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死人の森の断章8-1 妄想妖精のプロンプター


 闇に包まれた舞台の上で、蓄光呪符テープが微かな光を放っている。

 教えられた通りに、その光に導かれるようにして所定の位置に着いた。

 微かな明かりの中、裏方や道具が動いている様子がうっすらとわかる。


 上手、つまり観客席から見て右側には小さな少女と屍の狼が見える。

 俺はその反対の下手から出て、二人から少し離れた場所で立っている形になる。

 準備が終了すると、間もなく開演だ。


 ふと、闇に慣れつつある視界が灰色の両目を捉えた。

 コルセスカは見慣れない幼さでうっすらとした微笑みを作り、そして表情を切り替える。そこにいるのは、既にコルセスカではありえない。


 台本に書かれていた筋書きを思い出しながら、俺もまた舞台の上という世界に没入する。かくして、過去を演じるという時間旅行が始まった。

 





「可哀想な狼さん。こんなにたくさん苦しんで。ねえ、そこの方、どうかお願いです。この子を救ってあげられるのは、あなただけ」


 そこは森の中。

 月明かりが木々の梢の隙間から降り注ぎ、倒木の近くで骸を晒す異形の人狼と、その傍で座り込んだ少女の姿を照らし出す。

 更に、彼女の目の前に、ひとりの闖入者が現れていた。

 湾曲した牙が禍々しい、牙猪だ。


「だって、そうでしょう? この子をこんな風に無惨な姿にしたのは、他ならぬ貴方なのですから」


 息を飲み、一歩、二歩と後ずさりする猪面の巨漢に、少女は悲愴な声で呼びかける。ゆっくりと立ち上がって、手を差し伸べる。


「私たちは――いつかの私は見ていました。あなたがこの子の命を断ち切る瞬間を。大切な命を奪ったところを。ねえ、この子に命を返してあげることはできませんか?」


 少女は倒れ伏した屍を示し、それからまた牙猪の方に向き直り、切々と訴えかけた。目には涙が浮かんでいる。

 たじろいだ牙猪は、喉の奥に何かが詰まったような声を上げた。


「違う、俺は、彼を楽にしてやろうとしたんだ! そのまま生きていることが苦しいと彼が、カインが言うから、仕方無く!」


 すると少女は、大きな灰色の目を見開いて、驚いたように言った。


「まあ、それではあなたは、死んだ事がおありなのですね」


 突拍子も無い事を言い出した少女に、牙猪は面食らったように、


「いきなり、何を言い出すんだ」


 と返す。

 少女は口に手を当てて言った。


「だってそうでしょう。生きる事が死ぬ事よりも辛いと知っていなければ、『楽にする』なんて言葉は出てきませんわ。けれど、おかしなこと。私の目からは、あなたが今、生きているようにしか見えません。一体どうして、そうと知ることができたのでしょう」


 牙猪は、またしても狼狽し、どう答えたらいいものかと迷うように辺りを見回して、それから何かを答えようとした。


「俺は、一度死んで――いや」


 それから口を噤み、言い直す。


「確かに俺は、今ここに生きている分際で、傲慢な行いをした。だがそれでも、俺は彼の苦しむ声を無視できなかった」


「彼は今も死にながら苦しんでいます」


「死にながら?」


「私には、死者の声が聞こえるのです」


 少女は屍の傍で跪くと、その頭に耳を寄せるような仕草をした。

 それからそっと目を閉じて言う。


「死にたくない。もっと生きていたい。仲間たちを助けに行きたい。地上に置いてきた、傷付いた親友のことが心配だ。辛い役目を、あなたに背負わせたくない」


 最後の言葉を言い終わった瞬間、牙猪はがくりと膝を着いて、震えながら大きな頭を抱えた。突きだした鼻がぐずついて、その不格好な音は森中に響き渡った。


「ああ、そうだ。俺は間違っていた。だが、他にどうすればよかった? 俺はこれからどうすればいい? 俺には一度奪った命を返すことなんてできない! もう取り返しがつかないことなんだ!」


「そうなのですか?」


 心底から不思議そうに、少女が訊ねた。

 小首を傾げて、涙など無かったかのように。


「私にはわかりません。生きている人は死んでいる人になれるのに、死んでいる人は生きている人になれないの? それは、なんだか不思議な感じだわ」


 直観に反しますと、眉根を寄せて言う少女は、無知そのままの言動で牙猪を翻弄する。幼い問いかけは常に大人の頭を悩ませる。

 少女は両手を広げた。大仰に、世界全てに対して問いかけるかのように。


「わからない、わからない。私にとって、この世界はわからないことだらけ。気がついた時、私はこの森にいた。自分の名前さえわからなかった。覚えているのは、遠くから響く言葉と、強い黒百合の香りと、色褪せた思い出の欠片だけ。ねえ、あなたはどちらからやってきたの?」


 少女の問いに、牙猪は顔を上げてこう返した。


「俺は、遠いところから来た」


「遠いところ――ここではない、どこか別の場所でなら、私が知らない事もわかるのかしら。この、哀れな子を救う方法が見つかるかしら」


「わからない、だが」


 牙猪は横たわる屍に近寄ると、恐る恐るといったふうに手を伸ばした。最初に右手を出そうとして、それから一度手を引っ込めて、今度は左手を伸ばす。

 物言わぬ狼の頭部と、陥没した胴体に、そっと触れた。


「俺は、彼の事をなんとかしてやりたかった。今もなお彼が苦しんでいるというのなら、何かをしてやりたい」


 言葉には決意が漲っていた。

 少女もまた頷いて、こう答えた。


「私にも手伝えることはないかしら。苦しんでいる人を見捨てたくはないもの。この子も、あなたも」

 

 その言葉が終わるかどうかというその時だった。

 轟音が響き、森が揺れた。

 鳥が木々から飛び立ち、小動物が逃げ出し、虫たちがざわめく音が響く。


 天地の鳴動は更なる異常事態の前触れだった。

 奥に深い森が広がる『空間』が、まるで紙のように引き裂かれたかと思うと、大掛かりな舞台装置が現れる。


 一見するとそれは、巨大な扉のようだった。

 だが、このような尋常ならざる登場の仕方をした物体が普通の扉であるはずもない。背後には無数の歯車が組み合わさり複雑怪奇な機構が露出している。木々を押しのけて、各部の機関を駆動させながらその威容を見せつける。


 扉が開く。

 中央からまばゆい輝きが溢れて、森は光に包まれた。

 機械仕掛けより現れたのは、この世のものとは思えぬ美貌を有した女性とも男性ともつかぬ人物だった。


 新たに現れたその人物は浮遊しており、大仰な機械仕掛けから伸びる目に見えない糸で吊されているようにも見えた。

 少女と牙猪、双方を高みから見下ろしながら、厳かに告げた。


「私は罪人を裁く荒々しき罰神、ティーアードゥ。生者の法を統べる秩序の神。平伏せよ、罪深き牙猪よ! お前は罪なき者の命を奪った大罪人である! 私は目の前で行われた無法を見過ごすことができぬ。よってお前に裁きを下す」


 唐突な宣言と共に、雷光が閃いた。

 不可思議な光が牙猪に当たったかと思うと、その湾曲した牙がひとりでに輝き始める。すると、淡く発光する牙はわずかに伸張し、猪の頭部により近付いた。

 野太い悲鳴が響く。


「お前の命数を定めた」


 罰神ティーアードゥは冷酷に言い放つ。

 恐怖に打ち震える牙猪は、もはや半狂乱である。

 狂態に構うことなく、高みから見下ろす者は言葉を続けた。


「その、牙! お前の目の前に伸び上がる、禍々しき槍。それこそは、お前が生きているという罪そのもの。それは伸び続け、やがてお前の脳天を貫くであろう。それこそがお前が生きている事に対する罰である。死ぬまでの時間を、存分に生きて苦しむが良い」


 絶対者の宣言に牙猪は絶望の叫びを上げ、やがてそれは悲痛な嗚咽に変わる。

 それは死の宣告であり、残された命の多寡を、運命を知ってしまったものの哀れな有様だった。


 かくして結末は定まった。

 これにて閉幕の形は決定し、細部は置くとしても、始まりと終わりという枠組みは死によって括られたのである。


 涙を流して恐怖に震える牙猪は俯き、ついには蹲ってしまう。

 少女が心配そうにその様子を眺めていると、出し抜けに巨漢は立ち上がり、天に向かって吠えた。


「嫌だ、嫌だ! 俺はまだ死にたくない!」


 牙猪の目から涙がこぼれ落ちると同時、右腕が膨張し、黒々とした肉腫に包まれた。かと思うとそれは瞬時に漆黒の鱗に覆われた蜥蜴のような腕となる。

 唖然とした表情の少女と罰神。

 牙猪は絶叫しながら腕を振り回し、暴れ回った。


「うがあああ! 嫌だぁ、死ぬのは怖いぃ!」


 牙猪は木々を破壊し、地面を踏み砕き、更には巨大な機械仕掛けにまで殴りかかる。硬質な鋼を剛腕で貫くと、衝撃で浮遊している罰神ティーアードゥの身体が揺れ動く。神は泡を食って逃れようとするが、宙をぶらぶらと揺れているばかりでその場から離れられない。


「ええい、こら、落ち着け、落ち着けというのに!」


 狂乱する者の耳に、神の呼びかけなど届いていない。

 牙猪が口から吐き出した黒い靄がティーアードゥに襲いかかる。たまらず両手で顔を覆う神は、そのまま地面へと叩きつけられてしまう。あたかもその身を宙に固定していた神通力が途切れたかのような自由落下であった。


 蜥蜴の如き剛腕が振り上げられた。

 倒れた罰神は動けないままだ。

 その時、少女が叫んだ。


「アキラッ!」


 その瞬間、牙猪の左腕が意思を持つかのように動いたかと思うと、右腕を強引に掴んで抑え込んだ。


 巨木の如き右腕に比べると、それなりに引き締まっているとはいえ左腕はいかにも頼りない。おまけに長いこと身体を動かすことをしていなかった病人のように血の気が無く、どこか弱々しい。当然のように静止はできなかったが、振り下ろされた右腕の一撃はわずかに遅れた。


 生まれたその遅れが罰神に回避の余裕を与えた。

 頭部に突き込まれた腕を転がってかわすと、素早く立ち上がって距離を取る。

 鋭い眼差しで牙猪を見据えてティーアードゥは言った。


「この、馬鹿者めが!」


 神の両腕が言葉の鋭さそのままに、月光を反射させる銀の刃へと変じた。

 狂乱する牙猪から吐き出された黒い吐息は疾風の如き斬撃によって引き裂かれる。雷光のように踏み込んだティーアードゥは刃の平の部分で牙で守られていない、頭部の中心をしたたかに打ち据えた。


 あまりの衝撃に目を回して尻餅をつく牙猪。

 大人しくなった巨漢に少女が駆け寄り、小さな両手を広げる。

 戸惑う相手には構わず、少女は牙が生えた険呑な頭部を優しく包み込んだ。


「大丈夫。怖くない、怖くないですよ」


「う、うう、本当、本当に?」


「ええ。あなたは悪くありません。あなたが本当はとっても優しい人だということは、ちゃんとわかってますからね。だから落ち着いて、ね?」


 慈母の如き声色で巨漢を宥める幼き少女。

 破壊され尽くした森と巨大機械を背景に、両者は月光に照らされて静かに寄り添い続けた。

 と、罰神が気まずそうに咳払いをする。


 我に帰ったように、牙猪と少女が並んで神に向き直り、揃って平伏する。

 牙猪に先程までのような狂乱の兆しはない。それでも罰神はどこか警戒しているのか、両腕を異形の刃にしたまま口を開いた。


「罪深き人の子よ。心よりその罪を悔いるならば、お前に機会を与えよう」


「それは、まことでございますか」


 牙猪は降って湧いた幸運に歓喜の声を上げる。

 先程の狂態からすればもっと大騒ぎして喜びそうなものだったが、あくまでも冷静で、感情を抑えた口調だった。罰神は何故か安堵したように腕を刃から尋常のものに戻した。


「お前が救われる道は一つ。天を見よ。大いなる太陰、最も大地に近きあの月が三度巡った後、再びこの地を訪れるがよい。それまでに、自らの罪を償うのだ。その時こそ浄罪はなされ、穢れた魂は洗い清められることであろう」


 それから、罰神ティーアードゥはいつの間にか随分と離れた所に移動していた屍の狼に歩み寄り、両腕で抱え上げた。


「この哀れな屍は私が引き取ろう。この者の魂を救う術を見つけ出し、浄罪の月に戻ってくるのだ。さすれば私がお前に道を示そうではないか」


 牙猪は跪き、深々と頭を下げて了承の意を示した。

 ティーアードゥは満足そうに頷くと、機械仕掛けの扉へ向かおうとし、既に粉々に破壊されていることに気がついて、牙猪らがいるのとは反対側へと向かう。

 そして、去り際にこう言い残した。


「まずは北へ行け。その獣道を進み、川を下るのだ。さすればヒュールサスという国に出るだろう。かの国は我が兄弟たる生と死の神が住まう聖地。お前たちの求めるものはその地にある」


 指針は示された。

 破壊された森に残された二人は再び向かい合う。

 少女が口を開く。


「それでは参りましょうか。困難な旅路も、二人で力を合わせればきっと最後まで歩き通せるはず」


「よろしく頼む――先程の礼も含め、必ずや彼を救い、君のふるさとを見つけて見せるとも」


「では私は、あなたが救われるお手伝いをしますわ。皆が幸せになれることが、最上の結末に決まっていますもの」


 柔らかく微笑む少女。

 それを受けて、ぎこちなく笑う牙猪。

 二人は並んで森の奥へと去っていく。

 いつしか月明かりは絶え、その場は夜の闇に包まれた。





「すまぬ、師範代、すまぬ、コルセスカ殿!」


 落ち着け、泣くな、鼻水を拭け、俺も気持ち悪いんだから。

 蜂蜜色の髪の幼い女の子がやってきて、優しく声をかけてくれる。


「はい、これでちーんってしましょうね、ちーんって」


「かたじけないっ、本当にっ、かたじけないっ」


 ぼろぼろと落涙しながら、コルセスカから手渡されたハンカチで盛大に音を立てながら鼻をかむ俺、というか俺を演じているチリアット。

 溜息を吐きたい気分だったがそうもいかない。とりあえず、一番自由が効く左腕でお手上げのジェスチャーをしてみるが、誰も反応してくれなかった。


 ここは舞台袖。

 急ピッチで復旧作業が進められる舞台は一度幕が下ろされており、多数の裏方使い魔たちが破壊され尽くした道具や舞台装置、床の修繕などで忙殺されている。


「まったく、やらかしてくれたな」


 使い魔たちに指示を飛ばしていたヴィヴィ=イヴロスがやって来て、頭痛を抑えるようにしながら言った。顔には舞台用に油性練り白粉ドーランが塗りたくられており、神としての威厳は完璧だった。誰かがぶちこわしにしなければだが。

 と、ヴィヴィは唐突にどことも知れぬ虚空を見ながら言った。


「ちなみにこの世界にドーランという言葉は無く、完全に私たちの趣味でしかない。異世界語の参照という、ね。漢字で胴乱という当て字を用いることすらある。というわけで、賢明なる読者、観客の皆々様方におかれましてはそこの所をご了承いただきたい」


 思わずチリアットの口を強引に使ってコルセスカに質問してしまった。


「なあ、あれはその、誰に向かって話してるんだ?」


「ああ、あれはヴィヴィお姉様の癖といいますか。時折、ああやって何も無い所から観客が見ているという設定で語り始めるのですよ。どうやら『この世界は劇である』という認識を強固にするための儀式のようです」


 そういうものなのか。高位呪術師の奇行にいちいち驚いても身が持たないが、それにしてもびっくりした。

 ヴィヴィはそんな俺たちのやり取りを聞いていたのか、苦笑するかのように肩をすくめて言葉を続けた。


「――とまあ、このような振る舞いをするとあたかも狂人であるかのように扱われてしまうというわけさ。いや、いや、全く仕方の無いことだがね。こればかりは、『第四の壁』を認識出来ない者にはわからないことなのだから」


 良く分からないが、なんか馬鹿にされた気がした。

 些末事はともかく、チリアットも落ち着いて、俺たちはヴィヴィに厳しい視線を向けられる。


「さて、シナモリ・アキラ。今、主導権はどちらにある?」


「――基本的には、師範代は『思考台本』を読み上げてくれるだけです。他はほぼ俺に一任してくれとります。もちろん、先程のように左腕は完全に師範代のものですが」


 チリアットが俯きがちに答えると、ヴィヴィは手で顔を覆って深く溜息を吐いた。まさかそこまで俺が『後退』しているとは思わなかったのだろう。


「で、アキラ。君は何だ、『宿主』を尊重するあまりに役者ではなくプロンプターになったというわけか? 私に何の断りも無く?」


 いや、何というかその、申し訳無い。

 もちろん、最初は普通に俺が役をやるつもりだったのだ。

 だが、チリアットに寄生し、『役』として『役者』の精神を塗りつぶしていく自分を感じていた俺は、あることを思い出していた。


 舞台の上に横たわる、屍の狼。

 今は舞台裏を上手から回り込んでチリアットの傍にまで来ているカインのことだ。人懐っこい犬のように、落ち込んだ牙猪の足に頭をすり寄せている。慰めてくれているのだろうか。


 結局俺は、チリアットに主導権を委ねた。肝心な所では介入するつもりだが、基本的には彼の左腕として、また脳内に寄生する【妄想の妖精クランテルトハランス】として振る舞う。

 あたかも、俺とちびシューラの関係のように。


 こういう立ち位置になってみて初めて理解できることもある。

 チリアットの、千々に乱れた感情。

 争いに向いた性質に反するかのように弱々しい心。


 嵐のように俺を殴りつける異質な思考、こちらの共感を強要するかのような巨大な感情の濁流。トリシューラやコルセスカに俺が預けてきたものが、それだった。

 端的に感想を言えば、とんでもない疲労感だ。


 よくもまあ、長いこと耐えてくれているものだと思う。俺ならとっくに投げ出しているに違いない。二人の魔女はやはり超人の類だと確信した。

 あの二人に巡り会えたという望外の幸運に安堵して、同時に強く思う。グレンデルヒを倒し、二人を必ず助け出さなくてはならない。


「すまぬ師範代。せめて、与えられた役目は果たして見せよう。もうあんな失態はさらさぬ。この牙と、我が神ティーアードゥに誓う」


 チリアットが涙ながらに言うと、ヴィヴィはやや気まずそうに返した。


「まあ、こちらの役のチョイスもまずかったのは認めよう。『史実』を重視したとはいえ、君の運命を過度に思い出させてしまう演出ではあった――まあ、何かあればアキラ、君が責任をとってなんとかするんだな。この公演が失敗して一番困るのは、君たちなのだから」


 演劇の魔女は舞台の修繕にしばらくかかるからと待機を言い渡して、その場を立ち去った。彼女も忙しいのだろう。複数の役を兼ねているので着替えもあるに違いない。随分と世話になりっぱなしである。後で礼を言わなければ。


「ねえ、アキラ。さっき、ちゃんと私の声に応えてくれましたね」


 コルセスカが、柔らかく微笑んでいる。

 左腕にそっと触れて、灰色の瞳でこちらを見上げてくる。


「あなたの左手には、私は触れられないと思っていました。トリシューラに対しての罪悪感もあるけれど――こんなことになって、こうしてあなたと手を繋げるようになったことを、私は嬉しいと感じてしまっています。だからきっと、私も罰神に罪を裁かれる側なんだと思います」


 チリアットの中で巨大な罪悪感が渦巻いて、俺の意識が前に押し出される。口の制御が委ねられて、何かを喋れと強要されていた。どうしろと。


「だとしたら、その罰を与えるべきは神なんかじゃなくてトリシューラだろ。裁かれたいなら、まずあいつを助けてからだ」


 もしかしたら、コルセスカが望んでいたのは二人一緒に裁かれることなのかもしれない。そんな思考が一瞬だけ過ぎったが、すぐに却下した。

 だとしても、古くさい神などに膝を屈したいとは思わない。俺が跪く相手は既に決めているのだから。


「――ええ、そうですね」


 少しだけ寂しそうに眉尻を下げてコルセスカは言った。

 その反応に対しては深く考えないことにして、俺はトリシューラへの想いを強く保ち続けようと決意を新たにした。恐らく、そうしなければならないほどにこれからの道のりは長い。離れた時間が、果てしなく感じられる程に。


 破壊された舞台の復旧には、今暫く時間がかかるようだった。

 左手のひんやりとした感触をどの位の強さで握り返せばいいのか、俺にはまだわからないままだ。最適な距離すら見つけられず、俺は宿主たる役者の奥底に引っ込んでいった。


 これからは、そうだな。ちびアキラとでも呼んでくれ。

 よろしくね、チリアットくん!


「ぬぅ、薄気味悪いですぞ、師範代」


 心底から薄気味悪い感情を湧き上がらせて、ぶるりと牙猪が震える。

 そんな彼を、コルセスカが不思議そうに見上げていた。

 邪険に扱われるちびシューラの気持ちが少しわかった。次に会ったら、もうちょっと優しく接することにしよう。





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