第七十六章 刹那の意味
5本同時に振り上げられる逆刃刀、回避の術はない。
だから俺はそれを見て、ごくりとつばを飲み込んでから、言った。
「――それは、無理です」
と。
「何?」
俺の言葉に反応し、ほんのわずかな間だけ、アサヒの逆刃刀の動きが止まる。
そして、その時間で十分だった。
ようやく『終わり』がやってきたのだ。
さっきまであれほど激しかった斬撃が、止まる。
「…ぬ!」
眉を上げるアサヒと、目の前にある逆刃刀を真正面から見つめながら、俺はまるで血を払うように大袈裟に剣を振って、
「だってその刀、峰なんてどこにもないじゃないですか」
そう口にした瞬間、アサヒの手にした逆刃刀の刀身が砕け散った。
「なっ?!」
初めて動揺を露わにしたアサヒが驚きの声を上げると、
「あ、アサヒ様!」
脇にいた門下生も、自らの逆刃刀を差し出す。
その刀身も、鍔のすぐ先で見事に砕け散っていた。
「くっ! 何か仕掛けたか!
ならばお前たちが……」
アサヒは後ろを振り返って、斬撃の範囲の外で待っていた門下生たちを見るが、
「す、すみません、アサヒ様……」
「手の中で、いきなり……」
彼らの逆刃刀も、刀身の部分が綺麗になくなっていた。
まあ、当然の結果だとは言える。
武器にもHPがある。
HPを越えるダメージを受けると、刀身が折れて使えなくなるのはどの剣も共通だ。
だが、その光景を見て、アサヒの表情が変わった。
「一体、何をした?!
彼らの武器には、攻撃など当たっていなかったはずだ!」
さっきまでの余裕はどこへやら、声を荒げるアサヒに俺は肩をすくめる。
「ただ、技を使っただけです」
この言葉は嘘じゃない。
実際に俺は『刹那五月雨斬』、つまりは『乱れ桜』のスキルを普通に使っただけだ。
だが、その台詞では怒れる道場主は納得しなかった。
「馬鹿な、ありえん!
踏み込んだワシらだけがダメージを負うか、せめて控えに回った者たちだけが被害を受けるというのならまだ想像も出来る。
しかし、これは何だ?
なぜこのタイミングで、全く別の場所にいるワシらの
……まあ、彼らからすると、不可思議と言えば不可思議、不条理と言えば不条理だろう。
単純に使ったスキルが普通ではなかったというだけの話だが、わざわざ技の解説をする義理もないし、武器が当たると傷を負うなんて考え方をしている人間には、たぶん説明しても分からないだろう。
何しろ、ゲームとしてやっていた俺だって普通にびっくりしたくらいだ。
そう、『乱れ桜』の地雷要素は一つだけではなかった。
一見作り込まれた技のように見えた『乱れ桜』には、どのスキルをも上回るような手抜き要素があった。
そしてそれが、斬撃を受けていない後ろの5人の逆刃刀が壊れた理由であり、斬撃の只中に突っ込んだアサヒたちが『乱れ桜』のモーション終了後もダメージを受けていない理由でもあり、俺がアサヒたちの
まず結論から言ってしまうと、『乱れ桜』の攻撃が当たるかどうかは、途中の斬撃とは本当に全く関係がない。
実はスキルを発動させたその直後、まだエフェクトが出てきてもいない間に、全ての結果は決まってしまっていたのだ。
この手抜きは、ゲームで『乱れ桜』発動中、斬撃のエフェクトが出ている場所に仲間が入ってきてしまったことから発覚した。
このゲームにパーティの概念はなく、仲間だから攻撃が当たらないなんてぬるい仕様もない。
もし斬撃のエフェクトに命中判定が存在するのなら、仲間は技の終了時に大ダメージを負うはずだった。
しかし、実際にはノーダメージ。
『乱れ桜』の終了時にも効果範囲にいたにもかかわらず、その仲間は無傷だった。
これには『猫耳猫』プレイヤーたちも首をひねる。
ただ、実験と検証は『猫耳猫』プレイヤーの十八番である。
彼らは検証を重ね、ついにこういう結論に達した。
「もしかしてこの技、何発当たるかの計算を、技の最初にまとめてやっちゃってんじゃね?」
ここからは多分に推測の話になるが、詳しく解説するとこういうことになる。
そういうのは普通同期させる物だと思うのだが、このゲームでは技の絵と効果、つまりスキルのエフェクトと攻撃の命中判定は別個に作られている。
爆発のエフェクトを先に作って、後からその爆発の位置にスキル命中の判定を設置する、という感じだ。
そのせいで『虚ろなるワイドスラッシュ』のようなエフェクトと効果範囲がズレてしまう技なんかが出てくる訳だが、この作成法にはもう一つ問題点がある。
先に無数の判定が発生するようなエフェクトを作ってしまった場合、それに合わせて当たり判定を設置するのが非常に面倒だということである。
しかも、『乱れ桜』をはじめとするPVに出て来たスキルは、PV用にエフェクトだけを先に作って、後からスキルの効果を付け足したのではないか、という風に言われている。
PVでも見た『乱れ桜』の数百もの斬撃エフェクトは確かにすごいのだが、この斬撃の場所とタイミングに合わせて数百もの命中判定を設定しなければならないとなれば、これは気が遠くなるほどの苦行になるだろう。
だが、『猫耳猫』スタッフが猫耳のこと以外でそんな勤勉な真似をするはずもなかった。
そこで『猫耳猫』の開発陣は、ちょっと信じられないような豪快なズルをする。
スキル開始直後の敵の位置から、『そのままその場所にいると何発ぐらい斬撃が当たるか』を計算し、それを最終的なダメージにしてしまったのだ。
具体的に言うと、最初の斬撃を放つ直前に『斬撃の雨』の効果範囲全体に命中判定が行われ、「このモンスターは正面にいるから500発くらい当たるだろ」「こっちは端っこだから200発ヒットでいっか」みたいな感じで、まだ攻撃もしていない内からどの程度のダメージを与えるかを決定、スキル終了時に実際にそのダメージが入る、というあまりにも適当すぎる処理をされていることが分かった。
もちろん、斬撃の最中にも敵は動く。
そうやって予測した通りの数の斬撃が当たるなんてことはほとんどありえないのだが、どうせこんな技を使える奴なんていないだろうと高をくくったか、あるいはダメージが入るのは最後だからこんな処理してても誰も気付かないだろうと考えたのだろう。
もはや杜撰という言葉すら生ぬるいが、これが『猫耳猫』クオリティなのである。
だが、それが分かったおかげで、この技の利用価値は少しだけ増えた。
使える物は何でも利用するのが『猫耳猫』プレイヤー。
要は、斬撃を撃ち始めた時に効果範囲にいれば全弾命中、その時に範囲内にいなければ全弾外れになるということで、それを利用すれば面白いことが出来る。
例えばこれをうまく活用出来るのが、こちらを見た瞬間に逃げるはぐれノライム系のモンスターだ。
そいつが効果範囲に入った時にうまく『乱れ桜』を使えば、その後、たとえはぐれノライムが数百メートル逃げようと、スキルのモーションが終わった瞬間に数百発もの攻撃を喰らって確実に死ぬという理不尽技として機能する。
命中判定の杜撰さから、この技は『途中でスキルが中断さえしなければ、どんなに素早い相手にもほぼ全弾命中させられる連続攻撃技』という地位を新たに確立することになったのである。
ここに至り、ようやくこのスキルの別名は、字面通りの意味を帯び始めることになる。
18秒という、五月雨のように長い『斬撃の雨』の効果を、ほんの『刹那』の間に決めてしまう脅威のスキル。
――それがこの技、『
今回俺がやったのも、ある意味でその応用だ。
いくら向こうから襲いかかってきたとはいえ、こんなことで人殺しなんてしたくないし、とある罠的な設定により、ヒサメ道場の人間を殺してしまうと大変なことになるのはもう分かっている。
武器を破壊するくらいしか打開策はないが、扇状に広がった十人の武器を壊すのは至難の業だ。
生半可な攻撃では武器を破壊するのは難しいだろうし、普通の攻撃なら避けられる可能性もある。
それに下手に広範囲におよぶ攻撃や、動きの制御出来ない連続攻撃などを使ってしまうと、勢い余って武器だけでなくその持ち主をも傷付けてしまう恐れがある。
そこで出て来たのが、この『乱れ桜』だ。
この技なら効果範囲を知り尽くしているし、威力も申し分ない。
おまけにダメージの判定自体は斬撃の前に一瞬で行われるため、避けられる心配もまずない。
スキルの終了まで攻撃されないかということだけが不安要素だったのだが、まさか斬撃の雨に突っ込んでくる馬鹿もいないだろうと考え、実行に踏み切ったという訳だった。
結果から見れば、当面の危機は何とか乗り切ったという状況だろうか。
ただ、全部が思惑通りに進んだかというと必ずしもそうではなく、
(めっちゃくっちゃ危なかったぁ…!!)
アサヒたちの手前、表向きは平常心を装っているが、今もまだ心臓はばくばくとなりっぱなしだ。
いやだって、アサヒが斬撃の雨を無視して進んでくるなんて、本当に予想外だった。
無駄に用心深く振る舞って、門下生で囲んだりおしゃべりしたり、俺の言葉に気を取られたりしてくれたから助かったものの、まっすぐ俺の所に向かってきて問答無用で斬りつけてきていたら、俺はあっさり殺されていたかもしれない。
襲われること自体が確定事項ではなかったとはいえ、流石に備えを怠りすぎた。
『乱れ桜』をステップでキャンセル出来ていれば、ここまでギリギリにはならなかった。
事前にスキルを使って必要なスタミナ量を減らしておくか、どうにかしてもう少しスタミナの最大値を増やしておくべきだったと反省する。
しかし、ミツキといいアサヒといい、達人とかいう奴は本当に化物だと思う。
アサヒはさっき、
『攻撃が始まる直前に恐ろしい殺気を感じたが、それだけだ。
今のその剣からは何の圧力も感じない』
と言っていた。
俺が『刹那五月雨斬』と叫んだ直後、すなわち『攻撃が始まる直前』に『乱れ桜』の命中判定、およびダメージ判定が行われた。
俺が攻撃をしたのはある意味でこの瞬間だけであり、アサヒはそれを正確に察知していたということになる。
まあ、それが分かってなお避けられないのが、このスキルの凶悪な所なのだが。
「……ソーマ君」
そうやって俺が今回のことを振り返っていると、アサヒが鋭い声で俺を呼んだ。
折れた逆刃刀の代わりに懐から紙を取り出して、話し出す。
「この、ミツキからの手紙にあった。
私が唯一認めた友であるソーマの剣は、奇態でありながらも玄妙。
実と思えば虚、虚と思えば実。
そんな掴みどころのない不可思議な技を使う、奇剣使いだと」
あいつは何を書いてるんだ、と心の中でミツキに毒づくが、父親の前ではそれは口に出せなかった。
そのアサヒが、俺をにらみつけながら問いかける。
「ソーマ君。君は一体、何者だ?
その剣を君は、どうやって学んだ?
君にその戦い方を教えたのは誰だ?」
戦いの時と同じ、いや、ことによるとそれ以上に真剣な表情。
しかし、そんなことを言われても困る。
俺が学んだのはゲームのやり方で、決して本物の戦いのやり方ではないのだから。
「俺の戦い方は我流で、流派なんてありません。
ですがまあ、俺の戦い方に強いて名前をつけるなら――」
ただ、答えを出せというのなら、一つだけ答えられる言葉がある。
俺はアサヒたちを正面から見つめ、胸を張って言った。
「――これが、『猫耳猫』流です!!」