Chapter 3 「パナマ地峡」
交易船はようやくパナマ地峡に到着した。
タウンティンを出発して一週間……と言いたいところだが、このパナマもタウンティンの領土内なので、実は別の国に来たというわけではない。
日本で例えるならば、東京から横浜港を出発して青森まで船で来ましたくらいの感覚だ。
「しかし、久しぶりの陸地って感じだな」
狭い船内でじっとしていて体がなまっているので、腹筋、背筋逸らしとラジオ体操もどきの運動で身体を伸ばす。
俺は箒で空を飛んで適度にストレス解消していたが、他のみんなは本当に船室でじっとするしかなかったので、かなり辛かっただろう。
「でも、来週にはまた一週間は船なんだよね」
「まあ、ただじっとしているだけで着くんだから楽と言えば楽なんだけど」
このパナマの港は交易港であり、あちこちの船が出入りするというならば何かしら店があるだろう。
長い船内の暇潰しのためのボードゲームかカードゲームを暇潰し用に購入するのもありかもしれない。
パナマ運河は標高が高い山の上の湖を利用して太平洋と大西洋を接続している……と聞いたことがあったが、実際には延々と平地が続いており、山ははるか彼方にしか見えない。
逆に言うならば、そのはるか彼方の山まで川を掘り進めないと運河は完成しないということだ。
この世界にまだパナマ運河は存在していない。
耳を澄ますと、はるか彼方から花火のような炸裂音が微かに聞こえてくる。
おそらくその炸裂音こそが運河を建設するために岩壁を発破している音なのだろう。
「運河の完成はまだ十五年ほどはかかる見込みです。ただ、ダイナマイトと蒸気エンジンのおかげで、百年計画と言われた計画はかなり早まりました。もしかしたら十年以内に完了するかもしれません」
山の方を見る俺にリプリィさんが説明してくれた。
「パナマ運河って具体的にどういうものなの?」
エリちゃんから今更の質問が飛んできた。
「世界史とか地理とかやらなかった?」
答えの替わりに「エヘヘ」と愛想笑いが返ってきた。
これは簡単に説明しておいた方が良いだろう。
「まず地球の話。大平洋から大西洋に抜ける時、もしくはその逆の時にいちいち南アメリカ大陸の最南端、マゼラン海峡を迂回しないと移動することができませんでした。ただ、それではあまりに荷物を運ぶには不便だったので、アメリカとブラジルの間にある半島の付け根の一番細い部分に穴を開けて船の通り道を作ったら移動が楽になりました。これがパナマ運河」
簡単に説明するとこういうことだ。
だが、パナマ運河の説明は小学校の地理の時間で学ぶ内容だった気がしないでもない。
「事情は異界……あなた達の世界と同じですね。タウンティンから大陸の東側への移動はジャングルがあるために困難であり、チャグレス川経由で運河を建設することになりました。高低差を解消するために今は船をクレーンで持ち上げる方式を採用予定らしいです」
おそらくはその「チャグレス川」というのが後のパナマの山にあるダム湖のことなのだろう。
地球のパナマは運河の途中を壁で仕切って、そこに水を流し込んで高低差を解消するという方式だが、この世界ではクレーンで船ごと持ち上げる方法のようだ。
日本の青島なんかの離島で漁船を釣るのと同じ仕組みだろう。
ただ、あまりに大きな船だとクレーンで釣り上げるのは困難になるはずだ。
最終的には地球と同じ方式に改造されることになるのかもしれない。
「分かった?」
「まだ運河は工事中なので荷物は陸でを運んでますってところまでは」
「はい、日本に帰ったら無料で家庭教師をやって上げるのでエリちゃんはもっと勉強しましょうね」
「はーい」
今の雑な返事で、全く勉強する気などないと確信した。
家庭教師計画は本格的に考えた方が良いかもしれない。
まあ、そのためには俺も再度勉強しないと受験勉強の内容はどんどん頭から抜け落ちているわけなのだが。
パナマ港は交易港と言うだけあって、港の周辺にはレンガ造りの倉庫が立ち並んでおり、俺達が先程まで乗っていた交易船から次々と木箱に入った荷物が下ろされている。
ここは太平洋側だが、大西洋側にも似たような交易港が存在しており、お互いの港の間、約80kmを現在は陸路で荷物を運んでいるらしい。
陸路での荷物運搬は、やはりここでもトリケラトプスが中心だ。
その犀のような巨体と馬力を生かして、重そうな荷物が入った木箱をいくつも乗せた荷車を引いてノシノシと歩いている。
まだまだ技術的に未熟で中途半端な蒸気エンジン搭載の車よりは馬力はあるので効率的なのかもしれないが、さも当然のように恐竜が町中を闊歩している絵にはまだ慣れそうにない。
「ただ、こうやって見ると世界中どこでも交易港は同じだな。小さい船を通すための水路があって、積み荷を保存するためのレンガ造りの倉庫があってと。神戸も横浜も函館もみんな同じだ……となると」
「おーいラビ助、一人でどこに行くんだ」
カーターがまた俺のことを妙な名前で呼びながら付いて来た。
モリ君とエリちゃん、そしてリプリィさんもその後ろにいる。
「こういう港町だと絶対あると思ったら、ほら予想通り有っただろ、飯屋街」
倉庫街のすぐ近くの通りには商店街と様々な料理を提供する屋台が立ち並んでいた。
トマトを煮詰めたスープや、海鮮を焼いた美味しそうな匂いが風に乗って流れてくる。
ここの商店街は主に港湾関係者向けなのだろう。
持ち帰って簡単に食べられるものや酒を提供する飲み屋などが中心に軒を連ねている。
実際、荷物の積み上げ、積み下ろしの作業を済ませて休憩しているであろう作業員達が屋台で何やら購入して食事したり、露天席で酒を飲んで宴会を始めている。
「もしかして、ようやくあの乾燥ジャガイモピザもどきから解放されるのか?」
「ああ、久々のまともな食事だな」
カーターはよほどあのジャガイモピザが嫌だったのだろう。
今まで見たことのない満面の笑みで出店に並んでいる食べ物を品定めしている。
俺もさすがに一週間ずっと同じ保存食というのは辛いものがあっただけに、せっかくなのでここは美味いものを食べたい。
「ここで美味しいのはタコスですね。店によって色々な味があるので、食べ比べてみるの良いかもしれません」
このパナマに何度を訪れた経験があるであろうリプリィさんが説明をしてくれた。
「エビや貝なども美味しいものが多いですよ」
「タコスに海鮮……そうか、このパナマはもうメキシコ圏内だもんな。それにこの港の反対側はカリブ海か」
「カリブ海ってあの海賊とか出るカリブ?」
エリちゃんが尋ねてきたので首を振る。
まるで海賊が名物のように言われても困るが、そのカリブだ。
「あれって地中海の方だと思っていた。イタリアの方」
「カリブってアメリカなんだよ。レゲエとかもろに南米って感じだろ」
屋台には様々な料理が並んでいたが、リプリィさんが薦めてくれたので、その中であえてタコスにターゲットを絞ってみる。
タコスに限定しても店によって肉、魚、エビ、豆……それぞれで中の具材が異なっている。
味付けにかかっているソースも赤かったり黄色かったりで何を注文すべきか迷う。
おそらくチリソースなのだろうが、それ以外とも考えられる。
「全部買うのは無理だろうし、違う店のを何個か買ってシェアかな」
「ラビちゃん、私と分けましょ。私はエビにするけどラビちゃんは?」
「俺は煮詰めた豆と白身魚が入ったやつかな。これは平凡な具材で勝負しているということで、それだけ味付けに自信があると見た」
味付けについての根拠はない。
だが、自分で調理する時のことを考えるならば、やはり味付けに興味がある。
「なら俺は肉で。やっぱりたまには肉を食べないと力が出ないよ」
モリ君の選択は実に高校生男子らしくて安心する。
やはりあの年齢の男子が求めるものといえばカロリーと量を確保するための肉だ。
「ならモーリスさんは私と分け合うということで」
リプリィさんが笑顔でモリ君に声をかけるやいなや、エリちゃんがモリ君の腕を取った。
「モリ君は私と分け合うので」
「エリスさんはラヴィさんと分け合うんですよね」
「それはそれ、これはこれで」
モリ君を巡ってまた何やらややこしい事態が始まってしまった。
仕方ない、ここは仲裁するしかないだろうと2人の方へ向かうと、先にモリ君が動いた。
「分け合うよりも俺は一人でガッツリ食べたいかな」
モリ君がその空気を全く読まずにカーターと一緒にオープンテラスのテーブル席に付いた。
「オレも肉料理だな。あと酒を一杯」
「おいおい、昼間から飲む気満々かよ」
「ここには一週間滞在するんだろ。今日くらい好きにさせてくれよ」
カーターは既に店員に酒の注文を入れていた。
完全に椅子に重い尻を預けて酒と料理を催促するその姿からは、もうしばらくはここから動く気はないという鉄の意志が伝わってくる。
一体こいつは俺達の何を監視して何のサポートをするつもりなのだろうか?
だが、あまりストーカーのように付きまとわれても、それはそれで鬱陶しいので良いこととしたい。
というわけで、俺達女性陣三人だけが取り残された。
「とりあえず三人でシェアってことでいいですか」
「うん、まあそれで」
仕方ないので適当に屋台でタコスを購入して食べながら商店街を見て回る。
販売されている物は労働者向けの日用品と食材が中心で異国情緒を楽しむのは良いが、あまり珍しいものなどは売られていない。
あくまでもここは交易港であり、労働者とその家族向け以外の観光客が訪れることはあまりないのだろう。
それでも乾燥ジャガイモピザの味変するための調味料が何か手に入ればと淡い期待を胸にあちこち見て回る。
しばらく歩くと、商店街の一番奥に商品が幌で覆った暗い雰囲気の店を見つけた。
その店から何やら嗅いだことのある懐かしい匂いが流れてくる。
幌の中は壺がいくつも並んでいる。その壺から醸し出されるのは間違いなく醤油の香りだ。
「これは売り物ですか?」
商店の主らしい老婆がいたので声をかけてみる。
「ああ、これは魚を漬け込んだ保存食だよ。安くしとくよお嬢ちゃん」
「ちょっと見せてもらって良いですか?」
「どうぞ。試食もどうだい?」
壺の蓋を開けると、中には真っ黒に変色した液体に浸かったグズグズに崩れたイワシらしき魚が詰め込まれていた。
おそらく魚に塩と何かの調味料を漬け込んで作った発酵食品なのだろう。
魚の発酵食品ということで鮒寿司をイメージしていたが、食べてみると味はいかなごの佃煮に近い。
癖と塩分はあるが美味い。ご飯が欲しくなる味だ。
これはこれで珍味なのだとは思うが、俺にはその魚の発酵食品よりも。上澄み液の方が重要だった。
臭いといい、色といい、完全に醤油……いや、魚醤だ。
豆で作った醤油と比較すると、若干魚の生臭い臭いは気になるが、そこまで騒ぐほどではない。
もしかすると、この魚の発酵食品の販売店が、商店街の一番奥にひっそりを店を構えているのは、この発酵食品が放つ独特の臭いが原因かもしれない。
せっかくのチャンスだと俺は壺ごとその魚醤を購入した。
壺のままだと嵩張るので、後で小分けにするための瓶も探すことにしよう。
「しかし、最近は外国の方がよく来るね。珍しいこともあるものだ」
店主の老婆はニコニコで壺を抱える俺……いや、俺達三人を見てそう答えた。
俺とエリちゃんはもちろん、この国ではあまり見ることのない銀髪のリプリィさんも他国の人間に見えたのだろう。
ただ『よく来る』というのは気になる。
俺達と同じ、この世界の召喚された人間ならまだ良い。
仲間と再会出来るのは良いことだし、情報交換も出来るかもしれない。
ただ、これがゲームマスターや、他の運営関係者ならば話は変わってくる。
連中がこのパナマで何かを企んでいるのならば、早めに潰していた方が良いだろう。
「お婆さん、前にこの辺りに来た外国人はどのような方でしたか? もしかしたら知り合いかもしれないので」
「二、三日くらい前かねぇ。ここの商店街を歩いていたんだよ。全身真っ赤なドレスを着て、これまた赤い帽子を被った女性が」