Chapter 6 「幽鬼の解放」
「私達がこの街に集められたのは三年ほど前でした」
井戸の前に集まってきた住民達が語り始めた。
「気が付くと、私達は家ごとこの城塞都市の中に閉じ込められていたのです。見てください、この無秩序な街並みを」
中年の男は芝居がかった大げさな動作で手を振って通りを指すが、残念なことに霧が濃すぎてあまりはっきりとは見えない。
まあ、あちこちの地域の建物が集められているのは知っているのでそこは別に良い。
「それだけではなく、こんな霧の日には幽鬼が現れて、住民達を殺して回るのです」
「ではあの隅に転がっている白骨は?」
「幽鬼に殺害された住民の成れの果てです……」
無造作に人骨が放置されている理由が分かった気がする。
元々別の場所に住んでいたところを無理矢理一か所に集められたので、殺されたのはご近所さんではなくよく知らない他人だったので放置していたということか。
「どうしてこの街から逃げなかったんです?」
「もちろん、近隣の街に助けを求めたり、逃げようとしたものも大勢いました。ですが、住民が逃げ出すと、あの尖塔に住み着いているワイバーンが追いかけてくるのです。あれに追いかけられて逃げ延びた者はいません」
マサトランに飛んできたワイバーンの謎も解けた。
所詮は爬虫類のワイバーンには、この街から逃げ出した住民と、マサトランの住民の区別がつかなかったのか。
「お願いです。幽鬼を……ラティを倒して我々を解放してください」
「わかりました。ワイバーンは元々倒すつもりでしたので、ついでにそのエイドロンとラティとやらも倒します」
それはそれとして、この街に来てからずっと疑問に思っていたことを解消したい。
「ところで、皆さんがこの街に集められて三年ということでしたが、皆さん食事や仕事はどうされていましたか? この砂漠の真ん中だと食べ物なんて手に入らないでしょう」
この砂漠のど真ん中に孤立無援で存在していて、綺麗な真水の調達もままならない都市で住民達はどう暮らしていたのか?
この住民達は何を食べて、何を飲んで生活をしてきたのか?
特に裏があって聞いたわけでもなくて素朴な疑問だったのだが、それに対しての返答がいつまで経ってもない。
それどころか、住民達は、ただ無言で俺達の方をじっと見つめている。
まるで今の俺の発言が禁忌を犯してしまったと言わんばかりだ。
誰によって禁じられている?
状況からして「ラティ」だろう。
では、今の「食事はどうしていました?」という質問のどこに禁忌があった?
――この3年間、食事なんて摂る必要がなかったと住民に気付かせてはいけなかったから。
――何故?
――3年間食事を摂らなくても平気な存在は、既に人間と言えないから。
カーターの袖を引いて宿へと戻ろうとすると、最初に話しかけてきた中年の男から声がかかった。
「お願いします。我々を解放してください」
返事代わりに手を振ってそのまま俺達は宿に戻る。
「思い出したことが有るんだが、聞いてもらえるか?」
住民達の姿が完全に見えなくなってから、カーターが話しかけてきた。
「エイドロンってのは元々はギリシャ語で、幻や幻想、過去から蘇ったものという意味だ」
「エイドロンを倒せ、我々を解放してくれってそういう意味か?」
住民の顔色が悪かったのは、花粉症ではなく、既に死んでいる亡者が動いているだけなのかもしれないということか。
なので、自分達をこの世に拘束しているラティを倒せ……幽鬼を解放しろと。
「それで本当にどうするんだ?」
「あの白い怪人は、それなりに強かったので、数がいるとなると面倒だ。それに強さも能力も未知数の『ラティ』なる敵。正面から戦うのはかなり面倒そうだ」
「お前がわざわざ『正面から』というには、それ以外の方法も考えているんだろう」
「やれると、やって良いは別の話だぞ」
頭の中でどうすれば効果的かつ効率良く敵を倒せるのか計画を考える。
一つだけ手はある。
ようはラティとあの白い怪人さえ倒せば良いのだから、むしろこれ以外ないと言えなくもない。
もしかしたらみんなに怒られるかもしれないが、それはそれだ。
「カーターは宿に戻って、みんなの安全確保を頼む。もし、敵が宿に押しかけてくるようなことがあれば、みんなを街の外まで逃がしてくれ」
「キツい仕事を押し付けてくるな。無茶苦茶ハードだぞそれ」
「頼むぞ」
◆ ◆ ◆
箒に乗って街を出る。
鳥を十羽召喚し、そのうち七羽を解放。
街の周辺の低木、そしてサボテン、砂漠の生物を霧に変えた後に、黒い球体を携えてタラリオンの城壁の上へゆっくりと浮上する。
砂の中から舞い上がった黒い霧が渦のように俺の動きに追随してきた。早くも獣の咆哮のような空気を切り裂く音が鳴り始めている。
「正面から戦えば苦戦は必至……それでいて対処が長引けば住民がゾンビのように向かってくる可能性もある。下手すりゃこちらもゾンビの仲間入り……ならば、速攻で決めるしかない」
いくら霧が濃くて視界不良と言えども、天高く伸びた尖塔という目印があるのだから、流石に狙いは外しようがない。
「幽鬼、ラティ、ワイバーン……全部尖塔にいるんだろう。一か所へ固まってくれているのは実にありがたい」
黒い球体は大きく膨らみ、巨大な虹色の球体へと姿を変える。
それと同時に放たれた放電の触手が霧の中にいる何か……おそらく迎撃に向かってきたワイバーンを薙ぎ払った。
霧による乱反射の影響は多少は有ったのかもしれないが、それでも放電はワイバーンを焼き払うのに支障はなかったようだ。
黒く焼け焦げた羽トカゲの残骸が街中に向かって落下していく。
ワイバーンの死骸はそのまま相当な衝撃と音で勢いよく地面に叩きつけられた。
一瞬、住民への被害が頭をよぎったが、落下地点に居るはずの住民の声は全く聴こえてこない。
やはり、この街には生きている人間は、もう誰も存在していないのだろうか?
「住民に対して散々理不尽なことをしてきた奴が、今更理不尽とか言ったりしないよな」
虹色の球体は赤熱した赤い球体を経て眩い閃光と共に超高熱の熱線へを姿を変えた。
熱線は濃霧に円形の孔を穿ちながら尖塔に突き刺さり――
――尖塔の直前で、突如として空中に出現した巨大な魔法陣による防壁によって五秒ほど阻止された――
だが、それも無駄な抵抗だったようだ。
熱線は魔法陣を何事もなかったかのように貫通して尖塔をくり抜くように大穴を開けた。
熱線の照射時間にはまだ余裕があったので、尖塔の表面を舐めるように焼き払っていく。
尖塔の彫刻は一部が融解、一部は焼け焦げて黒く染まり、熱線放出前よりも歪で不気味な外見になってしまったが、この呪われた街のシンボルとしては逆に正解なのかもしれない。
尖塔の方からはもつ何の物音も感じられない。おそらく敵は全て掃討出来ただろう。
ふと空を見上げると、一日ぶりに砂漠の雲一つない青空が見えた。
霧が晴れたのは熱線の高熱によるものか?
それとも尖塔にいた「何か」が滅びたからなのか?
ひとまず片付いたようなので、街に戻る。
◆ ◆ ◆
「みんな、大丈夫か?」
「ああ、こっちは全員大丈夫だ」
宿の入り口で中に声を掛けるとカーターが部屋のある二階から階段を降りてきた。
宿を入った途端には朽ちた机の上に倒れ伏した白骨化した人間の遺体が目に飛び込んでくる。
着衣からして、宿の主人だったものか?
「さっき爆音が鳴った直後……恐らくお前が敵を倒した直後にはこうなっていた。他の街にいた住民も同じ状態になっているだろう」
「そうか」
遺体の着衣は長年放置されたようにボロボロになっている。
朽ちた机には分厚い埃が積もっていたので、この遺体は何年もここに放置されていたのだろう。
ホコリの厚みからして、3年どころではない。
最低でも10年は経過していそうだ。
生きていた人間が急に骨になった、もしくはゾンビ状態の死体が動き回っていたという雰囲気ではない。
遺体はずっと長い間この状態で放置され続けていたが、俺達は幻覚か何かで生きた人間がそこにいると錯覚していたのだろう。
遺体の前にはカーターが宿賃として支払ったはずの銀貨が置かれていた。
一度宿賃として払ったものを回収するのも何なので、三途の川の渡し賃とでも思って、そのままにしておく。
「ラビさん、本当に何があった……いや、また何かやった……やらかしたんですね?」
カーターに続いて階段を降りてきたモリ君は、俺の全身に浮かんだ光る紋様を見てある程度事情を察したようだ。
「ラビさん、町の中であのビームを撃ったんですか?」
「滅相もない。町の中では危ないので町の外から……」
「町の中で危ないってのは、町の外から撃てば良いって意味じゃないのは分かりますよね」
どうやらこれはリーダー……モリパパからのお説教が始まるようだ。
諦めてその場で正座をして神妙に縛につく。
「別に怒っているわけじゃないんです。何が有ったのか説明してください」
「こっそり街を抜け出して、ボスらしいやつとワイバーンを尖塔ごと焼き払って倒しました」
事実をありのままに伝えると、頭を抱えて何やらぶつくさ独り言をつぶやき始めた。
「えっと……ちゃんとした大人なんだから分かりますよね。なんでやる前に俺達に教えてくれなかったんですか?」
思わず目を逸らす。
「14歳ですけど」
モリ君の目つきが更に厳しくなった。
これは茶化してはいけない状況のようだ。
「ごめんなさい23歳です」
「よろしい。どうして俺達に相談せずに一人で勝手に行動したんですか?」
「遠距離から狙撃で確実に仕留めるのが最も安全だと判断しました。相談しなかったのはスピード優先のためです」
「それで敵を全滅出来なかったらどうするつもりだったんですか?」
「相手が全滅するまで何度でも熱線を……」
正直に答えると、モリ君は俺の両肩に手を置いて笑顔のまま迫ってきた。
顔が近い。
「もっと仲間の俺達を信用して頼ってください。ラビさん一人が全部背負う必要なんてないんです」
「は、はい……」
「今回は勝てたから良いものの、次からはちゃんと事前に報告をお願いしますよ。独断専行をしたら怒りますよ」
「それについては本当にすまないと思っている」
「ごめんなさいは?」
「ごめんなさい」
実際、俺の独断専行が悪いところもあるので、これについては反省しないといけない。
正直に謝る。
「ところでドロシーちゃんの体調は?」
「やっと熱も下がってきて、一度起きたのでラビさんが作ってくれたお粥を食べさせてまた寝かせています」
それならば安心だと胸を撫でおろす。
これで懸念事項が一つクリアされた。
「エリちゃんに風邪が移ったということもなく?」
「私もピンピンしてますけど」
噂をすればなんとやら。エリちゃんも階段を降りてきた。
「もうあの子は大丈夫みたい。病み上がりだからもう少し寝かせておきたいけど」
「それは良かった。看病お疲れ様です」
この調子ならば、ドロシーの面倒はエリママに任せておいて良いだろう。
「当面の危機は去ったと思うけど、念のために街の中に住民の生き残りがいないか、調査を行いたい。出来れば協力して欲しい」
俺は改めてモリ君とカーターに手伝いをしてもらえるように頼む。
流石に人捜しは人海戦術が必要だ。
捜査人数は大いに越したことはない。
「最初からそう言ってくれれば協力しますよ」
「そうそう、もっと仲間のオレ達を頼れっての」