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3-33 黒血のハルベルト




 贈り物は新しい眼帯にするらしい。

 というわけで、約束は約束。

 私は無事に正気を取り戻したサリアと買い物などをしているのだった。


 ――あの戦いから少しだけ経過したけれど、復旧作業は恐ろしい速さで行われていた。槍神教の力というよりも、これはクロウサー社の建設部門が長年の間蓄積してきた復興事業に関する方法論が傑出しているということなのだろう。


 積層樹状都市エルネトモランは、かつてと同じ――いや、少しだけその姿を変えて繁栄を取り戻していた。

 建設中の新居留区が幾つか伸びかけの枝となって世界槍から生えている。

 夜になれば、今までの倍以上に増えた『ドラトリア系夜の民ヴァンパイア』たちが活発に動き出し、街は眠らず、ただ騒がしくなるばかり。


「いい? もう金輪際マロゾロンドの力を引き出さないこと。助言にも耳を貸しちゃ駄目。守護天使――古き神の力を直接参照する引喩アリュージョンは危険過ぎる。引喩っていうのは誰よりも先にそれを行った本人に意味が伝わってしまう。諸刃どころか柄まで刃の危険物。自分を純粋に道具だとか媒介物だと確信しきってるような狂人じゃないと自我が崩壊してしまう」


「へー。狂人って、たとえばサリアみたいな?」


「いや、あのね?」


「サリア、ズタークスタークと戦った時、狂戦士状態になりながら鎧にマロゾロンドの力を降ろしたらしいじゃない?」


「げ、なんでそれを」


「マリーが教えてくれた。はーそっかーサリアは自分では実行できないことを私にはやらせようとするんだねー」


「――あのさ、アズーリア、ちょっと性格悪くなってない?」


 うーん、どうだろう。

 色々混ざりすぎてみんなの影響をちょっとずつ受けているせいかもしれない。

 だとしても、これが今の私だ。


 呪文ことばによって編まれた、仮想使い魔。

 その事を知っても、サリアの反応は「ふーん」という程度で、ちょっと拍子抜けしてしまった。


 どうも、杖の手法で製造された似たような存在と、邪視の作法で信仰されている似たような存在を知っているらしかった。

 うーん、考えてもみればズタークスタークという先例がいたわけだし、私って思ったよりも特別な存在ではないのかもしれない。自己同一性の危機だ。


 とはいえ、もし自分の存在が危うくなったらみんなを『参照』すればいい。

 『そうじゃないもの』が私であるはずだから。


「ま、考えてもみれば、わりと順当ではあるのよね。多分ハルベルトってのは主従の二人一組で、従の方が魔女と使い魔を兼任する、っていう構図なんでしょ。あと、曲と詩っていう組み合わせ? してみると、四魔女ってのは全員が全員、きっちり例外なく人工魔女になるように仕組まれてたってことかしら」


「人工の魔女、未知なる末妹――そういえば、いないなら作ってしまえっていう発想がはじまりなんだったっけ。けどそれって、使い魔の手法で作られた人工魔女もいるってことだよね?」


 トライデント。

 細胞と呼ばれる使い魔のネットワークによって構成された、【使い魔の魔女】の全容は、未だ明らかになっていない。


「というか、そもそも人工的じゃない使い魔なんてありえないはず。関係性や社会性って、人間や動物、それこそ昆虫だって形成するけど、そこに意味を見出すのは人の意思でしょう」


 世界観を拡張することによって生まれる神話ミュトスの魔女。

 言の葉を拡張することによって生まれる文彩レトリックの魔女。

 身体性を拡張することによって生まれる機械アンドロイドの魔女。


 では、関係性を拡張することによって生まれる人工の魔女とは、一体何の魔女なのだろうか。


「組織の魔女?」


「それっぽい。他には国家とか共同体とか」


「なら、やっぱり使い魔たちが人工的に作り出す総体そのものがトライデント、っていう結論でいいのかな。なんだか、誰と戦えばいいのかもよくわからないけど」


 とりとめなく結論のでない会話をしつつ、私たちは呪具店を冷やかしたり関係の無い買い食いをしたりと忙しい。

 鹿肉とイソギンチャク料理の店に行こうとしたサリアを引き留めるのに苦労した。というかどこまで本気だったんだろう、あれ。


 最終的に、サリアから冬の魔女コルセスカへの仲直りの贈り物はアルタネイフ百貨店で購入することになったのだが。

 なんだか、色々あった。


 サリアとミルーニャが意外にも気が合うことが明らかになったり、建設途中の森林区画の様子を見に行った帰りのプリエステラと出会って近況報告をしたり、夜間区画の吸血鬼氏族たちの戸籍移動やドラトリアへの移住に関する煩雑な手続きでエルネトモランに残ったままのリールエルバとセリアック=ニアから名前が被っていると一方的な難癖を付けられてサリアが暴れ出しかけたり。


 挙げ句の果てに、第五階層から連絡が来て、わざわざ謝りに行くまでもなく主従関係が修復されてしまうというしょうもない結末が待っていた。

 サリアは、冬の魔女からの着信に喜色を露わにして応答している。


 彼女は狂気を主人である冬の魔女に吸い取って貰うことで正気を保っているらしいので、考えてもみれば正常に戻ったと言う事はあちらで異常に気付いてくれたということで、それはとりもなおさず彼女が気にかけられているということでもある。つまり、わざわざ仲直りに贈り物、なんて考える意味はなかったのだ。


 まあ、買うことは買うらしいけど。

 全く、何のために買い物に付き合わされたんだか。

 メイファーラに愚痴ると、珍しく即座に反応が無い。忙しいのかな。休日とはいえ智神の盾は仕事があったりするのかもしれない。


 ちょっと私ってば鬱陶しいかもしれない。反省。

 本当に、気をつけないと。

 でないと、目の前で目を曇らせている人みたいになる可能性がある。


「はい、コア。そっちも首尾良くトライデントの細胞を撃退できたみたいね――え? 紹介? 新しい仲間? どういうことそれ聞いてない。【氷腕】と【氷鏡】の使い手が見つかったのは良かったけど、そいつ信用でき、る――――男?」


 サリアの声が、凍り付いたとしか言いようのない温度にまで低下する。

 怖い。


「どういうこと」


 目が虚ろだった。

 だから怖いって。


「ねえそれどういうことなの」


 端末を握る手ががくがくと震えている。

 向こう側では何事か説明が試みられているようだが、どうも聞いているようには見えない。サリアは正気のようで実は既に発狂しているのでは。


「私だけって言ってくれたのにずっと一緒ってずっと私が一番だって一日一回言ってくれてたのに最近は全然言ってくれないし照れてるんだとしてもやっぱりちゃんと言葉にして欲しいし寂しいからううん私はもちろんそういうことを気にしてるわけじゃなくて別に重いって思われたくないとかじゃなくてむしろ気持ちがちゃんと全部伝わったら重いじゃ済まないだろうからこうやって少しだけ言葉で伝えたいって言うかつまり私はこんなにコアのこと大切なんだよってわかってほしいのなのにコアはもう私のことどうでもよくなっちゃったのそれとも私といるのなんてつまらないのかな飽きちゃったのかなこんな女なんてもううんざりしちゃったのかなしつこいよねおかしいよねわかってるんだよだって延々と諦め悪く付きまとって本当は何の関係も無いのに使い魔気取りなんて笑っちゃうよねでもやっぱり私コアの使い魔でいたいしそういうこと一人で決められるのは悲しいよアルマは家族みたいなものだから例外で仲間を増やすときにはちゃんと私に相談してって言ったよね約束したよね離れて行動する時は毎晩連絡してって言ったのにずっと無視するし返信したって言わないよね一言だけの素っ気ない返事なんて機械でもできるでしょ私はコアの言葉がちゃんと聞きたいのコアが私だけ見てくれないと嫌なの心から吸いたいって思えたのは私が初めてだって言ったのは嘘だったのねえ答えてよ黙ってないでそれからそいつ今そこにいるのいるんだよねいるんでしょ隠してもわかるんだよ待っててね大丈夫コアは優しいからきっとそいつがどんなに屑でも放っておけなかったんだよね安心して第五階層は色々環境が悪いでしょこれから行って綺麗にしてあげるからね何をするつもりですかって決まってるじゃない――害虫駆除だよ」


 あわわ。

 どうしよう。

 聞かなかったことにしよう。うん、そうしよう。


 その後、メイファーラから短めながら可愛い絵文字が付いた返信。

 とても和む。

 やっぱり、程よい距離を保った関係性が私にとっては安心できる。

 




「こんなところにいた」


 呼びかけると、ハルベルトは振り向いて、ちょっとだけ眉尻を下げた。

 なんだろう。

 ちょっと元気が無いような。


「本当は暇じゃないはずなのに遊び歩くような悪い弟子を持った覚えは無いの」


「ハルだって本当は忙しいんじゃないの?」


「リーナほどではない。この後も、取材があるからって直々に呼ばれてる」


「よく行く気になったね。そういうの嫌いでしょ?」


「嫌いじゃなくて苦手なだけ。これからはそういうのも必要になってくる。それに、ちゃんと一曲歌わせてくれるって」


「そっか」


 崩壊した舞台を貴賓席から眺めるハルベルトは、どこか憂鬱そうだ。

 その視線が、青空に浮かぶ欠けた太陰に向けられる。

 はあ、と溜息を吐いたかと思えば、こちらをじろりと睨み、


「ずるい」


「何が?」


「結局、ハルはお話どころか会うことすらできなかった。アズだけずるい」


「だから何?」


「知らない。アズの馬鹿」


 頬を膨らませたかと思えば、フードを深々と被って顔を隠してしまう。

 何なんだろう。何に腹を立てているのかさっぱりわからない。


「――この後、アズも来て欲しいってリーナが」


「うん、聞いてる。ハルのパートナーとして宣伝するんでしょう? ていうか、それで呼びに来たの」


 私とハルベルト――というより歌姫Spearはエルネトモランの救世主として持て囃されることになった。

 槍神教はその事実を最大限利用しようとして、そして各種巨大企業も広告塔にするべく動き出したのだけれど、その点に関してはほぼクロウサー社の独占状態。


 新しく当主になったリーナは大学を一時休学し、あちらこちらを忙しく飛び回っている。速度制限違反で捕まって前代未聞の不祥事を起こすまでが彼女の『らしさ』ではあったけれど、おおむね当主としては上手くやっているらしい。

 きっと、周りが上手く支えてくれているのだと思う。


 昨日も、ガルズにこんな助言を受けた、ガルズとこんなことを話した、と報告のメールが沢山届いた。私の中にいるマリーは少しだけ複雑そうに――けれど嬉しそうにそれを受け止めていた。私たちの関係性が『こういう風』になったのは、みんなで話し合った結果なので、多分、これでいいんだと思う。


「これでよかったのかな」


 不意に、ハルベルトがらしくない弱音を漏らした。

 無理も無い、と思う。

 食用奉仕種族――新たな眷族種名の案は幾つか出ているが、決定は先送りになったままだ。彼らの処遇についての議論は紛糾し、難航している。


 ハルベルトは彼らがごく普通に生きることが出来るような社会の在り方――例えば呪術師の家事使い魔などといった受容のされ方を想定していたらしい。

 実際にそれは一定数の羊少女たちには受け入れられた。


 けれど、トントロポロロンズやパンケーキガメといった単純な思考しかできないものたちは、愛玩動物ペットとして可愛がられる道よりは、今まで通り食べられることを望む者が多かった。 


 彼らがそう望むように作られている以上、それは当然の結果だったのだけれど。

 己の根源的な欲求に抗ってまで生きたいと望むような者は少数派だった。

 そうした者たちも、好きなように生を楽しんだ後は、種族の定め通り美味しく食べて欲しいとほぼ全員が望んでいた。


 『食葬』という独自文化を有することを主張するその一派は、どうしてかマロゾロンドに深い崇敬や信仰心を向けているらしい。

 人生の在り方をどう望むかは人それぞれだ。

 その最後を――彼らが【幸せな一日】と呼ぶ人生の締め括りを否定することはできない。


「結局、形を変えただけで、やっていることは変わらない。ハルは何も変える事はできていないのかも」


「まだ、最初の一歩だよ」


 沈みそうになっているハルを引き上げるのは私の役目だ。

 今まで沢山、その逆をしてもらった。

 だから私たちは、そうやってお互いを引っ張り合い続けるのだと思う。

 手を差し出して、最近浮かべるのに慣れてきた笑顔を作って見せる。


「世界に歌を響かせて――綺麗な秩序と平和をもたらすんでしょう?」


「アズーリア、ハルは」


「もう、とっくに覚悟はできてるよ。残り二つの呪術儀式、必ず成功させようね。煉獄でも地獄でも、私は貴方をどこまでだって連れて行くから」


 触れた小さな掌を、しっかりと握りしめる。

 私の身体は呪文によって疑似細菌に『命令』を書き込んで強制的に実体として動かしている『ぎこちない』ものだ。


 その在り方は間接的で、言葉も行動も何もかもとても遅い。

 けれど、誰かを介する時だけはとても素早く意思が伝わるのだ。

 それは私だけじゃなくて、相手の意思でもあるから。

 双方向の呪力が掌を通じ合って、確かな手の感触をしっかりと握りしめる。


「行こっか。リーナが待ちくたびれてるよ」


「うん。ね、また作詞してくれる」


「もちろん。っていうか、リーナが絶対そういう紹介の仕方するんじゃないかなあ。作詞担当のパートナー、とかなんとか」


 言葉を交わしながら、私たちは壊れた舞台に背を向けて、会場を後にした。

 街を行き交う人々の様子は様々だ。

 アストラルネットでは、サイバーカラテに関するトピックがもの凄い勢いで更新され続けている。


 あちらこちらで子供たちが走り回りながら、


「言理の妖精語りて曰く!」


 と呪文を唱え、建材をお菓子に変えるという悪戯を繰り返しては叱られている。

 呪動建機を遠隔操作していた作業員がやれやれと溜息を吐いて、


「言理の妖精語りて曰く」


 と呟くと建材は元通り――いや、一部がお菓子のままだ。

 子供の独創性には敵わないと言う事なのか、壮年の作業員は近くにいた若者を呼んでもう一度呪文を唱えて建材を元に戻してもらう。


 それは、日常の光景に溶け込んだ万能の呪文。

 実のところ、その人の心の在り方や適性によって何も出来なかったり、凄い事ができたりといまひとつ効果が安定しない呪術だった。


 呪文使いの人口は前より増えたけれど――逆に言えば、呪文そのものは今まで通りでしかない。

 だってあの起句はきっかけに過ぎないのだから。

 どんな呪文を紡いで、何を為すのかはその人次第。


 槍神教やアルセミット政府は新呪文の使用に関して制限を設けようとしているみたいだけれど、審議案が提出される度にその内容が出鱈目に悪戯されてしまうので、どちらかというと『安全な使い方』を広める方針に切り替えたらしい。


 世界は変わっていく――そんなふうに見えても、本質は何も変わらないのかもしれない。それとも、何も変わっていないように見えて少しずつ変わっている?

 曖昧で茫洋とした、いい加減な秩序。


 言理の妖精たちは、その狭間を行き交い、悪戯をし続ける。

 そういえば、二重スリット実験を行ったとき、呪文使いである私とハルベルトがどんな結果だったのかは書き記していなかった。


 そう、書き記していない。

 私が見ているこの世界は、書かれたもの。

 一つの事実を見て、それを視座で、視野で、視点で切り取って、焦点を絞って遠近感を調整して、言葉にして。


 色々な工程を挟んで、とんでもなく遅れてやってくる描写こそが世界だ。

 二重スリット実験、その顛末。

 目に見える事実はきっと一つのはずだけれど。

 

 それをどう表現するかは、呪文使いの匙加減一つ。

 たとえ違うものが見えていたとしても、繋がる世界は一つだから。

 それは例えば、色という感じのように。

 言葉という繋がりのように。


 私の場合、電子ビームの振る舞いは――うーんと、そうだなあ。

 電子レンジでチンされた、お手軽お菓子の出来上がり、とかどうでしょう。


「ばかなの。死ぬの」


「ひどい!」


 私たちはそんなふうにして、手を繋ぎながら、言葉を交わす。

 いつかのように。

 いつまでも。






















 あの子を忘れる。

 だってそれは未練だから。

 自分一人でも、末妹になってみせる。


 必須とされる使い魔なんて自分には不要だと信じた。

 幸い、自分には仮想使い魔を構築する優れた才能がある。

 使い魔なんてそれで十分だ。


 自分の呪文は他の候補者の使い魔に匹敵するのだと、証明してみせる。

 好敵手たるリールエルバすら超えたその技量は、現在では呪文の座に最も近いと言われているほどだ。だからきっと大丈夫。


 自他共に認める呪文の末妹候補。

 黒百合宮を出てからと言うもの、ヴァージリアの調子はこの上なく良い。

 このまま順調に進めば、最終予選で『ハルベルト』を襲名して本選に出られるはずだ。何も問題は無い。


 けれど。

 歌姫として活動を始めるのは、やはり時期尚早だったかもしれない。

 カタルマリーナの名は当然のように忌避された。


 その才能に目を付けたとある大企業が『アクス』という名前で売り出させてくれたが(もちろん素性は秘密だ)、どうにも俗な感じでいけない。

 通俗的だったり大衆的だったりすることを否定するわけじゃない。


 沢山の人に歌が届くのはいいことだ。

 ヴァージリアは育ちや環境もあって、どちらかというと単純な楽しさ、気持ちよさ、わかりやすさなどを見下していた。


 けれど、高貴なのに滅茶苦茶なリーナやリールエルバやセリアック=ニアを見て、少しずつ考えが変わっていった。

 あれでかなり俗っぽいマリー、じゃない、アズーリアの影響も大きい。


 黒百合の子供たちに毒された、と王宮の人達は言うだろうか。

 お母様は悲しまれるだろうか。

 けれど、ヴァージリアはそんなふうに変わった自分が嫌いではなかった。


 それはそれとして、だ。

 アクスとしての活動は、なんだか俗っぽいという以上に――『下品』な感じがして嫌だった。自分が消費されていく感覚。世に出た以上、あらゆる人がコンテンツ化することは避けられない。けどそれにしたって。


「もう限界。ジルは、変な語尾で喋ったりしたくない!」


「ええ、いいじゃないのよぉ。アッちゃん可愛いんだから~もっとそこをアピールする感じでいきましょうよ。あんもう、笑顔がもっと自然だといいんだけど。素材はいいのにもったいないわぁ。そうねー、もっと水着とか着て、ぴょーんって。ほらぴょーんって言ってみて」


「水着も嫌! ごめんなさい、でも今日限りで止めるから!」


 担当のマネージャーもプロデューサーも悪い人ではなかったし、とても良くしてくれたけれど、これはもう『合わなかった』としか言いようがない。

 迷惑をかけたのは申し訳無いけれど、それきり『アクス』は死んだ。

 歴史の闇に葬られたのだ。二度と甦ることは無いだろう。


 個人としてアストラルネットで孤独に活動を続ける日々はつらかった。

 勉強と修練と将来に向けて各勢力への様々な根回し。

 その合間は全て歌に費やす。


 これも将来のため。現在という自分の人生のため。そして置き去りにしてきた、あの素敵な日々のため。

 大切な弟子が、言ってくれたのだ。


 拙い言葉で、沢山褒めてくれた。

 だから、それを本当にしたいと、そう思った。

 虚しくても。意味が無くても。ただの趣味でしかなくても。


 歌うことしかできない。それしか知らない。愚直に積み重ねて、成果が、報酬が、賞賛が、自己の承認が得られなくても、続けることでしか生きられない。

 毎日、毎日、時間を無理矢理作ってやる。


 曲を書き上げるまで食事を抜く日もあった。

 詩を組み上げるまで寝ないと決めて、結局次の日になってしまうという最悪な失敗を何度も繰り返した。体調を崩してあらゆることの能率が低下して、自分が馬鹿だと思い知らされる。


 成功は無い。

 一生誰にも省みてもらえず、埋もれて死ぬ。

 わかってる。でもやるしかない。やらずにはいられない。


 年老いて、朽ち果てて、何もかも失っても、最期の瞬間まで続ける。

 永劫に、ただそれだけを。

 けれど。

 それでも、寂しさは消えないから。


 白いガーデニアと共に、手書きのファンレターが送られてきた時。

 悪戯かどうかを考えるより先に、内容を見るより先に、家宝にしようとそう決めた。まず花を生けて、便箋を添えて念写して、それから違法な光学写真でも撮影して、拙いスケッチで保存し、すうっと息を大きく吸って、ペーパーナイフで丁寧に手紙を取り出した。


 このはじめての声援は、ずっと自分の支えになってくれるだろう。

 もしかしたら悪戯かもしれないのに、『届いた』と信じられた。

 そんな確信があった。

 差出人を確認するのも忘れたまま、夢中になって黒玉の瞳でそれを見つめる。


 ヴァージリアは浮き立つ心で、手紙に記された綺麗な、それでいてどこか懐かしい筆致を受け止めて、普段は鋭く機嫌の悪そうな目を柔らかく緩ませて、そして小さな子供のように笑った。


 美貌の歌姫Spearが羽ばたく前の、これはそのささやかな前日譚。

 繰り返し繰り返し、構図を変えて再演され続ける。

 幻想の即興喜劇。 









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