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4-6 白骨迷宮

「陛下。お願いがございます」


「貴方は陛下って言ったり大姐って言ったり先生って言ったり、呼称が安定しないよね。まあ何でもいいけど」


 トリシューラであることすら認識していれば。

 言外の意味を含ませながら、振り返りもせず答えた。


 赤い髪の少女はドローンを操作して家畜化された男女を搬送させて行く。向かわせた先は巡槍艦ノアズアーク。


 ガロアンディアン――どころか世界最先端の技術の結晶であるあの場所ならば、壊された心身を少しずつ『修復』することも可能である。

 心とは、脳を含む肉体の全てでありその認識が及ぶ連関全てだ。少なくともトリシューラはそう定義している。


 例えばトリシューラにとってそれは機械としての自らの意識と部品、更にはそこから派生して彼女の創りだしたもの、そしてある瞬間においては使い魔たるシナモリ・アキラもその中に含まれる。


 破壊された脳細胞を『ちびシューラ』を原型としたプログラムと機械に置き換え、人格を傷つけるばかりのここでの記憶を全て消去した後、そこにいるのが果たして元の『その人』なのかどうかは定かでない。


 そして、彼ら彼女らはその後もトリシューラによって飼われることになる。

 何かしらの文化的な活動を行わされ、ミームを生産するだけの家畜となる人生。

 それは果たして、外から見たときに先程までの状況とどれだけ差があるのか。


 このカルカブリーナは、何をそんなにかしこまっているのだろう、とトリシューラは思う。

 らしくない――期待した性能スペックとは違う行動。

 それは敬意のつもりなのか。彼の履歴、性格傾向のデータは把握している。


 三ヶ月前のエルネトモランの『事件』でのこと。

 第八魔将ハルハハールの魅了呪術によって離反したロシン=バズイ隊の中で、ただ二人理性を保っていた二人のうち一人を殺害し、松明の騎士団を裏切った男。


 その後、魔将側が劣勢に陥るや否やサイバーカラテアプリを用いて裏切ったロシン=バズイ隊を鎮圧。

 動きだけ見れば最適解だと言える。魅了された裏切り者たちの中で一人理性を説いた所で泥沼の戦いになり、無意味に死ぬだけだ。


 元々近接戦闘を得意としていなかった彼は、サイバーカラテを身につけ、更に不意を突くことで状況を打開した。

 だが、仲間殺しは事実だ。それも、異獣と化した相手をやむを得ずに殺すというようなものではない。


 修道騎士の共有記憶に全ての証拠は残されていた。

 行動は正当であり他に手段は無かったという声と、罪は罪であり裁かれるべきであるという声が上がり、議論が交わされた。


 が、正規の裁判を待つこと無く結果は出てしまった。

 槍神教のとある派閥によって捕縛された彼は、苛烈な拷問を受けたのだった。

 開頭され脳髄を洗浄され全身の骨を砕かれ更には皮膚という皮膚を火炙りにされた彼は、死にかけで当時まだ序列十位であったバル・ア・ムントに救出された。


 全身の皮膚の大半を失った状態で生命活動を維持することはできない。

 呪術でかろうじて生きながらえさせることは可能だが、莫大な維持コストを個人で賄い続ける事は到底不可能だった。


 そこでリールエルバが手を差し伸べる。

 裏切り者として処断された男はガロアンディアンに送られ、そこでトリシューラの特殊な処置を受けて失った皮膚を取り戻したのだった。


 第五階層の住人が獲得する物質創造能力。それによって、自分で自分の皮膚を絶えず維持することで彼はかろうじて生命活動を行えている。

 彼は第五階層から出れば即死する身であり、アキラ同様、根っからのガロアンディアン人となる他に道は無い。


 【マレブランケ】の一員カルカブリーナとして新たに生を受けたその男を、トリシューラはそこそこ重用していたが、同時にある程度までしか信用していない。

 冷静に状況を把握し、保身と危険性の天秤を良く見極めようとする慎重な性格。

 それは長所であり短所でもある。


 どちらも同じ性質に由来するものだ。無理のない指示、無理のない配置をすれば正常なパフォーマンスを発揮するだろう。むしろ扱いやすいタイプだった。


「どうか、俺を降下する部隊に加えて下さい」


「【鬼火】を助けたいんだね?」


 しかしどうしたことだろう。

 そんな彼が、危険に満ちた地下へと積極的に向かわせて欲しいと自分に頭を下げている。おそらくは、窮地にある誰かを助け出す為に。

 らしくない。データを参照しながらそう思う。


 無論、理屈はわかる。

 バル・ア・ムントは彼にとって恩人だ。

 加えて、もう一つ、より大きな事情があった。


「俺は槍神教が運営する孤児院で育ちました。あの人もそこの出身です。時間を見つけては、あの人は顔を出してガキどもの面倒を見てくれていた。俺も世話になりました」


 補足すれば、バルは修道騎士としての少ない給料を孤児院に寄付していた。

 休みの日は職員の手伝いとして(つまり給金は出ない)働く男の評価は高い。

 人格者、あるいは模範的な修道騎士である彼は名実共に序列十位の座に相応しいと言えるだろう。


「お兄さん――ううん、年齢差を考えればお父さん、といった所なのかな」


「それは――その」

 

「変に照れてると真剣さが伝わらなくって無視されるかもよ? 私、前に痛い目を見て以来、行動重視だから」


「そ、そうです。親の顔は知りませんけど、親父みたいだと思ってました!」


 素直でよろしい、と少女はそこでようやく振り返った。

 跪くカルカブリーナはゴーグルを額に持ち上げて、視線をトリシューラに向けている。強い意思のこもった眼差しだと、表情筋の動きと強ばり方から判断する。


 個人の歴史から生起される『物語』は呪文の領分だ。

 個人の性能から予測される『機能』という杖の領分からは逸脱した動き。

 間近に迫った言語魔術師試験、その実技科目を思う。

 一級になれないのは、実技で点を取れないから。


「うん、いいよ」


 ――少しだけ、思うところがあったけれど。

 柔らかく微笑んで、トリシューラは嘆願を聞き入れた。


「そもそも、アキラくんを回収しなきゃだし。私が直接降りるよ。護衛である貴方にも当然ついてきて貰う」


「ありがとうございます」


 礼には及ばない。本当に、最初からそのつもりだったのだから。

 ちびシューラから送られてくる情報から、下の状況は把握している。

 問題は無い。アキラは大丈夫だ。


 けれど、彼と過ごした時間の積み重ね、僅か三ヶ月ほどの出来事と。

 それまでに彼を想って待ち続けた長い長い時間を参照すると、何か合理的な優先度を超えて、行動を急かすような衝動が生起される。


 これが高位の呪文だろうか。

 機械語から低水準言語、中間言語、高水準言語、自然言語へと翻訳を繰り返すという膨大な処理を積み重ね、ようやく呪文という処理の本質に間接的に迫ることができるトリシューラに、言語魔術師としての才能は乏しい。


 人ならぬ身で擬似的に紡がれる呪文。

 似たような適性を有する競争相手、メートリアンに杖では圧勝しながらも呪文では僅かに負け、そして追い越して、という事を繰り返しながらここまで来た。


 三ヶ月ほど前から、あの白い好敵手はその資質を更に急成長させている。まるで止まった時間が急激に動き出したかのように。

 同じく準一級である彼女は、きっと今回の試験で一級になるだろう。

 自分が落ちていてはお話にならない。たとえ専門分野でなくてもだ。


わたしたちからは遠いようで近い呪文げんごか――アキラくんにとって、それはどんな意味を持つのかな?」


 小さく呟く。

 ちびシューラにも伝えない、トリシューラの中でだけ完結する問い。

 緑色のまなざしは、深く開いた穴の奥へと吸い込まれていった。

 







 激昂しているにも関わらず、撤退の判断は迅速だった。

 槍を持って車輪のように回転するバルが死人を蹴散らし、俺の左腕がロドウィの腹部を激しく打ち据え、続く肘打ちが会心の手応えを返す。


 修道騎士が突き出す燃えさかる赤い穂先が珊瑚の角と激突し、無数の泡は彼が持つリールエルバ特製の護符によって防御される。

 松明の騎士団屈指の剛力と槍捌きは全力のロドウィすらたじろがせるものだった。不利を悟った巨大な蛙は跳ねながら闇の中に逃げていった。


 恐らく諦めてはいないだろう。機会を窺い、必ずまた襲撃を仕掛けてくるはずだ。腹を決めた復讐者の執念深さと厄介さは悪鬼の件で実感している。

 人造の狂怖種ホラーもまた乱戦の際に手傷を負ってどこかに消えていた。


 周囲の死人を倒し、ロドウィと戦っているうちに最初に落ちた場所からかなり離れてしまったようだ。

 バルの照明だけが頼りだが、そこは更に複雑さを増した地下迷宮の第二層。

 上に戻るためにはどうにかトリシューラと合流しなければならない。


 幸い、ちびシューラの同期は切れていない。

 位置情報をやり取りしながらお互いを目指していけばじきに合流できるだろう。

 問題は無い。

 ひとつを除けば、だが。 


「ええと、バル・ア・ムントさん」


「バルで構わんよ。ガロアンディアンの頂点たる女王陛下の直属の使い魔なんだ。あまり腰を低くしていても格好がつかんだろう――あー、というか、よくわからんのだがこの『さん』というのはどの程度の意味合いの敬称なんだ?」


 難しい事を訊ねられた。

 つってもこの世界にも敬称は色々あるだろうしなあ。


「いや、まあ、割と大雑把ですよ。親しくても使いますし、目下の相手にも目上に相手にも使います。どっちかっていうと丁寧さを示す感じでしょうか」


「おお、そりゃ便利だ」


 少なくとも、現代日本ではそうだと俺の知識が言っている。

 『ら有り言葉』を始めとした日本語保存運動――多分にナショナリズムと結託した『正しい日本語教育』を施された世代である俺は、前世紀とほぼ変わらない言語感覚を有している。


 古めかしい言葉遣いをする子供を、両親は少し戸惑いながらも砕けた言葉遣いで育てていたのだと、コルセスカが教えてくれたことがある。

 吸血をした後、キロンとの戦いで失われた記憶の断片から再生できた内容を少しずつ語るのが恒例行事となりつつあった。


 内心で首を傾げる。

 吸血鬼というものは、どいつもこいつも情が深いものなのだろうか。

 厳密にはコルセスカは夜の民とやらではないらしいが、しかし。


「で、その引きずってる奴のことですが」


「あー。まあ、な」


 燃えるような髭面が、気まずそうな表情を作る。

 バルは気を失った刺客――クレイをここまで連れてきていた。

 気絶した大の男を片手で運びながら戦うその腕力と技量は大したものとしか言えないが、しかしどうなんだこれは。


「殺すべきです」


「まあ、待ってくれねえか」


「情報を聞き出せる可能性、それとロドウィと人造ホラー、更に死人や想定外の脅威が襲ってきた時の戦力として使える可能性がある――」


「おお、そうそう、それだそれ!」


「――そういうことを考えても、トリシューラを害しようとするその男は危険です。恐らくロドウィを上回る一級の肉体言語魔術師で、あの白眉のイアテムと同格と推測可能な【変異の三手】の副長の一人。生かしておく危険の方が大きい」


 というか、恐らくバルがクレイを助けようとしているその理由は後付けだ。

 それよりも優先すべき『直感』が修道騎士を動かしている。

 何か、覚えのある話なので何となくそれが理解できた。


 バルは視線を黒衣の男に向けて、静かに口を開いた。


「こいつ、巻き込まれそうになった――その、あいつらを庇っただろう」


「善でも悪でも、それがトリシューラの敵なら殺すだけです。逆に問いますが、その男が自己犠牲の精神を持たない人間だったら、悪だから殺していいのですか。更に言えば、その行動だけで善か悪かを判断できますか」


「だがよ、行動したのは確かだろう。他がどうであれ、そこだけは揺るがねえ」


 重々しく、バル・ア・ムントは即答した。

 俺はあまり、こういうことは考えないようにしているのだが。

 歳の差を感じた。


 俺の言葉を――恐らくは、もっと様々な矛盾やどうしようも無さを身に染みて感じ、考え抜いてきた先に彼は立っているのだろう。

 今指摘したような事は、すぐに考え、それでもなお行動したに違いない。


「生きてりゃあ、何かしら違う道があるかもわかんねえだろう。最後には殺す事になるかもしれねえけどよ。いやまあ、お前さんが立場上その拳の行き先を決めなきゃなんねえってのは重々承知だ」


 参ったな。

 リールエルバの側近と対立し、後々に禍根を残したくない。

 優先順位は明らかなので、まあ殺すんだが。


 どうにかバルを殺さず無力化して無防備なクレイの首をへし折るとしよう。

 越えられない壁があるにせよ、実力的にはあのキロンに次ぐほどの猛者である。

 容易くはないだろうが、仕方無い。そう考えた時。


(アキラくん。手持ちの端末に【陥穽】あったでしょう。それで捕縛しといて)


 ちびシューラの発言に思わず眉根を寄せる。

 いいのか、本当に?


(うん。ちょっと思うところがありまして。敵側の情報が欲しいのも事実だしね)


 それが主の命令とあらば、俺は従うまでだ。

 トリシューラの意向を伝え、カード型端末を使ってクレイの上半身を拘束する。光の帯が胴ごと腕を雁字搦めに縛り上げた。


 ロドウィの呪術による負傷はバルが持っていた高位治癒符によって応急処置が済んでいた。

 相変わらず凄まじい効力だった。


 ただ、トリシューラのお陰で治癒符の価値は下がりっぱなしだが、市場に氾濫したせいで『神秘の零落』とやらが起こり、肉体は癒せても精神を癒す効力は低下しているらしい。クレイは目を瞑ったままうなされるように苦しんでいた。


 念のため両手首を折り曲げると、彼は額に脂汗を浮かべて唸る。

 これであの手刀は使えないだろうが、手持ちの技があの肉体言語だけとも思えない。油断は禁物だ。


 トリシューラたちがこちらに向かっているとのことなので、合流すべく移動することになった。バルはクレイを担ぎつつ甲冑の光で前方を照らし、俺がちびシューラの誘導に従って行き先を告げる。


 地下迷宮は、ひどい腐臭に満ちていた。

 足下には原形を留めていない腐肉が散乱し、足を踏み出すと脆くなった骨が容易く砕かれていく。


 しかし壁を構成する骨は意外なほど強固で容易くは破壊できない。

 バルが持っていた壁を撤去するための呪符は既に尽きていた。

 あったとしても、とても量が足りないだろう。


 横に五人程度並べばもう狭苦しくなってしまうほどの道幅。

 天井だけが異様なほど高く、暗がりに包まれて先が見えない。

 たまに襲ってくる死人を撃退しながら進んでいく。


 トリシューラと合流する為には元来た道を戻ればいいだけなのだが、奇妙な事に骨が組み上がって出来た壁は少しずつ動いているらしく、迷路の構造は刻一刻と変貌しているようだ。

 

(んー、そっち右、じゃないや。今道が変わったっぽいから、一つ前の十字路に戻って左、あ、また変わった)


 ちびシューラの誘導もどこか歯切れが悪い。

 むしろ一カ所で待機していた方がいいだろうとごく当たり前の結論に至り、近くにあった広い部屋に留まることになった。


 そこだけ、骨ではなく石造りの部屋だった。

 燐光を発する呪石や幾何学的な形状の呪具が溢れた、何らかの呪術的な施設。

 腐臭よりも薬液の匂いが鼻につく。


「公社はこんなとこにまで施設を作ってたのか?」


 トリシューラの執務室を思わせる、生物的な部位の数々が並んでいる。

 液体の中に浮かぶ人体や臓器、壁一面に陳列された肉塊、どのような生物のものかもわからぬ異形の骨、軟体動物の剥製――ここは一体何の為に存在する施設なのだろうか。


「いえ、これは多分【変異の三手】の施設でしょう」


 バルの疑問に答えながら、推測の根拠を述べる。というか、露骨過ぎて逆に自信が無くなってくるのだが。

 三本の手が生えた三角形の図像がそこかしこに刻まれている。

 

 そう思わせようとする偽装にも思えるが、何か呪術的な力を働かせるために必要なことのようだ。

 この図像のおかげで、神だか天使だかの加護が部屋に充溢しているとちびシューラが説明してくれた。


「ここで待ってりゃいいんだよな。やれやれ、全く迷宮ってのはいつまで経っても慣れねえな。面倒で仕方ねえよ」


「どちらかというと、防衛任務が主だったと聞いていますが」


「ああ。ま、第二階層の攻略辺りまでは前線に行かされてたがね。それ以降は内輪で武功の調整だの派閥同士の争いだのとうるさくてな。何の因果か、当時の団長が弱らせた巨人を倒して十位になっちまってよ。それ以来は前線の防衛指揮と地上勤務を行ったり来たりだ」


 確か、この壮年の修道騎士はそこそこ古参だったはずだ。

 元帥位たる迷宮の主が『帰還』する前から戦い続け、魔将や巨人たちの猛攻を凌ぎ続けたという猛者。


 松明の騎士団という組織について訊ねるとすれば今だ。

 アズーリアのこと。

 キロンのこと。

 そして、現在の団長であるという――。


「お、目覚めたな」


 バルの言葉通り、呻き声を上げながらクレイが目を開いた。

 瞬時に状況を理解して、拘束から逃れようとするが、その前にバルが短剣を抜きはなって鼻先に突きつける。


「悪いが大人しくしてくれ。でないと殺さなきゃならなくなっちまう」


 自分で言い出した事だからと、バルはいざという時は自分で始末をつけるつもりのようだった。

 クレイは逃れられない事を理解して、端整な顔を屈辱に歪める。


「――殺せ」


「残念だが、そういうわけにもいかねえよ。協力的になってくれれば脳髄洗ったりしなくて済むんだがな」


 短剣が顔に近付けられていく。

 クレイは上半身を起こしたまま仰け反ろうとして、体勢を崩した。

 後頭部が壁に当たる。


「ん?」


 思いのほか柔らかい感触だったのか、クレイは訝しげな声を上げて振り向いた。

 壁一面に、無数の乳房が並んでいた。

 義肢技術があまり一般的でないとはいえ、神経や筋肉が通っていない脂肪の塊、見た目だけそれらしくするものなら存在する。


 クローン技術的なものは幾通りか種類があるらしく、錬金術という呪術の一分野でそういった研究が盛んに行われているらしい。

 ここにあるのは、その技術を応用して培養された人体の部位のようだった。


 あるいは呪術的な儀式に使うものもあるというから、きっとそういった用途のためのものだろう。ちびシューラが地母神がどうのと言っているがよくわからない。

 それにしても、これだけ大量に並べられると逆に一切いやらしさを感じない。

 

 俺は一定以上の性的な興奮を覚えると自動的にコルセスカによって感覚が遮断されるのだが、それすら必要としないほどだ。

 人体というのは突き詰めれば肉の塊でしかなく、ただ『それだけ』を大量に突きつけられても何ら魅力を感じないというわけである。というか何か気持ち悪い。


 というわけで、壁一面に並ぶ乳房を見た俺とバルは完全に無反応だったのだが、意外な反応が一つ。

 クレイが失神した。


「は?」


 え、その反応はマジなの?

 しばらくうなされていたが、比較的すぐに目を覚ました。

 今度は壁のものを見てもどうにか気力で意識を保ったようだが、顔から血の気を引かせて目を逸らす。


「おのれ、何と卑劣な――」


「なぜ俺を睨む」


 というかこいつの所が作ったものだろうに。

 あれかな、管轄が違うとか?

 それとも単に現場を知らないだけか。


「あ、浅はかだな。くく下らんいい色仕掛けもどきなどどどお俺には通用――」


 声、めっちゃ震えてるんだが。

 俺はクレイの馬の尻尾のような黒髪を引っ張った。


「ほれ」


「やめろっそれを近づけるんじゃないっ」


 反応が面白すぎる。

 弱った相手を強引に壁際に追い詰めていく俺を、バルがやんわりと窘めてきたがあえて断る。

 これは多分、有効な尋問手段だ。


「き、貴様、シナモリ・アキラ! いずれ必ず斬る! 絶対に殺してやる! ここから出た後、首と胴とを切り離してやるからな!」


「はいはい、お前がその前に乳離れできたらな」


「俺が乳離れできていないとでもっ」


 クレイの眼光が一層鋭さを増した。

 弱点はこの辺かな。


「何、親を大事にするのはそう悪い事でもない――ところでお前、クレイ=ライニンサルって言うらしいけど、グレンデルヒ=ライニンサルの関係者か?」


「何故俺の名を!」


 宣名しただろうが。

 アホなのか。こいつはまさかマジのアホなのか。

 こんなんが副長で【変異の三手】は大丈夫なんだろうか。


「グレンデルヒ=ライニンサルに息子がいるってデータは無いそうだが、お前は四英雄の一人とどういう関係だ?」


 訊ねるが、当然のように黙り込む。

 バルが顎髭をいじりながら口を開いた。


「隠し子って線はどうだ。見たとこ十代後半だろ。そんくらいのガキこさえててもおかしくはねえ」


「なるほど。じゃあそれで確定かな。それで、お前の大好きなパパの話が聞きたいんだが――」


「違うっ! 俺はあのような屑を好いていないし、あんなものは父親ではない!」


「そうか。クレイくんは何故かグレンデルヒを嫌っている、と。【変異の三手】に所属していて姓が同じなのに」


 自分が余計な情報を喋ってしまったことに気付いて、クレイがはっとして口を抑えようとする。

 が、両手首を折られている事にそこで気付いたのか、痛みに眉をしかめて動きを止めた。


「しっかりと乳離れができていてパパに反抗したいお年頃のクレイくん。ならママのことも大嫌いなのかな?」


 痛みの瞬間、気の緩んだ意識の間隙に滑り込ませるような問いかけ。

 露骨に小馬鹿にしたような口調を意識して作りつつ、相手の動揺を誘う。

 ちなみにこれは俺が言ってるように聞こえるが全部ちびシューラの代弁である。

 ほんと性格悪いな。


「俺は――」


 意外にも、クレイは妙な反応をした。

 俯き、固く口を閉ざす。髪を引っ張って壁に近づけても必死に耐えるだけだ。

 彼にとっての聖域があるとすれば、きっとここなのではないか。


 トリシューラにとって、『がらくた』は禁句だった。

 それと同じく、クレイにも触れられたくない核心のようなものがあるのだ。

 その後も、【変異の三手】の目的は何かについて尋問を続けるが成果は上がらない。まあその道の専門家ではないので仕方無い。


 しかし、一つだけクレイが答えた事柄があった。

 それは、イアテムが口にしていた【ダモクレスの剣】とは何か、ということ。


「あれはこの虚栄の王国を切り裂く剣だ。選定された担い手が女王を斬り殺すことで、かの剣を支えるか細い糸は断ち切られ、『滅び』が墜ちてくる」


「つまり、特定の誰かがトリシューラに攻撃を加えるっていう儀式なんだな? 特定の段取りを踏むことで発動する大規模な呪術ってわけか」


 だとすれば、トリシューラの意識総体レベルが九段階なので八回までなら殺されても大丈夫、などと言ってはいられない。

 一度でも殺されれば、トリシューラが完全に滅びを迎える前にガロアンディアン全体が壊滅的な被害を被る可能性がある。


 物理、呪術双方の面で機能する防衛システムが存在するとはいえ、相手側もそれを理解して強力な儀式呪術を用意しているはずだ。

 戦略級のマジックミサイル、あるいはそれ以上の大量破壊兵器が投下され、未曾有の災厄が引き起こされると考えた方がいい。


 トリシューラは己の存在を世界に示し、自らを完成させるために行動を起こした。だがその事で、自分以外に守るべきもの――王国とそれを構成する国民が生まれてしまっていた。


 ガロアンディアンの崩壊が即トリシューラの破滅に繋がるわけではない。

 だが致命的な失敗は彼女の存在に大きなダメージを与え、本来の目的が遠ざかることを意味する。


 やはり、トリシューラは未だ不死の魔女からはほど遠い存在なのだと実感する。

 三ヶ月前、俺たちは最大の強敵であったキロンを打ち破った。死をも踏み越えた俺たちに敵はいないとまで思えた。


 だが、【変異の三手】は確実にトリシューラの弱点を攻めてきていた。

 これはトリシューラの戦いでもあり、ガロアンディアンという王国そのものの戦いでもあるのだ。

 クレイが、刃のような視線で俺を睨め付ける。


「この呪術を作り上げたどこぞの呪術師は異世界かぶれらしくてな。貴様の世界から様々な引用を行い、この世界の呪術と組み合わせているのだ」


「そいつは、トライデントの細胞なのか?」


「何だ、それは?」


 クレイが訝しげな顔をする。本当に知らないように見える――が、演技かもしれないしそもそも彼に知らされていないだけかもしれない。


(異世界かぶれね。末妹候補だとライムとかブルーとか――あとオーカー、アレかぁ。うーん、別口って線もあるんだよね。異界からの引用は『星見の塔』の専売特許ってわけでもないから。それにしても剣かあ、うーむ)


 ちびシューラはぶつぶつと呟いていたが、結論らしきものは出ないようでそのまま沈黙する。

 クレイからもこれ以上の情報は引き出せそうもない。

 沈黙に包まれた室内が突如として揺れ、轟音が響く。


「来やがったか、一体どいつだ?!」


 バルが言っているのは、ロドウィと人造ホラー、あるいは死人のどれが襲いかかってきたのか、ということだ。

 答えは、無数の泡が爆発したことで明らかになった。


 珊瑚の角を持つ蛙、ロドウィが襲撃を仕掛けて来たのだ。

 バルが槍を回転させて爆圧を防ぐ。槍術というとキール隊のトッドやキロンの正確無比な槍捌きを思い出すが、バルの槍は正確さに加えて豪快さがある。


 重量のある尖端部を縦横無尽に振り回し、迫り来る無数の泡を吹き散らし、爆発ごと吹き飛ばす。燃え上がる穂先はロドウィの角と寸分違わぬ美しい赤。使い手の気質を反映してか、纏う呪力の性質は泡と炎という違ったものだったが、それらは全く同じ『珊瑚』に根ざした力だった。


 異獣であるジヌイービの角を加工した槍。ロドウィの呪術を無効化できているのはその材質ゆえらしい。泡に対する防御をバルに任せて、俺は既に起動準備状態にあった左腕を換装。


射影三昧耶形アトリビュート六十八番(ヴィヴィ=イヴロス)


 左手首に環状のパーツが装着される。そこから細い軸が伸びていき、先端の球体から光の粒子が広がっていく。

 左腕とほぼ同じ大きさの武装が出現。


 手で持つ訳ではないが、それは旋棍に似ていた。

 ただし、それは打撃武器ではない。

 腕と平行に肘の辺りまで伸びる、分厚い片刃の剣である。


 迫り来るロドウィの巨体を迎え撃つ。

 珊瑚の角による刺突を、手首から迫り出した旋棍刃トンファーブレードが受け止めた。

 公社四姉妹の一人、アニスが使っていた武器を思い出してロドウィが激昂する。


「舐めた真似をっ」


 絶叫を無視して、腕を振って斬撃を繰り出す。

 ロドウィの掌が盾を表現し、展開された不可視の防壁が攻撃を防ぐ。

 ならば、これはどうだ。


 刃の角度を直角に変える。左側で刃が高速回転を開始。風を纏った刃が相手の防御をガリガリと削っていく。

 一気に押し切って、踏み込みながら右の掌打を放った。

 後方に跳躍して打撃の勢いを殺したロドウィは『遠当て』の構えをとる。


 厄介極まりない攻撃をバルが超人的な槍捌きによって『穂先で打撃を逸らしていくような素振り』を見せつけて防いでいく。


 気迫に満ちた武術の型を見せつけるロドウィに対抗するには、こちらも大げさな演武を行えばいい。

 俺もまた、サイバーカラテのインストラクション動画を撮影している時のような心持ちで技を繰り出す。


 しばしの間、お互いに演武合戦を続ける。

 距離を置いたまままるで近距離で戦っているかのような動作を繰り返す俺たちは、傍から見れば何かを演じているようだったかもしれない。


(解析完了――演武動作の最適化を実行)


 ちびシューラの声が脳内で響くと同時に、サイバーカラテ道場が提示する型に変化が加わる。

 サイバーカラテには基本となる型の演武が無数にある――というより、ありとあらゆる型のデータの集積こそサイバーカラテ道場の土台なのだ。


 それらの最適な組み合わせ、微細なアレンジ、様々な派生系の合成。

 演武の多彩さ、見せ技の『華』においてサイバーカラテは他の追随を許さない。

 加速する型の振る舞いは真に迫り、やがてロドウィの『説得力』を凌駕する。


「発勁用意」


 演武による戦い。この土俵で俺の負けは無い。

 足下を踏みしめ、伝達された力を虚空へと解き放つ。

 張り詰めた空気が引き裂かれ、最適化された右の掌打がロドウィを打ち据えた。


「NOKOTTA!」

 

 巨体が仰向けに吹き飛ばされていく。俺は彼に触れていないにも関わらず。

 俺はただ演武を行っただけだが、相手の認識が自らにダメージを与えたのだ。

 演武における負けを無意識に認めてしまい、ロドウィの肉体言語が定めたルールによってこちらの『遠当て』が成立。つまりは自滅だ。


 勝利――のはずだが、これで本当に終わりだろうか。わざわざ仕掛けて来たからには、何か必勝の策があるはずだ。

 予感は当たった。ロドウィは素早く身体を起こすと、一つだけ泡を出現させて弾けさせた。小さな泡の中に押し込められていた巨大質量が出現。


 人造ホラーだ。様々な種族をごた混ぜにしたような異形が、ロドウィの動きと連動するように蠢く。

 いや、実際にあれは連動しているのだ。蛙がジェスチャーというかパントマイムめいた動きをするたび、人造ホラーも同じように動く。


「暗き深淵よ、我が呼びかけに答えよ。水底とは死、泡とは生、息吹こそ記憶――ハザーリャよ、この者に力を与えたまえ!」


 ロドウィの詠唱と同時に、人造ホラーが壮絶な呪力を発する。

 俺にもはっきりと知覚できるそれは、耳を劈く絶叫となって部屋を揺らし、どぎつい原色の光となって部屋中を照らした。

 そして。


(やばっ、アキラくん逃げてっ)


 ちびシューラの警告がかろうじて間に合い、俺は飛び退って致命的な一撃を躱すことに成功した。

 バルは間に合わなかった。クレイを蹴り飛ばして部屋の隅に逃がした彼は、その隙に背後から首を斬り飛ばされてしまう。


「あらあ? これはこれは、どこかで見た顔だと思ったらお髭が燃えるおじさまじゃありませんの」


 暗がりの中に出現したのは、小柄な少女だった。

 ふんだんにフリルがあしらわれた丸襟のブラウスは、返り血で赤黒く染まっている。豊かな金髪は螺旋状に巻かれている。それらは触手のように蠢き、ドリルのように高速回転すると自らの頭部を穿孔していく。


「あががががが」


 幼くもあどけない表情が歪み、穴という穴から赤黒く汚穢に満ちた液体が溢れ出す。傘のように広がったパニエスカートの下から、この世のありとあらゆる生物を凝縮した混沌そのもののような異形の本体が姿を現した。


「あーあーあーあー♪」


 少女の上半身よりも遙かに巨大な異形の怪物。

 複合種コンプレックスの上位種たる狂怖種ホラー、その頂点にして全ての根源たる真の狂気と恐怖が具現していく。


(最悪! ホラーっていう類似を利用して、死んだはずの端末体を擬似的に復活させたんだ。ハザーリャの加護は死の記憶を再生することもできる――ロドウィは多分、過去に防衛戦に参加して『あれ』を見たことがあったんだ)


「あらあら? わたくし、どうしてこんな所にいるのかしら。このイェレイドは死んだはずですが」


 脳漿を零しながら可愛らしく小首を傾げる少女の顔から、二つの眼球がぽろりと落下する。空洞の眼窩から飛び出してくるのは、長大な視神経と繋がったナメクジのような何か。舌が無数に裂けると、中から唇が飛び出してゲラゲラ笑う。


 生理的嫌悪感をかきたてるようなおぞましい異形の少女。

 ちびシューラがもたらすのは、最悪の情報。


(第十六魔将、【歪な荘厳】イェレイド! まずいよアキラくん、あれは端末体でもエスフェイルより強い、形而下世界の頂点に立つ大魔将だよっ)


 評判だけなら俺も聞いた事がある。

 第六階層の掌握者にして最悪の毒婦。

 地獄の中心たるジャッフハリムにその悪名を轟かせる呪われた暴虐の化身。


 少女の頭蓋から這い出した巨大な黒蛇が鎌首をもたげた。這いずった後から漆黒のアルテミシアが生え、腐臭を放つ液体を垂れ流していく。黒蛇が喇叭を吹き鳴らすと腹部が破裂して無数の流星が解き放たれる。解放された炎と質量が天に散らばって星空を形作っていった。


 十九の魔将の中で最悪にして最強。

 『不在』そのものを具象化する幻想の超現実。

 未知の恐怖、形而上の無形を形而下の有形に落とし込む変換装置。

 イェレイド・ジャッフハリム。 


 これこそがロドウィの切り札。

 かつて死んだ魔将を甦らせるという必勝の策だったのだ。

 だがその代償は大きいのか、ロドウィは肩を上下させながら荒く息を吐き、かろうじてといった態で両腕を動かしている。


 人造ホラーを利用して、その上でロドウィ自身も絶えず集中して儀式を続けなければならないとすれば、ロドウィさえ叩けばどうにかなる可能性が高い。

 

(呪文系のネクロマンシーは、『代弁』や『演技』によって行われるの。あの大魔将はロドウィが人造ホラーを操って演じさせている人形劇みたいなものだよ)


 相手がどれだけ強敵でも、相手にしなければいいわけだ。

 方針を固めた時、大魔将イェレイドが首を真横にぐるぐると捻りながら喋り出した。頭部が独楽のようにスピンを開始する。


「まあどうでもいいですわね。皆殺し皆殺し、ズターク様のように皆殺し。鏖殺おうさつこそ大魔将の生き様ですわーもう死んでますけ、れ、どっ」  


 次々と叩き込まれるのはカマキリの刃だ。

 無数の斬撃を回避し、左腕で防御していく。

 凄まじい剛力と速度、そして異常な物量。


 大魔将が内包する混沌の中からありとあらゆる生物が姿を現す。象の鼻が振り回されて先端の岩石が叩きつけられた。たまらず回避するがその先で待っていたのは象牙の弾幕。左腕の刃が旋回して全て弾いていく。


 【賢刃】ヴィヴィ=イヴロスの真骨頂。

 この武装は相手の攻撃を学習して動作を最適化する上に、俺が意識しなくても全自動で機能してくれる。

 サイバーカラテ道場と連携する機能まで有した、人工知能搭載型義肢。


 刃の自動防御が圧倒的な手数を凌いでいくが、本体の突進までは防ぎきれない。

 血まみれの少女が見た目からは想像も出来ない腕力で掌打を放つ。

 右腕で防御するが、派手に吹き飛ばされて壁に激突。大量の乳房がクッションになって助かったが、衝撃で動けない。


 追撃してくるイェレイドに、燃える火の玉が激突。

 更に首のない修道騎士の身体が槍を振り回して突進を押し留める。

 俺を助けたのは、バル・ア・ムントだった。


「前にアインノーラに首をやられてから、すっかり取れやすくなっちまってよう。クセでも付いてんのかね。参ったぜ」


 胴体から切り離された頭部が真っ赤に燃え上がりながら平然と喋る。

 吸血鬼として新生したことで異名を改めた序列十三位の修道騎士【鬼火】は、分離した頭部を自在に動かし、胴体が槍を振り回すことで二方向からの同時攻撃を行うことができる。


 その間に俺はロドウィを攻撃しようと走る。

 目の前に、巨大な影が立ち塞がった。

 分裂し、増殖したイェレイドがにたりと笑う。


 天井から、床下から、壁から、ありとあらゆる場所から異形の少女が這い出して、俺とバルに一斉に襲いかかってきた。

 トリシューラたちが部屋に到着したのは、丁度その瞬間だった。


 凄まじい物量に押されて一瞬で満身創痍となった俺とバルを、修道騎士たちの一斉攻撃が救う。

 カマキリの刃が、象の鼻が、蝉型の大蛇が、筒状の鳥が、槍による刺突や爆破の呪術によって吹き飛ばされていった。


 さらにトリシューラが突撃小銃による掃射を行う。

 ばらまかれた銃弾が怪生物たちを次々と血の海に沈めていき、カルが弩から撃ち放った小型の手榴弾が炸裂して獅子の頭部を持った大蛸を吹き飛ばす。


 だが、大魔将はそれでもケタケタと笑いながら増殖を繰り返す。

 不死身――というよりも単純に生命力が桁違いなのだ。再生しながら自らの体内で交合と生殖を繰り返し、急速に成長した生命群が一つの生態系となって地下空間に溢れていく。


(最上位の生命賦活呪術、【楽園の抱擁レストロオセ】――ああもう、本当に面倒なんだからこの魔将!)


 ちびシューラの憤慨に全面的に同意する。

 孤立した俺とバルは奮戦を続けるが、敵があまりにも多すぎた。

 俺たちは更に分断される。俺はかろうじてトリシューラ側に逃れる事に成功したが、バルが奥の方に追い詰められてしまう。


 歪な少女の腹部から飛び出した巨大な触手がバルに絡みつく。

 胴体と頭部を同時に捕獲すると、触手から伸びた無数の棘が肌を突き刺して侵入していく。野太い絶叫が上がった。


「いつの間にか吸血鬼になっていましたのね?」「ただ潰しても死なないかしら?」「なら【生命吸収】で残らず吸い尽くしてさしあげましょう」「わたくしの生命の渦に取り込んでさしあげましょう」「永遠に生き続けられますわよ」


 泡立つ液体の中から無数に出現し続ける少女の顔が次々と言葉を投げかける。

 とぐろを巻く黒蛇と黒いハーブが蔦のように修道騎士に巻きついて、生理的嫌悪感を催す異音を発しながら粘液を垂らしていく。無理矢理開かされた口の中に汚穢に満ちた液体が注がれた。


 この世のものとは思えない絶叫。

 屈強な男が白目を剥くほどの苦痛。

 バルの舌が、一瞬にして黒ずんでしまっていた。

 吐瀉物を喉に詰まらせ、鼻から胃液と血を噴出させていく。


「あーら駄目ですわ」「苦いからって好き嫌いはいけません」「仕方の無い人」


 嘲笑しながら地獄の拷問を続行する大魔将イェレイドに、誰も有効なダメージを与えることができない。

 そんな中、カルは諦めていなかった。

 必死になって呪符を、呪石弾を、矢を、投槍を、次々と投げ放つ。


「親父から離れやがれ、畜生っ」


 しかし、圧倒的に火力が足りなかった。

 ロドウィに対する呪術狙撃は容易く防がれてしまう。状況を打開するには、大魔将が展開する混沌の壁を切り開いて直接ロドウィに一撃を叩き込むしかない。


 間の悪いことに空間制御義肢、十四番は整備中だった。

 高威力かつ高射程の最も使い勝手の良い義肢だが、損耗しやすく燃費と整備性が悪いという欠点がある。

 基本的に、高度な技術を用いている武装ほど高いコストが要求されるのだ。


 一か八か、火力特化の十番あたりに換装してフォノニックブラスターで生物群を焼き払いながら突っ込むか。

 決意を固めたその時だった。


「俺を解放しろ、僣主トリシューラ」


 クレイが、倒れた状態のまま要求した。

 刺客がトリシューラに近付いたことで、天井の暗闇から半透明の大剣がゆっくりと出現する。先程の話が聞いたとおりならば、クレイがトリシューラを殺害したとき、ガロアンディアンは滅ぶ。


 修道騎士の一人が槍をつきつけるが、トリシューラはそれを手で制した。

 内心の掴めない微笑みを浮かべて、クレイを見下ろす。


「貴方なら、混沌を切り裂いてロドウィまでの道を作り出せるのかな?」


「俺は剣だ」


 呪術師同士の、意味の圧縮されたやりとり。

 であっても、その提案に乗ることは狂気の沙汰だ。

 そもそもこの男は敵である。おそらくは拘束から逃れる為の取引としてこんな事を言い出したのだろうが――。


「あの男には借りがある」


 あ、そっちか。

 気絶する直前に運ばれたのを覚えていたのだろう。命の恩人であるという意識がこのような行動をとらせているらしい。クレイの瞳はあくまで愚直だった。

 

 トリシューラはかすかに微笑みを深めて、足先でクレイの細い顎を持ち上げる。

 一瞬だけ苛ついたが、どうしてかは不明。


「いいよ。ただし貴方には【誓約】をしてもらう。試験勉強で覚えといて良かったよ。いい実技の練習になるし。ちなみに記憶や認識を改竄したり言葉遊びで契約をすり抜けようとしても無駄。私の罰則は物理的な振る舞いを感知して発動する。たとえ過失や教唆された結果であっても、情状酌量は一切しないからそのつもりで」


「ふざけるな、貴様の思い通りになどなってやるものか」


「内容は簡単。この第五階層の『女王』に忠誠を誓うこと」


 怒気を露わにしていたクレイが沈黙する。

 愉悦に満ちた口調でトリシューラが言葉を重ねた。


「どうしたの? まさかできないのかな? できないはずがないよね。第五階層の『女王』が誰か、貴方は信じているものね? ふさわしくないものは『女王』には絶対にならない。だからふさわしいものだけが『女王』になる。簡単で当たり前の約束事――ねえ、まさかその事を信じられない?」


「貴様、どこまでこちらのことを――」


「全然わかんないよ? 貴方の参照先が古今東西のデータをさらってもさっぱり見つからないの。どうしてだろうね? ねえこの場で推測を言ってもいい?」


「――わかった、誓う。当然だ、その誓いならばとうに立てている!」


「はーい、契約成立ー♪」


 意味不明のやり取りの果てに、トリシューラの呪術が発動してクレイの全身を契約の文言が取り巻いていく。

 クレイは拘束の帯を解除されていく。当然銃口や槍の穂先が突きつけられたままだ。窮状にありながら、男は強くトリシューラを睨んだ。


「後悔するぞ」


「それは多分、貴方のほう。信仰が打ち砕かれ、這い蹲って屈辱に身を震わせる貴方の姿が目に浮かぶよ。改悛の後、貴方は私の靴底を舐めるの」


 何かひっかかるやり取りだな、と感じつつも、俺は突入の準備を始めた。

 下手な動きを見せれば即座に集中攻撃を受けるとはいえ、クレイはトリシューラを狙う気は無い様子だった。


 俺にへし折られた両手首をトリシューラが手際よく戻し、治癒符を使用して応急処置を行う。固定符が添え木となって両手を手刀の形にした。

 クレイが目を瞑り、優雅に手を伸ばしていく。

 細く長い指先が、闇をそっと切り裂いていった。


 負傷しているとは思えないほどの滑らかな動きに、思わずその場にいた誰もが目を奪われる。

 その圧倒的な存在感は、ロドウィのジェスチャーの意味すら切り裂いて大魔将の存在強度を減じさせるほど。


 男は戦場のただ中で踊っていた。

 重心を移動させ、軸足から全身が飛躍を果たし、個別の部位が分裂したかと思うような広がりを見せると、目を見張るような重力からの解放がなされる。


 それは劇剣。

 それは剣詩舞。

 剣を持たずして剣そのものを体現する身体芸術パフォーマンスアート

 

 複雑な工程を経た『振る舞いによる呪文』が発動し、おぞましい混沌の群れが不可視の斬撃によって片端から引き裂かれていく。

 蹂躙される肉塊の向こうにロドウィの巨体が見えた。

 俺の疾走開始と前後するように、トリシューラがカルに突撃小銃を手渡した。


「俺は、銃なんて――」


「そうだね。今までの貴方はボウガンまでが限界だった。けれど【マレブランケ】としてはそれじゃまだ足りないな。階梯を昇って、その覚悟の程を私に見せて――カルカブリーナ」


 逡巡は短かった。

 俺に追随するようにして走り出した彼は大魔将に向かって銃弾を掃射していく。

 【銃士】ではない者が銃を――それも高度な杖技術の産物たる自動小銃を使えば、その反動は命すら一瞬で奪いかねない。


 しかし銃撃は止むことなく、カルの叫びは雄々しく闇の中に響きながら圧倒的な大魔将の肉体を破壊していく。

 カルが囚われていたバルを救出したのを確認して、俺は闇の中を走り抜ける。


 ロドウィはもはや虫の息だった。

 気力のみで大魔将を制御して、その命に換えても同胞の仇をとろうとする姿。

 支配し、搾取する対象にはどこまでも残酷に振る舞い、身内に対しては人の良い老人として振る舞う。


 どこまでもありふれた地上らしい俗情。

 その在り方に、救われたこともあった。

 これは俺からの、せめてもの手向けだ。


「介錯だ――世話になったな、首領」


 左腕の【賢刃】が、俺に代わって恩人の殺害を実行する。

 閃く刃が蛙の巨体を引き裂いて、最適効率でその息の根を止めた。

 崩れ落ちる老人は、旋回する刃を見てふっと穏やかに目を細める。


「おお、アニス――私の娘よ、共に、あの海をまた――」


 術者が死亡したことにより、大魔将イェレイドもまた哄笑しながら消滅していく。後に残ったのは人造ホラーの遺骸だけだ。

 無数の端末を分散させて使役する最強の大魔将。いずれ、本体と戦うこともあるのだろうか。


 背後で重いものを取り落とす音がした。

 カルが銃の反動に耐えきれず、純粋な杖の産物を支えきれなくなったのだ。両腕が血まみれだが、この世界の住人が突撃小銃を使用してあの程度で済んでいることが既に傑出した才能の片鱗をうかがわせていた。


(うん、やっぱり見込んだとおり、彼は才能あるね。鍛えればそこそこの銃士になれる。まずは簡単な構造のものから慣れさせていこうかな)


 ちびシューラは部下が才能を開花させたことでご満悦な様子だった。

 んん――さっきから、何故かは分からないが奇妙な感じだ。何も問題はないはずなのに、どうしたというのだろうか。


 カルが瀕死のバルを支えながら治癒符で応急処置をする。吸血鬼の生命力が凄まじいとはいえ、まだ時刻は昼である。地下なので再生力は高まっているだろうが、大魔将の拷問を受けている以上、安心は出来ない。


 呪術医としてトリシューラが駆けつけ、その場で治療を開始する。

 迅速な救命措置によって壮年の修道騎士の首が繋がり、やがて息を吹き返した。

 カルは跪き、顔を俯けてただ礼を述べる。


(やったー、セスカっぽくゲーム的に言うと、部下の忠誠度上昇!)


 お前それ口にしたら色々台無しだからな。

 頼むからそのまま曖昧で意味深な微笑を保っててくれ。

 それが一番女王っぽいから。


(はーい)


 手を上げて元気に返事をするちびシューラは、とてもじゃないが激戦を繰り広げた直後とは思えないほど脳天気だった。

 と、俺は密やかな動きを察知して足を踏み出す。


 勝利後の隙を狙い、修道騎士たちの囲みを逃れていたクレイに向かって左腕を振るう。刃が手刀と激突し、硬質な音が響いた。

 鍔迫り合いながら、少しだけ顔を近づけて囁く。


「逃げるのか?」


「黙れ」


「襲ってこなかったのは、一瞬だけ認めかけたからだろう。あいつが、『女王』に相応しい、と」


 クレイの灰色の瞳が揺れる。

 誓約の内容は、『女王』に忠誠を誓うこと。

 彼がトリシューラを『女王』だと認めてしまえば、もう手出しはできない。

 

 クレイは、倒れたバルを、それを案ずるカルを、そして二人を助けるトリシューラを見て、小さく口の中で舌打ちする。

 それから憎悪を込めて、俺を見据えた。


「俺は――認めない。僣主は殺す、『女王』の敵は俺が一人残らず斬って捨てる。必ず――必ずだ。いずれ、貴様も斬る。勝負は預けるぞ、シナモリ・アキラ」


 クレイはそう言い捨てると、素早く飛び退って闇の中に消えた。

 俺はトリシューラの意向通り、あえて追撃せず、それを見送る。

 そうして、地下の戦いは終わりを告げたのだった。






 それから長い時間をかけて地下迷宮の破壊、各種施設の破棄を完了した俺たちは、ようやく第五階層に帰還した。

 夜間照明に照らされたガロアンディアンは、もうすっかり夜になっていた。


 負傷した者たちは一旦巡槍艦で預かることになり、俺たちは帰途についたのだが、その途中、トリシューラが俺に近付いてくると何やら意味深に笑いかけてくる。いや、彼女がそういう微笑みを浮かべるのはいつものことなのだが。


「ねえねえ、アキラくんちょっと機嫌悪いよね?」


「は? そうか?」


「うん。ちょっと怒ってるっていうか、嫌だなーって思ってるよ。セスカに遮断されるくらい大きな不快感じゃないけど、ストレス感じてる」


 そうだろうか。

 言われてみれば、奇妙な凝りが胸の中に残っているような。

 なんだろう、これは。


「それはねえ。嫉妬だよ」


「は?」


「私が別の人を足蹴にして、屈伏させようとしたからむっとしちゃったんだよね」


「何を馬鹿な」


「カルカブリーナを叱咤して、目的を達成させる力を与えて、服従させたからむーってふくれちゃったんだよね」


「とりあえず、その俺に似つかわしくない表現やめろ」


 というか、嫉妬?

 意味が分からない。

 それも足蹴とか服従とかがトリガーになって嫉妬するってどういうことだよ。

 何に対する嫉妬なんだ、それは。


「うんうん、アキラくんにもようやく従順なペットとしての自覚が出てきたみたいだね。調教の成果が出ているようでなにより」


「誤解を招くようなことを言うのはよせ」


「大丈夫だよ。帰ったらいっぱい踏んづけてあげるから」


「しなくていい」


「そう? 疲れてるだろうから、腰を踏んでマッサージしてあげようと思ったんだけど。私もペットと戯れて心を癒したいんだけどなー」


「――まあ、そういうことなら」


(口実って重要だよね)


 やめろ、俺が踏まれたがっているかのような事を言うのはやめろ。

 並んで歩くトリシューラが、じりじりと距離を縮めてくる。

 彼女はちょっとだけ前に出た。同じ高さにある頭が少しだけ前に傾いて、こちらを覗き込むような姿勢になる。


「本当に仕方無いなあ、アキラくんは。私は貴方のママじゃないんだよ? 本当は、何があっても一人でちゃんとできなきゃ駄目なんだよ? こんなに私に依存してて大丈夫?」


 ――返す言葉も無い。

 今日のことだって、俺の方が彼女を守らなければならないのに、結局は彼女に助けられていた。使い魔失格だ。


「しょうがないな。アキラくんは私がいないと生きていけない最低の駄目人間、ううん、人間以下、それどころか人間未満の動物だもんね。全く思考しないし下半身はいっつも発情期でだらしないしほんっとサイテー」


 トリシューラの緑色の瞳がきらきらと輝いた。変わらない微笑みを湛えた表情が、こんな時だけは得意げに華やいでいる。

 トリシューラさん、俺を罵倒するときすっごく活き活きとするよね。


「アキラくんのことをこんなに一生懸命面倒みるような人、私だけだからね? セスカが他の相手をかまってる間も私はアキラくんの相手してるし、セスカはアキラくんだけじゃないけど私はアキラくんだけだし」


 両手を後ろで組み、少女は数歩前を行く。赤く艶やかな髪が揺れた。

 馬の尻尾のように括られた髪の一房が、夜の中に踊る。

 その軽やかな動きに、目を奪われた。

 赤い軌跡を描きながら、トリシューラが振り返る。


「ずっと、離してあげないから」


 そして、宣言する。

 魔女のように。女王のように。獣のように。

 俺を咥えて離さない、獰猛な笑みを浮かべて。









 闇の中で、クレイは目を伏せて跪いていた。

 その前に立つのは一人の女性。

 暗がりに包まれてその容貌は判然としないが、イアテムやクレイと行動を共にしていた最後の一人であった。


「このような醜態を晒してしまい――申し訳ありません」


「いいんですよ」


 柔らかい言葉が、クレイを包み込む。

 その言葉こそなによりも耐えがたい責め苦であるかのように、端整な表情が歪んだ。赦しは、甘く優しく心に直接触れてくる。


「すべて赦します。だって、私は貴方のママですからね。何があっても、私がいますよ。全て委ねて、安心して微睡んで――そうして休んだら、また頑張って立ち上がればいいんです。貴方は本当は、とっても出来る子なんですから」


 どこまでも穏やかに、女性はクレイを赦し続ける。

 無条件の許容。

 それは同時に、どこまでも甘えを赦さない、無条件の信頼でもあった。


「私はいつでも貴方の味方です。ずっと後ろから応援していますよ――だから、いつか一人になってもクレイは大丈夫」


 それは確定した約束。

 子が巣立つ事を望む、当たり前の母としての愛情を、クレイは震える瞳を目蓋で隠し、静かに受け入れた。

 苦しみを、必死に押し隠しながら。


 そんな、クレイの懊悩を見下ろしながら。

 灰色の瞳が、暗い愉悦と情欲に濡れていく。

 魔女のように。女王のように。獣のように。

 嗜虐と加虐と赦しと愛に染め上げられた、穏やかな笑みを浮かべて。











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