4-1 道場
目の前には、もう何度相対したかわからない紅と白の道服を纏った長身の男。
半身を前に出し、腰を低くした構えには隙が無い。
指は左が親指のみの一本貫手、右が四本貫手。
乱数を参照して不規則に揺らめく光学幻像が脚の動きを隠している。視界隅で二頭身のキャラクターが予測精度の低下を告げていた。
問題は無い。いつも通り。こちらのコンディションは正常だ。
俺は深く、静かに気息を導引しながら、左の義肢を前に出して構えた。
「いざ」
六淫操手の異名を持つ男は、整った顔を獰猛な喜びに歪めてそれに応じる。
「尋常に」
二人同時に、道場の床を足裏で叩く。
踏み込んだ。
俺ことシナモリ・アキラと、ロウ・カーインの何度目になるかも分からない戦いがそうして幕を開ける。
新生したサイバーカラテ道場が過去の対戦データを参照してそこから推察されるカーインの初撃パターンを提示。
最も蓋然性の高い一つをサジェストするちびシューラのアシストに従って鋭い貫手の連撃を回避。
だが、敵は俺が予測して回避することを予測していた。
右手による貫手を外側に躱す。
右側面に回り込んだ俺を、信じがたい速度で放たれた後ろ回し蹴りが襲う。
だがその組み立ても予測済み。
硬質な左手で防御して右の掌底を鋭く突き出す。
右足が床を軋ませ、布に包まれた右腕が上段蹴りを繰り出して無防備なカーインに直撃する――いや。
鳴り響くアラート音。
飛び退ると同時に、俺の鼻先を掠めていったのは、カーインの長く伸ばされた頭髪だ。三つ編みにされたその先端に、光沢を放つ目玉のような宝石が輝いている。
(天眼石だね。強力な魔除けでこっちの世界だと知覚を強化するって効果もあるよ。多分、頭髪に疑似神経を通して『気』を流してる)
ちびシューラの解説通り、あの呪宝石と髪には脅威を感じる。
漠然とした勘などではなく、風を切る音が重かった。
十分な力が乗った、後頭部から生えた第三の腕による打撃。
そう考えても差し支えないほどの鋭さ。
「ほう、躱されたか」
「髪型変わってると思ったらそういう仕込みかよ」
構え直すカーインの背後で、独りでに動く三つ編み。まるで蠍の尻尾のようだ。
『気』を流しているという言葉が確かならば、あの髪で『点穴』を突くことも可能なのだろう。貫手同様に一撃必殺の武器だと考えておくべきだ。
全く、相変わらず厄介極まりない。
動揺を冷たい感覚が打ち消していく。
冷えていく思考で次なる攻め手を選択。
「神経通してるってことは痛覚もあるんだろ。千切り飛ばして未体験の痛みを体験させてやるよ」
「試して見るといい。君の双腕ならば十分に可能だろう」
挑発的に笑みを作るカーイン。
誘われている、と判断した。
ちびシューラも同様の結論に至ったらしく、上昇した頭髪部位の脅威度に修正と注釈を加える。
ロウ・カーインが繰り出す脅威度の高い攻め手はそれ自体が必殺の一撃でもあるが、同時に誘いでもある。
防がずにはいられない致命打。それを複数持つことで、相手の行動を任意の方向に誘導する。
奴のこれ見よがしな上体の動き、次々と入れ替わる貫手の形、内側が判然としない両足の移動経路、視線、表情、言葉、何もかもが情報の提示によってサイバーカラテの予測を誘導する為の『情報的牽制』である。
この上なく相性の悪い敵。
だからこそ面白い。
接近時にばらまかれる『風邪』のウィルスは事前の霊薬投与によって対策済み。
それとて対策の対策を立てられている可能性がある。
対策の講じ合い、その果ての読み合い、読ませ合い。
最適な戦術を予測するサイバーカラテの行き着く先は、突き詰めれば『運』のようなものまで入り込む。
戦術の選択に気紛れな乱数を持ち込むのは趣味じゃないが、牽制の中にそうしたパターンを織り交ぜることで相手を撹乱するのは十分に有効だ。
ちびシューラが提案するコメント付き戦術案が拡張された視界を流れていく。
上等だ。読まれてからがサイバーカラテの本領発揮だということを教えてやる。
先の先まで行動を選択して、腰を低く落とし、右半身を前に、木の床を軋ませながら重心を移動させていく。
表示されたデフォルメ仮想拡張人体を赤い光が下半身から順番に満たす。
新生してもきっちりと再現されたままの「GOOD!」と「CHAIN!」の文字が交差して、お馴染みの文字が仮想人体の胸部分に表示される。
導引した気息と共に、音にして吐き出す。それは宣言だった。
「発勁用意」
俺が踏み込んで、カーインが吠える。
「NOKOTTA!」
乱舞する文字列。
躱される拳打と脚撃。
道場の冷えた空気が、そうして加熱されていく。
負けた。
冷たい感覚が感情を制御するが、俺が冷静になっていくのとは逆に、視界隅でちびシューラがじたばたしながら悔しがっている。
「お疲れ様です! 師範代!」
「カーイン先生、次、俺と手合わせお願いしまっす!」
「残念ですが、今回は僕との先約がありますので。先程の師範代との戦闘データから戦闘プログラムに改良を施しました。現在の予測精度は完璧。僕の勝利確率は揺るぎない十二パーセントです」
「低いなおい」
眼鏡をきらりと光らせながら、赤い道着に身を包んだ線の細い少年がカーインの前に出る。
あー、ファルはインドアユーザーとしては最高に優秀なんだけどなあ。
サイバーカラテはその性質上、実際に手足を動かすのではなく観戦やシミュレーションだけを室内で行い、最適な戦術プランを提示したり効率的な動作プログラムを構築したりといったユーザーが重宝される。
他人の戦いを見るだけというもどかしさ、「下手くそ、俺ならもっと上手くやるのに」という感情の行き場を具体的に形にできるのがサイバーカラテのいい所の一つだ。実際に観戦者の方が上手くやれるかどうかは公の場で試される。
実のところ、サイバーカラテを下支えしているのはこうしたインドアユーザーたちである。実践も行うファルのような両立タイプもいるが、大まかに二極化したサイバーカラテユーザーは、俺のようなアウトドアユーザーが彼らインドアユーザーの実験台となりデータを提供することで助け合っているのだ。
まあ世の常としてどちらが偉いだのこっちの苦労も知らない癖にだのと対立が発生したりもするのだが――ファルはそういうのに嫌気が差してなら実際に戦ってみせればいいのだろう、と奮起したらしい。気合いの入ったことだ。
道場の隅で水分を補給している俺の目の前で、眼鏡の少年があっけなく蹴り飛ばされて地を這う。
まあ、いつもより保った方かな――。
「次、よろしくお願いします!」
新たな『門下生』が道場の中央に進み出る。
大人気だなあ、カーインの奴。
(師範代誰だっけ)
カーインなんじゃねえの?
というか、こんな未来は全く想定していなかったので今でも正直困惑している。
道場に通う門下生の数も、この三ヶ月で随分と増えた。
そこに、暴力に伴う血の臭いは無い。
「平和だな」
「あら、そうでなきゃ困るわよ。それが売りなんだから」
よく通る高めの声がかかる。すらりとした長身の男性だ。
さらさらの髪に女性的な物腰、うっすらとメイクされた艶のある美貌。
しかし『彼女』の長い脚から繰り出されるミアスカ流脚撃術の流れを汲んだ蹴りは、カーインの蹴り技すら凌駕している。
隣の別館と繋がる通路からやってきた相手に、俺は壁に背を預けたまま応じた。
「マラコーダ。そっちの様子はどうだ」
「ぼちぼちね。お嬢さんたち、それなりに様になってきてるわよ。基礎体力が足枷だけど、そこはまあ今後の課題ね」
彼女には今まで武術とは無縁だった初心者や女性、年少者や老人を中心とした門下生たちへの指導を一任している。
本来俺の仕事なのだが、世の中には適性というものがある。
マラコーダは俺よりも女性への対応が遙かに得意だ。
当人が女性なので当然と言えば当然だが、何しろ見た目だけなら凄まじく美形の男性なので毎日門下生の若い女性たちから黄色い声援を浴びている。彼女目当ての『客』すらいるくらいだ。
「とりあえず本日のお試しコースは終了よ。大方は夜のお仕事があるから本日はこれにて解散。ねえアキラちゃん、上がったら時間ある?」
「晩メシくらいなら付き合うが、その後はトリシューラと約束があるな」
「あら残念。相変わらず仲がいいこと。妬けちゃうわね」
「俺はあいつの使い魔だからな」
こんなやり取りも、三回目くらいになるだろうか。
すっかり日常と化しつつある新しい生活。環境。拡大していく人間関係。
気疲れしないと言えば嘘になる。
しかし、まあ――。
思考に割り込みをかけるように、道場の入り口に飛び込んでくる大柄な人影。
声を張り上げて叫ぶ。
「たのもぉう!」
――今日はもう来ないかと思ってたんだが、最後の最後で一仕事か。
隣でマラコーダが薄く笑った。
「頑張ってね、師範代」
「了解」
道場破りへの対処は俺の役目だ。
と同時に、貴重な『宣伝』と『営業』の機会でもある。
向こうでファルがしっかりと眼鏡型端末で記録動画を撮り始めたのを確認しつつ、俺は挑戦に応じるために前に進み出る。
「どうれ」
幻像掛け軸に描かれた『誰でも明鏡止水』が『他流派試合熱烈歓迎』に変化して、道場の入り口から中央へと誘導光が点滅していく。
周囲から飛ばされる野次と声援。
異様な雰囲気に気圧される道場破りの前に立つと、俺は義肢を示しながら言い放った。
「ようこそ、サイバーカラテ道場第五階層支部へ。俺が師範代のシナモリ・アキラだ。レギュレーションはネット上で確認済みだな? 武器、飛び道具、呪術の使用、毒、多人数での連携、騙し討ちと何でもありだ。考え得る全ての手段を用いてかかってくるといい」
挑発的な文言に、道場破りは額に血管を浮かべて襲いかかってくる。
放たれたのは、呪符と棍による連続攻撃。
俺は両腕の義肢で呪術を弾き、打撃を受け止めながら鋭く声と打撃を発した。
「発勁用意!」
俺が、『使い魔』になってから三ヶ月。
拡大したサイバーカラテと、トリシューラが築き上げた空間としての道場は、俺に新しい環境をもたらしていた。
視界の隅で俺に選択肢を提示し続けるデフォルメされた二頭身の魔女が、片目を閉じて愛嬌を振りまく。
はいはい、全部ご主人様のお陰ですよ。
(えっへん)
胸を張るちびシューラが示す最適な選択肢を選び取りながら、俺は足を踏み出し、拳を放つ。
そして今日もまた、サイバーカラテの他流派試合の勝率が上昇するのだった。