどうしてペットを飼わないんだ? 犬も猫もよく拾うんだろう?』

「うーん。どうしてって言われてもなぁ。……あと、そこまでよく拾うわけじゃないから」

『拾われて、そのままお前と家族になりたがったヤツはいないのか?』


 そう言えばいないな。

 迷子は基本的に飼い主さんを探すし、捨てられてしまった子は心身の状態に合わせて知り合いのボランティアさんを頼ったり、昔からお世話になってるNPO法人に任せたりしているので、そこまで私だけでなんとかしているということはない。

 一時的に家で面倒を見ることは度々あったが、相手から“このままここにいたい”と言われたことはなかった。


『なら、拾ったヤツに“ここにいたい”と言われたらどうする?』


 断るだろう。

 他にあなたを幸せにしてくれる人がいると諭して、私はあなたの家族にはなれないと伝えて……当たり前の“飼い主とペット”になってくれることを望んでしまう。


「……私はそこまで動物に好かれたりしないから。言葉がわかるから話しかけてくれる子が多いだけよ」

『好きじゃない相手に話しかけたりはあまりしないと思うぞ』

「そうかな」

『それにお前は自分で思っているよりも間違いなくお人好しだぞ。莉佳が……自分のもとにいたいと言う相手を拒絶する姿は想像がつかない』


 小さいときからずっと動物(かれら)との距離感がわからなかった。

 姿形が違うだけで、ほとんど人間と変わらず意思の疎通ができる。私にとって“動物が好きなの?”という質問は、人間が好きなのかと訊かれるようなどこか奇妙さを感じさせるものだ。

 動物だから好きなわけじゃない。人間だから好きなわけでもない。

 いい人も、悪い人もいる。

 それは人間も動物も変わらないと知っている。困っている相手がいたら、助けを求めている相手がいたら、自分にできることをするだけ。


「ほら、情けは人の為ならずって言うじゃない? 巡り巡ってなんかいいことが自分に帰ってくるかもしれないし」

『莉佳は“いい人”は嫌なのか?』

「え、うん。……うーん」


 今日はずいぶんと踏み込んでくるじゃないか。


「別にいい人って言われることが嫌なわけじゃないわよ。ただ、自分が……あー、なんて言ったらいいんだろ」


 動物の言葉がわかることを誰かに言ったことはない。

 むしろ言ったことはないどころかバレないように必死で隠している。

 だから、彼らの言葉がわかるからしている行動を、さも私が動物愛護の精神に溢れた善人であるように受け取られるのは騙しているかのような居心地の悪さを感じてしまう。

 それは秘密を持っていることに対する、ある種の後ろめたさなのかもしれない。


 もしも、動物の言葉がわからなかったら。


 果たして私は笹塚先輩たちのように動物のために何か行動をしただろうか。苦しんでいる、助けを求めている、その小さな生命に気づくことができるだろうか。

 そんな問いに、自信を持って答えることのできない私は……だから、決して“いい人”じゃないと思っている。

 私は、優しくなんてない。


 ぽつりぽつりと語る私の言葉をヴォルフは静かに聞いてくれた。

 誰にも言ったことのない心の内側は、自分で思っていたよりもどこか暗くて、聞いていて楽しいものではなかったはずだ。

 実際私が聞かされる側だったら反応に困っただろうし、そんな時間を気まずく感じたかもしれない。

 それでも、ヴォルフはただ私のそばにいてくれた。


「ね? 別に優しくなんてないでしょ?」

『莉佳の考えはわかった。だが、俺には莉佳の行動が“動物(おれたち)の言葉がわかる”という理由からのものであったとしても、その根底にあるのは優しさだと思う』


 “そもそも優しくないヤツは誰かを助けようとなんて思わない”と続けられた言葉に、それは優しくないヤツではなく、嫌なヤツなのではないかとも思ったが口には出さなかった。

 ヴォルフのそれがただの慰めではなく、彼の心からのものだとわかっているから。


「ありがとう」


 優しいのはヴォルフの方だ。

 でも、それも口には出さなかった。



   ◇◇◇



 鈴城邸まで送るつもりでいたのだが、恭くんは律儀にも我が家までヴォルフを迎えに来てくれた。


「ありがとうございました、莉佳さん」

「ううん。私もヴォルフと過ごせて楽しかったから気にしないで」

『俺も楽しかった』

「恭くんこそ合宿はどうだったの?」


 恭くんの口から語られたサッカー部のハードスケジュールっぷりにちょっと衝撃を受ける。

 私はこれまで運動部に所属したことはないのだが、そんなにハードなものなのか。信じられない。学生時代愚痴を言いまくっていた体育祭の練習なんて目じゃないどころか、比べるのも烏滸(おこ)がましいレベルだった。


「あっ、ヴォルフの写真もありがとうございます。すごい楽しそうですね。ドッグランには俺も連れて行ってやりたかったので。よかったな、ヴォルフ」

『ああ。今度はご主人も行こう』

「予定が会えば今度は恭くんもどう? 年上ばっかりだけど、みんな犬好きで楽しい人たちだからよかったら。たぶん、二か月に一回は集まってるよ」

「ありがとうございます。予定立てるときは教えてもらえますか?」

「もちろん」


 今回のお預かりで恭くんとはLINEを交換している。犬カフェやドッグランの写真もLINEから送ったのだが喜んでもらえたようでよかった。

 でも、誘っておいてなんだが恭くんって今年受験生なのでは?


「じゃあ帰ろうか、ヴォルフ」

『ああ。……莉佳、ありがとう』

「ヴォルフ、五日間一緒に過ごしてくれてありがとね」

「莉佳さん、本当にありがとうございました。またお礼に伺います」

「そんなに気にしないで。じゃあ、恭くん、ヴォルフ、またね」


 “またな”と応えて帰っていく二人の背中が見えなくなるまで見送ってから、私は部屋のドアを閉めた。

 終わってみれば、長いようで短かった連休は私が最初に想像したものよりもずっと楽しくて、騒々しいものになったことにどこか満足感を感じながら。


 さあ、明日からまた仕事頑張ろう。





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