狂気のおじいちゃんとおまんじゅう

作者: XI

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 母方のおじいちゃんはお菓子作りが趣味である。(よわい)八十を迎えたのだが、いわゆる、カクシャクとしている。カクシャク。小五のぼく――それなりに聡明なぼくでもギリ知っている素敵な言葉だ。そう。ぼくのおじいちゃんはまだまだ元気だ。


 ――だったはずだった。



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 おじいちゃんは胃の癌で、ずっと先を危ぶまれていたらしい。おじいちゃんはお母さんのお姉ちゃんの家で――言い方はアレなのだけれど、面倒を見られることになった。ホスピス的なところよりは勝手がいいだろうと親戚一同が気を遣った結果である。おじいちゃんはなにも言わなかったらしい。ニコニコニコニコ笑って、「すまんなぁ、宏子(ひろこ)(おばの名)」と言ったらしい。ぼくのおかあさん(佳子(よしこ))はおばさんと一緒になって泣いたらしい。てっきり癌のことがかわいそうだと感じて泣いたものだと思っていたのだけれどそうではなく、もっと具体的に「かつてあれだけ怖かった父親が弱ってしまったこと」について、それはもうえらく心が揺さぶられるくらい落ち込んだらしい。



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 ぼくはもうそろそろ死んでしまうニンゲンというものに興味があって――もちろん、そんなことは口には出さないまま、近所だったので、おじいちゃんのもとに日々、足しげく通った。特に放課後のことだ。友だちの遊びの誘いすら断った。それくらい死にゆくニンゲンを見届けたかった。おじいちゃんは介護用ベッドの背を起こして、「やることがないんだ」とたびたび笑った。本を読んでいた。「最近の本はいかん」などと意味不明なことをのたまい、「銀河鉄道の夜」ばかり読んでいた。おじいちゃんが死んだら読んでもいいかなと考えた。おじいちゃんが生きている限りは、おじいちゃん自身がぼくの一番の興味の対象だ。


「マサルはどうしてじいちゃんのところにばかり来るんだ? つまらないだろう?」

「正直に言うね? ぼく、おじいちゃんが死ぬところを見たいんだ」

「看取りたいということか?」

「違う。どんなふうに死ぬかを見たいだけ」


 おじいちゃんは大笑いした。ぼくはびっくりした。おじいちゃんが大笑いしたからではない。おじいちゃんがベッドから、身軽に下りたからだ。ぼくはほんとうに、目を見開くくらい驚いた。


「散歩をしよう、マサル」

「だめだよ。おじさんもおばさんも、おばあちゃんもいるんだよ?」

「おまえはいつも冷静だな、マサル。美徳としなさい」

「そんなこと、いまはどうでもいいと思うんだけど?」

「こっそり行こう。じいちゃんの最後の散歩に、付き合ってくれ」


 おまえが最後の同志だ。

 そのときにはまだ、おじいちゃんのその言葉の真の意味がわからなかった。



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 頭がくらくらするよ。そんなふうに言いながら、おじいちゃんはぼくと並んで歩く――わけでもなく、とっとと先に進むと先を行く。むかしからそうだった。お正月、みんなで初詣に出かけるときも、おじいちゃんだけはさっさと前を歩いた。一緒に歩くことを嫌うような性格ではないと思う。ただ単純にせっかちなのだ。


 おじいちゃんが眼下の川を眺めている。ごつごつとした茶色い土や岩が目立つ崖のような風景だ。まだラッキーという名の老犬が生きていた頃、おじいちゃんとラッキーと一緒にこのあたりを散歩したことが思い出される。「じいちゃんももうすぐラッキーのところに逝くんだな。また一緒に散歩をしよう。待ってるぞ、マサル」――他意はないのだろう。あるいはジョークを言ったつもりなのかもしれない。ぼくは苦笑いを浮かべることくらいしかできなかったけれど。


 公園にまで至った。緑の芝が夕日に映える。朝野球等に使われる球場がある広い公園だ。おじいちゃんは東屋の椅子に座ると、ぜーぜーはあはあとひどくつらそうな息をした。さすがに心配になる。持たされているケータイからLINEで連絡を入れ、おばに迎えに来てもらおうかと思う。それを察したのだろう。おじいちゃんは右手を前にぱっと広げ、「だいじょうぶだ。帰れる」と力強く言った。


 ぼくたちが信じられない光景を目にしたのは、そのときだった。


 高校生くらいだろう、黒い学ランを着た男子らが、ボウガン、そう、ボウガンだ、それを使ってなにかを撃っている。追いかけて、撃っている。命中したのが見えた。たぶん、左脚だ。貫いた。むくむく太ったいかにものろそうなぶち猫だ。さらに撃とうとしていて、それどころか、なにやら紐を使って両脚を縛りだした。動けなくして殺す――そう、殺すつもりだ。芝生の上で横たわるしかない猫が感じている恐怖の程度なんて想像したくもない。


 ゆるせない。ぼくが「やめろ!」と叫ぶより早く、おじいちゃんが駆けだしていた。走る速度は、おじいちゃんのほうがずっと速い。制止の言葉を発することもなく、おじいちゃんは男子の一人に軽やかに鮮やかに飛び蹴りをかました。残り二人に拳を浴びせ、仰向けに倒れた一人の上にゆぅっくりと馬乗りになった。狂ったみたいにして、がんがんがんがん両手で顔面を殴りつける。残り二人は逃げてしまった。ぼくはまず猫の戒めを解き、それから力なくぐったりとしたままの猫を抱き締めながら、「おじいちゃん、殺しちゃだめだよ!」と叫んだ。おじいちゃんはハッとしたように動きを止め、それから「ああ、前途ある若者は殺しちゃいかんなぁ」と言い、妖しく笑んだ。



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 ぶち猫はおばさんの家で飼われることになり、「にゃーこ」と名づけられた。おじいちゃんが小さな頃に日々を共にした思い出の名前らしい。にゃーこはいよいよ癌で身体の自由が利かなくなったおじいちゃんのベッドの足元でいつも丸くなっている。おじいちゃんの話を聞く仲間が一匹増えたというわけだ。


 ぼくは好きなアニメをタブレットで観ていて、おじいちゃんは思い出した頃に「マサルは未来人だな」と笑った。


 そして、あるとき、唐突に、おじいちゃんは打ち明けた。


 「じいちゃんはな、特攻兵になり損ねたんだ」


 ぼくは顔を上げ、立ち上がり、おじいちゃんの顔を覗き込む。もはやすっかり落ち窪んでいるのだけれど、瞳はこの上ない優しさと立派な力感に溢れていて。


 「もう何十年も前になる。だけどじいちゃんはな、同志と呼べる仲間と一緒の道を歩みたかった。アメリカ野郎の船に突っ込んでやって死にたかったんだ」


 アメリカ野郎。

 まるでレガシーな語句だ。


 「じいちゃんはもう近々飛行機に乗ろうという段になって、同志にまんじゅうを振る舞ってやりたいと申し出たんだ。じいちゃんの実家は青森で和菓子屋をやっていた。老舗と言っていい名店だ。理解のある上官でな、最後だからということで、材料と道具を揃えてくれた。じいちゃんが作ったまんじゅうを、みんな、うまいうまいと言って、泣きながら食べてくれた。それはそうだ。明日にも死のうというんだ。そんな中にあっての滅多に見ない甘い物だ。そこに感動が生まれるのも当然だ。だけどな、マサル、じいちゃんたちは死ねなかった。死に損ねてしまったんだ。突然、戦争が終わってしまったからだ」


 おじいちゃんは顔を両手で覆い、泣きだしてしまった。


 「みなと死にたかった。それができなくなってからのじいちゃんの人生は意味のないものだった。ほんとうに、意味のない人生になってしまった」


 ぼくも涙した。いい年こいた老人が泣く場面に出くわすなんて初めてのことだから、驚愕と悲しみと感動が入り交じった涙を流すことを強いられた。


 「でもさ、おじいちゃんがいなかったら、ぼく、この世にいないじゃんか」


 おじいちゃんが顔を覆うのをやめ、ゆっくりとぼくのほうを向いた。


「ぼく、いま、それなりに楽しくやってるから。おじいちゃんにも感謝してるから」ぼくは仰々しくおじいちゃんにお辞儀をした。「ぼくにとって、おじいちゃんはヒーローだよ、とってもカッコいい」そしてぼくは顔を上げた。「おまんじゅう、もう作れない?」


 おじいちゃんはきょとんとしたのち、「作れるさ」と笑った。


 にゃーこが「なあぁん」と間の抜けた鳴き声を発した。