第五十四章 活人剣
(これで…!)
力を失った俺の手が、黄金桜を握りしめた。
その手は震え、もはやつかんでいるというより、包んでいるという程度の力しか出せていない。
しかし、それでも構わない。
握っているという事実だけあれば、全てが事足りる。
言葉を紡ごうにも、もはや声を発することすら叶わない。
しかし、それでも問題はない。
その文言は、誰に聞かれることもなくとも、それで事足りる。
だから俺は、黄金桜に手を添えたまま、頭の中だけで高らかに
――『ブラッディスタッブ』、と。
直後、瀕死の身体を説明不能な力が突き動かす。
もうこれ以上少しも動かせないと思っていた俺の手が機敏に動き、中空に向かって神速の突きを繰り出した。
しかし、その先に刺し貫くべき目標はない。
その刺突は当然空を切り、何も貫くことなくスキル動作が終了した。
……ように見えた。
だが、変化は確実に起こっていた。
俺の身体に、だ。
「お、おぉおお!!」
傷が、治っていく。
身体に力がみなぎってくる。
戦闘前と同じか、ともすればそれ以上の状態まで体力が回復していく。
技を繰り出したほんの1秒後。
俺は動かなかったはずの足で、ふたたび地面を踏みしめていた。
「リンゴ!!」
しかし、立ち上がった俺が見たのは、ブッチャーの横殴りの一撃を受けて、為す術もなく吹き飛ばされるリンゴの姿だった。
彼女の落下点に向かって走りながら、顔から血の気が引くのが分かる。
リンゴは防具をつけていない。
もし、ブッチャーの攻撃をまともに受けていたら……。
(…いや!)
吹き飛ばされるリンゴの手に、砕けたヒートナイフが見えた。
彼女はブッチャーの一撃を、かろうじてナイフで受けたらしい。
盾以外の装備でも、武器で攻撃を受けてダメージを軽減させるシステムはゲームにもあった。
リンゴは無事だと信じる。
(間に合えっ!!)
ステップ、ハイステップ、縮地のショートキャンセルをつなげ、最速で彼女の許へ。
いまだに空を舞う彼女を捕捉、最後にジャンプで跳び上がり、
「『シャドウスナッチ』!」
闇属性を持つ忍刀スキル、『シャドウスナッチ』を発動。
漆黒の爪が空を舞うリンゴを絡め取り、勢いを殺すと同時にその傷を癒す。
勢いをなくしたリンゴの身体が落ちてくるが、残念ながら漫画のヒーローのように両手で抱きとめる訳にはいかない。
ここでスキルコンボを止めれば、リンゴは地面に落ち、俺はスキル硬直で動けなくなる。
「っく、『縮地』!」
いい加減スタミナの限界も来ていたが、多少の無理を承知で縮地につなげる。
縮地を使って抱きとめるというよりも体当たりをするように彼女をさらい、ブッチャーから距離を取る。
「ぐっ!」
二人そろって、もつれ込むようにして地面に倒れ込んだ。
しかしそのおかげでスキル硬直はキャンセルされ、俺は下になったリンゴを気遣いながらもすぐに体を起こした。
「大丈夫か?」
俺が問いかけると、リンゴはその声に激烈な反応を見せた。
今まで見たこともないような機敏な動きで、こちらを振り返る。
「ソー、マ?」
俺を見上げたリンゴの目が、信じられないという風に大きく見開かれる。
この様子なら、身体の調子については問題なさそうだ。
「無茶をさせて悪かったな。
だけど、もう大丈夫だ」
心配をかけたようなので、出来れば事情を説明をしてやりたい所だが、そんな余裕はない。
距離を取ったとはいえ、まだこの場所は安全圏とは言えないだろう。
俺は意識的にリンゴから視線を外し、素早く立ち上がった。
「…ソーマ」
後ろから不安そうなリンゴの声がかけられるが、俺は振り向かずに答えた。
「大丈夫だから、あとは任せてくれていい」
状況はそろっている。
体力は充分。
集中力も高まっているし、新しい武器もある。
だから、
「あいつは、俺が倒す」
俺は自身の意志を示すように、ブッチャーに向かって一歩を踏み出した。
正面からキングブッチャーと向かい合い、俺はあらためて確信する。
(……手負い、だな)
『猫耳猫』のボスの中にはダメージを負うと弱体化するタイプと、隠されていた力を全開にしてプレイヤーを殺しにかかってくるタイプがいるが、幸いにもブッチャーは前者だった。
戦闘開始時に比べると、明らかに動きに精彩を欠いていた。
俺の決死の一撃は、無駄ではなかったようだ。
とはいえ、それが俺の絶対的優位につながるかというと、そうでもない。
瀕死時に弱体化するボスは大抵が高い再生能力を備えていて、ブッチャーもその例に漏れなかったはずだ。
このアドバンテージがある内に、一気に勝負を決める必要があった。
(だけどこの、黄金桜なら……)
不知火では出来なかった戦い方を、脇差以上の威力で実行出来る。
忍刀のスキルはその性質上、相手の至近距離まで近付かなければ使えない技が多いが、ダメージで動きの鈍った今のブッチャー相手になら当てることも不可能ではない。
(それに……)
俺にはまだ、もう一つの切り札。
『光属性攻撃特化の指輪Ⅰ』がある。
イーナと寄ったラムリックのアクセサリーショップ。
あそこで俺は、それぞれの属性の特化指輪を一つずつと、『光属性攻撃特化の指輪Ⅰ』を
属性特化Ⅰ系の指輪は、一つにつき70%ずつ、その反対属性の威力を弱める効果がある。
では、その指輪を二つつけたらどうなるか。
このゲームでは、属性強化、弱化系の効果は単純に加算される。
つまり-70が二つで-140。
属性の攻撃力は元が100%だから、100から140を引いて-40。
そして属性攻撃の威力は、元々の攻撃力×属性補正で決まる。
と、いうことは……。
なんとこの指輪を二つ以上つけた場合、闇属性攻撃を使うと攻撃した相手を回復させてしまうようになってしまうのである。
そもそも、瀕死だったはずの俺がどうして一瞬でこうも元気になったか。
その答えは、もちろんここにある。
忍刀のスキルは、暗殺や隠密系のスキルが多く、そのダークなイメージのせいか、デフォルトで闇の属性がついているスキルが多い。
具体例を挙げると、一つは先程使った闇属性の多段攻撃、『シャドウスナッチ』。
そして二つ目が、一撃自殺とまで呼ばれたバグ技、『ブラッディスタッブ』である。
ここまで来れば想像がつくはずだ。
ブラッディスタッブは闇属性のスキルで、しかもそれを使えば自分も攻撃してしまうというバグ技である。
『光属性攻撃特化の指輪Ⅰ』を二つつけた状態でこれを使うと、なんとブラッディスタッブの攻撃力の4割分、自分のHPが回復していくのだ。
4割と言っても侮れない。
物理系キャラは、回復魔法を使っても十分な効果を発揮出来ないことが多い。
その点、指輪欄を全て使ってしまうとはいえ、MP消費なしのほぼノーコストで、しかも物理依存の威力で回復が使えるブラッディスタッブは優秀な回復技だと言える。
……と、いうのが、ゲーム時代の話だ。
この世界では、さらに事情は異なってくる。
ゲームではシステム上、二つまでしかつけられなかった指輪を、なんとこの世界では10個までつけられるようになっている。
そして俺は今、店で買った7個の光特化の指輪を全て、この指にはめている。
闇属性のマイナスの数値は、70×7で490。
元の数値100%から引いても、その値は390%。
ブラッディスタッブの自己回復力は、元々の攻撃力の4倍近くにもおよぶ。
俺のHPが一瞬で全快したのも納得出来るという物だろう。
そして、闇属性の攻撃スキルは、何もこの二つだけではない。
向かい合ったキングブッチャーが、身じろぐ。
それが、俺と奴との第二戦の、開始の合図となった。
「『ステップ』!」
その瞬間、俺はスキルを使って一気にブッチャーに接近する。
時間をかけるつもりはない。
手傷を負ったブッチャーの動きは、戦闘開始時と比べて明らかに鈍い。
このまま正面から行って、一撃で決める。
(来るか!)
そんな決意を固めた俺を迎え撃つのは、ブッチャーの肉切り包丁だ。
俺の接近を警戒して、巨大なその鉄塊を振りかぶる。
「『ハイステップ』!」
しかし、そんな思惑に乗ってやるつもりはない。
ステップをハイステップでキャンセル。
ブッチャーの予想を上回る速さで、その巨体に肉迫する!
だが、ブッチャーはその動きにも対応した。
手にした包丁を即座に俺に向けて振り下ろす。
直撃コース!
しかし、
(それでも、遅い!)
俺はそこで、もう一段階ギアを上げた!
「『縮地』!」
今の俺の、最速の移動法。
戦闘開始時のブッチャーならともかく、手負いの巨人はこの速度に全く対応し切れない!
そのまま奴の懐に飛び込む。
背後を巨大な何かがかすめていくが、当たらなければ意味はない。
(ここ、でぇっ!)
同時に、武器を持っていないブッチャーの左手が、懐に入った俺を捕まえようと飛んでくる。
だが、その時には俺は、
「『ジャンプ』!」
既に縮地をキャンセルしてジャンプを発動、もう地上高く跳び上がっている。
目標をなくしたブッチャーの左手は空を切る。
そして……。
宙を舞う俺は、自身の攻撃によって前のめりになったブッチャーの顔と対面。
巨人の急所、弱点でもある奴の顔面を、至近距離で捉える!
(これで、終わりだ!)
驚愕に歪むブッチャーの顔を眺めながら、俺は最後のスキルを発動させる!
使うのはもちろん、忍刀の持つ闇属性スキル、その三つ目。
「――『アサシンレイジ』!!」
忍刀の第13スキル、『アサシンレイジ』。
13番目のスキルということで本来は高威力な技だったはずが、なぜかダメージ倍率にマイナスがつけられていたため、使う度に相手を回復させてしまうといういわゆる『地雷技』と認識されていたこのスキル。
だが、闇属性攻撃力がマイナスの状態でそれを使えば、どうなるか。
マイナスにマイナスをかけると、それはプラスになる。
しかもそれが、マイナス390%という通常では考えられないような大きなマイナスであったなら、どうか。
答えは明白。
活人剣とまで揶揄されたその技は、人どころか巨人すら打倒し得る、最強の殺人剣、いや、必殺剣へと姿を変える!
「終わり、だぁあああ!!」
叫びと共に放たれた闇色の刃が、白の巨人を侵食していく。
黒と白、相容れない両者が激突し、拮抗したのはほんの一瞬。
闇をまとった一撃は、白く醜悪な顔をいびつに歪ませ、そして、
「グギャァ、アッ――!」
――粉砕、した。
「ぐっ!」
技の効果でブッチャーを撃破した俺の身体はさらに前進。
巨人の背中側に抜けて、受け身も取れずに地面に転がった。
(やった、のか?)
今度こそ倒したはずだが、ゲームでよくある、ボスの撃破を告げるファンファーレも、巨人の最後の断末魔も、何もない。
ただ、俺が地面に降り立った俺が慌てて振り向くと、巨人の身体は少しずつ光の粒に変わって空気に溶けていく所だった。
「終わった……んだよな?」
唐突な終わりが信じられない気持ちで、俺はそうつぶやいた。
さっきまで白の巨人の巨体があったはずの場所を見ても、残っているのはそのドロップアイテムだけ。
ブッチャー乱獲の原因ともなった、キングブッチャーの代名詞とも言われた固有武器、大剣『肉切り包丁』と、わずかに筋力を上げる消費アイテム『パワーシード』。
それが、ブッチャーが消えた場所にぽつんと置かれているだけだった。
だが、俺たちには呆けている暇はなかった。
「しまった! 時間!」
時計を見る。
先程の攻防を経ても壊れていなかった俺の時計によると、時刻は3時59分を指している。
「リンゴ! あの岩を!」
言いながら黄金桜を投げ渡すと、リンゴはそれをブッチャーの出てきた大岩に向け、即座に雷撃を放つ。
リンゴも心得た物で、器用に大岩の上部分を崩していき、その崩落を狙っているが……。
「まずいぞ! ポップが……」
時間は無情にも過ぎる。
時計の秒針は直上を指し、岩の中のポップポイントに光が宿り――
「…できた」
――しかしその光は、頭上から降り注いだ大量の岩に押し潰された。
しばらく緊張して待ったが、岩の中からモンスターが飛び出してくる気配はない。
どうやら本当に、これで終わりらしい。
「はあぁぁ……」
盛大なため息をついて、俺はその場にへたり込んだ。
今回ばかりは本気で危なかった。
今までの危機はなんだかんだで余裕があったというか、何かしら面白おかしい要素があったものだが、今回の危険だけはガチだった。
これを乗り切れたのは、運がよかったとしか言えない。
いや、もちろんよかったのは運だけではない。
「今日は助かったよ、リンゴ」
俺は近付いてきたリンゴに、心からの言葉を送った。
最後のポップポイント潰しもそうだが、今回はリンゴがいなければどうにもならなかったことばかりだった。
改めて、感謝の気持ちを伝える。
「……ん」
しかし、リンゴのフィーバータイムは危機と共に去ってしまったらしい。
俺の言葉も聞いているのかいないのか、注視しなければ分からないほど小さく、顔を上下に動かすだけ。
表情も、神秘的にも見えるが実際の所たぶん何も考えていない無表情、に戻ってしまっている。
それはそれで感慨深い物があるな、と俺はなんとなくリンゴの顔を見ていたのだが、
「…それ、なに?」
リンゴの言葉に、俺は視線を胸元に移した。
見ると、初期装備の壊れた革の鎧の隙間から、何やら白い物が覗いている。
それはブッチャーの攻撃によって露出してしまった、俺の肋骨……ではもちろんなく、
「あ、あぁ。
そっか。なるほど、そうか。
あは、あははははは!!」
その正体に気付いた途端、俺を笑いの発作が襲った。
「……?」
目の前で突然笑い出した俺に、リンゴは小さく首を傾げるが、俺の笑いの発作はなかなか収まらない。
きっと、緊張が解けた反動なんだろう。
リンゴが何も言ってこないのをいいことに、俺はしばらく笑い転げていた。
(ああ、いや、まったく。ゲームの世界ってのは、これだから面白い)
あの炎のカウンターを繰り出した直後。
スキル硬直の間に、俺はブッチャーの一撃をまともに喰らった。
それなのに、レベルも能力値も低い俺がどうして生き残ることが出来たのか。
その答えが、そこにはあった。
(こういうくだらない小細工も、案外馬鹿にならないもんだなぁ)
俺の命を救った、この革の鎧から覗く白くてペラペラな物体は、俺が最初に防具屋に行って以来ずっと、念のために鎧に仕込んでおいた保険だ。
それは、重要アイテムなのにあまりに紛失率が高いため、貴重品に昇格されて破壊不可能属性がついたクエストアイテム。
――チュート爺さんからもらった、『謎の紙切れ』であった。
次回からは通常運行です
いつも通りの猫耳猫とソーマをどうぞお楽しみ下さい