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第六十章 約束の地へ

 街の人たちの会話に奇妙に挿入されたヒサメの家の情報は確かに驚異で脅威だが、ここはとりあえず出来るだけ冷静に、落ち着いて状況を整理してみよう。


 街の人たちの会話は明らかに不自然だが、だからこそこれで完全にヒサメイベントのフラグが立っていると考えるのは早計なような気がする。

 ゲームの知識がどこまで適用出来るか分からないが、ゲームで『ヒサメ家訪問イベント』が始まった時、NPCたちはヒサメ家の情報以外を全く話してはいなかった。

 今は普通の会話にヒサメ家の情報が挿入されている状態なので、まだ中間状態といった所だろう。


 ゲームではそんな中途半端な状態なんてもちろんなかったが、そもそも一騎討ちイベントを起こしたのに『ヒサメ家訪問イベント』が起きていなかったのがイレギュラー。

 そのせいでこのイベント自体がバグ気味になっていると考えれば、なんとなく納得出来る気もする。


(だけど、どうしてだ?

 何がきっかけで、この現象は始まった?)


 俺は必死で頭を働かせた。

 ギルドにいる時は、まだこの怪現象は起こっていなかった。

 ということは、やはりヒサメに会ったことで何らかのトリガーが引かれたと考えるのが自然だろう。



 ここは一つ、俺お得意の適当な仮説を立てて考えてみよう。


 そもそもヒサメのイベントというのは、『ヒサメに一騎討ちを挑み』、『命懸けの戦闘を繰り広げ』、『その対決に勝利して』、『実力が認められて』、『ヒサメの家に呼ばれる』、という大体五段階の流れを取る。


 以前の俺は『ヒサメに一騎討ちを挑んで』『ヒサメに勝った』が、命懸けで戦ったり実力を認められたりはしなかったため、家に呼ばれることは回避出来た。

 これは、五つの条件の内、三つを満たさなかったためにイベントが発生しなかったと考えることも出来る。


 しかし今回、図らずもまたヒサメと対決して、ある意味で『俺の実力が認められ』、動機は不純であるとはいえ、『ヒサメの家に呼ばれて』しまった。

 もしかするとこれが、ヒサメイベント発生の条件を追加で二つ満たしたと受け止められ、ヒサメの連続イベントが発生しかかってるのかもしれない。


 なんというか、合わせ技一本というか、状況証拠を固めて有罪判決を出すようなこの状況。

 これが本当ならこの世界は実にアバウトかつファジーだと言わざるを得ないが、元が元だけにそれくらい適当でもおかしくないと思ってしまう所が恐ろしい。


「…だいじょうぶ?」


 そうやって立ち止まっていると、リンゴが俺を心配して声をかけてくれた。


「あ、ああ。大丈夫、何ともないよ」


 もはや俺の心のオアシスはリンゴだけだ。

 彼女はイベントキャラクターだったせいか、あるいはバグキャラクターであるためか、ヒサメイベントの影響をまだ受けていないように見える。


「それより、今夜泊まる場所を決めないとな。

 どこか行きたい場所はあるか?」


 ヒサメの包囲網が狭まってきて、何だかもうほとんど詰んでいるような気がするが、とにかく今日はもう疲れた。

 幸いお金だけは腐るほどあるし、宿代を気にする必要はないだろう。

 たとえリンゴがこの街にある一泊2万Eもする超高級ホテルに泊まりたいと言っても受け入れるつもりで、俺はそう尋ねた。


「…ある」


 すると、普段は自分から何かを要求することなどないリンゴがはっきりとうなずき、ある場所の名を告げた。

 それは……。




「ふぅ……」


 俺の口から、今日何度目か分からないため息が漏れた。

 しかし、それも無理もないだろう。

 今晩の宿は、今までの物とはまるでグレードが違う。


 今までの宿ではみみっちく一部屋を借りていたが、今回は建物一個を丸々貸し切り。

 古式ゆかしい木造建築のこの建物は風通しも抜群で、夜風が頬を撫でるのを楽しむことだって出来る。

 そしてもちろん、ふんだんに用意された布団は全てが最高級のストロー。

 どこか懐かしい香りと共に俺たちを温め、時には家畜の餌にもなるという優れもののアイテムである。


 もう、分かっただろう。

 俺たちが宿泊している今夜の宿は、かつての約束の場所。


 ――そう、『馬小屋』である!!



(どうしてこうなった…!)


 なぜ億万長者になってまで、この宿泊料0Eの馬小屋に泊まらなければならないのか。

 俺は思わず藁の布団に両膝をついたが、その原因は明白だった。


 馬小屋に泊まりたいというのは、リンゴのたっての希望。

 以前お金がなかった時に俺は、ジャンケンで負けた方が馬小屋に泊まると言い出し、その時リンゴは不意打ちで俺にジャンケン勝負を仕掛け、無理矢理に俺を馬小屋に追いやったと思っていたのだが……。


(まさかあれが、善意だったとは……)


 どうも彼女、馬小屋のことを泊まりながら馬とも触れ合える魅惑のテーマパークのように考えていたらしく、泊まる場所の希望を訊いたら真っ先にここを指定したのだ。


 予想外な答えだったとはいえ、訊いたのはこちらだ。

 実物を見たらすぐにあきらめるだろうと思ったが、甘かった。

 ここに案内されてもリンゴは表情一つ変えず、むしろ嬉しそうな様子で、


「…ここにする」


 と即決してしまったのだ。

 リンゴが乗り気ならしょうがないと、俺とリンゴは二人でこの馬小屋に泊まることになったのだが、


(しかし、どう考えても人が寝泊まりするような場所じゃないよな)


 そもそもこの馬小屋。

 一応隣の宿屋の人が提供してくれている宿泊施設ではあるものの、椅子もなければベッドもなく、そもそも壁も全部には張られておらず、常に吹きさらしの状態。

 そんな場所に泊まると言い出した俺たちを貧乏冒険者だと思って同情してくれたのか、宿の主人が布団代わりの藁と干し草だけはふんだんに提供してくれたので寒くはないが、外からは丸見えの状態である。


 向かいにもう一個ある馬小屋には本当に馬がいて、俺たちが布団にしているのと同じ干し草をもしゃもしゃと食んでいるのが何とも言わせず、ここまで来るともはや笑うしかない。


 また、本来であればこんな場所、危なくてとても眠れたものではないが、今回に限ってはオプションでボディガードがついてきているので心配はない。

 これを不幸中の幸いと呼ぶのもどうにも憚られるのだが、宿屋の角から覗く猫耳がある限り、俺たちの身の安全は保証されていると考えていいだろう。


(そうだ。考え方を変えよう)


 吹きさらしの壁は外の空気や景色が見れてある意味風流だし、藁のベッドも子供心をくすぐる楽しい仕掛けだと思えばいい。

 リンゴなんて珍しく大はしゃぎで、藁の中にダイブしたり飛び出てきたり巻き上げたり、藁の先っぽを二股にして、「…えだげ」とかやって存分に楽しんでいる。

 ご満足いただけたようで実に何よりだ。


(おっ!)


 気分を変えようとして空を見ると、そこには無数の星と大きな月があって、思わず見とれてしまうような美しい光を放っていた。


(満月、か……)


 この世界でも月は一つで、地球と同じように満ち欠けする。

 ある意味で、この世界と地球は月でつながっているのだ。


 普通の宿にいたら、この綺麗な満月も見逃していたかもしれない。

 そう考えると、何だか得した気分になってきた。


(綺麗な満月に、満天の星。

 爽やかな風と、干し草の匂い。

 それに、どこからか聞こえる虫と動物の声。

 ……なんだ、本当に悪くないじゃないか)


 気分が上向いてくる。

 今日はいつもより安らかに眠れるかもしれないなと考えていると、向かいの小屋で白い馬が動いた。

 そして、まるで空気を読んだかのように、空を見上げて高らかにいななく。



「ヒヒヒサメの家は街の西にあるぞーン!」



 ……うん、前言撤回。

 ひどい悪夢を見そうだ。




 やけに個性的な馬の鳴き声や、どこぞの曲がり角から聞こえる「へくちっ!」という謎の物音に悩まされながら、激変の7日目の夜はゆっくりと更けていったのだった。


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