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3-31 それは、世界がこんなにも光に満ち溢れているから

 言理の妖精フィリスは最弱の魔将だ。

 実体を持たず、単体では羽毛ひとつ動かせないし、寄り代無しでは呪文を唱えることだってできやしない。


 けれど、この世界において強弱というのは一面的なものの見方でしかない。

 序列の高い眷族種は身体能力が低い代わりに呪術が得意なように。

 序列の低い眷族種は呪術の適性が低い代わりに身体能力が高いように。


 どこかで帳尻が合うようになっている。

 つまり――実体として極めて脆弱なフィリスは、その逆に非実体としてはこの上なく強大な存在である。


 私に掌握される前のフィリスは、相手を見ただけで瞬時にその本質を解析し、再解釈してしまうことができた。

 妖精ではなくただの人である私は、見たものの全てを知り尽くす事はできない。


 でも、黒百合宮で一緒の時間を過ごした仲間たちのことは、幾らか知っている。

 そしてみんなも、私の事を知ってくれている。

 ならば、フィリスの力である解析と解体、再解釈と再現、それらの組み合わせと寄せ集めで何か新しいものが作れないだろうか。


 寄せ集めの仕事ブリコラージュ

 野生の思考。

 呪術的思考。

 既知の呪文を唱え、未知の呪文を探り出す。


 二つ目の金鎖を砕いた私は、歌の翼を広げながら夜の闇を飛翔した。

 背に受けるのはこの世で最も美しい呪文。

 左手の色が純粋な漆黒に染まる。


 最速で攻撃を仕掛けて来た第七魔将アケルグリュスと第八魔将ハルハハールは既に満身創痍だった。むしろ、四魔女最強の上位言語魔術師ハイストーリアを相手にしてよくたった二人でここまで被害を押さえ込めたと賞賛すべきだろう。


 比喩や誇張ではなく、歌姫モードの彼女は他の末妹候補とは存在の格が違う。

 星見の塔第三位であるカタルマリーナの呪力に満ちた異名をそのまま受け継ぎ、更には世界中の信仰者ファンたちから膨大な呪力を集める偶像アイドル


 呪術儀式ライブが進行し、曲目を歌い終えるたびに観客が――舞台そのものが盛り上がっていく。

 それが最高潮に達したとき、その不死性と呪力は個人の限界を突破する。


 人の熱狂が力となり、さらにエルネトモランで戦っている全ての人々の戦意や高揚が歌によって増幅され、相乗効果を生み出し続ける。

 一度は敗れ、そして劇的に復活してみせるというパフォーマンスを行った歌姫の呪力は、既にこの場にいるあらゆる魔将を完全に凌駕していた。


 この地上という文化圏においては一つの神話体系の芸術の女神にも匹敵する――あるいは、主神級の存在すら凌駕する呪力。

 例えば彼女と同じように信仰を呪力に変えて神の如き力を振るう者――そんなとんでもない人物がそういるとは思えないが――と実際に存在の位階を比べ合えば、その実力はわかりやすい指標になることだろう。


 そして、無惨にも信奉者たちの大半を支配された二人の魔将は既に敗残兵だ。

 私が行うのは、後始末だけ。

 左手で巨大な蝶の翅を貫通する。

 『歌う左手』が内部から呪文を炸裂させて、その命を刈り取る。


 その瞬間、ハルハハールは瞬時に少年の姿に変身すると、両腕で私の身体をきつく抱きかかえて血の泡を吹きながら叫ぶ。


『最後が醜くてもっ――皆、僕ごとこいつを殺せっ』


 端整な顔を苦痛に歪めながら決死の覚悟で叫ぶ闇妖精デックアールヴに向けて、魔将たちは怒りと悲しみを込めて渾身の集中攻撃を行う。

 嵐のような呪術攻撃の閃光が晴れた直後。


『ああ、申し訳ありません、レストロオセ様!』


 悲痛な嘆きと共に、巨大な顎によって有翼人魚セイレーンの姫君が噛み砕かれていく。

 圧倒的な暴力がか弱い貴人を蹂躙する。

 それはまるで、南東海諸島に生息する深淵の大蛸の怒りを静めるため、生贄として捧げられ続けた非業の種族の運命を象徴するかのようでもあった。


 流動し変幻し続ける呪文群によって極小の意味の群れに還元されたアケルグリュスが消滅していく。巨大構造の内側で、同じくハルハハールの残骸が圧壊。

 魔将たちによる一斉攻撃の全てが、夥しい数の記号の内側に取り込まれ、その一部になっていた。


 数式、譜面と音楽記号、精緻な絵画のようにさえ見える表意文字、それらが構成するタイポグラフィの幻獣。 

 歌姫が創造した第九の創生竜、【オルゴーの滅びの呪文】と一体化した私は、二体の魔将を立て続けに圧殺した。


 それは私個人の力ではけっして無い。

 私は最高位の呪文である【オルゴーの滅びの呪文】を詠唱できないし、仮に唱えることに成功したとしてもここまで巨大な規模になるまで構成を維持できない。

 

 【オルガンローデ】は四系統に一つずつ存在する最上位呪文だが、呪文のオルガンローデは『長時間詠唱すればするだけ威力が上昇する』という性質を持つ。

 更には、維持する時間が長くなれば長くなるほどその詠唱の難易度は増していくという扱いづらさ。


 戦闘中に極度の精神集中を行いながら大量の呪力を体内から吸い上げる極大呪文。維持し続けるだけでも至難の業であり、それを魔将二人を一瞬で蹴散らす規模にまで膨れあがらせるとなると、黒百合の子供たちの中で可能なのはただ一人。


 今、私の左手に宿ったフィリスは、歌姫の力を摸倣し、再現している。

 そして、類似したものは『同じ』であるとみなされる呪術の基本法則により、私の左手と彼女の呪文は、完全に遅延無く同調し、その効果を相乗させる。

 私は創生竜そのものとなって魔将たちに襲い掛かる。


「断ち切れ、エアル・ア・フィリス!」


 魔将ユネクティアが左手の剣で巨大な呪文を引き裂いていく。

 あらゆる呪文を切断するそれこそは紀元槍の端末を摸倣しながら紀元槍の秩序に抗う叛逆の刃。

 致命的な一撃が創生竜を切断していくが、膨大の量の呪文は尽きることなく私の影の触手と共に魔将の刃と拮抗する。


 ユネクティアが浄界を発動させようとするが、歌姫と私がそれを許さない。

 私は世界を震撼させる竜の咆哮を上げた。それ自体が一つの呪文。

 かつて影の世界スキリシアという一つの世界を砕いて旧世界ロディニオと繋げてみせた、次元を貫く究極の一撃。

 

 それはユネクティアの影の浄界を破壊し、アインノーラの決闘場の浄界を粉砕し、サイザクタートの夢を引き裂いていった。

 ユネクティアが、巨大な牙を受け止めながら叫ぶ。


「エスフェイル! 君は二人を連れて先を急ぐんだ!」


「師兄?! ですが――」


「未来を参照する聖女に対抗できるのは過去を参照する者、つまり死霊使いと死人使いだけだ!」


 エスフェイルは少女と狼の顔を同時に引き締めると、模造の月を浮遊させてガルズとマリーを連れて走る。

 逃がさない。

 膨大な量の呪文を操る歌姫と、巨大な呪文竜となった私が追撃する。


「通せんぼ! 通せんぼ!」


 立ちふさがる魔将たち。三つ首の番犬という異名を持つサイザクタートが自身の真横に境界線を広げ、入り込んだものを無限の夢に誘う結界を構築する。

 一撃で粉砕した。

 その手の攻撃はもう効かない。


 何しろ、もっと凶悪な守護天使――古き神の夢を克服したばかりなのだ。

 強い確信と共に影の触手を伸ばす。

 サイザクタートが矢を放つ背中の虹が消え、『朱』の色号が力を失っていく。

 夢使いなんて、もう敵ではない。


「私にとっては今が全て! だから、邪魔しないで!」


 呪文の群れに魔将が吹き飛ばされていく。

 街路を埋め尽くすかのような巨体をうねらせて進む。

 青い翼と枝角を持った巨大な触手のごとき姿となった私は、歌姫と共にガルズたちを追撃していく。

 

 迫り来る巨大な竜とそれを使役する不死の魔女に立ち向かう勇敢な戦士たち。

 それはまるで竜退治の御伽噺のよう。

 ありとあらゆる攻撃を飲み込んで、逆に膨張していく呪文竜を止められる者はいない。必殺の攻撃は竜にとって蚊に刺されたようなものだ。


 その時、ユネクティアが動いた。

 静かに流動する複雑怪奇な呪文竜を観察していた彼は、その剣で精確にある一点を刺し貫く。


「解体は無理でも、分断なら!」


 達人の技。

 私と竜を繋ぐ呪文だけを的確に切り裂いて、私と竜が分断される。

 複雑な構造を絶えず流動させ続けている呪文の群れを完全に解体することはできなかったようだが、もともとが別々の存在である私を切り離す程度はできたということだろう。


 魔将ユネクティアだけは、歌姫の支援がある状況でも確実に勝てると確信ができなかった。だから一度フィリスを試して、相手の力を出来るだけ観察しようと試みたのだ。結論は、あれは今までの方法では解体できない、というもの。

 死は苦しく、恐ろしかったけれど、私には絶対の保険があったから構わないと思えた。


 不死者である歌姫の呪詛。祝福者であったミルーニャの苦痛。

 それを思えば、『再詠唱』の手間くらいどうということはない。

 使い魔たる私は、いつだって彼女の歌と共にある。


 相乗効果が途絶えても、脅威が消えた訳ではない。

 魔将たちは歌姫の猛攻と呪文竜の攻撃を同時に凌ぎ続ける。

 私はガルズたちを追撃する。


 無防備になった私に向かってくるのは銀霊サジェリミーナ。

 張り巡らせた【陥穽】の罠。

 歌姫の力を再現する私の拘束帯は数十の光となって銀霊の動きを妨げる。


 加勢しようとするクエスドレムとダエモデクに嵐のように降り注ぐ歌姫の呪文。

 更には探索者の集団が一斉に両者に攻撃をしかける。

 その中心に、とても嫌な感じの笑みを浮かべる者がいた。


 直感的に、嫌いだと思った。

 魔将と互角に渡り合うその人物は竪琴を鳴らしながら魔将二人を引き受けてくれる様子だ。

 今はそれに頼るべきだろう。


 ピッチャールーの攻撃端末が歌姫の援護を吸収して爆散。アインノーラの斧が歌姫の肉体を両断し、サイザクタートの矢が肉片すら残さずに消滅させる。

 正面からサジェリミーナの鎌のような水銀の刃、左右から強化死人と屍亜竜が襲いかかる。


射影即興喜劇アトリビュート深林雲母アベンチュリン


 第三の金鎖が砕けて、堅牢なる防御が全ての攻撃を完璧に受け止めた。

 突き刺さる無数の棘を内部に飲み込み、水銀の鎌ではびくともせず、剛腕と瘴気の息吹を圧倒的な汚穢に満ちた内部に吸い込んでいく。

 左手から伸びる無数の枝葉と蔦、分厚い暗色の葉。更には死人の群れに種を植え付けて苗床にする。


 私は黒衣に変わって大樹を身に纏い、木の『うろ』の中に隠れ潜む。

 闇の中で私は目を輝かせながら、苗床にした死人たちから呪力を吸い上げながら巨大な枝を腕のように振るう。


 樹木葬によって死人を駆逐していく私は、今や一つの森だ。

 市街地を侵食しながらガルズを追う。

 輝く色彩は、深い緑。

 触手を枝葉や蔓に変えて、左手の暗色に緑色を加える。


 そのとき、プリエステラを太い腕で抱え込んで人質にしようとしていた魔将ベフォニスが苦痛の声を上げる。

 あらゆる呪石弾を食らって自らの力に変える魔将が、逆に力を吸い取られていた。剛力で首を絞められているはずのプリエステラの全身から伸びる蔦が、魔将の巨体に絡みついて呪力を吸い取っているのだ。


「人質と脅迫者の関係性って流動的よ――邪魔になって逆に足を引っ張られないように、気をつけてね?」


 プリエステラからの、余りにも遅い忠告。

 支配者と被支配者の関係性を常に揺らがせる特殊な使い魔系統の呪術師であるプリエステラは、裏切り者と人質という立場を逆転させていた。

 今の彼女は私の最大の味方。そして、ベフォニスを脅かす者。


 ベフォニスは『灰』の色号によって時間を加速。

 腕の内側を『体内』であると強引に自分を騙すことでプリエステラを急速に老化させて殺害しようとする。


 しかし、時間操作によって対象を直接死に近づけようとする呪術はプリエステラにとって意味を為さない。

 魔将が自らの軽率な行動を後悔した時にはもう遅い。


 人とは圧倒的にタイムスケールが異なる樹木系種族にとって、ベフォニスの攻撃は生育を促す強化呪術に過ぎないのだ。

 本来ならば長い年月をかけて積み重ねるはずのティリビナの民たちの『年輪』がそのアストラル体に刻まれ、膨れあがった呪力が魔将の身体を弾き飛ばす。


 左手の相似によって繋がった私たちは同時に成長していく。

 私は夜の森を想起させる巨大な木々となって。

 プリエステラは可憐で色鮮やかな花々を咲かせて。


 プリエステラがあらゆる時代、あらゆる地域から花言葉の呪文を参照し、無数の意味を華やかな輝きと共に引き出していく一方で、その根の下で渦巻く腐敗と死という闇を私が操作していく。


 その二つは表裏一体。

 自然とはこの上なく美しく、この上なく醜い。

 サジェリミーナの水銀による汚染すらも影の中に飲み込んで、暗黒の木々と絢爛な花弁の群れが銀霊を全方位から押し潰す。


 市街地に突如として出現した大森林。

 その真上で高らかに呪文を響かせて魔将を圧倒する不死者の歌姫が森の拡大を促し、神速を発揮する事もできぬまま第五魔将サジェリミーナが滅んでいく。


 本来ならば容易くは倒せないはずの怪物があっけなく倒されてしまったような、よく分からない手応えを得て、内心で首を傾げる。

 間違い無く完全に滅ぼしたのだが、なんだかずるをしているような――けれどこの魔将はそういう死に方をする宿命にあるような。

 

 増大していく私とプリエステラ、歌姫の勢力に魔将たちが圧されていく。

 軍勢となった森と花々が、逃亡するガルズたちを追撃。


 市街地を飛翔するガルズとその腕に抱えられたマリー。

 更には次々と修道騎士や探索者たちを薙ぎ払っていくエスフェイル。

 赤頭巾の少女が杖を振るうだけで人が吹き飛び、模造の月から無数の腕と黒棘が突きだして破壊を撒き散らす。


 呪文の嵐が、花吹雪が、夥しい数の枝葉が殿のエスフェイルに襲いかかる。

 その目の前に、呪文竜との戦いで黒衣をぼろぼろにしたユネクティアが降り立つ。神懸かり的な剣戟で全ての脅威を断ち切った兄弟子への感情を振り切って、先を急ぐエスフェイル。


 向かうのは第一区の果て。世界槍内部、第一階層の奥。

 狙うは聖女クナータの首一つ。

 そうはさせまいと、私は闇の勢力を拡大させた。

 

 無数の死人を飲み込みながら、闇の森は第一区の市街地を飲み込み、破壊していく。逃げ惑う市民。避難誘導と防護障壁の展開で必死な探索者と修道騎士。

 極力巻き込まないようにしているが、相手が魔将なので私もプリエステラもあまり手加減をする余裕が無い。


 結果として全力を振るってしまう私たち。

 共鳴する同質の呪力が相乗効果を生む。

 枝のような第一区、その分岐路を中心とした市街地は壊滅状態に陥っていた。

 

「ぬんっ」


 力強く巨大な両刃斧を投擲したのは第四魔将アインノーラ。

 牛頭の魔将が稲妻と炎を纏った斧の神滅具を投げつけると、それは次々と木々を切断し、花弁を燃やし、稲妻の速度と猛火の勢いであらゆるものを破壊していく。


 炎熱は森を焼き滅ぼし、斧は木々を切り倒す。

 甚大な破壊をもたらしていく神滅具は、弧を描いて持ち主の元に帰還する。使用者に破滅をもたらす覇王メクセトの悪意がアインノーラに牙を剥く。

 破壊力を最大限に増幅させた両刃斧が魔将に直撃。


 しかし、アインノーラは身に纏った亀の甲羅によってそれを防ぎきっていた。

 ミルーニャに言わせれば、神滅具のコストの踏み倒し、といった所だろうか。

 歌姫は焼き尽くされたが瞬時に再生。

 私もまた回避が間に合った。プリエステラを助けに行こうかとも思ったのだが、その必要が無いと途中で察したから自分の回避行動に専念できたのだった。


「へっ、今度は何とか間に合ったな、おい」

 

 ペイルが全身に大火傷を負いながらもプリエステラを破壊の余波から守り、イルスが負傷した彼に背後から治癒の術をかけていた。


「さあ、再戦と行こうか!」


 空から無数の羽型攻撃端末を射出してピッチャールーの球形攻撃端末を撃墜しながらサイザクタートへと宣言するのは試作型神働装甲五型を纏ったナトだ。

 更に彼は、その腕に私を包み込むくらいの大きさをした鎧を抱えていた。


「ラーゼフさんからの伝言だ! 『完成直後に無茶な注文をするなこの大馬鹿者』だってさ! あと『もう壊すなよ』とも言ってた」


「ありがとう、でも多分壊れると思う!」


 投下されたのは試作型神働装甲二型――夜の民用に開発された甲冑。

 その色彩は漆黒。

 それは私の目の前に落下すると、そのまま真下に――影の中に沈み込む。


 壊滅した森と市街地から現れた私は黒衣姿のまま。

 だが、その影だけがごつごつとした甲冑を纏った輪郭へと変貌する。

 それはアストラル体を守る影の鎧であり、同時にマテリアル体を守る鋼の装甲でもある。 


 サリアの装備を見て私がラーゼフに『こういうのが欲しい』と何となく言ってみたら本当に突貫工事で改造を始めたのでびっくりした。

 ほとんど完成しかけていた神働装甲二型は、既に初期に想定されていた有翼の牡鹿への変形機構を有する試作機からはかけ離れたものになってしまった。


 取り出した槌矛から伸ばした拘束の帯をアインノーラへと伸ばす。

 その光の帯を横合いから空間を切り裂く【線の嵐】が遮った。

 サイザクタートのもう一つの能力が空間を歪曲させて甚大な破壊をもたらす。


 更にはベフォニスが掌から放つ無数の【爆撃】、ピッチャールーの拡散呪術砲が私に襲いかかる。しかし私は回避もしなければ防御障壁も展開しない。

 完全に受けきってみせた。


 愕然とするベフォニスにナトの攻撃端末と歌姫の呪文が襲いかかる。

 私が呪術による攻撃を防御できたのは、神働装甲――影の鎧のおかげだ。

 この鎧は影に纏っている間は呪術に対する抵抗力を極端に上昇させる。

 元から呪術抵抗が高い夜の民が纏えば、中位呪術くらいまでなら完全に無効化できるし、上位呪術の威力もある程度軽減できる。


 再度、神滅具の投擲体勢に入ったアインノーラ。

 強制的に一対一にする浄界は呪文竜が暴れ狂っている間は使えないが、神滅具の圧倒的破壊力は脅威だ。

 後衛である歌姫と私はもちろん、樹妖精のプリエステラにとっても天敵である。


 閃き。

 それは即興の判断、完全なその場の思いつきだった。

 けれど、できると確信して私は叫ぶ。


「私に合わせて! エスト、『アクス』!」


 その呼びかけで、二人は即座に意味を理解してくれた。

 漆黒と深緑。左手が同時に二色の輝きを放つ。

 アインノーラが神滅具を投擲。炎と雷を撒き散らしながら迫り来る猛威を前に、歌姫は周囲に浮遊する大量の呪文を斧の形に変化させ、それを神滅具に向けて投げつける。


 神滅具は勢いを減じさせることなくそのままプリエステラへと向かう。

 ペイルが盾になろうとするが、プリエステラはそれを制止して、掌を石畳の床についた。

 石畳を突き破って急激に伸び上がっていく樹木の群れ。呪術によって生み出された樹木の障壁は本来極めて強靭だが、神滅具の前にはいかにも頼りない。

 しかし。


「馬鹿な」

 

 回転する斧が、樹木の前で止まっていた。

 いや、正確には回転し、炎と雷を撒き散らしてはいるのだが、その破壊力が拡散せず全て樹木の中に吸い込まれていっているのだ。


 木々の『うろ』、その闇の中から文字が溢れ出す。

 斧はそのまま樹木を細かく伐採し、プリエステラを避けて空高く舞い上がると、先ほどの一撃で破壊されていた森林に襲い掛かる。


 猛回転しながら森林を切り開いていく神滅具に重なる。文字列で構成された呪文の斧。木を切断しながら樵歌が響いていく。神滅具は歌姫によって制御を奪われているのだ。

 

 歌姫の紡ぐ高等呪文がパルプ化の全工程を飛ばして瞬時に木々を紙片に、そして書物に変えて行く。元が情報的な樹木なので、変換は容易だ。

 森が巨大な魔導書に変わる。溢れ返った紙、紙、紙、そして浮かび上がるのは漆黒のインクで綴られた呪文。


「パルプ・フィクション!」


 呪文の名は自然と口をついて出てきた。

 二人の呪力を即興で組み合わせて、更なる力を顕現させる。

 黒と緑を繋ぎ合わせた私は、二つの輝きを束ねて魔将に解き放った。


 世界を埋め尽くす紙片に記されていく『物語』の嵐が、斧の神滅具を飲み込んでアインノーラを襲う。

 それは猛毒。魔将を退治する事に特化した呪文の群れ。


「このようなものっ」


 吼える牛頭の魔将は、しかし無数の物語によって全身を打ちのめされていく。

 当然だ。それらは過去に大量生産された娯楽小説の群れ。

 長く第一階層の掌握者であったアインノーラは、地上世界にとっては地獄という脅威の象徴である。


 ゆえに、かの魔将を『退治されるべき怪物』として設定されたフィクションは枚挙に暇が無い。媒体を問わず、迷宮の番人である牛頭の魔人を倒すという筋書きは非常に好まれ、今でも定番となっている。


 地上におけるその常識が、魔将アインノーラを攻め立てる。

 ごく普通の人々が望んだ痛快な娯楽。

 単純な欲望の渦が、魔将を守る甲羅に亀裂を入れる。


「ジャッフハリムに栄光あれ!」


 戻ってきた神滅具がその亀裂を押し広げ、砕き、体内で炸裂した猛火と稲妻がアインノーラを焼き尽くしていった。

 これで四人。

 立て続けに大量の紙片を逃げ続けるエスフェイルへと殺到させる。


 参照するのは同じく異獣を悪と断じて否定する創作物――人狼退治をモチーフにしたそれらは、大神院が推奨する『望ましい』表現である。

 それを利用してエスフェイルを攻撃することに躊躇いは無い。

 私は人狼を殺してきた。そしてこれからも異獣を殺すだろう。


 殺せ、奪え、勝ち取れ。

 感情を力に変えて、鉄の願いを叶える為に、槍と鈍器を手にして彷徨う。

 私は結局の所どこまで行っても地上の人間だ。

 だから、一人も残さない。


 魔将は私が全て殺す。

 蘇った魔将も、残る四人も。

 妹を、ビーチェを取り戻す為に邪魔な者は全て排除する。


 圧倒的な暴力を塞き止めたのは。歌姫の攻撃で傷ついた古代兵器。

 第九魔将ピッチャールー。

 無機質な瞳は人の物語など感知しない。

 ただ目の前の敵を排除するためだけに、減ってしまった多腕で私に襲い掛かる。


射影即興喜劇アトリビュート天眼透徹アイアゲート

 

 第四の金鎖を砕く。大量の紙片が消失すると同時に左手が灰色に輝いた。

 ピッチャールーの猛攻を全て回避していく。

 本来の私の身体能力なら到底無理な超人的な先読みと体捌き。


 その技量の持ち主はここにはいない。

 だが、模倣と類似によってつながった私たちは離れた場所でも完全に遅延の無い情報伝達が行えていた。それは優れた精神感応の力に由来するものでもある。

 

『アズ、受け取ってっ』

 

 ミルーニャの時のように、メイファーラだけに過度の負担をかけたりはしない。

 完璧な同調。

 私たちは今、『遡る』という類似点で繋がっている。


 灰色の左手から伝わってくる、膨大な情報量。

 過去を視る能力。

 フィリスの為に用意されたかのような、私にとって最も必要な目。

 

 メイファーラが情報を集めて、私がそれを元に解体する。

 フィリスの新しい使い方を編み出した今でも変わらない、私の『必殺技』だ。

 猛攻を掻い潜って巨体の懐に飛び込むと、筒状の胴に左手を押し当てる。


「遡って、フィリス!」


 メイファーラの解析と一体化したその能力が、ピッチャールーという古代ジャッフハリムで作られた兵器の来歴を詳らかにしていき、その役目が既に終わっているという事実を掌握。

 意味を失った兵器は、朽ち果てて壊れていくだけ。


 機能停止してゆっくりと目を閉じる古代兵器の横を通り過ぎた。

 歌姫とプリエステラの攻撃が直撃したのか、背後で盛大な爆発音。

 構わずに走る。これで五人。


 左手の方向で、激しくナトとサイザクタートが戦っている。

 無数の遠隔誘導攻撃端末が飛び交うが、空間を歪めて守りを固める魔将に決定打を与えるには至っていない。

 物量と正確性は十分。ならば。


射影即興喜劇アトリビュート明藍飛翔スカイストーン!」


 五つ目の金鎖を砕いて、明るい藍色に輝く左手を前に出す。

 速度と質量を操作する呪文がナトの攻撃端末に干渉。

 その影だけが巨大化していく。魔将は急激に加速した羽型攻撃端末に対処し切れなかった。結界を貫通した攻撃端末が三つ首犬の全身を引き裂いていく。


「いたいいたい、いたいよおおお」


「でも僕たちは夢、サイザクタートの夢だから、幾ら傷ついても大丈夫!」


 朱色の靄が魔将の全身を覆い、傷を瞬時に癒した。

 しかし。


「番犬が居眠りするなんて、躾が必要だなっ!」


 ナトの両腕が射出され、呪力を纏った鉤爪がサイザクタートの中央の頭部を狙う。魔将が再び展開した結界によって眼前で制止する腕。

 その影が伸張し、真下から触手となって伸び上がる。衝撃でおしゃぶりが弾き飛ばされ、豚の『がらがら』が砕け散った。

 すると中央の頭部の輪郭が歪み、その存在が希薄になっていく。


「あれれ? サイザクタートが、僕たちの現実が消えちゃうよ?」


「夢を見てるのはサイザクタート、僕たちは彼の夢――ああ、そのはずが!」


 『自分たちは夢の世界の住人である』という無敵の自己認識が崩壊していく。

 双子が同時に見ていた『自分たちを夢に見ている本体』という夢が消滅し、圧倒的な呪力が霧散していった。

 ナトの放つ攻撃端末と私の触手が、今度こそ魔将の全身を引き裂いて致命傷を与えた。六人目。


 彼方から憤怒の叫びが響く。

 夜空から飛翔してくるのは黒々とした靄――瘴気の翼を生やした巨大な大蜥蜴だった。

 漆黒の亜竜の名は魔将ダエモデク。その頭部に乗っているのは朱色の長衣を纏った壮年の男、魔将クエスドレムだった。


 相手をしてくれていたあの探索者集団は敗れてしまったのだろうか。

 いや――向こう側でまだ激しく戦っている音が響いている。

 そして、亜竜に乗ったクエスドレムの背後から、もう一人のクエスドレムが姿を現した。あの魔将はどうやら分裂能力かそれに類する何かを持っているらしい。


 天上で呪文竜と亜竜が正面から激突し、歌姫とユネクティアが超威力の呪文と邪視を相殺し合い、成長したプリエステラがペイルとイルスと共にベフォニスと渡り合う。そして二人のクエスドレムは亜竜の頭から飛び降りてくる。


 黒い衣を纏ったもう一人のクエスドレムが黒ずんだ棍棒を手にナトに襲い掛かり、朱色の衣を着たクエスドレムは瀕死のサイザクタートに駆け寄っていく。


「おお、サイザクタートよ、なんと言う事だ!」


「クエスドレム様、ごめんなさい、僕たち、ちゃんと役目を――」


「もう良い、良いのだ」


「第三階層を、お守りできず――ジャッフハリムへの、ご恩に、報い――」


 最後まで言い切ることが出来ず、かろうじて息があった片方の首から生気が失われる。クエスドレムは光を失った目をそっと閉じて、灰になっていくサイザクタートを背にしてこちらに向き直る。


「後はこの朱のクエスドレムに任せよ――貴様ら、残らず打ち首にしてくれる!」


 激怒を朱色の目に宿して、第四階層の掌握者であった朱大公クエスドレムが私に殺意を向ける。

 指をぱちりと鳴らす。対処不能の強制空間移動。

 しかし私が左手を藍色に輝かせると、魔将の呪術は失敗に終わる。


「貴様――なんだその重い影は」


 神働装甲の影に群がる異形の怪物たちは、私を引き寄せることができずに不満の泣き声を上げていた。

 私は鎧の質量を増加させ、彼らが動かすことが出来ないようにしたのである。


 本来、私たち夜の民は実体世界の重さを実感するのが苦手なため空の民が使うような質量操作を苦手としている。

 空の民もまた、影を操ることは不得手だ。


 本来はありえない、相容れない筈の組み合わせ。

 影が藍色に変化していくという異常事態は、どのような偶然の悪戯か。

 左手に感じる自由奔放な呪力を、私も未だに掴みかねている。

 影の触手で怪物たちをなぎ払うと、彼らは奇声と共に影の中に逃げていく。


 クエスドレムの影に潜む、心臓の怪物たち。

 悪霊レゴン。【影喰い(ガーランゼ)】と蔑まれるスキリシアの猛獣たち。生者の足を引きずりこんで食らうとされる異形の諸部族グロソラリア


 クエスドレムは世界内に存在する異世界から使い魔を呼び出す召喚者にして支配者の魔将である。そしてその使い魔はレゴンだけではない。

 朱の瞳を爛々と輝かせ、魔将は袖口から呪具を取り出した。

 四十枚一組のカード型端末。その一つ一つが使い魔たちを参照する。


「よかろう、我が軍勢の総力で葬ってくれる! 【珊瑚の角を持つ蛙の国】より来たれジヌイービども! 【フィソノセイア】より現れよ精霊ども!」


 赤い角が生えた蛙の戦士たち、水や炎を纏った浮遊する半透明な人型たちが現れる。宙に浮かんだ札からこの世界に投影された『内世界人』たちの影。

 それらはクエスドレムの指示に従って私に襲い掛かる。


 増え続ける多種多様な軍勢を影の触手を巨大化、加速させることで対抗するが、圧倒的物量に次第に追い込まれていく。

 その時、誰かが流星のように軍勢の中に突っ込んだ。


 【空圧】をばら撒きながら使い魔たちを次々と吹っ飛ばしていく三角帽子に箒の魔女。駆けつけたリーナは軍勢の真ん中で急停止すると、箒から金色の輝きを放出しながら私の左手と呪力を同調させて叫ぶ。


「言理飛翔・十倍減速!」


 私の【束縛バインド】とリーナの速度操作。

 二つの呪術を即興で組み合わせ、アレンジして新たな術を作り出す。

 リーナが箒から落とした影が広がっていき、領域内に入ってしまった軍勢の動きが目に見えて遅くなる。


 その足元から影の触手がゆっくりと這い上がり、次々と使い魔たちを拘束していく。クエスドレムもまた減速と影の触手に捕まるが、かっと朱の目を見開くと強引に呪文に抵抗する。


「小賢しい、地上の狂信者どもがっ」


 四十枚の『札』が全てクエスドレムの体内に融合していく。

 魔将の全身が裏返り、その質量が増大していく。

 多種多様な生物を繋ぎ合わせたような合成獣となったクエスドレムが咆哮した。


 ありとあらゆる異界の生物の特性を併せ持つクエスドレムにはフィリスの解析と解体が通用しにくい。

 もはや人型であることすら放棄した群体生物が、邪視、呪文、使い魔、杖という呪術の四系統を全て網羅した攻撃を放ち、更には地獄の呪術体系たる色号の五種を同時に操作する。


 圧倒的な物量。完全な全方位攻撃。逃げ場は前後左右のどこにもない。

 あるとすれば、上か下。


「リーナッ」


「任せてっ」


 リーナが空高く飛翔していき、私はマテリアル体の質量を操作して希薄化させると、そのまま影の中に沈んでいく。

 私は翼を持った牡鹿に変身するのと同時に神働装甲を変形させた。

 影の鎧の可変機能。胴体や頭部を黒い装甲が覆っていく。


 クエスドレムが支配する異界生物たちの中から飛べる者、影の中を移動できる者たちが私たちを追撃する。

 つまり、敵の戦力は分断されている。


射影即興喜劇アトリビュート真翠玉エメラルド!」


 六つ目の金鎖が砕け散った。

 枝角にプリエステラの時よりも鮮やかな緑色が宿る。

 そして、共鳴する呪力が影の世界で待機していた仲間を呼んだ。


「やっと出番ね、待ちくたびれたわ!」


 深遠の彼方から現れたのは鮮やかな緑色の髪と禍々しい赤色の瞳を持った少女、リールエルバ。

 吸血鬼としての本性を露わにした彼女の口からは長い牙が伸び、均整のとれた姿態は絶えず黒い霧や蝙蝠となって蠢いている。


 更に、その背後から大量に現れたのは同じく吸血鬼となった『従者』たち。

 【支配ドミナント】と【アンクレット】という使い魔系の呪術によって魂をリールエルバに掌握された彼女の手足。

 

 エスフェイルに心折られ、殺害されたというのは全て見せかけだけのまやかし。

 彼女は密かに呪文ウィルスをアストラルネットに流し、更には鼠や蝙蝠といった小動物まで媒介させて市街地に吸血鬼の因子を広げていた。

 そうして、着実に下僕たちを増やして伏兵を用意していたのだ。


 もしガルズの計画が成功し、エルネトモランに被害が出てしまった場合の保険。

 それが彼女による吸血鬼化である。

 天の御殿にアクセスして再生している死者の記憶を吸血鬼化させることはできない。魂に蓄積された死者としての自己認識が深化してしまっているからだ。


 しかし、死亡して間もないのなら吸血鬼の因子に感染することで蘇生が可能だ。

 リールエルバに魂を捧げる下僕となることが救いかどうかはともかくとして――リーナが「きっと悪いようにはしないと思うよ」と言っていたので信じることにする――これである程度被害が抑えられる。


 強靭な心身を誇る吸血鬼たちがクエスドレムの使い魔たちと激突する。

 血走った目で悪霊レゴンたちに飛び掛る大勢の男女。

 リールエルバに忠誠を誓った彼ら彼女らが心臓の怪物たちを引き裂いて、牙を突き立てては【生命吸収】で大量の血液を吸い取っていく。


「ふふふ、いい感じに血に飢えているじゃなぁい。さあ働きなさい卑しい下僕ども! 最も優秀な者にはこの私が直々に精神融解ドラッグを注入してあげる!」


 主が示した『餌』に、吸血鬼たちが男女問わず歓声を上げ、リールエルバの名を叫ぶ。士気は極めて高い。


「この恥ずかしい豚ども! 幾ら私が美しいからといって、あんなエロスパムを踏んでウィルスに感染するなんて恥を知りなさい! 性欲しか頭に無い万年発情期のお馬鹿さんたちが社会に復帰するのなんて無理よねぇ? でも安心しなさい。永久に私の下僕としてこき使ってあげるから――幸せよね? 幸せって言いなさい」


「我々はこの上なく幸福です! リールエルバ様!」


 声を揃える従者たちの統率は完璧だった。

 罠にかけたのも、その恵まれた肢体を使って魅了の呪術をかけたのもリールエルバだが、誰もが彼女を救世主のように崇め、心からの感謝を捧げている。


「ああ素敵! 私の支配力が高まっていく――承認こそ私の力!」


 半透明の脆いアストラル体の存在強度が飛躍的に上昇していく。

 歌姫が聴衆の熱狂で力を増すように、サイバーカラテが入門者から集められた信用と情報に応じて強化されていくように――リールエルバもまた下僕たちの数に応じて強力な吸血公ヴァンパイアロードになるのだ。


 リールエルバは人の性的欲求に干渉し、精神を支配することを得意としている。

 彼女の呪文と使い魔の二重系統を複合させた感染呪術にかかれば、死人たちが有する死への衝動を反転させて性的衝動に変換、吸血鬼化させることも可能だ。

 性的衝動はあらゆる欲求に変換可能。リールエルバはそれを『主への忠誠』と『吸血衝動』に設定することで大量の配下を獲得していた。


 影の世界から攻めあがった吸血鬼の軍勢はクエスドレムの軍勢を蹂躙し、感染し、支配下に置いた。

 私が同じ能力を発動させ、効果を相乗させていることも大きい。

 リールエルバとは氏族は違えど同じ夜の民。呪力の波長はとても良く合う。


 真下から、内側から感染していった翡翠色の呪いがクエスドレムを構成する群体を侵食していく。

 使い魔系の呪術師、支配者としての力量の比べ合い。


 私が触手で妨害し、リーナが空中で敵を引き付けているため、クエスドレムの勢力は弱まっていた。

 そして、感染と拡大を続ける吸血鬼の力は強まり続ける。

 勝利したのはリールエルバだ。


「すまぬな、サイザクタートよ――私も、そちらに逝く事になりそうだ――」


 主要な構成部位であった心臓から朱色の血液を残らず吸い取られたクエスドレムが、灰となって消滅していく。

 リーナを追っていた敵もまた消え去ったようだった。


 一方で、ナトともう一人のクエスドレムとの戦いも終わっていた。

 ただし、勝利したのはナトでは無く、黒い魔将の背後に立つ男。

 片手片足でどうやってここまでやってきたのか。

 守護の九槍第八位、ネドラドの腕がクエスドレムの胸を貫通していた。


「いやあ、参った参った。おじさん、これ以上はちょっと動けないな。残り二人のクエスドレムも【吟遊詩人】がなんとかしてくれてるだろうし、あとは若い人にまかせるよ」


 吐血し、断末魔すら無いままに灰となって消滅する第十三魔将。

 それを確認してばたりと倒れたネドラドはそれきり本当に動かなくなってしまった。同じようにナトも神働装甲が限界を迎えたようだ。

 他にもクエスドレムはいたようだが、相手にしているのが四英雄の一人である吟遊詩人ユガーシャであるならば任せても問題は無いだろう。


 七人目に続いて八人目だ。

 私は枝角を明藍と翡翠の色に輝かせ、リーナとリールエルバの二人に無言のまま合図を送った。

 アストラル体が拡散して黒い霧となり、上空のリーナに纏わりつく。


 時に、第一位の眷属種、空の民は『雲』に喩えられる。

 そして、ある血統の吸血鬼は『霧』に変身する能力を持つ。

 その類似からの連想を、私が繋いで形にする。


 想像する。参照するのは、果てしないようにも思えた繰り返しの中でサリアが話してくれた、始祖吸血鬼の一体との戦いのこと。

 彼女が身に纏っていた影の鎧の元になった存在――伝説の真祖、その幻想をアリュージョンしてリーナとリールエルバに重ね合わせる。


「出でよ、エルネトモランの吸血雲!」


 リーナとリールエルバが一つになり、黒々とした巨大な暗雲になる。

 霊長類の形を大きく逸脱した姿。

 しかし、リーナは黒百合宮の経験で、雲としての自分を操作することに慣れ切っている。


 呪文竜と激戦を繰り広げる黒き亜竜、ダエモデクに向かって突き進む吸血雲。

 吐き出された瘴気を吸収して更に巨大化すると、亜竜の胴体に形の無い牙を立てて【生命吸収】を発動する。


 暴れ狂う亜竜の攻撃を、全身を希薄化させて回避。

 更には使い魔として無数に分裂させた雲が亜竜の全身を次々と食らっていき、黒い体は痩せ細っていく。


「ああ、誰かの糧になって死ぬ――僕は、ずっと、こんな風に――」

 

 弱々しい声を上げて、暗雲の中に飲み込まれていくダエモデク。

 八人目の最後を見届けると、私は翼を広げて飛翔、加速していく。

 ガルズたちにはすぐに追いついた。


 時の尖塔の中央入り口付近で、修道騎士や自動鎧たちを片端から薙ぎ倒しながら今まさに侵入を果たそうとしているガルズ、マリー、そしてエスフェイル。

 追いついてきたリーナが合体を解除して、リールエルバが解き放った吸血鬼の軍勢と仮想使い魔の蝙蝠たちが一斉に攻撃を仕掛ける。


 相手がそれを対処している間に、リーナが帽子から袋を取り出して私に預ける。中にはずっしりとした重さの呪石弾。

 ミルーニャから託されたそれを、今この場で最も有効活用できるのは私――というよりも、私が再現する力の持ち主だ。


射影即興喜劇アトリビュート真琥珀アンバー!」


 霊長類に変身し、黒衣を翻して進む。

 第七の金鎖が砕け散った。

 透き通るような黄色い輝きが左手に宿り、私はリーナから渡された袋を掴むと左手で投擲した。


 エスフェイルに向かって投げつけられた大量の呪石弾が、光り輝くと共に無数の呪宝石へと変化していく。

 そこにリーナの質量増加とリールエルバの呪文の強化が加わり、凄まじい威力となった呪宝石弾がエスフェイルを襲う。


 凄まじい数の敵に対処しているエスフェイルの回避が遅れ、二重の防御障壁すら貫通して極大の威力が炸裂する。

 爆煙が晴れた後、そこに立っていたのは、


「馬鹿な、ベフォニス、なぜ」


「ち、うるせえよクソエスフェイル。てめえに死なれると困るんだよ」


 プリエステラやペイルの追撃を振り切って、エスフェイルを助けるためにここまでやってきたベフォニスは、凄まじい威力の呪術をその身に受けて満身創痍だった。庇われたエスフェイルは唾を飛ばす勢いで叫んだ。


「このような事で、私は貴様を――」


「うるせえボケ、さっさと先急げ」


 迫り来る私の前に立ち塞がって、ベフォニスはエスフェイルのそれ以上の言葉を断ち切った。

 エスフェイルはそれでも何か言いたげな様子だったが、そのまま無言で時の尖塔へと急ぐ。無数の影の棘が入り口の大扉を破壊していった。


 既にベフォニスは瀕死だった。

 弱々しい拳をかわして懐に飛び込むと、左手を押し当てると、静かに呟く。


「ナーグストール」


 ベフォニスの岩肌から浮かび上がった呪宝石が黄色に輝く。

 呪宝石一つ一つの内側に、小さな生き物が出現する。

 それらは呪力を炸裂させながら呪宝石を割り砕き、ベフォニスの体内を破壊して外の世界に飛び出した。


「お帰りニア」「と姉様は仰っています」「セリアもそう思います」「セリアもそう思います」「セリアもそう思います」「セリアもそう思います」


 二頭身くらいの小さな三角耳の少女たちが、魔将を引き裂きながら次々と飛び出してくる。言うまでも無く、聖姫セリアック=ニア本人である。


 事前に買い取ってあったという第一区の宝石店からも、既にセリアック=ニアが大量に出現しているはずだ。

 今頃はあちこちで大暴れして死人たちを倒しているだろう。


「ったく、俺って奴は――」


 全身を内部から破裂させられては岩の硬度を持つ肌も意味をなさない。

 ベフォニスは立ったまま全身に亀裂を走らせ、そのまま灰と消えた。

 これで九人。


 ついに時の尖塔内部に侵入を果たしたガルズとマリーがリーナと激しくぶつかり合う。いつの間にかリーナはかつてとは段違いな程に成長を遂げていた。

 凄まじい速度で飛び交いながら【空圧】を放ってマリーを吹き飛ばす。


 吸血鬼の軍勢、修道騎士、自動鎧を同時に相手取りながらリールエルバの霊的侵入クラッキングを阻止するエスフェイルは善戦している。

 しかし小さな体が次々と重なり合って元の大きさに戻ったセリアック=ニアと私、そして遠くから駆けつけてきたプリエステラが加勢すればその拮抗も崩れる。


 その時、空で巨大な咆哮が聞こえた。

 それは呪文竜オルガンローデの断末魔だった。

 あらゆる呪文を両断する剣によって、魔将ユネクティアはついに歌姫の極大呪文を打ち破ったのだ。


 歌姫の追撃を振り切って、光となってユネクティアが私の前に立ちはだかる。

 影の触手――光と闇が曲線を描いてセリアック=ニアとプリエステラを吹き飛ばし、最後に私に襲い掛かる。

 真っ向から受け止めた。

 

 足下から這い上がった闇が私の全身にまとわりつき、漆黒の鎧が実体世界で鈍い光を放つ。

 反対に、今度は私の影が黒衣を纏ったような輪郭になった。


 呪術抵抗と物理防御の交換。

 私の新しい装備は状況に応じてどちらを重視するかを選ぶことができる。

 実体化した影を重装甲が受け止め、左手が作り出した宝石が光線を閉じ込めて拡散させ、不可視化された本命の感応の触手を見切って迎撃。


 だがそれすらも囮に過ぎない。

 ユネクティアの黒衣から煙を吐き出す乱杭歯が、細長い首が、獰猛な犬と蜥蜴を合わせたような奇怪な胴体が出現する。

 凶暴な使い魔は私の束縛でも止めることができない。


 その上、ユネクティアは暗い緑色の葉――呪文殺しの剣である【言理の真葉エアル・ア・フィリス】を構えている。

 更に、呪文竜がいない今、浄界の発動を妨げる者はいない。


浄界エーリュシオン――【影の海を越えてヌーナ】」


 それは一見して世界に何の変化も齎さないが、『影』であるユネクティアの存在が目に見える世界全てに浸透していくのを感じた。

 巨人。最速にして最強の邪視者。

 遅い呪文では対抗する術は無い――それが常識的な判断だ。


 けれど、と私は呟く。

 可動式の左手部分の篭手が開放されて、露わになった左手の薬指を摘むと、そのまま剥がした。


 感じたことの無い痛みが、離れた場所にいる誰かを参照する。

 続けて小指の爪も無理やり剥がすアンロック

 二度とやりたくないと思うほどに痛かった。


 それでも、純白の輝きは彼女との何より速い繋がりを感じさせてくれる。

 引喩――知らなければ無意味だけれど、知っている者に対しては呪文効果を加速させることが出来る効率化の手法。


 それは『文脈コンテクスト』と『相互参照性メタテクスト』いう呪力によって紡ぎ出される非存在の呪文。

 その意味内容はここには存在しないし目に見えない。

 目に見える邪視が全てじゃない。形になった呪文だけが全てじゃない。


 意味の間を繋ぐ『行間』の呪力。構造と連関、語りえぬ雄弁、静謐なる力。

 『紀』であり『神話』であり『言理の妖精』であるもの。

 私の――私たち黒百合の子供たちが共有する幻想の力だ。


射影即興喜劇アトリビュート月光白玉セレナイト!」


 第八の金鎖が開放される。

 左手小指から出現した凍結の呪力が煙を吐き出す異形の怪物を停止させ、薬指から出現した眩い光がユネクティアの神速の斬撃を硬質な音と共に弾き返す。


 ミルーニャと繋がった私の左手薬指から出現した呪具こそは、私の新しい杖。

 痛みが繋ぐ、私の邪視。

 出現したのは長大な柄、白銀に輝く斧の刃、反対には鉤、そして中央に鋭角の穂先――優美さと力強さを併せ持った斧槍。


 舌獣イキューを素材にした、舌という部位による邪視能力を高める機能を持つ。

 舌は味を感じるだけの器官ではなく、調音器官でもある。

 舌と言語には密接な繋がりがあり、語源が同一である言語も数多い。

 

 更には手を持たぬ多くの動物にとっては殺菌と治療の為の器官でもある。

 指を持たぬ非霊長類系の種族にとっての指。

 すなわち、器用な触手。私にとって最も馴染み易い邪視の部位。

 痛覚を有する痛みを捉える器官として、私とミルーニャを繋ぐ場所。


 それは呪文を加速させ強化する邪視。

 それは私が最も扱いに習熟した触手斧槍。

 それは言葉を司る杖。


「左手薬指、開錠アンロック。【闇夜の希望ナイトウィッシュ】」


 参照先である原典が存在しない、ミルーニャが一から創作した幻想の神滅具。

 圧倒的強度と速度、加えて解析が困難な斧槍が剣を弾いた。

 自在に歪み、しなり、触手のように軌道を変えながら突き、払い、引っ掛ける。

 

 言葉が音になるより早く呪文を『知っている』舌が発動を加速させ、引喩の効率化が呪文の遅さを補い、多重化した意味が手数を増やしていく。

 月の白に輝く斧槍が、闇色の黒衣を両断した。


「やはりそれは星見の塔第二位、ダーシェンカの【燦然たる珠】と同じ引喩呪術。君はどうやらその弟子らしい――全く、第二位と第三位の弟子と同時に戦うことになるとはね」


 黒衣の端が灰になっていき、巨大な存在がゆっくりと希薄化していく。

 同じように消滅していく使い魔の背後に下がったユネクティアは、最後の力を振り絞って跳躍し、エスフェイルの傍に辿り着く。


「師兄? そんな、まさか、貴方までもが」


「いいかいエスフェイル。あれの正体がわかった。解析結果をこの剣に封じたから、後は任せたよ」


「ですが、ですがっ」


「そんな声で呼ばないでおくれ。君はもう僕より強い。これからもっと強くなれる。だから、ほら、前を向いて――」


 黒衣が灰になって消えていく。

 エスフェイルの慟哭が遠吠えとなって夜に響いた。


「これで、十人目」


 静かに呟いて、暗に十一人目が誰かを仄めかす。

 エスフェイルは【静謐】の対策を編み出していたが、今や私の戦い方はそれだけに頼ったものではない。


 歌姫が尖塔の内部に追いつき、他の仲間たちも次々と集まってきている。

 ガルズとマリーは追い詰められ、頼みの大魔将は封じ込められたまま。

 いかにエスフェイルが強かろうと、もはや打つ手は無い。


 すぐに終わらせてやる。

 駆け出した私を、エスフェイルの憎悪に満ちた眼光が貫く。

 ふと、思い出してしまう。


 この状況は、いつかの第五階層での戦いの裏返しだ。

 時間稼ぎの為に次々と仲間が死んでいき、ただ一人、お前が最後の希望だと逃がされる――。

 あの時、私は【死人の森の断章】の解析をするために逃げ回っていた。


 待て。

 ガルズが、黒い魔導書を持っていない。

 壮絶な悪寒。


 エスフェイルの狼の頭部、そこから繋がった模造の月、その上の赤頭巾の少女から巨大な呪力が放出される。少女が衣服の中に抱え込んでいた黒い魔導書が浮遊して、急速に項がめくられていく。


「『掌握』が完了した! 皆の死は無駄にはせんぞっ! ガルズ、今だ!」


 エスフェイルが叫ぶと同時に、ガルズの金眼が閃光を放ち、虚空に無数の泡が浮かび上がっていく。

 世界槍が鳴動し、高い天井をすり抜けて非実体の宮殿が降ってくる。

 睥睨するエクリーオベレッカが召喚されたのだ。


『なるほど――エスフェイルが復活してからずっと、この瞬間を待っていたのね。邪視と使い魔系統に特化した死霊使いのガルズだけでは、【死人の森の断章】の掌握は不完全だった。だから呪文と杖に優れたエスフェイルの力がどうしても必要だったというわけ』


 リールエルバの冷静な分析。吸血鬼たちに指示を出して魔導書の奪取を試みているが、凄まじい振動で第一階層そのものが揺れ動いている上、呪力が高まり続ける二人の圧力によって近づくことが出来ない。


『底なる古き神ハザーリャと頂なる古き神エクリーオベレッカの力で世界槍の核に干渉し、最上の霊媒たる聖女を生贄にして今と異なる世界法則――火竜でも降ろすつもりかしらね? あは、割と洒落にならない状況じゃなぁい?』


 冗談めかしているが、リールエルバも必死だった。

 ガルズとエスフェイルの呪術儀式は完成しつつある。

 この場でそれを阻止できるのは、あの魔導書について詳しい知識を有するリールエルバだけだ。


 私は斧槍を構えて突撃する。背後から歌姫が呪文で加勢し、セリアック=ニアが爪を伸ばしながら疾走し、リーナが箒に乗って飛翔していく。

 直後、エスフェイルが複数に分裂した。


 操られた死人の少女が凄まじい呪力で歌姫と激突し、模造の月がセリアック=ニアの一撃をあえて受けることで自らを呪宝石に変えて自爆。

 衝撃で私やリールエルバの吸血鬼たちが吹き飛ばされる。


 ただ一人、リーナだけがプリエステラの花弁の防壁に守られて元の人狼に戻ったエスフェイルに肉薄し、浮遊する魔導書を掠め取っていく。

 しかし。


「遅いわ――既に掌握したと言っただろう。全ての呪文は完全に習得し、我が物としている。このエスフェイル自体が【死人の森の断章】であると知れ!」


 エスフェイルの絶叫と共に、天地から無数の光と泡が溢れ出した。

 第一階層が――白く清澄なる空間が歪曲していく。

 ガルズの浄界よりも巨大な何かが、世界槍という異界そのものを歪め、改変しているのだった。


 死を司る天使たちが、天地の獄を一つに融け合わせていく。

 トライデントの細胞たるガルズとマリーが唱和する。


 ――イェツィラー。


 青い流体が天地を繋ぐ。

 そして、全ての音が消えた。

 空が降ってくる。大地が隆起する。

 そこが高層建築の最上階近くであるという現実すら崩壊して、第一階層が変貌していく。


 それはその周囲――エルネトモランすら侵食して、巨大な世界内部の異世界を形成していく。

 ゆっくりと拡大するそれは、新たな世界のあり方。

 死者たちが、現在から遡って順番に現世に解放されていく。


 今までの、ガルズとエスフェイルが行っていたような規模とは違う。

 全生命が最初に死んだ瞬間にまで遡る、極限の魂の解放だ。

 夜空には天の御殿、大地は輪郭の定まらない光る泡。

 エスフェイルは左腕に【言理の真葉】を宿し、ゆっくりと二つの足でこちらへと歩いてくる。


 その周囲に宿る、膨大な呪力――そして魂。

 私たちが一斉に攻撃を行うが、その全てが無力化される。

 エスフェイルが操って見せたのは、これまでに見たことがある呪術ばかりだ。

 十種の多種多様な呪力――死んでいった魔将たちの力を振るいながら、エスフェイルは宣言する。


「狩りの時間だ。今から貴様らを一人残らず殺してくれる――安心しろ。新たな世界の理では、それこそが正しき在り方なのだ」


 圧倒的な力を得たエスフェイルに私たちは立ち向かっていく。

 ぐるぐると逆転していく力関係。

 追うものと追われるもの、攻めるものと守るもの。

 憎しみと怒りの向きさえ反転して、対には生死すら曖昧になる。


 そして――。




 硬い泡を弾けさせながら転がっていく私を無数の棘が、使い魔が、瘴気が、光線が追撃する。

 仲間たちの援護がそれを防ぐが、あらゆる攻撃を解体するエスフェイルの疾走は止まらない。


 神速の刃と私の斧槍が二度、三度と打ち合わされる。

 その腕力、技量共にエスフェイルが遥かに上。

 当然だ、夜の民四氏族で最も身体能力に優れているのは人狼なのだから。

 ユネクティアを上回る速度の斬撃が私を後退させ続ける。


 怒涛のごとき呪術が炸裂し、私は吹き飛ばされる。

 ユネクティアが私の正体を解析したというのは本当だろう。託された刃は間違いなく私の構成を切り刻む。

 あれは紛れも無く最強の呪文殺し。私の天敵だ。


 歌姫の呪文すら断ち切って、エスフェイルの必殺の一撃が振り下ろされる。

 回避も防御も誰の援護も間に合わない。

 勝利を確信したエスフェイルが叫ぶ。


「断ち切れ、エアル・ア・フィリス!」


 絶体絶命。

 最後の金鎖を砕く間も無く、即興で打開策を思いつく余裕すら無く――。

 私は何も出来ず、致命的な剣を見ることしかできない。

 そして。


 硬質な音がした。

 分厚い盾に、剣が弾かれる音だ。

 更にはその背後から絶妙なタイミングで正確無比な刺突が繰り出され、眼球を狙われたエスフェイルは後退を余儀なくされる。


「何をやっている、アズーリア・ヘレゼクシュ! 敵はまだ目の前だぞ! これは演習ではない、気を引き締めろ!」


 力強い声に宿る懐かしい呪力の響き。【鼓舞】の呪術が私の心を奮い立たせる。

 背後からかけられた祝福祈祷が傷ついた私の心身の苦痛を和らげ、身体能力を上昇させていく。

 そして、時の尖塔だった頃の名残として存在した複数の罠が起動してエスフェイルを誘導。その先に設置されていた起爆呪符が炸裂する。


 薄らと体を透けさせた、五人の修道騎士たち。

 その戦い方、その声、その存在感、その全てに、失われたものへの懐かしさを感じて、私は思わず震える声で彼らの名を呼ぼうとしたけれど、


「細かいことだの湿っぽいのは無しにしとこうや。それより、俺はあいつに借りを返したくてしょうがねえんだ。お前無しじゃ始まらねえからよ、いっちょ頼むわ、アズーリア」


 初対面の異邦人とも気軽に打ち解けるような軽やかさで、彼は以前と変わらない口調でそう言った。

 皆が揃って頷く。


 背後で、リーナから渡された【死人の森の断章】をエスフェイルを上回る速度で掌握してみせたリールエルバとセリアック=ニアが得意げに言い放つ。


「だから言ったでしょう。これは私が一番上手に使えるんだって。【死人の森の断章】の使い手として最もふさわしいのはこの私。誰にも異論なんて言わせない――この光景が、それを証明してると思わない? と姉様は仰っています。セリアもそう思います」


 今回ばかりは、私もセリアック=ニアに同意せざるを得なかった。

 遠くから、多くの修道騎士や探索者が集まってきている。その多くの肉体は半透明で生きている雰囲気を感じない。


 遠くから、ミルーニャが駆け寄ってきてくれている。

 後ろにいるのはミルーニャに雰囲気の似た女性だ。その隣で青い顔をしている白髪の人物にはなんとなく見覚えがあるような気がした。どこかで見た弩を手に持っており、その後ろからやはり見覚えのある青年と黒檀の民の男が現れる。


 エルネトモランのいたる所で、似たような事が起こっているようだった。

 途絶えることのない歌が響く。

 既に集団戦闘の手法を確立しつつあるサイバーカラテ使いたちの、「発剄用意」の声が機能的に連鎖していく。


 ガルズが半透明の死霊と腐敗した死人を率いて金色の光を放射し、マリーが青い流体を掌に集めて天空に手を伸ばす。

 エスフェイルが吼え、その背後から夥しい数の人狼たちが蘇り、軍勢となって顕現する。

 

「おのれ、どこまでも私の前に立ちはだかるか、狂信者ぁぁぁぁっ!!」


「狂信者なんかじゃない――教えてやる、私の名前を」


 そう――私は、エスフェイルに名前を教えたことは一度も無い。

 だから、今ここで宣名をしよう。

 名前の意味を知らなかった。

 空がどうして青いのか、問いの答えを見つけられなかった『猫に名付けられた子供』。名前の意味を知らないから、宣名が正しく出来ない私。


 けれど、今はもう知っている。

 私は――澄明なる青空という記号やその意味それ自体は重要じゃない。

 全ては連関の中に。

 青という色彩ことばは、青じゃない色彩べつのことばによって規定される。


「『仮想使い魔』っ! もはや夜の民であることすら放棄した貴様を、師兄より受け継いだ剣で解体するっ!!」


 黒百合の子供たちによって詠唱、維持される超高度な複合呪文。

 幼馴染たちが過去の思い出を語り、私を外部から再生するとは、つまりそういうことだ。夜の民を完全再現する、世界を騙す呪文。

 生きた仮想使い魔――幻獣。


 私は知性ではないかもしれない。人ではないかもしれない。呪文によって人工知能を実現するなんて夢のまた夢かもしれない。哲学的ゾンビかも知れないし、生命というより現象に近いのかもしれない。

 けれど、私は流れ行く時間の中に確かにいる。

 特定期間のいつかに、不動の『かたち』で響いてる。


 黒百合の子供たちだけじゃない。

 世界中の沢山の私じゃない誰かが、私という存在を規定する。

 だってこの世界には模倣子が満ちている。

 わずかでも関連と類似があれば、そこには呪力が生まれるのだ。


 未知が既知になるまでのわずかな瞬間。

 知らない幻想の狭間に住まう、私という存在の本質は、幻。

 うつろい、不確かで、形のない、そして本当はなにものでもない。

 私には足場が無い。私は存在しない。ゆえに。


「号は澄明アズール、性は摸倣、その起源は幻獣ファンタシーア


 存在しない幻想として、永劫に響く歌声に誰よりも寄り添える。

 だから私は、私こそが。


「キュトスの姉妹の七十一番、未知なる末妹ハルベルトの使い魔にして一番弟子! 私の名は、永続者アズーリア・ヘレゼクシュ!」


 







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