Chapter 9 「石造りの町テロス」
子供の頃の懐かしい夢を見ていた。
誰かにおぶさって近所の市民の森にある河川敷を歩いた記憶。
温かな体温、力強くも優しい腕に包まれた安心感。
(ここはどこだ……)
瞼をゆっくりと開けると、大きな背中が見えた。
どうやら誰かの背中におぶさっているようだ。目を擦りながら振り返るとエリちゃんの顔が見えた。
すると、俺を今おぶっているのはカズ君?
……カズ君って誰だよ。モリ君か?
寝起きで頭が動かないからか、状況がよく把握できない。
「起きましたか」
「これってどういう状況?」
「徹夜明けなんだから無理しないでください。一晩中箒で飛んでいたんでしょう。もう少し寝ていていいですよ」
年下の男子に背負ってもらっている恥ずかしさから顔が赤面してくる。
どうやらタラリオンの町を出てしばらく歩いたところで疲労から眠ってしまったようだ。
「いや、そういうわけにはいかないだろう。余計な負担をかけたくない」
「ラビさんは軽いから大丈夫ですよ」
「いいから降ろして」
寝不足なのか足元がふらつくが、いつまでも他人頼りというわけにはいかないので、何とか自分の足で立つ。
「はい帽子」
「どのくらい寝てた?」
「2、3時間ってところですよ」
「そうか、本当に済まない」
エリちゃんから帽子と箒を受け取り、頭を振った後に歩き出すと、ローブの裾をくいと引っ張られた。
振り返るとドロシーが睨むような眼で俺の方を見ていた。
「ずるい」
最初は何を言われたのかわからなかったが、状況を考えて気付いた。
どうやら俺がモリパパを独占したことで嫉妬されているようだ。
「モリ君、本当に悪いんだけど、次はドロシーちゃんが背負って欲しいんだってさ」
「そんなこと言ってない! ラビちゃんはわかってない!」
「というわけです、どうするモリ君?」
モリ君はしばらく思案していたが、背中を向けて座り込んだ。
「いいよ。でも、ケビン君も自分で歩いているけど大丈夫かな?」
ケビンとはアルバートの息子だ。
ドロシーと年齢は同じくらいだろうか。
ケビン君は自分で歩いていると聞いたドロシーは、自分が負けたと思ったのか頬を膨らませて駆けていく。
それをモリ君とエリちゃんが追いかける。
絵だけを見ると完全に育児に振り回されている若い夫妻だ。
ドロシーが懐いてくれたのは良いが、あれはあれで大変そうだ。
「本当に大変だな、子供がいるってのは」
完全に蚊帳の外に追いやられていたカーターが声をかけてきた。
「ああ、部外者で助かったよ。それでお前はお爺ちゃん?」
「親戚のオジサンってところで頼むわドロシーの妹ちゃん」
「俺は姉じゃないのか?」
「ドロシーは完全に自分が上だと思ってるぞ」
「……ドロシーはすっかり馴染みつつあるな」
ドロシーが何もないただの子供ならば何も問題なかった。
だが、状況から推測するに、ドロシーは運営から俺達への罠として送り込まれている。
――最悪の場合、俺はモリ君とエリちゃんを護るためにドロシーを背後から後ろから撃たなければならない。
おそらくドロシーを撃てば、その場で激しく罵倒されて、追放されるだろう。
「オレが代わりにやってもいいんだぞ。悪の運営の手先がやれば、あの二人も納得するだろう」
「他の連中に任せられるかよ。殺る時は俺の手でトドメを刺す」
本当に嫌な予想だ。
こればかりは俺の予想が外れて欲しい。
だから、俺は決してドロシーと仲良くすることはない。
もう悲しい別れなんてこりごりだ。
◆ ◆ ◆
テロスの町へは4日間で無事に到着出来た。
ここまでは敵との遭遇もなく、特に何の支障もなく順調に来ることが出来た。
門の前にはろくに鎧も付けていない若者が座り込んでいた。
ただぼーっと宙を見ているので、起きているのか寝ているのかすら分からない。
一応は門番なのかもしれないが、役目を果たせているとは思えない。
「すみません、この町に入りたいのですか?」
モリ君が門番らしき若者に声をかけると、ワンテンポ遅れてから返事があった。
「えっ、この町に入る? えっ!?」
若者は明らかに動揺している。
やはり門番の役目を果たせているとは思えないが、こんな若者を駆り出さないといけないくらいに人材不足なのだろうか?
若者は一見すると騎士のような風体のモリ君をまじまじと見ると、急に立ち上がった。
「もしかして、騎士様でしょうか!?」
「いえ違います。俺達は……俺達は何なんでしょう?」
決めなければいけないポイントでモリ君が俺の方を見て助けを求めてきた。
「いやもう適当に冒険者とでも名乗ればいいよ。熱き冒険者でも、高き冒険者でも、果て無き冒険スピリッツでも好きなように名乗って」
「そうですね、俺達は」
「こちらのアルバートさんの護衛で雇われた何でも屋だ。町の中に入れてもらってもいいか?」
モリ君がもたもたしている間にカーターが横から会話に割り込んできた。
「なんでも屋?」
「そうそう。お金をいただけるならば、トイレの掃除から魔物退治まで何でもやりまーすがモットーの何でも屋。御用の場合はご連絡を」
「魔物退治? ……もしかしてケルベロス相手でも戦ってもらえるんですか?」
「こちとら商売なんてタダってわけにはちょっと。いただけるものをいただけるならば」
「むひゃい!」
若者は興奮して何やら理解不能の奇声を上げると、門番の職務を投げ出して町の中へと駆け出して行った。
「なっ、交渉ってのはこうやるんだ」
「本当に聞き込みや、こういう交渉ごとだと頼りになるな」
「だって、お前が話すとタダ働きしかねないだろ。金が関わる交渉はオレに任せろ」
結局門番は戻ってこず、仕事をしてくれないようなので、俺達は勝手にテロスの町に入った。
町に入るとカンカンと甲高い、石に楔を打ち込む音があちこちから聞こえてくる。
音の発生源はすぐに判明した。
町の石材加工所が方々にあり、そこの軒先には既に加工された石柱や石畳に使われるであろう薄く削られた石材が山のように積み上げられていた。
横にはそれらの石材を運ぶための荷車……そして、それを牽く巨大な黒い牛が何頭も繋がれている。
どうやら、この町の主産業は石の加工なのだろう。
「近くの山で良い石がたくさん取れるので、この町は昔からそれを売っているんです」
アルバートが説明をしてくれた。
「アルバートさんも石の加工の仕事を?」
「いえ、私は町の雑貨店を営んでおりました。こちらです」
雑談をしながら通りに入る。
商店が立ち並んでいるのだが、その大半は鎧戸を閉めて営業をしていない。
また、焼け焦げた柱以外は何もない、ただの空き地になっている場所も多々ある。
これはケルベロスだかヘルハウンドだかに建物を完全に焼かれてしまったのだろうか?
「私の店はこのすぐ先です」
アルバートに付いていくと、小さい商店があった。
どこからか飛んできた火の粉であちこちが燻ぶった痕跡は残っているが、幸いなことに破損や焼損はないようだ。
「ここまでありがとうございました。もう少しこの街で頑張ってみます」
「アルバートさんもお元気で」
ケビン君は同年代のドロシーとの別れを名残惜しそうにしていたが、ドロシーの方はどこ吹く風だ。
何故女子はこのように幼気の少年の性癖を歪めてしまうのか。
まあ、これで護衛の任務は一応果たせた。
あとはケルベロスとヘルハウンドを討伐して任務完了だ。
「そろそろ、最初に会った門番君が戻ってくる頃だと思うんだが」
「噂をすれば」
最初に門のところで出会った若者が息も絶え絶えに俺達のところに走ってきた。
「ちょ……ちょうちょがおよびで」
「落ち着け」
門番にまずを息を整えさせる。
何を言いたいのか分からない。
「町長が貴方がたにお会いしたいとのことです」
「分かりました。案内してください」
どうやら、ケルベロスと戦うことが出来る俺達が町にやってきたという情報が町長に伝わったようだ。
カーターが肩をつついて小声で話しかけてきた。
「見事に食いついてくれたようだな。これで報酬ゲットだ」
「全部金目当てみたいな言い方はやめろよ。まあ、報酬は貰えるならば貰いたいのは事実だけど」
◆ ◆ ◆
案内されたのは町長の私邸だった。
この町がどのような体制で成り立っているのかは分からないが、この町を管理しているのは町長で間違いないようだ。
「初めまして。町長のサムソンと申します」
「モーリスです。俺……私達は万事屋です」
「何でも屋! 何でも屋!」
「旅の何でも屋です」
モリ君は初手で若干危ないところもあったが、まあ概ね間違ってはいないのでセーフだ。
だが、この後はフォローに入った方が良さそうだ。
俺がハッタリ担当、カーターが金額交渉担当だ。
「騎士団でも冒険者でもないのですか?」
「私達は南の冒険者という制度のない国から来た旅人です。そのため冒険者ではありませんが、困っている方から依頼を請けて、それを解決するために対応するという点では似たようなものだとお考え下さい」
「ここから南ですか? さぞ遠いところからようこそいらっしゃいました。。それで、この町にはどのようなご用件で?」
早速来たようだ。
ここからは交渉し甲斐が出て来た。
モリ君に代わって俺が前に出る。
「私達が旅をしている途中にアルバートさんという方と出会いました。なんでもお仕事で街を出てすぐの場所で変なモンスターに襲われてピンチだったとか」
「アルバートが町を逃げ出したという話は聞き及んでおりますが、逃げたのではなく、仕事だと?」
「はい。何の仕事かは部外者の私には分かりませんが、確かにお仕事に向かう途中だったと」
まさか夜逃げしたとは言えないので、ここは適当に誤魔化しておく。
大きな港町に行けば仕事があるだろうと考えていたという話だったはずなので、就職活動……仕事の一環だと言って嘘ではないだろう。
多分。
知らんけど。
「魔物の追撃があまりに厳しくて、山小屋に閉じ込められて2ケ月ほど立てこもっていたようです。そこへ、たまたま旅の途中で通りすがった私達が魔物を討伐。偶然ですがアルバートさんを救出することになりました。その際に、彼が町に戻りたいと言っておられましたので、この町まで護衛をして参りました」
「なるほど」
一応、今のところに矛盾点などなかったか、カーターに目線を送ると親指を立ててきた。
特に変なところはないという認識で良いだろう。話を続ける。
「その際、耳にしたのですが、何でもこのテロスの町にケルベロスなる奇妙な魔物が現れるようになったとか」
「はい。貴方がたを呼んだのもまさにその件です」
これでスムーズに本題に入れた。
後は町長の言うことを適当に頷けばOKだ。
「3か月ほど前のことです。石の切り出しに向かった者達から、作業途中に変な洞窟に繋がってしまい、その中から魔物が現れたと報告がありまして」
「それがケルベロスだったと」
「はい。昔から伝承に100年単位でケルベロスが現れて街を荒らして回るというものがあり……」
「そのケルベロスが町を襲っているのですね」
「はい。日中は眠っているのか襲撃はないのですが、日が暮れると洞窟から這い出してきて町を襲うようになりました」
そうなると原因は洞窟か。
おそらくケルベロス以外にも魔物は潜んでいそうなので、早めに洞窟ごと塞いでしまうのが正解かもしれないが、その辺りはどうなのか?
「日中に洞窟を燻すとか、そもそも洞窟を塞ぐということは?」
「試みましたが、ケルベロスは洞窟に近寄ると日中でも這い出して襲ってくるのでうまくいきませんでした。それに、洞窟は奥で別の場所に繋がっているようで、一か所塞いだところでというのがあります」
出現してから3か月も期間があれば、流石に素人がすぐに思いつくような対処法は既に試した後か。
「町への襲撃という直接的な被害だけではなく、石切場に魔物が巣くわれると新たな石を切り出すことも出来ないので、町の産業も立ち行かなくなり困っております」
「分かりました。私達がその討伐を請けましょう」
「そうですか、ありがとうございます」
とりあえず俺の仕事は終わりだ。
カーターが手の平を出してきたので叩いて後ろに下がる。
「それで、流石にオレ達も何でも屋という商売をやっているわけで、タダで請けるわけにはいかなくて……」
あとの金銭の交渉はカーターの仕事だ。
適当にうまくやってくれるだろう。