Chapter 3 「州知事」
俺達は州知事の待つ軍施設の応接室に案内された。
なんでも州都はもっと西にあるらしいが、たまたま別件で知事はこの町を訪れていたらしい。
その別件とやらが俺達を呼んだ理由と何か関係しているのだろうか。
顔が写るほど、ワックスで磨かれたフローリングの上に赤いカーペットが入り口から立派な木製の机まで敷かれている。
窓は大きなものが二つ。大きなガラスを作る技術がまだないのか、小さいガラスを組み合わせて採光しているようだ。
風呂に入っていたときは茜色だった空は既に浅葱色になっており、間もなく日没になろうとしていた。薄暗さを補うようにオレンジ色の電球の光が灯っている。
……電球があるのか、この世界は。
俺が電球の灯りを見つめていると横から声がかかった。
「最近ようやく電球の製造に成功しましてね」
喪服のような黒い服を身にまとった長身痩躯の老婆だった。
六十は超えているのは分かるが、姿勢正しく凜とした態度からは老いが感じられない。
州知事とかいう要職を務めているだけのことはある。
「蛍光灯はまだです。研究は続けていますが、まだ時間はかかります。LEDはもっと先。私はおそらくその頃には生きていないでしょう」
老婆が手を伸ばして握手を求めてきた。
「話は聞いています。あなた達が日本から来られた方々ですね」
「モーリス……いえ、小森裕和と申します。よろしくお願いいたします」
まず、ニューリーダーのモリ君が手を伸ばして握手に応じる。
「私は度会瑞穂です。この世界に喚ばれたときには違う名前を与えられましたが、そちらの名前はもう長い間使用していません。忌まわしくて使いたくもありませんが」
度会知事はそう言うと一枚の古びたカードを出して見せた。
[ソフィア R]
名前の下にはスキルアイコンが三つ。
間違いなく俺達と同じフォーマットのカードだ。
50年前に喚ばれたという知事が何故ソシャゲ準拠のデザインのカードを持っているのかは謎しかないが。
ただ、カードを見せる知事からは何か怒りのようなものを感じた。
「私は上戸佑と申します」
「私は赤土恵理子です」
「上戸さんに赤土さんね。あまり堅苦しくなりなさんな。貴方達と私は同郷なのですから、親戚に家に遊びに来たと思ってもっと気軽にしてちょうだい」
知事に着座を勧められたので失礼しますと言ってソファーに着席する。
就職活動以来の緊張感を感じる。
モリ君はこういう場面は初めてなのだろう。俺以上に緊張が見える。
逆にエリちゃんは何も考えていないのか、知事の親戚の家発言を真に受けたのか、やけにリラックスしていて緊張を感じられない。
いや、むしろこの状況で堂々とした態度を取れるあたり、もしかしたらエリちゃんは意外と大物なのかもしれない。
「電球があるようですけど、どこかに発電所があるのですか?」
「ここの電力はソーラーパネルを使用しています。発電量は少ないですが、この建物の照明くらいは賄えます」
「す、凄いですね。ソーラーパネルとか」
何が中世のゲーム世界だと憤慨した。
ソーラーパネルがあるとか、何がファンタジー世界なのか。
……あれ、五十年前にソーラーパネルって有ったのか?
宇宙船のボイジャーやアポロ宇宙船なんかに使われていたらしいから技術は有ったんだろうけど、五十年前に喚ばれた日本人に学者でもいたのだろうか。
「逆に重工業はまだ中世のままです。質の良い鉄鉱石を採掘する技術が手に入らなくて――いえ、今はこんな話をする場ではありませんでしたね」
「いえ。楽しいですよ。こういう技術の話は」
知事は本題に入るとファイルから一枚の写真を取り出した。
「貴方達への話とはこれのことです。まずはこの写真を見てください。日本と違いカラー写真はまだこの世界にはなく、銀塩の白黒写真ですが」
写真には足と頭が異様に大きく手は極端に小さい恐竜のような生き物が写っていた。
シルエットそのものは尻尾のないティラノサウルスのように見える。
だが、それは普通の恐竜ではないと一目で分かる。
頭部に当たる場所には何本もの触腕を持つイソギンチャクのような形状の物体が付いている。
その物体の中心には巨大な目が一つ。それ以外は鼻も口もない。
極端に小さい腕は一見すると人間の腕のような形状をしているが、鋭く尖った指先と指の間にある水掻きのような皮膜が付いている。
この世のものとは思えない歪な造形からは写真から醜悪さが伝わってくる。
「この巨人は今から三日ほど前に海中から突然に現れました。現在も軍が攻撃を続けていますが、未だ討伐には至っていません」
三日といえば、モリ君やエリちゃん達五十人がこの世界に喚ばれた時期と一致する。
何か関係があるのだろうか。
「この巨人はかなりの大きさに見えますが、どのくらいの大きさでしょうか?」
「約60m」
「60……」
思わず絶句する。
60mはそれなりのビルやマンションくらいの高さだ。
就職するまで住んでいた町の駅の近くに建ってた高層マンションがそれくらいだったはず。駅ビルの倍くらいあったような。
それが歩いて襲いかかってくるなど、もはやモンスターではない。怪獣だ。
「この巨人は地元の伝承に準えてイソグサと呼称しております」
「磯草?」
「日本語ではなく現地の言葉です。巨人は戦艦からの艦砲射撃にも対艦ロケットにも耐えました――否、厳密には損壊を与えたが即時再生された」
このゲームのジャンルは何なんだよ。ファンタジーからSFに経てついに特撮怪獣物になったぞ。
こんなのを相手にさせるなら光の国の戦士でも連れてきてください。
「その戦艦の砲というのは現在……じゃないな、知事が喚ばれた時期の日本軍の戦艦と比べてどれくらいの火力でしょうか?」
「極めて原始的な火薬を詰めて鉄の球を飛ばす方式の大砲です。大航海時代のスペイン艦隊なら勝てますが、近代になると通用しない。それくらいを想定してください。日本だと戦国時代くらいですね」
喩えの例が妙に具体的なのが気になるが、近代の兵器ではなく、まだ中世レベルだということは分かった。日本の戦国時代というと、攻城戦や野戦などに使われていたタイプだろうか。
現代兵器に比べると弱いといえば弱いが、それでも弓矢や近接武器よりははるかに強いだろう。
当然下手なスキルでは相手にならないくらいの火力になるはずだ。
「それでも倒せなかったと」
「胴体を半分吹き飛ばすまでは出来ましたが、その都度再生されたために、先に砲弾の方が尽きて競り負けたとのことです」
中途半端な攻撃は意味がないということだろうか。
それならば、攻撃する際には再生能力が間に合わないほどの飽和攻撃を加えるか、一気に倒すかの二択になるはずだ。
「貴方達を呼んだ理由についてご理解いただけたと思います」
知事が二枚目の写真を取り出した。
そこには山に開けられた大穴が写っていた。
「昨日夜と本日早朝に観測された、岩をも蒸発させるほどの超高熱と山をも貫通するほどの高熱の熱線砲。この報告を受けた時にこれしかないと思いました。この能力ならば、あの巨人を倒すことが出来る」
昨日夜と今日の朝に熱線を出したというならば、間違いなく俺の仕業だ。
最初の試射と、襲撃者が来た時に撃ったものの二回だ。
最後の脱出口を開けるのに使ったのはカウントされていないのはセーフなのかどうなのか。
俺達……いや俺をわざわざ遺跡に迎えに来たのは最初からそのつもりだったのだろう。
だが、熱線に気付いていたのなら、もっと早く遺跡内部に助けに来て欲しかった。
そうすればあの妙な襲撃者連中と抗戦することもエリちゃんが負傷することもなかった。
色々な苦労を負わずに済んだ可能性は高い。
ふと気付いた。
最後の部屋にあった扉は外側から何か強い力を受けて歪んでいた。
あれは、この国の軍隊が遺跡に無理矢理進入しようとした結果として歪んだのではないだろうか。
もしそうならば、すぐ近くまでは助けに来ていたが、扉が想定より頑丈で破壊しきれずに、一度撤退した可能性がある。
ジャングルに入ってすぐの場所に武装した兵士がいたのもそういうことだろう。
今朝のビームを見て利用価値があると判断して、州都からこの遺跡の町に駆けつけ、すぐに遺跡に軍を派遣して、すぐに揃えられる武装で扉の破壊に挑戦。
もし技術レベルが足りていれば、あのSFロボと戦闘が始まる前に、この国の兵士が遺跡内に助けに来ていたということになる。
判断が早いってレベルじゃないぞこの人。
「それでこの熱線を出せるのは誰なのかしら?」
「私です」
隠す意味はないので名乗り出る。
「熱線を使用する際には周辺の生命体を霧にして吸収しようとするので、周りに人がいたり乱戦状態だと使えません。連射も出来ません」
「なる程。それは貴重な情報ありがとうございます」
知事は俺の話をメモに取る。
「では次に、これから写真を十枚ほど出しますので、感想をお聞かせください」
知事が更に追加で数枚の写真を取り出した。
俺達はその写真を掴んで確認する。
巨大な何かに踏み潰されて破壊された家
岩の上に上下逆になって乗っている半壊した漁船
ぐったりした子供を抱いて泣いている親
無数に並ぶ死体袋
写真にはまるで戦場か大災害の記録写真のような凄惨な光景が写っていた。
技術レベルがまだ低くてこれが精いっぱいなのか、それとも写真を撮った人間もゆっくりと撮影している余裕などなかったのか。あるいはその両方か。
ピントも若干ずれており、かつ手ぶれしているために鮮明な画像とは言いがたいが、この写真で伝えたい意図はハッキリと伝わってくる。
「巨人によって既にこれだけの被害が発生している。お前達が協力しなければ被害は広がり、犠牲者は更に増える」――だ。
「写真はまだまだありますが」
「いえ、もう結構です」
下唇を噛んで知事を睨み付ける。
こんなものを見せて何だ? 何をさせようというのだ。
エリちゃんは口を手で覆って無言だが、モリ君も怒りを隠していない。巨人に対してはもちろん、この写真を出してきた知事に対してもだ。
俺は面倒なことは嫌いで他人がどうなろうと知ったことではない、自分中心主義の薄情な人間だぞ。
「私はこの国を守るためなら何でも利用するつもりです」
俺達の心のうちを把握していると言わんばかりに、知事は悪びれずに言った。
「情に訴えて、タダ働きをさせるつもりですか? 俺達にとってはこの国の人間は所詮は知らない人間ですよ。見捨てる可能性だってある」
「でもそうはしないのでしょう」
確かにその通りだ。決して善人でもない俺にも、柄でもない正義の心というものが湧き上がってくる。卑怯だ。実に卑怯としか言いようがない。
「巨人を討伐していただければ、こちらとしても相応の対価を用意します。たとえばそう……日本に帰るためのヒントになる情報」
思わずソファーから立ち上がった。
確かにそれは今の俺達には最も必要なものだ。
「その話は本当ですか?」
「嘘だと考えておられますか?」
「もし本当ならば、何故貴方がその情報を使って日本に帰らずに、ここに五十年も留まっているのかが気になります」
浮かんだ疑問をぶつけてみた。
「そうですね。端的に申しますと、ここで主人と結婚して身籠もったからです。子供が産まれると育児などもあり、気付いたら帰る機会を逸しておりました。これでよろしいでしょうか?」
「……はい」
日本に戻ることが出来ない理由としての理屈は通っている。
どの道、他に情報がない以上は請ける以外にはないのだ。
「私が昔から集めたメダルも差し上げましょう。これも今の貴方達には必要なものですよね。もちろん、この国……この世界で活動するための資金の援助も致しましょう」
悔しいがその通りだ。
メダルを集めてランクアップすれば戦闘能力は上がり、その分だけ生存能力も上がる。
「それで、私は何をすれば良いんでしょうか? まさか私が出す熱線だけでその巨人殺してみせろとかいう無茶な作戦ではないですよね」
「もちろん貴方一人に全てを任せるリスクが高い計画に全てを賭けるような真似はしません。現在、対巨人用の作戦を立案中です。貴方の能力を確認した上で、その作戦の成功率を何パーセント上げられるのかという話です」
「パーセントですか」
「そうです。たとえ1%だとしても何もしないよりは勝率を積み上げる方が確実に良い。我々政府に求められているのは『頑張った』という指標ではありません。結果です」
俺はその後に知事に一通りの能力についての説明を行い、解散となった。
その情報は軍の司令部に渡されて、対巨人作戦の計画が修正されるとのことだった。
俺はその修正された作戦を受け取って動くことになる。