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幕間 不在の二人





 暗く深い森の中。

 月光に照らされた一人の少女――その姿に、俺は凍るような白銀の魔女を見た。

 幼く、未だ罪を知らない彼女を前にして、俺は振り上げるべき拳も、口にすべき言葉もわからず、ただただその灰色の瞳を見つめ続ける事しかできなかった。


 屍の狼を憐れんでその胸を痛める、未来の敵。

 俺は、彼女をどうすればいいのだろう。

 この、どうしようもなくコルセスカに似た少女を、俺は――。


 暗転。

 月光を擬した照明が消えて、幕が下りていく。

 序幕、出会いのシーンはこれにて終了。幕間劇を挟んで次なる場面へ。


「は?」


 幕が下りた舞台の上で、俺は呆然と立ち尽くした。

 待て。なんだこれは。

 今の今まで、俺は確かに夜の森に立っていた。


 グレンデルヒに存在を奪われ、薄れ行く意識の中で、聞き覚えのある誰かとカインによって救い出され、奇怪な空間でキュトスの姉妹たちに導かれ、過去に降り立った――のではなかったのか。


 だというのに、どうして俺は舞台の上にいる?

 周囲にあるのは森を演出する舞台装置だ。頭上には月明かりの代わりとなる照明器具。屍の狼も少女も存在する。


 得体の知れない黒子たちが忙しなく行き交う空間で困惑する俺は、舞台袖の階段から何者かがやってくるのに気がついた。

 女性だ。背は俺とほとんど変わらない。眼光鋭くも顔立ちは華やかな、男装の麗人だった。整えられた髪、化粧映えのする容姿、舞台に立てばさぞあつらえたようにぴたりと嵌ることだろう。


「『この世は舞台、ひとはみな役者』――この姿ではお初にお目にかかる。ようこそわが劇場に、シナモリ・アキラ」


 朗々と響く声に、やはり舞台がぴったりだと感じてしまう。

 わけのわからない違和感。

 彼女がこの場所にいることに対しての違和感ではない。俺がこんな場所でこの相手と対峙している事に対しての違和感である。


「私の名はヴィヴィ=イヴロス。ヴィヴィと呼んでくれたまえ。喋る剣にして役者を演じる小道具の魔女だ。これから暫く、よろしく頼む」


「ヴィヴィ――? 六十八番の? いや、それよりここは一体?」


 相手の素性はすぐにぴんと来た。つい最近、ロドウィと戦った時に左手で参照したばかりだ。自律駆動する『賢い刃』の姉妹。

 今日はキュトスの姉妹と良く出会う日だ。一体どうなっているのか、状況がさっぱり掴めない。


 ひとまず、次の場面の準備があるからと舞台袖に案内される。よく分からないままに従う。後ろから、少女と屍の狼がついてきた。

 困惑する俺に、ヴィヴィ=イヴロスは堂々たる態度で説明をする。


「ここは私の浄界、【世界劇場】の内部だよ。永劫線の中でもあるし、星見の塔でもある。虹のホルケナウにもあるから、まあ世界中どこにでもある移動劇団さ。先程ここが『注釈の世界』だと説明を受けただろう? この舞台裏、幕間は似たような時空だと考えてもらって構わない」


「いや、よくわからないことだらけで何が何だか。俺はあの扉を通って過去に移動したんじゃ無いんですか?」


「いや、君が移動したのは『お姉様方がいた場所の今』から『この劇場の今』へだよ。まあ現在から現在へ時空を超えて移動したわけだから、過去への移動と言っても差し支えないのだが」


 ああ、この感覚久しぶりだ。

 魔女から呪術の謎理論を聞かされて頭がこんがらがる、この視界いっぱいに疑問符が浮かび上がるような気持ち。どうしろと。


「この永劫線には時間が無い――いや、現世に比べて時間が有りすぎる、と言うべきかな。君の認識では捉えきれないだろうが、ここでは過去現在未来が同時に並存しているんだ。線的な時間認識ではこの時空を理解することはできない」


 なるほど、確かにさっぱり理解できない。


「そうした常識、認知の枠組みを有している以上、いわゆる過去の世界に君の肉体が移動する、というような時間遡行は君には無理だ。よって、『過去に遡っていることにする』のが一つの方法として考えられる」


「というと?」

 

「過去に遡ることは基本的に呪文の領分だ。君のように、杖以外の適性がほとんど皆無な者が時間を遡るのは難しいよ。だから杖的に遡るんだ」


 ヴィヴィは指を三本立ててそう言った。確かこれは『三本目の足』、つまりは杖を示すジェスチャーだったはずだ。


「杖的――タイムマシンでも作るとか?」


「まさか。杖的な呪文――肉体言語魔術を用いる」


 それは、公社の前首領ロドウィや【変異の三手】の副長クレイが使っていた身振り手振りによる呪術のことだろうか。

 ジェスチャーによる呪術――考えてもみれば、サイバーカラテの型が呪力を宿すのも全く同じ原理によるものなのではないだろうか。


 してみると、サイバーカラテユーザーは皆、肉体言語魔術師と言えるのか?

 もちろん、正式な資格や専門知識が無いので、『見習い』レベルではあるのだろうが、知らず知らずのうちに呪文の亜種を使っていたのだと思うと妙な気分だ。


「当然、内容はより複合的で総合的だけどね。台詞も歌も劇伴も舞台効果も! 何でもありの幻姿劇スペクタクルだ!」


「台詞――って、それはつまり」


 俺は周囲を見回した。

 確認するまでもない。ここは舞台袖で、劇場の内部だ。

 だとすれば、やることは一つだけ。


「そう、演劇だよ。即興が生み出す一回性と役者と観客の関係性、脚本と演出が織り上げる世界観、わかり切った筋として共有される物語」


 魔女の言動は芝居がかかっていた。ここが舞台であるように――まるで『舞台袖での一幕』という設定で舞台の上に立っている役者であるかのように、優雅に動いて華麗に喋る。


「『再演』――それは繰り返される過去。つまりは時空の操作だ」


 類推のような言葉だが、この世界においてはただの類推が、ただの言葉が力を持つのだ。舞台上で過去の場面を演じたならば、そこには本当に過去が立ち現れる。そんなことがあっても、何も不思議な事は無いのだろう。


「再演され続ける演目はね、『過去』であり『今』でもある。そして再演可能性がある限り『未来』でもあるんだ。演劇には時間の全てがある。時間とは演劇だ」


「つまり、過去を演じるという儀式を行うことで、過去に干渉する?」


「そういうことだ。同じ事をなぞれば、それは時空を超えて影響を及ぼす。似ている者は等しい――それが呪術というものだよ。演劇とは呪術的儀式に他ならない」


 まさかこの世界、舞台公演のたびに過去が書き換わってたりしないだろうな。

 とはいえ、俺は無数の神話や物語が直接当人に影響を与えるという前例を見てしまっている。神話の魔女コルセスカが過去から影響を受けるのなら、現代の物語が過去に影響を及ぼすことだって無いとは言えない。


 ――とすると、現代もまた未来から干渉を受けることがあるのだろうか?

 それは、なんというかぞっとしない想像だったが、ひとまず余計な思考は脇に置いて目の前の事に集中する。


 ヴィヴィの言葉を信じるなら、俺はこの【世界劇場】で再演される過去の舞台に出演し、その筋書きを微妙に歪めながら過去に干渉することで勝利への布石を積み上げなくてはならないのだという。


 グレンデルヒに勝利し、トリシューラとコルセスカを取り戻す。

 その為に必要なことならば、何だってやってみせる。

 ヴィヴィはナレーターや様々な脇役を演じてくれるらしい。共演者によろしく頼むと頭を下げて、手の甲をぶつけ合わせる。


 今後の方針が定まった所で、俺はもう一人の共演者である少女の方を向いた。

 蜂蜜色の髪と灰色の瞳、幼い顔立ちに小さな身体。

 どこかコルセスカに似た彼女は、一体何者なのだろうか。


「それじゃあ、次の幕の台詞合わせしましょうか。台本これです。丁度、あの時一緒にやったゲームで予習できてたので覚えるの楽だと思いますよ。一緒に頑張りましょうね、アキラ」


「――おい」


「はい?」


 少女は小首を傾げた。両目ともに大きさの揃った灰色の目がぱちくりと瞬きする。その無邪気な表情に、何か言いたくなって、それから大きく溜息を吐く。

 膝を曲げて目線の位置を合わせた。

 よく見れば、確かに雰囲気がそのままだ。


「道理で見間違うはずだ。コルセスカ本人じゃねえか」


「ええ。そうですが何か?」


 すっかり容姿が変化したコルセスカらしき幼い少女が、一体このひとは何を言っているんだろう、とでも言いたげな表情でこちらを見返した。

 こっちの台詞だ。何なんだお前は。

 文句を言ってやりたかったが、それよりも先に口が動いた。


「無事、だったのか」


「いえ、あまり無事とは言い難いですね。キロンに敗れた時と一緒です。私も貴方も、勝利しなければ消え去る運命。だから、この舞台、必ず成功させましょうね」


 コルセスカは僅かな不安を幼い表情の裏側に隠して、力強く言って見せた。

 俺は頷いた。


「ああ。必ず、トリシューラの所に帰ろう」


「心配することは無い。余計な妨害でも入らない限り、儀式は滞りなく進む。ここには基本的に時間経過が無いから、ほとんど誤差無く現世に帰還できるはずだ。それに、私の教え子は優秀だ」


 俺とコルセスカが決意を確かめ合っていると、ヴィヴィがそう保証してくれた。

 それにしても、もしや二人は師弟関係だったりするのだろうか。

 コルセスカが疑問に答える。


「ヴィヴィお姉様は私の擬人化と武器化のお師様です」


「要領が良くて教え甲斐の無い生徒だったよ。私はすぐにお役御免になったから、あまり師として振る舞うのもどうかとは思うが――演技に関しては幾らか与えてやれるものがあったのではないかと自負している。もっとも、君はすぐによくわからないゲームにのめり込んでしまったが」


「う、いえ、あれはあれで演劇の系譜に属するものでして――」


 コルセスカは弱り切った表情で言い訳めいたことを口にしている。

 彼女が『妹』として振る舞う所を初めて見たので、なんだか新鮮な気分だった。

 雰囲気が和やかになったところで、ふと疑問を口に出してみる。


「そういえば、どうしてコルセスカはそんな姿に?」


「存在が上書きされてしまったので、逆にあっちの過去の姿を参照して奪ってやったんです」


「交換したのか?」


「微妙に違いますが、まあ結果だけみればそうですね。それに、『そんな姿』なのはアキラだって同じじゃないですか」


「は?」


 何を言っているのか、と訊ねようとしたその時、俺は出し抜けにその事に気がついた。自分の肉体に起きた変化――いや、既にこれは俺の肉体ではなかった。

 手を見て、視線を落として身体を見る。周囲を見回して姿見を発見。駆け寄って前に立つ。鏡の中に、『今の俺』の姿が映し出されていた。


 四本の牙が捻れて自らの頭部へと向かうという、特徴的な頭部。

 どうしてこれで現状に気がつかなかったのか、我ながら不思議だが、巨大な鼻面を見て霊長類系だと考える者は少ないだろう。


 その顔は、紛れもない牙猪のもの。

 間違い無い。これは【マレブランケ】の一人、チリアットの身体だ。

 何故か左腕だけが挿げ替えられたように霊長類系の――おそらくは失われたはずの俺の左腕になっていた。


 足下に、骨の四つ脚を持った屍の狼が近付いてくる。

 変わり果てたカインが、子犬のような鳴き声を上げて頭をすり寄せてくる。

 呆然とする俺に、ヴィヴィが声をかける。


「今の君には身体がない。もちろん劇中では『ある』ことになっているけどね。だがここでは――その身体に君を演じてもらっているんだ。わかるかな。使い魔――関係性の拡張だよ。役者と観客との間に存在する共犯関係。『役者はその登場人物ではないがその登場人物であるということになっている。舞台上では設定が全て』ということだ。チリアットが君を演じているのなら、チリアットはシナモリ・アキラなのだよ」


 言いたいことはわかるし、呪術の出鱈目さは身に染みている――とはいえ、これは一体、何がどうしてこうなっているのか。

 落ち着いたはずの思考が再び千々に乱れかけて、不意に胸の奥に冷たさが広がって思考が冷静になっていく。振り返ると、蜂蜜色の髪の少女が柔らかい表情でこちらを見ていた。


 繋がりは健在なのだ。だとすれば、まだ俺は『アキラ』なのだろう。

 コルセスカが姉の言葉を引き継いだ。


「死人の森の女王の『最終的な狙い』はまだ断定できませんが、どうやら彼女には彼女なりの思惑があり、そのために私とアキラに肩入れをしたようです。この人狼と牙猪――カインとチリアットは私たちを手助けするために派遣された人員、ということみたいですね」


 死人の森の女王――その思惑は未だ判然としない。

 しかし――劇中で感じた、コルセスカに対して抱いたのと似た想い。

 あれが間違いでなければ、俺は。


「彼女のことを、私たちは知らなければなりません。この劇は彼女に纏わる、彼女を主役とした物語。それを再演し、追体験し、お話に没入して細部を隅々まで見ていけば、あるいは」


 コルセスカは、既に遠い過去の物語へと想いを馳せている様子だった。

 自らの前世。己の運命。彼女にとって、これはそうしたものに立ち向かう為の儀式なのかも知れない。おそらくは、俺にとっても。


 深呼吸して、気持ちを切り替える。

 もう一つ、確認しておきたいことがあった。


「整理しよう。つまりこうか。今、チリアットは俺の左腕を移植されて俺を演じている――あるいは俺の人格を代行していると」


 それは、まるで。


「俺は、チリアットの寄生異獣になっているのか」


 彼を蝕んで、人格を乗っ取っているというのか。

 ヴィヴィが答えるが、事実は余計に訳の分からない複雑なものだった。


「そうとも言えるし、君という左腕がチリアットという左腕以外の義体となる寄生異獣を宿しているとも考えられる。そしてそれは同じことだ」


「それは、あいつが望んだことじゃないだろう。死を誰よりも恐れていたチリアットが、自発的に俺の犠牲になろうとするはずがない。女王は、あいつにそれを強制したのか」


 救われておいて、文句を言うなどおこがましいと理解できている。

 それでも、チリアットはトリシューラの配下だ。道場の門下生だ。

 その意思を蔑ろにしていいとは思えない。

 ヴィヴィは薄く微笑んだ。何故か、とても楽しそうに。


「なら君はチリアットを演じてあげたまえ。一人二役だ。両方選ぶといい。役の幅が広がって新鮮に違いない。ただし、手は抜くな。やるからには徹底的にだ」


 選択肢は、必ずしも狭くはない。

 彼女の舞台は、とても自由だ。

 しかし、拙い即興は容赦なく非難されることだろう。厳しさと寛容さを両目に宿して、演劇の魔女は細く長い指先に光を灯して、俺の鼻先に突きつける。


「【思考台本】を用意しよう。目を通して練習しておくこと。綺麗なモノローグを心がけるといい。見苦しい内面・心理描写は観客に不快感を与えてしまう。もちろん適度なストレスで『飢えさせる』テクニックというのもあるけれどね」


 奇妙な舞台――演劇という風変わりな、そしてありふれた時間旅行が始まろうとしていた。

 チリアットが演じる俺と死人の森の女王が演じるコルセスカが、未来人の転生者と、幼い女王を演じる。


 舞台に目を向ければ、俺たちが話し込んでいる間に騒がしい幕間劇が演じられていたらしい。箒が飛び回ったりしているが、一体どんな劇だったのやら。

 さて、素人の演技がどこまで呪術世界に通用するのか、少々不安ではあるが。

 兎にも角にも、舞台の幕はそうして上がったのだった。


 


 死人の森の女王がトリシューラを捕獲していたのは、コルセスカを『上書き』するための罠だ。トリシューラは本命であるコルセスカを釣り上げるための餌でしかない。妹の存在を穢されれば、必ず姉は身を危険に晒してでも助けようとするだろう。そのことを女王は確信していた。


 銀の森の魔女フェブルウス=コルセスカとなった今、トリシューラを生かしておく意味は無い。【変異の三手】が狙うダモクレスの剣落とし――それを為し遂げるのが、主たるグレンデルヒの意思に沿うことのはず。

 しかし。


「何のつもりかな、我が女王よ」


「さあ、何の事でしょう」


 突如として練武場に乱入した屍狼――明らかに女王の使い魔であるそれは何者かの腕を咥えて不意打ちでグレンデルヒの背に体当たりを仕掛けた。

 周囲が光に包まれ、気がつけば屍の狼は跡形もなく消えていた。


 ――何故か、外世界から来た力士と言語魔術師の二人組と共に。


 想定外の事態に困惑しているのはフェブルウス=コルセスカもだった。

 加えて、『とある場所』に幽閉しているトリシューラの様子がわからない。グレンデルヒの紹介で軍勢に組み入れた守護の九槍第八位、ネドラドとも連絡がつかないままだ。自らの思惑を超えて、何か複数の事態が同時に進行しているのだと女王は感じていたが、かといって打てる手は何も無い。


 そう、彼女には待つ事しかできない。

 いつだってそうだった。

 ずっと、ずっと待つだけ。それが死人の森の女王にして、銀の森の魔女という存在の全てだ。


「答えろ」


 機械の左腕がフェブルウス=コルセスカの肩を掴んだ。

 痛みよりも嫌悪感に顔が歪みそうになって、表情を変えないように必死になって気持ちを落ち着ける。それでも不快感は止まらない。


 氷の右腕が細い顎を摘む。

 そこで、我慢しきれなくなった。

 後退して、同じ氷の右腕で相手のそれを弾く。


「グレンデルヒ様。いつまでもそのお姿のままでは、それを利用して存在を上書きされかねません。【変異の三手】ここにあり、と示す為にもどうか元のお姿になって下さいますよう、お願い申し上げます」


 丁重に、慇懃無礼にならないように気を遣って謙る。

 女王たるフェブルウス=コルセスカがそのような態度をとらなくてはならないという事実に、この上無い屈辱を感じてしまう。


 それでも。

 恥辱に塗れてでも為し遂げなければならないことが、彼女にはあった。

 戦いの中、敗北して気を失っている副長の一人、クレイに一瞬だけ視線を送り、即座に目を伏せる。


 グレンデルヒは無表情になって女王を睥睨し、それから左手で顎を撫でた。


「いいだろう」


 圧縮された呪文が詠唱されて、グレンデルヒの姿が道着からスーツに変化する。両腕は生身のままだが、恐らく奪い取った紀元槍の制御盤――【アーザノエルの御手】と【氷腕】の権能は掌握しているだろう。使おうと思えばいつでも使えるという状況のはずだ。四英雄筆頭にそうした面での手抜かりは無い。


「まあ、良しとしよう。イアテムもそうだが、そのような気概を持っている者でなければ面白くも何とも無い。造反大いに結構。しかし、自分でも事態を制御できないようではまだまだと言わざるを得ないがね」


 ――やはり、何もかも見透かされている。

 

 唇を噛んで、女王は瞳を揺らめかせた。 

 その時だった。

 絶叫と共に、凄まじい破壊力が押し寄せてくるのを感じ、グレンデルヒとフェブルウス=コルセスカは同時に分かれて飛び退った。


 両者の間の空間を、壮絶な速度で突き抜けていく暴力。

 それは弾丸であり、突撃槍であり、一人の泣き喚く男だった。




 嘆きの速さで飛翔して、涙の弾丸を撃ち放つ。

 盗賊王ゼドは、同盟者たちの余りにも無惨な敗北を目の当たりにして、深い悲しみに包まれていた。


 その瞳から涙がこぼれ落ち、顔は悲痛に歪んでいく。

 死人の森の女王が唱えた呪文によって動きを封じられていた彼は、悲しみの声を上げると共に呪術の縛鎖を破壊した。迸る呪力が右手の拳銃を変異させていく。

 

 質量が増大した呪具は、槍のような形状になっていた。

 ゼドは浮遊する箒のような形状の長槍と平行な姿勢をとり、石突き近くのフットペダルに両足を乗せ、穂先に近い位置にある銃把を握る。石突きから放射状に展開された噴射口から圧縮された呪力が推力を生み出す。


 槍であり銃であり空飛ぶ箒でもあるその武装を、【愴銃】という。

 キュトスの姉妹が二十三番目、【無力女王】フィルティエルトの作りだした旧世界の遺産、そのうちの一対。左の【喜銃】とは異なり、右の【槍銃】は使用者の悲しみを弾丸に変える。


 ゼドは感情を切り離して戦う。それは手段であり目的でもある。

 同じように感情を他者に預けて戦う男に興味を抱いたのは、そうした事情もあったし、もう一つの共通点からでもあった。


「俺はまだ、お前から答えを聞いていないぞ、アキラッ」


 こぼれ落ちた涙は悲しみよりも怒りの色合いを帯びていた。

 迸る感情の如く、雷火となった弾丸が激しい呪力の波と共にグレンデルヒに叩きつけられる。通りすがりざまにばらまいた弾丸が派手に破壊を撒き散らし、通り過ぎた後で急速に旋回して再び突撃。


 槍の穂先が呪力の稲妻を収束させて地上最強の男に突きかかる。

 対するグレンデルヒは、素早い動きでカード型端末を引く。人差し指と中指の間に挟まれた札が光り輝いた。


 封印された呪術が発動し、突撃するゼドと拮抗する。

 地上が誇る英雄同士の、激しい鬩ぎ合い。

 しかし、その実力差は歴然としていた。

 余裕に満ちた表情で、グレンデルヒが問いかける。


「誰かと思えば貴様だったか、残飯漁り。どうした、また私のおこぼれが欲しいのかね。他人の功績を掠め取るしか能のない卑しい犬めが」


「いけしゃあしゃあと、アキラの身体でそれを言うのか――!」


「これは私の身体で、今までの功績も物語も全て私のものだ」


 不遜な宣言と共に、ゼドが吹き飛ばされる。

 グレンデルヒは何一つ恥じる素振りも見せず、高らかに宣言した。


「私が奪った者は全て私のもの。私が征したものは全て私のもの。私のものではないものは、これから私が征服し、簒奪すべきものだ。わかるかねどぶ攫いの王よ? 厳しい競争原理から逃げて楽な戦いばかりをしている貴様には分かるまいが、これがこの世界の本当の法だ」


 殺せ、奪え、勝ち取れ。

 地上の原理原則を内面化した、地上最強の英雄は、探索者の頂点に相応しい人格と言動で非正規探索者の頂点を糾弾する。

 正面からの対決に敗れ、倒れ伏したゼドは立ち上がれないままだ。


「私は簒奪者。全世界が私のものになっていないのは、単に優先順位の問題に過ぎない。全てのものには価値がある。存在した時点で市場の原理に晒され、競争の中で試される。そう、全てが試されるのだ。そこでは人も、ものも、役務も、財も、聖や俗、貴や卑、呪術でさえも価値を試される」

 

 演説をするかのように両腕を広げて喋るグレンデルヒの周囲に、不可視の呪力が拡散していく。それは彼の強固な世界観。この世界を塗り替え、確定させる圧倒的なまでの『現実』である。


「さあ、戦え! 私に何もかもを奪われたくなければ立って戦うがいい! 嫌ならば屈伏し、服従せよ! そして虎視眈々と私の隙を探り、叛逆の牙を研ぐがいい! 生きている限り、闘争し、競争し、高みを目指せ! そして私を楽しませろ!」


 狂喜するかのようなグレンデルヒに、ゼドはよろめきながら、歯を食いしばりながら立ち上がる。

 絶望的な実力差――勝つための材料などどこにもない。

 今は、まだ。








 シナモリ・アキラが『扉の向こう』へと送られた後のこと。

 【注釈の世界】にて、キュトスの魔女が一人、【扉職人ハイパーリンカー】ヴァレリアンヌが声を上げた。


「あっ、やっべ」


「どうしたの」


 反応したのは長姉ヘリステラ。車椅子の女性は、年齢の分かりづらい顔を怪訝そうに歪めた。何か嫌な予感がしたのだ。

 案の定、


「やー、さっきリンク貼って転生者さんあっちに送ったじゃないですか。そしたらキーワード『アキラ』で括られてもう一人まとめて跳ばされちゃったっぽいんですよねどうも。ほらあの力士? とかそういう人が」


 などと、ヴァレリアンヌは軽く危機的な状況を口にした。

 ヘリステラは頬に手を当てて一言だけ呟く。


「あら」


 現在アキラを乗っ取りつつあるグレンデルヒに影響が無いのは、その本体が既に『グレンデルヒ』と化しつつあるからだ。アキラは塗りつぶされ、彼のアキラ性が薄れているのである。


「やー、うっかりっていうかまさか同じ名前の追っ手がかかるなんて負のご都合主義は流石の私も予想していなかったですよ。それともこれも誰かの仕込みでしょうかね。とりあえず、やばいと判断して咄嗟に転移先の座標は変えておきましたけど。これって私ファインプレーじゃないですか?」


「うーん、そうねえ。咄嗟の対応としては上出来だと思う。よくやったわ。それはそれとして、ワレリィ?」


 ワレリィというのは、ヴァレリアンヌの愛称である。

 姉妹の十四女ワレリィは小首を傾げた。短めの緑髪が揺れる。


「はい?」


「ひとまずこの事態に対応して――この一件が終わったら、折檻部屋に【扉】を繋げなさいな」


「ひっ」


 ヘリステラの、大輪の花が咲くが如き笑顔は老若男女問わず見惚れるほど美しいものだったが、ワレリィは顔面蒼白になって白目を剥き、口から半透明のエクトプラズムを吐き出した。


 ワレリィは存在の核をエクトプラズムに固定し、霊魂を肉体から遊離させてそのまま【扉】の一つからの逃亡を試みるが、姉は容赦なく霊的物質を鷲掴みにすると強引に妹の口の中に戻した。


「逃、が、さ、な、い」


「あがががが」


 心温まる姉妹同士のやり取りから遠く離れて、ある【扉】の一つから、脂肪と筋肉、超杖技術が凝縮された怪物的な巨大質量が古代世界に落下していた。

 その場所はあたかも巨大隕石が落下したかのように陥没し、地殻が抉られ、衝突際に発生した熱はマントルを融解させ、多量のマグマを吹き出させた。


 幾多の岩石が蒸発し、そこに存在していたあらゆる生物が死滅した空間。

 その中央で、ゆっくりと彼女が立ち上がる。

 それは丸く、重く、そしてひたすらに大きかった。


 身を起こした巨体の持ち主は周囲を見回して、その異常に気付く。

 巻き上げられた塵埃は本来ならば天高く昇り太陽光を遮ることで地球規模の寒冷化を引き起こし、古代世界に長い冬をもたらすはずであった。


 しかし、現実はそのようにはなっていない。

 周囲は既に闇に包まれていた。

 そこは夜の世界。

 天頂に世界の出入り口たる穴――夜月スキリシアが開いた、漆黒の底。


 飛び散った塵埃は残らず闇の中に消えていき、空を飛び交う吸血蝙蝠たちの【生命吸収】によってことごとくが生態系の中に還元されていく。

 女の足下を小さな鼠たちが走り回り、異変を嗅ぎつけた悪霊レゴンたちが遠くから様子を窺っている。


 外世界人は、内世界と呼ばれる『世界の中に構築された世界』を見ても驚かなかった。彼女の世界にも、似たような内世界は存在する。

 シミュレーテッドリアリティ――下位レベルの異世界を構築することも、その異世界の中で同じように異世界の構築を行わせることも、それを繰り返し続けることもまた可能になっているからだ。


 理解できるからと言って、即座に対応できるわけではない。

 次の行動をどうするか、共に落ちてきた相棒――情報構造体の青年と話し合っていると、変化は外部から訪れた。


 鼠が、蝙蝠が、おぞましい悪霊たちが一斉に逃げ出していく。

 月明かり一つがたった一つの光源である世界。その暗い闇の中でさえなお色濃い黒がじわじわと這い寄ってきている。


 それは黒い靄――瘴気ミアズマと呼ばれる異世界特有の物質。

 漆黒の衣に包まれた何者かが、夥しい量の瘴気と共に外世界人たちの目の前に現れたのだった。


「このような辺境に、お客人とは珍しい。一体どのようなご用件かな」


 男のような、女のような、正体の掴めない声が響く。

 存在感がひどく薄いというのに、異様な不吉さを感じて女は息を飲んだ。

 黒衣の人物と、どのように接するべきか判断がつかない。


 この場で攻撃を仕掛けるのが最善であるようにも、友好的な対話を試みるのが最善であるようにも思える。判断基準が何も無い状態では、外世界人はひとまず自らの内側の経験を参照するしかない。


「待って。これ、日本語? おかしくない? いや、いいのか?」


(確かに妙だな。というか、そもそもこれはどういう状況――いや、ここはどこだ? 本当に『異世界』でいいのか?)


 外世界人たちは自らが目にしている光景に疑問を抱く。

 そして二人は目の前に糸が垂らされている事に気がついた。

 それは『目に見えないことになっている糸』だ。


 役者と観客とを遮る透明な壁と同じように。

 暗幕が演出する『闇の世界』という了解と同じように。

 人形の手足を操っているが、それは無いものとされている。

 実際であり虚であるもの。


 仮想的な糸。

 それらが自分たちの手足に絡みつくのを感じて、二人は即座に『了解』した。

 何を?

 無論、役柄を、だ。


 劇にも色々ある。

 人が行う演劇ならば役者が台本を覚えなければならないが、そうではない劇の形式も存在する。


 たとえばそれは、『人形劇』のような。

 人形使い一人が筋書きを理解していれば、それは正しく執り行われる。

 故に、人形たちは何も考えず、操られることに甘んじていればそれでいい。

 ただただ、定められた流れをなぞるだけ。


 迷い人という役柄を正確になぞった二人の異邦人は、見知らぬ地で偶然の出会いを果たし、歓待を受けることになる。

 黒衣の人物は言った。


「ここはドラトリア。夜の民が暮らす、小さな王国だ。私は一応、この国の王、ということになるのかな。カーティスと言う。よろしく」


 ――暗転。




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