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第八十章 思わぬ危機

 さて、二度寝も終えての二日目は、昨日よりもアクティブなイベントが目白押しだった。


 門下生二人(どちらもレベル150以上)の早朝稽古に付き合うイベントから始まり、ヒサメ家の地下倉庫(泥棒避けの罠完備)からお酒を取ってきたりとか、大きな木(樹齢2000年、全長100メートル)の上に引っかかってしまったボールを取ったりだとか、とにかく盛りだくさんだった。


 この辺りのイベントにまともに対応するには今のレベルでは足りないが、ゲームでもその辺りの対処法は確立されている。


 まずは門下生との朝稽古だが、稽古というのは単なる口実で、放っておくと二人で同時に真剣で襲いかかってくる。

 そうなると倒さずに無力化するのは困難なので、朝稽古に来た二人の門下生には「どっちか強い方に稽古をつける」と言って仲間割れを誘発させてなんとか切り抜けた。



 それが終わると倉庫からお酒を持ってくるように頼まれるのだが、地下倉庫に向かう途中、初日に野菜の一件で助けた女の人が、


「左の道には落とし穴があります。……気を付けて」


 とアドバイスをしてくれる。


 実際に倉庫の前に行くと、そこで道が左右に分かれていた。

 左の道を調べると、足元の地面の色が一部違い、そこに落とし穴が仕掛けられているのが分かる。

 前に縁があったキャラから、こういうさりげないヒントをもらえるのは案外嬉しいものだ。

 『猫耳猫』スタッフはそれをちゃんとよく分かっている。

 そう、分かりすぎるほどに、よく分かっている。


 何しろこれで納得して右の道に行くと、「やっぱりこっちの道には罠はないみたいだ」と安心して警戒を緩めるくらいの場所に左の道より数倍巧妙な落とし穴が仕掛けられていて、油断していると落ちて死ぬように出来ているのだ。


 ……まあ、あれだ。

 あの女の人は『左に落とし穴がある』と言っただけで『右に落とし穴がない』とは言わなかった。

 もっと端的に言ってしまえば、あの女性の発言すらもスタッフの罠だったというだけの話。

 『猫耳猫』スタッフはプレイヤーを人間不信にでもしたいらしい。


 ただ、タネさえ割れてしまえばこれもやはりどうということもない。

 罠を回避して倉庫に入る。

 肝心のお酒は容器がすり替えられているので、記憶を頼りに正しいお酒を見つけて、持っていく。



 お次はボールがひっかかった木だが、この木は登っているとHPが吸われたり木から触手が伸びてきて絡め取られて取り込まれたり、それでも苦労して頂上付近まで登ると枝が折れてボールとプレイヤーが地面に落ちてお陀仏、などの性格の悪い罠がある。

 対策すればやれないことはないが、やっぱり面倒なのでてっとり早く木を切り倒してボールをゲット。

 明らかにボールが取れないことよりこんな大きな木が倒れることの方が一大事だと思うが、試練的には木を倒すのはOKというのはゲームシステムの不思議だ。


「あ、ありがとう」


 ひきつった笑みで俺からボールを受け取った少年は、一目散に屋敷の方に駆け出していった。

 たぶん、一刻も早くボール遊びがしたいんだろう。

 しかし、100メートルもある大木の頂上にボールをひっかけるとか、わざとだったらすごい制球力だし、わざとでないとしても凄いパワーだ。

 将来有望な少年である。



 それからもイベントは続き、針の床にひもなしバンジーしろだとか、湖の巨大魚を退治しろとか、退治した魚で料理を作れとか、床掃除レースで優勝しろとか、果てにはヒサメ家の家紋を5分以内に刺繍しろなどといった理不尽かつ意味不明な試練が相次ぐ。


 こんな試練でもやり遂げなければ失敗。

 そして、失敗すれば待っているのは死だ。

 俺は全力で試練をこなしていった。


 特に、ゲームでの個人的最難関イベント、例のドジっ子女中さんが持っていた皿をぶちまけるイベントを、彼女が転ぶ前に身体を支えることで回避出来たのはよかった。

 これは他のドジっ子さんイベントと違って俺に直接の危害が加わる訳ではないが、彼女が一枚でも皿を割ってしまうとドジっ子さんが泣いてしまい、「女性を泣かせるとは何事だー!」となってやっぱりアサヒたちに襲われることになってしまう。


 ゲームでは事故が起こる瞬間まで動けないため、ランダムに宙を舞う大量の皿を全部割らずに取り切れるかは飛んだ皿の分布次第。

 ここだけほぼ運ゲーと化していたのだが、この世界ではプレイヤーに対する移動制限などは機能していない。

 ドジっ子さんがバランスを崩した時に支えることで、皿を落とすイベント自体を消滅させることに成功した。


 ゲームでは出来なかった解決をした時に事態がどう転ぶか少し心配だったのだが、今のところその影響はなく、むしろその際にドジっ子さんのお皿を半分持ってあげたことで、彼女と和解まで出来た。

 話を聞くと、彼女も別にわざと俺に危害を加えようとしている訳ではなく、トレインちゃんと同じように、『悪意はないけど身体が勝手に動いちゃう』ことによってトラップとして機能しているだけらしい。


 『猫耳猫』の悪辣さを思うと素直に信じ切ることは出来ないが、まあどうせ結果が変わらないなら殊更に疑う必要もないだろう。

 とりあえずは信じておくことにして、彼女とは笑顔で別れた。



 こんな感じで襲い来る脅威を何とか退けて、二日目の夜を迎える。

 そして俺は、ここに来て初めて、全く予想外の危機と対面することになる。


 ご存知の通り、昨日の倒壊事件で俺は宿泊場所を失っている。

 本来であればミツキがプレイヤーの所にやってきて、「き、きんちょうして、ぐるぐるだよぉー」という感じで猫耳をぐるんぐるんさせながら、


「……今日、寝る場所がないのでしょう?

 だったら仕方ありません。

 私の部屋に来ても構いませんよ」


 と提案してくるといういかにもラブコメなイベントが発生。

 二人のドキドキの夜が始まる……みたいな展開になるはずだが、


「早く部屋に入って下さい」

「…ここ、すわって」


 今、俺とリンゴたちの間にある空気は、そんな甘さを微塵も含んでいなかった。

 むしろ何だかピリピリとしていて、二人共怒っているような気配すらある。


 これは何だか良くない感じがする。

 流れを変えなくては、俺にとって不都合な何かが起こりそうな雰囲気をひしひしと感じた。


 しかし、活路はある。

 本来ここはラブコメイベントの領域のはずだ。

 ならばここでラブコメっぽい行動を取れば、補正がかかって話がそっちに流れるかもしれない。


「待ってくれ、その前に、俺も言いたいことがあるんだ」


 だから俺はきっぱりとそう言い切るとその場にしゃがみこみ、目の前の小さくてやわらかい肩をつかんだ。

 その円らな瞳を正面から見つめ、


「何でだろうな。

 お前の笑顔を見ると、胸の辺りがざわざわするんだ。

 なぁ、これってもしかして……」


 秘めた思いを吐き出すようにそう言ったのだが、


「もしかしなくても恐怖だと思いますが」

「…ソーマ、ふざけないで」


 残念ながら、シリアスモードな二人の逆鱗に触れただけだった。

 言われたくまさんも、ウザッとばかりに俺の腕を払ってリンゴの方に行ってしまった。

 別にくまに好かれたいと思っていた訳ではないが、ちょっと悲しくなった


 俺は観念して、二人の前に座る。

 しかも正座である。

 それを確認して猫耳を「よーし!」とうなずかせてから、ミツキが話し始めた。


「今朝、貴方が離れの下敷きになった事件があってから、私達は試練の内容に少々疑問を抱きました。

 そこでこちらのリンゴさんと一緒に、それとなく貴方の試練を見守っていたのです」


 リンゴは何も言わなかったが、ミツキの言葉を認めるように、こくりとうなずく。


「全部を見たとは言いませんが、ある程度は把握したつもりです」

「…ソーマ、うそついてた」


 ミツキが淡々と告げ、リンゴが静かに糾弾する。


 よくよく話を聞けば、二人共試練について怒っているのは同じだが、リンゴはこの試練が危険だったことを怒っていて、ミツキはこの試練に理不尽で武力と関係ない物が多いことに怒っているようだった。


「武を見る試練だと言っていたのに、あの試練の内容は理不尽です。

 料理や裁縫に、戦いと何の関係があると言うのですか!!」


 無表情ながら猫耳をブンブンと振るミツキの言葉にはちょっと私怨が混じっていそうな気もするが、怒りとしては真っ当ではあるだろう。

 隠しダンジョンと同じでオマケ的要素の強いこのイベントは、「絶対にクリアさせるものか!」という『猫耳猫』スタッフの間違った気合が込められていると言える。

 ぶっちゃけて言えば、ただプレイヤーを困らせるためだけの嫌がらせに近い試練も多い。


 まあそれは『猫耳猫』ではいつものことと言えばいつものことではあるし、ゲームのイベントと割り切ればあまり気にもならないのだが、傍から見ていればそれはやはり理不尽に映るだろう。

 イベントを起こしている側だと何らかの補正で気付かない物なのかもしれないが、試練のシチュエーションは冷静に考えるとほとんどが異常なのだ。


「それに……」


 そこで、ミツキは少し言いよどんだ。

 猫耳も「む、むぅーん」とばかりに難しそうに丸まっている。

 だが、迷った末に、結局は口に出した。


「それに先程、貴方は廊下でうちの女中と楽しげに話していたではないですか」

「女中…?」


 そこで、ああ、と手を打った。

 あのドジっ子の人だろう。

 どうやらそこまで見られていたらしい。


「これは私の為の試練のはずなのに、そういうのは、困ります」


 猫耳をちらちら揺らしながら、ミツキはいつもより小さめの声でそう抗議した。

 その真意を尋ねる前に、


「ですので、私達は明日から、貴方の試練に同行することにしました」

「はぁ?!

 あ、いや、ちょっと待て!

 私達、ってことは……」

「…わたしも、いっしょにいく」


 二人のとんでもない発言を聞き、それどころではなくなった。

 一人で何とかこなせそうだという自信が持てたところでこれは困る。

 だが、


「ちょっと待ってくれ。

 そのせいで試練が失敗になったら……」

「無論、父に許可は取りますし、断られたら諦めます」


 そんな風に言われたら、とっさの反論も思いつかない。

 それに、アサヒならどうせ却下するだろうと考えて、


「……分かった。でもその約束、忘れるなよ」


 俺は二人の申し出をとりあえず受け入れることにしたのだった。


 そうして、


「では、話は終わりましたし、そろそろ寝ましょうか」

「…ソーマは、ここ」

「え?」


 その後、なぜかそのままミツキの部屋に布団を三つ並べて全員で寝ることになった。

 しかも、俺はリンゴとミツキに左右を挟まれた真ん中の布団。


 ――俺の新たなる試練が始まった!!



 ちなみにだが、リンゴの所にいたはずのくまは、いつの間にか俺の布団の中に潜り込んでいた。

 別にくまに好かれたいと思っていた訳ではないが、ちょっと嬉しくなった。




 そして、翌日である。


「きゃー、手がすべりまし――」

「…させない」


 手を滑らせたドジっ子さんがぶちまけた熱々の料理をリンゴの雷撃が即座に撃ち落とし、


「ソーマさん。実は屋敷の床下にネズミが大量発生して――」

「それは客人に頼むべき事ですか?

 必要だと言うのなら貴方がやって来なさい」


 門下生たちが持ってくる無理難題をミツキの言葉が即座に撃ち落とす。

 もはや試練は成り立っていなかった。


「どうしてこうなった……」


 俺はその後ろで頭を抱える。

 いや、むしろこの場合は、


「どうして最初っからこうやっとかなかった……」


 とでも言うべきだろうか。


 アサヒは意外にも娘には弱かったらしく、リンゴたちの提案はあっさり通り、試練は既に半ば崩壊しているような状況である。

 俺が頼みを断ったり、俺が頼みごとを完遂出来なければすぐに敵対するはずのアサヒたちだが、リンゴやミツキがそれをやる分には問題ないらしい。

 イレギュラーな介入にはイレギュラーな結果がついてくるということだろう。


 ただ、現実に何が起こるかは不透明だった訳で、リンゴが障害を破壊したりミツキが頼みを断った時点で試練失敗となる可能性だってあった。

 今回はうまくいったからいいが、イベントを歪めるような行動は吟味してから行わなければならない、と俺はもう一度自分を戒める。


 まあ、そうは言っても……。

 こういう綱渡りを何度も続けたいとは思わないが、今回のイベントに限っては楽が出来そうだ。

 そう考えて俺がぼうっとしていると、


「――?!」


 目の前に現れる白い刃。

 あまりの剣速に、対応が間に合わない!


(駄目だ、避けられな――)


 突然の攻撃に、俺が死をも覚悟した時、


「…え?」


 それは、俺の目の前で、唐突に止まった。


「気を抜き過ぎです」


 続いて聞こえたその声に、強張った身体から力が抜ける。

 俺に向けて剣を振るったのは、ミツキだった。


「気を抜いてたのは確かだけどな。

 あんまり、脅かすなよ」


 安心した途端、汗がどっと噴き出す。

 今のは本気で死ぬかと思った。

 俺は抗議の声を上げたが、


「『金剛徹し』の速さはこの比ではありません」


 そんな俺に冷や水を浴びせるように、ミツキはその事実を口にした。


「それは……」


 思わず、言葉に詰まる。

 確かにそれは真実だ。

 投擲された『金剛徹し』の速度は、今のミツキの一撃よりさらに速いだろう。


 そしてそれを思い出し、俺はミツキの意図を理解した。

 まだ、試練は終わっていない。


「父が私達の試練への介入を許したのは、通常の試練では貴方を止められないと思ったからでしょう。

 しかし、『最後の試練』だけは貴方一人で受けるようにと釘を刺してきました」

「……ああ」


 そうだ。

 ここまでなら、ゲームクリア前のキャラクターでも辿り着く人間はいた。


 意外性のある罠というのは、逆に仕掛けが分かっていれば対処しやすい物であることが多い。

 しかし、最後に控える試練にだけは、小手先の技は効かなかった。


 ――『金剛徹し』の攻略。


 それが出来なければ試練の成功もないし、もっとはっきりと言ってしまえば、俺の命もない。


「分かって頂けたようですね」


 ミツキが剣を収めた。

 その時にはもう、俺の腑抜けた気持ちはどこかに消えていた。

 俺の変化を感じ取ったミツキが、猫耳を風にそよがせながら静かに語り出す。


「私は一度だけ、父が『金剛徹し』を使う所を見た事があります。

 はっきりと言いますが、あれを回避するのは不可能です」


 そして加えて言うなら、防御することも困難だ。

 あの投擲攻撃には、『貫通』という属性が付加されている。

 どんなにガチガチに装備を固めて防御力を上げてもその大半は無効化され、さらにはカウンター系スキルの無敵状態すら、あの槍は突破してくる。


「ですから『最後の試練』を乗り切るには、あの一撃を耐え切るか、あるいは槍が放たれる前に……」

「俺は、そんなことはしない」


 ミツキがそれを口にする前に、強く言い切った。

 回避も防御も出来ないなら、槍が放たれる前に『持ち主を殺す』しかない。

 きっとミツキは、そう言いたかったのだろう。


 だが、それは的外れな予測だ。

 そんなことをするくらいなら、とっくに三人でここから逃げ出しているし、


「避けたり守ったりしなくたって、攻撃を乗り切る方法はあるだろ?」


 回避と防御以外の選択肢を、頭からない物と決めつけている。

 俺の言葉の意味を悟って、ミツキは目を見開いた。


「まさか、目に留まらない程の速さで飛来する槍を、貴方は……」


 無表情なはずの顔と猫耳に動揺をにじませ、信じられないとばかりに俺を見るが、


「……いえ、貴方は奇妙な技で私の『氷雨』を防ぎ、見た事もない魔法を使って私の動きを止めた。

 貴方の奇剣でなら、あるいはあの槍を打ち破る事も出来るでしょう」


 ミツキは思い直したように軽く猫耳を振ると、


「すみません。やはり貴方は、しばらくそこで腑抜けていて下さい」


 最初とは正反対のことを言って、俺に背を向ける。


「い、いいのか? さっきはそのために……」


 あわてて追いすがる俺に、彼女は首を振る。


「構いません。

 日没までの露払いは、私と彼女がします。

 貴方には、指一本触れさせません。

 その代わり……」


 そこでミツキは振り返り、俺にふわりと微笑んだ。



「――父と『金剛徹し』に、最高の一撃を。

 貴方の奇剣を、見せつけて下さい」



 ぞくり、と胸が震えた。

 その言葉に込められた信頼は、リンゴから時折感じる、俺への無条件の信頼とはまた質が違う。

 戦士としての彼女が、俺の『実力』を信じてくれているのだと、はっきりと感じた。


 この期待に応えられるのかは、分からない。

 俺はゲーム時代にだってやってないことを試そうとしているし、そこには当然失敗のリスクだってある。

 ミツキの望みがどうとか言う以前に、あの槍に貫かれてあっけなく死んでしまうことだって考えられた。


 ――それでも。


 それでも俺は、うなずいた。

 湧き上がる熱い気持ちが、それ以外の選択肢を選ぶことを許しはしなかった。


「ああ、任せてくれ!」


 様々な迷いを振り捨てて、そう答える。



 待っていろアサヒ、そして『金剛徹し』!


 必ず、俺が――


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