第七十二章 無慈悲なる結末
ゲームをしていて、仲間に足を引っ張られた、と思う時はないだろうか。
フレンドリィファイア、つまり仲間から攻撃を受けたとか、眠っている敵をわざわざ起こされた、などというのは言わずもがな。
他にも画面端に走って逃げようとしているのに、なぜか画面が切り替わらない。
どうしてかと思ったら仲間が呪文詠唱中だった、とか。
苦労してゲージを溜めて敵に強力な魔法を使ったのに発動しない。
なぜかと隣を見てみたら、他の仲間が同じ敵をターゲットに魔法を使っていたため、それが終わるまでこちらの魔法が待機状態になっていた、とか。
HPが赤ゲージになったため、急いで逃げようとしたのに足が止まってしまった。
原因を探ってみると、仲間が自分に回復魔法をかけていたから、だとか。
挙げ始めれば枚挙に暇がないほどだが、これはコマンド実行中は逃亡出来ないとか、同じ敵をターゲットにすると同時に魔法が使用出来ないとか、回復魔法を使われているキャラは移動出来ないとかの、そのゲーム自体の仕様が影響していた。
流石にこの『猫耳猫』にはないと思われていたのだが、そこは『猫耳猫』、別にそんなこともなかった。
激しいエフェクトを伴うスキルや魔法を使うと、同様の現象が散見されることが露見したのである。
その代表例が、この青い鳥イベントの報酬、回復魔法『ラストヒール』である。
『ラストヒール』は強力な回復魔法で、その効果に見合うくらいの派手な魔法エフェクトが発生する。
その影響なのかなんなのか、その魔法の対象になったキャラクターは、そこから一歩も身動き出来ず、スキルや魔法も使えなくなるという謎の現象が発見された。
この魔法のエフェクトは術者の上から青い鳥が出てくる派手な物だが、そこから対象となったキャラクター一人一人に凝った光のエフェクトが飛んでいく、という特徴もある。
真実のほどは定かではないが、『キャラクターが移動するとこのエフェクトを追尾させるのが難しくなるため、使われたキャラは身動きが出来なくなるのではないか』と『猫耳猫』のwikiでは分析されていて、同様に、『他のスキルや魔法のエフェクトとの競合を恐れて、スキルや魔法が使用不可能になるのではないか』とも言われていた。
まあ原因はとにかく、この『ラストヒール』は回復魔法であるだけでなく、使用から30秒間、術者と使われた相手の動きを封じる、凶悪な拘束術にもなるのだ!
一応言っておくと、この魔法は単に敵の前で使うとまずいというだけで、敵のいない安全な場所で使えば、回復、補助魔法として非常に優秀だ。
逆に拘束手段として考えると、相手の足を止められる代わりに相手を回復、強化してしまうし、何よりもこれはキャラクター相手にしか使えない、つまりは魔物相手には効果を発揮しないため、あまり使い道のない小ネタとして扱われていた。
だが、今。
相手を倒すことを目的としないこの戦いの中でなら、これ以上に有効な魔法などない。
俺は未知の事態に狼狽し、いまだに動揺の抜け切れないヒサメに、静かに訊いた。
「……なぁ。もう、やめにしないか?」
と。
当然のように、ヒサメは猫耳を逆立てて怒り出す。
「何を、言っているのですか?
この程度の事で、私が…!」
「だったら、何かスキルか魔法でも使ってみればいい」
「ッ!? それは…!」
実際にもう試したのだろう。
ヒサメは悔しそうに猫耳を伏せる。
いや、実の所、スキルが封じられても普通に攻撃すればいいだけなのだが、それは口にしない。
ただまあ、俺とヒサメとの距離は近いが、それは普通の状態でのこと。
全く移動せずに攻撃するには、ちょっとだけ離れすぎていた。
「見た所、拘束されているのは貴方も同じ。
お互いに打つ手がないのであれば、これが解けた瞬間に貴方を斬りつければ終わりです」
少しだけ冷静さを取り戻した様子のヒサメが、逆にそう挑発してくる。
だが、もちろんこの状態を想定していた俺は、スキルも魔法も封じられたこの状態での攻撃手段を持っている。
いや、むしろ、今までの全ての攻防は、この一撃を成立させるためにあったと言ってもいい。
「それは…!?」
そこで俺が取り出した物を見て、ヒサメが目を細める。
彼女も気付いたようだ。
スキルや魔法が使えなくても、アイテムなら使うことが出来る。
そして、この魔法のジェムこそが、俺の三つ目にして最大の切り札。
これを使えば、おそらく俺はヒサメに勝てる。
けれど……。
「本当は、あんたにこれを使いたくはないんだ。
ここで降参して、あんたが俺にもう近付かないと……」
「ふざけないで下さい」
最後の勧告は、本気の怒気をはらんだヒサメの言葉によって、最後まで口にする前に一蹴された。
「なら、仕方ないか」
俺は、穏便な解決をあきらめた。
魔法のジェムをかかげ、発動の準備をする。
「貴方が何をしようというのか分かりませんが、私に魔法は……」
「普通に撃ったらな」
今度はこっちがヒサメの言葉を遮る。
そして、もはや言葉は無用とばかりに、魔法のジェムを天高くかかげる。
走馬灯のようによみがえる記憶。
ヒサメ関連のイベントで見えた、意外なヒサメの弱点。
速度を重視したために、軽装になってしまったヒサメの装備。
アクセサリーショップでウォーターの魔法を使った時、地面に残った水。
どこにでも駆けつけるヒサメが、どうしても行きたがらなかった場所。
水に耐性があるにもかかわらず、お風呂で濡れたオリハルコンの鎧。
その全てから導き出される彼女を倒す策は、当然一つしかない!
「『大瀑布』!!」
気合の声と共に、俺はジェムの魔法を解放する。
向かわせるのは、当然俺とヒサメの頭上。
「何を…?」
怪訝そうに耳を揺らすヒサメだが、その戸惑いも分かる。
大瀑布は大量の水で敵を押し流す魔法。
上に向かって撃っても、何の意味もない。
――この世界が、単純なゲームの世界だったのなら。
しかし俺は知っている。
この世界で水魔法が使われた後、攻撃は終了しても、そこに使われた水それ自体は残ることを。
ゆえに当然、俺たちの頭上に向かった水の魔法も、大瀑布の魔法効果が終わり、その勢いが止まると、
「なっ!?」
魔法攻撃でも何でもない『ただの水』に戻り、それは重力に引かれて地面に落ちてくる!
水の魔法をそのままヒサメにぶつけても、ヒサメには何のダメージもなく、あるいは濡れることすらないのかもしれない。
しかし、攻撃という性質をなくした、『ただの水』ならどうだろう。
「ぐっ!」
バケツをひっくり返したような、という形容があるが、巨大なバケツをひっくり返したような水が、ヒサメと俺を襲う。
一時的に視界が塞がれる中、俺はまだ考え続けていた。
ヒサメは俊敏さのために、軽装備を好んだ。
そのせいで、身体に身につけているのは薄い布製の防具、『天の羽衣』ただ一つ!
ただ、『天の羽衣』の不思議素材効果によって、軽くて薄い癖にふんわりとしていて身体の線があまり出ず、肌が透けて見えるということもなかった。
しかし!
しかし、今!!
それが大量の水に濡れることによって、何が起こるか!
まず、服が濡れて、肌にぴったりと張り付く!
ぴったりと、張り付く!!
そして、そしてだ。
いくら不思議素材とはいえ、あんなにも薄い布。
それが、こんなたくさんの水に濡れてしまうなら、当然、当然……。
―――――透けるッ!!!!!
そう、透けるはずなのである。
むしろ透けないとおかしい!
……………。
あ、いや、別に俺は、ヒサメの濡れ姿を見ることで個人的な快楽を得ようとしている訳では決してない。
リンゴが無防備すぎて見ちゃうと逆に罪悪感なので、日々欲求不満が溜まってるとかそんなことは全くない。
これは純粋に戦略的に必要なことなのだ。
覚えているだろうか。
ヒサメは、
『たとえ数百の魔物に周囲を囲まれても動揺一つ見せない豪胆な精神を持つが、極度の恥ずかしがり屋で他人に下着姿を見られると悲鳴を上げてうずくまってしまう』
という人間なのである。
ここで水に濡れた姿を晒してしまえば、無力化出来るはずだ。
いや、無力化出来ずに負けたとしても、彼女に嫌な思いをさせればそれだけでも構わない。
――そう、俺の秘策とは、『真剣勝負を挑んできたヒサメにセクハラをして、彼女に嫌われる』こと!
これが、俺の考えた対ヒサメ作戦の全容である!
だから俺は、押し寄せる水の中でカッと目を見開き、『着やせ女王』という異名もあるヒサメの姿が現れるのを、まさに括目して待つ!!
そして、とうとう……。
水の流れが止まって、視界がクリアになる……。
その瞬間、目に飛び込んできた予想外の光景に、
(うそ、だろ……)
俺は、大きく開けていた目を、さらに大きく見開いた。
「このような目くらましに、何の意味が……」
不平を漏らすヒサメの声も、全く耳に入らない。
ただ、俺の口から、驚きの言葉だけが漏れた。
「し、新幹線……」
と。
謎のファンタジー素材も、水には勝てなかった。
ヒサメの身体にはぴったりと服が張り付き、その身体のラインを露わにしている。
ラストヒールのエフェクトが多少邪魔をしているが、それでもそのプロポーションを確認することくらいは出来る。
(なんてことだ……)
『着やせ女王』の名は、伊達ではない。
普通列車だったイーナとは比べ物にもならない。
その姿、まさに新幹線の風格。
リンゴだって決して普通列車とは言えなかったが、本当の新幹線にはまるで敵わない。
……あ、いや、もちろんこれは、身体がどうこうって話じゃなくて、走る速さの話をしてるだけだから勘違いしないでほしい!
それにしても、こんな物を一体どうやって隠していたのか。
俺は光るエフェクトを邪魔に思いながらその肌色をさらに凝視して……。
(ん? 肌色?)
とんでもない可能性に気付く。
そういえば、下着姿を覗いちゃうイベントの時、ヒサメの服装は普段と違っていた。
しかし、普段のヒサメは軽装を好み、無駄な物は身につけない。
それは、つまり、まさか、さっき一瞬見えたあれは……。
(なんというファンタジー!!)
俺は熱くなった鼻を押さえた。
ヒサメの弱点を突いたはずが、このままでは俺が気を失って負けてしまいそうだ。
「何を、しているのですか?」
まだ自分の状態に気付いていないようだが、邪な気配を察知したのか、ヒサメの声が険悪な響きを帯びる。
このままではまずい。
俺は急いで視線を下にスライドさせる。
予想外の頂きを下っていき、すらっとしたお腹を通過して、腰。
着やせの弊害なのか、そこは思ったよりも肉付きがよく、ちょっとした段差が出来ているのを見て意外の念に打たれながら、そこからさらに下に視線を移そうとした所で、
「先程から、何を見て……あっ、ぁぁ…?!」
そこでとうとう、俺の視線の向かう先に、ヒサメが気付いた。
反射的に顔を戻した俺と、ヒサメの視線がかち合う。
「え、えと……あはは?」
俺はなんとなく、ひきつった笑みを浮かべた。
そんな俺の見ている前で、見る間にヒサメの表情が歪んでいき、そして、
「や、やぁああああああああああああああああ!!!」
今まで聞いたこともないほどの大きな悲鳴を上げて、ヒサメが両手で下半身をかばいながらうずくまった。
思わず動揺する俺。
だが、これは予定通りの行動。
むしろここで嫌がられなければ計画の成就はない。
俺はあくまで強気に接することにして、ヒサメに声をかけたのだが、
「だ、だから言ったんだ。俺はこんなことしたくなかったから、さっき……」
「みな、見ないでっ! 見ないでぇっ!!」
「いや、その、俺だって別に見たくて見た訳じゃないというか……」
「やだ! やだぁ!! 見ないでよぉ!」
「だから、その……」
「やぁ! いやぁああ!!」
話が通じる気配はない。
というか、もしかして俺、すっごくひどいことをしてるんじゃ、という予感がいまさらながらにひしひしと押し寄せてくる。
――年若い少女を魔法で拘束し、肌を露わにした上でそれを一方的に眺め続ける。
字面にしてみると、完全に犯罪者の所業である。
すっかり意気がくじかれてしまった俺は、泣きじゃくるヒサメから目を逸らし、たまにチラ見するだけに留めた。
そうこうしている内に魔法が切れ、身体が自由に動かせるようになった。
俺はまだ泣きながら必死で身体を隠そうとしているヒサメに、おずおずと声をかけた。
「あー、その、ヒサメ?
もう、魔法は解けたから……」
出来るだけ優しく声をかけたつもりだったのだが、
「ひっ…!」
ヒサメは怯えたように後ずさり、それで自分の身体が動くことに気付くと、
「あ、ちょっと待っ……!」
あっという間に走り出し、『猫耳猫』界のチーターと呼ぶにふさわしい速度で逃げ去って、すぐに見えなくなってしまった。
「まさか、こんなことになってしまうとは……」
そうつぶやきながら、俺はヒサメが置いていった彼女の愛刀、『月影』を拾い上げた。
流れだけを見れば完全に俺の描いていた通りだったのだが、実際にやってみると後味の悪いものだった。
「ま、まあ、結果オーライ、結果オーライ」
ヒサメだって嫌な思いをしたとは思うが、こっちだって命が懸かっているのだ。
これでヒサメのフラグはバッキバキに折れただろうし、道場に招かれることはないだろう。
何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならないこともある。
俺は無理矢理に気を取り直して、リンゴの所に戻る。
「じゃあ、帰ろうか、リン、ゴ…?」
――すすすっ!
俺が話しかけると、リンゴは流れるように後ろに下がり、距離を取った。
「り、リンゴ!?」
何かの間違いかと思ってもう一度近付くと、やはり、スススッと後ろに移動して、俺に近寄らせない。
顔を見ると、いつもよりも冷たい目が、俺を無感動に見つめていた。
(こ、これは…!)
だらだらと冷や汗が流れる。
リンゴを刺激しないように少しずつ近寄って、言い訳をする。
「ち、違うんだぞ?
あれは作戦というか、やむにやまれぬ行動だったんだ。
決して俺が見たかったからやった訳じゃ……」
「…………」
俺の説得も虚しく、リンゴは何も答えてくれない。
それどころか、
――ぷいっ。
何も話すことはないと言わんばかりに、リンゴが俺から顔を逸らす。
(う、うわぁあぁあああ!!)
俺は頭を抱えた。
しかし、ここであきらめてしまったら試合は終了だ。
俺は必死でリンゴに食らいつく。
「ちょ、ちょっと何かを言ってくれよ!
そ、そう!
ヒサメイベントが発生してないか、確かめなきゃいけないから!
リンゴが何か言わないと、それが確かめられないから!」
俺がそう言い募ると、リンゴは俺と目も合わせないままで、ぼそっとつぶやいた。
「………せくはらおとこ」
俺は死んだ。
それからどうやって家まで戻ったのか、俺は覚えていない。
リンゴの態度に深いショックを受けた俺は、気付くと家のベッドの上で、顔まで布団にうずもれていた。
完全にふて寝である。
しかし、昨日の睡眠不足がたたったのだろう。
いつの間にか寝入ってしまって……。
「…ソーマ、おきて」
次に俺が自分を取り戻したのは、そう言ってリンゴに揺り起こされた時だった。
顔を上げると、そこには無表情なリンゴの姿。
「なに、があった?」
半分寝ぼけながら俺が問いかけると、
「…おきゃくさん」
リンゴが簡潔に答える。
その言葉がやけにそっけなく聞こえるのは俺の被害妄想なのか、それともまだリンゴが怒っているためか。
「…おしらせ、が、あるって」
そんな俺の内心を見透かしたように、リンゴが言葉を添える。
俺は動きの鈍い頭を何とか回転させて、考える。
(客、それにお知らせ、か……)
もしかすると、事件から丸一日以上経って、ようやく騎士団がここを嗅ぎつけたのかもしれない。
普段だったら少なからず動揺する所だが、今の俺の心に波を立てるにはその程度では足りなかった。
むしろ、こんな俺はさっさと捕まえて牢屋にでもぶち込まれるのがお似合いだとすら思う。
もう何もかもが面倒だ。
俺は投げやりに、
「じゃ、ここまで来てもらってくれ」
と言い捨てると、リンゴは小さくうなずいた。
そして、自らドアの方に向かうと、
「…どうぞ」
ドアを開いて誰かを迎え入れる。
俺に言われるまでもなく、部屋の前まで連れてきていたらしい。
その事実に驚きながらも、俺は流石に顔を上げる。
リンゴが開いた扉の先にいたのは、
「ポイズン、たん……」
騎士などではなく、もっと小さな女の子、ポイズンたんだった。
非公式の呼び名を思わず呼んでしまったにもかかわらず、ポイズンたんは特に気にした様子もなく、満面の笑みで勢いよく俺の所まで駆けつけてくる。
(ああ、そうか)
そして同時に、俺は気付いた。
ポイズンたんにはバウンティハンターギルドとのつなぎを頼んでいた。
その彼女がやってきたということは、リンゴの言う『お知らせ』の内容も容易に想像出来る。
そう、なんてことはない。
失意の俺に届いたお知らせというのは、単なる――
「おにいちゃん! ヒサメのいえは、まちのにしにあるよ!!」
――単なる、俺終了のお知らせだった。