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幕間 『昔々あるところに』




 コルセスカがどこにもいない。

 完全に破綻した劇が幕を引いた後、俺はすぐさま主を求めて劇場内を駆けずり回った。しかし、ヴィヴィ=イヴロスが展開している浄界の中をどれだけ探しても、雪の中に消えていった冬の魔女の姿は見つからなかった。


「気は済んだかい?」


 声をかけてきたのは劇場の主、キュトスの魔女ヴィヴィ=イヴロス。

 俺には男装の麗人の落ち着きを払った態度が、どうにも胡散臭く感じられてならなかった。


「――知っていたのか、コルセスカの意識が死人の森の女王に乗っ取られかけていたことを」


 魔女は睨み付けている俺を平然と見返している。チリアットの体格は彼女を大きく上回るというのに、威圧に対してまるで臆したところが無い。それどころか、下手をすればこちらが気圧されかねない余裕のようなものが見受けられた。


「それに何なんだ、あのラクルラールとかいうのは」 


 その名前には聞き覚えがある。

 トリシューラが言っていた、いずれ乗り越えるべき壁――。


「やれやれ、質問は一度に一つにして欲しいものだね。まあいい。まず最初の質問だが、知っていたよ。そして、彼女はそれを理解した上で自ら乗り越えようとしている。あるいは、受け入れようとしているのかな」


「コルセスカはどうなるんだ」


 まさかとは思う。

 思うが、この世界における転生が、前世による現世の上書きという形で行われるのだとすれば、彼女の意識は消滅してしまうのではないか?

 それに対する魔女の答えは曖昧だった。


「未知数だ。人格を多重化して共存する場合もあれば、片方が打ち勝ってどちらかが消滅、ないし封じ込められることもある。あるいは、統合されてしまうことも。その場合、以前までのコルセスカとの同一性は保証できないが」


 コルセスカが膨大な数の前世の一つ、死人の森の女王の記憶だけを強く受け継いで、その人格が今までと同一であると見なしうる限度を超えた時、俺は彼女に対してどのように振る舞えばいいのだろうか。


 意識の連続性などに拘るつもりはない。

 しかし、人格の同一性はどうだろう。

 かつてキロンに敗れ、俺を俺として成り立たせている【E-E】を失った時、トリシューラが俺を見限ったように。俺はコルセスカでなくなってしまったコルセスカを、『同じ』だと見なせるのだろうか。


「恐らくコルセスカは今も自らの内側で戦いを続けている。もしかしたらそれは戦いと言うよりも対話や交渉に近いのかもしれないが、とにかくそういうことだ」


 魔女はそれから付け加えるように補足する。


「ああ、ついでに言えば、ラクルラールはただの史実だ。アレはそういう来歴を持っているというだけの話。今は零落した球神ドルネスタンルフが人に授けたという叡智にして神造の遺物、それがアレの起源であると言われているよ」


 気になるといえば、劇中劇の内容もそうだ。

 あれは本来の流れから大きく逸脱してしまっていた。

 グレンデルヒとゾーイの介入、更には終盤でのコルセスカの暴走――あれが死人の森の女王の意思だったのか、コルセスカ自身の判断だったのかは判然としないが、予定されていた展開とは違うものになってしまったことは確かだ。


 マラードを主役として進行するはずだった物語は、導き手あるいは助言者という役回りだったセレスが主役を喰う活躍をしたことで破綻した。否、あれは彼女を主役とした物語としては破綻が無いと言えるのかもしれない。

 これは舞台というゲーム盤で、展開を操作し、役を奪い合うという勝負なのだ。


 俺とチリアット、グレンデルヒとゾーイ、そしてコルセスカと死人の森の女王。『役』と『役者』のペアに分かれて、それぞれが更に別の役を演じ、舞台に干渉し、展開を操作するという、即興だらけの演劇遊戯。


 不安要素だらけだが、考えようによっては俺に有利な点もある。

 俺の目的はグレンデルヒを打倒するため、未来に繋がる布石を過去に置いてくること。グレンデルヒ当人が同じ土俵で戦ってくれるのなら、その為の糸口も見つけやすい。何しろ手の内を探る機会が増えるのだ。


 当面、俺は過去に起きたという六つの王国の滅びを回避させ、ヒュールサスという国を救い、そこからカインを蘇生させて現在の状況に繋げていかなくてはならない。カインが屍の狼として復活しないと俺は過去に遡行できないのだから、それだけは絶対条件だ。


 問題は、グレンデルヒをどう倒すかだが、それに関しては何となく察しがついていた。つまり、ヒュールサスから更に過去に遡って協力者を集める、と言う点が重要なのだろう。


「次の舞台はガロアンディアンだったよな」


「ああ。古に存在した竜王国。トリシューラが第五階層に建国するにあたって参考にしたのがその国だ」


 魔女ヴィヴィ=イヴロスの言う通り、次の舞台については一応当初の予定と同じように進んでいる。

 本来の筋書きはこうだ。


 マラード王は霊王フィフウィブレス=ハルハハールに『美しさ』で勝負を挑む。

 どれだけ多くの女性を誘惑できるかという競い合いで勝利した王は、自信を喪失して弱体化した霊王を追い返すことに成功する。


 霊王が落としていった『鍵』と呼ばれる書物には、ラフディがかつて盟約を結んだ王国のひとつ、ガロアンディアンを襲った災厄の真相について記されていた。

 そして、外敵がラフディを襲ったのはそれが原因だったことが判明する。


 マラード王たちは事実を知り、戦いの中で生じた『悲劇』を帳消しにするため、再演による過去への干渉を行う。最終的な結論は同じだが、過程が大違いだ。

 死人の森の女王が大幅に筋書きを変えてしまったせいだが、『流れ』そのものを覆す気はないらしい。


 語られた物語の形は大幅に姿を変えてしまい、その細部が今ひとつ見えづらくなってしまっていた。史実をベースとしながらも脚色が多いフィクションなので当然だが、少し気になった事が一つある。

 俺がかつて第五階層で戦った異獣――人狼のことだ。


「『ラフディの悲劇』だったか。ここ最近受けてたトリシューラの講義でも、コルセスカとやったゲームでも出てきたから良く覚えてる。史実、なんだよな」


 ヴィヴィ=イヴロスは小さく頷いた。


「ああ。物語などでは良く美化されているが、歴史上最も暗愚な王は誰かと問われれば、『虐殺王マラード』は真っ先に出てくる名前の一つだ。混乱と対立を収めようとして人狼系移民の『問題を解決』した――その後長きに渡る人狼種族の受難はとてもここで語りきれるようなものではないが、その発端とも言われているのがあの男だよ」


 過去の人物に対してどうこう言っても仕方が無い上に作り事の描写でしか知らない相手だが、なんというか。


「ヒュールサスを救う為とはいえ、あまり頼りたくは無い相手だな」


「だが、縋る相手を選んでいられる状況ではないのではないかな?」


 彼女の言う通りだった。

 グレンデルヒ、ゾーイ、そして死人の森の女王。

 思惑はそれぞれ違うだろうが、俺やトリシューラ、そしてコルセスカにとって厄介な相手であることは間違いが無い。


 その点で言えば、次の相手はまだ心理的な障壁が少ない相手だ。

 実際にどのような国なのかまでは教科書的な記述しか知らないが、あのトリシューラが範に取ろうとした国だ。俺にとってそう受け入れがたい対象であるとは考えがたい。


 ただ、実際に協力を得るとなると簡単にはいかない可能性がある。

 恐らく、流れとしてはカインのように再生者として甦らせて、グレンデルヒを倒すための力を貸してもらうという流れになるのだろう。


 問題は、正統な王であるあちらが、トリシューラのことを『王を僭称する不埒な魔女』だとか、『ガロアンディアンの理念を歪めた敵』だと見なして敵対する可能性がどのくらいあるのかということ。


「ガロアンディアンの滅びを阻止して、恩を売ればいけるか? それとも、その名と遺志を継いでいるトリシューラに対する印象を操作するとか――」


 などとぶつぶつ呟いていたところ「ちなみに」と魔女が補足した。


「君が関わることになる過去の王は六人だ。その中には、ドラトリアの建国王カーティス一世も含まれている。まあ、当時は王国ではなかったのだが」


「ドラトリア――リールエルバの国か」


 そちらのほうがむしろ現代との繋がりは深いのかもしれない。

 といって、具体的にどうすればいいのかはイメージが湧かないのだが。

 やはり再生者として甦らせて協力を仰ぐか――とそこまで考えて気付いた。


 再生者として甦らせるために必要な道具がある。霊王フィフウィブレスが『鍵』と呼び、死人の森の女王が『断章』と呼んでいた黒い本だ。

 恐らく、あれは文字通り『鍵』なのだ。

 女王が求めていたように、死人を操る力を持つあの魔導書が無ければ過去から現代に繋げるという目的の達成は難しい。


 だとすれば、俺はグレンデルヒの手の内を探りつつ妨害をはね除け、死人の森の女王を出し抜いて『断章』を奪い、更にコルセスカをどうにかして取り戻さなければならない。


 困難にも程がある。

 しかしやらねばならない。

 コルセスカを、そしてトリシューラを取り戻す為に。


 決意を新たにしていたそのとき、俺は右腕がひとりでに動いて左腕に触れていることに気付いた。チリアットが何かを伝えたがっているのを察して、意識の中で問いかける。


(どうした?)


「師範代、古きガロアンディアンに関してですが、俺はそれについて幾ばくかの知識、そして縁があります」


(知識はともかく、縁というのは?)


 牙猪は生真面目な口調で俺の左腕に向かって話しかける。

 実際にはチリアットは思考するだけでいいので、この状況はなにか間抜けな絵にも思える。が、ここで声に出して喋る辺りがこの男の性質を表しているような気がしていた。


「俺はかつてジャッフハリムが誇る四十四人の勇士にして第十四魔将であるダエモデクに仕えていました。俺にとって彼は尊敬すべき主であり、恩人であり、かけがえのない友人だった。お、俺は、そんな彼を命惜しさにみ、見捨て、て――」


(待て待て待て落ち着け。気持ちは痛いほど響いてくるが今はその事はひとまず置いてくれ。そのダエモデクがどうしたんだ?)


 涙ぐみ始めたチリアットを慌てて制止すると、牙猪ははっと我に帰って恐縮し、先を続ける。


「失礼。話を戻しますが、先程も見たように、ジャッフハリムが誇る『四十四士』の中には少々変わり種が四人いましてな。それが四方の王。クエスドレム、ベフォニス、ダエモデク、ハルハハールの四人がそれです。もっとも、ダエモデク以外は『初代』という但し書きが付きますが」


 話によると、ジャッフハリムの四十四士というのは襲名製であるらしい。

 元々長命な種族や、呪術によって不老となった者以外は代替わりして、その実力も世代ごとに違うらしい。


 かつて戦ったキロンが寄生異獣としていたハルハハールは初代ほどの力は無かったという。しかしそれでも使う者が使えばあの強さである。

 もしキロンが初代の『霊王』を寄生異獣として宿していたらどうなっていたことやら、想像もしたくない。


「四十四士は偉大なるレストロオセ様に忠誠を誓う下方勢力きっての勇者たちですが、その中で最も強き力を有していた四方の王はレストロオセ様とあくまで対等な存在でありました。伝承によれば、当時ジャッフハリムで暴虐を振るっていたという『呪わしき恐怖の化身』と四方の王は、結束した小国の連合と運命に導かれて集った四十人の強者たちによって倒され、心を入れ替えた四方の王はそれ以来ジャッフハリムを守る勇士の一員になったということです」


 昔話のようだなと思ったが、実際に子供に聞かせるような昔話だったらしい。

 だが、少しだけ普通の昔話と異なるのは、チリアットが聞いたそれに『当事者』から直接聞いた情報が混ざっていることだった。


「我が主にして親愛なるダエモデクは悠久の時を生きる長命の亜竜。彼はいつか俺に語ってくれた事があります。己の半身、兄弟、好敵手、どのようにも喩えがたい、緑の亜竜のことについて」


(もしかして、それが)


「ええ。ガロアンディアンの建国王アルトは、西方の王と呼ばれていたダエモデクと同じくらい力のある、当時もっとも名の知れていた亜竜だったのです」


 その言葉が引き金であったかのように、現実の変容は引き起こされた。

 死人の森の女王が人形劇によって過去への干渉を行ったように、俺たちもまた『昔話』という一種の呪文によっていにしえのガロアンディアンへと旅立とうとしているのだと、歪んでいく風景が教えてくれた。


 チリアットの日本語とガロアンディアン語の混じった語りが、純粋な古ガロアンディアン語に切り替わっていく。

 不思議と俺は過去への『翻訳』を何の違和感も無く受け入れていた。昔話では、現代語で話されてはいても当時の人々がその通りに話しているわけではない。


 今までも、何故か俺にも理解できるグラナリア語が古グラナリア語に対応していたので、過去を演じる劇の内容はきちんと把握できていた。

 それと似たような現象が、過去と現代の言語の隔たりを埋めているのだった。

 俺とチリアットの口が同時に開いて、過去への扉が開かれた。


「昔々、あるところに、ひとりの王さまがいました――」





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