第二十六章 成長の痛み
「ソーマ・サガラの決闘を受け、全力で武を競い合うことを誓います!」
イーナが叫ぶと共に、俺とイーナの身体が白い光の膜に覆われる。
これが決闘成立の証だ。
決闘と聞くと物騒なイメージがあるが、これはむしろ物騒なことにならないためのシステムである。
決闘は基本的に、命の奪い合いを意味しない。
どんなに激しい戦闘であっても、決闘相手の攻撃によって一定値までHPが減ると、派手なエフェクトと共に光の膜が砕け散って決闘は終了する。
勝負が決まるHPの値は決闘前の文言によって変わり、『全力で武を競い合う』だと最大HPの50%まで行けば決闘終了だが、例えばこれが『力の限りに戦い続ける』になると、HPが1になるまで戦闘をすることになる。
逆に言えばどんなに強い攻撃を受けたとしても、決闘中は決闘相手の攻撃によってそれ以上にHPが下がることはない。
HPが0になる、つまり死ぬなんてことはありえないので、安心して戦えるという訳だ。
ただ、決闘は当事者同士にだけ働く機能で、決闘中は他者が干渉出来なくなるとかそんな機能は全くない。
HPが決めた値より下にならないのも決闘相手からの攻撃だけで、決闘とは関係ないキャラクターやモンスターから攻撃を受けると、普通にHPが0になって死んだりする。
……ああ、忘れもしない。
ストーリーの必須クエの一つだった、『砂漠の決闘』。
HP1を勝利条件に決闘をするのだが、相手のHPを1にして決闘に勝利したと思った瞬間、砂漠の地形ダメージで決闘相手が死ぬという最悪のクエストがあった。
結局そのクエストは、いかに相手を倒すかよりも、地形ダメージの間隔を見極め、いかに素早く相手を回復するかという訳の分からない技能が必要になったのだが、まあそれはいい。
流石『猫耳猫』の開発陣、『親の仇よりもデバッグが嫌い』という評判は伊達じゃないな、なんて思ったが、まあそれはいいのだ。
とにかくこれで、お互い相手を殺す心配なく、安心して戦いが出来るようになったということだ。
「あ、あの、ソーマさん!
わたしは、どの武器を使えばいいですか?」
遠慮しているのだろうか。
そんなことを言い出すイーナに、俺は余裕の表情でこう返した。
「これは武器の訓練だって言っただろ?
イーナがこれから使っていきたいと思う武器を使えばいい」
「は、はい!」
俺の言葉に、イーナは少し迷った末、鎧騎士からドロップした小刀を取り出した。
あれは短剣と忍刀の種別を持つ武器、『脇差』である。
いや、言いたいことは分かる。
そもそもどうして西洋系の鎧騎士が純和風武器である脇差を落とすのか分からないし、どう考えても脇差は絶対に忍刀ではないと思うのだが、それが『猫耳猫』クオリティなのだから仕方がない。
しかし、名前はともかくあれはレベル70のモンスターがドロップしたアイテム。
流石に不知火ほどではないが、武器としての格はそれなりに高い。
レベル66のイーナの攻撃力と合わせれば、いまだ初心者装備のままの俺などひとたまりもないだろう。
そんな、彼女に対して、
「そ、ソーマさん! それ、正気ですか?!」
俺が向けたモノに、イーナが抗議の声を上げた。
「何か問題でも?」
わざととぼけてみせると、イーナは顔を真っ赤にして叫んだ。
「問題、大ありです!
だってそれ、明らかに
イーナが怒るのは無理もない。
彼女は俺の得意武器を、剣か刀だと思っているだろう。
なのに、俺が持っているのは剣でもなければ刀でもない。
いや、それどころか斧や槍、他のいかなる武器にも該当しない、木の棒だったのだから。
「いいんだ、俺は自分からは攻撃しないから」
武器を持たなければ、武器による攻撃力の加算が認められないだけでなく、武器熟練度補正も、それどころか武器スキルさえ発動しない。
ステップのキャンセルすら使えないため、神速キャンセル移動も使用不可能だということだ。
それでも、こいつで相手をするのはイーナには必要なことなのだ。
「……手加減、しないですからね」
「上等! いつでも来い!」
そんな会話の応酬をして、戦闘が始まった。
宣言通り、俺が自分から動かない様子なのを見て取って、彼女が先手を取る。
手加減はしないと言っていたが、やはり碌な武器を持っていない人間に全力で攻撃するのは気が引けるのだろう。
中途半端な軌道で迫ってくるその攻撃を、俺は、
「えっ?」
あっさりと木の棒で受け止めた。
それでもかなりの勢いがあったはずだが、手には何の衝撃も伝わってこなかった。
ゲーム的な補正だろう。
これなら問題ない。
「ま、まだです!」
イーナの目が鋭くなる。
駆け出しを名乗っていたとはいえ、彼女だって冒険者。
戦うことを生業としていた者だ。
この程度で終わるはずがない。
遠慮を捨てた彼女は一度脇差を引き、
「飛び込み斬り!」
ためらわず短剣スキルを発動する。
さっきまでは腰の引けた攻撃をしていた癖に、一足飛びにスキルによる攻撃に移ってきた。
恐らくは、通常攻撃では捉えきれない可能性があると考えたのだろう。
その判断は正しい。
また、機先を制するという意味でも、これは正解だ。
飛び込み斬りは短剣技の中でも攻撃速度の速いスキルで、恐らく彼女の使える最強の技でもあるだろう。
戦闘モードにスイッチを切り替えた以上、寸毫も手加減するつもりはないということだ。
それは素直に賞賛出来る。
(だけど…!)
キャンセルからの発動でないそれには、見え見えの予備動作がある。
技名を叫んでいれば尚更だ。
俺はただ、その技の軌道上に木の棒を置くだけで、
「そんなっ!」
必殺のはずのその一撃は、いとも簡単に止められる。
「よ、っと!」
むしろ、技後の硬直で固まった彼女の武器を、そのまま押し返してやる。
イーナはバランスを崩し、ふらりと後ろに流れてたたらを踏んだ。
(うん、意外と行けるな)
女盗賊との戦いはイカサマみたいな戦い方をしたため、考えてみれば本格的な対人戦はこれが初めてだが、思ったよりやれている。
死ぬという恐怖がなくなったせいで、ゲームそのままの動きが出来るというのが大きいのかもしれない。
(イーナのためにも、ちょっとは粘らないとな)
すっかり戦う人間の目になったイーナに油断なく木の棒を構えながら、俺は余裕の表情を取り繕って、
「来い!」
と叫んだ。
そして、決闘が始まってどのくらいの時間が経っただろうか。
「なんで、どうして倒せないんですか…!」
俺はいまだに一撃ももらうことなく、イーナの攻撃を受け止め続けていた。
なぜ俺がイーナの攻撃を止め続けていられるのか。
それにはもちろん理由がある。
まず、キャラクター自身の性能差はこの場合大して機能していない。
スタミナや敏捷はレベルアップで変動しないパラメータであり、イーナはスタミナも敏捷も普通のキャラクターより高い方な気はするが、トレインモードでない時はそれほどの差はない。
攻撃を当てる、防ぐことに関して言えば、ここに決定的な要因はないと言えるだろう。
次に戦闘技術についてだが、これはお互いに自己流。
戦っていて気付いたのだが、たぶん一般的な冒険者は対人戦用の技術はあまり磨いていない。
冒険者というのは対モンスター戦を主眼に己を鍛えるものだし、人型の魔物というのはそう多くもない。
少なくともモンスターを相手にするなら、役立つかも分からないフェイントを覚えるよりは、自分の攻撃力を強化した方が早い。
戦闘ではスキルに頼ることが多い俺もそうだが、駆け出しの冒険者であるイーナも、対人戦の手管については詳しくはなかった。
――だからこの結果は偏に、これを現実として戦っているイーナと、ゲームとして戦っている俺の差、だった。
操作キャラクターのスペックを把握するのはゲームの基本だ。
腕や足を動かせる限界速度に関節の可動域、身体の柔軟性に至るまで全て把握している。
そしてそのスペックにおいて、どんな無茶な動きをしてもこの身体は何の痛痒も感じない。
激しい動きはスタミナを削ってはいくが、スキルさえ使わなければ、指輪を付けた俺がスタミナ切れになる心配なんてほとんどない。
一方、ひるがえってイーナはどうか。
ゲーム用であれ、最近のVRのAIは優秀だ。
人間の動きが研究され尽くしていて、まるで人そのものといった動きをする。
逆に言えばそれは、スペック的に人間を越えた動きが可能でも、その動きを人の枠に収めようとしてしまうということだ。
それを踏襲しているからか、この世界での彼女が本当に人間であるせいか分からないが、彼女もやはり、現実の人間のようにその身体を使っている。
そこが、俺と彼女の絶対的な差。
とはいえ、攻め手と守り手では攻める方に分がある。
俺だって全く失策なしに攻撃を防ぎ続けるのは難しい。
それでもどうにかなっているのは、もう一つのゲーム的な要因がある。
「これなら、どうですかっ!?」
折しも体勢を崩した俺をイーナの鋭い一撃が襲うが、俺は手首だけで木の棒を操ってそれを受け止めた。
「どうして!」
イーナが悲痛な叫びを上げる。
かろうじて木の棒の防御が間に合っただけで、俺の体勢はいまだ完全に崩れたまま。
現実の尺度で考えれば、勢いのあるイーナの攻撃に押し切られてもおかしくないはずなのに、そうはならない。
この世界で過ごしてきてなんとなく分かってきた。
少なくとも戦闘に関する部分では、物理法則よりゲーム法則の方が優先される傾向にある。
だから、攻撃の威力だってその速度や力の乗り具合より、数値的な攻撃力に大きく左右される。
(レベルが、違うんだよ!)
内心そう息巻きながら、手にした棒で脇差を跳ね返す。
そして、俺はこの戦闘が始まってから初めて、自分から攻めた。
無理な体勢から更に無理を重ねるように、地面を蹴ってイーナを追撃する。
「なんで!」
ふたたび聞こえる、イーナの悲痛とも言える叫び。
俺も現実であれば、そんな訳の分からない動きは出来ないだろうし、やろうとも思わないだろう。
だが、生身であれば身体が悲鳴を上げるような動きでも、関係ない。
時に物理的に不自然とも言えるような動きも、身体のスペック的に可能なら問題ない。
それに対しては確信がある。
信頼している、と言い換えてもいい。
だって、考えてもみてほしい。
そうすればすぐに分かるだろう。
無理な動きをすると身体に不具合が生じるような、そんな高度なプログラムが『猫耳猫』のキャラクターに仕込まれているはずはないってことが!!
「きゃっ!」
今度こそ、掛け値なしに純正の悲鳴を上げるイーナの手から、脇差を叩き落とした。
「……ふぅ!」
流石にこれだけ動き続けると、スキルを使わなくてもスタミナゲージの回復も追いつかないのだろうか。
まるで現実で激しい運動をした時のように身体が重い。
まあ、今日はこのくらいでいいだろう。
俺は地面に倒れてしまったイーナに手を差し出しながら、
「参りました」
「はい?」
今日の訓練の終わりを宣言したのだった。
決闘という名の訓練が終わって、しばらく。
「ソーマさん、やっぱり凄いです。
凄いですけど……うー!」
イーナもやはり冒険者だからか、俺に勝てなかったことは悔しいらしい。
それでもお互いに険悪になることはなく、むしろ決闘前よりも親しげに俺たちは会話をしていた。
激しい戦いを通じて、不思議とお互いの間にあった垣根が外れたらしい。
それはそれで不本意な話だが、イーナだけでなく俺自身も、戦う前より身近に彼女を感じていた。
「よく分からないですけど、なんか、あんなのなんか、ずるいです!」
それでも勝負の結果には理不尽を感じているようで、イーナはもう一度俺に愚痴をこぼした。
まあ、文句を言いたい気持ちは分かる。
正直に言えば、イーナをあそこまで圧倒出来るとは俺自身思ってはいなかった。
そしてイーナには悪いが、あれだけ戦えて俺も少し自信がついた。
何よりゲームの理論で戦うという俺の戦闘スタイルが有効だと分かったことが、やっぱり嬉しい。
「あんなの人間の動きじゃないですよ!」
と、イーナはまだこぼしているが、それはある意味正解だろう。
そしてそれが、彼女の敗因でもある。
……まあ、何だ。
考えてみれば、これは実に単純なこと。
――現実とゲーム、その見極めが出来ない者は、必ずその報いを受けるという当たり前の話だった。
「ああ、そういえば……」
戦いに夢中になりすぎて、危うく本来の目的を忘れる所だった。
「短剣の技は、今いくつ覚えてるんだっけ?」
「え? あ、あの、三つ、ですけど……」
「四つ目の技が使えないかどうか、後で試してみるといい」
「えっ、と……分かりました」
スキルなんて、そんなに簡単に覚えられるはずがない。
そう考えているのか、イーナは不思議そうな顔でうなずいたが、俺には確信があった。
彼女は四つ目の技、どころか、五つ目の技も、恐らくは六つ目や七つ目の技だって習得しているはずだ。
(たいまつシショー、またまたお世話になりました)
俺はそう心の中でつぶやきながら、決闘の時から握りっぱなしだった木の棒を労わるように撫でると、丁寧に鞄の中にしまいこんだのだった。
町に戻ると、母親の所に寄ってくるというイーナと別れて、一足先に宿に帰ることにした。
今日は、色々と気疲れすることが多かったせいだろう。
何をするのも億劫で、とにかく早く休みたい。
また夕食がどうのと言い立てる主人を適当にあしらって自分の部屋に戻ると、そのまま泥のように眠った。
次に目を覚ましたのは、翌日の朝だった。
(すっかり寝過ごしちゃったな……)
反省をしながら俺は身体を起こして、
「いぎゃ!」
その途端、身体に変な電流のような物が走って、俺はおかしな悲鳴を上げた。
(なんだ、これ)
身体がばきばきに固まってしまっているような、この懐かしくも忌まわしい感覚。
それは現実世界でなら何度も体験したことのある、『とある症状』に酷似していた。
「いやいや、ありえないって」
思わず口に出して否定する。
そんなことが起こるのなら、昨日の朝に既に起こっていたはずだ。
だって一昨日は、それこそたいまつシショーを相手に延々と運動をしたのだから……。
が、よくよく考えれば、地下でたいまつシショーを切っていた時は、前半はスキル、後半は千切りがメインで、身体を大きく動かしていた時間はそれほど多くなかった。
それだって現実世界基準だととんでもない運動量だが、昨日の決闘の時の運動量は、更にその遥か上を行っていた。
まさか、とは思うが……。
「あだ!」
身体を走る痛みと共に、『筋肉痛』という単語が俺の脳裏をよぎる。
この世界は、現実よりもゲーム寄りであるのと同じくらいに、ゲームよりも現実に寄っている。
戦闘に関することではゲームの法則が優位なので、俺はゲームと同じように身体を動かして、ゲームと同じように戦うことが出来た。
だが、『激しい運動をすると疲れる』という現実世界の『仕様』は、完全に戦闘だけに属する物だと言えるのか。
ゲームよりも現実に近いこの世界で、僅かにでも生き残っていたりはしないのか。
「…あ」
考えることに夢中になっていた俺は、そこで考えられないミスを犯した。
制御の甘くなった身体がひとりでに後ろに傾ぎ、ベッドに倒れていく。
(まずい!!)
倒れるのを止めようと踏ん張っても、それを避けてベッドに倒れてしまっても、どちらにせよ身体に負担をかける。
こんな状態で無理矢理に身体を動かしたら、一体何が起こってしまうのか。
切迫する危機感の中で、俺は思った。
……まあ、何だ。
考えてみれば、これは実に単純なこと。
「みぎゃぁああああああああああああああああああ!!」
――現実とゲーム、その見極めが出来ない者は、必ずその報いを受けるという当たり前の話だった。