第七十章 戦いの前に
しばらく扉に体当たりをしたり、鍵穴にピッキングを試みたりしたのだが、その努力が実を結ぶことはなかった。
(あー。失敗したなぁ……)
考えてもしょうがないと思いつつ、後悔ばかりが頭を支配する。
今思えば、明らかに怪しいこんな部屋で不用意に物に触れるべきではなかったし、そもそも最初に覗いた時、生産系の部屋に見えなかった時点で警戒して、せめてリンゴだけでも外に残らせるべきだった。
結果論だが、鍵を置いてきてしまったのもマイナスポイントだった。
たとえ使うつもりがなくても、下手に持っていけば使いたくなるように誘導されるかもしれない。
どうせ使わないならいっそきっぱりと置いていった方が無難だろう、と思ったのだが、それこそ見通しが甘かったと言うしかない。
(どうしたもんかなぁ……)
一番よくない要素は、この場所が『プレイヤーを閉じ込めることを目的とした物ではない』という点だ。
もしこれがいつもの『猫耳猫』スタッフの悪意あるトラップだったのなら、分かりにくかったり性格が悪かったりするかもしれないが、脱出方法は確実に存在するだろう。
しかし、これは盗賊系のNPCが侵入した時の備え。
いや、実際に自宅に泥棒が入るかは知らないが、そういう状況を想定して作られたスタッフのおふざけ部屋だ。
つまりは、自力での脱出を想定されていない可能性が高いのである。
「こりゃ、本格的に救助待ちかなぁ……」
言って、俺はごろんとその場に横になった。
色々と予定が詰まっている時でよかった、と思う。
あれだけ派手に痕跡を残したのだ。
俺を捕まえに城から誰か来るだろうし、明日の朝にはヒサメと決闘の約束をしている。
大穴としては、ギルドがお金を用意出来たなら、バウンティハンターギルドの人かポイズンたんがここまでやってくるという線もありえる。
(どちらにせよ、心配することもないだろ)
そう考えれば、いくらか気が楽になる。
ここに閉じ込められていたら、ほとんど何も出来ない。
しかし考え方を変えれば、これは不意に俺たちに訪れた休暇だとも言えるのだ。
今の所、出られない以外の罠はないみたいだし、外から何かが襲ってくる気配もない。
考えようによってはここは、この屋敷で一番安全な場所なのかもしれない。
この結論をすぐに相方にも伝えてやろうと思って振り返って、
「リンゴ、必ず助けは来るからあんまり心配しなくても……あ、いや、何でもない」
何も言われるまでもなく、特に何も心配していない様子で近くに腰を下ろしてぽーっと虚空を見ているリンゴに、俺は言いかけた言葉を引っ込めた。
考えてみれば、ゲームの中でシェルミア王女は数時間身動き一つせず、それどころか一日中一言もしゃべらずに過ごしていたくらいだ。
こういう何もない時間を過ごすことなんてお手の物なのだろう。
(それじゃ、俺も自分に出来ることをするかね)
俺は鞄からたいまつシショーとたくさんの武器を取り出すと、たいまつシショーを地面に転がし、両手に武器を構えた。
閉じ込められて、何時間が経っただろうか。
幸いなことに、アイテムショップで買ったクーラーボックスにいくらかの食糧と飲料は入れているので空腹は問題ないし、密かに心配していた空気の問題も、今の所は特に気にする必要はないようだった。
(でも、暇だなぁ……)
ただ、退屈だけはいかんともしがたい。
ひたすらたいまつシショーを叩くだけでは流石に飽きが来るし、その成果を試そうにもスキルは封じられている。
リンゴはともかく、俺にはこの部屋で一言もしゃべらずに過ごすというのはなかなかに堪えがたい苦行だった。
「……なぁ、リンゴ」
我慢し切れず、俺は『もしかして死んじゃってるんじゃないか』と心配になるくらい、ピクリとも動かないリンゴにとうとう声をかけた。
「…?」
死んではいなかったようだ。
リンゴの顔が、ほんのわずかにこちらを向く。
「あー、その、ええとだな……」
声をかけてから、何を話すのか考えてなかったことに気付いた。
何か話題をと頭の中を探って、そういえば、と思い出す。
この前の話題、俺の知識の出どころの話が、リンゴが『ゲーム』と言い出した所で中断されていた。
「ええと、この前の話。
俺がどうして色んなことを知ってるのかとか、そういうのに興味があるかって話なんだけど」
「…ない」
そこから『ゲーム』の話につなげようと切り出したのだが、思わぬ返答が返って来て少し言葉を止めてしまった。
「興味、ないのか?
俺がどうしておかしな知識があるかとか……それに、俺がどこから来たかとかも?」
「…とくには」
必ずしもそんなこともないのだろうが、なんとなく俺に全く興味がないと言われたみたいで、ちょっとショックだった。
だからそんなつもりはなかったのに、つい、
「その、俺が故郷に戻ったら、とか考えないのか?」
なんて意地悪な質問をぶつけてしまった。
だが、リンゴは動揺しなかった。
「ついてく」
一言で返してくる。
正直この即答っぷりは予想外だった。
だが、俺の故郷とここを行き来するには、世界を隔てる壁を越えなくてはいけない。
それは、リンゴが考えているより厚くて高いだろう。
だから俺は質問を変えた。
「だけど、俺の故郷が凄く遠い場所で、今までの常識が全然通じないような所だったら?」
「ついてく」
答えには微塵の揺らぎもない。
俺は、ムキになるより先に心配になった。
「もし、その場所に帰れるのが俺一人で、リンゴがついて行けなかったとしたら?」
今度の質問には、答えるまでに一拍ほどの間があった。
「…さがしにいく」
が、答えの本質は全然変わってなかった。
結局ついてくるんじゃないか。
俺は問いを重ねる。
「もし、俺の故郷が見つからなかったら?」
「もっとさがす」
強情だった。
「ずっと探して、それでもどうしても見つからなかったら?」
「みつかるまでさがす」
非常に強情だった。
「もしも、俺の故郷が絶対に見つからない場所にあったとしたら?」
「しぬまでさがす」
とうとう人生丸ごと棒に振らせてしまった。
「ごめん。もういいよ」
俺はため息をついた。
これじゃあまるで駄々っ子だ。
まあリンゴは実質的な人生経験が3日とかそのくらいしかない。
こういう偏った価値観は、少しずつ是正されていくのだろう。
そう思って、俺は無理矢理自分を納得させた。
と、俺が黙り込んでると今度は、リンゴの方から俺に質問をしてきた。
「…こきょうに、かえるの?」
リンゴらしい、実にストレートな質問だった。
俺は少し考えて、首を横に振った。
「帰らないよ。……少なくとも、今はまだ」
俺の言葉を聞いて、リンゴは少しの間黙っていた。
だが、
「……なら、いい」
やがてそう一言言うと、ふたたび彫像のように動かなくなったのだった。
しばらくすると、今度はリンゴの方から俺に近付いてきた。
「何か、あったのか?」
俺が訊くと、リンゴは無表情ながらどこか張り詰めた雰囲気で、
「ソーマ、は……」
と俺に何かを言いかける。
「俺が、どうかしたか?」
それから先の言葉が続かないので不思議に思って尋ねると、リンゴはちょっと戸惑うような顔をして、視線をずらした。
その視線が、俺の手元で止まる。
「…それ、けっとうのじゅんび?」
「え? あ、ああ。まあ半分はそうかな」
いきなり話が飛んだような気がして驚いたが、そういえばリンゴにたいまつシショーのことを説明していなかったことに気付いた。
そりゃあ何の説明もなしに横で延々とこんな物を叩かれたら不思議にも思うだろう。
この際なので、これが武器の熟練度を鍛えられるアイテムであることや、これから戦う予定のヒサメがいかに強いかなど、ひとしきり説明した。
「…かてる?」
全てを聞き終わったリンゴが、ある意味で当然の疑問をぶつけてくる。
その質問に答える前に、俺はポーチから一つの魔法のジェムを取り出した。
「たぶん、これを使えば勝てると思う」
そう言って見せたのは、アイテムショップで購入した普通のジェム。
中級の攻撃魔法が込められたそれは、とてもヒサメを倒せるほど頼もしそうには見えない。
リンゴも同じように思ったんだろう。
「…まほうたいせい、は?」
と訊いてくる。
ヒサメには四属性に対するほぼ完全な耐性がある。
そんなヒサメにこんな市販のジェムが効果を発揮するのか。
この質問も、やはり当然の疑問と言うべきだろう。
が、もちろんそのくらいのこと、俺だってちゃんと考えている。
何を隠そう、俺たちが装備しているオリハルコン製の装備にだって全属性の耐性がついているくらいなのだ。
物語が進めば進むほど、属性耐性がある敵やキャラクターは『猫耳猫』では珍しくなくなるのだ。
後半になると全属性に耐性や吸収がついている敵ばかりになるため、魔法使い系のキャラは属性攻撃特化Ⅰの指輪を二つつけて、補正を-40%にした、相手の吸収属性で攻撃する、なんて訳の分からないことをしていたくらいだ。
まあそれでも通常の4割のダメージしか入らない訳で、脳筋万歳な仕様は変わらない訳なのだが。
少し話が逸れたが、とにかく俺は相手の耐性は計画に織り込んだ上で、この魔法ジェムを使おうとしているのだ。
俺は自信満々に言い切った。
「そりゃ、真正面からそのまま相手に向けて撃ったら効かないだろうな。
でも、俺はこの魔法を
「…うえ?」
天井に向けた俺の指を見て、リンゴがそう答えた。
俺はうなずく。
「ああ。何も魔法の効果ってのは相手のHPを減らすことだけじゃない。
俺はこの魔法を使って、あいつの
……そう。
俺がやろうとしている作戦は、ヒサメ以外には全く意味をなさない。
ゲームで知ったヒサメの弱点と、彼女が高速移動のため、極限までに重量を抑えた軽装をしているという事実。
その二つがあって初めて成功の可能性が出て来るというものだ。
俺はもっと詳しく話そうかと思ったが、これはどちらかと言えばあまり正々堂々とは言えない方法だ。
この辺りで適当にごまかすことにした。
「ま、これはちょっと考えれば誰でも思いつくような単純なことだよ。
それより、どうやってその攻撃を当てるかってことの方が重要になる。
そのためには……」
そこで、ちらりと手に持った棒切れを見て、
「やっぱ、これを叩いとかないとな」
俺はたいまつシショーに教えを乞う作業に戻ったのだった。
「夜が明けた、か……」
結局、日が暮れて朝が来ても、まだ助けは訪れなかった。
昨夜は鞄の中からキャンプ用具を出して、簡易テントを張って寝た。
部屋の中でキャンプか、とは思ったが、想像してたよりも快適だったので文句はない。
それでも精神的な要因のせいかあまり眠れなかったのだが、そういう時に限って変な夢を見るものである。
明け方、ちょっとうとうとした時に見た夢が凄まじく、そのせいですっかり目が覚めてしまった。
その夢と言うのは、ヒサメが裸で俺に迫ってきて、
「貴方に、私の誰にも見せた事のない所を見せてあげますね」
と耳元でささやくという物。
これはちょっとリンゴには話せない。
ちなみに台詞自体は確かゲームにもある物で、ヒサメと結婚した後で同じ部屋に泊まった場合に言われる言葉だ。
イベントのレアさの割に知名度が高く、『猫耳猫』のエロ台詞ベスト10にもちゃんとランクインしている。
いや、もちろん俺は結婚イベントを起こしていないので直接は聞いたことはないし、その後ですぐに画面が暗転して朝になるので特に何かがある訳でもないのだが。
それに、こんな夢を見てしまった原因は分かっている。
原因の一つはもちろん、今日のヒサメとの決闘で、残りの一つは、
「こいつ、だよなぁ……」
俺にぴったりとくっついて眠る、リンゴの存在だった。
特にべたべたしてくるという訳ではないのだが、昨夜のリンゴはいつも以上に俺から離れたがらなかった。
もしかすると、この部屋に閉じ込められて出られないかもしれない、という状況が、少しずつリンゴにストレスを与えていたのかもしれない。
だが、その気持ちは俺にも痛いほど分かる。
(助けなんて、本当に来るのかな)
気をしっかりと持とうと考えていたはずなのに、つい弱気が首をもたげる。
考えてみれば、この『猫耳屋敷』は『猫耳猫』スタッフが悪意の限りを尽くして作り上げた、いわば最悪の要塞だ。
本来、この屋敷を自由に動けるのはその持ち主である俺たち二人だけ。
その持ち主でさえ気を抜けばこんなことになってしまうというのに、外から来た人間がどんな目に遭わされるか、想像すら出来ない。
(俺たち、本当に一生ここから出られなかったりしてな)
そんな風に、俺が悲観的な考えに支配されそうになった時だった。
――こん、こん。
ほんの小さな音だが、確かにノックの音が聞こえた。
俺は一瞬で跳ね起き、扉に駆け寄った。
大声で助けを呼ぶ。
「誰か! 誰かいるんですか!
俺たちはここです!
閉じ込められてるんです!
助けて下さい!!」
扉にくっついて、一気にそうまくしたてる。
しかし、期待していた返事はない。
まさかさっきのノックは気のせいだったのか、という不安が首をもたげた時、ふたたび、
――こんこん。
扉から、ノックの音。
もしかして、こちらの声が聞こえないのだろうか。
いや、こちらからの声は届いても、向こうの声が聞こえないという仕様なのかもしれない。
「き、聞こえてるんですか!?
居間、一階の居間に鍵が置いてあるんです!
それを使えば……」
こちらの声が聞こえているという可能性に賭け、俺はそう怒鳴った。
返事は……やはりない。
俺の言葉は、本当に届いていたのだろうか。
焦燥と不安に彩られた、じりじりとした時間が過ぎる。
だが、しばらくして。
――ガチャ、ガチャ。
鍵穴に鍵が突っ込まれる音がした。
どうやら、本当にこちらの声は聞こえていたらしい。
(やった!)
俺は声には出さず、ただ大きくガッツポーズをする。
そして、とうとう、
――ガチャリ。
俺たちを閉じ込めていた鍵が開いた。
ゆっくりと、扉は開いていく。
果たして、俺を助けに来てくれたこの人は誰なのか。
本命、俺を捕まえにきた騎士団。
対抗、今朝の試合が待ちきれなくなったヒサメ。
大穴、ギルドからの使いでやってきたポイズンたん。
騎士かヒサメかポイズンたんか。
俺が期待と感謝の視線で見守る中、開いた扉の向こうから現れたのは……。
――ニタァ。
最近のくまって意外と器用なんだな、と思った瞬間だった。