前へ次へ   更新
76/243

第七十四章 道場

新ジャンル:『猫耳萌え』

 簡単に言ってしまうと、ヒサメのコンプレックスはお尻に生えた猫の尻尾だったそうだ。


 決闘の時に彼女があんなにも取り乱したのも、服が透けて裸を見られたことより、尻尾を見られたと思って動揺したせいらしい。


 そういえばヒサメが俺に見られていることに気付いた時、俺の視線は彼女の腰に向かっていた。

 普段は尻尾が見えないように腰に巻きつけているそうなので、その時にバレたと思っても確かに不思議ではない。

 実際にはその時の俺は、尻尾に気付くどころか、『ヒサメって意外と腰太いんだなぁ』くらいのことしか考えていなかったのだが、それはヒサメの精神衛生上黙っておくことにした。


 確かにゲームを思い返してみても、猫耳が生えているキャラはそこそこいるが、尻尾が生えているキャラは見なかったようにも思う。

 正直、ラインハルトみたいな蜥蜴人間(当然尻尾付き)なんかがいる世界で、今さら猫の尻尾ごときで騒ぐ必要ないんじゃね、と思ったりもするのだが、獣耳に尻尾と肉球がついている獣人型モンスターなんかがいる関係上、耳だけならともかく尻尾がついていると迫害の対象になるんだそうだ。

 ちなみにヒサメに肉球はない、念のため。


 ヒサメ家に伝わる伝承によると、先祖に猫神と呼ばれた伝説的な存在がいて、ヒサメは先祖返りなんだとか。

 代々猫耳や猫尻尾が出て来る人間は猫神の力を強く受け継ぐ傾向にあり、ヒサメが異様に速くて強いのもその辺りに理由があるとも言っていた。

 俺には先祖が織田信長って言い張る人くらいの信憑性しか感じられなかったが、設定のカオスさには定評のある『猫耳猫』の世界なので本当なのかもしれない。


 少なくともヒサメによると、


「私の尻尾はヒサメ家全体に関わる秘密です。

 それが見つかってしまった以上、父上に話を通す必要があります」


 と、いうことらしい。

 本当にヒサメ家の家訓だとか隠し設定的なルールだとかは実在するようだ。

 だが、ここで少し希望が出て来た。


 もうヒサメ家を訪れることは避けられない流れだが、ヒサメとの決闘イベントの戦闘方法を変えたように、ヒサメ家訪問イベントの中身を変えることは出来るかもしれない。

 確かヒサメの父親が怒ったのは、一言で言えば「てめぇなんぞに娘はやらん!」というラブコメイベント的な理由のはずだ。


 道場に呼ばれる理由を調整することで、その展開は回避出来る可能性もある。

 俺は、もう少し突っ込んだ質問をすることにした。


「そういうの、やっぱりしきたりとかで決まってるのか?」


 俺が尋ねると、ヒサメの猫耳が少し迷うように動き、やがて、「えっとねー」という感じで傾いた。


「……いえ。ただ、私が旅に出る時、交換条件として父上に約束させられたのです。

 私を打ち負かした者か、私の尻尾を見た者か、あるいは、その……私が見込んだ者が見つかったら、必ず連れてくるようにと。

 全く、お節介な事です」


 ヒサメは「もう、しょうがないお父さんだよね!」と言いたげに耳をぶんぶんさせながら、肩をすくめた。


「ちなみに、俺の場合は?」

「そうですね。尻尾を見られてしまったというのもありますが、貴方の場合はこの三つ全てに当てはまりますから……」


 ヒサメが結論を出す前に、俺はあわてて釘を刺す。


「ちょっと待った!

 俺がヒサメに勝ったなんて言わないでくれよ?

 あれは偶然策が当たっただけだし、下手にそんなことが知られたら、『君はミツキを破った実力者だそうだな。ぜひ、ワシらとも手合わせをしてくれないか?』とか言って戦いを挑まれそうだ」

「ああ、それも一理ありますね。

 ならば、『友人に偶然尻尾を見られてしまった』とだけ父上には報せるとしましょう」


 ヒサメの言葉に、俺はようやく肩を撫で下ろす。


(危ない所だった……)


 ヒサメに勝ったとか話されたら、完全にゲーム通りの展開に進む未来しか見えない。

 あらかじめ気付いてよかったと俺がほっとしていると、ヒサメの猫耳が「あれっ?」とばかりにぴこんと反応した。


「しかし、それにしてもまるで会ってきたように話しますね。

 先程の貴方の言葉、父上が如何にも口にしそうな言葉で驚きました」

「ん、そうかな?

 ほら、有名な人だからさ」


 俺は適当にごまかした。

 まさか、ご本人の台詞ですとは言えない。


 しかし、ともあれこれで当面の方針は決まった。

 ヒサメと一緒に父親に尻尾の件を報告して、イベントフラグを解消する。

 うまくすればゲームのような命懸けの展開を回避出来るかもしれないし、俺は別にヒサメの父親に認められるつもりもない。

 いざとなればヒサメにも協力してもらって、何とか致死イベントを潜り抜けよう。


 そうとなれば、善は急げだ。


「それじゃ、とりあえずここから離れようか」


 ヒサメを促して、俺は歩き出したのだが、


「…待って下さい」


 まるでこの前のリンゴとのやりとりの焼き直しのように、ヒサメは俺の後については来なかった。

 振り返ると、ヒサメはあいかわらずのキリッとした顔を崩していなかったが、


「ここだけの話ですが、私はあまり高い所が得意ではないのです」


 よくよく見るとヒサメの両足は小刻みにカクカクと震えているし、猫耳は「もうだめだよぉー」とばかりにペタンと頭に張り付いている。

 岬の端になんて立ってよく平気だと思っていたのだが、どうも、今まで怖いのをやせ我慢していたらしい。


「高い所が駄目なら、そもそも何でこんなとこに来たんだよ」

「貴方に会いに行く勇気が中々出なかったので、自分を追い込んでいただけです。

 もっとも、さっきまでは尻尾の事に夢中だったのであまり気にしていませんでしたが……」


 まるでドMなスポーツ選手みたいなことを言う。

 やっぱりこいつはちょっとおかしい。


「それで、俺はどうすればいいんだ?」

「……肩を」


 短い言葉に応えて、俺は無言でヒサメに肩を差し出した。


「…どうも」


 不機嫌そうに返事をされるが、猫耳の方は「いいの? いいの?」とばかりにびくついている。

 超然としているようでいて、案外動揺しやすい奴だ。

 このままでは埒が明かないので、俺は無言でヒサメの肩に手を回した。


「ぁ……」


 一言くらい文句を言ってやろうと思ったのだが、俺が肩に触れた瞬間、ヒサメの猫耳がピンと立ち、それから強張ったように伏せられるのが何だか「ごめんね」と言っているように見えて、俺は不平の言葉を飲み込んだ。

 そのまま、ヒサメには似つかわしくないゆっくりとした速度としおらしさで、岬の先端から離れていく。


 半ばまで歩いて、こちらを待つリンゴとその胸元に抱かれたくまのぬいぐるみが見えた時、ヒサメが口を開いた。


「それと、私の家に行くのなら一つ提案があるのですが……」




 いきなり押しかけていって誤解され、ゲーム通りのイベントが始まっても面白くない。

 道場には先に使いを出し、事情を説明した手紙を届けてもらうことにした。

 俺たちはわざと時間を遅らせてゆっくりと道場に向かう。


 あの尻尾の一件で、彼女との関係は多少改善されたと言える。

 とはいえ、敵対的でなくなったというだけで、その態度はあいかわらずだ。

 あんなに感情豊かだったのは決闘時限定だったらしく、今はもうすっかり澄ました仏頂面で、何事もなかったように尻尾を隠して歩いている。


 まあ、強いて変わった所を挙げるなら、


「悪い、ミツキ。今度はアレを買ってきてもらえるか?」


 名前の呼び方くらいだろうか。


 岬から戻ってくる時に提案されたのだが、ヒサメというのは名前ではなく名字であって、当然ながらミツキの一家は全てヒサメという名字を持っている。

 道場に行くのであればその呼び方ではややこしいことになると、ミツキという呼び方を提示されたのだ。


 最初は慣れない呼び方に戸惑いもしたのだが、そもそもヒサメも何だか名字というより名前っぽい感じだったので、何度か使っている内に大差ないことに気付いた。

 ミツキも自分が名前で呼ばれることにはそれほどの抵抗はないようで、最初の数回は名前を呼ばれる度に猫耳をぴくんと跳ね上げさせていたのだが、


「貴方は自分で買い物も出来ないのですか?

 ……仕方ありませんね」


 今はもうこんな感じで、慣れたものだ。


 それに、名前を呼ぶような用事が存在したというのも大きい。

 無表情なミツキとリンゴはまかり間違っても愛想があるとは言えないが、何を言ってもヒサメの家の情報しか話してもらえない俺よりはマシだ。

 あまった時間を使い、ミツキに頼んで店の掘り出し物などを代わりに買ってもらって、時間を潰す。

 ちょっと期待していた属性武器などは手に入らなかったが、アクセサリーショップでまたスタミナアップの指輪が手に入ったのが収穫だろうか。


 これでアクセサリーをスタミナ系の装備に切り替え、補助魔法を併用すれば、一時的にスタミナが初期値の200%まで到達することになる。

 闇属性攻撃の強化というのも惹かれるが、スキルやコンボと密接に関係するスタミナを上げるのもまた夢が広がる。

 俺は早速指輪をつけかえた。


 店の一件で分かる通り、街を歩けばあいかわらずヒサメ道場の話題ばかりだったのだが、リンゴは特に気にしていないし、ミツキなどは、


「道場は街の人々にもきちんと認知されているようですね」


 と自慢げだった。

 頭の上の猫耳まで、「すごいでしょー」と言う風に誇らしげにその身を伸ばしている。

 いくら『猫耳猫』のゲーム世界とはいえ、もうちょっとまともな感性を持った人と知り合いになりたかったというのはここだけの話だ。




「貴方の隣をこうやって歩いているというのも、何だか不思議な気分ですね」


 流石のミツキも、いつもダッシュで目的地に移動するという訳ではないらしい。

 街で時間を潰した後、三人で並んでのんびりと西に向かう。


 この辺りのモンスターはもはや俺たちの敵ではない。

 現れた側からミツキが切り捨てるか、リンゴが雷撃で吹き飛ばす。

 何の危機感もないどころか、俺の出る幕は全くなかった。


 なので、ミツキからゆっくりと道場や父親について聞く時間も出来た。

 道場の稽古はかなりスパルタらしく、道場主である父親も厳格な性格だが、身内以外に非道は行わないらしい。

 身内以外に、という所に一抹の不安がよぎらないでもないが、それが聞けたのはちょっと安心出来る材料だ。


 ついでに、


「例の件の口封じに殺されたりはしないよな?」


 と訊いてみた所、ミツキは「まさか」と一笑に付した。


 まあ、そうだろう。

 娘が魔物に似ているというのは悪い噂かもしれないが、流石に人を殺してまで守るような秘密ではない。

 むしろ、口封じに人殺しなんてしてしまえば、そっちの方が漏れた場合に大事になるだろう。


(ただまあ、『猫耳猫』だからなぁ……)


 その辺りの論理的整合性にはあまり期待しすぎない方がいいかもしれない。


 しかしまあそんな感じで、ミツキとの仲が険悪になることもなく、道場までの道行きは比較的楽しく過ごすことが出来た。

 道中はもっぱらミツキと会話をしながら歩いていたのだが、リンゴも外に出たことで知的好奇心が刺激されたのか、俺とミツキの会話が一段落した時などにそっと俺の袖を引いて、


「…あれ、なに?」


 とか、


「…さっきのてき、なんていうの?」


 などと質問をしてきた。


 今まであまりそういった物に関心を持っていなかったと思うのだが、リンゴも経験を重ねる内に少しずつ色々な物に興味を持ち始めたということだろう。

 これは純粋にいい傾向だと思う。

 俺がゲーム知識を活かし、訊かれる物全てにきちんと答えてやると、基本的に無表情ながらも、心なしかリンゴも嬉しそうな顔をしてくれた。




 波乱がデフォでついてくると言われる『猫耳猫』にしては珍しく、すんなりと何事もなく道場まで着いてしまった。


「お帰りなさい、お嬢様! それに、ご友人の方々!」


 連絡に不備があったということもないようで、道場の入り口で門下生とおぼしき人に出迎えられた。

 ますます順調過ぎて怖いくらいだ。

 ただ、ミツキにとっては違ったようで、


「お嬢様は止めて下さい。私はもう家を出た身です」


 ミツキは嫌そうに眉をしかめながらもクールに返していたが、縮こまった猫耳は「おじょうさまなんてはずかしいよー」と語っているようだった。

 まあその真偽についてはとりあえず置いておくとして、出迎えに出た門下生が丁寧な物腰で俺たちを敷地に招き入れてくれた。


「それでもお嬢様はお嬢様ですよ。

 ああ、それでお嬢様、それにご友人の方々。

 ささやかですが、歓迎の準備が出来ています。

 こちらへ」

「歓迎、ですか?」


 不思議そうな顔をしながらも、おとなしくついていくミツキ。

 ゲームのヒサメイベントでは、着いてすぐに戦うことになったはずだが、門下生はゲームのイベントとは全く別のことを言っているようだ。

 やはり、流れが変わっていると考えるべきか。

 俺も首を傾げながらその後に続いた。


「荷物などもあると思いますので、先に部屋にご案内致します。

 あ、申し訳ありませんが部屋は男女別ということですので、ソーマ様はこちらへ」


 そこで、ミツキやリンゴと別れる。

 リンゴは何か不安そうに俺を見ていたが、口だけで「俺は大丈夫」と伝えると、渋々というように案内に従って歩いていった。


「こちらです」


 最初に出て来た門下生が、俺を奥へと案内する。

 見覚えのある風景の中を歩いていく。


「お嬢様が友人を連れてくるなんて初めてのことですからね。

 皆さんはりきって歓迎の準備をしているんですよ」

「……そうなんですか」


 口の中だけでぼそぼそと唱えながら、俺はその人の後についていく。


 やってきたのは、ここで一番大きな建物。

 つまり、巨大な道場だった。


「お入りください」


 と促され、俺は道場に一歩を踏み入れる。

 その、瞬間、




『――ヒサメ道場へ、ようこそ!!!』




 数人の声が混じった大音声が、道場と俺の鼓膜に響く。


 俺は部屋を見回して、悟った。

 それは、確かにこの上ないほどの歓迎だった。


 そう、俺に向けられたのは、単なる歓迎の言葉だけじゃない。

 俺に向けられたのは、道場主であるミツキの父親をはじめとした10人の屈強の男たちの満面の笑み。

 それに、



「ワシらは君を歓迎するよ、ソーマ君!!」



 ギラギラと凶悪な光を放つ、10本の逆刃刀だった。






 それを確認して、これは参ったとばかりに俺は手で顔を覆い、心の中で、


(『スタミナアップ』)


 と唱える。

 同時にここに入る前に詠唱完了していた魔法が発動し、身体に活力が宿るのが自覚出来た。


 ……まあ、なんだ。


 向こうはもしかすると予想外の歓迎をしたと考えているのかもしれないが、一体俺が何十回このイベントに挑んだと思っているのか。

 ヒサメ家訪問イベントにセーブポイントはないため、途中で死ねば必ず最初からやり直すことになる。

 この逆刃刀で歓迎の流れに世界で一番詳しいのは、たぶん俺だ。


 導入はゲームとは違ったものの、通された場所を見た瞬間から、いや、ミツキやリンゴと引き離された後、道場に向かっているのが分かった時から、絶対こうなるだろうなとは予想していた。

 それどころか、道場の中、ミツキの父親と門下生がどのような配置でどの場所に立って待っているかまで、ここに足を踏み入れる前に完全に予測出来ていた。


(こんな博打は打ちたくなかったけど、やるしかないよな)


 だから俺は、密かに覚悟を決め、


「手紙に書いてあったよ。

 君は、ミツキの友人だそうだね。

 娘が力のない者を友とするとも思えない。

 ワシにもその実力を……」


 扇状に広がった10の『目標』の位置を見定め、


「そこ、退がった方がいいですよ」

「ぬっ?!」


 ミツキの父親の話を遮って、不知火を握る。


 ……大丈夫。

 スタミナ特化の装備をした、今の俺ならギリギリ使えるはずだ。


「多勢に無勢では勝ち目がありません。

 口上の途中で申し訳ありませんが、先手を取らせて頂きます」


 もっとも習得が困難な武器スキルの一つであり、初期状態では使うことすら出来ないほどの莫大なスタミナ消費を誇る、全武器スキル中最高の威力を持つとされる大太刀の最後にして最強のスキル、『乱れ桜』。

 だが、熟練した『猫耳猫』プレイヤーは全て、この技を別の名前で呼ぶ。


 その名も――



「――奥義、『刹那せつなさ月雨斬(みだれぎり)』!!」



 前へ次へ 目次  更新