Chapter 7 「笑顔の魔法」
度会知事に案内された先は、何かの整備工場のような場所だった。
むき出しの鉄骨に木の板が張り付けられて壁が作られている、そんなシンプルなバラック構造だ。
入り口のところには紐で何かの切れ端のように端がガタガタの波打った木の板が吊されていた。
開発工廠と雑に漢字が書かれている。
廠の部分は若干うろ覚えで書いたような適当さがあり、予算がないんだなという台所事情が伝わってきて悲しい。
その工廠の真ん中には、何に使うのか分からない計器や工具に埋もれて、プロペラを取り付けられたエンジンのような機械が置かれていた。
エンジンからは何かを取り付けることを想定したであろうネジ穴がいくつも開いた金属の棒が突き出しているがそれだけだ。
船?
……いや、これは飛行機か?
あまり詳しくはないが、本などでは見た記憶がある。
ただ、航空機のエンジンとして見るとかなり小さい。
今は骨組みしかないが、これに外装を付けたとしても小型と言われた日本の零戦よりも更に小さい。オートジャイロくらいのサイズにしかならないだろう。
「日本人の貴方なら分かるでしょう。これが何か」
「飛行機のエンジンですよね、多分。実物よりかなり小さいですが」
「研究開発中の航空機の試作モデルです。エンジン部分は安定しましたが、フレームや翼の強度不足のために、未だ実用化は果たせていません。現状できるのは、人も乗れないこの小さなエンジンでプロペラを回転させて風を起こすだけです」
知事の言いたいことはだいたい分かった。
この模型飛行機に毛が生えた程度のおもちゃを、箒代わりに使えということだろう。
「でも、飛べないなら箒の替わりにはならないですよね」
「たった今、説明した通りです。翼の強度維持が出来ないがプロペラを回転させることは出来る」
「でも、やっぱりそれでは飛べないですよね」
「この試作航空機を『魔女の箒』として飛ばすことは出来ないですか?」
度会知事が訳の分からないことを言い出した。
いやいや無理だろう。
これが箒とか何の冗談なんだよ。
確かに、エンジンが付いた後部は膨らんでいて、そこから伸びた棒状のフレームというシルエットだけを見ると、ものすごく拡大解釈をすれば、箒に見えなくはない。
だが、魔女の箒というのはそういうのではないはずだ。
パンツじゃないから恥ずかしくない魔女のストライカーユニットじゃないんだぞ。
「私の五十年前の仲間に、貴方と同じような魔女がいました」
度会知事は何やら懐かしむように遠くを見た。
「彼女は最初に持っていた箒が破損した際には、代用として巨大なハンマーに跨がって空を飛んでいました……箒でもデッキブラシでもない。ただ柄の先に何かが付いていることしか共通項がないハンマーで、ですよ」
「そうは言われましても、まだハンマーの方がこのエンジンに棒が付いただけの代物よりはまだ箒に近い気が……」
まあ、試してみるだけならばタダなのでやってみても良いだろう。
その上で「ダメでした」と断れば済む話だ。
航空機(笑)のフレーム部分に手を触れて、これは箒だ。魔女が空を飛ぶのに必要な道具だと念じる。
『浮遊』
はいはい、ほら何も起こらない。
フレームとエンジンしかない「航空機」がふわりと浮き上がった。
え? 嘘だろ!?
この動作未確認です。ノンクレームノンリターンでお願いしますと言いたくなる、エンジンらしき正体不明の機械に金属棒を付けただけの用途不明の謎の物体が「箒」として認識されて良いのだろうか。
判定がガバガバすぎるだろ、この世界。
――だが、そのガバガバ判定は、逆に都合が良い。
「空さえ飛べればこっちのものだ」
俺は不敵な笑みを浮かべる。
どの道、普通の箒や、最悪デッキブラシでも、それを使って巨人の誘導はやるつもりだった。
それが、こんな極上の箒(笑)を使えるなら大歓迎というものだ。
「やっていただけるということですね」
「それはやります。巨人を倒すことが俺……私に与えられた依頼ですから。ただ、攻撃には期待しないでください。今の体調でまたビームを使うと、巨人より先に私の方が死んでしまいますので」
流石にもう命を賭けるような無茶はしたくないと知事に告げる。
「もちろん承知です。巨人討伐作戦はまだ継続中です。当初の予定通り、奴をダム建設予定地に誘い込むことさえ出来れば」
「わかりました。俺がこの箒で巨人を誘導します。ただ、どう見てもこの金属の塊に乗れと言われても無理なので、最低限乗れるようにする改良だけはしてください」
「何が必要でしょうか?準備させます」
気持ちだけはあるが、冷静に考えると、この航空機と呼称されるただの金属の棒に跨がって飛び回り、巨人を誘導しろというのはさすがに無理がある。
そもそも普通の箒でも俺の股は限界だったというのに、これに跨れとは、もはや完全にSMプレイか、何かの罰ゲームである。
まともに乗れるための仕組みくらいは要求しても良いだろう。
「座るための椅子、風避けのウインドシールド、ゴーグル、航空服。あとテスト飛行の時間」
「街には巨人が迫っています。あまり猶予はないので一時間で可能な限りのものを用意させましょう」
度会知事が即答した。
俺の無茶振りを一時間でやれと無茶な要求をされた担当者のことを思うと、こちらまで頭が痛くなってくるが、それでも頑張って貰うしかない。
「他に質問事項は?」
「このエンジンの燃料は何ですか? この世界ではもう石油が取れるのですか?」
「トウモロコシ原料のバイオエタノールです」
……えっと、世界観どうなってるんだよ。
この国の科学力は中世なのか近世なのか近代なのかさっぱりわからない。
「この国――いや、この世界の科学技術力で石油の採掘が出来るとお思いですか?」
「それでも相良油田みたいなものがあれば……」
「そんな都合の良いものはありません。現状は表層の浅いところにある質の悪い石炭が少し採掘されるだけ。それが精一杯です」
まあそういうものだ。
いくら五十年間隔で日本人が呼ばれて、その度に技術力ブーストがかかっていると言っても、世の中そんな都合良く行くわけはないだろう。
「ところで、この飛行機って名前はあるんですか?」
「試作のために正式名称はありませんが、開発中のコードネームはリプリィです」
「それってあなたのお孫さんの名前ですよね」
「元々は現地の言葉で稲妻、放電を表す言葉です」
「なるほど」
「日本風だとなんでしたか。零戦の名前にありましたよね。紫電とか」
零戦で雷の名前というと何があったかと記憶を探る。
その時、閃いた。
今から戦闘機で巨人……いや、巨大怪獣と戦うのだ。
この名前しかないだろう。
「怪獣と戦うんですよ。その戦闘機の名前で雷に関した名前となると、もう候補は一つしかないじゃないですか」
「何の話でしょうか?」
「貴方が日本から離れている五十年の間に色々有ったんですよ」
度会知事は理解できないというような顔をしていた。
当然だ。
極めて最近の話だから、五十年前の知事に分かるわけがない。
だが、これは男のロマンがかかっている。
この名前は譲れないだろう。
「震電」
一時間後にリプリィさんに呼ばれて航空機の工廠に向かうと、俺の新しい鋼鉄の箒である震電には、俺が要望した通りの物が取り付けられていた。
周りには、俺と度会知事の無茶な要求に応えてくれたであろう、油まみれの作業服を着た技術者らしい方々が大勢いた。
無理な要求にこの短時間で応えてくれたのは本当に感謝の気持ちしかない。
シートはフレーム左側側部の、本来は翼のフレームを取り付けるための場所にボルト留めと溶接で固定されていた。
手で軽く掴んで揺さぶってみるがビクともしない。
これなら簡単に振り落とされることもなさそうだ。
シートにはエンジンの回転を制御するためであろうスロットルレバーが取り付けられている。
このグリップを右手で握るためにシートは左側に付いているのだろう。
それ以外の操作機器は一切ない。
あくまでこれは飛行機ではなく、俺の魔女の力で飛ばす『魔女の箒』だからだ。
機体を制御するためのフラップやラダーなどの装備は最初から取り付けられていないので、必要ないのだ。
椅子の前には風防の役目であろう、無理矢理溶接されたような小さい鉄板が付いてる。
時間的な問題か、技術的な問題かは分かりかねるが、ガラスなどの透明な風避けの風防のようなものは取り付けられていない。
箒の横に付いているシートに腰掛ける。
普通の箒の上に跨がるよりも安定感もあるし、あくまで椅子なので、あちこち食い込んで痛くなるということもなさそうだ。
風防代わりの鉄板は視界の邪魔にはならない程度の位置に付いている。
バイクのウインドシールドと同じようなものだと考えると、もう少し角度が欲しい気もするが、今から修正するには間に合わないだろう。これで行くしかない。
「少々無茶な動きをしても振り落とされないように、簡易的ではありますが、シートベルトを付けておきました。このボタンを押すとベルトの留め具のロックが自動的に解除されてベルトが外れますので、危険な時は脱出してください」
年配の技術者らしい――おそらくここの現場主任なのだろう方から一通りの機能の説明をしていただく。
まあ、空中でシートベルト外して脱出しろと言われても、単体だと空を飛べない俺はシートから投げ出されたら、そのまま落下死するしかないのだが。
「エンジン緊急停止用のキルスイッチはこちら。ただし、一度停止するとこの整備工場でしか再始動できません。出来れば押さないでください」
「なら何故そんなものを付けたんです?」
「エンジンが爆発して木っ端みじんになると即死ですが、エンジンが停止すれば、万が一助かる可能性はありますので」
「爆発するんですか?」
俺は思わず年配の技術者に突っ込んだ。
さすがに飛行中に爆発されたらたまったものではない。
「試作品ですので」
年配の技術者が身も蓋もないことを言う。
「試運転の稼働時間は三十分です。それまでに着陸をお願いします。不具合などあれば、そこを修正して本番飛行に臨んでいただきます。あと、三十分というのは巨人が近付いてきているというのもありますが、エンジンの耐久性を考えると、試運転に使えるのはそれが限界だということです」
「つまり、飛べることを確認したらすぐに戻ってこいということですね」
「はい」
一度シートから降りる。
「航空服は、新しく作成する時間がありませんでしたので、消防隊が使用しているものを改良しました。ただ、石綿を縫い込んだ耐火服はエンジンからの廃熱に耐えるための役目で、風防効果はあまり期待できません」
今度は別の若い技術者の方が白銀のつなぎを渡してくれた。
受け取って広げてみる。
航空服は、飛行機用というよりも膨らんだ白銀という外観から、宇宙服のような印象を受ける。
「ゴーグルも消防用です。耐久性はあるはずですが、実地試験がまだなのでどれほどの効果があるかは不明です。ガラスの強度も保証できないので、割れそうになったら捨ててください。最悪の場合は割れたガラスが目に刺さって失明する危険があります」
手渡されたゴーグルも現代の感覚からすると洗練されているとは言いがたいが、それでもないよりはありがたい。
軍服の上に航空服を着てゴーグルをかける。
手袋を填めてブーツを履く。
急揃えなので、航空服もブーツもオーバーサイズでブカブカだが仕方がない。
航空服のフードを被って紐を縛ると、気分は飛行機乗りというより宇宙飛行士だった。
「繰り返しますが、試運転は三十分です。工廠の周りを一回りしたらすぐに戻ってきてください」
「ありがとうございます」
俺が答えると年配の技術者の方が俺の肩に手を置いた。
「この飛行機を飛ばすことは私達の夢でした。それが不完全な形とはいえ、それが叶うとは」
「まだまだですよ。俺は不正みたいなものですから。でも、あなた達ならきっとすぐに実現出来ると思います」
「ありがとう……それでは良い空の旅を」
シートに腰掛けてシートベルトを締めると、背後からカラカラとゆっくりとした回転音と振動が響いてきた。
エンジンに点火されたらしい。
右手のスロットルレバーを前に倒すと、エンジンとプロペラの回転数がどんどん増していき、背中からグイと押される感覚が伝わってきた。
最初はカラカラと空回りする軽い音も、鈍く響く爆音とプロペラが空気をかき回す風音へと変わっている。
「浮遊」
箒がふわりと浮き上がる。
それと共に、エンジンの爆音をかき消す程の歓声が技術者達から上がった。
(では試運転に行ってきます)
意味が通じるのかは分からないが、右手の肘を曲げて伸ばした指先を眉毛の少し上の辺りに当てて敬礼をする。
「まずは急上昇!」
スロットルレバーを上げると、今までの箒とは比べものにならない速度で箒は急上昇を始めた。
軌跡にエンジンから吐き出された白煙と、エンジン部分から発せられた虹色の光が流れる。
スロットルを更に上げるとエンジンが唸り加速する。
感覚は学生時代に乗っていた1000ccの大型バイクに近い。
頬に当たる風の抵抗などから推測するに、現時点の速度はバイクと同じ100km/hくらいだろうか?
ここから時速200kmくらいまでは上げられそうだ。
バイクと全く違うのは立体的に動けるということ。
真上に飛行するというバイクとは全く違う感覚に俺は酔いしれていた。
魔女の力とエンジンの加速で更に速度を上げる。
航空機の工廠が、軍施設が、町が。
地上の風景が凄まじい勢いで小さくなっていく。
町の外にはジャングルが広がっており、近くの山には例の遺跡が見えた。
高度を上げるに従って、この国の形が色々と分かってくる。
あちこちに作られた人の営み……町。そしてそれらを繋ぐ街道。
そして、それを破壊しに現れた例の巨人の巨体が見えた。
再生したことで一回り小さくなっているように見えるが、それでもなお巨体には違いない。
待っていろよ。今度こそ仕留めてやる。