Chapter 7 「記憶の彼方」
夕暮れの街は静まり返り、陽光が灰色の石畳、そしてあちこちに転がる白骨を赤く染めていた。
静寂の中を俺達の足音、そしてたまに瓦礫が崩れる音だけが響く。
「誰かいませんかー!」
「いたら返事しろー! 助けに来たぞー!」
大声を張り上げて通りを歩くが、何の返事も返ってこない。
人間だけではない。
幽鬼やワイバーンも全て駆逐出来たようで、これだけ大声を張り上げているにも関わらず、何の敵も襲ってくる気配がない。
ある程度予想されていた結果ではあるが、もしやということもある。
何度も同じ質問を繰り返しながら、歩みを進める。
「本当に生きている人は誰も残っていないんですね」
「まあ三年だしな……三か月なら、まだ溜め込んだ食料を食いつないで生き残っているかもしれないけど」
諦めてはいたことである。
俺達がこの街に着いた時点で既に手遅れだったのだから、流石に気にすることではない。
「もうすぐ日が暮れるし、その前に宿へ戻ろう」
「賛成。今日の晩飯は何が出るの?」
「トウモロコシ粉のパン」
「オイオイ、それ船の中で散々食った奴だろ。他にないのか?」
「元々、この町で何か買うつもりだったからな。海も遠いから魚も獲りにいけないし、次の町に着くまでは保存食で繋ぐしかない」
カーターと夕食の話をしていながら通りを歩いている時に、モリ君が立ち止まったまま付いて来ないことに気付いた。
顎に手を当てて何やら考え込んでいる様子だったので、小走りで戻る。
「何があった?」
「静かに!」
モリ君が静かな……それでいて強い声で言った。
「今、足音が聞こえました」
モリ君にそう言われたので、俺とカーターは立ち止まって息を殺す。
そしてじっと耳を澄ますモリ君の様子を見ている。
「こっち!」
モリ君が何かの音を聞き取ったようだ。
慌てて駆け出してくので、こちらも走って付いていくと、商店に何か小さい人影が入っていくのが見えた。
「子供です!」
モリ君に続いて商店に入る。
おそらく元は雑貨屋だったであろう店内は荒らされてボロボロになっていた。
陳列棚はひっくり返り、何かの陶器の壺は落下して粉々に砕けている。
中身は何もない。
カウンターの奥は自宅だったのだろうか?
テーブルや椅子、食器棚などが置かれており、かつては人が住んでいたであろうことが察せられる。
だが、子供の姿はどこにもない。
「おかしいな、確かにここに子供が入っていったと思ったのに」
「まさか幻覚?」
「いや、幻覚じゃないな。ここのカウンターの下だ」
カーターが靴で蹴飛ばした床には、四角い切り目が入っていた。
「床下収納?」
「いや、これは地下室の入り口だろう。倉庫かワインセラーか、そういう類のものだ」
「開けてみます」
モリ君が槍の穂先を切り目に差し込んでグイとテコの原理で持ち上げると、蓋が開いて地下へ入る階段が姿を現した。
「何か灯りを持っていないですか? 松明とか?」
「明るいうちの調査だったから照明は持ってきていないな。とりあえずこいつを」
鳥を喚び出してモリ君の肩に乗せる。
鳥はほんのりと青白い光を放ち、階段の下をぼんやりと照らした。
「ないよりはマシくらいだけど」
「いえ、少しでも灯りが有ると助かります」
モリ君が率先して降りて行く。
カーターの方を見ると無言で肩をすくめた。入る気はないということだろう。
俺はモリ君に続いて階段を降りる。
2mほど降りると、そこはひんやりとした暗くて狭い倉庫のようになっていた。
その隅には中年の男女……おそらく夫婦と子供が1人、ガタガタとこちらの方を見て震えていた。
「大丈夫ですか?」
なるべく優しく呼びかけるが、返事はない。
「俺達は敵ではありません。貴方達を助けに来ました」
「お前もラティの子分なんだろ!」
明らかに怯えきっており、会話になりそうにない。
どうしたものかと思案していると、モリ君が小声で話しかけてきた。
「あの、ラビさんは一度上がってもらっていいですか?」
「でもモリ君一人で大丈夫か?」
するとモリ君が申し訳なさそうな顔をした。
「あの……言っちゃなんですけど、今のラビさんって全身から光を出しているので、事情を知らない人から見たら無茶苦茶怪しいです。多分敵の仲間だと思われています」
「あっ」
確かにその通りである。
尖塔を焼き払うために「魔女の呪い」を使用した反動で、全身に光る紋様が浮き出ている状態だ。
しかも、7羽を使用したので、おそらくこれは二日くらいは光りっぱなしのはずだ。
ここは見た目だけなら誠実な騎士様であるモリ君に全て任せるのが良いだろう。
「あとはよろしく」
「よろしくされました」
ここはモリ君に任せて階段を登るとカーターと鉢合わせをした。
「お早いお帰りで」
「仕方ないだろう。俺だと怪しまれるんだから」
「まあ魔女だもんな」
しばらく商店の前で待っていると、モリ君が家族と一緒に階段を登ってきた。
「もう大丈夫です。ラビさんのことも含めて、今の事情を説明しました」
◆ ◆ ◆
「大変失礼しました。まさか私達を助けに来てくださった方とは思いもせず」
「いえいえ、気にしないでください。見た目が怪しいのは自覚が在るので」
商店の主、アルバートと名乗った男は開口一番、俺への謝罪を始めた。
全身から光を放っている俺が怪しいのはただの事実なので、謝られるとむしろこちらが申し訳ない。
三人ともかなり衰弱しているようだったので、持っていた水筒の水を全て提供した。
水の残量はどう補給しようか悩んでいたくらい、他人に渡せるほど余裕などないのだが、このような状況では仕方がない。
「ここにやって来て2か月になります。とにかく表へ出ては危ないと地下室がある商店に家族と一緒に隠れて、助けが来るのをひたすら待っていました」
「やって来た……ということは、無理に連れてこられたというわけではなく」
「はい……旅をしている途中に大きな町があったので、一晩泊まることが出来ればとつい入ってしまったばかりに……まさか、魔物ばかりが住んでいる町だとは思いもせず」
どうやって3年間を生き延びたのか疑問だったが、たまたまこの町を訪れただけの旅行者だったようだ。
「その間の水や食料の確保は?」
「地下には調理しなくても食べられる乾燥豆とワインが保存されておりましたので何とか……」
何とかと言ってはいるが、3人のやつれっぷりからするに、ギリギリ耐え忍んでいたという説明に一切の誇張はないのだろう。
俺達の到着がもう少し遅れていたら、この3人も助からなかったかもしれない。
「お願いです。私達を故郷……テロスの街まで護衛していただけないでしょうか?」
「そのテロスという街はどれくらいの距離なんですか?」
「私達がこの町にたどり着くまで5日かかりましたので、同じくらいの時間がかかるのではないかと」
5日ならばここからマサトランまでと同じくらいの距離……100Kmほど離れている目算になる。
「私達は南から北上している途中でこの街にたどり着きましたが、あなた達は?」
「私達は逆方向ですね。北から川沿いに下ってきました。当初は川を下れば海沿いの大きな街に出るだろうと歩いておりましたが、途中で川を見失ってしまっていつしか砂漠に……」
北方向ならば、どの道向かうつもりだったので、行き掛けの駄賃で護衛することはやぶさかではない。
ただ、確認しておきたいことはある。
「ここから歩いて4、5日ほど南に向かった場所にマサトランという港街があります。そちらに案内することも出来ますが」
港町が有ると聞いたアルバートは目を輝かせて、奥さんらしい女性と何やら話し始めた。
「実は町に強力な魔物が現れて暴れ続けるために、故郷を捨てて逃げてきました。ですので、移住するのに適した大きな場所があるならば、そちらを案内していただけると助かります」
「強力な魔物?」
やっとワイバーン騒ぎが片付きそうなのに、また別の魔物が現れたら別の問題が発生して困ることになる。
「もしかしたら、それも倒せるかもしれないので詳しく教えてください。どんな魔物なんですか?」
「あなた達も冒険者ならばご存知だと思いますが、ケルベロスという頭が二つ在る巨大な犬です。奴はあらゆる攻撃を受け付けず……」
いや、待って欲しい。
急に世界観が変わりすぎて話を受け付けられない。
今まで得体のしれない謎の敵ばかりだったのに、ここで突然に普通のファンタジー世界のような敵が出現するのか?
「冒険者というのはどのような職業なのでしょうか? 寡聞にして存じ上げませんが、呼称から推測するに地質調査技士のような職業の方でしょうか?」
アルバートが明らかに困惑している。
「ラビさん、それってリプリィさんが言ったセリフそのままですよ」
「この世界では、冒険者という言葉に対しての認識はリプリィさんの認識が正しいはずなんだよ。だから、逆に冒険者なる謎の存在を持ち出してくるのは……」
「別の世界の話」
「もしかしたら同じ世界かもしれないけど、想定している位置に町がない可能性もある。それこそ、ここはメキシコだけど、今の話は地球の裏側の話なのかもしれない」
3年前に急に現れたという、このタラリオンといい、明らかに異様な事態が起こっている。
テロスとやらでは、実際にケルベロスが暴れているのかもしれないが、現在の世界にテロスが実在しているかどうかについては全くの別問題だ。
ケルベロスと戦えるかもしれないと北に向かうも、何もないメキシコの砂漠に迷い込んで立ち往生する可能性もあり得る。
「方針を再確認させていただいても宜しいでしょうか? アルバートさんは本当に港町で1から再スタートしたいのか? それともテロスの町に戻りたいのか?」
「でもケルベロスが」
「ケルベロスのことは今は忘れてください。私達ならそれは倒せるので」
アルバートは困惑しているようだ。
しばらく両手の合わせたまま目を閉じて何やら考え込む姿勢のまま動きを止めた。
ややあって口を開いた。
「一晩だけ時間を貰えますか? 家族と相談させてください」
そして、宿に戻った俺達は、問題が発生しているのはアルバート親子だけではないことを知るのだった。
◆ ◆ ◆
「記憶がない?」
「うん、この子って何も覚えていないみたいで」
エリちゃんが保護した少女、ドロシーをあやしながら言った。
「どうしてこんなところにいるの? 家に帰りたい……」
「そうだね。私達と一緒におうちに帰ろう」
怪しい。
ドロシーはタイミングは俺達がこの街に近付いて、霧に飲まれてから、まるで瞬間移動でもしてきたかのように現れた。
場所は砂漠の真ん中で一人で歩いて来られるような場所ではない。
モリ君やエリちゃんの話だと、ドロシーは最初の部屋から16番目に脱出した第16チームのメンバーで、他に子供がもう一人と中年の男性がいるはずだが、彼らの姿はない。
まだ、タラリオンに囚われて幽鬼と化しており、ラティを倒した途端にドロシーが骨になった方が納得できた。
別にドロシーに死ねと言っているわけではないが、それくらい得体が知れないということだ。
なので、最初の部屋を出てから何をしていたのか? どこから現れたのか?
その辺りの事情を確認しようとしたところ、この状況。
「記憶がないのでわかりません」である。
あからさまに怪しすぎる。
もしこれが中年のオッサンならば間違いなく見捨てていただろう。
それを見越して子供を送り込んだのならば見事な作戦だ。
俺達が子供を見捨てられない。しかも同郷ならばなおさら見捨てられないと完全に見透かされている。
問題は、誰が、何の目的でこの子を送り込んだのか?
それが分かれば、多少怪しくても手の打ちようはなんとでもある。
何しろ、カーターという怪しさしかない謎のオッサンですら何とか協力関係に持ち込んでいるのが現状だ。
小さい子供ならば、いくらでも丸め込みようはある。
「俺達と同行するのは良いとして、流石に完全足手纏いは困るから、まずはスキルを使えるようになってもらわないとな」
「この子を戦わせるの?」
「いや、とりあえずサポートを出来るようになってもらう。この子は貴重な水のスキル持ちだから、使いこなせるようになれば、今の水不足は解消される」
◆ ◆ ◆
「北に5日だから100kmくらいだよな」
俺は箒に跨がりながら方位を確認する。
「ラビさん、いつ頃に戻れそうですか?」
「最低で片道2時間の往復4時間。とりあえずテロスの町が実在するかどうかだけ確認してすぐに戻ってくるつもりだけど、多分戻るのは明日の朝になる」
アルバート親子の件や俺達の指針を確認するためにも、北にテロスの街が実在するかどうかは確認しておきたい。
町があるのならば、補給のために是非とも立ち寄りたいし、ないならないでマサトランに戻るだけである。
もし、ファンタジー世界的な町があるのならば、そこで冒険者の真似事をして旅の資金を稼いでも良い。
何にせよ、町が実在しているか否かだけは確認しないといけない。
「一人でケルベロスと戦ったりしないでくださいね」
「それはもちろん。それよりもドロシーちゃんのスキルの練習は任せたぞ。水が全然足りないのは割と現実的な問題だから」
「分かってます。エリスと二人で頑張って教えますよ」
ならば安心だ。
これで、俺は自分のやるべきことに専念できる。
箒を浮上させて夜の砂漠に舞い上がる。
「じゃあ行ってくる」