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3-11 チョコレートリリー


 事情聴取は手短に済んだ。

 私とメイファーラの共有記憶から状況はフラベウファに伝わっていたからだ。ハルベルトとリーナが解放されるのを待って、私たちは当初の目的地であったミルーニャの呪具店に向かった。

 私たちを先導したのは何故かリーナだった。彼女は事務所で忙しそうにしているミルーニャに一言断ると、返事も聞かないままに二階の自宅部分に上がり込み部屋に私たち三人を案内した。お茶菓子を用意すると言って出て行ったが、ここはひょっとしてミルーニャの自室なのでは。

 白い壁紙、乳白色や薄桃色といった淡い色が目立つ、綺麗に片付いた部屋だった。本棚には何やら杖使いらしい難しそうな学術書が並んでいて、机の上には大量に書き込みがされた帳面が無造作に並べられている。中央に置かれた付箋だらけの大判の本は、一昨日彼女に渡した魔導書――彼女の父親の遺品だ。たしか名前は【死人の森の断章】だったか。

 それにしても、本人に断らずに入ってきてしまってよかったのだろうか。

 私は用意された円形のクッションにおずおずと腰を下ろすが、ハルベルトは躊躇無く椅子に座りメイファーラは寝台に飛び込んでいた。「ふかふかー」などと言っているが、ちょっとくつろぎすぎではないだろうか。

 落ち着いたところで、私たちはまず状況を整理することにした。


「見立て殺人?」


「おそらくはそう。恐らく時限式で生贄を捧げていく劇場型の儀式呪術。失敗の危険性は高いけれど、成功した時に得られる呪力は莫大」


 私の問いかけに、ハルベルトは小さく頷いて端末を操作した。

 そこには、あの爆破の直後にネット上に公開された声明と名簿が表示されている。

 声明文はありふれた体制批判と涜神の呪詛だったが、名簿の方が常軌を逸していた。言うだけならば大神院からの警告、最悪でも順正化処理で済むのだが、実際に暗殺やテロを実行するとなるとその難易度は跳ね上がる。

 ましてや、名簿に記された十三人の大半はいわゆる要人であり、その警護態勢は盤石――そのはずだったのだが。

 名簿の一番最初。その名前の上に、斜線が引かれていた。「まずは一人」と金眼の男は言っていた。

 最初の爆破で命を落としたのは、あの夜の民の司教、群青様だった。小さな老体で食卓の上をとことこと歩いていた光景を思い出す。つい先程まで生きていたのに。

 けれど信じざるを得なかった。事情聴取の為に時の尖塔に向かった私はその現場を見たのだ。崩壊する回廊の中央で、無数の破壊された白骨に取り囲まれて無惨な屍を曝す群青様を。骨で出来た三叉の槍が突き上げられ、分裂した小さな身体を貫いているのを。

 許せない。悲しみよりも先に怒りが湧き上がった。

 同胞だから、というだけじゃなくて、私はつい先程あの人に良くして貰ったばかりだ。些細な助け船、小さな気遣い、それでも私にとってはこの上なく嬉しいことだった。私はあの二人を完全に敵と見定めていた。

 現場には激しい抵抗の後があり、腐乱死体や白骨死体といった操られた死者と戦闘を行ったのだと推測できた。常時付き従っていた六名の護衛は最初の爆発で全員死亡。爆発呪物の出所は未だに不明。爆破の関係者と思われる逃走した二人の行方も不明。


「過去視を警戒してるみたい。沢山の人を介したり時間を置いたり断続的に呪術を発動されると記憶を辿りづらくなるの。残留した爆撃呪石の欠片に触ったけど、事情を知らない人を何人も挟んでて最後まで見えなかった」


「でもメイ、最後に爆破を実行した人はわかるんでしょう?」

 

「それが、からっぽだったの」


 メイファーラの言葉に首を傾げる。どういう意味だろう。

 疑問にはハルベルトが答えた。


「使役した哲学的ゾンビに疑似霊体だけ憑依させて、正常な人間に見せかける手法。明らかに死霊使いの手口だけど、普通ならまず不可能」

 

「相手は並の使い手じゃないってこと?」


「複数の高位呪術師が完璧に連携しないとできない技術。まず杖使いが魂の無い肉体を複製培養クローニングで作り出して、邪視者が口寄せでその肉体にぴったりの霊体を憑依させる。その上で両者が意思を同調させ、死体を違和感無く遠隔操作――口で言うのは簡単だけど、恐らく死霊使いとしてはほとんど階梯を登り切ってる」


 ガルズ・マウザ・クロウサーとマリー。トライデントの使い魔二人の実力が恐るべきものであることを改めて理解する。

 しかし、腑に落ちない点があった。


「その、トライデントってハルの競争相手なんだよね? それがどうして槍神教や地上の権力者を殺す必要があるの? 私が入っているのはわかるとしても、まるでその他の人を暗殺するのが本来の目的に見えるよ」


 名簿の十三人にはハルベルトの関係者である私が含まれていた。だが、逆に言えばトライデントの使い魔として納得できる殺害対象は私しかいなかった。

 末妹選定に関する事情を知らない第三者が見れば、この殺害予定表は典型的な反体制主義者のものでしかない。私は最近目立ち始めた松明の騎士団の英雄だから含まれているだけのように見えるのだ。

 まるで、私を殺すのがついでの用事であるような。


「大規模なテロを起こして本来の目的を隠す――なんてことを考えるにはやることが派手すぎるよね。そもそもこちらと敵対している事を隠していないみたいだし」


「おそらく、アズの殺害はついでの用事。本来の目的がある」


「やっぱりそうなんだ」


 だとすれば、それは一体何なのだろう。

 考え込んでいると、足音が近付いてくるのに気がつく。二人分だ――二人?

 おかしいな、と首を傾げていると、室内の人口が倍になった。


「へいお待ち! リーナさん特製の八十八の茶葉をブレンドしまくった超絶ロクゼン茶とてきとーに失敬してきた賞味期限切れのお茶請けだよ!」


「適当な事を抜かすなこの馬鹿大学生」


 鋭い上段蹴りがリーナの後頭部を打ち据えた。落下しかけたお盆をメイファーラが神懸かり的な反射速度で受け止める。


「アズーリア様、ちゃんとおもてなしできなくてごめんなさい。仕事を一段落させてきたので、これでゆっくりお話できます。あとお茶とお菓子はまともですのでご安心下さい。このどうしようもない馬鹿には虚言癖があるんです」


 ミルーニャは最初に会った時のような作業用エプロン姿で、髪色も落ち着いた色に染め直していた。瞳には色つきのレンズを入れているらしい。


「それはいいけど、あの、リーナが悶絶してる――」


「あれは放置していいので」


 後頭部にミルーニャの蹴りが直撃してたけど、本当に大丈夫なのだろうか。後遺症とか残らないよね?

 リーナはほとんど初対面の私たちに対しても気さくに接してきた。大学の二回生で十九歳とのことなので、三つ年上なのだが、あまり年上という感じがしない。あちらが軽やかに名前で呼んでくるので、こちらも名前で呼んでいる。メイファーラとは違った意味で心理的な障壁を感じさせない女の子だった。


「うぐぐ、先輩きっつい」


「貴方の存在ほどきつくないです。いいからその辺の邪魔にならない所で小さくなってて下さい」


 悄然と浮遊して移動するリーナ。カーペットが敷かれているのもあるが、当然足音は立たない。

 さて、足音は二人分だった。ミルーニャが一人で、もう一人いるはずなのだが。


「元気そうね、ハル、アズーリア、それにメイファーラ。怪我の具合、悪そうだったから心配してたんだけど」


 緑色の長髪を彩るように咲き誇る大輪の花。

 華やかという言葉がこの上なく似合う、樹妖精アルラウネの少女がそこにいた。


「エスト、どうしてここに? ていうか、大丈夫なの?」


 大丈夫、というのはつまり、異獣扱いである彼女がこの上方勢力まっただ中のエルネトモランに来て大丈夫なのかということである。

 プリエステラは微笑んで、


「まあ、色々抜け道があるの。私は変装と呪力をちょっと偽装すればわりとどうにかなるんだな、これが」


「でも、万が一ってことも」


「まあ危険は承知だったけど、リーナが付き添ってくれてたし。それに、今回の打ち合わせ、私も参加してちゃんと状況把握しといた方がいいでしょ?」


「褒めてもいいのよ? 地道に通い詰めてティリビナの民から信頼を勝ち得ていたエストの大親友リーナさんを褒めちぎってもいいのよ?」


「いいから黙ってて下さい」


 ミルーニャに頬を強くつねられてリーナが悲鳴を上げた。何でも、リーナは以前からティリビナの民の集落に足を運んで物資などを運んでいたんだとか。勿論、対価として様々な情報や特有の呪力が宿った民芸品などを得ていたとのこと。


「当日まではミルーニャがここで預かる事になってます。エストさんの説得に全てがかかっていると言っても過言ではないですから、ご本人抜きで話を進めるのも良くないでしょう」


 確かに、私たちの計画にはプリエステラの協力が必要不可欠だ。

 彼女は――ティリビナの民たちを護送して保護する計画のまさに当事者なのだから。


「それはそれとして、何かまた厄介そうな事になってるんだって?」


 プリエステラは足の短い円卓の上に置かれたハルベルトの端末と、そこに表示された犯行声明と名簿を覗き込んだ。

 私は彼女にどこまで説明しようか迷ったが、ハルベルトはとくに躊躇する様子も無く末妹選定のことからガルズとの対立のことまでを話してしまった。巻き込んでしまうかもしれないのに、いいのだろうか。


「なるほどね。それで、そいつの目的がわからないってわけだ」


 プリエステラは私の正面、ハルベルトとミルーニャの間に座っている。ミルーニャの後ろの方でリーナが膝を抱えてふわふわと浮かんでいて、彼女をよしよしと慰めているメイファーラは寝台の上。

 ミルーニャの部屋はそれなりに広いが、流石に六人も入るとやや窮屈な感じは否めなかった。リーナがやや高めに浮遊してくれているので、上の空間を有効活用できているのが救いだろうか。

 そのリーナが卓上の端末をじっと睨み付けて言った。


「えっとね、その件に関しては私、わりと当事者だったりするんだけど」


 卓上に置かれた焼き菓子を真上から手に取って、逆さまの状態で喋り出すリーナ。大きな三角帽子は落下する様子は無いし、服がずり落ちてくるような事もない。おそらく重力の向きを変えているのだろう。


「何から説明したものかな――まずは、アイツの素性かな」


「それについては、こちらでもある程度調べはついてる」


「ですね。何しろ、探索者の間ではそれなりに有名人ですから」


 ハルベルトとミルーニャが交互に言う。実を言えば私も死霊使いガルズの名前は耳にしたことがある。


「四英雄ほどではないけれど、それに準ずると言われてた探索者だよね」


 その名前は大抵は尊敬や羨望と共に語られていた。

 ただ――その中に、多分にやっかみが混じっていたに違いないけれど、少し気になる表現がひとつ。

 『英雄になれなかった男』という呼び名が、ガルズにはあった。


「その通りです、アズーリア様。クロウサー社専属の企業付探索者で、クロウサー家を構成する四つの血族のひとつ、マウザの長子。探索者集団【骨組みの花】を率いる高位呪術師として、将来を有望視されていました」


「『いました』っていうのは、過去形だよね」


「ええ。つい最近までの話です。ですが、第六階層の攻略に挑み、大魔将イェレイドに敗北してから姿を消しています」


 私もその話は聞いていた。九人からなる手練れの探索者たちで、命無き死霊を斥候として放ち、十分な情報収集を行ってから攻略を行う堅実な集団。徹底した安全策をとる探索者たちがどうして無謀な大魔将の討伐に挑んだのか、誰も知るものはいない。

 様々な噂が囁かれる中、唯一生き残ったガルズは頑なに口を閉ざし、そしてそのまま行方不明になったらしい。

 その彼が、トライデントの使い魔となって姿を現した。

 この事は、一体何を意味しているのだろうか。


「その姿を消した――ってのは規制された後の情報だね。本当は、そんな穏やかなものじゃない」


 リーナの声には暗い憎しみが宿っていた。明るい髪色と顔立ちに似つかわしくない、強い敵意。


「あいつは、迷宮から帰ってきてからおかしくなっちゃったの。一見すると以前のまんま、へにゃへにゃしたヘタレやろーって感じなんだけど。なんだか、目の奧の所が、決定的に違っちゃってた」


 私は以前のガルズを知らない。けれど、リーナの言葉が理解できるような気がした。

 あの、輝かしい金色の中央に開いた底無しの孔。全てを飲み込む絶望の色。


「私は直接居合わせたわけじゃない。その場に辿り着いた時には全てが終わってた。その日は降雨量の調整がどうしてかずれてて、予定にない雨が降ってた。傘も無いのに土砂降りで、仕方無いから近くにあったマウザの屋敷で雨宿りさせてもらおうと思ったの。迷宮から帰って以来、ずっと塞ぎ込んでた従兄弟の顔でも見て慰めてやるかって思ってた。それで、私が行ったらどうしてか鍵がかかって無くて、返事も無くて、それで――」


 リーナはその時の事を冷静に、できるだけ淡々と語ろうとしているように見えた。まるで、あまりにも忌まわしい記憶に耐えるようにして。

 ふわりと正常な向きになって、壁際によりかかる。その表情は、暗く沈んでいる。


「屋敷に入ったら、みんなが殺し合ってた」


 沈黙が部屋に満ちた。リーナは震える両手で長いスカートを掴んで、甦る恐怖の記憶と対峙しようとしていた。ミルーニャは事情を知っていたのだろうか、リーナを優しく引き寄せて、そっと隣に座らせるとお茶を少しだけ飲ませた。

 落ち着いたのか、リーナが深呼吸して話を続ける。


「叔父さんがね、叔母さんの下半身を組み立ててたの。でもね、変なんだよ。叔母さんの上半身は叔父さんの背中を何度も何度も包丁で突き刺してて、それを離れた所で見てる叔父さんの頭が気が触れたみたいに馬鹿笑いしてるの。小さなティルくんが積み木遊びみたいにしてた骨は、多分離れで暮らしてた大ティルお爺さんとフィブリナお婆さんのものだと思う。積み上がったそれをお姉ちゃんのサリナちゃんが粉々にして、二人はそれを凶器にして殺し合いを始めるの。二人とも死んじゃうんだけど、それでも二人は止まらなくて。使用人の人達は、みんな当たり前の様に仕事をしてた。散らばったり、流れたりした色んなものを、平然と、顔色一つ変えないで掃除して――自分の身体が腐り落ちたら、それも自分で片付けてた。執事のヨドックさんの頭がペットの兎に無理矢理針と糸で縫い付けられながら挨拶に出てきて、ああこれは夢だなって思ったら、後ろから」


 溜め込んできた色々なものをまとめて吐き出すように酸鼻極まる記憶を吐露した彼女は、そこで一度言葉を切った。それから震える声で続ける。


「あいつが――ガルズお兄ちゃんが、声をかけてきたの。血まみれで、いつもみたいに優しく笑いながら、やあいらっしゃいって。それで、濡れてるからタオルを持ってこさせようって言って、骨だけになった使用人に命令してて――私、それで怖くなって、逃げて来ちゃったの。マウザの家の人が皆殺しにされて、お兄ちゃん――あいつがそのまま逃げたってその後で知った。それから、あいつはクロウサー家に関係している人を次々と襲撃し続けてる」


「つまり、醜聞を内々で揉み消しておきたいクロウサー家が裏から手を回して情報を止めさせているわけです。あの巨大な血族の影響力は大神院にも及びますからね」


 ミルーニャがリーナの言葉を補足した。

 リーナの言葉は続く。


「あいつは、クロウサー家を皆殺しにするつもりなんだ。けど絶対にそんなことさせない。私はおかしくなったあいつを捕まえなきゃいけないの」


 名簿の最後にはこう記されている。サイリウス・ゾラ・クロウサー。呪術の名門、巨大な血族、クロウサー家の全てを束ねる古老にして大企業クロウサー社の最高経営責任者。

 

「その名簿、確認はしてないけど全員クロウサー家と関係があるよ。夜の民の司教ってクロウサー家と共同で慈善団体に寄付しているし、歌姫Spearのスポンサーはクロウサー社。アズーリアたち修道騎士が使ってる呪動装甲なんかの各種装備の部品はクロウサー社製。他にも多かれ少なかれクロウサー社と関係している大物ばかり。このエルネトモランで呪術文明の恩恵に与っている人の中で、クロウサー社と無関係な人を探す方が難しいけど」


「関係者を皆殺しにしようってこと? 何のために」


「わからない。それも捕まえて問い詰める。これは私がやらなきゃいけないことなんだ。サイリウスおじいさまの私兵に――処刑部隊に先を越されたら、きっと事情もわからないまま全てが闇に葬られちゃう。私、それだけは嫌なの」


 リーナはまっすぐにこちらを見つめて言う。その願いはこの上なく純粋で真剣だった。


「お願い、力を貸してアズーリア。貴方も標的になった以上は当事者だから事情を話した。その上で、あいつを捕まえるのを手伝って欲しい。私は貴方が殺されないように守るつもり。あいつと戦うのに、人手は多いほどいいでしょう? 私、休日探索者だけどそこそこ使えるよ」


 正直な所、申し出はこの上なくありがたかった。ガルズは強敵だ。少しでも戦力が増えるのならそれに越したことは無いし、彼女には戦う理由がある。従兄弟の凶行を止めたいという強い動機が。

 私は、リーナの気持ちを否定したくは無かった。


「わかった。どちらにせよ、私はガルズと戦わなくちゃいけない。目的が同じなら共闘できるはずだよ」


「ありがとう! いやーアズーリアって話がわかるー! お父さんの形見も気前よく先輩にあげたって言うし、マジ器でっかい! これは英雄ですわー。痺れるー!」


 何なんだろう、この褒め殺し。相手を過剰に褒めちぎるのがこの姉妹の間で流行っているのだろうか。

 協力することを約束したものの、相手の足取りが掴めない以上とれる手段は一つ。

 待つだけ。私を殺すことを宣言している以上、待っていればいずれあちらから襲撃してくるはずだ。それを迎え撃ち、返り討ちにする。

 そのため、リーナはしばらく私と行動を共にすることを宣言した。

 これにミルーニャが何故か猛反発して、面白がったメイファーラがじゃあみんなで一緒にお泊まり会しようと提案し、ハルベルトが如才なく宿舎の空き部屋を確保してその場にいる六人でしばらく行動を共にすることが決まった。

 確かに、安全の為にはそれが一番いいのだろうけれど。

 なんだか、妙に楽しげというか緊張感が無いというか――変に気負いすぎるのも良くないといえば良くないので、これでいいのかもしれない。


「何にせよここからは松明の騎士団の警備部と智神の盾の捜査部に任せるしかない。ハルたちはそれとは別に動かないといけない」


 ハルベルトがそう言った所で、話が『本題』に移行する。

 今日、この場に集まった面々は、リーナ以外はある計画に望む意思をもっていた。

 リーナもまた事情をミルーニャとプリエステラから聞かされて、その気になってくれたようだった。

 目的というのは、ティリビナの民に地上の安全な場所で生活してもらうことだ。

 そしてそれを合法な手続きに基づいて執り行うこと。

 ハルベルトは迅速に根回しと情報操作と呪文による工作を済ませていた。大神院からの認可は誰もその本質を理解しないままに降りており、智神の盾が主導となってその計画は遂行されようとしていた。ラーゼフが協力的だったことも大きい。


「『新型の使役型寄生異獣の開発研究』と、『非槍神教系神働術を既存の神働術の中に取り入れる為の実験』――この名目でティリビナの民の安全を確保する」

 

「何度も念を押すけど、それって無茶な人体実験とかをされたりはしないんだよね?」


「ハルがさせない。ラーゼフにも確約させた。破ったら親類縁者含めて蛙になる呪詛をかけておいたので、裏切りは無いと思っていい」


 ティリビナの民としても、いつまでもパレルノ山で生活を続けるのには限界を感じていたらしい。何しろ極めて危険な怪物たちが跋扈する山中だ。それゆえに探索者や修道騎士の目も届きにくかったわけだが、命を脅かされている点に変わりはない。

 恐らく反発は大きいだろう。仇である松明の騎士団ではなく、あくまでも別の騎士修道会である智神の盾に身を寄せるという形式はとっているが、それでも槍神教は彼らにとって敵だ。心理的に受け入れがたいであろうことは先日のイルスとの一件でも明らかだ。

 しかし同時に、彼らは必要であればそれを受け入れる忍耐力と理性を持っている。

 そして、ティリビナの民にはどうしてもパレルノ山をすぐにでも離れなければならない理由があった。


「元々ね、脱出の準備はしてたの。竜骨の森か、第五階層か、それともまた地獄に戻るか。若い人を中心に第五階層に行くつもりの人が結構いたから、半分くらいはそっちについていくんじゃないかなって思う」


「どちらにせよ、裏面の更新まで時間が無い。パレルノ山の転移門までは全員ハルたちが護送する。その後どうするかはあなたたち次第」


「うん、そうしてくれると助かるよ。本当にありがとう、ハル」


 プリエステラは少しだけ目を潤ませてハルベルトの手をとった。ハルベルトの方は素っ気なく視線を逸らしたが、多分照れているのだと思う。

 裏面の更新。

 世界槍に浮かび上がる古代世界は、一定期間ごとに終わりを迎える。

 それは、過去に滅んだ世界であるがゆえの不可避の滅びだ。その周期は世界によってまちまちだが、パレルノ山に関しては一巡節、すなわち15,552,000秒ごとに世界が消滅し、また同じ世界が始めから再構成される。

 浮かんでは消える記憶の泡。その滅びが緩慢で穏やかなものであれば、その場に居続けても問題は無い。新しく生まれ変わった世界でそのまま過ごせばいい。

 しかし、パレルノ山の記憶に刻まれた滅びはひどく血塗られた凄惨なものだ。

 パレルノ山には決して遭遇してはならない危険が幾つもある。単眼巨人、蛇の王、舌の獣イキュー。それらに続く、最も危険な死そのもの。

 その脅威が目前に迫っている今、一刻も早くティリビナの民たちを避難させなければならない。中にはパレルノ山での生活を気に入っている人もいるだろうが、一巡節ごとに避難しなければならない場所で暮らし続けるのはやはり無理がある。

 

「ま、探索者協会にもたまーに出てる護衛依頼みたいなものですよね。迫り来る危険を振り払い、目的地まで送り届ける。狩りとはまた違った技術が求められそうですが」


「でも、私はどっちかっていうと、こういう誰かを守れる戦いの方が好きかな。ただ心配なのは、ガルズに狙われてる今、ティリビナの民が巻き込まれないかってことなんだけど――」


 私の不安は皆が共有するものだった。私のせいでティリビナの民が危険にさらされる可能性があるのなら、私は参加しない方がいいかもしれない。

 しかし、そうすると私はひとりになってしまう。ハルベルトはかなり無茶を――それこそ露見すれば犯罪認定されるような情報操作技術を駆使してこの計画を推し進めた。速度を優先させる余りに、その他の準備を疎かにせざるを得ないほどに。

 ティリビナの民を護送するための人員は回して貰えない。ここにいる六人だけで、この困難な任務を行わなければならないのだ。

 私一人でガルズとマリーの高位呪術師を相手にするのは荷が重い。それが数人増えた所で同じだろう。相手は厳重な時の尖塔の警備をかいくぐって襲撃を行えるような怪物である。どこにいたところで危険な事には変わりがないだろう。

 そして、百を超えるティリビナの民を護送してパレルノ山という危険な場所を突っ切るためには、十分な戦力が必要不可欠だ。

 結論として、どちらも守りきる為には六人全員が一緒に行動してティリビナの民を護送するということになる。


「時間的な余裕が皆無ですからね。ヴァージリ――ハルベルトが準備に手間取ったせいで、明後日決行するしかなくなってしまいましたし」


「ハルは最速で役目をこなした。どう急いでも正式な受け入れ準備が整うのが明日で、各種の手続きが終了するのが明後日の午前なんだから、やるしかない」


「その明後日がまさに更新日なんですけどね。ギリギリにも程があるでしょう」


 ミルーニャとハルベルトがじっと睨み合うのを、私とメイファーラがまあまあと宥めながら、私たちは明後日からの護送計画の細部を詰めていった。

 話し合いは長く続き、途中休憩したり脱線したり遊びが入ったり趣味の話になったり課題のレポートを手伝わせようとしてきたり飽きて空中散歩に行った挙げ句、箒が暴走して部屋に突入してきたりと、主にリーナとかリーナとかリーナとかが状況を混乱させたが、話し合いはどうにかまとまった。


「反省して下さい。貴方が黙っていればもっと早く終わってました」


「ごめんね、てへっ」


 ミルーニャの両の拳がリーナの頭部を左右から万力のように締め上げた。ぐりぐりと頭蓋を圧迫する拳を押さえながらリーナが悲鳴を上げる。

 なんだか騒がしいメンバーだけれど、これはこれでまとまっているのかもしれない。

 話し合いが長引いたせいで、日はすっかり暮れてしまっていた。

 私たちは明後日、無事にティリビナの民を送り届けられることを祈って、そして結束を高める為に六人で外食をすることになった。ミルーニャとリーナが第六区にいいお店があると言うので、二人の案内に従って皆で六区へと向かう。

 途中、探索者協会に寄っていく。一昨日の戦いで得た金箒花はミルーニャが必要とする分以上に手に入っていた。更には競争は中断という裁定がなされたにも関わらず、ペイルたちが自らの負けを頑なに主張し、彼らが手に入れた素材まで渡されたので、その換金を行うつもりだった。


「ま、遠慮無く受け取って、ぱーっと使っちゃいましょう。それなりのお金になるはずです。六人でメニューの端から端まで頼むのとか楽しそうですね」


 ミルーニャは鞄の中に圧縮された素材を詰め込んで探索者協会の窓口に向かっていく。そういえば、と思いついて問いかけた。


「ねえ、イキューの討伐報告はどうする?」


「一応、体内呪石とか有用そうな部位は保存してますよ。ただ、ミルーニャとしては素材は売却せずに討伐証明だけにして欲しいかなって思います」


「何か、呪具の素材にするの?」


「はい。宜しければ、アズーリア様に受け取っていただきたいなって――ダメでしょうか?」


「それはいいけれど。じゃあ、討伐証明だけお願いできる?」


「いえ、それはミルーニャの役目ではありません。何と言っても、この六人のリーダーはアズーリア様ですから」


 そう言われて、私はしばしぽかんとしてしまった。

 てっきり、この場の中心はハルベルトだとばかり思っていたから。

 縋るように頼れるお師様の方を向くと、彼女は淡々と答える。


「少なくともメートリアンを説得したのはあなたの言葉。認められているのだから、そのように振る舞えばいい。それに、師としては弟子に成長している所を見せて欲しい」


 そう言われては期待に応えるしかなくなってしまう。

 周囲を見渡すと、メイファーラも、プリエステラも、リーナも異論は無いようだった。

 そういえば、私たちは六人だ。

 迷宮に挑む探索者や修道騎士たちは、少なくとも三人、多くても九人、普通は六人で分隊を組む。隊長が探索者資格を持っていればその他の構成員は探索者資格が無くとも構わないので、プリエステラも名前だけ登録すれば集団の一人として認められる。

 六人の分隊――ふと、キール隊にいた頃を思い出す。

 第五階層の死闘で私はたった一人だけになってしまった。

 けれど、いつの間にか私の周りにはこんなふうに人が集まっていた。

 それがなんだか不思議で、私は少しだけ口元を緩めた。それから、皆に問いかける。


「ねえ、名前を付けない?」


「名前? ああ、探索者集団がつけるあれですか。【痕跡神話】とか【変異の三手】とか【憂国士戦線】とか【ゼド盗賊団】みたいな」


「あとは【骨組みの花】とかね」


 ミルーニャのいらえに、リーナがそっと言葉を添えた。どこか寂しそうな彼女の気持ちを紛らわせようと、殊更に明るく言葉を続ける。


「そう。イキューの討伐は私の功績じゃない。この六人がやったことだって、きちんと知らしめたいの」


「いや、私まったくの無関係なんですけど」


「リーナのせい――お陰でエストと会えたんだから、リーナも含めるということじゃダメ?」


「ダメっていうか――いや私はなんでもいいけどね?」


「そうですね、トドメを刺したエストさんを前に出すわけにも行かないし、全員で成果を分かち合うのが無難でしょうか」


「私は最初から自分一人の功績だなんて思ってないよ。個人的な仇討ちさえできればそれでよかったし。みんなには感謝してる」


 周囲の了解が得られたようで安心する。

 私たちは早速自分たちの名前をどうするか話し合い始めた。


「あたしにいい考えがあります。【アズと愉快な仲間達】というのはどうでしょうか」


「はーい、ミルーニャ的には、【アズーリア様親衛隊】というのがいいですぅ」


「私はなんでもいい。新参者ですしほぼ部外者ですし」


「なんでいじけてるのよアンタは。ほらこっちおいで」


 皆でああでもないこうでもないと言い合う中、ハルベルトがぽつりと口にした言葉がどうしてか強く耳に残った。


「【チョコレートリリー】」


 【心話】の呪術がその場にいる全員の胸に染み渡った。

 異界の言語である英語で紡がれたその言葉が、重なり合う意味を持っている事を全員が理解し、やがて静寂が訪れる。全員がハルベルトを見て、続く言葉をじっと待っているようだった。

 ハルベルトはいつも通りの口調で続ける。


「お菓子好きの黒衣の英雄に率いられる集団の名前としては、それなりに適切だと思うけど」


 ハルベルトの提案は、とても静かに、そしてごく自然に了解された。

 誰もそれに違和感を覚えず、異論を差し挟むことすら思いつかないようだった。

 それは、ずっと前から決まっていたことのように。

 黒百合チョコレートリリー――その言葉の裏に、どれだけの意味が隠されているのか。私はまだ、その全てを知らない。

 怖くて、ハルベルトに問いかけることができないでいた。

 それでも、私はその過去に向き合わなければならない。

 それは、一体いつなのだろう。

 すぐにでもそうしなければならないような気もする。

 いずれにせよ――私たち六人の名前は【黒百合チョコレートリリー】として記録され、聞き覚えのないその集団が固有種イキューを討伐したという噂、それを率いているのが魔将エスフェイルの討伐者だという噂が瞬く間に広がっていくことになった。

 私たちは探索者協会で素材の換金を終え、手に入れたお金で盛大な夕食を楽しむことになった。それは壮行会であり結成式であり気の早い祝勝会でもあった。

 決戦は明後日。

 必ずティリビナの民を守りきる。必ず生き延びて、ガルズを捕らえる。

 一人一人が意気込みを新たにして、そして思うさまに豪勢な食事を楽しんだ。

 ミルーニャとリーナの選んだ店は味も量もとても満足のいくもので、二人の目の確かさに私は感心した。聞けば、ここは第六区でも随一の名店であり、腹を空かせた探索者が祝い事をするのは決まってこの場所なのだという。

 価格帯は多少高級ではあるのだが、大きく稼いだ後にここで散財することは探索者にとって至福の時間らしい。

 たしかに、そう思えるだけの美味ではある。私はふわふわの卵料理を口にしながら舌鼓を打った。


「食後の氷菓が絶品なので、楽しみにしていて下さいね」


 ミルーニャは夜の民の事をよく分かっているようだった。いや、私のことをというべきかもしれない。あまり誤魔化したりするのも潔くない。

 なんだか、昼と言い晩と言い、豪勢な食事をしてばかりの日だなと思ってしまう。

 高級さという点ではきっと昼食のほうが上なのだと思うけれど、私はこの六人で囲む食卓の方がずっと素敵だと思った。

 かつて、キール隊のみんなと一緒に食事をした時の事を思い出す。

 訓練でくたくたになった私を、カインが引き留めてくれたのだ。たまには全員でメシでもどうだ。もちろん甘いもんも頼むから安心しろ。私はその言葉に釣られてうっかりついていってしまい、ひどいどんちゃん騒ぎに巻き込まれることになったのだった。店員さんと一緒に他人の吐瀉物を始末する体験はかなり新鮮だった。それにしても私以外の全員がさっさとお酒で潰れてしまうなんてどういうことだったのだろう。


「そういえば、アズーリア様たちってアルコールの類では一切酔わないって本当ですか?」


「うん。リキュールとかは好きだけど」


「そうなの? 初耳ー」


 皆が意外そうに私を見る。何故か、私たちのこの種族特性については知られていない事が多い。キール隊の皆はそれを知らず、飲み比べで若造に負けてなるものかと競い合うようにして大いに酒をあおり、そして揃って寝息を立てることになった。翌日の訓練で揃いも揃ってひどい顔をしていたのを思い出して、私は。

 なんだかおかしくなって、笑い出してしまった。

 この場所で、こうして六人で楽しい時間を過ごしていることが、ひどく儚い幻のような、そんな気がして。


「アズーリア様?」


「アズ?」


 ミルーニャとメイファーラが気遣わしげに問いかけてくる。突然笑い出した私を不審に思ったのだろうか。

 隣に座るハルベルトが、そっと手を伸ばして私の頬に触れた。


「泣かないで」


 私の拙い誤魔化しを許さない、厳しい言葉。

 けれど、その指先がどうしようもなく優しくて、私は。


「ハルたちは死なない。あなたは強くなってる。だから、きっと大丈夫」


 私の頬からまなじりまでをそっとなぞるハルベルトの指先。その感触が確かだったから、少しだけ胸が安らいだ。それから、ハルベルトの黒玉の瞳がとても綺麗な光を湛えていることに気付いた。

 慈母のように、姉のように、そして妹のように――私を見守り、導き、支えてくれる。彼女がいてくれるなら、私はどこにだって行けると思えた。どんなことだってできる。たとえ虚名であっても――英雄として振る舞える。


「ありがとう。私、ハルを――みんなを守る。絶対に、誰も死なせないよ」


 誓いを胸に、私は強く意思を持った。

 ガルズは強敵だ。それでもここには私だけじゃなくてみんながいる。

 あたたかな気持ちが湧き上がってくる。それが嬉しいのにどうしてか恥ずかしくて、私は目の前の料理の美味しさに話題を移す事でその場を切り抜けた。なんだか、微笑ましいものを見るような視線を感じたりしたけれど。

 そんなふうにして、夜は穏やかに深まっていった。

 さて、その日に起きた出来事はそれで大まかに語り尽くせる筈だったのだが、最後にひとつ、意外な展開が待っていた。

 食後の氷菓を待っていると閉店間際だというのに鈴が鳴って来客がやってきたのだ。

 丁度それが最後の注文。長身の女性が二人、案内されて私たちの近くに歩いてくる。


「あ」


 私は思わず声を上げてしまった。その二人に見覚えがあったからだ。

 二人も同時に私に気付いた。夜の民は個体差がわかりづらいというけれど、熟達した探索者特有の直感か、あるいは霊的な視力で私の『影』を識別したのか。


「やっぱりまた会ったね、夜の民さん。アズーリアさんだっけ」


 並の男性を上回る長身の女性、名前は確かアルマ。もう一人のサリアという女性はそっぽを向いて知らんぷりを決め込んでいる。

 四英雄の一人、冬の魔女コルセスカの仲間達。【痕跡神話】の構成員二人と、私はそうして意外な再会を果たしたのだった。





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