第二十三章 ジャンプアップ
『トレインモード』の仕様は、草原での実験でかなり分かった。
その結果を元に、今度は新しいことを試してみるつもりなのだが、そのためには高レベルなエリアに突入する必要がある。
流石に何の準備もなしに挑むのは自殺行為と言える。
俺とトレインちゃんは一度町のアイテムショップに寄って、必要な物を買い揃えることに決めた。
「おっ、これは……」
俺が最初に目をつけたのは、『レベル鑑定紙』だ。
張り付けた物の名前とレベルが分かるアイテムで、ぶっちゃけゲームでは使い道のない死にアイテムだったのだが、メニュー画面が開けないこの世界では重宝しそうだ。
一個10Eというお手頃価格なので、今回の実験とは何の関係もないが、10枚ほど購入することにする。
早速店の人に許可を得て、自分に使ってみる。
「おお!」
俺の腕に押し付けた紙に、あっという間に文字が浮かび上がった。
【ソーマ・サガラ : LV13】
どうやら俺のレベルはまだ13らしい。
『封魔の台地』でそれなりに戦ったはずなのだが、いくらレベル差がある敵が相手でも、雑魚相手に一、二時間程度では、大幅レベルアップという訳にはいかないようだ。
そうなると、やはり『トレインモード』がレベル上げの鍵になる可能性は高い。
ますますこれからの実験には期待をかける必要がありそうだ。
しかし、鑑定紙を見てそれ以上にびっくりしたのは名前だ。
『猫耳猫』では漢字をそのまま使ってプレイしていたはずなのだが、どうやらこの世界では勝手に片仮名表記にされた上、名字より名前が先に来ている。
だからどうということもないが、ちょっとだけ異世界に来たような気分になった。
「ソーマさん?
ジェムは、こっちですよ?」
突然自分に鑑定紙を使い始めた俺に、一緒に来ていたトレインちゃんが不思議そうな視線を送っていた。
(おっと、危ない)
俺がレベル13というのはまだ伏せておいた方がいいだろう。
俺は鞄に鑑定紙をまとめて突っ込むと、トレインちゃんの許に小走りで駆け寄っていった。
店内を見て回り、レベル鑑定紙の他に、今回の目的だった魔法のジェムにダーツ、非常用の回復薬と、ついでに時計とシャベルを買った。
ジェムやダーツは実験用だが、時計は自分用、そしてシャベルは宿の主人に渡す用だ。
しかしまさか、この店に時計やシャベルまで置いてあるとは思わなかった。
ゲームの時から雑多な物が置いてあるとは思っていたが、改めて見てみると、アイテムショップというより何だか町の雑貨屋みたいだ。
ともあれ、とりあえずこれで準備は完了。
本音を言えば隣にあったアクセサリーショップや武器屋も覗きたかったが、今はトレインちゃんの方を優先するべきだろう。
ぐっと堪えて町の外に出る。
目指すは北東。
『猫耳猫屈指のゴーストダンジョン』と呼ばれて名高い、『試練の洞窟』が今回の実験の舞台となる。
『試練の洞窟』は、ラムリックの町の周辺では群を抜いて高レベルな敵が出るダンジョンで、そのレベルは70を超えていると言われている。
イベントや宝箱の類は一切なく、出現モンスターは全て中身のない鎧騎士系。
鎧騎士は動きこそそう速くはないが、頑強で力も強く、非常に倒しにくい。
だがその代わりに、破格と言ってもいいだけの経験値倍率を誇っている。
故に、彼らはプレイヤーにとって大きな障害であると同時に、大きな成長のチャンスでもある。
困難ではあるが、乗り越えた時にプレイヤーを大きく成長させるダンジョン。
それがここ、『試練の洞窟』なのである。
いや、そうなるはずだったのだが……。
「あの、本当にここでやるんですか?
ここって何もないダンジョンとして有名なんですけど……」
実際にはこの『試練の洞窟』がプレイヤーを成長させることはなかった。
ここが『ゴーストダンジョン』なんて呼ばれるのも一種の皮肉であり、ちょっとした設定の不手際のせいで、いつ来ても大抵全てのモンスターが死んでいるのだ。
しかも、このダンジョンの敵のリポップまでの時間は、全モンスター中最長の255時間。
十日以上も待っていられないので、普通であればここでモンスターに遭遇するのはあきらめる所だ。
しかし、今の俺にはトレインちゃんがいる。
俺は言葉を選びながら説得を始めた。
「いや、だからこその実験なんだよ。
ええと、実は特別な条件をそろえるとモンスターをすぐに出現させられるって話があって、俺はそれを確かめてる。
今回も、それを使った実験をしたいんだけど……」
トレインちゃんに、自分には魔物を呼び寄せる力があるなんて気付かれると、すぐに落ち込んでしまいそうだ。
また騙すことになるのは心苦しいが、その辺りをぼやかしながら説明をする。
しかしチョロインちゃんは微塵も疑いはしなかったようで、目を爛々とさせ、予想外の勢いで食いついてきた。
「あ、あの平原でゴブリンがいきなり出て来たのはそういうことだったんですね!
ソーマさん、凄いです!
もしかしてそれ、『封印の守護者』に伝わる知恵とかですか!?」
「……いや、その単語は忘れていい」
なぜ人の黒歴史をピンポイントで掘り出そうとするのか。
いや、自業自得ではあるのだけれども。
俺は頭を押さえながら、説明を続けた。
「とにかく、前回は草原でやって成功したから、今度はここの敵にもそれを試してみたいんだ」
「ああ、なるほど!
今度はフィールドじゃなくて、ダンジョンでも試すってことですか!?
なんだかわくわくしますね!」
興奮するトレインちゃんをなだめながら、段取りを説明する。
まず、洞窟の中は無人のはずなので、ダンジョンの中ほどまで何もせずに進む。
そこで二時間待てば、『トレインモード』が発動するはずだ。
「俺の予想が正しければ、その時に敵が現れるはずなんだ。
相手は強いけど、足は遅い。
君のスピードなら逃げられるはずだ。
出来れば現れた敵一匹につき一回ずつダーツを当てながら、更に奥に進んで欲しい」
「つまり、ダーツを使って復活したモンスターの数を数える訳ですね」
ダーツは攻撃用のアイテムだ。
どんな敵にでも固定で1のダメージを与えられるので、メタル系のような硬い敵への切り札になるし、同じ敵がたくさん出て来た時のマーカー代わりにもなる。
今回はそれを50本買い込んできた。
「いや、別にダーツは無理して使わなくてもいい。
相手のレベルは70あるんだ。
逃げることを最優先で、あくまで余裕があったらで構わない」
「はい!」
返事はいいが、少し不安になった。
相手はレベル70で、しかも同レベルの敵と比べても攻撃力は高い方だろう。
ミスリル装備はまだ貸しているが、所詮ラムリックの町の店売り装備。
鎧騎士を相手にするには不十分な装備と言うしかない。
俺の中に、弱気が顔を出す。
やはり、やめた方がいいのではないかと思えてきた。
「はっきり言うと、今度の実験はかなり危険だ。
別に無理をして付き合ってくれなくても……」
「わたし、やれます。
レベルが全然違いますけど、鎧騎士なら前に戦ったことがあります。
逃げるだけなら、余裕です!」
「だけどな……」
逆に、トレインちゃんの方がやる気満々だった。
なおも渋る俺に、彼女は言った。
「だって、これ、必要なことなんですよね?」
その言葉に、俺は一瞬だけ呼吸を止めた。
「……ああ。必要なことだ」
俺が観念してうなずくと、トレインちゃんは笑った。
「じゃあ、頑張ってきます。
……ソーマさんのために」
俺は、彼女のその言葉に訂正を入れようとして、やめた。
せっかくの覚悟に水を差すこともない。
代わりに、説明を続ける。
「この『試練の洞窟』は、輪のような構造をしてるんだ。
入り口、つまりここと、最深部はつながっている。
だから、奥に進み続けると……あそこに出る」
そう言って俺は、目の前の崖、その上を指差した。
何十メートルあるだろうか。
ここからでは、一番上がどこなのか、ぼんやりとしか分からない。
「そこで、こいつの出番だ」
取り出したのは、『フェザーフォール』の魔法が込められたジェム。
ジェムは使い捨てだが、一度だけそこに込められた魔法を発動することが出来る。
『フェザーフォール』は落下速度軽減の魔法だ。
使用してから一分間は、落下のスピードと衝撃が軽減される。
これと同じ物を、既にトレインちゃんにも渡してある。
「崖を移動出来れば、帰りは大幅なショートカットが出来る。
モンスターから逃げながら、これを使ってあの上から飛び降りてきてくれ。
そうしたらこの場所で待っている俺と合流して、実験終了だ」
「分かりました!」
あいかわらず返事は凄くいいのだが、やはり心配になる。
「大丈夫か?
ジェムの使い方は分かるよな?
何もせずに飛び降りたりしないな?」
俺が訊くと、トレインちゃんは笑って答えた。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。
あんなに高い崖なのに、何も考えずに飛び降りるとか逆に無理です」
「そう、だよな、うん」
彼女自身、特に気負っている様子はない。
俺の考え過ぎだったのだろうか。
それから注意点をもう一度確認したり、買っておいた回復アイテムを渡したり、くれぐれも無茶をするなと言い含めたりして、いよいよ出発ということになった。
「それでは、行ってきます!」
「あ、ああ。気を付けてな」
颯爽と歩き出す彼女を見ながら、俺はまだ不安な気持ちを抑えられなかった。
そうして俺は、気をもみながら二時間を過ごした。
実は、トレインちゃんを使ってこのダンジョンの敵を復活させるという試みは、ゲームの時でもされていた。
トレインちゃんを利用したレベル上げは色々と研究されていたし、このダンジョンでも粘れば、確かにトレインちゃんは出現する。
しかし残念ながら、この試みが根付くことはなかった。
――なぜならほとんどの場合、『モンスターを引き連れたトレインちゃんが、崖から墜落して死亡する』からである。
それはもちろん、死ぬのはゲームのNPCであるトレインちゃんであるが、ゲームで死亡する以上、こっちでも同じことが起こらないとも言い切れない。
魔法のジェムをわざわざ二つも用意したのは、そのためだ。
(最悪の場合、俺が自分で『フェザーフォール』をかける!)
落下中の相手に魔法をかけた経験はないが、いつものようにやればいいだけだ。
高速で移動する対象にターゲッティングするのはゲームで慣れている。
いざという時には、絶対に失敗しないつもりでいた。
やがて、時計が二時間を回る。
(そろそろ、か?)
いつトレインちゃんが落ちてきてもいいように、気を張りながら時間を過ごす。
そして、それから十分ほど。
もしや彼女に何か問題があったのか、俺が不安になった頃に、
「ソーマ、さぁああん!!」
声が降ってきた。
同時に、俺もトレインちゃんの姿を認めていた。
距離があるせいで豆粒のように小さいが、追いかけてくる影を振り切るように崖を跳んだのは、確かに彼女だった。
(……杞憂だったか)
彼女が崖を跳んだ瞬間、不吉な予感に心臓が跳ねたが、トレインちゃんはきちんとフェザーフォールを使っているようだった。
正に羽毛のように、ゆっくりとこちらに降りてくる。
「ソーマさん、わたし、やりました!」
言いながら手を振るトレインちゃんに、手を振り返そうとした時、俺はそれに気付いた。
「後ろだっ!!」
叫ぶ。
が、間に合わない。
「え?」
トレインちゃんが振り返った時にはもう遅かった。
彼女を追いかけて来たのか、崖から飛び出した鎧騎士の内の一体が、偶然にも彼女の近くに落ちてきていた。
落下する鎧騎士の槍が、彼女を打ち据える!
「――ッ!」
声なき悲鳴を出して、トレインちゃんが苦痛に身をよじる。
槍の一撃を喰らった彼女は、フェザーフォールの副作用もあってか、凄まじい勢いで吹き飛ばされた。
「くっ!」
もう地面が近い。
俺は即座にスキルを発動。
神速キャンセル移動で距離を詰めて、彼女の身体を受け止める。
魔法の効果だろうか。
彼女の身体は羽のように軽い。
それが、なぜだか俺の不安を煽った。
「っ! そうだ、回復アイテム!」
不甲斐ないことに、俺は一瞬呆けていたようだ。
そんな場合ではないとすぐに我に返り、ポーチから回復薬を取り出した。
飲ませるなんて悠長なことはしていれない。
俺は一瞬だけ迷って、すぐに彼女の身体に回復薬をぶつけた。
光のエフェクトと、少し遅れて効果音。
彼女のHPは、回復する。
した、はずだ。
「おい、大丈夫か?!
しっかりしろ!!」
彼女は呼び掛けに答えない。
俺は大慌てでポーチからもう一個回復薬を取り出し、それを投げつけようとして、
「だいじょうぶ、です」
小さな手に、それを止められた。
目を落とすと、トレインちゃんはしっかりと目を開いてこっちを見ている。
顔色も、悪くはない。
どうやらこのまま死んでしまうなんてことはなさそうだ。
「……はぁ」
こっちの世界に来てから一番肝を冷やしたかもしれない。
俺は大きく息をついた。
「とりあえず、移動するぞ」
また上から鎧騎士が降ってきても困る。
俺は背後の轟音を無視しながら、彼女を抱えて足早にその場を後にした。
俺はそれからも彼女に回復薬を使おうとしたが、もったいないと言って、トレインちゃんは頑として受け付けなかった。
それでも五分ほど経つ頃には体力も回復し、
「あ、おい」
俺の制止を振り切り、トレインちゃんは俺の腕から抜け出すと、自分の足で地面に立った。
そして、俺に正面から向き直って、
「最後、ちょっと油断しちゃいましたけど、でも、ちゃんとやれました」
そんなことを言って、誇らしげに笑う。
そうして、飼い主に褒めてもらうのを待つ子犬のように、俺に問い掛けた。
「わたしは、ソーマさんのお役に立てましたか?」
仲間の役に立てるのが、嬉しくてたまらないのだろう。
肯定してもらうのを心待ちにしているのが、見ているだけで分かった。
しかし、俺は首を横に振る。
「悪いけど、今回の実験は俺のためのものじゃないんだ」
「…え?」
愕然とする彼女の腕に、俺は小さな紙を押し付けた。
そうしてその紙に文字が浮かび上がってくるのを待って、俺は言った。
「――レベルアップ、おめでとう」
目を丸くする彼女に押し付けた紙には、簡潔にこんなことが記されている。
【イーナ・トレイル : LV57】
――こうしてトレインちゃんはこの日、駆け出し冒険者を卒業した。