Chapter 12「告白の返事」
石造りの太古の神殿に踏み入ってまず最初に現れたのは三叉路の分かれ道だった。
初っ端からこれだと、この先何回の選択を強いられるのだろうか?
「えっと……これはどっちだ?」
俺は箒から一度降り、しゃがみ込んで左の道に落ちていた銃の薬莢を拾い上げる。
薄暗い神殿の内部とはいえ、白い大理石の石畳に金属色の薬莢が転がっていれば、かなり目立つので分かりやすい。
「ランボーかコマンドー……どちらかは分からないけど、目印に落としていってくれたみたいだな。良い仕事をしてくれる」
リプリィさんの部下の軍人が追いかけて行ったということで、後から来る者と自分達が帰るための目印を何かしら残していると予想はしていたが、「うさぎと猟犬」のように、通り道へ何かを落としていく方法を取っていたようだ。
箒を再度浮上させて遺跡の道を進む。
遺跡の内部は内部はまるで迷路のように複雑に入り組んでいた。
冷たく重い石壁が闇を呑み込み、わずかな光さえも吸い込んでしまう。
その闇の中を俺の全身に浮かんだ紋様、そして箒の穂先から噴き出す虹色の光だけが明るく輝いている。
流石に遺跡の通路は狭く、幅もあまりないのでゆっくり飛行させているだけだというのに天井や壁に体を何度もぶつける。
それでも、歩くよりは確実に速く移動できている。
しばらく飛行させているうちに何となく勘が掴めてきた。
「これはバイクで言うところのジムカーナと同じ低速でのコントロール技術が求められているのか。ということは、最高速はそこまででなくてもいい」
カーブはブレーキ……ならぬスピード制御で十分に曲がれる速度まで落としてから車体……いや、箒を傾斜させてターン。
カーブを抜けたら一気に最高速まで加速。その繰り返し。
奥に進むにつれて更に暗くなってきたので灯り代わりに鳥を呼び出して、数メートル先を先行させる。
鳥の青白い光がぼんやりと薄暗い迷宮を照らした。
「かなり距離は進んだはずだが、なんで誰も先にいないんだ?」
◆ ◆ ◆
「リプリィさん、待って!」
俺はようやく遺跡の中へ飛び込んだリプリィに追いつくことが出来た。
だが、リプリィは理解できない奇声を上げるのみで話を聞いてもらえる様子ではない。
「ごめんなさい!」
俺はリプリィが背中に担いでいたライフルを固定している紐を全力で掴んで引き寄せた。
呻き声と共に、彼女の柔らかい体が俺の近くに飛び込んでくる。
これで大人しくなれば良かったのだが、今後は手足を激しく振り回して抵抗する様子を見せた。
羽交い絞めにして何とか拘束しよとするが、それでも暴れる彼女の手足があちこちに当たる。
「これで治ってくれれば良いけど……ヒール!」
密着した状態で全身に対してヒールを発動させるが、それでの彼女が動きを止める気配はない。
「怪我の類じゃないんだ。何か精神的に落ち着かせる方法は……何かないか、何か」
リプリィは相変わらず目の焦点を失い、カエルがどうのと意味が通じない言葉をブツブツと発してるだけだった。
「お願いだ、元に戻ってくれ!」
力一杯に叫ぶが、彼女はただ呻き、身体を震わせるだけだった。
「どうすれば良いんだ、結依……」
つい口癖のように結依に対して呼びかけた時に、恵理子の言葉が頭の中をよぎった。
(なんで目の前にいる人じゃなくて、ここにいない死んだ人の話をしてるの! なんで目の前の相手を視られないの!)
そうだ。彼女は結依ではない。
結依は死んだ。もうどこにもいない。
だけど、彼女は俺の助けを必要としている。
俺が何とかしないと彼女は助からない。
何か状態異常回復の能力があれば良かったのかもしれないが、今の俺には傷を癒すことしか出来ない。
そんな俺に出来る、彼女の精神に強いショックを与える劇的な方法は……これしかない。
瞬時に決断した。
「本当にごめん」
俺はそっと囁いてリプリィの顔を両手で包み込む。そして、唇を彼女の唇に重ねた。
まるで時間が止まったように感じた。冷たい洞窟の中で、彼女の唇の温もりだけが現実感を持っていた。
しばらくの間、そのままキスを続けると、彼女の震えが次第に収まり、呼吸がゆっくりと整っていくのを感じた。
しばらくして唇を話すと、リプリィの目に光が戻っていた。
先程繰り返していたカエルうんぬんという言葉も止まっている。
今度はリプリィの方からキスを求められた。
俺はそれを拒まず応える。
「あのモーリスさん……」
「この前の船では本当に中途半端な答えしか返せなくてごめん。だから、今度こそ俺の本当の気持ちを聞いて欲しい」
リプリィはしばらく無言で震えていたが、やがて首を縦に振った。
「俺は貴女の気持ちには答えられません。まだこれが恋なのかは分からないけど、他に護りたい女性、護らないといけない女性がいます」
「……それはエリスさんですか?」
「いいえ、それはこの世界へ来た時にどこの誰だか知らない誰かに与えられた名前です。彼女の本当の名前は赤土恵理子です」
「エリ……子さん」
「それに、結依のこともやっぱり忘れられません。だから、結依が生きていた元の世界、日本に戻って結依の生きていた証をもっと探さないといけないんです。だから、俺は日本に戻ります。この世界へ残ることは出来ません」
いつの間にか涙が流れていた。リプリィも同じように涙を流している。
「ただ、俺の本当の名前くらいは覚えておいてもらえると嬉しいです。俺の名前は小森裕和です。昔はカズって呼ばれていました」
「ラヴィさんがモリ君と呼ぶのはそういうことなんですね」
「いえ、ラビさんは俺の本名を知る前から勝手にそう言い始めて……俺を『もりくん』と呼んだのは結依とラビさんだけなんですよ」
「ラヴィさんが結依さんの生まれ変わりだったりしたら凄いですね」
「そんなわけはないですよ。あの人は――」
「――23歳のオッサンなんですよね、何度も聞きました」
俺とリプリィさんはここで初めて笑った。
彼女との関係はこれで一区切りだ。
未練がないとは言えない。だが、俺とは文字通り「住む世界が違う」
この関係は決して埋められない。
それに……
「あの、ヒロカズさん。ところでここはどこなんでしょう?」
「えっ?」
「えっ?」
◆ ◆ ◆
エリスは目の前の敵、頭にイソギンチャクのようなものを乗せた謎の男を倒せずに苛立ちを募らせていた。
何かに切られたであろう服の隙間には大きな傷が入っていた。常人なら致命傷だろう。左腕も関節がない場所で不自然な方向に曲がっている。
ただ、身体がそのような状態なので、お世辞にも移動速度が速いわけではない。
一般人と比べると確かに素早いが、普通に移動するだけで身体が左右にブレてバランスが悪いので、その身体能力を生かせていない。
だが、「それ」に対して攻撃が一切当たらない。
明らかに人間とかけ離れた変貌を遂げているため、手加減をするつもりも、無意識に手加減するということは一切ないのだが、パンチやキックを繰り出しても、拳法の達人かの如く、巧みな回避方法で全ていなされてしまう。
同行していたリプリィの部下、サティンクによる射撃も同様だ。
人並外れた柔軟性と体裁きから繰り出される体を捻ったり回転する奇妙な動きのよって、ギリギリのところで直撃を避けられてしまう。
まるで宙をヒラヒラと舞う羽か紙切れをなかなか掴めないような感覚だった。
エリスが気にしていたのはそれだけではない。
身体が接触する度に、謎の男はミミズのような物体を飛ばしてくることだ。
ミミズは体に付着すると、そのまま皮膚の中に侵入しようとしてくる。
スキルを発動すれば、その光に焼かれて消える上に、摘まむと簡単に潰れて消えるので今のところ影響はないが、接触される度にそれなのでキリがない。
リプリィの部下の一人の軍人、サンクの方は先程、謎の男の蹴りをもろに受けて負傷したことにより、部屋の隅に退避している。
命に別状はないようだが、ミミズのような物に浸入されている可能性は否定できない。
エリスは一度サティンクの近くまで下がる。
「さてどうします?」
「血が出るのならば倒せるはずだ」
「それは頼もしいことで」
その時、遺跡の奥の方から足音が近付いてきた。
「すまない遅くなった。こっちは解決した」
足音の主はモーリスとリプリィの二人だった。
どうやらリプリィを正気に戻すとこは成功したようだとエリスは安心する。
「何をすればいい?」
「あいつが相当素早いから動きを止めたい」
「分かった!」
モーリスが槍の先に横に広く長い光の壁――プロテクションを展開たまま、謎の男に対して突撃を敢行する。
力任せ、脚力任せの単純な突撃だが、面積が広い光の壁による面制圧からは体捌きで逃れることは出来なかった。
身体を捻った不自然な体勢のまま、遺跡の壁へと叩きつけられる。
そこに銃声が轟く。
サティンクが構えたライフル銃から発射された弾丸がようやく謎の男を捉えたのだ。
給弾して射撃、給弾して射撃……
拘束されて動けない「それ」に対して10発近い銃弾が撃ち込まれたことにより、謎の男は体を何度か痙攣させた後に動かなくなった。
メダルは……出現しない。
「やったの?」
「多分……」
倒したが、あまりにも異質な「それ」に対して近寄ろうとは思わない。
これの始末をどう付けるべきか。
思案しているところに、通路の奥から勢い良く箒に乗ったラヴィが飛び出してきた。
「みんな、遅くなった!」
帽子やローブのあちこちには大理石の壁で擦ったであろう白い粉が付着していた。
余程無理して箒で狭い通路を飛んできたのだろう。
「それで状況は? みんな無事か?」
「それなら今終わったところ。みんな無事だよ」
「えっ?」
◆ ◆ ◆
「よくわからない寄生生物に侵入されている可能性が有るのか?」
「こういう状態異常系は俺のヒールでは消せないようなので」
状況は聞かせてもらったが、なかなか面倒な事態になっている。
何かしらの生物による寄生……
病気になって倒れるだけなら済むならともかく、目の前にいる化け物と同じような変異をされて襲い掛かってこられても困る。
「一応手がなくはない。俺の『収穫』ならば弱い生命体を霧化出来るから、体内に侵入した寄生生物だけを処理出来るかもしれない」
「でも、それって一歩間違えると」
「その人間ごと霧化して消滅させる」
これが問題だ。
霧化はあの異常なまでの再生能力を持つ巨人ですら消滅させた、ある意味熱線よりも強力な攻撃だが、範囲と対象を選ぶことが出来ない。
『魔女の呪い』は発動した瞬間にこの世の全てが憎いと言わんばかりに射程内全ての生命体に対して攻撃を仕掛ける。
山の遺跡の泉の広場で使用した時は射程内にいた瀕死のエリちゃんもギリギリ対象外だったので三羽使用なら大丈夫かもしれないが、やっぱりダメでしたとなればシャレでは済まない。
「射程内ギリギリに立ってもらって危ないようなら射程外に逃げてもらうとか? モリ君のヒールの待機前提で」
「それが無難な落としどころか」
三羽なら15mというところなので、ギリギリの位置に立って貰い『魔女の呪い』を発動する。
まず最初に球体の頭部が破壊された謎の男の死体が霧化して消滅した。これは想定内。
次に床のあちこちから霧が立ち上る。床にも同様の寄生生物が潜伏していたのだろう。
想定外だがこれは良し。
続いてランボーとコマンドーの二人から少量の霧が立ち上る。
出血した血液なども霧化の対象ではあるが、それなりに寄生はされていたのだろう。
霧の発生が一度落ち着いたところで射程外に待避してもらう。
酷いのはリプリィさんだった。
まるで体が消滅でもするのかとばかりに全身から大量に霧が吹き出した。
慌ててモリ君がヒールを使用するために近寄るが、そのモリ君の口からも霧が立ち上っている。
口だけというのが気になるが、そこらに転がっている変なキノコでも食べたのだろうか?
「ラビさん、リプリィさんは大丈夫なんですか?」
「分からない。だけど臓器やあちこちまで侵蝕されているなら、駆除したらその分だけ臓器にダメージが入るはず。だからヒールで絶えず回復を!」
思っていたより事態は深刻だった。
リプリィさんが無事なうちに手を打てて良かったかもしれない。
戦闘に間に合わなかったのは遺憾だが、こうやって人助けに貢献出来たのならば結果オーライと言えよう。
「ヒロカズさん、私……」
「大丈夫、俺が守るから」
……うん?
うん?
たった今、聞こえていはいけない言葉が聞こえた気がする。
昨日の船の件でリプリィさん失恋、モリ君は仕切り直し、エリちゃん勝利目前で、この人間関係は人段落ついたのではなかっただろうか?
何故その話がいつの間にか再開して、しかも状況が悪化しているのか?
このわずかな時間に遺跡の中で何が有ったのか?
誰か俺に説明してほしい。
「ラビちゃん、私は何も出ないんだけど」
「出ないならひとまず待避。出来るだけ距離を取って。なるべく多めに。なるべく遠くへ」
どうやらエリちゃんはセーフのようである。
寄生生物の件でも、二人の関係にもまだ気付いていない点についてもだ。
せめてこの遺跡を脱出するまでは、少し距離を取ってもらうことにする。
しばらくリプリィさんの様子を観察していたところ、霧の発生は収まった。
身体が霧化するようなことはないので、モリ君と一緒に下がってもらう。
残るは問題は、このチャージが完了していないので熱線化もせずに近付く生命体を無差別に食い荒らしにかかる危険物質である。
「仕方がないので、俺一人でこのまま遺跡の最深部に一人で行ってくる」
俺は全員に呼びかける。
「大丈夫なんですか?」
「こいつを抱えているうちは並の相手なら消し飛ばせるから大丈夫。ただ、一定の距離を保った状態で適当に追いかけてもらえると助かる!」
本来ならば9人で時間をかけて攻略するはずの遺跡を、何故か俺一人で調査することになってしまった。何故こうなってしまったのか?
だが愚痴っても仕方ない。
俺は箒の先にあらゆる生命体を食い尽くす危険物質を抱えたままで遺跡の奥へと進む。