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Chapter 11 「蟇の神殿」

 チョカンの街を出て一晩と半日。

 太陽が熱を増す昼下がり、俺達は鬱蒼と茂るジャングルの中を歩いていた。


 約40kmはほぼ直進だったが、蟇の神殿の正確な位置が分からない以上は後は地道に足で稼ぐしかなくなる。


 一度箒で上空から観察してみたのだが、木々に覆われて現在位置すらよく把握できなかったので、結局は探窟家のパタムンカさん頼りになった。

  

 木々の葉は頭上でざわめき、野生の鳥たちが見えない場所から鳴き声を響かせている。

 腕や足に絡みつくツタを払い、汗を拭いながら、俺達は進んでいった。


 やがて、ジャングルがその密度を緩め、目の前には岩だらけの渓谷が広がった。

 岩の上には熱帯植物が生えることはないのか、この地帯だけは鬱陶しいツタは存在していない。


 暑さには変わりないが、渓谷を吹く風のおかげで少しだけ涼しさを感じる。


「ここなら毒蛇も毒虫もいないな。少し休憩だ」


 パタムンカさんの指示で全員が渓谷に転がる岩に腰掛けて水筒から水を飲む。


 幸いにも熱帯地域やあちこちに水が流れる沢が有るために水の補給は容易だ。

 適当な沢の水を組んでは煮沸濾過して全員の水筒に詰め直しておく。


「ラビちゃんクッキーお願い」

「はいはい、甘い物は疲労回復に最適ですよ」


 エリちゃんの要望通りにクッキーを取り出して渡すと、他の面々からも要求されたので一枚ずつ手渡す。

 スキルは連発は出来ず、一枚出す度に一分半待たなければいけないのだけが欠点だ。


「いや、それの菓子をどこから出してるんだよ。食えんのかこれ?」


 と最初は怪訝そうな顔をしていたパタムンカさんも「美味い美味い」とクッキーを頬張っている。

 よく考えるとこの世界に来てからは穀物はトウモロコシとキヌアのみで小麦粉を一切見ていない。


 なので、小麦、卵、砂糖というここでは希少食材で作られたクッキーはよほど新鮮な味に感じるのだろう。

 

「遺跡はこの渓谷のどこかにあると思いますが、場所の検討などはつきますか?」

「そうだな……岩の種類が違うのが分かるか?」


 パタムンカさんが指差した岸壁を見ると、岩の種類が微妙に異なっていることに気付いた。


「遺跡を作ったのは誰かは知らねえが、古代人もバカじゃねえ。こういう堅いが崩れやすく風化しやすい岩がある場所には作らないはずだ。何故なら、無理に作ってもすぐに崩れるからだ」

「つまり、遺跡は残るべくして残っていると」

「単純に言えばそういうことだ。勿論他にも地下水が吹き出す場所とか、雨が降り続いて急な増水で川になるような場所も避けるはずだ。水が流れた場所はそこみたいに黒い線が残る」


 パタムンカさんが指差した別の場所には彼女の言うとおり、岩壁には不自然な黒い線が走っている。

 水垢か苔が乾燥した後が黒く残ったのだろうか?

 

「私らは遺跡が有りそうな場所じゃなく、ここにはないなという場所を除外していくんだ。岩の種類や水跡なんかはもちろん、他にも判別する方法は山程有る。まあ、飯の種だから他人には教えられねえけどな」

「もっと力業で探してるものだと思ったけど意外と頭を使ってるんだな」


 シャツの胸元へ何とか風を送ろうと手で扇いでいたカーターが呟くように言う。


「頭を使わない無能も山程いるが、そういう連中は残り物に群がるか他人を脅すくらいしか出来ないし、苦労の割に実入りも少ない。私らは最小限の労力で最大の効率で探窟する」

「ということはあんたは一流ってことか」

「得意分野が違うんだから、こういうのはランク付けするもんじゃない。無能かそれ以外かの区別だけでいい」


 技術、知識、考え方もしっかりしている。

 本人は認めないようだが、パタムンカは間違いなく一流の探窟家だ。

 どうやら彼女を雇ったのは大正解だったようだ。


「あんたが確かな腕を持っていることは分かった。今回の件が終わっても、私まだまだ他の案件をいくつも持っているので、その時は依頼して良いだろうかね?」 

「ああ、手が開いていればな」


 教授もパタムンカさんの腕と知識は気に入ったようだ。

 早くも次の探索の勧誘をかけている。


 そこからはパタムンカさんに任せて俺達は後ろからレミングスのようにゾロゾロと付いていくだけになった。


 視力の良いエリちゃんは張り合って探そうとしているが「鳥の巣を見つけた」やら「なんか花が生えてる」など、目が良ければ良いというものではないことを証明しただけだった。

 視るではなく観る能力が必要なのだろう。

 

 それから二時間ほど渓谷を歩いただろうか?


 パタムンカの足がピタリと止まった。


 急にしゃがみ込んで地面から飛び出しているフックのような突起物を何やら引っ張っている。

 そこから辿り、砂に埋もれていたロープを引っ張り出した。

 

 ロープの先端は崖の下へと伸びている。


「おかしいぞ。割と最近にここに何人もの人間が来た形跡がある。足跡も残っている」

「どういうことなんだ?」

「遺跡が有るとしたらここだ……実際、このロープや楔なんかは、普通は他の探掘家に分からないように帰りに引き抜くのが基本だが、何故かそれが残されたままだ。それに、足跡が新しい。まるで昨日一昨日遺跡に入った連中がいて、未だ帰還していないような」


 そう言うと崖の下を覗き込んだ。俺も釣られて一緒に崖の下を覗き込む。


 そこは何者も寄せ付けないような切り立った断崖絶壁になっていた。

 一番下までは50mは有るだろうか?

 俺と同じように崖の下を覗き込んだカーターは、あまりの高さに顔を青くして離れていった。


「私達より先に遺跡に侵入した連中がいる。足跡の数から察するに、十人単位だ」

「俺達がこの遺跡に向かったことを知って、先回りしたのか?」

「いや違う。私達はあんたの反則技を使って、通常は一週間かかる工程を一日半でここまで来た。だが、その方法を使えない連中は、一週間前に街を出発しないと、私達より先にここに来ることは出来ない」

「でも、蟇の遺跡なんて嘘吐き爺さんの戯言として誰も聞かなかったんだろう……あっ」


 ここで気付いた。

 一週間前というのは、例の赤い女が街に現れた時期と一致する。


 あの赤い女が一攫千金を狙う探掘者達を唆したとしたら?


 そう考えると、ゲームマスターが二週間前にこの街を訪れたというのも仕込みだったのかもしれない。


 完全の余所者であるゲームマスターが人跡未踏という蟇の遺跡の話を街のあちこちで聞き込みという形で噂として広める。

 それで多かれ少なかれ、探掘者の間では謎の遺跡の話が広まる。


 その下準備が済んだ翌週に赤い女が現れて一攫千金を狙う探掘者を唆す。私ならばその遺跡の詳しい位置の情報を持っていると。赤い女の美貌に惑わされた連中もいたかもしれない。

 そんな欲に目がくらんだ探掘者はここにやって来て……やって来てどうなる?


 考えがまとまらない。こういう時は一度仲間に相談だ。

 

「全員集合! 一度作戦会議だ」


   ◆ ◆ ◆


 俺は既に探索者が来ているという情報を共有した上で、赤い女とゲームマスターの動きについての考察を話した。


「まあゲームマスターが動いているならば、十中八九罠だろうな。目的までは分からねえが」

  

 最初に口を開いたのはカーターだった。


「でも、俺達がこの遺跡を無視する可能性だって合ったんだぞ。実際、ショートカット道を作らなければ、日数的にこの遺跡の調査は無理と諦めていた十分ある。俺達に対する罠と考えるのは早計だ」

「確かにそれもそうだな。実際、オレもこんなクソ暑いところに来たくなかった」


 そう考えると別の目的があるのだろう。


「ここに人を呼ぶこと自体に意味があった?」

「呼んでどうする。探掘家は早い者勝ちだぞ。分け前が減るじゃないか」


 パタムンカさんの意見は探掘家らしいものだった。

 

「いえ、例えば人を集めることで人質にするとかとか」

「どこの誰だか知らない人を人質にされたところでな。来るか来ないか分からない俺達に対してのそれはコスパが悪すぎるだろう」

「コスパ……コスト……?」


 モリ君が何か閃くものが有ったらしい。


「そうですよ、コストですよ! 人間を集めてコストにする」

「生贄か!」


 何故気が付かなかったのか?

 そもそも生贄の風習があるマヤ文明のような遺跡というのは俺自身が昨日言ったことではないか。


 相手は邪神か何かそういう類のものを呼び出そうとしている連中だ。

 ノーコストでそれらを呼び出せるとは思わない。

 ならそれらを召喚するのに必要なコストは何か?

 この場合は一攫千金という欲望に駆られた探掘者の生命だ。


「カエルが呼んでる」

「そうだなカエルだな……えっ?」


 声の主はリプリィさんだった。

 何やら虚ろな顔をしてカエルがどうのと言いながら、ロープをするすると降りて行く。


「そうだ、カエルが呼んでいる」


 今度は教授だ。

 リプリィさんと同じように、何やらうわ言のような言葉を発しながら、崖の方へとフラフラと歩いていく。


「リプリィさん!」


 それを見たモリ君が崖から飛び出した。

 ロープも付けず何をするつもりなのかと思えば、槍を岩壁に突き刺し、それで勢いを殺しながらリプリィさんの後を追っていく。


「ちょっとあんた何やってんの! ラビちゃん、私も追いかけるから、後から付いてきて!」


 エリちゃんはそう言うと、何の躊躇いもなく崖から飛び降りる。

 どうするつもりなのかと思えば、崖から僅かに飛びだした突起に足や手をかけて、何かのアトラクションでもこなすかのようにほぼ垂直の崖を降りて行く。


「すまん、俺達も隊長を追わせてもらう」


 ランボーとコマンドーもロープを伝って崖を降りて行った。


 残されたのは俺とカーター、教授とパタムンカさんだ。


「なんだ、カエルって……あの老人の話に有ったアレか?」


 どうやらシカップ老人の話にあった「カエルが見える」と言って迷宮の奥に仲間が一人で駆けだしていったというのと同じ現象が発生しているようだ。

 理屈は分からないが、そのターゲットとしてリプリィさんや教授が狙われたのだろう。


 シカップ老人の話だと、その仲間は変わり果てた姿で遺跡の奥で発見……

 

 先に入った探掘家や生贄の話もある。のんびりはしていられない。


「パタムンカさんは大丈夫ですか?」

「いや、あまり大丈夫じゃないな。私にも何か変な声が聞こえてきた。何か気付け薬みたいなものを持っていないか?」


 パタムンカさんが手を顔に当てている。


 何か気付け薬の代わりになるものはと鞄の中を漁っていると、この地方特産のやたら辛い唐辛子を持っていることに気付いたので、投げて渡す。

 彼女はそれを丸々一本口の中に投げ込んで租借し始めた。


 顔を歪めてたまにむせてはいたが、完食すると頭を振りながら立ち上がった。


「ああ、確かにこいつぁ効くわ。すっかりカエルも消えた」

「なら教授にも効きそうだな」


 唐辛子をカーターに投げて渡す。


「その激辛唐辛子を教授の口にねじ込め! この際、鼻でもいい!」

「大丈夫なのか、こんなものを直接口とか鼻とかにねじ込んで!」


 カーターから当然の疑問の声が返ってきたので俺の考えを告げる。

 

「大丈夫じゃないから良いんだ!」 

「なるほど確かにそれは一理ある」


 カーターが迷いなく激辛唐辛子を教授の鼻に付き入れると、教授が猛烈な叫び声を上げた。

 教授はそのまま「痛い辛い」と地面をしばらく転がりながっていたが、やがて鼻を押さえながら立ち上がった。

 

「あれ……私は一体何を? うう、鼻が痛い」

「大丈夫ですか教授? カエルはもう見えないですか?」

「カエル? 一体何の話をしているんだ? それにしても鼻が辛い……」


 どうやら唐辛子は見事に気付け薬としての効果を発揮したようだ。

 これだけ効果が有るならば、調味料以外の用途でもう少し余分に買い足しても良いかもしれない。


 ただ、これで教授とパタムンカさんは大丈夫だろう。


「俺もみんなを追いかける。カーター、お前は教授とパタムンカさんがまたおかしくならないようにここで見張っていてくれ。調子が悪くなったらまた唐辛子を」

「それは良いが、オレを信用してないんだろ? 一人で置いていって大丈夫なのか?」

「こんな状況で悪さをしないだろうという程度には信用している」


 これは本当だ。

 カーターが運営と何らかの繋がりがあるのは分かるが、今の状況で何か悪さをするような奴ではないことは、短い付き合いだが理解できた。


 なので、二人をあえて任せたいと思う。


「おっデレ期か?」

「今の会話のどこにデレる要素があるんだよ」


 俺は一度荷物を下ろすと再度箒に乗りなおす。


「まさか、その箒に乗ったままこの狭い遺跡を突っ切る気か? 天井も相当低いぞ」

「でもこれくらいしないと、俺の足でモリ君とエリちゃんの駿足に追いつけるわけないだろ」

「分かった。ここの見張りはオレに任せろ。全力で行って仲間……いや、友達を助けてこい」

「お前に言われるまでもない!」


 俺は断崖絶壁を箒に乗って降りる。

 15mほど下ったところで岸壁の一部が抉られたように窪んでおり、その奥に崖に埋め込まれるように石造りの神殿が建っていた。


 建物の造りこそまるで違うが、日本にある投入堂のような断崖絶壁に建てられた社を思い起こさせる雰囲気がある。

 日本の場合は山岳信仰や密教、修験道の流れから作られたようだが、この神殿はどのような意図で作られたものなのだろうか?

 

 神殿を構成する石は黒っぽい崖の岩の色とは全く違う白い大理石で構成されており、岩壁の岩を削ったのではなく、わざわざ別の場所から石を運んできて積み上げたのだと予想される。


 シカップ爺さんの説明した通り、入口にある石柱には朽ちかけていたが、まるで鳥獣戯画に描かれているような腕組みをした蛙の彫刻が彫られていた。


 神殿の入り口は大きく開かれ、内側からは亜熱帯の今の気温だと心地良い冷たい風が吹き出してくる。

 崖の中に埋め込まれているようにしか見えないのだが、風が吹いてくるということは、どこかに別の場所に繋がっているのだろうか?


 モリ君達の姿はもうない。

 既に遺跡の奥へと踏み入ったのだろう。


「みんな無事でいてくれ」


 俺は箒に乗ったまま、遺跡の奥へと進んでいった。

 

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