第六十二章 レア
「それじゃ、ありがとうございました」
「うん。色々つらいだろうが、君たちも頑張れよ!」
やっぱり勘違いしているっぽい宿屋の主人の温かい言葉に背中を押されて、俺たちは宿を後にした。
宿泊施設とは言っても所詮は馬小屋である。
鍵があったりアイテムを預けていたりする訳でもなく、特にチェックアウトなどの手続きがある訳ではないのだが、一応宿屋の主人に挨拶をしてから出発することにしたのだ。
宿屋の主人も普通に話をしていたので、これでおそらくヒサメイベントの影響は消えているはずだと思うのだが、一言二言の会話だけでは十分に確認が取れたとは言い難い。
せっかくの機会だし、この街で一番おしゃべりな人間の所へ行って確かめることにした。
この街で一番おしゃべりな人間とは、もちろん、
「おばちゃん、リンゴ二つ!」
「はいよ、100Eね!
ん? 誰かと思えば、あんた昨日の……」
街の情報通こと、八百屋のおばちゃんである。
「はい。この前はお騒がせしました」
そう言いながらリンゴを二つ受け取って、その一つをリンゴに放った。
あいかわらずどっちもリンゴでややこしい。
リンゴがそれを受け取って熱のこもった目で見つめるのを見届けると、俺はもう一度おばちゃんに向き直った。
今の所、おばちゃんがヒサメの家の話をする気配はない。
ただ、完全にその疑いがなくなったとは言えないし、ついでに情報収集もしておいて損はないだろう。
俺はもう一度、自分からおばちゃんに話しかけた。
「そういえば、あれからまた王女様の新しい噂とか聞いたりしてませんか?」
俺の言葉に、おばちゃんは苦笑してみせる。
「なに言ってるんだい。
昨日の今日で、そう簡単に新しい噂なんて入るはずないだろ。
……って、言いたいとこだけどねぇ」
「何かあるんですか?」
俺の言葉に、おばちゃんはこれはここだけの話だよ、と実に無意味な前置きをした後、声を潜めて話し始めた。
「最近どうも、姫様はやんちゃなさってるようでねぇ。
城の人たちも手を焼かされてる、みたいな話がちらほらと入って来てるよ」
「あはは、なるほど」
何しろ真希は、齢七歳にして既にトラブルメイカー道を修め、近所の塀にクレヨンで『まき三上』と描き、両親にこっぴどく叱られたなどの数々の武勇伝を持つ猛者だ。
もし本当に王女と入れ替わったのであれば、おとなしくしてるはずなんてないとは思っていた。
ちなみに三上とは参上の間違いだったらしく、そのネタで真希の両親や俺にはずっとからかわれ続けているが、当時の年齢を考えると曲がりなりにも漢字を使っていた時点でむしろ頭はよかったと言えるのかもしれない。
あいつ、あれで不思議と勉強はそこそこ出来たりするのだ。
ともあれこれで、王女の正体が真希である可能性が高くなった。
(お前、本当にこの世界に来てるのか…?)
俺はなんとなく、王城のある方に目を向けた。
確か、シェルミア王女は王都の中心にあるリヒト城、その西の塔の最上階に自室を持っていたはずだ。
塔の最上階に住むとか不便極まりないとは思うが、まあぶっちゃけイベント演出上の都合である。
(あいつだったらなおさら、そんな場所に押し込まれてじっとしてるはずないよな)
どうにかして、真希と連絡が取れればいいのだが。
なんてことを考えた所で、マキ王女が本当に真希なのか知るには、もっと簡単な尋ね方があることに気付いてしまった。
勢い込んで尋ねる。
「と、ところで、そのマキ王女って、どんな人なんですか?
その、外見とか、そういえば聞いてなかったなと思って」
俺の色んな意味でいまさらな問いに、おばちゃんは呆れたような顔をしながら答えてくれた。
「あんた、ほんとに姫様のこと知らないんだねぇ。
マキ様は、綺麗な黒髪をした小柄でかわいらしい方だよ」
黒髪で小柄、真希の特徴とも合致する。
だが、黒髪なんて言ったらヒサメだってそうだし、小柄というくらいでは決定的な要素にはなりえない。
「他に、何かないんですか?」
俺が重ねて尋ねると、おばちゃんはちょっと考える素振りを見せた。
「んー。そうさねぇ。
他に、他にって言うと……ああ!
あたしとしたことが、すごい特徴を忘れてたよ」
「すごい特徴、ですか?」
あいつにそんな目立つ特徴あったっけ、と振り返っていると、おばちゃんがさらに俺に顔を近付けて、まるで物凄い秘密でも打ち明けるかのように、小声で話し始めた。
「王女様の髪、黒髪だって言ったけどねぇ。
なんとその黒い髪に……」
俺を焦らすようにおばちゃんはそこで言葉を切り、演出効果たっぷりに、言った。
「とっても綺麗な、『枝毛』があるんだよ!!」
「……はい?」
聞き間違いだろうか。
何だか物凄く場違いな単語を聞いた気がしたのだが。
「あの、なんて言いました?」
「枝毛だよ、枝毛!
王女様には、枝毛があるんだよ!」
すごいだろ、みたいな顔で俺を見てくるおばちゃん。
全くもって意味が分からない。
「あぁ。枝毛が分からないのかい?
枝毛っていうのはね、髪の毛がこう、木の枝みたいに分かれて……」
「いや、それは知ってますけど!
枝毛なんて別に誰にでも……」
口にしてから、気付いた。
そういえば、ゲームでは白髪やハゲ頭なんかのキャラはいたが、枝毛までは再現されていなかった気がする。
そして、それをキャラクターの特徴と捉えたのならば、この世界の人間に枝毛がないという可能性だって考えられた。
一方、ゲームの通りなら、俺の容姿は専用の機械で読み取った現実世界の物。
髪の手入れなんて全くしてなかったから、この世界にはないはずの枝毛があっても不思議じゃない。
そして、もし枝毛がそんなにレアな代物なら、四葉のクローバー的な感じで大切にされているという可能性だって考えられなくはない。
(まさか、リンゴがやけに俺の枝毛を気にしてたのって、そのせいか?)
いや、あのリンゴならそんなの無関係に単に枝毛が好きだったということも考えられるが、この世界で枝毛がレアだというのは本当だとしたら、王女が真希だという可能性がさらに大きくなってくる。
思わぬ所から湧いてきた手がかりに俺は興奮したが、実はそんな場合ではなかった。
やはり思わぬ所から、俺に危機が迫ってきていたのだ。
俺を襲った恐怖、それは、
「おやまあ!
よく見たら、あんたにも枝毛あるじゃないか!
へぇぇ。めずらしねぇ。
ちょっと見せておくれよ」
それは、巨大な女性の姿をしていた。
「え、ちょ、ちょっと……」
八百屋のおばちゃんが俺の目の辺りをじっと見つめていた。
そういえば今朝、ヒサメにも同じように迫られたなと思い出していたが、このおばちゃんがするとそこにはまた、違った迫力があった。
「なぁに恥ずかしがってるんだい?
だいじょぶだいじょぶ。
別に取って食おうってワケじゃないんだから!」
言いながら、巨体を揺らしながら近付くおばちゃん。
にやりと歪められた唇。
そして、獲物を狙う猛禽のようなギラギラした目。
彼女の言葉とは裏腹に、
(く、食われる…!)
俺が身の危険を感じた、その時、
「…お、おや?」
白い何かが、俺とおばちゃんを遮るように割り込んできた。
同時に、抑揚に乏しい声が俺たちの耳を打つ。
「だめ。…それは、わたしの」
リンゴがおばちゃんの視線を遮るように、手を伸ばしてきていた。
「そういや、あんたこの前も……」
さしものおばちゃんも、突然のリンゴの介入に虚を突かれ、意識が俺から逸れる。
このチャンスを逃してはいけない。
俺は慌てておばちゃんから距離を取ると、
「あ、ありがとうございました。
俺たちはもう行きますので!」
伸ばされたリンゴの手を引っ張って、足早に八百屋を後にした。
角を曲がっておばちゃんの姿が見えなくなってから、ようやく息をつく。
「悪いな、リンゴ。正直助かったよ」
俺が礼を言うと、リンゴは首を振った。
「…だいじ、だから」
「そ、そうか」
いくらレア物とはいえ、俺の枝毛にそんな価値を見出してくれているのはリンゴくらいだろう。
元々枝毛なんて、ただ髪が傷付いてるってだけだし。
ただ、一応釘は刺しておく。
「でも、俺の髪は俺の物だからな」
「わかってる」
そんなこと考えてもなかった、とばかりに即答された。
邪推してしまったが、どうも困ってる俺を助けようと割って入ってくれただけのようだ。
やっぱりリンゴは、俺についてきているのがもったいないくらい出来た奴だと思う。
「あぁ、そうだ」
リンゴにまだお金を渡してないし、そもそもお金を入れるクリスタルや、冒険者鞄も用意していない。
ゴールデンの討伐大会では色々と世話になったし、恩返しもかねてアイテムショップでその辺りをプレゼントするというのはどうだろう。
「次、アイテムショップに行きたいんだけど、いいか?」
俺が訊くと、リンゴは無言でうなずいてくれた。
その返事に、俺は内心でガッツポーズをする。
これでクリスタルと鞄を用意すればリンゴへの恩も少しは返せるし、お金に余裕が出来た今、一つ試したいこともあったのだ。
俺は常々思っていた。
ダンジョンの奥深くに乗り込んだ時、ああ、あの時けちらずにやくそうを買っていれば、どくけしそうを買っていれば、あなを抜けられるひもを買っていれば、アイスなソードを買っていれば、と後悔することのなんと多いことか。
しかし、そんな時は大抵が後の祭り。
後悔した時、そのアイテムたちはもう手の届かない所にある。
だから、どんな時でも店で買い物が出来るようなスキルや道具が欲しいと思うこともあるが、そんな便利な物があるゲームは数少ない。
『猫耳猫』にも残念ながら、そのようなスキルやアイテムは存在しなかった。
だが、俺は思うのだ。
実はごく簡単な方法で、それと同じ、とはいかなくても、似たようなことは出来るのではないか、と。
つまり――
「すみません! この店にある物、全部ください!!」
――この瞬間から、俺たちの自重を忘れた買い物が始まったのだった。