第二十章 教室の幽霊
考えてみれば当然の話だが、ゲームで出来なかったことがこの世界で出来ることもあるのなら、ゲームで出来たことがこの世界で出来なくなることもある。
『マリみて道場』はその典型だったという話だが、やっぱりそれでは困る。
そこで俺が涙ながらに、
「どうしてもやらなくちゃいけないことなんです!」
と訴えると、意外にも彼女の方から折れてくれた。
使うのは利用者がほとんどいなくなる午後9時以降に限ること、懺悔室の壁には衝撃と音を吸収するマットのような物を取り付けるので、頭突きをするならそこにやること、の二つを条件に、懺悔室の使用を認めてくれた。
別に頭突きをしている訳でもないのだが、誤解を解くのも面倒なのでスルーした。
何より、条件付きとはいえ部屋の使用が許可されたのだから、文句をつける筋合いはない。
ただ、夜の教会でそんなことをしていて変な噂が立たないかというだけは気になったが。
そういえば、教会にお化けが出る、みたいな噂がゲームで実際にあった気がする。
教会の幽霊の正体は、実は『マリみて道場』に通っていた『猫耳猫』プレイヤーだった、とかいう真相だったら……いや、ないか。
「ありがとうございました!」
馬鹿な思考を打ち切って、最後にマリエールさんに大きく頭を下げて教会を後にする。
それにしてもマリエールさん。
こっちは近所迷惑になりかねない騒ぎを起こしたのに、優しい人だった。
俺なんて傍迷惑な存在だったろうに、説教を終えた後は常にこっちにいたわるような視線を向けてくれて、ちょっとやり過ぎなんじゃないかってぐらいに、言い方は悪いが爆発物とか腫れ物とかを扱うみたいに、俺に気を遣った言葉をかけてくれていたのだ。
流石、神に仕えてる人は器がでかい。
……まあ、
「神は何より、人が精一杯に生きることを望んでおられます」
「この世界にはまだ、貴方の知らない楽しいことがたくさんあるのですよ?」
「生きていれば、何かきっといいことがありますから!」
みたいな説教くさい言葉をちょくちょく挟んでくるのはちょっとどうかと思ったが、シスターさんなのだからそんなものなのだろう。
あんまり信心深くない俺にさえそんなに色々と言うのだから、信者の人は結構大変かもしれない。
ともあれ、今後の見通しも立ったし、何だかさわやかな気分だ。
俺はご機嫌な気分で教会のドアを開けて、
「やっと見つけましたよ、ソーマさ――ええぇ?!」
近くに見えた見知った顔に、全速力で反対側に向かって駆け出した。
「ま、待って下さい!」
すると、当然のようにその知り合い、トレインちゃんは追いかけて来た。
しかも、やっぱり速い。
このままでは追いつかれてしまうかもしれないが、逃げる方向のチョイスを間違ったせいで、近くには天覇で登れるような背の高い建物がない。
神速キャンセル移動を使いたい所だが、まだスキルレベルの低い現状では、すぐにスタミナが切れてしまうだろう。
少しの時間とはいえ『マリみて道場』にこもったおかげでステップの消費は少しは減っているはずだが、それをキャンセルするスラッシュの消費は変わっていない。
スラッシュよりは松明相手に使っていた横薙ぎの方が若干マシな気はするが、そっちはそっちで間違って発動してしまうとそこらを歩いている一般人を輪切りにしてしまう可能性がある。
物騒過ぎて町ではとても使えない。
「なんで逃げるんですかぁ!」
「そりゃ、そっちが追いかけて来るからだよ!」
走りながら、怒鳴り合う。
「じゃ、じゃあ、わたしがここで止まったらどうするんですか?」
「突然急用を思い出して走り去る」
「結局逃げてるじゃないですか、それっ!」
まあ実際、逃げるんだけどね。
しかし確かに、追いかけられてるから逃げてるって側面はもちろんある訳で、トレインちゃんさえあきらめれば俺は逃げずに済む。
俺は、今度はこっちからトレインちゃんに言葉を投げかけていた。
「そもそも、何で俺にそんなにつきまとうんだよ!
俺のこと、まだ邪教徒だとかって疑ってるのか?」
「い、いえ、その……」
彼女は初めて言いよどんで、その足を止めた。
そのまま逃げてしまってもよかったのだが、それでは事態は解決しないだろう。
俺も少しだけ距離を取って、同じくその場に留まった。
「朝、俺が信じられないから、見極めるために俺についていく、みたいなことを言おうとしてなかったか?」
詰問するように言うと、彼女は珍しく歯切れ悪く、ぼそぼそと答えた。
「そう、なんですけど。
でも本当は、もうソーマさんのこと、ほとんど信じてるというか……。
あ、その、邪神の封印とか、そういう難しいことは分からないですけど、悪い人ではないんじゃないかな、っていうのは、その……」
はっきりとしない。
少しだけ、苛々してきた。
「じゃあ、何で俺を追いかけて来てるんだ?」
「え? ……え、と。
だって、ソーマさんは命の恩人ですし、その、そう!
今まで見たことないタイプの人だから、見極める必要があるというか……」
なんだそりゃ、と思った。
それはつまり、彼女が俺を追いかける必然性は、何もないことになる。
俺は高まる苛立ちを抑えて、出来るだけ理性的に彼女に言った。
「あのな、俺は、ここで冒険者としてやっていって、強くなるつもりなんだ」
「わ、わたしもですっ!」
なんか無駄な相槌を入れてきたが、無視する。
「俺だけが握っている情報もあるし、人に知られたくない戦い方なんてのもある。
出来れば、しばらくは他人を近づけたくないんだ」
「そ、れは分かりますけど……で、でも!」
食い下がろうとするトレインちゃんに、心を鬼にして言葉をかぶせる。
「……迷惑、なんだ。
俺についてくるのが単なる好奇心ってだけなら、遠慮してくれないか?」
「あ……」
俺の言葉に、彼女は完全に固まってしまった。
流石に、罪悪感に苛まれる。
だが、彼女が俺を追いかけるのは単なる好奇心、そうでなければ、どんな理由がある?
本当はまだ、俺のことを疑っている?
あるいはプレイヤー補正とか、命の恩人補正で俺に一目ぼれした?
……バカバカしい。
そんなことが起こるのは漫画やゲームの中だけだ。
いや、ここはゲームが元になった世界だが、ゲームの中ですらそんなことは起こらなかった。
「ち、ちがうんです。まってください」
彼女はそれでもなお、俺を引き留めようとするが、
「君は君で、頑張ればいい。
どうしても困った時は、あの宿を訪ねてくれれば、少しくらい協力するから」
俺はそれを聞かず、彼女に背を向けて歩き出した。
だって実際、彼女に手助けなんて必要ない。
繰り返すようだが、プレイヤーである俺が一定時間フィールドに出なければ、彼女がたくさんのモンスターに追いかけられるなんてことは起こらない。
更に言えば、本人は駆け出しの冒険者なんて名乗っているが、ラムリックの周りのフィールドではレベル30以上の敵などそうそう出ない。
しかも、若干格下とはいえ、足の速いマッドハウンドからたった一人で逃げ切るだけの実力を持っているのだ。
彼女がどんな仲間とパーティを組んでいるのか、短剣使いがどの程度の需要を持っているのかは知らないが、彼女の実力ならこの町でやっていけないということもないだろう。
なのに彼女は、それでも俺を止めようとした。
「まって、まってください。わたし、わたしは…!」
だが既に俺は、どんなことを言われても足を止めるつもりなんてなかった。
俺は、大学ではぼっちだった。
特に望んでそうなったつもりもないが、特に望まずそうなったつもりもない。
誰とも関わりたくないなんて思わないが、やりたいことがあるなら、ことさらに誰かと関わりたいとも思わない。
その事実はつまり、俺が他の人より躊躇なく人間関係を切ることが出来るってことを意味している。
少なくとも今は、彼女とのつながりなんて必要とはしていない。
彼女がどうしようもなく困っているのならともかく、そうでなければ手を貸す義理もない。
だからこれで、トレインちゃんとはお別れだ。
しかし、その覚悟は、
「―――――――――――!!」
続く彼女の言葉に、木端微塵に打ち砕かれた。
「今、なんて、言った…?」
それはさながら、魔法の言葉だった。
その言葉は基本他人に無関心で、『
いや、むしろそんな俺だからこそ、と言うべきなのか。
「もう一度、言ってくれるか?」
振り返った俺がそう言うと、彼女は少しだけ恥じらいを含んだ声で、ふたたびその言葉を口にした。
「――わたし、友達いないんです」
ああ、なんてことだ。
俺は天を仰ぎ、心の中でつぶやいた。
――トレインちゃん、お前も(ぼっち)か。