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Chapter 7 「桜花」

 しばらく歩くとまた壁も天井もない開けた場所に出た。

 ここには床に石畳は敷かれておらず、土と草に覆われた地面である。

 天井や壁がないのは崩れたのではなく、元から解放された広場のような場所だったのだろう。あちこちに赤や黄色の鮮やかな花も咲いている。

 視界が開けたことで、遠くの空が紅く染まってきているのが確認できた。

 おそらく日没が近いのだろう。

 懐中電灯のようは灯りになるものを誰も持っていないので、なるべく日没までに安全地帯に移動したい。

 草木があるということは、近くに水源がある可能性がある。

 この近くで野営したいところだが、一つ大きな問題が。


「あれ、ワイバーンですよね」


 エリちゃんが指さす方向に三体のワイバーンがいた。

 ワイバーンは微動だにしない。死んでいるのだろうか?

 モリ君が一人で駆けていく。俺とエリちゃんがそれに続く。


 ワイバーンは完全に事切れていた。

 全身には無数の切り傷が刻まれており、周囲にはあちこちに血が飛び散った痕跡が残されていた。ここで激しい戦闘が行われたことが推測される。

 血は既に黒く変色しており、少なくとも半日から一日は経過しているだろう。

 ワイバーンの一匹は脳天を割られ、一匹は首を切断され、もう一匹は胸に折れた刀が突き刺さり、立ったまま絶命していた。

 そして、それら三体の死骸の前には銅色のメダルが三枚転がっていた。


「せっかくモンスターを倒したのにメダルを回収していない?」


 俺はメダルを拾い上げるためにしゃがみこむ。

 その時、近くの柱の陰に隠れるように人影らしいものがあるのに気付いた。

 人影は柱に背を預けるように座り込み、ピクリとも動かなかった。


「誰かいるぞ」

「他のパーティーの人?」

「大丈夫なんですか?」


 モリくんとエリちゃんが人影に近づく。俺もそれに続く。

 柱の陰には虚ろな表情をした金髪の少女がいた。

 時代劇に出てきそうな白い紋付き袴を着ており、右手近くには折れた刀が転がっている。

 左手は失われており、左足はありえない方向に曲がっている。

 そして肩から胸にかけて、抉られたような深い傷跡が走っており、白い着物を赤く染めていた。この傷が致命傷か。


 知らないうちに足がガタガタと震えていた。喉の奥から何か酸っぱい物がこみ上げてくる。

 頬を一回叩いた後に太股と尻を軽く叩くと足の震えは収まった。

 こみ上げてきたものは気合いで飲み込む。

 もう一度両手で頬を叩いて少女に近付き、首筋に手を当てる。

 血は既に乾燥しており、手には血が乾燥したざらっとした粉が付くだけだった。

 脈はなく、呼吸も既にしていない。

 体は体温を失っており硬直している。

 先程のワイバーンと相打ちになったと見るべきか。


 足下に落ちている銅色のメダルを拾い上げた。

 ワイバーンが死ぬとメダルが現るのはさっきも確認したが、やはり人間が死んでもメダルは現れるのか。


「失礼」


 胸元や着物の袂をまさぐって一枚のカードを探し出した。


[オウカ R]


 名前の下にはアイコンが三つ、そしてキャラのフレーバーテキスト。

 やはりこの娘も俺達と同じガチャで出てきたキャラに変えられた人間だ。


「ここで戦闘になってワイバーンと相打ちになったのか……他のメンバーはどこにいるんだろうか」

「どいて!俺がヒールをかける!」


 ローブの首筋を強引に掴まれてグイと乱暴に後ろに引き倒される。

 無理矢理引き倒されたのでバランスを維持できず、そのまま尻餅をついて後ろに転ぶ。


「ふえっ」


 間抜けな声が出た。

 脱げた帽子を掴んで体を起こす。

 文句の一つも言ってやろうとモリ君に近づいたところで必死の形相に言葉が止まった。


「助けるんだ……絶対助けるんだ……」


 モリ君が発動したヒールの光が少女を包んでいる。


「まさか、モリ君の能力は死者蘇生が出来るのか?ここまで遺体が損傷してるのに?」


 だが少女の傷が癒されることはなかった。

 ヒールは青白い光を放っただけで、何の効果も発揮せず、消えた。


「まだだ!」

「う、うそ……」


 後ろからエリちゃんの声が聞こえてきた。

 手を口にあててしばらく固まっていたが、突然走り出した。ややあって聞こえてくる嘔吐の声。

 モリ君がヒールを再発動させる。だが先程と状況は全く同じで何の反応もない。


「起きて……頼む起きてくれ!」


 俺は別の意味で絶望に襲われた。

 二人とも同年代の少女の損壊した遺体というショッキングなものを目撃してしまったことで、精神的に相当ダメージを受けているようだ。

 かく言う俺も人間の死体というものを間近で見せられて相当恐怖心は沸いてきている。

 先程落ち着いた足の震えや吐き気も再開しようとしているし、何かのはずみで失禁してしまうかもしれない。

 だが、二人の取り乱す様を見て、ここで俺まで取り乱したらダメだろうと逆に冷静さが戻ってきた。


 二人が平常心を失っパニックを起こしているて今の状況でワイバーンや巨大蜘蛛が現れて襲ってきたら間違いなく全滅コースだ。


 平静な俺だけならなんとか逃げ切れるかもしれないが、二人は大怪我を負うか、最悪死に至るかもしれない。

 そんなことになれば良心の呵責にさいなまれて一生悔やむことになるだろう。

 それだけは絶対に避けなければならない。


 拳を握りしめて力を入れて太もものあたりを力任せに何度か殴りつけると震えが完全に止まるのを感じた。

 理性が恐怖に打ち勝ったようだ。


 でもこういうメンタルケアは苦手なんだよ。俺はリーダー気質じゃないのにと毒突きながら、俺はモリ君に歩みより、背中にそっと手を置く。


「もういい、もういいんだ」

「良くない!昔と違って今の俺には助けられる力があるんだ!」

「彼女はもう死んでる」

「なんでそんなことが分かるんですか! だってほらヒールが」


 モリ君の目には涙が溢れていた。


「もういいんだ」


 そう言うとモリ君は俺の胸に飛び込んできた。

 ラヴィの体力では耐え切れずそのまま押し倒されるかと思ったが、何とかここは気合で耐えきった。


 ――いやこれはヒロインポジションがやることであって、俺の役目ではないのでは?

 だが、大変遺憾ではあるが、ここは流石に空気を読もう。

 そのまま手を伸ばしてモリ君の背中に回して落ち着けとばかりに優しくポンポンと叩いてやると、モリ君は声を出して泣き始めた。

 触ってもありがたみなどない薄い胸だが、落ち着くまでの短い間なら貸してやるからたっぷり泣きなさい。


結依(ユイ)が……また助けられなかった……」


 ユイ? さっきのエリちゃんの話にも出てきたけど、誰なんだそれは?


 このオウカという少女が実はそのユイという少女だった

 ――ということもないだろうし、何か過去のトラウマか何かがフラッシュバックでもしたのだろうか?

 それとも、今まで張っていた緊張の糸が遺体を見て切れた溢れ出したのだろうか?

 何にせよ、まだ高校生の子供なんだから仕方ない。

 こういうメンタルケアもしないといけないとは、本当に大人は辛いよ。

 でも、流石に男と抱き合うのは辛いので誰か代わってください。

 俺の精神が別の意味でヤバい。

 特にすぐそこで落ち込んでいるエリスさん、ヒロインポジションはあなたの役目ですので、早く交代を。はよ。


 というわけで、キラーパスで受け取ってしまったヒロインポジションの座をエリちゃんん変換するためにメンタルケアを開始することにした。

 急にボールを渡してきてもゴールには蹴り込めないので止めて欲しい。

 エリちゃんは物陰で三角座りをして顔を埋めていた。


「帰してよ……家に帰して」

「俺も出来れば帰りたいよ。面倒見ないと餓死しそうな友人もいるし」

「なんでなの!」


 エリちゃんが顔を起こした。今にも泣き出しそうな顔だった。見ているこちらも辛い。


「だって異世界転生はチートとセットだって。誰も怪我したり死んだりなんてしないって」

「そんな能力はアニメの中だけだよ」


 俺もどうせよくわからない異世界に呼ばれるなら、チート能力をもらって無双したかったよ。

 ハーレムは面倒そうなのでノーサンキューだが。

 でもそんなものはないんだ。人間はどんなに理不尽だろうと手元に配られたカードだけで勝負しなきゃいけないんだ。

 そして俺に配られたカードはハロウィンなので、クッキーを配るだけが取り柄だ。

 なんなんだよクッキーって。訳が分からねえよ。

 ハロウィンの魔女にされたのは仕方ないとしても、魔女の特技なら他に何かあるだろう。

 痛かったりバランスた取れなかったりでまともに飛べない箒とかそんなのじゃなくて。


「その子には悪いんだけど、別に面識があるわけじゃないし全然悲しくないの……頭では悲しまなきゃって思うのに」


 その気持ちは分かる。正直に言って侍少女のオウカちゃんには悪いが、全く面識がないので憐憫よりも気持ち悪さと、自分も同じように死んでしまうんじゃないかという恐怖の方が勝ってしまう。

 まだ重傷でギリギリ助けられるというならば、何とかしようとあがいてはみるだろうが、自分たちの関知しないところで亡くなり、しかもそこから半日から一日は経っているとなるともはや何も出来ることはない。


「怖くないの? 次に死ぬのは自分だとか思わないの?」

「さあな。俺は魔女だからかな」


 嘘だよ無茶苦茶ビビりまくってるよ。

 こっちは何回気合いを入れるために自分の頬と尻を叩きまくったと思ってるんだ。

 急に訳も分からず謎の異世界に喚ばれて、人があっさり死ぬ難易度の冒険をさせられて、あまつさえメンタルが弱い高校生のケアまでやらなきゃいけないとか何の罰ゲームなんだよ。

 俺は元来ものぐさで、他人がどうなろうと知ったこっちゃない身勝手な奴なんだぞ。


 だから――


「大人にはカッコくらいつけさせてくれよ。子供を守るのが大人の役割だ」

「子供の胸を触って喜んでるロリコンのくせに」


 軽口を言えるくらいには調子が戻ってきてくれたようだ。

 だがこれだけは言っておかなければならない。


「俺はロリコンではないのでそこは訂正して欲しい」

「ロリコンでしょ。だからロリコンが喜ぶことをさせてあげる」


 この子は急になんてことを言い出すんだ?

 年頃の女の子が言うことは訳が分からない。


「あいつにみたいに私もぎゅっと抱きしめて欲しい。そうすればまた頑張れるから」


 さっきのモリ君へのハグを見られてたのか。超恥ずかしいんですけど。

「いいのか?それをやれば俺は未成年に手を出すロリコンのオッサンだぞ」

「……いいよ」


 本人の同意があるから仕方ない。

 これは不純異性交遊ではございません! セクハラタッチではございません!

 あれ?今は同性だからセーフなのか?


『ダメです。未成年絶対ダメ!イエスロリータ、ノータッチ!不純異性交遊はんたーい!NTRはんたーい!』


 脳内友人くん、今はちょっと黙っていて欲しい。あと寝てから言え。

 モリ君にそうしたように、今度はエリちゃんを抱きしめる。

 はいはいハグハグフリーハグ。

 俺の胸で泣いてよいのよ

 だが、エリちゃんは無言でグイっと腕を突き出したせいで、押し出されて距離を開けられる。


「あの、ごめん。悪気はないと思うんだけど……洗ってない犬とか鶏小屋とか、そんな臭いがする」

「えっ!?」

「無理」


 エリちゃんは真顔で言った。

 悲しみも、恥ずかしそうな照れた表情も全て消えていた。

 完全に真顔だ。


「臭い」


 結婚して生まれた娘が育って反抗期になった時の父親の気持ちが理解できた。

 確かに、この世界に喚ばれてからずっと、昔飼っていたインコを飼っていた鳥かごのような臭いがどこからともなく漂ってくることには気付いていた。

 遺跡のホコリやカビを含んだ空気だ!  周辺に住んでいる動物の臭いだ! 自分には関係ないと今まで他の物のせいにしていたが、ここまでハッキリと若い娘さんに臭いの原因は自分だと断定されるのはつらい。すごくつらい。


 これはあれだ、娘がパパの靴下と一緒に洗濯物を洗わないでと言われるやつだ。

 なんで結婚もしていないのに、若い娘に臭いと言われなければならないのか。パパの靴下も一緒に洗ってください。

 あと、臭いは俺の責任ではありません。ラヴィの設定だから勘弁してください。


「服を洗濯して風呂に入ってからやり直して」


 アッハイ

 返す言葉もございません。


 空き地に3番目のスキル、極光で地面に穴を開ける。


 三分待って二回目の極光を放つ。まだ浅い。


 更に三分待ち、三回目の極光でようやく侍少女ちゃん埋葬出来るくらいの穴が開いた。


 侍少女、オウカの遺体を抱き抱えて穴に運ぶ

 重いな……いやラヴィの体に筋力がないのか。

 それでも落ち込んでるモリ君エリちゃんにこの作業をさせるのは酷というものだろう。俺がやるしかない。

 俺のスキルが火葬向きなら良かったのだが、残念ながら群鳥も極光も物理打撃系で、物を燃やすには全く向いていない。

 ――『物』か。

 割り切りすぎだろう、俺。


 箒を浮かせて反対側を持ってもらう――引っかけているだけだが――にも手伝ってもらい、足下をふらつかせヒィヒィと声をあげながらも、なんとか少女の遺体を穴に納める。


 エリちゃんがどこから調達してきたのか、何本かの花を持っていた。


「そこに綺麗な花が咲いてたから」


 エリちゃんは摘んできた花を束ねて侍少女に持たせる。

「花くらいないと可哀想でしょ」


 俺とエリちゃんの二人で土を被せていく。


「この子、天国に行けると思う?」

「それは分からないけど、意外とこれがきっかけて元の世界に戻って幸せな生活に戻ったりしてるかもな。別にトラックに轢かれなくても異世界転生しても別にいいだろう」


 そこからは二人で無言で土をかけ続けた。

 侍少女の顔が完全に見えなくなったあたりでモリ君が戻ってきた。


「ごめん。俺はもう大丈夫だから。俺にも手伝わせてほしい」

「おかえり」

「ただいま」


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