Chapter 10 「Trick or Treat」
鳥の残数は四羽。
追加で五羽を召喚して残りは九羽。これで盾は三回は使える。
もし、巨人が追加で光条を放ってきても、盾が三枚有ればなんとかなるだろう。
どちらかと言えば問題は箒のエンジンの方だ。
先程からエンジンから白煙が上がり続けて止まる気配がない。
駆動音にもガラガラと何かが空回るような音が混じってきている。
無茶な機動によって負荷がかかりすぎたせいで、もはやエンジンの耐久度は限界なのだろう。
ただ、今すぐに壊れてもらっては困る。
もし箒がなくなってしまえば巨人を発破で吹き飛ばす際に俺が脱出するための手段がなくなってしまう。
今の少女のひ弱な体力で爆発が吹き荒れる中を駆け抜けて逃げられるかと問われれば断じて否だ。
なんとか爆発から待避するまでは保ってくれよと神様仏様
……あとは魔女の呪いを使ったときに出て来る虹色球体様。
あの虹色球体は、おそらく魔女に関係する何かだと推測は出来るし、外観もキラキラ光って縁起が良さそうなので、とりあえずそちらにも祈っておこう。
名前も知らない神様おねがいします……
余計なことを考えながら飛行していると、突如として背後から凄まじい爆音が轟いてきた。
もう発破が始まったのか!?
気が抜けている間に作戦エリアを通過していたのか!?
幸いにも、一発目の爆弾は地面から爆風を真上に吹き上げるよう調整されていたようなので、こちらにはあまり爆風は流れてきていない。
ただ、巨人を複数の爆弾による連続爆破で吹き飛ばす作戦ということを考えると、そんな爆発ばかりが続く訳がない。
近いうちに俺も巻き込むような大きな爆発が来るはずだ。
背後を振り返ることなく、スロットルレバーを最大に上げ切って最大限の加速を行って、巨人との距離を開ける。
もちろんそれだけでは心許ないので、鳥を三羽使用して背中に盾を形成して発破によって発生する爆風に備える。
盾の範囲は意外に狭く、俺と箒の全体をカバーすることが出来ないのは覚悟の上だ。
最悪の場合は俺の身だけでも護れればそれで良い。
一度目の爆発から十秒ほど開けて二度目の爆発が始まった。
今度は爆発音と共に熱を伴った衝撃波……爆風が猛烈に吹き付けてきており、煽られて箒のバランスを維持できなくなった。
激しく機体が回転する。
このままだと墜落する――
なんとか姿勢制御しようと頑張ってみるが、うまくいかない。
事態はそれだけでは済まなかった。
何やら背中の方から爆風以外の熱気を感じるので振り向くと、箒の尾部に取り付けられているエンジンから炎が吹き出している。
最後の無理な加速がまずかったのか?
それとも爆風の直撃をもろに食らったのがまずかったのか?
どんな理由で引火したにせよ確定なのは、飛行中にこのエンジンからの引火を消すことは出来ないということだ。
「えっと、キルスイッチ……キルスイッチはどれだ?」
この状況で燃料タンク内の燃料に引火すれば大爆発する可能性もある。そうなれば俺もただでは済まない。
技師に教えていただいたキルスイッチを押すと、それまでやかましく爆音とカラカラという何かが空回りする音を立てていたエンジンは完全に停止した。
プロペラはまだ惰性で回転は続いているが、動力が停止したことで間もなく停止するだろう。
燃料コックもオフにしてエンジンへの燃料もカットする。
もちろんそれだけやってもエンジン内に既に入っている燃料が燃えて発生した火は消すことが出来ない。
航空服の耐火能力のおかげですぐに火傷することはないようだが、それでもこのままの状態が続くのは危険だ。
制御が効くうちに可能な限り、速度と高度を落として地面すれすれに移動する。
軟着陸する余裕はないとシートベルトを外し、意を決して箒から飛び降りた。
「あうっ」
勢いを殺しきれず、ゴロゴロと落石だらけの岩場をしばらく転がったが、丈夫な航空服のお陰で衝撃は吸収されて大きな痛みはない。
エンジンと俺という動力源がなくなり、ただの金属の塊と化した箒は惰性でそのまま真っ直ぐ飛んでいき、俺から十数メートル離れた場所に落下した。
フレーム部分は落下の衝撃で真っ二つに折れ曲がり、更に燃料タンクが破損したのかてエンジンから噴いていた火は更に炎の勢いを強めている。
エンジン自体は停止させていたので、ここから大爆発するようなことはなさそうだが、その代わりに漏れ出したバイオエタノール燃料に燃え移り、青い炎を高く上げている。
あれではもう二度と箒として空に浮かべることは出来ないだろう。
また箒を壊してしまったか……
そう言えば巨人はどうなった?
倒せたのだろうか?
気になって振り返ると、巨人の下半身は二度の爆発によって大半が失われており、残った胸から上についても赤い炎に包まれて轟々と音を立てて燃えていた。
頭部の触腕も多くが燃えており、残っているのは数本だ。
更に追加で数度爆発が起こり、胸部と腕が粉微塵に吹き飛ばされた。
爆風によって触腕の付いた頭部は胴体から千切れて上空に高く吹き飛ばされていく。
それでもなお、三回目、四回目と爆発は続いている。
さすがにあの状態で生きていることはないだろう。
これならば巨人もひとたまりもない……。
――いや、今のはものすごくフラグっぽいセリフだった。
これは絶対に良くないことが起こるやつだ。
冗談です済めば良かったが、運命の女神様は相当に悪辣らしい。
それとも虹色球体様なる得体の知れない神様に祈ったことで運命の女神に嫌われてしまったのだろうか。
爆風で吹き飛ばされて空の彼方に消えたはずの巨人の頭部がよりにもよって俺から10mほどの位置に落下した。
ここは既に爆弾の効果範囲から外れており、爆発による追加ダメージはもう期待できない。
巨人の頭部は焼け焦げているが、かなり原型をとどめている。
まさか――!?
巨人の頭部は胴体から引きちぎれたにも関わらず、頭髪のように生やしていた頭頂部の触腕を足代わりにして立ち上がった。
元は首が有ったであろう部分からも触腕を生やしており、それは全身が触腕の塊と化していた。
まるで巨大なイソギンチャクかタコのようにも見える。
――こいつはまだ健在だ。
胴体を吹き飛ばすための爆発自体はまだ続いており、このまま塵も残さず焼き払われる見込みだろうが、俺と奴の頭部がいるこの場所にまでは爆風は届かない。
爆発によってこの頭部に入るダメージはない。
奴の単眼と俺の目が合う。
箒は――なし。発火したエンジンは燃料に引火して激しく燃えている。
あれでは近付くことすら出来ない。
残存している鳥は六羽。
魔女の呪いは使用できるが、五羽の攻撃範囲ではあいつを消しきれる保証はない。
先程出した盾はまだ生きてるが、消えるのも時間の問題。
兵士達は……おそらく発破をかけた工作部隊や、追撃のための部隊は近くにはいるだろうが、目に見える範囲には確認できない。
もし応援に駆け付けるとしても10分はかかるだろう。
この状況で俺に何が出来ると……
「ここからは対応を一歩でも間違えたら死ぬ」
俺の体力は皆無。
エリちゃんのように素手で殴り合うなど出来ない。
魔女の呪いの一発にかけるか? それとも盾で身を守りながら誰か助けが来るまで待つか?
近くには待機している陸軍の兵来るまで、なんとか時間を稼げばなんとかなるか?
生き残るためのプランを練りながらやつとジリジリ距離を取る。
このまま何とか時間を稼げないものか……
だが、それは甘い考えであることを思い知らされた。
巨人の目に赤い光が点るや否や、刹那のタイミングで赤い光条が発射され、盾をあっさりと消し去った。
ダメだ。このペースで盾を破られ続けると、援軍が来る前に先に俺の命の方が尽きる。
魔女の呪いで一撃で仕留めきれるか?
もし一撃で倒しきれなければ、次弾チャージの三分の間までどう持たせるかが問題だ。
その時、俺の脳裏にある一つの作戦が思い浮かんだ。
出来ればやりたくはない。
成功する見込みはあるが、あくまで仮定での話だ。
可能性は半分有れば良いところ。
成功する保証などないし、もし成功したとしても、それで奴を倒しきれなければ、反撃には耐えられないだろう。
――友人の泣いている顔が脳内によぎった。
――何もしなければ死を待つだけだ。ここは、やるしかない。
「おおおー」
サイズの合わないブーツを脱ぎ捨てて、素足で奴に向かって駆け出す。
携えるのは六羽の鳥。
雄叫びの声が可愛いのと、ラヴィの体力だとペタペタとかなり遅い走りしか出来ないので、何一つ迫力など皆無だが、それでも俺の全てを賭けた最後の攻撃だ。
俺のその覚悟を、ただの破れかぶれの玉砕特攻と見たのか?
それともひ弱な少女が全力を出したとしても何の脅威にもならないと判断したのか?
触腕と目のみで口などないのに、イソギンチャクのような頭部がニヤリと笑ったように見えた。
奴の触腕の一本が伸びて、俺の身体を絡め取った。
避ける体力などない。
そもそも体力は全快だとしても、元々避けられるような脚力などない。多少のダメージは折り込み済みだ。
人間は簡単に死なない。
あの技術者の人の言葉が身に染みる。
触腕に激しく身体を締め付けられて激しい痛みが伝わってくる。
ベキッと人体から鳴ってはいけないような音が鳴った。
「男の触手プレイなんて誰得なんだよ」
飛びそうな意識の中で六羽の鳥を解放する。
それと同時に、俺の身体を拘束していた触腕が霧状になって消滅した。
急に締め付けられていた胸部が解放されたことで、ゴホゴホと咽こむが、いつまでもそれを続けているわけにはいかないと、唾と一緒に飲み込んだ。
奴……巨人は何が起こったのか理解出来ないようだ。
だがそれで良い。出来るだけ長く狼狽えていろ!
「ハッピーハロウィン、巨人さん」
俺は痛みを答えるために無理矢理口角を釣り上げて笑みの表情を作った。
「Trick or Treat」
俺の全く力が入っていないパンチによって、巨人の顔面の一部が抉られたように消滅した。
巨人は反撃とばかりに別の触腕を伸ばしてきたが、そちらも右手で殴り飛ばす。
俺が触れた部分から触腕は黒い霧状になって消滅していく。
ここで初めて奴から余裕が消えた。
俺の右手の拳の先には虹色のヒビが入った黒い球体が現れていた。
魔女の呪いの前兆の「収穫」は、周辺の生命体を霧状に変えて黒い球体にエネルギーを集める仕組みだ。
今回は消費したのは六羽。
五羽で使用した時よりも若干収穫の範囲は広いだろう。
少なくとも、せいぜい全長10mほどの頭だけで生きている瀕死の巨人が、射程の外にはみ出しているということはないはずだ。
黒い球体を相手に直接叩きつけて零距離で収穫を行う。
零距離に近付くために、奴にはどうせ何をやっても無駄と油断と慢心をさせる必要があったが、どうやらその賭けは見事に勝利出来たようだ。
ランクアップによる回復が期待出来なければ、こんなこと二度とやらんぞ。
いや、回復がなくてもやらんぞ、こんなステゴロ呪術バトル。
魔女は呪いを振り撒くとかいう話だったが、別にそれは少年漫画式の呪術をやれということではないはずだ。
「お菓子をくれないと……いたずらするぞ」
俺のパンチで巨人は霧になって細かく粉砕されていく。
全身に浮かんだ紋様は虹色の光を発しており、光を発しながら拳が当たると黒い霧が散ってその箇所が抉り取られる。ビジュアル的には何かの必殺技に見えるかもしれない。
俺もラヴィも格闘経験などない。
腰も入っていなければ、力もろくに入っていない。何の技術もない。
ただ手を振り回すだけの駄々っ子パンチだ。
だが、その幼稚すぎる攻撃を防ぐことは出来ず、確実に巨人の身体は削られていく。
巨人はなんとか再生をしようとしているようだが、再生を開始した箇所は明らかに弱い。
「収穫」から逃れることは出来ず、その場所から真っ先に霧と化して消えていく。
巨人を削り飛ばす度に、度会知事に見せられた凄惨な被害状況の写真のことが脳裏に浮かんだ。
被害者と俺は所詮は無関係にすぎない。
あまりに遠い世界……文字通り日本人である俺ととこの世界の住民では世界が違うのだ。
だから被害者に対してそこまで情が沸いているわけではない。
それに、俺は別に正義の味方になりたいわけじゃない。
俺は魔女だ。物語の中では悪人のポジションだ。
世界を恨み、呪いを撒き散らす。
そういう存在でしかない。
だから、これは正義のための戦いではない。
被害者の巨人へ対する理不尽な恨み辛みを集めて、それを呪いという形で返してやっているだけのことだ。
さあやろうぜ、呪術バトル!
あいつに人間の愛を教えてやろうぜ。
《違う、これ呪術じゃない……》
久々に魔女からの呼びかけが来たので答えておこう。
令和最新版の呪術ってのは殴り合いのことだぞ!
今は黙ってビブラスラップでも鳴らしてなさい。
巨人の攻撃を裁きつつ、ひたすら無心に拳を振るい続けた。
何回拳を振るっただろうか。
手袋はとっくに破けて拳の先からは血が噴き出していた。
普段使わない筋肉を使ったからか、右の二の腕は吊ったようになってジンジンと痛みが伝わってきている。
丈夫が売りのはずの航空服にはあちこちに大穴が空き、そこからは皮がめくれて出血している様子が見える。
ぜいぜいという荒い息が止まらない。
気付くと岩の上には金色のメダルが転がっていた。
左手で拾い上げるとメダルにはSSRの刻印があった。
巨人の遺骸はない。全て霧と化して黒い球体に吸収されてしまっている。
こうなってしまっては再生能力も何も関係ない。
「これだけ苦労させて金のメダルが一枚かよ」
金よりも上のレアリティのメダルが出現することを期待していたが、実際に出現したのは金。
これだけ命をかけて必死に頑張って、
多くの一般人や軍人に被害を出して、
――それでようやく倒したモンスターが排出したのは金のメダル一枚。
モンスターを倒すより人間を倒す方がはるかに効率が良い、人間同士の殺し合いを推奨させるシステムに対して、怒りを通してもはや呆れの感情しか沸いてこない。
戦いが終わったことに安心したら、急に全身から痛みがこみ上げてきた。
今まではアドレナリンか何かが放出されていたのだろう。
一歩間違えたら命を落としてしまうという危機感から無理矢理身体を突き動かしていたが、それがなくなったのもある。
箒から落下した時、触手に締め上げられた時、思えば最後の収穫の時も反撃を何回か食らったような気もする。
そもそも前日の十羽消費の魔女の呪いの披露から回復し切れていない。
そして、右の拳の前に浮かんでいる黒い球体は巨人という生命力の塊を吸い尽くしたことで今すぐにでも破裂せんばかりに膨らんでいた。
「そういやこれの扱いをどうするか決めてなかった……」
収穫で生命力を吸い尽くした状態では解除も出来そうにないので、戦いが終わったと示す狼煙代わりに真上に向かって魔女の呪いを発射する。
閃光は十秒ほど眩く輝いて――消えた。
やるべきことは全てやった。
ここまでやれば誰に文句を言われる筋合いはない。
後は仲間が助けに来てくれるのを待つだけだ。
――おかしい。
巨人を倒して体感では既に十分は経過しているはずだが、誰も助けに来る気配がない。
作戦の上では、もし巨人を倒せなかった場合は、トドメを刺すためにすぐ近くに兵士が待機しているはずだ。
なので、巨人が倒れたことが確認できた時点で、俺の救出にやってきてもおかしくはないのだが、来る気配がないどころか、近くに全く人の気配を一切感じない。
「衛生兵!」
声の限り叫んでみるが、何の応答も帰ってこない。
「誰も回収に来ないんだけど、なんで?」
その疑問の答えも返ってくることはなかった。