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第七十三章 この世界で一番綺麗な物

(ヒサメイベントフラグが復活してる? 何でだ?!)


 俺は半ばパニックになりながら、必死に頭を回転させた。


 あのセクハラ攻撃によって、『ヒサメが俺を家に呼ぶ』という条件は、何とか回避したはずだった。

 しかし、ならば今まだフラグが立っているのはなぜだ?

 もしかして、このイベントのポイントは家に招かれることではなかったのか?


 あの戦いで、『ヒサメと勝負をして実力を認められる』という条件を満たしてしまったからだろうか。

 いや、やっぱりそれだけとは考えにくい。

 あるいは、間接的とはいえ、『ヒサメの肌を見たこと』によって、新たなフラグが立ってしまったとも考えられる。


 実は家訓で、『肌を見られた相手と結婚しなければならない』と決まっていたとか。

 ヒサメイベントの内容を考えると、ありえそうで困る。

 もしそうだった場合、俺はフラグを回避するつもりで逆に盛大に踏み込んでいってしまったということになる。


(待て! 落ち着け!

 とりあえずは、本当にヒサメイベントが復活しているのか、それを確かめるのが先決だ!)


 そう自分に言い聞かせて、俺は自身を混乱の渦へと突き落とした相手を見る。

 「どうかした? おにいちゃんっ」とばかりに俺を見る、一見無邪気そのものの少女を前に、俺はそっと唾を飲み込んだ。


 ――絶望的な戦いが始まる。




 それからポイズンたんと少し話をしてみたのだが、どうやら事態は俺が想像していた通りの、いや、もっと悪い状態になっているようだった。


 以前イベントが成立しかけていた時、街の人々の話には『ヒサメの家の情報』が不自然に挿入されていた。

 しかし、今は違う。


「ええっとそれで、結局君は何をしにここを訪ねてきたのか、もう一度教えてくれるかな?」


 と、俺が訊けば、


「あはは、おもしろーい。

 なんどもいってるのに、おにいちゃん、のうみそがゴブリンとおんなじくらいしかないんだねー。

 おにいちゃんははやくヒサメのいえにいけばいいとおもうよー」


 ポイズンたんは純粋に邪悪な笑顔でそう返してくるのだ。

 この状態、前のように不完全にではなく、完全にイベントが開始されてしまっていると考えた方がよさそうだ。

 話題の間に『ヒサメの家の情報』が挿入される訳ではなく、全ての話題が『ヒサメの家の情報』に切り替わってしまっている。


(これは、まずいぞ)


 不完全なフラグなら折ることも出来たが、完全なフラグが成立した場合、それを破棄することは果たして可能なのかどうか。


 そして、それより何より、当面の問題として、


「すなおにヒサメのいえにむかえばいいのに、どうしてごまかそうとするのかな? おにいちゃんっ」

「せきにんってことばのいみしってる? おにいちゃんっ」

「ヒサメのどうじょうはにしだよ。にしってわかる? おにいちゃんっ」

「もしかしてなにもしゃべれなくなっちゃったの? おにいちゃんっ」

「だまってればなんとかなるとか、あたまのわるいはんざいしゃみたいなことかんがえてないよね? おにいちゃんっ」


 目の前の毒舌少女を何とかしなければ、俺の心がへし折れる!!


「り、リンゴ……」


 精神的に瀕死の俺が助けを求めたのは、当然ながら俺の相棒だった。

 リンゴは俺の様子を三秒ほどじっと観察した後、ポイズンたんにぼそぼそっと何かをささやいた。


 祈るような気持ちで見守っていると、


「そっか。じゃああんしんだねっ」


 ポイズンたんはあっさりとリンゴの言葉を聞き入れたようで、部屋の出口に向かって歩いていった。


「じゃあね、おにいちゃんっ。

 ヒサメのどうじょうはおうとのにしにあるからわすれないでねっ!」


 最後の最後までヒサメ家情報の念押しをして、ポイズンたんは部屋を出て行った。




「なぁ、リンゴ。ポイズンたんの用事って……」


 彼女を玄関まで見送った後、リンゴに尋ねた。


「…ギルドがお金、用意したって」

「やっぱり、かぁぁ」


 言葉と一緒に深い息を吐き出す。

 やはり、ポイズンたんの用事は本来はヒサメの家とは全く関係なかったことがこれで判明してしまった。

 完全に、ヒサメの連続イベントが発生してしまっている。


「あれ、でもそういえば、リンゴは普通に話してるよな?」

「…?」


 リンゴが小さく首を傾げる。

 本人に意識してる様子はないが……。


「なぁ、リンゴ。ちょっと何か言ってみてくれないか?」

「…せくは」

「悪い! やっぱりいい!」


 今まで散々話をしてきたのだ。

 リンゴにイベントの影響がないのは明らかだった。

 そして、完全にリンゴの機嫌が直ったという訳でもないことが、今証明されてしまった。


 これはリンゴが例外なのか、ポイズンたんが例外なのか。

 俺は外に出て確かめることにした。



 結果は、


「よう兄ちゃん! 今ならこのアイテムが安いけどその前にヒサメの家に行ってきな!」


「今一番熱いのはこのダンジョン! だけどあんたに一番おすすめのヒサメの道場は街の西にあるぜ!」


「あら、イイ男ねェーん。そんなア・ナ・タに似合うのは、このお店しかないわ。

 王都の西にある店で、ヒサメ道場って言うのだけど……」


「おう! 悪いがここは満席だぜ!

 席が空くまでちょっと、西の方の道場で待っててくれよ!」


「おかげさまで、ブルーもこんなに元気になって……。

 わたしたちに出来る恩返しは、ヒサメさんの家の場所を教えることだけです。

 その、場所は王都の西の……」


「ソーマ兄ちゃん久しぶり!

 妹も元気だし、ここはおれに任せて早くヒサメの道場に行ってきなよ!」


「あいよ、リンゴ二個だね。

 じゃああたしが商品の代わりにとっておきの噂を教えてやるよ。

 ヒサメ家が経営する道場が、王都の西に建っているそうだよ」


 一事が万事、こんな感じだった。


 ここまでされてしまえば、もはや疑いの余地はない。

 ヒサメイベントは、開始されてしまっている。


 というか、ゲームの時より街の人の台詞が多様になっている気がする。

 ただ、店が利用出来ないのも他のイベントを発生させられないのも同じみたいで、八百屋のおばちゃんになんか、無理矢理100E払ったにもかかわらず、代金だけを奪われた。


 リンゴに影響がないように見えるのは、おそらく彼女がバグキャラだからだろう。

 もしかすると、リンゴにはイベントフラグが存在しないのかもしれない。

 こうなると逆に、真希に会ったとしても最悪の場合真希までヒサメの家のことしか言わない可能性すら出て来た。


 プレイヤー補正がうまくかかっているといいが、そうでなければわざわざ王城で再会して、ヒサメの家の話を聞いて帰ってくることになるだろう。

 いや、それ以前に、騎士団が家にやってきても、ヒサメの道場の場所だけ教えて帰っていくという公算が高い。


(……駄目だな。とにかく、この状態を何とかしないと)


 そうは思うものの、流石にもう回避手段に心当たりはない。

 確実な手とすれば、もはやヒサメと道場に行くしかないが、それをすると今度は……。


(ちょっと、待てよ?)


 たぶん、次のイベント『ヒサメと一緒に道場を訪問する』のを達成するのが、この『キャラクターがヒサメの家の情報しか言わない』状態を回避するための解決手段だろう。

 ゲームでは、その時ヒサメは自分の家で待っていてくれた。

 しかし今の状況、ヒサメは本当に、きちんと家に戻ってくれているだろうか。


 ゲームでの知識によれば、ヒサメはここ数年間、道場にはほとんど戻っていなかったはずだ。

 それでも、自分の結婚相手になるかもしれない人を引き合わせるためだから、と言って、久しぶりの里帰りを果たしたのだ。


 しかし、何が原因かヒサメ家訪問フラグが立ったものの、俺はまだ、ヒサメに家に来てほしいとも何とも言われていない。

 この状況でヒサメは家に戻るだろうか。


 ヒサメの居場所もイベントの一部と考えるならきちんと戻ってくれている気もするし、そこはイレギュラーの範囲内と考えるとまだ別の場所にいるような気もする。


 もしまだヒサメが自分の家に行っていないとしたらどうだろう。

 俺がイベントを正常に開始させ、このイベント停止状態を改善するためには、まずヒサメを発見し、俺と一緒に道場に行くように説得しなければならないことになる。


(いやいや、無理だろ!)


 どこにいるかも分からないヒサメをノーヒントで発見して、あんなセクハラをして泣かせてしまったヒサメを説得して一緒に家に行くことを納得させなきゃいけないとか、無理ゲーすぎる。

 状況が悪化しているにもほどがあるだろう。


(この前、素直に道場に行っていれば……)


 なんて後悔さえにじんでくるが、これはもう仕方がない。

 あの後で買い物なんかを済ませられたのは、決闘をダシに時間を引き延ばしたから。

 それはそれで、無駄ではなかったと信じたい。


「とにかく、だ」


 まずは、ヒサメの居場所を探らなくてはいけない。

 俺は悲壮な覚悟でもって、『ヒサメの家の情報』ばかりが飛び交う街に向き直った。



 しかし、残念ながらヒサメの居場所を見つけるようなアイテムやスキルは持っていないし、街の人は何を訊いてもヒサメの家のことしか言わない。

 ヒサメの家関連のイベントなんだからヒサメのことも話してくれてもいいようなものだが、そんな臨機応変さはないようだった。


 俺が訊いたら全部『ヒサメの家の情報』になってしまうだけで、リンゴに訊いてもらえば問題はないということに気付いたのはだいぶ時間が過ぎてからだ。

 リンゴが話を聞き始めると、さっきまでの難航っぷりが嘘のように情報が集まった。


 朝、ヒサメが物凄い勢いで門の外に走っていくのを見た人間が何人もいた。

 あまりの速さにほとんどの人が目で追えなかったらしいが、それが逆にその正体を皆に知らしめていた。


「こっちの方、だよな」


 情報にあった方向には、いくつかのフィールドがある。

 だが、その中で俺は、彼女はレグス湖に行ったに違いないという予想をした。


 だって、レグス湖には切り立った岬がある。

 追い詰められた人間は誰だって、崖を目指すに決まっているのだ。




「まさか、本当にいるとは……」


 遠目にだが、岬の突端に人が立っているのが見えた。

 服装からして、おそらくヒサメだろう。


 嘘から出た真、という奴か。

 意外にも適当に言った言葉が当たってくれたようだ。

 ヒサメは高所恐怖症だったはずだが、それだけ追い詰められているということだろうか。


「じゃあ、行くか」


 俺はそう言って、前に立って歩こうとしたのだが、


「…いかない」


 リンゴが、後については来なかった。


「お、おい。あのな。今は……」


 まだあの時の不機嫌が続いているのかと思って俺は文句を言いかけたが、リンゴは首を振った。


「…たぶん、ひとりのほうが、いい」


 その顔を見て、俺は身勝手な想像をしていた自分を恥じた。

 リンゴは複雑そうな顔をして、こっちを見ていた。


「だけど、一人の方がいいってどういう……」

「…わたしなら、そのほうがうれしい」


 嬉しい、というのはどういう意味なのかよく分からなかったが、リンゴにはそれ以上話すつもりはないようだった。


「……分かった。行ってくるよ」


 リンゴが意外に頑固だということは俺も知っている。

 それに、俺の身を案じて片時も俺の傍を離れようとしなかったリンゴがそう言うのなら、その必要があることなのだろう。

 俺は一人で岬へと歩を進めることにした。



 ヒサメは、岬の一番先端に立っていた。

 風が吹きすさび、彼女の髪を揺らす。

 その風に押されて今にもヒサメが落ちてしまいそうに見えて、俺の胸をざわつかせた。


「多分、初めてですね。

 呼んでもいないのに、貴方が自分から来てくれたのは」


 やはり、気配で俺を察知していたらしい。

 後ろを向く気配もないままに、ヒサメは俺にそう声をかけた。


「そう言われれば、そうかもしれないな。

 今日も、やっぱり待たせたか?」


 ヒサメはやんわりと首を振った。


「いいえ。

 本当は、私が貴方を呼びに行くつもりでした。

 貴方の方から来てくれるとは思わなかった」


 嬉しい偶然です、と言いながら、ヒサメは振り向いた。

 あの時はあんなに濡れて透けていた服ももう乾いていて、振り向いたその顔はいつも通りに整ってはいたが、猫耳にはどこか疲れと怯えと水気が残っているように見えた。

 それを見てしまっては、いくら俺でも罪悪感に襲われる。


「その、この前は……」


 すまなかった、と言う前に、ヒサメが問いかけた。


「見た……のですよね?」


 ぐっと詰まる。

 濡れた服を通して見えた、彼女の裸身が脳裏に浮かび上がる。


「お、俺は……」

「構いません。その反応だけで、充分です」


 何かを言おうと口にしたが、ヒサメは哀しげにも見える仕種でそれを遮った。


「本当は、気付いていました。

 貴方の視線がどこを捉えていたか、私にははっきり見えましたから」

「う、ぐ……悪かった」


 そう言われると、弁解の余地はない。

 俺はそんなにエロい目をしていただろうか。

 していなかった、と言い切れない所がちょっと悲しい。


 ヒサメは俺の謝罪に、いえ、と短く答えてから、おもむろに話し出す。


「ですが、あんな姿を見られてしまったとなれば、私も父上に報告しない訳にはいきません。

 道場に呼ぶのはなかった事にすると約束した手前、申し訳ないですが、貴方にも同行してもらいます。

 もちろん道場を継げだとか、門下生と戦え等という無体な要求はしません。

 あくまで客人として、お招き致します」

「…ああ」


 彼女にとっては、約束したこととこれは目的が違うから別件、という認識なのかもしれない。

 あるいは約束を守る以上に、今回の一件を重く見ているのか。

 俺は冷静にうなずきながら、内心で叫ぶ。


(やっぱり肌見せ即結婚ルートだったか!!)


 ヒサメの家は古風な家柄だ。

 それも、別に古風な家の事情とかを知らない『猫耳猫』スタッフが適当な知識と偏見だけで作り上げたような古風な家柄だ。

 肌見せ結婚ルールなんてのはゲームでは表に出てきていない設定だったとは思うが、裏でそんな設定が作られていたとしても全くおかしくはない。


 しかしそう考えるとこの世界、異様な再現度である。

 ゲームでは実装されてなかった部分まで完全再現とか、ゲームに忠実なんだか忠実じゃないんだか分からない。

 どんだけいい仕事をするんだという話だ。


「……やはり、私と一緒にいるのは嫌ですか?」


 しかし、自分の考えに沈んでいる間の沈黙をどう取ったのか、突然ヒサメがぼそっとそんなことをつぶやき始めた。


「え? いや、別に……」


 条件反射で否定の言葉を口にするものの、それは逆効果だったようだ。


「いいんです。

 あんな物を見せてしまったのですからね。

 その反応も、分かります」

「いや、だから……」


 俺が精一杯に抗弁しても、響かない。

 自嘲気味の笑みを浮かべて、


「気持ち悪いと、思ったのでしょう?」


 なんてことを言う。

 全く意味が分からない。

 もしかして、自分の身体がコンプレックスとかいう隠れ設定があったのだろうか。


 しかし、それは全くもって杞憂というか、贅沢な悩みというものだ。

 ヒサメがコンプレックスを持たなければならないとしたら、イーナなんて……というのは流石に冗談だが、少なくともヒサメが自分の身体を恥じることはないだろう。


「いや、俺は、綺麗だと思ったよ」


 だから俺は、漫画の主人公みたいなことを真顔で言った。

 言い切った。

 セクハラで相手の裸覗いといてそれを褒めるとか、ぶっちゃけ正気の沙汰じゃないと思うが、とにかくそう言い切った。


「嘘です! そんなの……」


 しかし、ヒサメはそれに動揺を見せた。

 本当にコンプレックスだったんだろうか。

 とにかくここが攻め時と言葉を重ねた。


「いや、今まで見たどんな物より、綺麗だと思った。

 ヒサメは、その、生まれたままの自然な姿の方が、魅力的だよ」


 しかし、そこはぼっちの悲しさ。

 何か褒め慣れていないために気付けば凄いことを口走っていた。

 適当に思いついた褒め言葉をただ口にしただけなのだが、これって冷静に考えると、


『君のスケスケ姿は俺の人生ナンバーワンの光景だったよ!

 君はやっぱ、裸でいるのが一番いいんじゃないかな?』


 こんな感じになる。

 紛うことなき、変態発言である。


「……ほ、本当、ですか?」


 しかし、俺の発言の何が琴線に触れたのか、ヒサメが照れまくっていた。

 謎の好感触!

 俺は一気にたたみかけた。


「あ、ああ、もちろん!

 もう一回見たいくらいだ!」


 俺の口の暴走が止まらない。

 これはもう、


『もう一回裸見せて!!』


 としか解釈出来ない。

 変態っていうか、ただの欲望に忠実な人である。


「……分かりました」


 が、ヒサメさんがなぜか分かってしまった!!


「え、いや、ちょっと、今のは……」


 動揺する俺に構わず、


「目を、瞑っていて下さい」


 なんて言いながら服に手をかけられては、俺は目をつぶるしかない。

 真っ暗になった視界で、俺は混乱の極みにあった。


(待て待て待て! これは何がどうなってるんだ?)


 衣擦れの音が聞こえる。

 本当に服を脱いでいるらしい。

 まさか本気で、俺にもう一度裸を見せるつもりなのだろうか。

 というか、前回は服越しで本当の裸を見た訳ではないし、これが初めての……。


(いや、違う! そういうことじゃなくて……)


 もしかして、俺の知らない『ヒサメ結婚イベント』辺りが前倒しで開始されているのか?

 いや、肌を見せたら結婚ルールがあるなら、イベントに関係なくこんな流れになるのはむしろ自然なことなのか?


 分からない。

 訳が分からない。

 分からないが今俺は、何か重大な勘違いをしているような気がした。


「……いいですよ」


 が、そんなヒサメの声が時間切れを告げる。

 俺がおそるおそる目を開けると、


「――ッ!?」


 さっきまで着ていた服を両手に抱えたヒサメが、顔を赤くしてそこに立っていた。

 大事な部分は手にした服で隠れているが、肩などは完全に剥き出しになっている。


 これは、これは、本気なのだろうか。

 俺が言葉を失っていると、羞恥に震えながら、ヒサメが口を開いた。


「そ、その……あの時は、腰の辺りに纏わりつかせていて、よく、見えなかったでしょうから……」


 いや、そりゃあ確かに、下の方の一番肝心な場所を見る前にヒサメはうずくまったけれども、あんな風に凝視出来たのは多分に勢いがあったせいであって、今の俺にそんな度胸は……。

 などと逡巡している暇もなかった。


 俺の葛藤を他所に、ヒサメが動く。



「あ、貴方に、私の誰にも見せた事のない所を見せてあげますね」



 そうして『それ』は俺の前に姿を見せた。

 その瞬間、俺は全ての思考がどこかに飛ばされたのを感じた。



「……きれい、だ」



 口が、唯一正しいその言葉をつぶやく。

 俺の前に剥き出しで晒された『それ』は、あらゆる芸術すら霞ませる、最高の美だった。


 神が作ったと言われても信じてしまうような、完璧という言葉が不足に思えるほど優美なシルエット。

 見ているだけで分かる、絶妙のしなやかさと肌触りを感じさせる、極上の質感。

 どこか艶めかしさすら感じさせる、風に揺れる柳の木のような、幽玄かつ精妙なその動き。


 ――それはきっと、この世界で一番、綺麗な物。


 俺は湧き上がる感動を抑え切れず、もう一度言った。




「本当に、綺麗だ。本当に綺麗な……猫尻尾だよ」




 ……うん、ま、そんなことだろうと思ってましたけどね!


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