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3-30 その名はサイバーカラテ

「静かな世界で、ひとりきり、歌っていた。

 けれど、あなたが来てくれた」


 全ての有意味な情報は可能な文字列の中に必ず含まれている。

 あらゆる音楽は、有限の集合の中から紡がれる。

 歌とは原理的に必ず既知を配列して生み出される。


『太陽の眩しさに怯え続けていた。

 けれど、昼間でも月は昇ると教えてくれた』


 第四衛星である太陰イルディアンサの『神々の図書館』はありとあらゆる言語情報を管理し、世界の秩序を維持している。

 けれど、それは神話の模造にすぎない。

 本物は、どこかにあり、どこにもないのだという。


【ありふれたものを、奇跡に変えて。

 つまらないものを、輝かせて?】


 神々の司書ラヴァエヤナは、今ここ、どこでもない場所で――それは月であるという説が有力だ――言葉という記号の管理をしている。その隣では第六の創生竜、耳長カーグのロワスが論理を整理しており、図書館の換気孔から投げ捨てられた意味だけが月光の呪力となって大地に降り注ぐのだと言い伝えられている。


 ――ちっぽけなおまじない。

 ――小さな祈り。


 神々の図書館に収められた、本という名のあらゆる記号の群れ。

 書架の間には妖精たちが住むという。

 実のところ、記号や意味やその狭間の全てが言理の妖精たちなのだ。

 それは遍在する。どこにでもある。ありふれている。普遍的なもの。


 触れられない、近付きたい。

 透明なあなたに、届かない声で呼びかける。


 言理の妖精語りて曰く、

 「言理の妖精語りて曰く、

 『言理の妖精語りて曰く、

 【言理の妖精語りて曰く――――

 

 」や』や】やあるいは。で閉じられないまま、世界は世界によって語られる。

 もう既に、語られ尽くしている。

 世界とは、言理の妖精たちの悪戯によって生み出される悪ふざけに過ぎない。


 それは絶望だろうか。

 真実を悲観して自殺する創作者の幻影を、否定することは誰にもできない。

 ありふれた過去を、分かり切った未来を参照し続け、引用と摸倣を繰り返す。


 既視感に溢れた世界。

 始まる前から停滞しきった、終わってしまった世界。

 それはどうしようもない行き止まりだ。


 響き渡る歌は、単一の言語によって響いていた。

 誰かにとって意味のある言葉の群れ。

 多くの人には伝わらない音の、意味の、質感の群れ。


 けれど、感じてしまったからにはそこに意味を見出さずにはいられない。

 無意味で解釈不能な記号の群れを、人は既知の材料を寄せ集めてどうにか解釈しようと反射的な思考を行ってしまう。


 それは人間が人間であるがゆえの、野生の思考ブリコラージュ

 呪術の枠組み。

 人はそれを空耳と呼び、あるいは幻聴と呼んだ。


 己の属する文化圏。共同体。言語。民族。生活。環境。そして信仰。 

 個々人の内面から自動的に出力される、有限の、されど多種多様な個別の楽想。

 個人史パーソナルヒストリーを参照して人の記憶の中で奏でられる、風変わりな多声音楽エスニックポリフォニー


 実のところ意味が全く通っていない完全な創作言語による歌唱。

 全ての可能な記号からは、必ず意味が引き出せる。

 全ての可能な集合からは、必ず美しい配列が呼び出せる。


 数学のシステムが異なる異世界同士はお互いを参照できない。

 それは、互いを意味として解釈できないからだ。

 たとえ一見異質に見えても、その基底となる『可能性』は同一である。


 個人史を参照して美しさを引き出す呪文。

 語り得るパターンの輪郭の全て。

 それこそが人々に引用デジャヴュを思い出させ、そこにはない語り得ぬ未知を想像させる。


 次の瞬間には儚く消えてしまう希望。

 足を踏み出した瞬間に崩れてしまう期待。

 辿り着いてみればひどくつまらない、色褪せた未来。


 それでも、その歌が響いている瞬間だけは、予感を抱くことが出来る。

 聞こえてる。届いてる。感じているそれだけが、輝くような色彩だから。

 色とりどりの幻想を、視覚や、聴覚や、嗅覚や、味覚や、体性感覚のどれでもない、存在しない感覚ではない感覚で非知覚する。


 響く歌は、万人にとって異なる色彩をしていたけれど。

 その彼方に輝く幻想は、確かに同じ輝きを放っていた。

 そしてそれこそが、幻影アイドルが紡ぐ呪文の正体だった。


 種族たる人の生物学的な性質に由来する叫びが響く。

 市場で取り交わされる噂による人の相互的な関係性に由来する囁きがそよぐ。

 洞窟の中で人の内的経験としての性質に由来する呟きが刻まれる。

 舞台の上にいる人の世界観や信仰としての性質に由来する歌劇が開演する。


 幻想を参照する。

 『ありえないもの』それ自体が、自己を再帰的に参照して拡大していく。

 ずれが無く、遅れが無く、透明な連関。


 存在しない未知を、原理的に言葉の上でしか成立し得ない未知を。

 さだめとことわりを切り分けて、おとぎ話の妖精のように軽やかに飛躍する。

 幾多の言理が想像され、それらはただ同時に生起し、同時に結ばれた。


 永劫の過去から永劫の未来まで、その幻想は必ず一つ。

 時間軸には存在しない、それこそが唯一無二の永遠である。

 それが紀元槍。それが絶対言語。

 

 非線形参照型差延機関セルフ・ディファレンス・エンジン

 【エスニック・ポリフォニー】が奏でる【非エスニック・ポリフォニー】。

 三つの儀式の最初の一つ。

 【過去】の頌歌オード


 いつでもない場所からどこでもない時間へ、歌姫は軽やかに舞い降りた。

 死んだはず。殺されたはず。

 もういないはずの漆黒の歌姫は、黒玉の瞳を煌めかせ、羽衣のようにして身に纏った文字ならぬ文字の群れを翻す。


 魔将たちの眼前で浮遊する圧倒的な存在に、最初に攻撃を仕掛けたのは第七魔将アケルグリュス。

 世界に響く歌声に対抗するべく自らも呪文を紡ごうとする。

 が、遅い。


 膨大な無言の呪文によって吹き散らされる。

 グラマー界に満ちた膨大な情報量は、有翼人魚セイレーン最高の言語魔術師と謳われたアケルグリュスの呪力を遙かに凌駕していた。


『そんな、馬鹿な。何故、どうしてあなたがここに』


 互いに、【心話】による瞬時のやり取り。

 その瞬間、アケルグリュスには理解できてしまった。

 『ことば』が伝達される際に実感する、その圧倒的精度。

 両者の呪文使いとしての力量は、隔絶しているのだと、確信してしまう。


『【歌姫モード】の私はお姉様と存在を重ねているから死なないの。私の歌が人々の心に存在する限りにおいて、歌姫としての私の偶像は途絶えない。この歌が響く全ての時間が、私の不死なる頌歌オードということ』


 そして、歌とは音であり文字でもある。

 再現可能なパターン、その全て。

 それが事実であるならば。

 ――確実に殺せることが確定している脆弱な存在ということだ。


 全ての可能な有限集合の中に存在するパターンを、永劫の彼方まで、終わることのない殺戮を繰り返せば、いつかは必ず殺害可能。

 宇宙が終焉を迎える頃には、きっと滅ぼす事ができるだろう。

 四魔女の中で最も不死から遠く、最も殺す事が困難な、永遠不朽に響く魔女。


『そんなの、絶対に殺せるはずがない! 真の不死、真の不滅じゃない!』


『だから、キュトスの姉妹というのは不死で不滅なの。知らなかった?』


 ハルベルトは四魔女最弱である。

 ただひとりだけ常人であり、変則的な三叉槍の名を与えられている。

 しかし、歌姫としての姿を現した彼女の存在強度は逆に四魔女最強となる。


 硬質な実体を持ったトリシューラを超え。

 無数の細胞として分散されているトライデントを凌ぎ。

 神話の登場人物たるコルセスカを上回る。


 三叉槍の四魔女。不自然な数の中に、仲間外れが一人いる。

 奇形の三叉槍。否、それは本来三叉槍とは呼ばれないはずだ。

 アックス? 大釘スパイク? 長柄武器ポールウェポン

 それは連関として、構造として存在の狭間に非存在している。


 三叉の間の空白。

 あるいは、全体構造を包み込むより大きな認識。

 言葉の器には、いずれの三叉槍も収まり得る。

 しかし、最後の一人はその中に入るのか、それとも入らないのか。


 その形は敵対者を貫き、あらゆる外敵をまつろわせる。

 力と男性原理の象徴。あらゆる概念を貫くその名はスピア

 

 その形は石を砕き、木々を切り倒し、人の営為を拡張する。

 月の満ち欠けと地母神への崇拝、文明を象徴するその名はアックス


 どちらでもありどちらでもない。

 その名は斧槍ハルベルト

 太陰イルディアンサの慣用句で、矛盾を表す『強きもの』の象徴である。


『人類を一つにする、というトライデントのアプローチは正しい。実際の所、この状態の私を倒す為には全人類の世界を掌握するくらいしか方法が無いから』


 絶望を告げられた魔将アケルグリュスは、完全に砕けた心を主への信仰で強引に繋ぎ合わせて身体を奮い立たせた。

 翼をはためかせ、尾びれで虚空を叩き、決死の覚悟で絶対者に挑みかかる。


 歌姫が身に纏う有限個の文字列集合が全く同時に再配列された。

 ありとあらゆるパターンの有限な呪文が魔将に斉射され、死人の群れを撃ち貫いていく。

 地上から、全てが致死たる魔将の攻撃が嵐となってそのか細い肉体を襲う。


 肉塊となり、鮮血が飛び散り、黒々としたインクが中空を舞う。

 そう――極大の呪いを宿した黒い血が。

 最悪の事態に気がついたユネクティアが仲間たちを制止するが、全ては遅い。


 詠唱は高らかに。

 宣名は誇らしく。

 浄界によって歪んだ夜空には逆さまになった天の御殿。

 エクリーオベレッカが睥睨する地上に、女神が降臨する。


『赤きワインをインクに変えて、葡萄絞りが書を開く。ホスティアを血に浸せ、其は黒き聖餐サバト先導者トリウィアー


 黒き血液、それはすなわち文字を描くためのインクのアナロジー。

 飛散した呪文の群れが、言葉によって人物を描写していく。 

 うら若き乙女、成熟した慈母、思慮深き老女。三相の姿が入れ替わり立ち替わり四次元的に変移し続ける、永劫の循環を体現した魔女神の顕現。

 

『――創造の言葉ブリアー

 

 長い年月を経て化石になった樹木のように柔らかな光沢を持つ黒玉の瞳。

 文字によって構成された変幻する衣。

 永劫の時間、あらゆる線的な認識を超越した歳月無き容姿。


「号は黒、来し方は月、永劫なる紀はことば


 無数のページと文字列をまき散らす漆黒の魔導書、【異界の黙示録グーテンベルクギャラクシー】が自己複製と大量印刷の摸倣子によって情報の嵐を巻き起こし、漆黒の文字列が一つの銀河系を創造していく。


「未知なる末妹――黒血インクジェットのハルベルト」


 黒血呪。

 エルネトモランに蔓延する絶望を代償として発動した禁呪の一つが、歌姫に神秘の力を与えていく。


「エクリーオベレッカよ、ハザーリャよ! 死者の記憶を呼び覚ませ! 死霊使いの名において命ずる、【死の囀り】よ、在れ!」


 ガルズの金眼が強烈な輝きを放ち、虚空から無数の泡を浮かび上がらせる。

 それは、パレルノ山で彼が記憶した絶対なる死の記憶。

 キュトスの姉妹第三位の亡霊を参照した、模造の虐殺歌。


 圧倒的な殺戮の呪文が、波濤となって歌姫の呪文嵐と激突する。

 歌姫と死の囀り。

 両者の呪文は、拮抗していた。


 そればかりではない。

 彼方から鰓耳の民がアストラルの海を泳いで迫り、あらゆる中継点を経由しながら猛然と炎が迫る。

 それらを指揮しているのは第八魔将ハルハハール。


『さあみんな、魔女を火炙りにして、石を投げよう! 我々の美しい世界に醜い魔女は不要だと叫ぶんだ! 魔女はいらない!』


 蝶の翅が呪力を宿した鱗粉を散布すると共に、世界中から歌姫を中傷する文字列が集い、炎となって次々と荒れ狂う。

 絶望的な物量攻撃。

 全方位から迫る呪文。だが歌姫は眉一つ動かさない。


 夥しい数の『藍』の色号――それは世代を超えた一族の記憶。

 怨念、怨嗟、苦闘、弾圧、そのすべて。

 実際に体験していない若い世代にまで受けるがれていく呪いの摸倣子。

 『土地』に記憶されたその呪力を、より巨大な歌が一瞬で切断する。


 藍色の呪力を波や渦の形にして放出する鰓耳の民たちの攻撃を、漆黒が塗りつぶし、全て押し流す。

 一つの生物のように整然と並んでいた鰓耳の民。

 しかし、一度群れとしての形を崩されると、世代間、更には個々人の間での意識の溝が浮き彫りとなり、気付いた時には集団は壊乱していた。


 燃え上がる炎の色は朱の色号。

 抱いていた夢を壊されたと嘆く声を中心に、猛り狂う炎が襲い来る。

 その色彩を、歌姫は新たな夢の形、己の真の自己像によって強引に塗りつぶす。

 それでも、と追いすがる声を腕の一振りで両断。

 

 だが、一度燃え上がった炎は簡単に消えることは無い。

 便乗して騒ぎたいだけの者、悪意を振り撒きたいだけの者、衆目を集めて呪力を手に入れたいだけの者、機械的に文字列を吐き出す機械などが火勢を強めていく。


 いかに歌姫が優れた呪文の使い手でも、その全てを消しきる事はできない。

 その時、彼方から無数の白い紙片が飛来し、耐火壁ファイアーウォールとなって歌姫を守護する。

 それは内側から歌姫を肯定し、応援する無数の便箋だった。


 圧倒的な数の炎に比べてその数は余りに少なかったが、それらは形の無い悪意よりも遙かに堅牢な障壁。

 辛抱強く歌姫を守り続ける白い壁とは反対に、移り気で飽きやすい悪意たちは早々に退散していく。彼らの大半は魔将への忠誠心など持っていないのだ。


 ハルハハールの信奉者たちはそれでも諦めずに攻撃を続行するが、既に自分たちが丸裸にされている事に気づけない。

 圧倒的な『歌』の呪力が、魅了された者たちの洗脳を洗脳で上書きする。

 『ハルハハール様』『アケルグリュス様』の大合唱が『歌姫Spear』に置き換えられていく。


『馬鹿な、完璧に美しい僕たちの支配が破られるなんてっ』


 それでも強固に付き従う者たちも中にはいた。

 だが彼らは別の幻惑に囚われてしまう。

 終わらない幻の中で、思うままに歌姫を蹂躙しながら勝利の快感に浸る。

 兎型神働装甲の内部で、虚ろな目で涎を垂らす裏切りの修道騎士はハルハハールに褒められる幸せな夢を見ながら、【炎上】の呪術で醜い敵を焼き尽くす。


『やめろドルネイフ! 攻撃するのは僕じゃない! 僕はお前の主だぞ!』


 呪われた歌に操作された魔将の信奉者たちが、魔将を信じたまま魔将へと攻撃を加える。ありとあらゆる呪術がハルハハールとアケルグリュスを焼き尽くす。

 そして、歌姫はガルズが呼び起こした【死の囀り】と相対した。

 圧倒的な死の奔流。


 死の囀り。破滅の呪歌。無限の悪意。

 死霊使いが再生する無造作な大量死の記憶に、新たにその座についた歌姫は真っ向から立ち向かう。


 死んだものを塗り替えて、生きた物語へと新生させる。

 散文的な事実を、叙情的な神話へと変換する大禁呪――卑しきを貴きに、俗なるものを聖なるものに、物質マテリアル霊性アストラルに。


 交換可能な事実を、交換不可能な幻想へと変貌させる、原初の願い。

 黒血呪インクジェット――鮮血呪スレッショルドと対を為す、呪術世界の根本言理がその本質をさらけ出す。


『いつか――死の囀りという呪いは、歌姫という祝福に変わるから』


 誰かが言ったその幻想を、思い出と共に参照する。

 拮抗する力。

 その均衡を崩したのは、過去から呼び込まれた他の誰かの呪文だった。


『言理の妖精語りて曰く!』


 その瞬間、歌姫は霊的侵入クラッキングを開始した。

 金眼と【死人の森の断章】による天の御殿へのアクセス権限を乗っ取り、紀元槍に刻まれた【死の囀り】という呪詛を改竄。


 遠く、星見の塔にある一室で、一人の女性が小さく声を漏らす。

 布で覆われた口と、喉のあたりにそっと指先をあてる。

 それから、小さく笑い声を上げた。


 それを聞いていた彼女の妹たちは久しく聞いていなかった姉の声を耳にして驚き、恐れ、慌てふためき――それから、自分たちの身に何ら災厄が訪れていないことに気がついて、姉に駆け寄った。

 祝福の言葉が、紀元槍全体を全く同時に駆け抜けて歌姫に伝わる。


 【死の囀り】としての呪文の波濤が、完全に砕け散った。

 愕然とした表情のガルズを見下ろして、歌姫は輝く呪文の槍を天に掲げる。

 これより世界は一変する。

 その序章はこれにて閉幕。


 しかし――歌姫はわずかな危惧を胸に抱いた。

 己のすべきことは完璧にやり遂げている自負がある。

 けれど、これはもしかしたら主役の座を奪われてしまうかもしれない。

 などと、この場の主役であるが故に追い落とされる不安を感じてしまう。


 何せ、次なる一幕で登場する『真打ち』は、自分よりも遙かに荒々しく、そしてなにより無遠慮だ。

 負けてられない。うかうかしていたら『掻っ攫われる』に違いない。

 何を、なんて、もちろん言うまでもない。

 歌姫は一番大切なものを奪われない為に、己の戦いを始めた。





 ミルーニャ・アルタネイフは、死人に満ちた夜の街を疾走する。

 目覚めた時、事態は全て終わっていた。

 結局の所、ミルーニャのプロトプラズマ収束弾は一定の効果を上げていたのだ。


 更に理論上は可能な(実行したと聞いた時には叱りつけたいのをぐっと堪えた)質量ゼロ状態による『光の速度』でのリーナの突撃によって魔将は撃退された。

 その結果を、ごく自然に二人は受け入れた。


 自分の怪我がすっかり治っているのも、もちろん肉体に残っていた再生能力のお陰だろう。何もおかしな点は無い。

 『歌』を聞いた二人は、反撃の合図に互いに顔を見合わせて、生き残った者たちを駆けつけた草の民たちに預けた。

 

 ガルズを、マリーを、魔将たちを止める為にそれぞれ行動を開始する。

 ミルーニャは端末に向けて命令を下す。


「右手薬指、解錠アンロック! 【命脈の呪石アライヴ・アゲイン】!」


 まずは神滅具の構造を分析した結果として生み出された肉体強化呪文、【賦活インスティル・エナジー】を発動。

 呪文を参照した全ての人々に身体能力の強化術をかける。

 

「右手人差し指、解錠アンロック! 【血色の戦場旗エンスレイヴ・トゥ・ザ・マインド】!」


 扇動と精神干渉の神滅具をフィリスを利用して情報的に解体し、アプリケーション内部に組み込んでいく。

 その二つは、足りないものを補うための代替品だった。

 心技体。機械で出来ないことを、呪術によって行う為に。


 エルネトモランに急速に広がっていく、とある種類の体系を宿した摸倣子。

 散らばった形の無い紙片が、文字列が、ウィルスが、それらを拡散、伝播、浸透させていく。


 漆黒の魔導書、【異界の黙示録グーテンベルクギャラクシー】は、音無き呪文を伝播、複製する能力を有する。

 黙読文化の摸倣子ミーム――それは、極度の情報化圧を世界に押しつける、文字による邪視的侵入クラッキングである。


 準備は完全に整えられていた。

 吸血鬼の仕掛けたウィルスには錬金術師が呪文として再構築した神滅具の模造品が組み込まれている。


「なんだこれ」


 と誰かが言ったのが聞こえた。

 ミルーニャは実際に試験運用をした者として細かい使用感、評価などをわかりやすい文章で、且つ映像付きでアップロード。

 小柄な少女の堂々たる動き。そこには説得力が宿る。


 一般人を達人に変える、万能の武術。

 その名はサイバーカラテ。

 注射器を腕に突き刺し、霊薬液を体内に注入。

 ミルーニャは跳躍し、その全身を変貌させた。


 巻き毛の髪色は白く染まり、瞳は赤。

 服装は華美なドレス。月下に翻るのは白と青のひだ飾り。

 可憐な美貌を月下に踊らせて、上空から念写撮影を続けるリーナにその姿を見せつけるようにして死人の群れに立ち向かう。


「発勁用意」


 眼鏡をかけたミルーニャの視界に、幻影呪術が作り出す文字が浮かび上がる。多腕型サイボーグ用格闘戦術案の呼び出しを実行。

 この世界における該当武術を検索。三件の一致。多腕多頭系武術、翼撃武術、変身者による肉体変異武術による代替が妥当との判断。


 ――該当武術は有効ではあるが、一時的に使用を保留。

 今必要なのは、か弱い少女によるデモンストレーション。

 基本となる護身術プログラムを呼び出し、情報として展開していく。


 ヘルプを呼び出して視界隅に表示された鬱陶しい赤毛の二頭身ガイドを消す方法を検索。異界の武術体系とこの世界の武術体系の中から最も合理的であると判断された戦術が複合され、それらが渾然一体となって一つの体系に組み込まれていく流れを、ミルーニャは見た。


 ――なんて、素敵なんでしょう。

 その混沌と秩序を、ミルーニャはただ美しいと感じた。

 そして、これにもっとはやく巡り会えていたなら、とあり得ない過去を一瞬だけ幻視して、すぐに自らの弱さを振り払う。


 まずは目の前で唸り声を上げる死人たち。

 腰を低く落として、二本の足で身体を支える。

 全ての判断は、とある『世界最高水準の人工知能という幻想』によって下されていた。偉そうに胸を張る二頭身を非表示にする方法を発見。二度と出てくるな。


「NOKOTTA!」


 高らかに叫び、正面の死人への掌底、真横から迫る敵への肘打ち、鋭い踏み込みからの脚撃と続けていく。

 流れるような演舞が世界に拡散し、その圧倒的な力と効率的な動きが『それらしい』ものとして評価を高めていく。


 胡散臭いものであったサイバーカラテは、その瞬間ひとつの認識を獲得する。

 サイバーカラテは一般人でも使える。

 それがたとえ、体格で劣る少女であっても。


 ミルーニャがミアスカ流脚撃術の鍛錬を日々続けていることは、誰も知らないし誰も興味が無い。

 それで十分だった。

 衝撃的な映像を見て、エルネトモランで窮地に立たされた人々の心が奮い立つ。


 そして、【サイバーカラテ道場】という『呪文』が一斉にインストールされる。

 第五階層の支部を参照する者もいた。

 全ては、師範代であるというその外世界人によって伝わった。


 道場に本部は存在しない。

 それは、形の無いサイバーカラテという枠組みそれ自体が本部である為だ。

 サイバーカラテ道場は、いつでも人々の心の中にある。


 高位の言語魔術師たちがその叡智の限りを尽くし、徹底的な改造が施されたサイバーカラテはもはや原形を留めていなかった。


 しかしそれも無理のないこと。

 杖による電子制御義肢は未だこの世界では発展途上。


 異獣憑きや、あるいはナトのように手足を呪具として操作する人形使いのような手法にも技術、コスト、本人の資質という問題が立ちはだかる。

 けれどミルーニャは、この体系をどうにかより実践的に世界に適合させることが出来ないかと考えに考えた。


 サイバネティクスはこの世界では未だ困難だ。

 ならば、代わりとなるオカルティズムを使えばいい。

 吸血鬼ウィルスの【支配ドミナント】による遅延のない情報伝達。

 【心話】ほどではないが幻覚や魅了による意思疎通を可能とする呪術。


 それを、太陰によってもたらされる言語秩序の調整によって効率化する。

 そのシステムの構築にあたって、あらゆる権力が濫用された。

 とある事情により細部が欠損したサイバーカラテの不完全性。

 そして呪術が存在することを前提としていない不備。


 それらを補うべく、一時期ミアスカ流脚撃術だけではなく古今東西の武術を調べた事のあるミルーニャが膨大な資料を持ち込み、それらを情報処理が得意な仲間たちと共にデータベース化。

 カタルマリーナ派、ペリグランティア派、智神の盾の総力を挙げての大仕事。


 だが、それだけではサイバーカラテの心技体のうち『技』しか補えない。

 そこで、ミルーニャの出番である。

 アストラルネットを通じた、端末経由の呪文インストール。


 人々は【血色の戦場旗】によって扇動され、戦いへの恐怖を忘れていく。

 呪術による洗脳と扇動。

 恐ろしい戦い、死と暴力とは縁遠い普通の人々を狂躁に駆り立て、浮かれた馬鹿騒ぎに誘う魅了の幻影。

 サイバーカラテが前提とする感覚、感情制御の『心』を擬似的に再現する。


 『体』の問題を改造し、呪文化した【命脈の呪石】――かつて計画していたような『不死』ではなく、劣化した効果にはなってしまったが、今はそれで構わない――を発動させて一時的な身体能力の強化を行う。


 心技体は呪術の力によって再現された。

 中身が丸ごと入れ替えられ、言葉の枠組みだけがそこに残る。

 部品を全て入れ替えてしまった船は果たして同じ船と言えるのか。

 サイバーカラテという知らない言葉の輪郭だけが、その世界に刻み付けられる。


 もはやリーナによる念写中継は必要無い。

 制限を解き放たれたミルーニャの背から純白の翼、腰から長大な尾の如き三本足が飛び出してサイバーカラテの真の力と組み合わさる。

 多腕、多脚のサイボーグなど異世界ではありふれているという。

 つまりそれは、微調整さえすればこの世界の異種族と規格が合うということだ。


 ミルーニャは他腕型サイボーグ/種族用戦闘プログラムを駆使して三本足で多腕発勁【御掌打】を放つ。ミアスカ流脚撃術を土台にしたいいとこ取り、付け焼き刃の戦法。そして、サイバーカラテとはその全てが付け焼き刃である。

 使えるものはなんでも使う。

 杖の性質が強い第九位の眷族種たちにそれはよく馴染む。


 遠くから、イナゴ型の神働装甲三型がミルーニャに迫る。

 その横合いから跳び蹴り、掌打、装甲内部に貼り付けた呪符による【爆撃】という連撃を行ったのは、見知らぬ霊長類男性。

 どうやら修道騎士らしく、身体の各部に様々な武器を所持している。


「発勁用意! NOKOTTA!」


 彼はゴーグル内に流れる文字列を参照しながら立て続けに掌打や蹴りによって神働装甲を効率的に破壊していく。あたかも、初見の機械の構造を外部から推測して打倒するための最適な手段をあらかじめ知っていたかのように。


 やがてイナゴはばらばらになり、その中から気絶した半妖精の少年が現れる。

 霊長類の男の背後には、気を失った弓使いの修道騎士たち。

 男は手を拳にし、開く動作を何度か繰り返した。


「うーん、中々いい感じだ。近接戦闘はあまり得意じゃないんだが、これは生まれ変わった気分だね」


 ミルーニャはそれを録音、念写してアップロード。

 男性の声がアストラルネットに拡散される。

 修道騎士の射手も愛用するサイバーカラテへの信頼感が高められ、ウィルスによってもたらされた不審極まりない呪文アプリの使用を決意する人々が増加。

 ミルーニャは、市街のあちこちから「発勁用意」の声が上がるのを聞いた。


 拡散した【サイバーカラテ】というミームは、伝播と波及と変質を繰り返し、大きなうねりとなって異世界に広がっていく。今やそれは原型となったものから離れた『何か』に他ならない。


 見れば、杖の呪術師たちは呪術を使いながらサイバーカラテの技を組み合わせて戦っている。

 サイバネティクスとオカルティズム。その二つの境界が曖昧となり、混沌が地上の秩序を塗り替えていくのだった。



 

 教会の礼拝堂に雪崩れ込んできた死人の群れ。

 圧倒的な暴力の目の前に、背の低い老女が立ちはだかる。

 皺だらけの顔をきりりと引き締めて、力強く叫ぶ。


「発勁用意!」


 老女の流れるような踏み込み、足腰が弱っているとは思えぬほどの安定感、そして素早く力強い掌底の一撃を見た人々は、揃って感嘆の声を上げる。

 だが、数の暴力には勝てぬのか、横合いから涎を垂らして死人が迫る。

 そこに、


「NOKOTTA!」


 細腕の女性が割り込んで、一撃の下に死人を叩き伏せた。

 老女はかっと目を見開いて、唾を飛ばしながら叫ぶ。


「あんたは下がってな!」


「いいえ、お義母さん、こんな時くらい頼っていただかないと」


 背中合わせになった二人の目の前に、ある死人が現れる。

 その顔に、二人は見覚えがあった。

 本来他人同士である二人の女性を結びつけている死者――息子であり夫であったもの。その成れの果て。


 最悪の運命を前にして、しかし二人は力強く足を同時に踏み出すと、


「嫁に手をあげるような子に育てた覚えは無いよこの馬鹿息子がっ」


「お義母さんの世話全部押しつけて死にやがってこのクソ野郎がっ」


 息の揃った打撃によって死人を吹き飛ばす。

 老女は女性を睨み付けた。


「あんたそんなこと思ってたのかい」


「あ、いえ、つい弾みで」


「ふん。いいよいいよ。どうせ半人狼のあたしゃ地上にゃ居場所は無いんだ。この場を乗り切ったら第五階層とやらにでも行ってみるかね」


「なら、私もお供します。お義母さん、危なっかしいですからね」


「――勝手にしな」


 会話をしながらも、老眼鏡に表示された文字列や端末が網膜に干渉して生み出される幻影を参照して最適効率の動きで死人を撃退していく二人。

 その背後で、凄まじい絶叫が上がる。

 一人の線の細い青年が、狂ったように礼拝堂を破壊しながら暴れ回っていた。


「くそったれ! 大神院め! 僕の脳髄を弄り回しやがって! 神なんざくたばりやがれ! 教会に火をつけろ! 死者の尊厳? そんなもん糞溜めに放り込め!」

 

 穏やかに槍神教の秩序を説いていた青年の面影はそこにはない。

 優しげな顔を激怒に染め上げて、眼鏡に文字列を表示させていく。

 扇動と洗脳の呪術によって槍神教への洗脳が解除され、鬱屈と怒り、反抗心を極限まで増幅されたのだ。


 今の彼は怒り狂った野獣そのもの。

 分泌されたアドレナリンが恐怖や痛みを駆逐して、握りしめた拳が標的を求めて亡者たちに吸い寄せられる。

 死者の群れのただ中に突っ込むと、表情とは逆に動きだけは冷静なまま鋭く踏みだし、腰を、胸を、拳を、勢いよく腐った顔面に叩きつける。


「NOKOTTAAAAAAAAA!」





 幼い少年の跳び蹴りが、かつて父親だった死人の腹部に突き刺さる。

 庇っていた相手に逆に守られている自分に気付いて、少女は驚きに目を見開く。


「ねーちゃんに酷いことするようなヤツは、お父さんじゃない!」


 小さな子供が戦おうとするその姿を見て、周囲で逃げ惑っていた人々の瞳にもまた戦意が宿る。

 弟を守る為、少女は立ち上がった。

 彼らの口が、鋭く一つの形をなぞっていく。


 独特の発声と構えで死人に相対する彼らの頭上を、超人的な身体能力を誇る少数の精鋭たちが跳躍していく。

 牙を生やした新たな死人たちは、蝙蝠や霧になって夜を飛び越えていく。

 彼らもまた声を揃えて、空から襲いかかってくる屍亜竜たちと相対する。


 いかに【賦活】の呪術があっても戦えないほど身体が弱っている者、負傷した者たちは戦場をあらゆる角度から観察した。その情報を随時【サイバーカラテ道場】に送ることで格闘制御システムの精度向上に貢献しているのである。

 彼らもまた、情報という外力を伝達する起点となっているが故に、こう叫ぶ。


「発勁用意!」





 エルネトモランの総合病院を、死人の群れが襲っていた。

 警備が総崩れになっているのは、その死人たちの練度が異様に高かったためである。死人たちはそれぞれ異なる得物を構え、ある者は呪術すら使用した。


 死人たちの先頭に立つのは、虚ろな目をした白髪の男。

 杖の上に弩が取り付けられた独特な武器。

 呪石弾を発射しては警備員を吹き飛ばし、突き出される棍を杖の中に仕込んだ刃で切断していく。


 探索者の死人という恐るべき脅威。

 それでも背後には守るべき病人、怪我人たちが数多く存在する。

 警備員たちはここで退くわけにはいかなかった。

 その時、院内から騒ぎが聞こえてくる。


「いけません、アルタネイフさん! ようやく目覚めたばかりなんですから! まだ動けるような身体じゃないんですよ!」


「問題ありませんよ。【賦活】の呪術が効いているみたいですから――だから、もう私は大丈夫」 


 茶色の巻き毛が印象的な、やや童顔の女性。

 体格も華奢で、どちらかと言えば静かに室内で本でも読んでいるのが似合うような穏やかな雰囲気。


「ここは危険です! 院内に戻ってください!」


「いいえ。どうかこの人だけは、私にやらせて下さい」


 眼鏡のフレームに手を当てて、流れ込む膨大な情報量から最適なパターンが導き出される。

 射出された呪石弾をミアスカ流脚撃術の絶技【烏墜】で蹴り返し、閃光と衝撃にたじろぐ死人に一気に肉薄。


「発勁用意――」


 抜き放たれた杖刃――刃の方が長い変則的な鞘付き槍の『穂先』の長さと振り抜かれる速度を、女性は知り抜いていた。

 その間合い、致命となる殺傷圏を正確に把握。


 護身と反撃に適した戦術モデル。

 『義肢による対刃防衛術』を改変した『呪術による対刃防衛術』を使用。

 強靱な呪包帯が巻き付いた腕で男性原理の呪力を象徴する『槍』の刃を滑らせるように受け流し、つい先程まで病人であったとは思えぬ動きで地を蹴り抜く。


「NOKOTTA!」


 初級呪術である【報復】の呪力が地脈から足へと流れ込み、腰の捻転、胸の回転、肩、肘、拳へと集約して死人の腹部にまず一撃。

 刃を外側に弾き飛ばしながら顎を掌底で突き上げ、顔面にもう一撃。

 たたらを踏んで下がった死人が槍を滅茶苦茶に振り回す。


「下手くそ」


 にこりと笑顔を作った女性の可憐さに、死人の動きが一瞬だけ停止。

 直後、鋭い敵意を宿した瞳が月光を白く反射して、ミアスカ流脚撃術とサイバーカラテが融合した稲妻の如き蹴りが刃を粉砕しながら死人を吹っ飛ばした。


「くたばれ包茎野郎っ」


 槍の破片を踏み砕きながら、死人の脚の間に靴を振り下ろす。

 圧壊する肉の塊。

 男性警備員たちが思わず竦み上がる。

 鮮やかに勝利を収めた女性は、少女のように軽やかな笑みを浮かべた。





「発勁用意!」「発勁用意ぃ!」「発勁用ー意!」「発勁、用意!」「発勁よぉぉぉぉい!」「発勁用意ぃぃっ!」「発勁ー用意!」「発勁用意だオラァ!」「せーのっ」「発勁用意~!」「だぁ、ぶぅ」「ほーら、発勁用意のお兄ちゃんですよ~」「神を殺せ! 死者に唾を吐きかけろ!」「発勁用意」「発勁用意!」


 そして、エルネトモランのあらゆる人々が一斉に唱和する。


「NOKOTTA!!」





 打撃の度に技の威力が上がっている。

 人々は、はじめはそれが多数の交戦記録がフィードバックされた結果だと判断した。事実、それは正解だったが、それだけでは説明がつかない事が一つ。

 その拳が、その技が、呪力を宿しているのである。


 正確に呪術の弱所を狙えば、生身による防御すら可能なその現象。

 その秘密は、使用者たちによる五段階評価にあった。


 ――『良い』『非常に良い』『極めて良い』『並ぶものが無いほどに良い』『この上なく良い』という『星を付ける』項目と、使用感に対するコメント欄。

 この上なく過酷な状況下で与えられたサイバーカラテへの需要は決して尽きることが無く、そのツールに対しての感謝と信頼は飛躍的に上昇していく。


 『サイバーカラテによる打撃は信用出来る』という摸倣子が増大、拡散しつつあるのだった。

 そして、使用者たちが抱く幻想は呪力を宿し、サイバーカラテに、そしてその技を振るう者たちにより強い力を与える。


 呪的発勁。

 この世界に特有のサイバーカラテの術技が、急速に浸透し、試行錯誤を繰り返し、大量のサンプルデータを繰り返し参照することで精錬されていく。


 サイバーカラテとは、集合知によって集団で修練を行う武術の体系。

 ゆえに、道場の入門者ユーザーが増えれば増えるほど優れたパフォーマンスを発揮する。

 その特性に、この世界特有の摸倣子という要因が加わることで、サイバーカラテは強化されていく。


 摸倣子。ミーム。情報。

 それは習慣。それは技能。それは文化。それは宗教。それは作法。それは流行。

 それは、サイバーカラテ。


 エルネトモランから遠く離れた場所にいる人々も、アストラルネットに投稿された念写画像や動画などを見てその名を噂する。

 ささやきの天使エーラマーンがネットミームに尾ひれをつけながら拡散していくと、『サイバーカラテ』という言葉は実態がよくわからないままに一人歩きを開始していくのだった。


 過去から甦った死人の群れを圧倒していくのは、同じように過去を参照し続けるサイバーカラテという武術の体系。

 だがその二つには決定的な違いがある。

 規模。速度。そして全ユーザーが情報を共有し、フィードバックを繰り返すことでサイバーカラテそのものが絶えず強化され続けるという特性。


「な、何なんだ、これは一体どういうことなんだっ」


 混乱したガルズが叫ぶ。

 他の魔将たちも多かれ少なかれ似たような感情を抱いているらしい。

 復活した歌姫、正体不明の新手の死人、更には一般市民たちが次々に不可解な武術を習得したかと思うと、猛然と反撃を開始する始末。


 以前よりも遙かに動きが良くなった修道騎士や探索者たちが、アインノーラを挑発しながら慎重に浄界の射程距離外へと逃れていく。

 ダエモデクが強化死人たちを再生させるが、分け与える為の肉はほとんど無くなって、黒蜥蜴は骨と皮ばかりになっていた。


「あの動き、もしや――いやまさか、そのようなことが」


 死人たちを操作しながら呟くエスフェイル。

 彼方から、傷付いたピッチャールーとサジェリミーナが逃げ込んでくる。

 歌姫と激戦を繰り広げる魔将たちは驚愕を禁じ得ない。


 まさかあの二人までもが敗れたというのか。

 事態の急転に動揺する魔将たち。

 その時、クエスドレムが呟いた。


「待て。サイザクタートはどうした」


 全員がはっとなる。

 三つ首の番犬。

 そういえば、あの夢と現実の境界を操る射手はどこに行ったのだ?


 その疑問に答えるように、街路に立ち並ぶ建物の影が蠢く。

 暗がりの中から飛び出したのは、噂されていた魔将サイザクタート。

 真ん中の頭は眠りこけたままだが、左右の頭がぶるぶる震えて怯えている。

 クエスドレムが気遣わしげに問いかける。


「どうした、サイザクタートよ。何があった?」


「あわわわ、大変大変、大変だぁ」


「まずいよまずいよ、あいつが来るよ」


 文字の嵐の中心で浮遊する歌姫が、うっすらと笑みを浮かべた。

 そして、ある名前を口にする。

 同時に、エルネトモランの各所で、六つの口が声を揃えていた。


 影の彼方から、何かがやってくる。

 空のように青い翼を広げ、逆さまの城と月の輝く夜空を飛翔する、幻想の獣。

 エスフェイルがその姿を見て絶叫する。


「馬鹿なっ、奴は確かに死んだはず! この私が止めを刺したというのに!」


「それが事実ならばあれはまやかしだ。死の記憶を再生し、空虚な生命の終わりで上書きしよう」


 ガルズの金眼が輝き、死の邪視が圧倒的な速度でその存在を捕捉する。

 邪視による【静謐】。

 かつて無造作な死をもたらした解体の一撃が、またしても同じ死を呼び起こす。

 それは夜の民という種族の神秘を零落させるためだけに鍛え上げた確信だった。


 存在の否定により、青い輪郭が霞むようにして吹き散らされる。

 しかし次の瞬間、全く同じ姿でその場所に現れたのは、紛れもない青い鳥。

 ペリュトンの姿が変幻し、黒衣を纏った矮躯となって建物の屋根の上に降り立った。浮遊する歌姫と並ぶようにして月下に立つ二人。


 並び立つ魔女と使い魔。

 その威容、その不死性の先に広がる暗闇の果てしなさを感じたガルズは、思わず一歩後退る。


「何なんだ、あれは一体何者なんだ!」


 その背後で、同じく黒衣のユネクティアが沈思黙考する。


「今、消滅した一瞬だけ色が見えた――」


「師兄? 一体それは」


「エスフェイル、君は万が一に備えて下がっていなさい。先に僕らで様子を見よう――見間違いでなければ、あれは八色、いや九色か――?」

  

 ユネクティアの声に、常に満ちあふれているような余裕は無い。

 その空の黒衣の中で、この上ないほどの警戒の視線がもう一つの黒衣へと注がれていることを、エスフェイルは理解した。


「もしかするとあれは――我らが大魔将と同じ存在なのかもしれない」


 そして、魔女と使い魔は魔将と激突する。

 たった二人と、ガルズとマリーを含めた十三人。

 だというのに、まるで魔将側が挑むかのようなこの構図は何なのか。

 膨れあがる不安の影を振り払いながら、魔将たちは次々と殺意を研ぎ澄ませた。




 この日、エルネトモランに新たな英雄が誕生することになる。

 一人目は歌姫。その歌声で地上を救い、秩序をもたらした偶像。絶対なる支持を集める彼女の正体が第四衛星の王女であると知った人々は更に熱狂していく。


 二人目――そして二つ目はサイバーカラテ。

 その技術体系そのものが人々の希望となり、それをもたらした異邦人のこともまた噂の対象となった。

 槍神教が公式にその英雄性を否定し、異界の悪魔と断定したことによってその神秘性はますます高まる結果を生む。


 そして、三人目。

 今までどの英雄も為し遂げたことのない偉業、歴代最多にして最速の魔将討伐。

 【チョコレートリリー】と呼ばれる集団の長は、先陣を切って無彩色の左手を掲げると、勢いよく金鎖を砕く。


 しかし叫ばれるのは寄生異獣を活性化させるいつもの文言ではない。

 その呪文は別の場所で紡がれ――代わりに魔将たちが聞いたのは別の呪文。

 未知なる幻想、されどそれは既知なる文字列。


 幻想が幻想を呼び起こし、実体の無い架空の構造を寄せ集めて作り出す。

 引喩アリュージョンされたものは、何を参照し如何なる力を生み出すのか。

 その予感だけが、交換可能な価値と交換不可能な神秘を交互に具現させる。


 言理の妖精語りて曰く、

 

射影即興喜劇アトリビュート黒玉飛翔ジェット!」


 その英雄の名は、幻想再帰のアリュージョニスト。





 







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