第四十七章 ハートブレイカー
「まずいな……」
少し、見通しが甘かったかもしれない。
想像していたよりも、ずっと人の数が多い。
目的地である南門を見ると、そこには既に人だかりが出来ていた。
見ると、明らかに冒険者ではなさそうな、どう見ても普通の街の人までそこに並んでいる。
討伐大会は先着50名という縛りがあるから、人はそんなに増えないだろうと思っていたが、今回大量発生するのはこの辺りでは一番経験値効率のいいゴールデンはぐれノライムだ。
討伐大会に参加しない人間でも経験値目当てに平原に向かうことくらいは、きちんと計算に入れておくべきだった。
(いっそ、東か西から迂回するか?)
そんな考えが頭に浮かぶが、即座に否定した。
南門のデウス平原が街の近くで一番敵が弱い場所なのだ。
レベルも装備も変えないままで他に行けば、本当に死の危険がある。
そもそも基本的に、『猫耳猫』においては南の方角は敵が弱いと相場が決まっている。
王国全体で見ても、王都を中心に北に魔王城が、南東にラムリックがあることからもそれは分かる。
しかし一方で街から離れた場所の方が敵が強いという法則もある訳で、デウス平原から南に行くとしばらくは敵のレベルが上がっていき、三つほどフィールドを越えた先にあるダンジョンで、南方面最高のレベル150をマークする。
ちなみにそこのボスは『猫耳猫』でもっとも多くのプレイヤーを殺したと言われる『キングブッチャー』で、俺も初見で突然遭遇した時は一撃でミンチにされた。
まあ、剣士では相性の悪いそいつは難敵ではあるのだが、現行バージョンにおいてはレベル120の粘菌の森の方がよほど脅威だ。
あちらもやはり剣士では戦いにくいことに加え、あそこに現れる粘菌モンスターは時間経過で増殖していく。
ゲーム時間で数ヶ月ほど放置すると、なんと粘菌の森が街まで広がってくるのだ。
いつか手を打たなければならない場所の一つと言える。
が、
「あそこを掻き分けて外に出るぞ!」
今はそんな先のことを考えていられる場合でもない。
俺は余計な思考を断ち切ると、リンゴの手を引いて南門に突っ込んだ。
門を抜けてフィールドに出ると、人の数は驚くほど減った。
どうやら門の近くにたむろしていたのは、やはり普通の街の人間だったらしい。
ゴールデンはぐれノライムなら攻撃を受ける心配はないし、攻撃が当たりさえすればただの一般人だろうが子供だろうが倒せる可能性がある。
そんな風に考えた街の人たちが門の所までやってきて、しかしフィールドに踏み込む勇気が出ずに門の近くで溜まっていたようだ。
一方で俺たちのいるここはもうフィールドのはずだが、辺りにはモンスターの姿はない。
現実になったこの世界でどう辻褄を合わせているかは知らないが、ゲームにおいては大量発生の前兆として、まず対象地域のモンスターが全ていなくなる。
だからこそ街の人もこんな場所まで出て来れたのだろうが、俺たちはこの時間を有効に使わなくてはならない。
「……行こう」
リンゴを促して、門の近くに集中している人の波から抜け出て、平原を奥に進んでいく。
特に必要はないとは思うのだが、自然と人の目を避けるようにして歩いていった。
人がまばらになった辺りで一息つき、
「ここから、走るよ」
一言リンゴに断ってから、本格的な移動を始めた。
入り口付近に溜まっている街の人間、それに冒険者たちは、集団でゴールデンを仕留めるつもりのようだ。
確かに人数が増えれば逃げるルートを少し減らせるし、倒せる可能性も高くなる。
しかしその一方で、自分がトドメを刺す機会は大きく減る。
単独でゴールデンを倒せる算段があるのなら、むしろ人は避けるべきだ。
デウス平原は見晴らしのいい場所で、足の短い草と、たまに生えている灌木、それに要所要所に見られる大きな岩の他には、視界を遮る物がない。
しばらく走っていくと、俺たちと同じ考えらしい冒険者の数もちらほらと見えた。
しかし、その数はそんなに多くない。
討伐大会の参加者は最大で50人。
その大半が3人でチームを組んで一緒にやっているのなら、その数は20組にも満たないことになる。
門を見た時はどうしようかと思ったが、この様子ならそう大きく計画を修正する必要もなさそうだ。
「この辺りで、いいか」
少なくとも、近くにプレイヤーの姿はない。
それに、目の前にある岩の形に見覚えがある。
俺の記憶が正しければ、あそこにモンスターの
「リンゴ、あそこの岩の近くに最初の一匹が出て来るはずだ。
先制攻撃、頼むぞ」
俺が言うと、リンゴはあいかわらずどこを見ているか分からないような目線ながら、一応はうなずいてくれた。
通常、モンスターがプレイヤーの前で
モンスターはプレイヤーの前でも構わずポップするし、リポップまでの時間も大幅に短縮されている。
出来れば、他からの邪魔が入らず、こっちが準備万端で待ち構えていられる一回目。
ここでゴールデン狩りのコツを掴んでおきたい。
大量発生開始までの時間で、自分の装備を確認する。
初期防具はあいかわらずだが、攻撃を受けるリスクが低いことを考えて、スタミナ系以外の指輪のほとんどは、防御アップから属性攻撃特化の物に変えておいた。
せっかく火属性魔法を覚えたのだし、余裕があったら試してみるのもいいだろう。
武器はあいかわらず不知火と脇差だ。
大太刀補正は効かないとはいえ、俺が今持っている中では不知火が一番攻撃力が高い。
実は不知火をリンゴに貸そうとしたのだが、リンゴはヒートナイフの方を欲しがった。
どうも、熱を帯びた真っ赤な刃が気に入ったらしい。
ちょっと危ない趣味かもしれない。
雷撃で攻撃する限り、ヒートナイフを使っても短剣熟練度も火属性魔法の熟練度も上がらないが、ヒートナイフにもそれなりの攻撃力はある。
いくら雷撃が強いと言っても、ゴールデンに通常ダメージを与えられるほどの力はなさそうなので、どっちでも構わないだろう。
と、その時、今まで何を見ているかもよく分からなかったリンゴが顔を上げ、ヒートナイフを構えた。
時間を見ると、もう十秒前になっている。
俺も慌てて追従した。
「リンゴ、奴が現れたら、全力で雷撃を撃ってくれ。
敵の動きが止まった所に、俺がこれで突っ込む。
……頼むから、俺に当てないでくれよ?」
冗談めかした俺の言葉に、リンゴはしっかりとうなずいた。
「…あたらないよう、いのってる」
祈るんじゃなくてそこは当てないように努力しろよ、とツッコみたかったが、時間が来た。
光の粒子が集まり、そこから一つの生き物が生まれる。
――ぷよぷよのグミのような金色の身体に、ノライムのトレードマークである猫耳型の二つの突起。
間違いない、ゴールデンはぐれノライムだ!
「リンゴ!」
俺が叫んだ時には、もうリンゴは動いていた。
ナイフの先から雷撃がほとばしる。
(…速い!)
俺でも避けられないだろうという速度の一撃に、しかし金のノライムは反応してみせた。
だが、雷撃は直線に飛ぶ訳ではない。
あれは、わずかにばらける雷の矢が五本同時に飛んでいっているようなものだ。
特に横に跳ねた一条の光がノライムをかすめる。
いくらレベル1にしては高威力な攻撃とはいえ、多段ヒットの一撃だ。
やはりノライムの防御力は突破出来なかったようだが、確実に1ダメージは与えた。
さらにそこで、間髪入れずに二発、三発と連続でリンゴは雷撃を放っていく。
(うまい!)
攻撃を当てることよりも、進路に先回りして逃げられないようにということを念頭に、リンゴは矢継ぎ早に雷撃を繰り返していた。
そして、ノライムの方もそれらの攻撃の軌道を確実に読み切っているものの、雷の性質上どうしても全てを完全に避け切ることは出来ない。
それどころか、リンゴにうまく誘導され、ついにはクリーンヒットさせられて……。
(っと、ぼうっと見ている場合じゃない)
直撃を受けて完全に動きの止まった相手に、俺は『神速キャンセル移動』を使って突っ込んでいく。
リンゴも俺に配慮してくれたのか、雷撃を撃つ手を止めてくれたようだ。
ゴールデンはぐれノライムまで、障害物は何もない。
ステップとキャンセルを駆使して距離を稼ぎ、スキルの間合いに入る。
ノライムはまだ動かない!
最後のステップをショートキャンセルして、短剣スキル『六突き』を発動。
まだ、相手の動きは止まっている。
(行ける!)
この距離でいまだに相手が止まっているなら、この一撃を外すことはない。
俺は短剣を逆手で突きだした格好で、ノライムに突っ込んで行き、
「ありゃ?」
その身体を、すり抜けた。
(い、一体何が……)
驚いて振り返るが、そこにはもうノライムの姿はなく、ただ粒子の残滓がわずかに残るのみ。
しかしそれも、すぐに風に散らされて飛んでいく。
そして、異変はそれだけに留まらない。
「…んっ!」
聞きなれぬ苦しげな声に振り向くと、あのリンゴがミリ単位ながら顔をしかめ、自分の身体を抱くようにして何かに耐えていた。
「だ、大丈夫か! 一体、何があった?」
俺が慌てて駆け寄ると、彼女は弱々しい声で言った。
「……る、…っぷ」
だが、よく聞こえない。
俺が耳を近付けると、彼女はもう一度言った。
「れべるあっぷ、したみたい」
……なるほど。
どうやら大量レベルアップとは、身体に堪える物らしい。
俺はなんだかんだで1レベルずつしか上げていないし、イーナは最初『試練の洞窟』で大量にレベルを上げたが、本人が負傷していてそれどころではなかった。
しかし、レベルアップで筋力が飛躍的に上昇するとか、額面通りに受け取れば人体改造である。
身体に何かしらの変化を感じても不思議ではない。
というか改めて真面目に考えると、地味に怖い仕様だった。
ともあれ、リンゴのレベルが上がったということは、リンゴがノライムにトドメを刺したという訳で。
ということは、トドメになったのはあの雷撃の直撃だったということになる訳で。
考えてみれば、『猫耳猫』ではモンスターを倒しても死体はしばらく残る。
どうも俺が突撃を開始した時には既に、ゴールデンはぐれノライムは事切れていたっぽい。
道理で全然動かない訳だよ!
や、今回は最初だから戸惑っただけで、ある意味計画通りなんだけどね!
俺が必死で頭の中で言い訳をこしらえていると、リンゴが近くにやってきた。
そしておもむろに、こんな提案してくる。
「…つぎはてかげん、したほうがいい?」
リンゴもこんな気遣いが出来るようになったのかと感動しつつ、俺は首を横に振った。
……あのな、リンゴ。
優しさは、時に人を傷つけるんだよ?