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Chapter 1「夢」

 耐え切れないようなひりひりした渇きを感じて急に目が覚めた。


 昨晩は遅くまで残業だった。

 社会人生活も二年と半年にして、ようやく第二の実家としての愛着が湧いてきたアパートに帰宅したのが日が変わる前。

 それからコンビニ飯を食いながら配信サービスの動画をうつらうつらと流し見しているといつの間にか深夜二時を回っていた。


 高校時代からの気の置けない友人から「明日はハロウィンなのでカボチャ料理を要求する」と凄まじくどうでも良いショートメールが飛んできていたが、返信は明日で良いだろう。


 翌日は六時起床だったことを思い出してベッドに倒れ込むように飛び込んだのが最後の記憶。


 渇きを癒すために水を飲もうという欲求より先に、今は何時なんだ?出勤まではあと何時間寝られるんだ?という理性が勝った。

 なんという社畜精神。

 サラリーマン生活二年目でこの愛社精神とか、俺の人生はこの先大丈夫なのだろうか?

 そんな疑問が浮かびながらも枕元にあるはずの目覚まし時計に手を伸ばす。

 だが、目覚まし時計に触れる感覚は何も伝わってこない。


 眠っているうちにどこかに突き飛ばしたのかと思い、今度はやはり枕元にあるはずのスマホに手を伸ばすが、そちらに触れる感覚もない。

 今は何時なんだ?


 身体を起こそうとして、違和感に気づいた。


 眼前にはただ暗闇が広がっていた。


 枕元においてあるはずのスマホも、目覚まし時計も、自分にかかっているはずの布団も。

 自分の四肢や身体すら視ることが出来ない。

 それどころか、全身の感覚が一切感じられない。


 まるで自分の身体が失われて、意識だけが宙に浮かんでいるような奇妙な感覚。


 なんでこれ……夢でも見ているのか?


 もしやそんな不摂生な生活が何日も続いたために身体が限界を迎えてしまい、あの世へ足を突っ込んだ結果として走馬燈を見ているのだろうか?

 そうだとすると、今まで感じたことのない渇きの理由も説明が付く。

 勘弁してくれよ。俺はまだやりたいことがたくさんあるんだよ。

 当面にやるべきことだと、明日の会社帰り……は無理だな。

 昼休み中にカボチャを買いに行ってだな、会社帰りだとゆっくり調理をしている暇はないから電子レンジを駆使してだな……


 目を閉じるための瞼もないために眼前に広がる暗闇から目を逸らすことすら出来ず、ただひたすら眼前に広がる黒一色の世界を見続けるしかなかった。


 光が存在しない暗闇の中でどれくらい時間が経ったのだろうか。

 何もない暗闇だと思っていたが、目を凝らすと遙か彼方に光を発する球体のようなものがあることに気づいた。目がないのに凝らすとはどういうことだと思うが、とにかく目を凝らしたのだ。


 あまりにもうっすらとしていて、一度目を離すと次は見つけられないかもしれない、そんな薄い虹色の光。

 ただ今にも消えてしまいそうな儚さはない。

 光が弱いのは、光源があまりに彼方にあるからだということが何故か理解できた……理解できてしまった。


 そして、逆にそれほどの離れた場所にあるにも関わらず、それなりの大きさの球体に見える『あれ』は一体何なのか?

 理解してはいけないと思う一方で、もっとよく見たい、近くに行ってみたい、正体を確認したいという欲求がふつふつと沸いてくる。

 あれは建造物?星?それとも生物?

 理性では拒否しているにも関わらず好奇心を止めることが出来ない。


 もしやこれが狂気の入り口なのだろうか……

 助けて……もっと見たい……

 助けて……もっと近くに…


「あいてっ」


 急に小指の先を何か堅いものにぶつけたというズキンズキンという痛みが伝わってきた。

 足下を見ると、床になにやら楔のようなものが打ち込まれており、どうやらうっかり、それを力一杯蹴飛ばしてしまったようだ。


 あれ、動けるのか?

 いつの間にか渇きのような感覚も消えている。ただし今度は小指の先からじんじんと痛みが伝わってくる。ただ、その痛みの元であるはずの足がどこにも見当たらない。

 どうやら意識だけが浮いている状態は継続中らしい。


 視点だけは変えられるようになったようなので、先程蹴飛ばした楔を見る。

 楔は蹴飛ばしたもの以外に何本か床に刺さっているようだ。

 そして、楔同士を結ぶように白い線が引かれており、それらが組み合わさることで複雑な模様が描かれている。

 漫画やゲームなどでよく見かける、魔術的な儀式などに使用される魔法陣がそこに描かれていた。


 こんな楔や魔方陣のような図形を誰が用意したのだろうか?

 俺の部屋にこっそり入れるとなると、合い鍵を持っている両親か、友人くらいだが、どちらもこのような悪戯をするタイプではない。

 ならば誰がこんなことを……


 楔にボッという音と共に白い炎が灯った。

 その炎は風もないのに揺らめきはじめ、隣り合った場所にある別の楔に移っていく。それを繰り返しているうちに炎は魔法陣の外周を高速で回転し、光の輪のように煌めき始めた。


 その光景はまるで――


「ソシャゲのガチャじゃねえか!」


 ソシャゲの知識はそれほどあるわけではない

 友人に


『紹介報酬がもらえるからチュートリアルだけでもいいからやって!』


 と頼まれたゲームを、義理でプレイしたことなら何回かはあるが、たいして興味もわかず、チュートリアルが終わった段階でアンインストールしてしまうので各ゲームのシステムや内容などは寡聞にして知らない。

 ただ、ソシャゲでキャラクターやアイテムなどを入手するためのガチャ演出は、今まさに目の前にあるような、魔法陣から何かが召還されるような演出が採用されていることが多いことくらいは知っている。

 先ほどまで渇きだの、走馬灯だの、狂気だの、色々と深刻に考えていたのが一気にバカバカしくなった。この光景はやはりただの夢なのだ。

 眠る直前まで見ていた動画かCMの影響を受けて、ソシャゲのガシャ演出が夢の中で再生されたのだろう。


 そこまでソシャゲにのめり込んでいる気はなかったんだけどな。

 こんなに影響を受けやすいなら、何かの弾みで友人のように給料の大半をガチャに溶かすだめ人間になってしまう可能性もありうる。注意しないと……


 ただ、これは夢だと納得すると急に余裕が出てきた。

 どうせならガチャの結果くらい良いものを出して、気分良く起床したいところである。


 改めて魔法陣を観る。

 光の輪の状態はそのままだ。このまま光が消えればノーマル……いわばハズレ。

 更に光が強くなるか、光の色が変わればレア演出のパターン……のはずだ。

 どうせならレア演出が来てくれ。


 光の輪の色は、単色の白から赤・青・黄色と時間と共に色を変えて虹のような光へと変わっていく。

 光量も時間が経つにつれてどんどん強くなっていく。

 ここまで派手な演出ならば、出てくるものも、ある程度の結果は見込めるだろう。

 どうせなら面白いものを見せてほしい。


「レーア!レーア! スーパーレーア!スーパーレーア!」 


 テンションが上がってきたので歓声を上げる。


「スーパーレアの上って何だ?エスエスレア? エスはスーパーだとして、その後ろに付いてるエスは何なんだよ?」


 他にもセントレアやらウルトラレアやらエピックやら、そんな単語は聞いたことはある。

 レジェンドだとかデスティニーだとかアメイジングだとかゲームによって異なるが、言葉の意味はわからんが付くだけで『なんかつよそう』な感じの装飾語がどんどん追加されるはずだ。


――つまらないことを考えているうちに、魔法陣から発せられる光量は直視できないくらい強く眩しいものになっていた。

 思わず目を覆いたくなるが、生憎、目を覆うための腕もまぶたもない状態は未だ継続中だ。


「すみません、眩しいんですけど」


 不満の声に答えてくれたのかは分からないが、光は急速に収まっていく。


 完全に光が消えると魔法陣の中央に一人の少女が立っていた。

 この少女がガチャの景品ということなのだろうか?


 少女は頭には三角帽、手には竹箒、飾り気のない黒い貫頭衣のローブという『魔女』という単語を聞いたら誰もが最初に思い起こすであろう変化球なしのド直球な服装をしていた。

 顔や体型から推測するに年齢は中学生か高校生くらいだろうか。

 まだまだ大人の女性と呼べないそんな年代。


 ただ、無造作に延ばして特に手入れもしていないであろう、癖の強いボサボサの髪は老婆のように真っ白で、半眼で眠たそうな表情と若干猫背気味の姿勢の悪さも相まって、あまり十代特有の瑞々しい若さは感じられない。

 目にかかるくらい伸びた前髪の間から覗く赤い瞳は光に反射してギラリと光っており、ホラー映画の登場人物のような不気味さを感じる。


 ガチャの演出は虹色の眩しい光が回りまくるというド派手な演出だったので、それなりのレアキャラが出てきたのだろうと予想は出来るのだが、いくらなんでも華がなさすぎるのではないだろうか。


 ダウナー系少女というビジュアルは個人的には好みではないものの、世間でそれなりの需要があるのは理解できる。


『天井まで行かなかったので実質無課金です』


 などと妄言を発しながらマニアックな外見のキャラを当たるためにゲームに多額の課金を行ってガチャを回し続けた友人も


『無課金のはずなのに、なぜか今月の食費がもうありません。不思議』


 などとのたまい、俺の部屋に転がり込んで勝手に作り置きの料理を食い尽くして帰るなどの暴挙を行ったのを思い出す。

 まあ、友人が数万円を溶かしたキャラはこの平坦な魔女っ子とは違い胸が豊満……


『あのね大きさじゃないんだよ。キャラクターに与えられた"記号""属性"の一部だけを切り取ってキャラを愛する愛さないとのたまうものもいる。このキャラはこんなこと言わないと一部の側面のみでキャラの深さを理解しない者も大勢いる。だが私はそのキャラの内面に――』


 幻想の友人が脳内で何やら早口で語り始めたが、聞かなかったことにした。


 そもそも現代は胸の大きさを語れば即セクハラである。友人の発言など完全にアウトな発言である。これで教師志望などとほざいているから笑いしか浮かんでこない。

 ドラム缶だろうが、大平原の小さな胸だろうが、デモンズウォールだろうが、全て多様性として受け入れるべきでなのである。


《そこまで辛辣な評価をされる謂れはない》


 何処からかお怒りの声が聞こえてきたので、この話はこれで終わりだ。

――閑話休題


 しかし魔女という属性が重要とはいえ、仮にもソシャゲのレアキャラが、何の飾り気もない全身真っ黒な服というのは如何なものだろうか。

 

ゲームのジャンルがホラーやゴシックの世界観であり、正当派魔女スタイルは実は世界観に合っていてるので実はこれがデフォルトという可能性もないわけだはないだろうが、俺の知っている限り、ソシャゲのレアキャラというものはもっと露出度が高かったり、無駄にキラキラしている派手な服装が基本のはずだ。

 寝起きでパジャマのまま飛び出してきたように見える何の装飾品もない黒一色の服は俺からすれば、さすがに地味すぎるぜ。もっと腕にシルバー巻くとかさ。


 それでガチャを引いた後は何が起こるんだ?

 この娘と俺で異世界転生でもして世界救っちゃう?


 次のアクションを待っていると、軽快な電子音と共に少女の前にいかにもソシャゲではよく見かけるキャラクターの名前などが表示された半透明のボード状のステータスウインドウが表示された。


[ラヴィ(ハロウィン) SR]


 どうやら彼女の名前はラヴィ(ハロウィン)らしい。


 そうですかハロウィンですか。

 なるほど、ハロウィンのコスプレだからこそ、派手な衣装ではなく地味でベタな魔女の扮装なのだ。

 ソシャゲだとよくある期間限定キャラというやつだ。

 明日は十月末日、ハロウィンのはずなので、ハロウィン限定キャラが出ることは別におかしいことではない。


 名前の後ろにくっついているSRの文字はおそらく名前の一部ではなくレアリティ。エスレアで良いと思う。これで実は名前の一部でした。ソーラーレイカーです。とか言われても困る。


 あれだけ虹色に光りまくる派手な演出だったにも関わらずSR止まりなのかという気もするが、そもそもの問題として、このゲームのSRは上から数えて何番目のレアリティなのかが分からない以上は、そこに拘っても仕方ないだろう。


《ハ、ハロウィンです。クッキーをどうぞ》


「あ、どうも」


 つい声に出して礼を返してしまった。

 台詞は少女の声での読み上げのようだ。

 ダメ絶対音感はないので少女の声をあてている声優については分からないが、若干低めで落ち着きがあるような感じだった。


 名前の下にはアイコンが三つ表示されている。それぞれの絵柄は。


光をまといながら飛ぶ鳥

ハート型のクッキー

レーザーのようなもの?


 この三つがこの娘の使える能力なのだろうか?

 鳥とレーザーはたぶん攻撃魔法なのだろう。

 ハートのクッキーはわからない。

 クッキーをどうぞと台詞で言ってたし、クッキーが出るとかそういう能力か?


 名前もわかった。

 スキル?もわかった。

 それで次に何が起こるんだ?

 夢はこれで終わり?


 ステータスが表示されたボードはいつの間にか消えていた。

 俺の意識とラヴィという少女だけが暗闇に取り残される。

 しばらく待つが他のウインドウが表示されることはなく、少女も何も発せず無言で立っている。

 えっと、いつまでこうしていれば良いんですかね?


 その時どこからか声が聞こえてきた。


「おい誰か出てきたぞ!」


 少年のような声だった。

 

「え? なんで今になって」


 続いて少女の声。


「わからない。でもこれで三人揃う。ここから出られる…」

「でもこの娘、全然動かないんだけど」

「おい大丈夫か!起きてくれ!」


 聞こえてくる会話の意味が全く理解できない。

 いくらこれが夢とはいえ、先程までのガチャの演出と会話の内容に何の関係性も見出せない。

 どういうことだと考えていると、今度は急に肩を強い力で掴まれて身体が揺さぶられる感覚が伝わってきた。

 なんだろう、この感覚は? 起こされようとしているのか?

 ふと気付くとラヴィの姿も消えている。

 周囲も段々と明るくなってきた。

 ああ、これで夢も終わりか。

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