Chapter 1「湖畔の町再訪」
ウィンキーの町を出発して2日。
早くも以前に立ち寄った湖畔の町、サルナスが近付いてきた。
赤茶けたアリゾナやニューメキシコの砂漠とは異なり、土は湿気を帯びて葦などの草が生えている青と緑に覆われた美しい光景が広がっている。
遠くに青く輝く湖が広がり、その縁には白い大理石で作られたサルナスの町の城壁がキラキラと太陽の光を受けて反射していた。
「良い景色だな。外に出て風に当たっても良いか?」
「止めておいた方が良いと思います。振動もエンジン音もないから分かりにくいですが、今の走行速度って時速80kmです」
「えっ?」
モニター越しに景色を見ていたウィリーさんに俺は運転席のコンソールに表示されている速度表示を見せた。
「荒れ地だと時速30kmくらいに減速して、なるべく平らなところを走るようにはしてますが」
「それすら気付かなかったんだが。新幹線並みに速度感がないな。せめて窓が開けば良かったのに」
「窓がないのはNBC対策なんだと思います」
「NBCって?」
「Nはニュークリア、核による放射能。Bはバイオ、細菌やウイルスなどの生物兵器。。Cはケミカル、毒ガスなどの化学兵器対策」
「何と戦うつもりなんだこの装甲車は?」
「何なんでしょうね」
そう言っている間に無事にサルナスの町の城門周辺に到着した。
徒歩はもちろん馬車と比べても速すぎるので旅としては味気ないが、その分楽なことは楽だ。
ただ、装甲車は馬車と比較しても二回りは大きいため、町の中を走行させることも、駐車させることも出来そうにない。
仕方なく適当な空き地を見繕って停車させる。
「今日はここで一泊。明日は食料品と日用品の買物を行ってもう一泊。明後日には出発予定です。出来れば日雇いの仕事で小銭稼ぎもしたいところですが」
モリ君とハセベさんに分けて管理を任せている予算から、今回の町での滞在費を小遣いという形で各個人へ渡していく。
「この人数だと全員が同じ宿に泊まるってのは難しいと思うので、それぞれ予算内で宿を探してください。食事も好みで好きなものを。もちろんお金は有るだけ使っても良いという意味ではないので、余った分は後で返金してください」
さすがに10人全員の行動を管理するのは大変なので、各個人の裁量で動いてもらうのが一番だろう。
渡した分だけ全部酒に変えそうな約1名を除いてはみんな良識があるので、そこまで無駄遣いはしないはずだ。
「前に屋根の上に避難させた人達がいたのを覚えているだろう。あの人達の店に行こうと思うんだが、さすがにこれはOKだよな。少しでも町の復旧のための還元をだな」
カーターが俺の表情を伺いながら確認を取りにきた。
酒場に行くのがそれほど後ろめたかったのか。
「各個人の裁量の中なら特に何も言うつもりはないぞ。それに、そういう理由があるならむしろ俺達も行った方が良さそうだな」
「でも、あの酒場は酒以外なかったみたいだからな。頼めば水と軽食くらいは出してくれるだろうが」
「それは流石にちょっと……子供達もいるし」
酒を飲めない小学生も含む未成年で大挙して訪れても他のお客さんもいるだろうし、迷惑だろう。ここは諦めよう。
「それならばワシも行こう」
「私も興味があるな。この世界に来てから酒とはすっかり縁も切れていたし、久々に酔いたい」
タルタロスさんとハセベさんもカーターの話を聞いて興味を持ったようだ。
「大人組は酒場と」
「オレは大人組だけどパスだ。ガーニーと2人で一緒に町をブラブラとしてくるわ。宿も適当に探してくる」
ウィリーさんとガーネットちゃんはそう言って装甲車から出て行こうとするので、慌てて声をかける。
「ガーネットちゃんの中の人は中学生だということをお忘れずに」
「忘れてねえよ!」
2人とも年齢のことを完全に忘れてそうで怖いのだが。
もし、未成年に手を出してポリスメン沙汰になっても俺は全く責任を取るつもりはないので、ちゃんと節度は考えてほしい。
「残るはいつものメンツだけど、俺はレルム君、ドロシーちゃんの3人で何か食べに行ってくるよ。モリ君とエリちゃんは悪いけど2人だけで出かけてね」
「ラビさんも俺達と一緒に行きましょうよ」
「前は祭りが中途半端なことになっちゃただろう。だから、今度こそ2人で出かけてくるといいよ」
「でも……」
何か言いたそうなモリ君とエリちゃんの2人を半ば無理矢理送り出した。
人数も増えたし、子供達がいるとどうしても親としての行動を求められて、以前のように2人だけでゆっくりとも行かないのだから、今度こそ楽しんできて欲しい。
「じゃあ2人とも、前回の祭りの続きだ。どこかに何かを食べに行こう。ご希望は?」
「カレー」
「カレーはさすがにないかな……」
「僕はクリームコロッケが良いです。久々に食べたいので」
「そちらはギリギリありそうかな?」
俺は2人の手を繋いで歩こうとして、違和感に気付いた。
久々に食べたい?
2人のオリジナルは既に死んでおり、ここにいるのはオリジナルの情報から作られた人造人間だ。
最低限の知識は持っているようだが、記憶についてはその保証外だ。
料理の名前は知識として知っていても、食べたという記憶まで出て来るわけがないのだが。
「ドロシーちゃん、カレーってどこで知ったんだい? 誰かに聞いた?」
「前にうちでママが……あれ? ママ……」
ドロシーちゃんが頭を抱え始めた。
「レルム君もクリームコロッケをどこで?」
「僕も家で……あれ、家?」
今の何気ない会話ではカレーとクリームコロッケという、オリジナルが日本で食べたという記憶を、本人達は引き出した。
もしかすると、オリジナルの記憶が多少なりとも受け継がれているのだろうか?
俺は不安そうな顔をしている2人に手を伸ばして抱き抱える。
「もしかしたら今日は希望のメニューはないかもしれないけど、代わりに何か美味しいものを食べよう。カレーもクリームコロッケも後で俺が作ってやるから」
「本当に?」
「師匠が作ってくれるんですか?」
「ああ。何か記憶の底に残っている食べ物を食べれば、忘れている何かを思い出せるかもしれない。だから、2人ともしばらく頑張ってみよう」
2人を日本へ帰すことに若干の不安があったが、オリジナルの記憶を呼び起こせるならば、少しは希望が見えて来た。
日本へ帰るまでは3か月しかないが、やれるだけのことはやってみよう。
◆ ◆ ◆
町の中はそれなりの賑わいを取り戻せていた。
幸いなことにイモリ人間は人間を傷つけることは出来ても、建物を破壊するようなパワーはなかったようなので、町の破壊は最小限で済んだようなので、商店などは無事に営業を再開している。
それでも何となく活気がないのは、今でも町中を武装した兵士が走り回っていることが関係しているのだろうか?
あちこちの飲食店を見て回ったが、流石にカレーもコロッケもないようなので、開いていた適当なレストランに入った。
町のあちこちを流れている水路を眺めながら食事が出来る、いかにも観光客向けのオープンテラスだ。
「なかなか良い雰囲気じゃないか。肩肘張る感じじゃなく良い」
出てきたのはクリームシチューのような料理とパン。
カレーとクリームコロッケには微妙にかすっているものの、やはり何か違うのだけが惜しい。
だが、今日はこれで妥協してもらおう。
「こういうレストランでは皿は持っちゃダメだぞ。スプーンで一口ずつ食べる分だけをすくうんだ。パンは口で直接噛み千切らずに手で一口分をちぎって食べる」
「シチューにパンを浸けるのは?」
「高級レストランだとマナー違反だけど、こんな感じの店でなら気にしなくていい。カリカリのパンは漬ける方が食べやすくなる上に美味いぞ」
せっかくなので、レストランに来た時の食事のマナーも教えておく。
またやることが増えてしまったが、これは仕方がない。
この子達が日本へ行った後の生活で困らないように色々と教えておかないといけない。
「ラビちゃんってママみたい」
「先生と呼びなさい」
「ラビちゃん先生」
「分かればよろしい。せっかくなのでデザートも注文しよう」
追加の注文をしようと店員を呼ぼうとした時に、鎧を身に纏った兵士が近付いてきた。
「貴女は、以前にお世話になった……」
名前は憶えていない……いや、そもそも聞いてもいないので思い出す以前に知らないのだが、顔はなんとなく見覚えがある。
以前にイモリ人間と戦った時に共闘したこの町の衛士の中の1人だ。
「この町に戻ってこられていたのですか?」
「ええ。ただ明後日には発つ予定ですが」
「そうなのですか。実は、またボクラグどもの動きが活発になっていて、出来れば手助けをしていだけたらと思い、声をかけたのですが」
ボクラグというのは以前にこのサルナスの町を襲撃してきたぶよぶよとして手の平に水かきと吸盤を持つ二足歩行のイモリ人間のことだろう。
ボクラグだのトカゲ人間だの、みんな好き放題の呼び名で呼ぶから、一瞬何の話か分からないので困る。水棲の爬虫類はイモリなのだからイモリ人間で良いではないか。
「あまり長居は出来ないのですが、少しならば力になれるかもしれません。明日一度話を伺わせていただいてよろしいでしょうか?」
「はい、その旨伝えておきますので、明日に軍の詰所までいらしてください」
兵士はそれだけ言うと巡回の仕事がまだあるからと去っていった。
日銭くらいは稼げるかもしれないと思っていると、兵士と入れ替わりにモリ君とエリちゃんがやって来た。
オープンテラスなので目立つのだろうか?
「2人とも食事は?」
「済ませてきました。久々にしっかり肉を食べましたよ」
「やっぱり肉は美味しいよね」
「どんな感じの料理?」
「塩で焼いただけのザ・肉って感じの肉料理です」
経過時間考えるに、2人は本当に肉を食べた以外は何もしていないのだろう。
特に関係が進展したとかそういうのはなさそうだが、2人はまだ高校生だ。別にそれほど急いで関係を深める必要もないだろう。
「それで今晩の宿ですけど、もう決めました?」
「いやまだだよ。見ての通り食事中で今からデザートを注文するところ。メニューを見るに、南国のフルーツ盛り合わせがあるらしい」
「デザート? それは私も食べたい」
エリちゃんはそう言うと近くの席から椅子を持ってきてドロシーちゃんの隣に座った。
モリ君はそれを見てため息をついた後に、やはり椅子を一つ持ってきてエリちゃんの横に座る。
「なら、みんなで食べましょう」
モリ君が店員を呼んでデザートのフルーツ盛り合わせを5人分注文すると、オレンジやら南国のフルーツやら写真映えしそうな豪華なものがやってきた。
「これって貴族用のお高いやつでは?」
お値段もお高そうなので念のために店員について確認する。
「旅人さんは知らないだろうけど、この町は定期船で新鮮なフルーツが届くからこれが出来るんだ。余所ではこの値段で食べられないから、食べないと損だぞ」
「そういうことなら」
久々の甘味に舌づつみを打ち、満足のいく食事が出来た。
「ところで明日の話なんだけど、またイモリ人間が暴れてるみたいなので、ちょっと話を聞きに行こうと思うんだけど、付き合ってもらえるかな? 前にいたメンツがいると話が早そうだし」
「それならば、俺とラビさんと……後はハセベさんも呼びましょう。話を聞いておいて貰えると助かりそうなので」
メンツはそれで良いだろう。
全員で押し掛けるのも変な話だし。
「それにしてもまだいたんですね、イモリ人間」
「今も武装した兵士が町を巡回してるくらいだし、また大規模な襲撃をたくらんでいるんじゃないかな」
ボスキャラを倒せば全部解決というわけでもなさそうだし面倒な話だ。どこかで和解は出来ないものか。
「あれ? でもおかしくないですか、この話?」
モリ君が首を傾げた。
「この町とイモリ人間って別の世界から転移してきているんですよね」
「まあ、どう見てもアメリカでもメキシコでもないしなこの町。トルコやイスタンブール……よりは若干西寄りか。ルーマニアかブルガリアって感じだし」
「あの発電所が有った町は湖は一緒に来なかったのに、なんでここはセットなんでしょう」
そう言われてみると色々とおかしい。
以前はそういうものと流していたが、冷静に考えるとおかしなところがある。
「エリちゃん、子供達を頼むよ。俺はモリ君とちょっとこの件を調べてみる。事件解決に繋がるかもしれない」
「調べるってこの時間から何を? 聞き込むにしてもどこに?」
「前の俺達にはなかったけど、今は調査に最適な機械が有るだろう。現代日本にもないようなハイテク機械が」
あらゆる空間情報をスキャンして分析出来る装甲車の各種センサー。
あれで町と湖の調査を行えば、イモリ人間大量発生の理由について何か分かるかもしれない。
俺とモリ君は町の外に駐車している装甲車へ走った。