第三十一章 ヒロインちゃん
「あれ、これ、『通信リング』じゃないか?」
結婚話で微妙になった空気を変えるように、俺は見つけた指輪を少しわざとらしいくらいの態度で指差した。
『通信リング』とはその名の通り、離れた場所にいる人間と話をするための指輪だ。
それだけ言うと便利そうなアイテムに思えるが、NPCと遠距離で会話をしても大して役に立つこともないし、そもそもNPCのAIにこれを使うような思考パターンはなかった。
たぶん『猫耳猫』がMMOとして開発されていた時に作ったアイテムなのだろう。
俺も存在は知っていたものの、ゲームで使うことはなかったが、NPCが本物の人間になっているこの世界ならうまく活用出来るかもしれない。
「これの使い方って分かりますか?」
店員に尋ねると、丁寧に教えてくれた。
『通信リング』の宝石部分に指を置いて名前を口にするとそれで登録され、今度は別の人間がそれをはめて、登録した人間の姿を思い浮かべながら名前を呼ぶことで通信が可能になるらしい。
これにもオーダーを利用した別の発動法がありそうだが、まあ問題ないだろう。
試しに名前を言って、イーナに渡してみた。
人差し指の指輪をはめ変えたイーナが、俺の名前を呼ぶ。
「ええと……もしもし、ソーマさん?」
すると、何メートルか離れているはずなのに、まるで耳元で話し掛けられたようにイーナの声が聞こえた。
うん、それはいい。
しかし、こっちから話をする時はどうすればいいのか。
俺は店員にそれを尋ねようと思って、
「すみません。これこっちから……」
「きゃっ?!」
訊き終える前に、答えは分かった。
イーナが耳を押さえて驚いている。
どうやら通信中は、俺の声が全部耳元で聞こえるらしい。
「こ、これ、なんか変な感じですね。
ソーマさんの声が二重に聞こえます」
というイーナの声も耳元と彼女の口、両方から聞こえていた。
地味に不便と言うか、ちょっとこそばゆい。
俺はあんまりイーナを刺激しないように、声を潜めて、
「あの、これって……」
「ひぅぅ!」
逆効果だったらしい。
イーナが小さく悲鳴を上げて飛び上がった。
ちなみにその悲鳴も耳元から聞こえるため、なんか変な気分になる。
というか、なんかおかしなプレイをしている感じになっている。
まさか通信リングごときでこんなピンチに陥るとは。
一体どうしろというのか。
「これって、通信をやめるにはどうすれば?」
解決策を求めて、店員に尋ねる。
今度は普通の声だったせいか、イーナも何とか堪えた。
というか、悲鳴を必死にこらえているせいか、イーナの荒い息遣いが耳元から聞こえる。
非常に居心地が悪い。
話を最後まで聞かなかったために自業自得だが、一刻も早くやめる方法を教えて欲しい。
俺の期待の視線を受けて、店員さんは困った顔をしていた。
「実はそれ、一度通信を始めてしまうと、中止する方法がないんです」
「ええっ!」
「えぇえっ?!」
二人同時に悲鳴を上げ、二人同時に身もだえした。
これは色々きつい。
「じゃ、じゃあもしかして、一生このまま……」
息も絶え絶えに口にした俺の懸念に、店員は申し訳なさそうに首を振った。
「いえ、流石にそんなことは。
ただ、お伝えし忘れていたのですが……」
「うん?」
その口ぶりからすると、解決策はあるのだろうか。
なのにどうしてそんな曇った顔をしているのか。
「実はその指輪は使い捨てで、三分通信すると壊れます」
パキン、という音がして俺が振り返ると、イーナの指から輪っかだった物が落ちる所だった。
――あれ? もしかしてこれって、弁償もの?
幸いもう一個あった通信リングを購入することと引き換えに、弁償は免れた。
もちろんいきなり試してしまった俺たちが悪いのだが、店員さんの方も、事前に説明するのを忘れていた、というか、あんまりにも買い手がつかなかったアイテムなので、使ったら壊れること自体を直前まで忘れてしまっていたらしい。
便利なアイテムだと思うのだが、ゲーム時代の不人気を引っ張っていたのかもしれない。
掘り出し物にしては一個1000Eというお手頃価格だったし、アクシデントがあったもののいい買い物をしたと言えるだろう。
店の方も全然売れなかった商品が売れたのだから、そう損をしている訳でもないはずだ。
俺は購入した通信リングに自分を登録させると、それをもう一度イーナに渡した。
「ありがとうございます。
じゃあこれは、鞄の中に大切にしまっておきますね」
イーナはすぐにそれをはめるかと思ったが、そう言って自分の鞄にしまった。
俺は意外に思ったが、イーナは決まり悪そうに言った。
「だって、ソーマさんのことを考えながら名前を呼ぶと、またさっきみたいなことになってしまうんですよね。
……はめていたら、きっとまたすぐに壊しちゃいますから」
「そ、そうか? な、なら、その方がいいな」
それってつまり、俺のことをいつも考えているということだろうか。
今回の言葉はさっきの婚約発言のように他意はないようだったが、それだけにちょっと胸に来た。
「あ、あのな、イーナ。
あんまり気軽にそういうことを言わない方がいいぞ。
相手に誤解されかねないし……」
しかし、それをイーナは笑い飛ばした。
「何を言ってるんですか、ソーマさん。
わたしが、ソーマさん以外にこんなこと言う訳ないじゃないですか」
「え、あ、ああ……まあね」
告白でもされたのかと思って一瞬びっくりしたが、イーナには全く動揺は見られない。
つまりこれ、彼女には他意は全くなく、要は『ぼっちのわたしに話し相手なんている訳ないじゃないですか』という意味で言っているのだ。
意図的に誘惑している時より、何の含みもない時の方が破壊力が大きい台詞を放つとは侮れない奴である。
俺が思わぬ強敵の出現におののいていると、
「でも、本当にありがとうございます。
わたし、男の人からこんな物もらったの、初めてです。
これ、一生大切にしますね!」
「あ、ああ……」
イーナが更に攻めてくる。
これもたぶん『わたし友達いないから母親以外から何かもらったの初めてです』という意味なのだが、分かっていてもくらっとくる。
本当は『いや、ちゃんと使えよ』とツッコミを入れるべき所なのだが、つい流してしまった。
こいつは、やばい。
今の彼女はトレインちゃんなんかじゃない。
今のイーナは、言うなれば、そう……。
――ヒロインちゃんだ!!
その後もヒロインちゃんの躍進は凄まじかった。
せっかくだから出来る限りの装備をしようと、首に着けるペンダントが一つ、腕輪は両腕に着けられることが判明したので二つ、両手の指全部に指輪を着けて十個、合計で十三個にも及ぶアクセサリを装着したのだが、そのせいで見た目がチャラ男みたいになってしまった。
特に、二つしか指輪を身に着けられない世界で十個もの指輪を着けている両手だけは隠したいと思っていたら、
「これ、良かったら」
と、さりげなく手袋を差し出してくる。
それから今まで覗く機会のなかった魔法屋に行ったのだが、俺はつい店に置いてある魔法の書を大人買いしてしまった。
心許なくなってきた財布の中身にため息をついていたら、
「あの、『試練の洞窟』に行きませんか?
わたしももう少しレベル上げたいんです」
とさりげなく俺に金策をさせてやろうと気を回す。
そこに初めて会った時のトラブルメイカーの面影はない。
もはや彼女は頼れる相棒、とまでは言わないが、イーナがいてずいぶん助かると思い始めていたことは確かだった。
もしかすると、ぼっちではなくなったことで精神的に成長し、隠されていた気遣いスキルが開花したのだろうか。
イーナ株の上昇が止まらない。
やっぱりこいつは、ヒロインちゃんなのかもしれない。
買い物を終えた俺たちは『試練の洞窟』でトレインを二セット行い、またイーナのレベルとお金を稼いだ。
前回ほどではないが、イーナのレベルは72まで上がり、お金も60000Eほど稼げた。
また半分の30000Eをもらって、ついでに鎧騎士のドロップからもう一本脇差が出たので、それも俺がもらう。
俺がいないとトレインが発生しないとはいえ、何もしない身でここまでもらうのは流石に心苦しいが、
「気にしないでください。
こんなお金稼ぎだって、ソーマさんがいなかったら絶対思いつかなかったんですから」
とフォローをしてくれた。
ヒロインちゃんマジヒロイン。
ドロップアイテムを売った辺りで、そろそろ時間も遅くなってきた。
またイーナは自分の家に行くらしく、一度別れることにする。
「それじゃ、ここで一度お別れだな」
「はい。でも何か忘れてる気がするんですけど」
「忘れ物?」
しかし、たぶん買い忘れもないはずだし、『試練の洞窟』にも何も持って行っていないはずだ。
「あ、すみません。
たぶん気のせいですね!
それじゃあ、また!」
「ああ、またな」
自然な態度で、再会の約束をする。
これも、ほんの一日前には考えられなかったことだった。
「さて、俺ももうひと頑張りしなくちゃな!」
イーナと別れたその足で、俺は町外れに向かって歩き出す。
そしてその日の夜、
――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
「あの、やっぱりもう少し静かにやってもらえませんか?」
「はーい、善処しまーす」
俺は教会での修行によって、『ステップ』の熟練度と移動系スキルのレベルを上げ、『ジャンプ』『ハイステップ』『ハイジャンプ』を習得した。
「よし!」
マリエールさんの恨みがましい目を横目に、ガッツポーズを取る。
これもヒロインちゃんのおかげ、とは言わないが、順調な一日だった。
そして、夜をまたいでゲーム生活五日目。
「おはようございます!」
朝一番にやってきたヒロインちゃんの笑顔に癒される。
もちろん彼女のためにもラムリックの町を出る時に別れるつもりでいるが、それまでは彼女と出会えた幸運を噛み締めていてもいいかもしれない。
そして、そんな風に思った直後だった。
俺は、思い知ることになる。
イーナ・トレイルという少女が、どこまでもトレインちゃんだということを。
「――貴方が、ソーマ?」
彼女が